2016年1月20日水曜日

週刊エコノミストの記事は「女性は数学苦手=偏見」と言うが…

週刊エコノミスト1月26日号に「サイエンス最前線~男の脳と女の脳 『女性は数学が苦手』という偏見」と題した納得できない記事が出てきた。筆者は理研脳科学総合研究センター元チームリーダーの永雄総一氏と同研究センター研究員の青木田鶴氏だ。専門家なので知識は十分にあるのだろうが「女性は数学が苦手というのは偏見だ」との結論ありきで話を進めているとしか思えなかった。

記事で筆者らは以下のように述べている。

樹木に覆われた空き家(福岡県うきは市)
       ※写真と本文は無関係です
【エコノミストの記事】

数学を例にしよう。女性では数学が苦手な人が多いというのが、国際的にも多くの人が共有する印象である。事実、数学や物理の学会も国際的に男性の方が大多数を占める。しかしながら米国で1980年代に12歳の児童を対象に行われた調査では、800点満点で700点以上の数学(算数)の試験の高得点者は男児が13対1と圧倒的に多いにもかかわらず、平均点は男女ともほとんど変わらなかった。

また、12年の経済協力開発機構(OECD)の統計では、我が国でも数学の平均点の男女差は800点中わずか12点でしかない。にもかかわらず女性は数学が苦手という間違った思い込みが広まっている理由として次のことが考えられる。現代の教育システムでは入試のような重要な節目では数学(算数)がある種の選抜指標になっており、数学に特に秀でた男性が成功する確率が高くなる。このことが累積すると、女性に数学で最高度の教育を得られるチャンスが少なくなり、その結果女性の数学や物理のエキスパートが生まれにくくなっているのだろう。やはり冒頭で述べたような巷で想定されているような男女差を作っているのは、脳そのものではなく、教育や社会システムかもしれない。

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OECDの調査結果などを基に筆者らは「女性は数学が苦手という間違った思い込み」と断定している。しかし、これは根拠薄弱だ。日経の記事によると、OECD事務次長のマリ・キヴィニエミ氏は「大多数の国・地域において数学は女子が男子より劣っていた。OECD平均で約10点の差がある。日本は特に得点差が大きい」と述べている。統計学的に有意な差があるから、こうした発言が出てくるのだろう。

朝日新聞は以下のように報道している。

【朝日新聞の記事】

OECD平均でみると、「数学的な知識の応用」は男子が女子より強く、「科学者のように考える」ことが求められる質問では女子の苦戦が目立つ。日本では12年PISAの数学的リテラシーは男子が女子を18点上回り、科学的リテラシーで11点、問題解決能力も19点男子が女子を上回った。

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「女性は数学が苦手」という一般的な印象はOECDの調査でも裏付けられたと考える方が自然だ。日経の記事に付いているグラフでは、OECD加盟国のうち数学で男子が女子を上回っている国が31カ国。逆はわずか3カ国だ。しかも日本は6番目に男性の優位性が高い。日本人で「女性は数学が苦手」と思っている人がいても「それは偏見ですよ」と断じるのは無理がある。「偏見だ」と断定する方がよほど偏見に近い。

エコノミストの記事に出てくる「女性は数学が苦手という間違った思い込みが広まっている理由」も納得できない。「現代の教育システムでは入試のような重要な節目では数学(算数)がある種の選抜指標になっており、数学に特に秀でた男性が成功する確率が高くなる」という説明はやや意味不明だ。

入試で選抜指標になっているのは数学だけではない。国語も英語も同じだ。なのに、なぜ「女性は国語や英語が苦手」という印象は持たれないのか。「数学に関しては、男性の方が優秀な人が多いから」ならば、それこそ「女性は数学が苦手」を認めているようなものだ。

筆者らは「このことが累積すると、女性に数学で最高度の教育を得られるチャンスが少なくなり、その結果女性の数学や物理のエキスパートが生まれにくくなっているのだろう」と推測している。しかし、米国での80年代の調査に関して「(12歳の児童では)高得点者は男児が13対1と圧倒的に多い」と述べている。最高度の教育を受ける前に、上位層では圧倒的な男女差が付いている。だとすれば「女性の数学や物理のエキスパートが生まれにくくなっている」のは、「教育や社会システム」のせいではなく「脳そのもの」に原因を求める方が自然だ。12歳までに男女でこれほど圧倒的な差が付くような教育になっているとは考えにくい。

ついでに、記事の中で「この説明はおかしい」と思えたところを指摘しておく。

【エコノミストの記事】

また男女の脳の大きさに差があるからといっても、大きい脳が必ずしも優秀だとはいえない。有名な例として、2万円以上前に滅亡したネアンデルタール人は我々より1割くらい大きい脳を持っていたことが知られている。

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上記の記述では「現代人はネアンデルタール人より優秀な脳を持っている」との前提を感じる。しかし、ネアンデルタール人がどの程度の知的能力を持っていたかは、よく分からないようだ。現代人より優秀だった可能性も当然に残っているだろう。原始的な暮らしをしていたから脳も劣っていたとは限らないはずだ。「大きい脳が必ずしも優秀だとはいえない」のはその通りだろうが、ネアンデルタール人の例が適当だとは思えない。もし使いたいならば「ネアンデルタール人は現代人より知的能力が劣っていたことが証明されている」と読者に示すべきだ。

今回の記事には、エビデンスを積み上げて主張を構築しているというよりも、最初に訴えたい主張があって、それに沿うエビデンスを集めようとしている印象がある。だから説得力がなく、ご都合主義的な説明になってしまうのだろう。

※記事の評価はD(問題あり)。永雄総一氏と青木田鶴氏への評価も暫定でDとする。

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