2021年12月31日金曜日

現代ビジネス「都会人が言う『もう経済成長はいらない』は正しいか」に欠けている視点

30日付で現代ビジネスに御田寺圭氏が書いた「夕張の苦境に想う…都会人が言う『もう経済成長はいらない』は正しいか~無自覚に行われる『地方搾取』について」という記事には色々と問題を感じた。自分は田舎に住んでいるので「都会人」ではないが「経済成長はいらない」派だ。今回の記事を読んでも変化はない。その理由を記事を見ながら述べてみたい。

生月大橋

【現代ビジネスの記事】

私が見た一群の「街歩き系」動画では、いずれも夕張の中心部を散策していた。ホテルなどのレジャー施設は経営破綻してそのまま建物が放置されているのはもちろん、街の中心部にある市役所すらも修繕のための費用が捻出できず、役所として機能しながら廃墟化が進んでいる有様で、まさしく圧巻の一言である。

全盛期には10万人を超えていた人口も、現在では7000人近くにまで落ち込んでいるという。夕張市の高齢化率は最新の2021年統計で53%を超えている。*1 現在では市内の小中学校は2校で十分に収まるほどしか子どもがいない。よほどのことがないかぎり加速度的な人口減少に歯止めをかけることはできないだろう。

しかしながらこれは、夕張市だけが陥った特異的な状況というわけではない。全国各地の小規模な自治体では、同時多発的かつ緩やかに起こっていることだ。夕張市は日本の地方社会の各所で生じるであろう「未来の姿」を、それこそ10年20年のスケールで先取りしているにすぎない。日本の多くの自治体は夕張市と同じベクトルの未来に向かって進んでいる。歩みの速度がそれぞれ異なっているだけだ。


◎それでいいのでは?

夕張市」の寂れた様子を見て「経済成長はいらない」という考えは間違いだと御田寺氏は感じたようだ。これがよく分からない。まず人口増加と「経済成長」は分けて考える必要がある。

個人的には「人口減少は放置でいい。日本の人口は1000万人もいれば十分」という立場だ。なので、「夕張市」の「人口減少に歯止めをかける」必要はないと感じる。仮に自分が住む自治体の人口がドンドン減って最終的にはゼロになっても何の問題もない。むしろ好ましい。最終的には、関東と関西を除くとほとんど人が住んでいないような国になるのが落ち着きどころかと思っている。

この前提で「経済成長」を実現しようと思うと1人当たりGDPをひたすら拡大していく必要がある。それは難しいし、やる必要もない。その意味で「経済成長はいらない」と訴えている。

自分は少数派かもしれない。ただ「都会人」でなくても「経済成長はいらない」と感じている人が存在することを御田寺氏には知ってほしい。

記事の続きを見ていこう。


【現代ビジネスの記事】

全国の自治体のなかで、東京圏だけが若者の人口流入を達成しており、次点で近畿圏がギリギリのところで踏みとどまっている。*2 他の地域は軒並みこの二大都市圏に若者を吸い取られ、若年人口減少に歯止めがかからない。経済的にも人口的にも衰退する自治体にとどまっていては、ろくな進学先や働き口がない若者は、当人の意思にかかわらず、結果的に「都会に出る」ことを選ばざるを得ない。

「地元で生活するための基盤をつくれないがゆえに、都会に出ざるを得ない若者」が増えていけばいくほど地元の生産人口は減少する。生産人口の減少にともない地域経済がシュリンクし、さらに若者が生活のために都会に出ていくことを余儀なくされる――この悪循環から抜け出す画期的な方法は、まだどの自治体も見出せていない。


◎やはり良いことでは?

全国の自治体のなかで、東京圏だけが若者の人口流入を達成しており、次点で近畿圏がギリギリのところで踏みとどまっている。他の地域は軒並みこの二大都市圏に若者を吸い取られ、若年人口減少に歯止めがかからない」らしい。これは好ましい。

既に述べたように、関東と関西に人口が集中して、他はほとんど人が住んでいない日本の未来を望ましいと考えている。国民の自由な選択に任せている状況下で、それに似た傾向が強まっているのならば歓迎したい。

生産人口の減少にともない地域経済がシュリンクし、さらに若者が生活のために都会に出ていくことを余儀なくされる」ことを「悪循環」と御田寺氏は言うが、自分に言わせれば「好循環」だ。「今の日本の人口は多すぎる」との立場からは、好ましい変化が起きていることになる。

さらに続きを見ていこう。


【現代ビジネスの記事】

昨今「経済成長よりも持続可能性を優先すべきだ」「これ以上の豊かさはいらない」といった論調を盛んに見聞きするが、夕張の《いま》こそが、こうした「脱成長論」的な思想が本当に達成されたときに、全国各地で見ることになる町々の光景である

私個人はもともと都会の生まれなので、YouTubeで自分の故郷の街歩き動画を見ても、(たしかに昔より商店街にシャッターは増えたように見えるが)明白には衰退の色はまだ見えてこない。その点においてはやはり恵まれているといえよう。自分の故郷が夕張ほどではないにしても、しかし夕張と同じ未来に向かって着実に突き進んでいるという人は、いま全国には大勢いるはずだ


◎悪い未来ではないような…

脱成長論」者であっても「自分の故郷」が「夕張と同じ未来に向かって着実に突き進んで」は困ると思うはずだとの思い込みが御田寺氏にはあるのだろう。1人の「脱成長論」者として言わせてもらえば「自分の故郷」が「夕張と同じ未来に向かって」いても何の問題もない。人口がドンドン増えていく「未来」よりはるかに好ましい。

日本は人口が2億人になっても3億人になっても余裕でやっていける国なのか。地球は200億人でも300億人でも人類を養っていける惑星なのか。そうではないとしたら適正人口はどの辺りなのか。

まずは、そこを考えるべきだ。「経済成長」が必要かどうかは、適正人口をどう見るかで違ってくる。御田寺氏には、その視点が欠けているのではないか。


※今回取り上げた記事「夕張の苦境に想う…都会人が言う『もう経済成長はいらない』は正しいか~無自覚に行われる『地方搾取』について」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90908?imp=0


※記事の評価はD(問題あり)

2021年12月30日木曜日

数字の見せ方が下手な日経 新田裕一記者「ミャンマー、続く衝突」

30日の日本経済新聞 朝刊国際面に新田裕一記者が書いた「ミャンマー、続く衝突~犠牲者1300人超、縮む経済」という記事は数字の見せ方が下手だ。記事の終盤を見ながら具体的に指摘したい。

大バエ灯台

【日経の記事】

国連開発計画(UNDP)の推計によると、自営業者の収入が50%、給与所得者や農家の収入は25%落ち込んでいる。貧困率が約15年前と同水準の46%に高まると予測する。


◎いつとの比較?

自営業者の収入が50%、給与所得者や農家の収入は25%落ち込んでいる」という説明は、どの期間で比較しているのか不明。これは困る。

貧困率が約15年前と同水準の46%に高まる」との「予測」に関しても、いつ「高まる」のかは必ず入れるべきだ。どの程度「高まる」のかも欲しい。さらに言えば、どういう基準で「貧困率」を算出しているのかも入れたい。

続きも見ておこう。


【日経の記事】

国際通貨基金(IMF)の推計によると、ミャンマーの21年の国内総生産(GDP)は前年比で18%減少する。

16~19年の成長率は平均で6.3%あったが、今後は2.5%前後にとどまると予測する。民政移管後の発展の成果が失われ、好転の兆しはみえない。


◎「好転の兆しはみえない」?

21年の国内総生産(GDP)は前年比で18%減少」で「今後は2.5%前後」の成長率になるとしよう。この前提で言えば、来年はプラス成長に転換する。「好転の兆しはみえない」と言うが、見えているのではないか。


※今回取り上げた記事「ミャンマー、続く衝突~犠牲者1300人超、縮む経済」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211230&ng=DGKKZO78874970Z21C21A2FF8000


※記事の評価はD(問題あり)。新田裕一記者への評価も暫定でDとする。

2021年12月29日水曜日

人々は「物価の上昇を予想」してない? 日経コラム「大機小機」に見える誤解

物価に関する記事で「日本ではデフレ期待が強い」といった解説をよく目にする。誤解だと思えるが、なぜか多くの書き手がそう信じているようだ。

田主丸駅

29日の日本経済新聞朝刊マーケット総合面に載った「大機小機~物価上昇の足音が聞こえる」という記事で筆者の隅田川氏は以下のように記している。

【日経の記事】

物価上昇要因は目白押しだが、その実現を阻んでいる唯一の要因が、物価上昇期待が弱いということである。人々が物価の上昇を予想するようになると、この唯一の物価抑制要因は消える。筆者の耳には物価上昇の足音が聞こえ始めている。

◎「物価の上昇を予想」済みでは?

人々が物価の上昇を予想するようになると、この唯一の物価抑制要因は消える」と書いているので、まだ「人々」は「物価の上昇を予想」していないと隅田川氏は見ているのだろう。しかし、何を根拠にそう判断したのかには触れていない。

この問題を考える上で個人的には日銀の「生活意識に関するアンケート調査」を参考にしている。2021年9月調査で「1年後の物価は現在と比べ何%程度変化すると思うか」との問いに対して平均値は4.3%、中央値は3.0%で、いずれも「消費者物価上昇率2%というデフレ脱却の目標」数値を上回っている。

3月と6月の調査では中央値が2.0%だったので、9月の段階で「人々」はさらに強く「物価の上昇を予想」してきたと判断すべきだ。なのに「物価上昇期待が弱い」のか。隅田氏がそう思い込んでいるだけではないか。先入観を排してよく考えてほしい。


※今回取り上げた記事「大機小機~物価上昇の足音が聞こえる」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211229&ng=DGKKZO78866310Y1A221C2EN8000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年12月28日火曜日

東洋経済オンライン「『追加接種』ファイザーとモデルナどちらが正解?」に感じた問題点

ナビタスクリニック内科医師の久住英二氏が28日付で東洋経済オンラインに書いた「『追加接種』ファイザーとモデルナどちらが正解?~各社が開発急ぐ『オミクロンワクチン』の是非」という記事には色々と疑問を感じた。「ファイザーとモデルナどちらが正解」か考える前に3つの問題を考える必要がある。

雪の日の河童像

(1)そもそも2回接種は感染抑制に効果があったのか?

(2)リスクを勘案しても「追加接種」すべきなのか?

(3)「追加接種」は4回目、5回目と続いていくのか?

久住氏はこの3点に言及していない。なのに「追加接種」する前提で話を進めているのが引っかかる。記事の一部を見ていこう。


【東洋経済オンラインの記事】

南アフリカ共和国から広がった「オミクロン株」が、新型コロナウイルス変異株の勢力地図を塗り替えようとしている。日本国内でも市中感染が報告され始めた。

一番の気がかりは、ワクチンの効果の低下や、接種を完了していても防ぎきれない「ブレイクスルー感染」だ。

現時点での最善策は「追加接種」――というのが世界の共通認識だ。イスラエルは世界に先駆け、4カ月間隔で4回目接種の実施を発表した(12月22日AFP通信)。

「同じようなワクチンを繰り返し打つだけで意味があるの?」と思う人もいるかもしれない。しかし最新研究を見る限り、ファイザー製もモデルナ製も、3回接種を受ければオミクロン株にもギリギリ対抗できそうだ

ファイザーについては12月14日、イスラエルの共同研究の成果が示された(査読前論文「medRxiv」)。ファイザー2回目接種から5~6カ月経った人の血液では、オミクロン株に対する十分な「中和抗体価」(無力化し予防する能力)は確認できなかった。

それが3回目接種で100倍に回復。デルタ株への効果に比べれば4分の1にとどまるが、それでも十分との見方だ

モデルナ製についても12月15日、研究結果が公表された(査読前論文「medRxiv」)。やはり2回接種者の血液では、オミクロン株の中和能力は従来株と比べて1/84~1/49と、大幅に減少した。

3回目接種後はワクチン半量だったが、従来株比1/6.5~1/4.2で踏ん張り、減少スピードも緩やかで、十分と判断された

つまりモデルナの3回目接種では、ワクチンの量が半分で済む。同社ワクチンは「モデルナアーム」(2週間後に接種部位に現れる局所的な炎症。T細胞の反応とされる)が起きやすいことも指摘されてきた。半量だとこうした副反応もマイルドになると期待できる。


◎「3回接種を受ければオミクロン株にもギリギリ対抗」?

ファイザー製もモデルナ製も、3回接種を受ければオミクロン株にもギリギリ対抗できそうだ」と久住氏は言う。裏返せば「3回接種」なしでは「オミクロン株」に「対抗」できないということか。「オミクロン株」は「従来株と比べて」重症化リスクが低いと言われている。新型コロナウイルスは以前から無症状者や軽症者が多いとされてきた。その傾向がさらに強まっているのだから、ほとんどの人は「3回接種」なしで「オミクロン株」に「対抗」できると見るのが自然ではないか。

しかも「3回接種」でも「ギリギリ対抗できそう」という頼りないレベルだ。「副反応」の問題を考慮して「3回接種」の利益がリスクを上回ると判断できる根拠があるのか。それを示さずに「追加接種」へ誘導する書き方は問題ありだ。

この記事では以下の説明も引っかかった。


【東洋経済オンラインの記事】

そもそも新型コロナワクチン2回接種を完了すれば、私たちは晴れて“自由の身”になれるはずだった。

日本国内ではファイザーもしくはモデルナのワクチン接種を2回完了した人が、約8割に到達しようとしている(12月22日時点)。スマホでのワクチンパスポート「新型コロナワクチン接種証明アプリ」の運用も開始された。

そこへオミクロン株の登場である。番狂わせもいいところだが、仕方ない。従来ワクチンの効果を揺るがす変異株の出現は、科学者たちが当初から予想していたことだ


◎オミクロンがなければ2回接種で“自由の身”?

新型コロナワクチン2回接種を完了すれば、私たちは晴れて“自由の身”になれるはずだった」「そこへオミクロン株の登場である。番狂わせもいいところだが、仕方ない」と書くと、ワクチンの効果は十分で「2回接種」によって「“自由の身”になれるはず」が「オミクロン株の登場」で計画が狂ったと取れる。しかし明らかに違う。

海外では「オミクロン株の登場」前から「3回接種」が進んでいたし、日本でも「オミクロン株の登場」によって「3回接種」へと動いた訳ではない。そこは久住氏も分かっているはずだ。なのに、なぜこんな書き方をしたのか。医師としてのモラルが問われる。

しかも「番狂わせもいいところ」と言いながら「従来ワクチンの効果を揺るがす変異株の出現は、科学者たちが当初から予想していたこと」と矛盾する説明をしてしまう。「出現」が当然視されていたのならば「番狂わせ」ではない。

そもそも「変異株の出現」が続くのならば、「“自由の身”」になる日は訪れない。「ワクチン2回接種で得た新型コロナへの抗体の効力は、オミクロン株でなくても半年で大幅に減ることが世界中から報告されている」のだから、今後は「半年」に1回以上のペースで「接種」を続けるのだろう。それは本当に必要なことなのか。健康な人にとってもリスクより利益が上回る選択なのか。

そこを久住氏には考えてほしい。


※今回取り上げた記事「『追加接種』ファイザーとモデルナどちらが正解?~各社が開発急ぐ『オミクロンワクチン』の是非

https://toyokeizai.net/articles/-/479780


※記事の評価はD(問題あり)

2021年12月27日月曜日

女性社外取締役の「お飾り」度の高さを裏付け? 日経 砂山絵理子記者の記事

27日の日本経済新聞朝刊女性面に載った「社外取締役、お飾りじゃない~女性目線や多様な経験生かす」という記事を読むと、筆者の砂山絵理子記者の狙いとは逆に「女性の社外取締役はやはりお飾りでは」と思えてくる。

雪の田主丸駅

お飾りじゃない」と訴えるために、砂山記者は3人の女性社外取締役を取り上げている。「お飾りじゃない」ことを体現している人物をわざわざ選んでいるはずだが、そう感じられる話は出てこない。まずは「パーソルホールディングスとイオンモールの社外取締役を務める榎本知佐さん」に関する記述から見ていこう。

【日経の記事】

現在務める2社の取締役会はそれぞれ年間13回と16回だが、議題などを個別にレクチャーされる事前説明会が取締役会前に1~3時間ある。また指名・報酬委員会、監査等委員会などにも委員として年10回以上参加。経営会議への参加を求められるケースもある。

会議資料に目を通したり、質問ができるように不明点を詰めたりする時間も必要だ。企業から送付される日報メールや株価週報、メディア掲載記事などに目を通すことも日課としており、毎日両社の仕事に何かしら関わっている。

それでも榎本さんは「経験や知見を生かして企業にアドバイスできることに喜びを感じる」と社外取締役の魅力を語る。企業統治やSDGs(持続可能な開発目標)など様々な企業の事例を読み解くことで、自らの成長も感じるという。

女性ならではの視点も生きる。役員を担うイオンモールの顧客は女性が多いが、管理職は男性中心。店舗に視察に赴き、店舗作りやサービス開発に女性目線が必要であることや、女性が議論に加わることの必要性を訴えている。「社外役員の意見だから、と真剣に耳を傾けてくれる雰囲気もある」。あえて社外取締役という立場で参加するメリットを感じている。


◎いかにも「お飾り」的な臭いが…

日報メールや株価週報、メディア掲載記事などに目を通すことも日課としており、毎日両社の仕事に何かしら関わっている」と熱心な仕事ぶりをアピールしているが、これは「お飾り」を否定する材料にはならない。

例えば「買収案件で資産査定の不備を指摘して交渉を振り出しに戻させた」などと書いてあれば「お飾りではないかも」と感じられる。しかし、そういった話は出てこない。

榎本知佐さん」は「経験や知見を生かして企業にアドバイスできることに喜びを感じる」らしいが、取締役会で具体的にどんな「アドバイス」をしているかは不明。

店舗に視察」に行った時には「店舗作りやサービス開発に女性目線が必要であることや、女性が議論に加わることの必要性を訴えている」ようだが、レベルが低すぎる。

店舗作りやサービス開発に女性目線が必要であること」は「イオンモール」の男性管理職も当たり前に理解しているだろう。小売業に関わった経験のない自分でも分かる。それをわざわざ従業員に説くのか。

社外役員の意見だから、と真剣に耳を傾けてくれる雰囲気もある」と感じて気分良く店舗視察を終えているとすれば、まさに役立たずの「お飾り」だ。

2人目に移ろう。


【日経の記事】

医療コンサルティング企業メディヴァの創業者、大石佳能子さんも「上場企業のガバナンスやコンプライアンスに触れられることは、企業経営者として非常に勉強になる」と、社外取締役のやりがいを語る

これまでアステラス製薬や江崎グリコ、スルガ銀行、アスクル、資生堂など複数社の社外取締役を務めてきた。他業界の企業も少なくないが「例えば化粧品業界なら、健康意識の高まりやドクターズコスメの流行など、自分が関わる医療業界と重なる部分があり、知見が役に立つ」と話す。


◎これだけ?

大石佳能子さん」に関する記述はこれだけだ。「やりがい」はあるようだが「お飾りじゃない」と見なすべき材料は見当たらない。

3人目も見ておこう。


【日経の記事】

需要の高まりを受け、自ら社外取締役に手を挙げる女性も出てきている。昨年12月、社外役員の候補者を企業に紹介するサービスを始めたビザスクには、役員経験者、定年退職したキャリア女性のほか、30~40代の起業経験者などが役員候補として登録してくる。

その1人、斉木愛子さんは大学卒業後、大和証券SMBC(当時)やUBS銀行などでキャリアを積んだ。19年に独立し、ベンチャー企業の取締役を務める傍ら、この秋にベンチャーのSDGs/ESG(環境・社会・企業統治)経営を支援する会社を起業した。

「取締役や起業、海外での勤務経験、育児と仕事の両立などの経験を生かせたら」と斉木さん。金融、テクノロジーなどの分野に強みがあることを示す「スキルマップ」などを作成し、社外取締役を探す企業に積極的にアピールする。


◎結局「お飾り」しかいない?

斉木愛子さん」に関しては「社外取締役」としての何をしてきたのか説明がない。さらに苦しくなっている。

女性の「社外取締役」は「お飾りじゃない」と訴えようとした砂山記者が探し出した人物の中で、最も「お飾り」度が低いと見えたのが、最初に出てきた「榎本知佐さん」なのだろう。しかし既に述べたように、それでも「お飾り」に見える。残りの2人は論外だ。

実際は3人とも「お飾りじゃない」のかもしれないが、少なくとも記事からはそう感じられない。

お飾りじゃない」ことを一生懸命に訴えようと記者が頑張っても「お飾りじゃない」という明確な根拠は示せない。その事実が女性社外取締役の全体としての「お飾り」度の高さを裏付けているのではないか。


※今回取り上げた記事「社外取締役、お飾りじゃない~女性目線や多様な経験生かす」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211227&ng=DGKKZO78757040U1A221C2TY5000


※記事の評価はD(問題あり)。砂山絵理子記者への評価も暫定でDとする。

2021年12月24日金曜日

「日米同盟」に関する思考停止が透けて見える日経の社説

日本経済新聞は安全保障問題で一貫して「日米同盟の強化」を訴えてきた。しかし台湾有事が現実となれば、日本が攻撃を受けていないのに日米同盟の存在ゆえに中国との戦争に巻き込まれる恐れが強い。そこで「中国との戦争をためらうな」とも「米国との協力には一線を引くべき」とも言えず思考停止に陥っているのが、今の日経だと思える。24日の朝刊総合1面に載った「駐留費負担増は国民の理解を」という社説にも、その傾向が見える。

有明海

社説を見ながら気になった点を指摘したい。

【日経の社説】

日米両政府が2022年度から5年間の在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)を、総額1兆551億円とする措置で合意した。年度平均は現行水準より100億円近く増え、約2110億円にのぼる。これを日米同盟の深化に生かしてほしい。

駐留経費は日本に支払う義務がないが、1978年度から一部を肩代わりしている。米国の政権交代を受け、今後5年間の水準を決める交渉を持ち越していた。

新合意は、負担への批判が強い基地の光熱水費を最終的に4割強減らす。代わりに、日本は新たに米軍と自衛隊の訓練で共同使用できる仮想戦闘の最新システムなどの「訓練資機材調達費」を負担し、5年間の総額で最大200億円を計上する。

政府は中国の台頭を前に在日米軍の即応性を高め、同盟の抑止力や対処力を強化する「同盟強靱(きょうじん)化予算」と銘打つ。日本の防衛に役立つ分野を手厚くした試みは妥当といえる

米政権は世界の駐留米軍の戦力配置で対中シフトを鮮明にしており、日本の役割が増えるのはやむを得ない部分がある


◎「在日米軍駐留」は誰のため

日経に考えてほしいのは「在日米軍駐留」を望んでいるのは日米どちらなのかという問題だ。両方だとすれば、より強く望んでいるのはどちらなのか。

米政権は世界の駐留米軍の戦力配置で対中シフトを鮮明にして」いると日経自身が書いている。つまり米国は戦略上「在日米軍」を手放せない。ならば日本が「駐留経費」を負担する必要はない。基地を置かせてあげているのだから賃料を取ってもいいぐらいだ。

なのに、なぜ「駐留経費」を負担するのか。日本側が「駐留」を望んでいるとしても「経費を負担しないなら日本から出ていくぞ」と米国が言い出すとは考えにくい。しかし日経は「日本の役割が増えるのはやむを得ない部分がある」などと負担増加に理解を示している。ここが解せない。

そもそも米国が「戦力配置で対中シフトを鮮明にして」いるのならば「日本の役割」は減るのが自然だ。「対中シフトを鮮明」にするのだから米国の軍事費も「対中」分野に手厚くなるのだろう。だったら「駐留経費」はそこで何とかしてもらえばいい。

米国がアジア軽視になり日本から出ていきたがっている状況で引き留めを狙うならば「日本の役割が増えるのはやむを得ない部分がある」。しかし状況は逆だ。

米国は「在日米軍」を必要としているし、日本は日米同盟の存在ゆえに対中戦争のリスクが増す状況にある。なのに「駐留経費」の負担を増やす意味が分からない。日経には分かると言うのなら、そこを説明してほしい。

しかし、日経の姿勢はかなり漠然としている。社説の後半も見ていこう。


【日経の社説】

一方、防衛省の試算によると、日本側の負担割合は2015年度に86%に達し、韓国やドイツなど他の駐留国に比べて突出している。この点は折に触れて米国に理解を求め、思いやり予算が一方的に膨らまぬようにすべきだ

日本では安全保障関連法を通じて米艦防護など自衛隊の任務や活動が広がり、防衛装備品の購入も積み増している。米軍にとっても前方展開の重要な拠点である日本の適正な負担水準は同盟の全体像の中で議論する必要がある

米軍三沢基地所属のF16戦闘機が飛行中に燃料タンク2個を投棄し、住宅地の近くなどに落ちたのは記憶に新しい。沖縄では米軍基地内からの新型コロナウイルス感染拡大への懸念も深まっている。

同盟の重要性が高まっているだけに、政府は米軍にきちんと主張し国民の支持を得てもらいたい


◎結局は政府任せ?

負担割合」が「他の駐留国に比べて突出している」のならば、少なくとも「他の駐留国」並みには引き下げていい。しかし日経はそこさえも主張せず「米国に理解を求め、思いやり予算が一方的に膨らまぬようにすべきだ」と書くにとどめている。なぜそんなに遠慮するのか。何か弱みでも握られているのか。

そして「日本の適正な負担水準は同盟の全体像の中で議論する必要がある」と自らが考える「適正な負担水準」を示すことから逃げてしまう。日経が社説で多用する「しっかり議論を」型の展開だ。

そして「同盟の重要性が高まっているだけに、政府は米軍にきちんと主張し国民の支持を得てもらいたい」と最後は「政府がしっかりやってね」とお願いする形で締めている。

同盟の重要性が高まっている」と考えるのならば、自らがベストだと考える案を示して政府に採用を迫るべきだ。あるべき安全保障政策の実現を目指して自らの考えを示す場を有している新聞社が、なぜそこを有効活用せず「しっかり議論を」型の社説で逃げるのか。

その思考停止的な姿勢が残念だ。


※今回取り上げた社説「駐留費負担増は国民の理解を」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211224&ng=DGKKZO78726000T21C21A2EA1000


※社説の評価はD(問題あり)

2021年12月23日木曜日

「パッシブ型ファンドは個別株投資より手数料が低い」と日経は言うが…

23日の日本経済新聞朝刊グローバル市場面に載った「Review2021(1)投資信託 『指数連動』けん引 流入最高~4.8倍160兆円、緩和マネー追い風 株価形成ゆがめる懸念」という記事に首を傾げたくなる記述があった。そこを見ていこう。

有明海のカモメ

【日経の記事】

パッシブはアクティブや個別株投資に比べ手数料が低く、管理の手間もかからないため、パッシブ株式ファンドを初めて購入した個人も多かったとみられる。


◎個別株より手数料が低い?

パッシブ」型ファンドは「個別株投資に比べ手数料が低く」なると書いているが、そうだろうか。売買手数料は微妙だが「個別株」は信託報酬などが不要なので「手数料」の面では「パッシブ」より有利ではないのか。

パッシブ」は「アクティブや個別株投資に比べ」て「管理の手間もかからない」とも思えない。買ってそのまま保有し続ける前提で言えば「パッシブ」でも「アクティブ」でも「個別株」でも「手間」はほとんど変わらないはずだ。

日経は「パッシブ」運用に言及する場合「個別企業の分析を通じた適正な株価が形成されにくくなる懸念がある」と解説する傾向がある。今回もそうだ。この件についても少し考えてみたい。


【日経の記事】

ただ、年々パッシブ株式ファンドへ投資が偏る中、個別企業の分析を通じて適正な株価をつける市場機能がゆがむ懸念が強まっている。通常、経営が優れた企業の株価は高く、不振であれば安く評価されるが、パッシブ株式ファンドを買えば、指数対象の銘柄すべてを買うことになる。株価下落を見込んで不振企業の株を空売りしてもパッシブ買いで株価が下がりにくくなるなど、市場での収益機会が減る恐れもある


◎「収益機会」はむしろ増えるのでは?

パッシブ株式ファンドへ投資が偏る」と「適正な株価をつける市場機能がゆがむ」としよう。それは「アクティブ」投資家にとってチャンスだ。「パッシブ株式ファンド」による機械的な売買によって株価は適正水準から上にも下にも動きやすくなる。下に行ったら買いを入れればいいし、上に行ったら「空売り」する手もある。

記事で言うように、業績悪化局面なのに「パッシブ買いで株価が下がりにくくなる」こともあるだろう。だが逆も期待できる。「空売り」対象企業の業績が予想したほど悪化しなかったのに「パッシブ」の売りが出て株価が意味もなく下がるかもしれない。

あまり材料がないのに株価が上下するのならば裁定機会は増えると見るべきだ。自分が「アクティブ」運用の投資家ならば「市場での収益機会が減る恐れ」は抱かないが…。


※今回取り上げた記事「Review2021(1)投資信託 『指数連動』けん引 流入最高~4.8倍160兆円、緩和マネー追い風 株価形成ゆがめる懸念」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211223&ng=DGKKZO78678590S1A221C2ENG000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年12月22日水曜日

大西康之氏に東芝を語る資格ある? FACTA「死ねずに彷徨う『東芝の悲劇』」

ジャーナリストの大西康之氏に東芝を語る資格はないと見ている。FACTA2022年1月号に載った「死ねずに彷徨う『東芝の悲劇』」という記事にも、かなり無理がある。中身を見ながら問題点を指摘したい。最初の段落から始めよう。

船小屋温泉大橋

【FACTAの記事】

東芝の大株主でシンガポール拠点の資産運用会社、3Dインベストメント・パートナーズは11月24日、東芝が11月12日に発表した「3分割案」を「支持しない」とする書簡を東芝の取締役会宛に送った。3Dを筆頭に東芝の発行済み株式の過半を握ると見られる「物言う株主」が不支持で足並みを揃えれば、分割案は臨時株主総会で否決され、東芝再建は振り出しに戻る。死ぬに死ねない東芝は冥界を彷徨い続けることになる。


◎死ねないのに「冥界」へ?

冥界」とは「死後の世界。あの世」(デジタル大辞泉)だ。「死ぬに死ねない東芝」が「冥界を彷徨い続けることになる」のは辻褄が合わない。

続きを見ていこう。


【FACTAの記事】

「あそこで一度死んでおけば、楽になったはずなんだよ」

東芝における会社と株主の泥試合が続く中、大型の再生案件をいくつも手がけてきた大物弁護士はこう呟いた。「死んでおけば」とは「法的整理」、すなわち会社更生法か民事再生法の適用を申請しておけば、という意味である。

そして「あそこ」とは2017年12月。東芝が約6千億円の第三者割当増資を実施したタイミングだ。新株の発行数は発行済み株数の53.8%を占め、腰が引けた国内投資家の代わりに海外アクティビストが大量に雪崩れ込んだ。東芝が自らの運命を自らで決める「自己決定権」を放棄した瞬間と言える。

このとき東芝は米国の原発子会社ウエスチングハウス(WH)の再生手続きなどで1兆2428億円の損失を計上し、17年3月期に5529億円の債務超過が確定、18年3月も7500億円の債務超過が見込まれていた。18年3月期末までに債務超過を解消しなければ上場廃止になる、というギリギリのタイミングで最後の切り札だった半導体子会社、東芝メモリ(現キオクシア)の売却交渉がうまく進まず、最終的に増資を決断した。

しかし前出の弁護士によると、このときの東芝には「第三の道」が存在した。会社更生法、または民事再生法の適用申請、いわゆる「倒産」である。東芝を倒産させたらどうなっていたか。かつて会社更生法の適用を申請した日本航空(JAL)を例に考えてみよう。


◎自らの不明を総括しないと…

前出の弁護士によると、このときの東芝には『第三の道』が存在した。会社更生法、または民事再生法の適用申請、いわゆる『倒産』である」と、最近になって東芝に「会社更生法、または民事再生法の適用申請」という選択があったことを知ったような書き方をしている。これは解せない。

FACTA2017年7月号の「時間切れ『東芝倒産』」という記事で「もはや行き着く先は決まっている。東芝の経営破綻だ」と言い切ったのは大西氏自身だ。そして予想は外れた。なぜ「倒産」不可避と言い切ったのに、そうならなかったのか。そこを総括してほしいと当時FACTAにも要望を送ったが、現在に至るまで実現していない。

なのに「東芝を倒産させたらどうなっていたか」などと論じる気が知れない。「もはや行き着く先は決まっている。東芝の経営破綻だ」と断言したのに、なぜ「倒産」に至らなかったのか。その説明から大西氏が逃げ続けたいのならば、東芝を論じるのは諦めるべきだ。

こうした経緯を抜きにすれば記事に説得力があるかと言うとそうでもない。最後の段落を見ていこう。


【FACTAの記事】

「妥協の産物」として生まれたのが「分割案」だが、それでお茶を濁せるほど海外アクティビストは甘くない。今のところ「反対」を表明しているのは3Dだけだが、筆頭株主のエフィッシモ・キャピタル・マネージメントも「真摯に検討を進め、臨時総会までに賛否を判断する」としており、東芝が「22年の3月までに開く」としている臨時株主総会が大荒れになるのは想像に難くない。こうして東芝はゾンビになる。かつて経団連会長の椅子を分け合った東京電力も今やゾンビ。死ぬに死ねない巨大企業が彷徨い歩く日本は、まるでお化け屋敷のようだ


◎そもそも東芝はそんなに苦しい?

そもそも東芝は「死ぬに死ねない」企業なのか。赤字を垂れ流しているのならば「こうして東芝はゾンビになる」「死ぬに死ねない巨大企業」などと言われるのも、まだ分かる。しかし11月12日に東芝が発表した2022年3月期の業績見通しでは1700億円の営業利益を見込んでいる。半期ベースで見ても約450億円の営業利益を確保している。

分割案」が実現しなかったとしても普通に生きていける収益力を現時点で有していると見るのが自然だろう。

臨時株主総会が大荒れになるのは想像に難くない。こうして東芝はゾンビになる」との説明も謎だ。総会が「大荒れになる」と「ゾンビになる」のか。「分割案」が承認されるかどうかの問題ではなく「大荒れになる」かどうかが大事なのか。

分割案」が「ゾンビ」化を防ぐ切り札ならば(そうは思えないが…)、問題は「分割案」が承認されるかどうかだろう。大西氏の分析はやはり説得力がない。


※今回取り上げた記事「死ねずに彷徨う『東芝の悲劇』」https://facta.co.jp/article/202201008.html


※記事の評価はE(大いに問題あり)。大西康之氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経ビジネス 大西康之編集委員 F評価の理由
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_49.html

大西康之編集委員が誤解する「ホンダの英語公用化」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_71.html

東芝批判の資格ある? 日経ビジネス 大西康之編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_74.html

日経ビジネス大西康之編集委員「ニュースを突く」に見える矛盾
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/01/blog-post_31.html

 FACTAに問う「ミス放置」元日経編集委員 大西康之氏起用
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/facta_28.html

文藝春秋「東芝前会長のイメルダ夫人」が空疎すぎる大西康之氏
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/05/blog-post_10.html

文藝春秋「東芝前会長のイメルダ夫人」 大西康之氏の誤解
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/05/blog-post_12.html

文藝春秋「東芝 倒産までのシナリオ」に見える大西康之氏の誤解
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/06/blog-post_74.html

大西康之氏の分析力に難あり FACTA「時間切れ 東芝倒産」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/06/facta.html

文藝春秋「深層レポート」に見える大西康之氏の理解不足
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/09/blog-post_8.html

文藝春秋「産業革新機構がJDIを壊滅させた」 大西康之氏への疑問
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/09/blog-post_10.html

「東芝に庇護なし」はどうなった? 大西康之氏 FACTA記事に矛盾
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/09/facta.html

「最後の砦はパナとソニー」の説明が苦しい大西康之氏
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/12/blog-post_11.html

経団連会長は時価総額で決めるべき? 大西康之氏の奇妙な主張
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/01/blog-post_22.html

大西康之氏 FACTAのソフトバンク関連記事にも問題山積
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/05/facta.html

「経団連」への誤解を基にFACTAで記事を書く大西康之氏
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/facta.html

「東芝問題」で自らの不明を総括しない大西康之氏
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/blog-post_24.html

大西康之氏の問題目立つFACTA「盗人に追い銭 産業革新機構」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/09/facta.html

FACTA「デサント牛耳る番頭4人組」でも問題目立つ大西康之氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/12/facta4.html

大西康之氏に「JIC騒動の真相」を書かせるFACTAの無謀
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/jicfacta.html

FACTAと大西康之氏に問う「 JIC問題、過去の記事と辻褄合う?」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/02/facta-jic.html

「JDIに注がれた血税が消える」?FACTAで大西康之氏が奇妙な解説
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/jdifacta.html

FACTA「アップルがJDIにお香典」で大西康之氏の説明に矛盾
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/07/factajdi.html

FACTA「中国に買われたパソコン3社の幸せ」に見える大西康之氏の問題
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/10/facta3.html

FACTA「孫正義『1兆円追貸し』視界ゼロ」大西康之氏の理解力に疑問
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/11/facta1.html

文藝春秋「LINEはソフトバンクを救えるか」でも間違えた大西康之氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/12/line.html

大西康之氏が書いたFACTA「コロナ禍より怖い『食べログ』の減点」の問題点https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/05/facta.html

FACTA「『防衛と原発』東芝は国有化される」の手抜きが過ぎる大西康之氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/07/facta.html

FACTA「『三無』創業にかけるカッコいい若者たち」に見える大西康之氏の誤解https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/11/facta_25.html

2021年12月21日火曜日

iPhone「高いと感じるのは日本人だけ」に無理がある日経ビジネス特集「貧しいニッポン」

「安い日本ではダメだ」的な記事を最近よく目にするが、なるほどとは感じない。日経ビジネス12月20日号の特集「貧しいニッポン~安売り経済から脱却せよ」も説得力に欠ける。「 Part2 iPhoneが高根の花に~物価の上がらない国 モノもヒトも『買い負け』」という記事を材料に問題点を見ていこう。「『高い』と感じるのは日本人だけ」との小見出しを付けた上で「iPhone」について以下のように説明している。

有明海

【日経ビジネスの記事】

日本人が最新iPhoneを購入する時に感じる「高い」という気持ち。海外の消費者たちも同様の感覚なのだろうか。上の図はiPhoneを手に入れるために何日働けばいいのかを示した「iPhone指数」と呼ばれるものだ。iPhone端末の現地価格をその国の平均月収などからはじいた1日当たりの賃金で割って算出される。

これを主要国と比較すると、驚くべき傾向が浮かび上がる。海外では機種が新しくなるごとに指数の値が低くなる一方、日本の値は上向いている。18年のiPhone XSでは8.8日だった労働日数は、最新モデルの一つ、iPhone 13 Proで10日を超えるまでになった。

なぜか。世界の他の先進国ではこの間にも、経済成長やインフレで物価や賃金が上昇した。だが、日本の物価や賃金はほとんど変わっていない。そのため、インフレを前提にグローバル基準で価格が決まる商品の場合、物価も賃金も上がっていない国・地域ではその価格を高く感じてしまう現象が起こる。iPhoneはその典型といえよう。


◎「海外の消費者たちも同様の感覚なのだろうか」の答えは?

日本人が最新iPhoneを購入する時に感じる『高い』という気持ち。海外の消費者たちも同様の感覚なのだろうか」と問題提起してみたものの、記事中に答えは見当たらない。なのに「『高い』と感じるのは日本人だけ」という断定的な小見出しを入れていいのか。

答えを出さない代わりに「iPhoneを手に入れるために何日働けばいいのかを示した『iPhone指数』」を持ち出してくる。「これを主要国と比較すると、驚くべき傾向が浮かび上がる」と大きく出たものの大した「傾向」ではない。「海外では機種が新しくなるごとに指数の値が低くなる一方、日本の値は上向いている」というだけだ。

グラフを見ると米国は2019年と2020年の比較で「指数の値」が「上向いている」。なので説明は正確さに欠けるが、とりあえず良しとしよう。では「指数の値」から「『高い』と感じるのは日本人だけ」との推測が成り立つだろうか。

グラフでは英国、フランス、日本、ドイツ、シンガポール、豪州、米国、スイスの8カ国を比較している。そして日本(10.2日)は英国(10.8日)、フランス(10.3日)に次ぐ3位。「iPhone指数」からは「英仏の消費者も『高い』と感じているのでは」との推測が成り立つ。なのに「『高い』と感じるのは日本人だけ」なのか。

グラフには「主要国のiPhone指数」との表記もあるが「主要国」がなぜこの8カ国なのかもよく分からない。シンガポールやスイスが「主要国」で、イタリアや中国は非「主要国」と見るのか。

ついでに言うと「インフレを前提にグローバル基準で価格が決まる商品の場合、物価も賃金も上がっていない国・地域ではその価格を高く感じてしまう現象が起こる」との説明には同意できない。基本的には為替で相殺される問題だ。

例えば米国のA社が自社製品の価格を10ドルとし、海外の事情は考えずドル建て10ドルで売るとしよう。米国のインフレ率は10%で、翌年の価格は連動して11ドルになると仮定する。

1ドル=100円の場合、日本での価格は1000円だ。日本のインフレ率は0%。そこで「インフレ」に対応してA社が11ドルに値上げすると日本での価格は1100円になる。日本では「物価も賃金も上がっていない」ので、前年より100円高くなって手が届きにくくなるーー。筆者らはそう考えたのだろう。

しかしインフレ率の差は為替相場によって調整されると考えるべきだ。その前提で言えば「物価も賃金も上がっていない」日本がダメで「インフレ」が進む海外が好ましいとは言えない。米国の最近の動きを見ても分かるように「インフレ」は基本的には抑え込むべきものだ。

最近の為替市場では「物価上昇率の低い日本円が高くなる」という流れになっていない。なので記事のような説明になったのだろうが、あくまで例外的な動きと見るべきだ。そこを考慮しないで考えるから「インフレ=好ましいこと」的な発想に行き着くのではないか。


※今回取り上げた記事「 Part2 iPhoneが高根の花に~物価の上がらない国 モノもヒトも『買い負け』

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00974/


※記事の評価はD(問題あり)

2021年12月20日月曜日

日本の教員は「圧倒的に男性」? 児玉治美氏が日経女性面で展開した無理ある主張

アジア開発銀行駐日代表の児玉治美氏にとって、日本は「女性が見えない」社会らしい。その根拠として「先生」に関する女性比率の低さを挙げる。この主張には無理がある。20日の日本経済新聞朝刊女性面に載った「ダイバーシティ進化論~男性が『先生』占める日本 女性の姿が見える社会に」という記事の中身を見ながら、そう感じた理由を説明したい。

田主丸駅

【日経の記事】 

日本での2年8カ月の駐在を終え、12月末にマニラのアジア開発銀行(ADB)本部に帰任することになった。日本にいる間、一番強く感じたのは「女性が見えない」ことだった。

政治や経済に関するニュース番組で、意思決定の場面に映るのはテーブルを囲む男性の姿。アナウンサーや街角の女性を除くと、1時間のニュース枠で最後まで女性の姿がないこともある。この光景に胸が痛むのは私だけではないだろう。

◎そんな番組ある?

長年ニュース番組を見てきたが「アナウンサーや街角の女性を除くと、1時間のニュース枠で最後まで女性の姿がない」番組を見た記憶がない。児玉氏は番組を特定していないので検証のしようがないが本当にそんな番組があるのか。

意思決定の場面に映るのはテーブルを囲む男性の姿」と言うが「ニュース番組」で「意思決定の場面」が映像として流れるケースもあまり思い浮かばない。国会の採決ぐらいか。しかし、これは「テーブルを囲む」ものではないし、女性議員も参加している。

児玉氏は自分の主張に説得力を持たせようと強引に事例を作っているのではないか。違うと言うならば、いつ放映されたどの番組か特定できるようにすべきだ。

それに、なぜ「意思決定の場面」に女性がいないと全体として「女性が見えない」社会だと捉えてしまうのだろう。「アナウンサーや街角の女性」を「女性」として見ていないということか。

その辺りのヒントは記事の続きにある。


【日経の記事】

日本で「先生」と呼ばれる政治家や教員、医師、弁護士などの職種を占めるのは、どれも圧倒的に男性だ。大学進学率の男女差は徐々に縮まっても、女性教員の割合は小学校、中学校、高校と、教育段階が上がるにつれて低くなる。大学・大学院で教授等を務める女性の割合も2割以下だ。2018年末時点の全国の医師届け出数を見ると女性の割合はわずか22%、日本弁護士連合会所属の女性弁護士割合も2割を下回る。

女子が学校に行っても教わる相手は男性、病院でも診察してくれるのは男性、裁判で助けてくれるのも男性、という構図が当たり前になっている。ジェンダー平等の観点から見ると、このことが女性の心理に与える影響は計り知れない。


◎「先生」は「圧倒的に男性」?

日本で『先生』と呼ばれる政治家や教員、医師、弁護士などの職種を占めるのは、どれも圧倒的に男性だ」と児玉氏は言うが、これは違う。

教員」に関して言えば、幼稚園や幼保連携型認定こども園では9割超が女性だ。小学校でも6割、中学校でも4割を超える。なのに「女子が学校に行っても教わる相手は男性」という「構図が当たり前」とみるべきなのか。こうした数値は児玉氏にとって都合が悪いのだろう。なので「女性教員の割合は小学校、中学校、高校と、教育段階が上がるにつれて低くなる。大学・大学院で教授等を務める女性の割合も2割以下だ」と逃げている。都合の悪い情報をあえて無視して「男性が『先生』占める日本」と訴えるのは感心しない。

さらに言えば「医師、弁護士」で女性比率が2割程度あるのならば、それほど低くはない。「裁判で助けて」くれる女性弁護士を探すのは、それほど難しくないだろう。

続きを見ていく。


【日経の記事】

以前この欄で「日本の女性は他国と比べても自信がなく、責任ある地位につきたい人は少ない」との調査結果を紹介した。背景に責任ある地位にもともと女性が少ないことがある。優秀な女性が見えるところにいれば、他の女性も頑張ろうと思える。女性管理職の割合を引き上げるなどの対策以外にも、女性のプレゼンスを高める方法はある。


◎「見えるところ」とは?

日本の現状を「優秀な女性が見えるところ」にいないと児玉氏は捉えているようだ。「政治家」や「医師、弁護士」「(大学)教授」になるのが「優秀な女性」であり、幼稚園や小学校の教員、看護師などは入らないと言うことか。

これには同意できない。大学教授は「責任ある地位」だが、小学校の教員は「責任のない地位」なのか。「医師」は「責任ある地位」なのに、看護師は「責任のない地位」なのか。児玉氏も少し考えれば分かるはずだ。

もっと本音ベースで語った方がいい。「エリート的なイメージのある職業の女性比率をもっと増やしたい」と児玉氏は願っているのだろう。それをそのまま出すと主張として美しくはない。なので「女性の姿が見える社会に」などと無理のある表現にしたのではないか。

もっともっと女性の姿が見える社会になってほしいと願いつつ、しばし日本を離れることにする」と児玉氏は記事を締めているが、普通に日本で暮らしていれば当たり前に「女性の姿」は見える。児玉氏の場合、エリート的な職業に就いている女性以外は眼中にないから「女性が見えない」社会だと感じるだけだ。

それが正しい見方なのだろうか。「しばし日本を離れ」て、よく考えてほしい。


※今回取り上げた記事「ダイバーシティ進化論~男性が『先生』占める日本 女性の姿が見える社会に

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211220&ng=DGKKZO78521740X11C21A2TY5000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年12月18日土曜日

結局、日銀は国債を買い支えられる? 小林慶一郎 慶大教授が文藝春秋で見せた矛盾

文藝春秋2022年1月号の「激突!バラマキか否か『矢野論文』」という記事で慶応大学教授の小林慶一郎氏と評論家の中野剛志氏が対談している。議論は中野氏がやや優勢で小林氏の主張に無理が目立った。小林氏のおかしな主張を見ていこう。
夕暮れ時の筑後川


【小林氏の発言】

矢野さん(財務次官)がイメージする「財政破綻」とは、国の借金が膨らみ続けることで日本国債の格付けが下がり、金利が暴騰してハイパーインフレを招くシナリオだと思いますが、その懸念は私も共有するところではあります。


◎「国家財政破綻=ハイパーインフレ」?

まず「矢野さんがイメージする『財政破綻』」を「ハイパーインフレ」だと勝手に推測しているのが引っかかる。今回の記事には「矢野論文」のポイントが載っていて「このままバラマキを続けて、国の借金がさらに膨らみ続ければ、国家財政はいずれ破綻する」となっている。「国家財政」の「破綻」を「ハイパーインフレ」と読み取るのは、かなり強引だ。

百歩譲って小林氏の言う通りだとして、なぜ矢野氏は「国の借金がさらに膨らみ続ければ、いずれハイパーインフレが起きる」と訴えなかったのかとの疑問も残る。


次に移ろう。「中央銀行は通貨を創造できる存在なので、国債を買い支えられなくなるなんてことは起き得ません」と言う中野氏に対して小林氏は以下のように反論する。


【小林氏の発言】

いや、「今はない」だけです。将来にわたって「絶対に起きない」とは言い切れません。

私は矢野論文の背景にあるのは、「将来世代にツケを残してはいけない」ということだと思うんです。国債は将来世代からの前借りで、いずれその金は返さなきゃいけない。これまでのように日銀が買い支えられるうちはいいけど、もし将来において例えば制御できないようなインフレが起きたら、将来世代への大きな負担を残すことになる。それは避けたいという矢野さんの思いは否定すべきではないでしょう。


◎色々と違うような…

将来にわたって『絶対に起きない』とは言い切れません」というのは厳密に言えば正しい。例えば、金本位制に復帰する可能性も考慮すれば「国債を買い支えられなくなる」事態もあり得る。

問題は「日銀が日本円を無限に創出できる」という条件下で「国債を買い支えられなくなる」ことがあるのかだ。あるならば、どういう事態を想定しているのか。「日銀が日本円を無限に創出できる」との前提を共有していないそれでもいい。しかし、そうした説明は見当たらない。

しかも対談の別のところで「『日本は自国通貨建てなのでデフォルトは起きない』というのは、国債を発行すれば最後は日銀が買うことが可能ですから、確かにその通りです」と小林氏自身が述べている。ここでは、なぜか「(日銀が)国債を買い支えられなくなる」事態を想定していない。矛盾を感じる。

国債」発行について「将来世代にツケを残してはいけない」から抑えるべきだとの主張も基本的に違うと思える。日本国債の発行残高が1000億円だとしよう(簡略化のため、保有者は日本国民のみとする。金利は無視する)。この残高を維持したまま、保有者全員が死亡し「将来世代」の時代が来たらどうなるか。

将来世代」が運営する政府は、前の世代が作った国債1000億円を償還する必要がある。一方、「将来世代」は前の世代から相続した国債の償還によって1000億円を受け取る。「将来世代」は「ツケ」を払わされているだろうか。小林氏にも、よく考えてほしい。

将来において例えば制御できないようなインフレが起きたら、将来世代への大きな負担を残すことになる」という説明はさらに謎だ。上記の例で考えてみよう。現状では都心の高級マンションの価格が1億円だとする。これを基に「インフレ」を考える。

制御できないようなインフレ」が起きて物価が1000倍になったとしよう。そうするとマンションの価格も1000億円になる。しかし国債の残高は1000億円のままだ。

制御できないようなインフレ」前にはマンションの1000倍の国債を抱えていた。しかし「インフレ」後はマンション価格と同じレベルにまで下がっている。この状態で現役世代が全員死亡して「将来世代」の時代を迎えるとしよう。その時に「将来世代への大きな負担を残すことになる」だろうか。負債に限れば「負担」は軽くなるとも言える。資産としての価値が目減りするので、そこも考慮する必要はあるが「インフレ」によって将来世代の「負担」が大きく増えるとは考えにくい。

小林氏はひょっとすると「将来世代」の時代が来てから「制御できないようなインフレ」に陥ると想定しているのだろうか。その時は「将来世代」が現役世代だ。世代交代してしばらくしてから突然「インフレ」になったからと言って、前の世代の責任なのか。

前の世代から引き継いだ国債が急に「制御できないようなインフレ」を引き起こすというメカニズムも謎だ。

小林氏には別の機会にぜひ謎を解いてほしい。解けるならだが…。


※今回取り上げた記事「激突!バラマキか否か『矢野論文』

※記事の評価はC(平均的)

2021年12月16日木曜日

モデルナ製ワクチン「効果は同等」に根拠欠く日経の記事

16日の日本経済新聞 朝刊総合2面に載った「モデルナ、接種量半減 効果は同等~ワクチン選択可能に」という記事には色々と問題を感じた。全文を見た上で具体的に指摘したい。

耳納連山に沈む夕陽

【日経の記事】

モデルナ製ワクチンの3回目接種では1、2回目の半分の量を接種する。同社の臨床試験(治験)では、ウイルスの感染を防ぐ抗体の量が2回目接種後の約1.8倍に増えた。ファイザー製ワクチンでも同様に抗体の増加が確認されている

ファイザー製の追加接種については、2回接種のみの人と比べて発症予防効果が91%、入院を防ぐ効果が93%、重症化を防ぐ効果が92%あったというイスラエルの報告がある。大阪大学微生物病研究所の荒瀬尚教授は「(モデルナ製は)半量になってもファイザー製よりも投与量は多い。同等の効果が期待できるだろう」と話す

副作用については、2回目接種後と同等の頻度だ。モデルナ製の治験では、接種部分の痛みは約84%、接種後の倦怠(けんたい)感は59%にみられた。接種部分の腫れ(5%)や発熱(7%)など、2回目接種後より少ないものもあった。

モデルナ製では特に2回目接種時に、若い男性で10万回あたり数例だが心筋炎などが疑われる症状が報告されている。

約300人を対象にした追加接種の治験では心筋炎の報告はなかったが、人数が少ないため発生頻度は不明だ。ファイザー製では心筋炎が10万回に1例ほど報告されている。

追加接種では、1、2回目とは異なるワクチンを使う混合接種が認められる。米研究チームの報告によると、ファイザー製を2回接種した人がモデルナ製を追加接種すると、感染を防ぐ抗体の量は接種前の約32倍に増えた。モデルナ製を2回接種した人がファイザー製を追加接種した場合は12倍だった。


◇   ◇   ◇


引っかかった点を列挙してみる。


(1)「半分」の理由は?

モデルナ、接種量半減」と見出しを取っているのに「1、2回目の半分の量」にする理由に触れていない。ここは外せないはずだ。理由が不明ならば、その点を明示してほしい。

副作用」を抑えるためではないかと個人的には推測するが、そう書くと「副作用」への不安を高めてしまうと日経は心配しているのか。だとしたら誠実な報道姿勢とは言えない。


(2)「効果は同等」と言い切れる?

まず見出しに問題がある。「モデルナ、接種量半減 効果は同等」としてしまうと「量は半分でも効果は変わらない」と理解したくなる。しかし記事を最後まで読んでも、そんな記述はない。

おそらくファイザー製と「効果は同等」との趣旨だろう。だが、これも根拠は乏しい。「ファイザー製の追加接種については、2回接種のみの人と比べて発症予防効果が91%、入院を防ぐ効果が93%、重症化を防ぐ効果が92%あったというイスラエルの報告がある」とは書いているが、「モデルナ製」の「発症予防効果」や「重症化を防ぐ効果」に関するデータは見当たらない。

代わりに「(モデルナ製は)半量になってもファイザー製よりも投与量は多い。同等の効果が期待できるだろう」という「大阪大学微生物病研究所の荒瀬尚教授」のコメントを使っている。これで「効果は同等」と断定的な見出しを付けるのは悪い意味で凄い。「効果は同等か」が限界だろう。

ついでに言うと、「投与量」で「効果」が決まるのならば「ファイザー製よりも投与量は多い」のだから「モデルナ製」の方が高い効果が見込めるのではないか。


(3)ファイザーとの比較を避けた?

「(モデルナ製では)ウイルスの感染を防ぐ抗体の量が2回目接種後の約1.8倍に増えた。ファイザー製ワクチンでも同様に抗体の増加が確認されている」という説明が気になった。理由は2つある。まず「2回目接種後」ではざっくりし過ぎだ。「2回目接種」の直後なのか、あるいは一定期間が経過した後なのか、きちんと書いてほしい。

ファイザー製」との比較をあえて避けているように見えるのも引っかかる。調べてみると、ファイザーが海外で実施した3回目接種の臨床試験では「2回目から5~7カ月経過した人を対象に行い、中和抗体価が2回目後より3・3倍に増えたことを確認した」(化学工業日報)らしい。

単純に比較して良いのか分からないが「モデルナ製」の「約1.8倍」よりも大幅に高い数値だ。ここに触れると「モデルナ製はやっぱりダメ」との印象を読者に与えそうだから「同様に抗体の増加が確認されている」で逃げたのか。さらに言えば「抗体の量」の増え方に差があるとして、それでも「効果は同等」と見るべきなのか。

とにかく「3回目接種」を順調に進めたい。そのためには「モデルナ製」を避ける動きが出そうな情報は提供したくない。そんな意図をこの記事からは感じる。

もしそうならば、やはり読者への背信行為だ。そもそも、ほぼゼロコロナを達成している日本で、緊急時の対応である特例承認を使ってまで「3回目接種」を進めるべきなのかとの疑問もある。

今の報道姿勢のままで良いのか。日経には改めて考えてほしい。


※今回取り上げた記事「モデルナ、接種量半減 効果は同等~ワクチン選択可能に」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211216&ng=DGKKZO78479030V11C21A2EA2000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年12月15日水曜日

「日本のほぼゼロコロナはワクチンの効果ではない」と示唆する日経の記事

日本でほぼゼロコロナを達成できているのはワクチン効果ではないーー。15日の日本経済新聞朝刊総合2面に載った「ワクチン接種効果減で感染拡大か~4~5カ月で顕著」という記事はそう示唆している。記事の全文は以下の通り。

柳川むつごろうランド

【日経の記事】

海外で進む新型コロナウイルス感染再拡大の要因として、接種からの時間経過に伴いコロナワクチン効果が減衰しているとの見方が出ている。ワクチンでできる抗体は時間とともに減り接種後4~5カ月で効果の減弱が顕著になる。免疫が効きにくいオミクロン型に対しては、さらに効果が落ちている可能性が高い。

国民の81%が接種を完了した韓国では、感染者や死者、重症者のいずれも過去最多水準が続く。ソウル市では接種完了後の「ブレークスルー感染」の比率が65%にのぼる。60代の感染が最も多く、60歳以上が感染者全体の3割を占める。

60代の多くが英アストラゼネカ製ワクチンを接種したことも要因の一つとされる。防疫当局は同社製では感染防御で働く「中和抗体」が接種完了後3カ月で半分以下に減ったとの研究結果を発表しており、米ファイザー製や米モデルナ製での3回目接種を急ぐ考えだ。追加接種の間隔も縮めた。

他社製のワクチンでも効果は減衰する。

米国の研究ではファイザー製の感染予防効果は2回目接種後5カ月以降に47%まで低下。カタールの研究では4カ月後に約52%、5~6カ月後に20%程度まで下がっていた。


◎韓国の状況が示す“不都合な真実”

「ワクチンには大きな効果がある」と信じる人にとって韓国の状況は都合が悪い。「国民の81%が接種を完了」しているのに「感染者や死者、重症者のいずれも過去最多水準」だからだ。しかも「ソウル市では接種完了後の『ブレークスルー感染』の比率が65%にのぼる」。リスクを負ってワクチンを接種した効果は、ほとんどなかったと見るのが自然だ。

しかしワクチン信仰があると、そういう推測には至らない。「効果は大きかった。時間が経って減っただけだ」と考える。その可能性もゼロではない。だが、そうなると日本の状況をワクチン効果で説明できなくなる。

ワクチン接種から時間が経過している人が多くいるのは日本も同じだ。しかし「感染者や死者、重症者のいずれも」極めて低い水準にとどまっている。人出もかなり回復しているので自粛効果でも説明できない。ワクチンや人流とは関係ない要因で「感染者や死者、重症者」を低く抑えているのが日本だと見るべきだ。

韓国との違いを「英アストラゼネカ製」で説明しようとするのも苦しい。効果が大きく減るのが「3カ月」でも「4~5カ月」でも大差はない。韓国では「米ファイザー製や米モデルナ製での3回目接種を急ぐ考え」らしいが「英アストラゼネカ製」でも「接種」の間隔を短くすれば済む話だ。もちろん効果があればの話だが…。

「ワクチンには大きな効果がある。しかし、その効果は4~5カ月しか持たない。なので追加接種を…」となると、これからは年に4回ほどワクチン接種をするという流れか。そろそろ「何かおかしい」と気付いても良い頃だ。


※今回取り上げた記事「ワクチン接種効果減で感染拡大か~4~5カ月で顕著」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211215&ng=DGKKZO78448030U1A211C2EA2000


※記事の評価はC(平均的)

2021年12月14日火曜日

MMTは「財政支出の中身を気にしない」? 小幡績 慶大准教授が東洋経済オンラインで見せた誤解

慶応大学大学院准教授の小幡績氏はまだ自らの間違いに気付けていないようだ。 13日付の東洋経済オンラインの「日本では絶対に危険な『MMT』をやってはいけない~MMTの『4つの誤り』と『3つの害悪』とは何か」という記事で「MMT」を批判している。しかし、中身は相変わらず苦しい。

夕暮れ時の筑後川

11月27日には、やはり東洋経済オンラインで「このまま行けば日本の財政破綻は避けられない~『MMT理論』『自国通貨持つ国は安心』は大間違い」という記事を書いていた。この記事に関しては、以前の投稿で小幡氏の誤りを指摘している。同様の指摘を多く受けたのか、今回の記事では「このまま行けば日本の財政破綻は避けられない」との主張は引っ込めたようだ。だが「MMT」の否定を諦めてはいない。

小幡氏が挙げた「3つの害悪」のうちの1つ「財政支出の中身がどうであっても、気にしない」について見ていこう。

MMT」の主張については、代表的な提唱者であるステファニー・ケルトン氏の著作「財政赤字の神話~MMTと国民のための経済の誕生」を基に考える。ここでケルトン氏は以下のように述べている。


本の引用】

MMTは万能薬ではない。それを理解しておくことが重要だ。MMTはアメリカの歪んだ政治を正すことはできないし、政治家に国家の資金を国民の利益を最大化するために投資するよう強制することもできない。アメリカの連邦議会に限らず、日本の国会、イギリスの議会などどんな国の統治機関も、本来は国民のために予算を編成すべきなのに、たいていはそうしない議員であふれている。就業保証は部分的な解決策でしかない。確かにそれは経済環境の変化に応じて、予算を自動的に調整する。また本当に必要とする人々に恩恵をもたらすことのまずない減税と異なり、失業によって最も打撃を被るコミュニティを対象とする。最も必要としている人々の手に直接お金が渡るのだ。

だからといって自動運転モードをオンにして、あとは義務的支出が勝手に変化して道路状況に対応してくれるだろう、と放置してよいわけではない。裁量的支出も必要だ。軍事、気候変動、教育、インフラ、医療の研究など裁量的事業にいくら支出するかについても真剣に検討する必要がある


◎本当に「財政支出の中身がどうであっても、気にしない」?

MMT」は本当に「財政支出の中身がどうであっても、気にしない」のだろうか。「どんな国の統治機関も、本来は国民のために予算を編成すべき」だと見ているのに「財政支出の中身」は「気にしない」考えだと評価すべきなのか。「軍事、気候変動、教育、インフラ、医療の研究など裁量的事業にいくら支出するかについても真剣に検討する必要がある」と訴えているのに「財政支出の中身」を「気にしない」主張だと見なすべきなのか。

減税」より「就業保証」プログラムの方が「本当に必要とする人々に恩恵をもたらすこと」ができると提案していても「財政支出の中身」に無関心な理論なのか。

小幡氏は以下のように批判を展開している。


【東洋経済オンラインの記事】

第1の害悪である「財政支出の中身の議論を行っていない」点に対しては、ワイズスペンディング(賢い支出)が必要であるという、単純だが重要な問題がまずある

経済にとって必須であり、破滅しそうな社会を救うような財政出動は、もちろん行うべきである。しかし、失業率が歴史的に最低水準にあるような場合に、景気対策をするための財政出動はするべきでないことも明白である。

にもかかわらず、MMTでは、その議論には立ち入らずに「財政支出を拡大する余地がある」とだけ説く。前提として、財政支出が不足しているという認識があるのだろうが、そうであったとしても、役に立つ支出と無駄な支出と、害悪の支出とがある。その区別は財政支出という政策を議論する際には、何にもまして重要である。それを無視した政策提言は害である。

これに対してMMT論者は「細かい政策の是非については、個別に議論すればよい。われわれが言っているのは、マクロ政策として、財政支出の規模を増やすべきだと言っているのだ」と主張するだろう。そして、なぜ財政支出の規模を拡大するのが望ましいかと言えば、実際に困っている人々が社会にいる以上、その人たちを支援するための財政支出をするべきだ、ということを第1の理由として挙げる。

しかし、「すべての人を理想的な状態まで助けることができればそれは良いが、支出にも限度があり、コストとベネフィットの見合いで、妥当な水準があるはずだ。闇雲に支出を増やすのはおかしい」と普通の人々が言えば、彼らは「いや、財政支出は、インフレ率が高くなりすぎなければ、どんどん拡大していい」と主張し、「歯止めはインフレだ」という。あるいは「現在、インフレが起きていないことが財政支出が足りないことの何よりの証左である」と主張する。


◎色々と間違いが…

財政支出の中身の議論を行っていない」との認識が誤りであるのはケルトン氏の主張を見れば小幡氏も分かるはずだ。「ワイズスペンディング(賢い支出)が必要」との見方はケルトン氏とも一致する。

私たちは今、準備を始めなければならない。インフレを引き起こさず目標を達成するのに十分な生産能力を確保するため、必要な投資をしなければならない。そのための行動、たとえばオートメーション、インフラの強化、教育機会の拡充、研究開発、公衆衛生の改善は、すべて未来に向けた賢い投資」とケルトン氏は述べている。

なのに「役に立つ支出と無駄な支出と、害悪の支出とがある。その区別は財政支出という政策を議論する際には、何にもまして重要である。それを無視した政策提言は害である」と小幡氏は書いてしまう。「未来に向けた賢い投資」をすべきだと訴えているのに「支出」の中身を「無視した政策提言」として批判するのは、どう考えてもおかしい。

MMT」は「『財政支出を拡大する余地がある』とだけ説く」理論ではない。「『政府による就業保証プログラム』という新たな自動安定化装置」(ケルトン氏)を提案している。小幡氏は知らないのか。

MMT」を批判したいが上手くできないので「MMT」の主張を勝手に捻じ曲げて批判しやすい形に変えてみたーー。

今回の記事には、そんな小幡氏の意図が透けて見える。単に「MMT」を誤解しているだけかもしれないが…。

ただ自らの「MMT」批判に苦しさは感じているようだ。「理論的な4つの誤りのほうも、ここに明確になっただろう。したがって、これ以上、MMT理論を批判する必要はない。もうたくさんだ」と小幡氏は記事を締めている。「もうたくさんだ」との言葉に小幡氏の疲弊を感じる。

MMT理論を批判する必要はない」との見方には同意する(ちなみに「MMT(現代貨幣理論)」を「MMT理論」と表記すると「現代貨幣理論理論」になってしまう)。もう批判はやめた方がいい。さらに続けても、自らの不明を世に晒すだけだろう。


※今回取り上げた記事「日本では絶対に危険な『MMT』をやってはいけない~MMTの『4つの誤り』と『3つの害悪』とは何か

https://toyokeizai.net/articles/-/473925


※記事の評価はE(大いに問題あり)。小幡績氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

東洋経済オンラインで「MMTは大間違い」と断言した小幡績 慶大准教授の大間違いhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/11/mmt.html

小幡績 慶大准教授の市場理解度に不安を感じる東洋経済オンラインの記事https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/03/blog-post_18.html

「確実に財政破綻は起きる」との主張に無理がある小幡績 慶大准教授の「アフターバブル」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post.html

やはり市場理解度に問題あり 小幡績 慶大准教授「アフターバブル」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post_4.html

週刊ダイヤモンド「激突座談会」での小幡績 慶大准教授のおかしな発言https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/03/blog-post_25.html

東洋経済オンラインでのインフレに関する説明に矛盾がある小幡績 慶大准教授https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/06/blog-post_14.html

2021年12月13日月曜日

「なぜ道を誤ったのか」東洋経済の西村豪太編集長は自分の経験を後世に伝えよう

週刊東洋経済の西村豪太編集長が「日米開戦」に触れて「ジャーナリズムがやるべき仕事」を説いている。読者からの間違い指摘を無視して多くのミスを放置し続ける「メディア」の編集長として先にやるべき仕事があるのではないか。

耳納連山と夕陽

12月18日号の「編集部から」で西村編集長は以下のように記している。

【東洋経済の記事】

真珠湾攻撃から80年とあって、日米開戦をめぐる検証報道が盛んです。当時の指導層が彼我の国力の差を認識していたにもかかわらず、絶望的な戦争を選択した経緯がかなり見えてきました。歴史研究の蓄積のおかげですが、無謀な決定を後押しした「空気」の実態を現代に伝えるのは、ジャーナリズムがやるべき仕事でしょう。

「空気」が日本社会を動かしているのは今も変わりませんが、その中身は時間の経過とともに移ろい、忘れられていきます。史料からだけではわからない人々の息遣いを記録し、「なぜ道を誤ったのか」の手がかりを後世に残すのはメディアの大事な役割だと思います。


◎東洋経済がミス放置を「選択した経緯」は?

読者からの間違い指摘には真摯に対応し、ミスがあれば訂正する。それがあるべき姿なのは西村編集長にも理解できるはずだ。そして西村編集長の決断1つで正しい道へと軌道修正できる可能性が高い。なのに、なぜやらないのか。

ミス放置を「選択した経緯」はどうだったのか。それを「後押しした『空気』の実態」も含めて伝えてほしい。「空気」などではなく、西村編集長自身が放置を「決定」した可能性もある。自分たちの過ちを検証できないのに、他者に関して「なぜ道を誤ったのか」などと論じても説得力は生まれない。

自分たちは「なぜ道を誤ったのか」。それを「記録」して「後世に残す」ことが西村編集長にとっての「大事な役割」だ。そのことを改めて考えてほしい。


※記事の評価はD(問題あり)。西村豪太編集長への評価はF(根本的な欠陥あり)を据え置く。西村編集長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

道を踏み外した東洋経済 西村豪太編集長代理へ贈る言葉
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_4.html

「過ちて改めざる」東洋経済の西村豪太新編集長への手紙
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html

訂正記事を訂正できるか 東洋経済 西村豪太編集長に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_25.html

「巨大地震で円暴落」?東洋経済 西村豪太編集長のウブさ
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/01/blog-post_19.html

金融庁批判の資格なし 東洋経済の西村豪太編集長
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/03/blog-post_19.html

「貿易赤字の解消」で正解?東洋経済 西村豪太編集長に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_72.html

編集長時代はミス黙殺 コラムニストとしても苦しい東洋経済 西村豪太氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/12/blog-post_24.html

ミス放置を続ける東洋経済 西村豪太編集長が片付けるべき「大きな宿題」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/03/blog-post_6.html

ミス放置を続ける東洋経済の西村豪太編集長こそ「当事者能力なきトップ」では?https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/07/blog-post_6.html

2021年12月12日日曜日

人口「10年で1100万人減」は「深刻」? 鈴木貴博氏が書いた東洋経済オンラインの記事に異議あり

人口減少を日本の大問題と見る主張に説得力を感じない。12日付で東洋経済オンラインに載った「日本人は急速な人口減の深刻さをわかっていない~今後10年で1100万人減の現実にどう対処するか」という記事もそうだ。「日本人は急速な人口減の深刻さをわかっていない」と百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏は言うが、最後まで読んでも「深刻さ」 は伝わってこない。

ハングライダー発進基地からの景色

深刻さ」を訴えた部分を見ていこう。

【東洋経済オンラインの記事】

日本の人口は減少に転じてからは放物線を描くように人口減少が始まると予測されています。最初のうちは減少率が小さいのですが、徐々に加速がついて減少幅が大きくなる。とりあえずここまでの5年間が178万人減で、ここからの10年は1100万人減少というペースで減っていくわけで、やがて人口は半減し遠い将来には「日本人は消滅する」とまでまことしやかに言われているぐらいです


◎「消滅」してはダメ?

ここからの10年は1100万人減少というペースで減っていく」らしい。それでも人口1億人を割らない。狭い日本に人間は1000万人もいれば十分と個人的には見ている。それでも、日本より広いスウェーデンと同じぐらいの人口だ。

消滅」に関しては「遠い将来」の話で「まことしやかに言われている」程度のことならば今から心配する必要はない。戦争や飢饉は避けたいが、人々の自由な選択によって少子化が進行し「消滅」に至るなら、それも悪くない。そもそも「遠い将来」を長めに捉えれば人類全体が「消滅」してしまう運命だ。

結局、何がそんなに「深刻」なのか、よく分からない。しかし、この後「それではどうすればいいのか?という話」に移ってしまう。

記事の結論部分も見ておこう。


【東洋経済オンラインの記事】

いずれにしても1つだけ確実に当たる未来予測があります。それは2030年、2040年の日本人人口が1000万人、そして2000万人規模で減少していくということです。

指をくわえてそれを見ていれば日本社会も沈没していく。働き手が不足して高齢者が孤立する人口ピラミッド崩壊社会が出現するのです。それに歯止めをかける有効な手段は、外国人労働者を増やすことと、農村部から先にデジタル未来都市化と進めていくこと。

その危機感を共有するには、冒頭の「日本の総人口が5年前より94万人余減少」という情報開示のあり方は、問題を矮小化するという意味でよくないやり方だったのではないかと私は思うわけです。テレビドラマに引っ張られての感想かもしれませんが皆さんはどう思われますか。


◎日本社会が「沈没していく」?

人口が減少する中で「農村部」で「高齢者が孤立する」ことはあるだろう。今でも、それほど珍しくないはずだ。だからと言って「日本社会」が「沈没」している感じはない。「人口ピラミッド崩壊社会」の具体像は判然としないが「働き手が不足して高齢者が孤立する」だけならば大した問題ではない。鈴木氏自身も「農村部から先にデジタル未来都市化と進めていくこと」で解決できると唱えている。

高齢者」が都市部に移住する手もあるだろうし、「農村部」で「孤立」して生きていってもいい。何の問題も生じないとは言わないが「日本社会」の「沈没」とか「人口ピラミッド崩壊社会」と煽るほどの危機なのか。

人口減少にはプラス面もある。持続可能性を重視するならば、人口が減るのは悪くない。今世紀中に日本の人口が2億人を超えそうな場合、破滅的な未来が待っていそうな気がする。一方、人口半減であれば歓迎したいぐらいだ。

「22世紀の日本では関東と関西以外にはほとんど人が住んでいない」といった未来も、自分は抵抗なく受け入れられる。他の惑星に人類が大量移住できそうな状況になれば話は別だが、日本を含め世界の人口は減っていい。地球にしか居住空間がない中で人間が増えていけば、戦争や飢饉を誘発しやすい。そこは「深刻」に考えるべきだろう。


※今回取り上げた記事「日本人は急速な人口減の深刻さをわかっていない~今後10年で1100万人減の現実にどう対処するか

https://toyokeizai.net/articles/-/474262


※記事の評価はD(問題あり)

2021年12月11日土曜日

「アクティブ型投信もあり」と示唆する日経 勝莉菜乃記者に考えてほしいこと

11日の日本経済新聞朝刊マネーの学び面に勝莉菜乃記者が書いた「ゼロからわかる 投資信託の手数料~保有中も資産から支払い」という記事には問題を感じた。「手数料が高い投信」を擁護する記述があったからだ。そこを見ていこう。

室見川

【日経の記事】

Q 手数料が安い投信の方がよさそうですね。

A 同じ運用成績なら手数料が少ないほうが、投資家の実質的な運用成績は向上します。特に長期の運用では信託報酬の差が積み重なり、大きな差になることがあります。ただし、手数料が高い商品が悪いとは言い切れません

Q なぜですか。

A 株式などの指数に連動する成績を目指すインデックス型の投信は、組み入れる資産を機械的に売買します。費用を抑えやすく、同じ指数に連動するなら原則は費用が安い方が有利です。一方、指数を上回る成績を目指すアクティブ型は投資対象などを調査する手間がかかるため、信託報酬が高くなりがちです。しかし、コストに見合う運用成績を出し続ければ投資家の評価は高まります


◎ダメと言い切ってよいのでは?

手数料が高い商品が悪いとは言い切れません」と勝記者は言う。厳密に言えばそうだ。しかし投資初心者に「ゼロからわかる」ように解説するのならば「手数料が高い商品=悪い商品、と覚えておいてよいでしょう」などと書く方が好ましい。

手数料が高い商品」であっても「コストに見合う運用成績を出し続け」る実力がある場合は手を出す価値がある。しかし、ここには2つ問題がある。

まず「コストに見合う運用成績を出し続け」る実力がある「投信」は存在するのか。これは過去の運用成績を見ても分からない。過去の好成績がまぐれとの可能性を否定できないからだ。過去の運用成績が良い投信に投資する戦略は報われないと言われている。好成績は基本的に運によるものだと見るべきだろう。

だからと言って本物の実力を持つ「投信」がゼロとは断定できない。第2の問題は過去の運用成績が良い「投信」の中で幸運組と実力組を見分ける方法が見当たらないことだ。

あると思うのならば「手数料が高い商品が悪いとは言い切れません」と解説してもいい。しかし勝記者もそこには言及していない。「コストに見合う運用成績を出し続ければ投資家の評価は高まります」と述べているだけだ。「投資家の評価」が高いからといって「手数料」の高さを正当化できる訳ではない。

今回の記事は運用会社などを取材して書いたようだ。取材相手が「手数料」の高い「アクティブ型」をかばうのは当然だ。責めるつもりもない。ただ、記者が誘導されてはダメだ。流れに身を任せれば金融業界の回し者的な書き手になってしまう。

手数料が高い商品」を正当化する主張に本当に説得力があるのか。よく考えれば「投資初心者は『手数料が高い商品=悪い』と覚えておくべき」との結論に辿り着くはずだ。


※今回取り上げた記事「ゼロからわかる 投資信託の手数料~保有中も資産から支払い」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211211&ng=DGKKZO78334550Q1A211C2PPL000


※記事の評価はD(問題あり)。勝莉菜乃記者への評価も暫定でDとする。

2021年12月9日木曜日

「地方から都市部に若い女性が流出」に無理がある日経 石塚由紀夫編集委員の記事

8日の日本経済新聞電子版に石塚由紀夫編集委員が書いた「『若い女性が消えた』~増える未婚、地方が陥るワナ」という記事は無理がある内容だった。「未婚化は少子化を加速する。都道府県別に人口構成を分析すると、若い男女の人口バランスが大きく崩れており、結婚したくとも相手が見つからない状況に陥っている。その原因は地方から都市部、特に東京周辺への若い女性の流出だ」と石塚編集委員は言う。しかし、その後に示したデータとは整合しない。

筑後川河川敷

25~34歳シングル」の男女比を都道府県別に示した地図と、そのランキングを載せている。石塚編集委員の見立てが正しいのならば「男性/女性」の数値で上位は「地方」、下位は「都市部、特に東京周辺」となっているはずだ。

しかし4位に「都市部」の愛知が出てくる。「東京周辺」を見ると神奈川が21位、千葉が24位、埼玉が25位と真ん中辺り。東京は37位だが、36位の佐賀と38位の宮崎に挟まれており「地方」と決定的な差はない。

そして「若い男女の人口バランス」が良いと石塚編集委員が言う下位は46位が奈良で47位が鹿児島。「都市部、特に東京周辺」という話と合っていない。

地図を見る限り、石塚氏の言うような傾向は確認できない。日本全体で見れば西日本で「シングル男女人口比」が小さいとは言える。「地方」をどう定義しているのか不明だが、単純に「地方」には「若い女性」が少なく「都市部」には多いと見ると、問題を見誤る。


※今回取り上げた記事「『若い女性が消えた』~増える未婚、地方が陥るワナ」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD031KJ0T01C21A2000000/


※記事の評価はD(問題あり)。石塚由紀夫編集委員への評価もDを維持する。石塚編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「女性活躍後進国」と日経 石塚由紀夫編集委員は言うが…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_2.html

「フリーアドレス制でダイバーシティー効果」が怪しい日経の記事https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/03/blog-post_88.html

2021年12月8日水曜日

「ダイビルTOB、2200円は妥当か」に答えを出さない日経 森国司記者

8日の日本経済新聞朝刊 投資情報面に企業財務エディターの森国司記者が書いた「Ticker ダイビルTOB、2200円は妥当か~含み益考慮の一株純資産2948円」という記事は残念な内容だった。「ダイビルTOB、2200円は妥当か」と見出しで問うならば、森記者なりに「妥当か」どうかの判断を示してほしかった。



記事の後半を見てみよう。

【日経の記事】

ダイビルは不動産の含み益とその含み益を考慮した1株当たり純資産(BPS)を開示している。含み益を考慮した純資産は、不動産を時価評価した場合に株主に帰属する資産を示す。21年3月末の含み益は3年前から4割近く増え、BPSは2948円だった。

今回のTOB価格決定にあたり、商船三井は9月30日に2000円を提案した。ダイビルは価格が不十分として複数回にわたり再検討を要請した。11月に最終的には2200円をダイビルが逆提案し商船三井側が受け入れた。ダイビルはTOBに賛同し、株主に応募を推奨している。2200円は直前の株価に対して5割高い水準だが、含み益を考慮したBPSからは2割超低い水準だ。

ダイビルは「2948円はあくまで会社をたたんで不動産を売り払った場合の理論値。ビルの賃貸など現在の事業を続ける観点でみれば2200円は適切だ」(多賀秀和執行役員)と応募を推奨した理由を説明する。TOBへの賛同手続きでも、取締役6人のうちかつて商船三井に在籍していた3人を除いて全員一致で決議しており、一般株主の利益は守られているとの認識だ。

今回のTOBは22年1月18日まで。株主の判断機会を確保することや第三者が対抗的な買い付けなどに踏み切る機会を妨げないよう、「比較的長期間である30営業日とした」(商船三井)。ダイビル株の7日終値は2209円。含み益をあくまで含みとみるか実現可能とみるか、株主の判断を左右しそうだ


◎そういう問題?

含み益をあくまで含みとみるか実現可能とみるか、株主の判断を左右しそうだ」と記事を締めており、「妥当」性について森記者がどう考えているのか結局分からない。明確に答えを出せとは言わない。しかし、どちら寄りかぐらいは書くべきだ。そこを嫌がるならば「ダイビルTOB、2200円は妥当か」と問うのを諦めてほしい。

含み益をあくまで含みとみるか実現可能とみるか、株主の判断を左右しそうだ」との結論には、さらに疑問が残る。記事の前半で触れているが、今回は「スクイーズアウト(強制買い取り)で100%子会社にする計画」だ。だとしたら少数株主が株を売らない選択肢は基本的にないのではないか。

含み益をあくまで含みとみるか実現可能とみるか」という話もよく分からない。「含み益をあくまで含みとみる」場合、「実現」は不可能と森記者は見ているのだろう。これには同意はできない。

売却益を実現させていないという意味で「含み益」は「あくまで含み」だ。しかし、それは将来の「実現可能」性を否定しない。「含み益」算出の基準とした時価評価が適切との前提で言えば「実現可能」性は十分にある。

記事で引っかかった部分は他にもある。

まず「2948円はあくまで会社をたたんで不動産を売り払った場合の理論値。ビルの賃貸など現在の事業を続ける観点でみれば2200円は適切だ」というダイビル役員のコメント。「理論値」が「2948円」なのに「ビルの賃貸など現在の事業を続ける観点でみれば2200円」にディスカウントされるのが、よく分からない。

ビルの賃貸など現在の事業を(誰かが)続ける観点」で市場価格が形成され、それに基づいて「理論値」を算出しているのではないか。

付け加えると「妥当か」どうかに関して「含み益」に偏って論じているのも引っかかる。「2200円は直前の株価に対して5割高い水準」ならば、「直前の株価」との比較ではそれなりのプレミアムが付いている。そこをどう見るべきかにも踏み込んでほしかった。

個人的には「2200円」は株主にとって悪くないと思える。株式市場で付いた価格にプレミアムが乗っているからだ。「含み益」を考慮した「理論値」が「2948円」だとしても、現実の株価がそれを大きく下回っているとすれば、何らかの理由があると見たい。それが何かは分からないが、市場はそう評価してきた。そこがやはり出発点だ。

TOBがなければ「直前の株価に対して5割高い水準」で売るのは容易ではない。「ダイビルTOB、2200円」は少なくとも低過ぎではない。

こんな感じで森記者にも答えを出してほしかった。これまでの経緯を説明して、成り行き注目型の結論で逃げるのならば、何のための「企業財務エディター」なのか。そこを考えてほしい。


※今回取り上げた記事「Ticker ダイビルTOB、2200円は妥当か~含み益考慮の一株純資産2948円

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211208&ng=DGKKZO78244120X01C21A2DTA000

※記事の評価はD(問題あり)。森国司記者への評価も暫定でDとする。

2021年12月7日火曜日

ミス放置常習犯の日経が「過ちて改めざる、これを過ちという」と説いても…

読者からの間違い指摘を無視してミスを放置する。これが好ましくないのは社内の多くの人間が理解できるはずなのに、プライドが邪魔するのか悪しき伝統を捨てられない。それがメディアとしての日本経済新聞の立ち位置だ。そんな日経が他者を批判して説得力が生まれるだろうか。これを踏まえて、7日の朝刊1面コラム「春秋」の全文を見ていこう。

夕暮れ時

【日経の記事】

野球日本代表の監督に就任した栗山英樹さんが、自著にこんなことを書いていた。「自分が進退をかけることで、選手のためになれることがあるんだったら、そんなに幸せなことはない」(「稚(ち)心(しん)を去る」)。さらに、責任は「取る」ものではなく「果たす」ものであると続く。

日本ハムを10年率い、その間最下位も経験した。負ければクビ、の厳しい世界。でも辞めればいいというものではない。重責を担う自覚を常に持ち、チームを成長させる努力を尽くす。そんな意味と読んだ。「選手のため」の先にはファンの顔も浮かんでいたはず。指揮官としてどうあるべきか自問自答してきたのだろう。

同じような覚悟があったのか聞いてみたい。システム障害を繰り返したメガバンクの経営陣と無免許運転の罪で在宅起訴された元都議に、である。辞めるのは無理からぬこと。ただATMの前に立った利用者の不安や、すったもんだの辞職劇で有権者が抱いた都政への不信感はなお拭えない。辞めて一件落着とはなるまい。

脱税容疑で逮捕されたマンモス大学の元理事長と彼の暴走を許した幹部らもしかり。大学が先週公表したコメントには「もっとも重要なことは本学の体制変革」とあった。その言葉が実現して初めて責任を果たしたことになるのだろう。栗山監督が愛読する論語にもこう書いてある。「過ちて改めざる、これを過ちという


◎他者を批判する前に…

システム障害を繰り返したメガバンクの経営陣と無免許運転の罪で在宅起訴された元都議」「脱税容疑で逮捕されたマンモス大学の元理事長と彼の暴走を許した幹部ら」。春秋の筆者は様々な人へ批判の矛先を向け「野球日本代表の監督に就任した栗山英樹さん」と「同じような覚悟があったのか聞いてみたい」と記している。

ならば自らに問うてみてはどうか。日経はメディアとして「どうあるべきか自問自答してきた」のか。その結果が、ミス放置は当たり前との悪しき伝統なのか。それで読者への「責任を果たしたことになる」のか。

過ちて改めざる、これを過ちという

その言葉は日経自身に向けられるべきだ。

人のふり見て我がふり直せ

追加でこの言葉を日経には贈りたい。ミス放置の悪しき伝統から脱却して「初めて」メディアとしての「責任を果たしたことになる」のではないか。


◇   ◇   ◇


せっかくなので11月18日に問い合わせた間違い指摘を再掲しておく。2週間以上経ってもやはり回答はない。


【日経への問い合わせ】

18日の日本経済新聞朝刊総合1面に載った「円の実力、低下傾向続く~実質実効レートが50年ぶり水準に接近 円安、成長に寄与せず」という記事についてお尋ねします。問題としたいのは以下のくだりです。

21年になると円の実質実効レートは9%下げ、主要通貨で独歩安になった。ドルは5%上昇し、ユーロは3%の下落にとどまる。新型コロナウイルス禍からの経済回復過程で、日本の物価が海外と比べて上がらないことが影響している

独歩安」とは「為替相場で、単独の通貨のレートだけが下がること」(デジタル大辞泉)です。「主要通貨」を「」「ドル」「ユーロ」とした場合、「」が「主要通貨で独歩安になった」のならば「ドル」と「ユーロ」は「上昇」しているはずです。しかし「ユーロは3%の下落」。つまり「」の「独歩安」ではありません。「ドル」の「独歩高」です。

」が「主要通貨で独歩安になった」との説明は誤りではありませんか。問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。

せっかくの機会なので、もう1つ指摘しておきます。

円の実質実効レート」が下がった要因について「日本の物価が海外と比べて上がらないことが影響している」と書いています。この説明は間違いではないものの不適切です。

物価上昇率が低い国の通貨は名目レートが上昇するのが基本です。本来ならば「日本の物価が海外と比べて上がらない」場合は名目レートが円高となり調整されます。その調整が進まないから「円の実質実効レート」が低下していると見るべきでしょう。

なぜ調整が起きないのか。そこを解説しないと「円の実質実効レート」が下がっている理由は見えてきません。

日本の物価が海外と比べて上がらないことが影響している」のならば、物価が上がれば「円の実質実効レート」も上がっていくはずだと多くの読者は思うでしょう。しかし、相対的に物価上昇率が高くなれば名目レートに下押し圧力がかかると考えるべきです。

記事の筆者は、物価動向が名目レートに与える影響を無視したまま「円の実質実効レート」の下落を論じているのではありませんか。

問い合わせは以上です。「独歩安」に関しては回答をお願いします。日経では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。日本を代表するメディアとして責任ある行動を心掛けてください。


◇   ◇   ◇


※今回取り上げた記事「春秋」

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211207&ng=DGKKZO78213070X01C21A2MM8000


※記事への評価は見送る

2021年12月6日月曜日

ワクチン信仰は捨て切れない? 日経ビジネス「危機は去ったのか」

どうもおかしいとは感じながらもワクチンへの信仰を捨て切れない。日経ビジネス12月6日号の特集「危機は去ったのか~緩む日本、コロナ第6波への戦略」からは取材班のそんな状況が浮かび上がる。「世界各国の感染状況」を示したグラフを並べて特集では以下のように説明している。

夕暮れ時の筑後川

【日経ビジネスの記事】

世界各国の感染状況を詳しく見ると、「ワクチンの接種率が上がれば新規感染者は減る」という単純な図式では説明できないことが見えてくる。ここで示したのは、人口100万人当たりにそろえた各国の新規感染者数と死者数の推移。ワクチン接種が進んでも感染が収まらない国もあれば、むしろワクチン接種が進んでから感染が拡大した国もある。最新の新規感染者数や死者数で見ると、米国や英国、ドイツなどに比べて2桁小さい日本が際立つ。


◎ワクチン効果はかなり低いのでは?

グラフを見ると、シンガポールやドイツでは「ワクチン接種が進んでから感染が拡大」している。「世界各国の感染状況」が示唆しているのは「ワクチン効果はないか非常に低い」ということだ。逆効果となっている可能性も考慮していい。しかし、取材班は迷いを見せながらも「ワクチン効果は大きい」との信仰を捨てない。そう判断できる記述を見ていく。


【日経ビジネスの記事】

感染者数の減少について「やっぱりワクチンの効果が一番大きい」と話すのは国立感染症研究所感染症疫学センターの鈴木基センター長だ。6月ごろからワクチン接種が本格化した日本は、2回接種を終えた人の割合が11月24日時点で76.2%に達した。鈴木センター長は「東京でいえば、新規感染者のピークが8月半ば。その人たちが実際に感染したと推定される2週間前ぐらいの時期から若い世代のワクチン接種が進んだことが9月からの感染急減につながったのではないか」と分析する。

ただし、ワクチン接種が進んでも感染者数や死者数が下がらない国もある(DATA編参照)。感染対策の徹底ぶりや人々の距離感など、幾つもの要因が影響しているのだろう。日本の急激な縮小についても「完全に説明できる学者はいない。分かっていないのが事実」(鈴木センター長)という状況だ。それは、いつ感染が再び拡大するか分からないことの裏返しだ。


◎「分かっていない」のに…

日本の急激な縮小について」は理由が「分かっていない」と見るのが基本線だ。「国立感染症研究所感染症疫学センターの鈴木基センター長」もそこは認めている。なのに「やっぱりワクチンの効果が一番大きい」となってしまう。これがワクチン信仰の怖いところだ。

ワクチン接種が進んでも感染者数や死者数が下がらない国もある」と記事でも書いている。日本でもワクチン接種率が上がり続ける中で感染者数の急増が起きている。ワクチン効果が十分に高ければ、こうはなりにくい。

その辺りは取材班も気付いているようだ。なのに「ワクチン効果が大きいが……」と中見出しを付けて「やっぱりワクチンの効果が一番大きい」とのコメントを使ってしまう。「ワクチン効果」が小さいとは思いたくないのだろう。

特集の中で引っかかった部分を他にもいくつか見ていこう。


日経ビジネスの記事】

感染者数が急激に減ったものの、集団感染も散発している。行動変容にワクチン接種。感染防止はつまるところ個人に頼らざるを得ない。


◎なぜ効くと信じる?

ワクチン接種が進んでから感染が拡大」している国もあり、日本での急増と急減もワクチンの影響では説明しきれないのに、なぜ「ワクチン接種」で「感染防止」ができると信じるのか。

行動変容」に期待するのも無理がある。特集では「第5波収束後の人流回復が目立つ」との説明文を付けたグラフを載せている。これを見ると、8月以降に人流が増える中で感染者数が激減し、極めて低い水準を保っている。

8月以降の動きだけ見れば「人流が増えたから感染者が減ったでは?」とも考えたくなる。「人流抑制が感染防止につながる」との見方はとりあえず捨てた方がいい。

話がそれた。ワクチンに話を戻そう。おかしな記述をさらに見ていく。


【日経ビジネス】

ファイザーや米モデルナのワクチンは9割程度の発症予防効果があるとされ、日本では全国民の75%強がワクチンを接種した。それが第5波以降の感染者数の激減につながったとみられている


◎説明できないのに?

急減の理由は「分かっていない」のに「感染者数の激減につながったとみられている」と書いてしまう。「みられている」で逃げたつもりかもしれないが、誠実な態度とは言えない。感染状況をワクチン効果で上手く説明できない以上「ワクチン効果は小さいのでは」との姿勢を基本とすべきだ。

なのに取材班はワクチン接種の推進が好ましいとの考えを捨てない。


【日経ビジネスの記事】

沖縄県のワクチン接種率(2回目終了者)は11月22日時点で65.7%と、他の都道府県よりも大幅に大幅に低い。県のワクチン接種等戦略課は「感染を広げやすい10~30代の比率が33.6%とかなり高く、その層が接種をあまり受けない」と理由を説明するが、若い世代の県民がワクチンを接種しないことの根拠は希薄だ


◎若者はワクチンを接種すべき?

世界各国の感染状況」はワクチン効果の小ささを示唆している。

百歩譲ってワクチン効果は大きいとしよう。日本で感染者数がゼロに近い水準まで下がった時点で接種率は50%前後。つまり接種率50%でほぼゼロコロナを達成できる。ならば沖縄県の「65.7%」は十分に高い。

若い世代の県民がワクチンを接種しないことの根拠は希薄だ」と記事では書いているが、重症化リスクの低い若者が接種すべきと考える「根拠」の方が「希薄」だ。しかも沖縄もほぼゼロコロナだ。さらに接種を進める必要はない。ワクチン信仰心を持っているのならば「65.7%の接種率でもワクチン効果は大きいからもう安心」と信じてほしい。

信仰を持つのは自由だ。しかし、持ったままでは冷静で客観的な分析からは離れていってしまう。思い込みを排して事実を見れば、ワクチンへの信仰心は消えていくはずだ。取材班の記者がそちらの方向に動いてくれることを望む。


※今回取り上げた特集「危機は去ったのか~緩む日本、コロナ第6波への戦略」https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00958/


※今回取り上げた特集に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経ビジネス特集「危機は去ったのか」に見当たらない「危機」の定義https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/12/blog-post.html


※特集の評価はD(問題あり)。田村賢司編集委員と橋本宗明編集委員への評価はDを据え置く。生田弦己記者への評価は暫定でDとする。


※田村編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_8.html

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_11.html

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_12.html

日経ビジネス「村上氏、強制調査」田村賢司編集委員の浅さ
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_6.html

日経ビジネス田村賢司編集委員「地政学リスク」を誤解?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html

日経ビジネス田村賢司主任編集委員 相変わらずの苦しさ
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_12.html

「購入」と「売却」を間違えた?日経ビジネス「時事深層」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/09/blog-post_30.html

「日銀の新緩和策」分析に難あり日経ビジネス「時事深層」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html

原油高を歓迎する日経ビジネス田村賢司編集委員の誤解
https://kagehidehiko.blogspot.com/2016/11/blog-post_12.html

「日本防衛に“危機”」が強引な日経ビジネス田村賢司編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_18.html

「名目」で豊かさを見る日経ビジネス田村賢司編集委員の誤解
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_3.html

「名目」で豊かさを見る理由 日経ビジネスの苦しい回答
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_14.html

日経ビジネス「東大の力~日本を救えるか」に感じた物足りなさhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/06/blog-post_6.html


※橋本編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「オプジーボ巡る対立」既に長期化では?  日経ビジネス橋本宗明編集委員に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_20.html

光免疫療法の記事で日経ビジネス橋本宗明編集委員に注文https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/07/blog-post_5.html

「日本は『ワクチン後進国』脱せよ」と日経ビジネス 橋本宗明編集委員は言うが…https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/02/blog-post_16.html

2021年12月4日土曜日

日経ビジネス特集「危機は去ったのか」に見当たらない「危機」の定義

日経ビジネス12月6日号の特集「危機は去ったのか~緩む日本、コロナ第6波への戦略」は残念な内容だった。最も問題を感じたのはワクチンに関する記述だが、長くなるので別の投稿で触れるとして、それ以外に引っかかった点を指摘したい。

ハングライダー発進基地

この特集では「危機は去ったのか」との問いに答えを出していない。「新型コロナの収束がまだ見通せないだけでなく、我々が『感染症の時代』に入った可能性もある」といった記述から「危機は去っていない」とのニュアンスは感じるが、「危機は去ったのか」どうかを明確にはしていない。

危機は去ったのか」と特集で問うならば、どうなれば「去った」と言えるのかの判断基準は示してほしい。日本では、ほぼゼロコロナの状況が続いている。これで「危機は去っていない」と見るならば、どうなると「去った」と言えるのか。どういう状況で「新型コロナの収束」と見なすのか。

個人的には「危機」は日本にまだ来ていないと見ている。基準を示せと言われたら、コロナによる死者数で年間10万人程度か。しかし過去2年間で2万人にも届いていない。その多くが高齢者という点を考慮するとさらに「危機」には遠い。医療の供給が追い付かないといった問題は「混乱」レベルと捉えている。

この考えに同意してくれとは言わない。日経ビジネスには独自の「危機」の捉え方があっていい。しかし、今回の特集では、そこが見えてこない。

我々が『感染症の時代』に入った可能性もある」といった話には基本的に意味がない。大昔から人類は「感染症」と付き合ってきたはずだ。だとすると常に「感染症の時代」とも言える。「危機」もそうだ。定義次第では永遠に「危機」は去ってくれない。

取材班には「危機は去ったのか」を具体的に論じる気はなかったのか。だとすれば、なぜこのタイトルを選んだのだろう。


※今回取り上げた特集「危機は去ったのか~緩む日本、コロナ第6波への戦略」https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/00958/


※特集の評価はD(問題あり)。田村賢司編集委員と橋本宗明編集委員への評価はDを据え置く。生田弦己記者への評価は暫定でDとする。


※田村編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_8.html

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_11.html

間違い続出? 日経ビジネス 田村賢司編集委員の記事(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_12.html

日経ビジネス「村上氏、強制調査」田村賢司編集委員の浅さ
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_6.html

日経ビジネス田村賢司編集委員「地政学リスク」を誤解?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post.html

日経ビジネス田村賢司主任編集委員 相変わらずの苦しさ
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_12.html

「購入」と「売却」を間違えた?日経ビジネス「時事深層」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/09/blog-post_30.html

「日銀の新緩和策」分析に難あり日経ビジネス「時事深層」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html

原油高を歓迎する日経ビジネス田村賢司編集委員の誤解
https://kagehidehiko.blogspot.com/2016/11/blog-post_12.html

「日本防衛に“危機”」が強引な日経ビジネス田村賢司編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_18.html

「名目」で豊かさを見る日経ビジネス田村賢司編集委員の誤解
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_3.html

「名目」で豊かさを見る理由 日経ビジネスの苦しい回答
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_14.html

日経ビジネス「東大の力~日本を救えるか」に感じた物足りなさhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/06/blog-post_6.html


※橋本編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「オプジーボ巡る対立」既に長期化では?  日経ビジネス橋本宗明編集委員に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_20.html

光免疫療法の記事で日経ビジネス橋本宗明編集委員に注文https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/07/blog-post_5.html

「日本は『ワクチン後進国』脱せよ」と日経ビジネス 橋本宗明編集委員は言うが…https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/02/blog-post_16.html

2021年12月1日水曜日

「人口減時代にも成長が必要」との前提が引っかかる日経1面トップの記事

日本経済新聞にとって「経済成長が必要」は自明なのか。1日の朝刊1面トップを飾った「生産年齢人口、ピークの95年比13.9%減 国勢調査確定値~生産性改善が急務 規制緩和・DXに活路」という記事では「人口減時代の成長は一人ひとりの能力を高め、規制緩和にも取り組んで生産性をどう押し上げるかにかかる」と訴えるが、そもそも「人口減時代」に国としての「経済成長」を追求すべきなのか。

大阪城公園

記事の一部を見ていこう。

【日経の記事】

こうした女性や高齢者の就労拡大にも限界はある。生産性を高めなければいずれ生産年齢人口の減少の影響を補いきれなくなる。

日本の労働生産性(労働時間あたりベース)の伸び率はアベノミクス下の12年から19年まで年平均1.1%と一定の改善があった。

それでも20年時点で1時間あたりに生み出す付加価値は48.1ドルと主要7カ国(G7)で最も低い。経済協力開発機構(OECD)各国平均の54.0ドルも下回る。

内閣府の試算によると、働く人や労働時間が増えたことによる2010年代の平均的な経済成長率(潜在成長率、年平均0.7%)の押し上げ効果はゼロポイントにとどまる。1980年代には労働による押し上げは年平均で0.7ポイントあった。

人工知能(AI)など先端技術の活用やデジタルトランスフォーメーション(DX)を通じて生産性を上げなければ根本的な成長につながらない


◎何のための「成長」?

経済成長」が必要なのは、どんな状況だろう。「人口が増えているのに国民は十分に栄養を摂取できていない。だから食糧生産を増やす形での経済成長が不可欠」といった話なら完全に同意できる。「海外では誰もが当たり前にスマホを使っているのに、日本では貧しさゆえに普及率が10%以下。だから経済成長して国民の多くがスマホを買えるようにしたい」という話でもいいだろう。

しかし今の日本で、さらに「生産性を上げ」てでも手に入れたいものがそんなにあるのか。食べ物もスマホも、あるいは衣服やクルマもほぼ行き渡っているように見える。脱炭素の流れが正しいとの前提で言えば「経済成長」を求めない方がむしろ好ましい。

1時間あたりに生み出す付加価値は48.1ドルと主要7カ国(G7)で最も低い。経済協力開発機構(OECD)各国平均の54.0ドルも下回る」と日経は書いているが、こうした比較に意味があるのか。

そもそも何位になれば満足するのだろう。「G7」で3位以内に入り「OECD」平均を上回れば、それで解決なのか。仮にそうだとして、日本が順位を上げれば「G7」のどこかが最下位になる。その国が今度は上位を目指して国民に鞭を打つべきなのか。そうやって各国が際限のない生産性向上競争に身を投じていくのが、あるべき姿なのか。

生きていくうえで必要なものがそこそこ手に入るようになったら「経済成長」はなくてもいい。「人口減時代」であれば1人当たりGDPが一定でも「経済」は縮小していく。人々が幸福に暮らすために「経済成長」が欠かせないならば、そこを求めるべきだろう。ところが日経は「経済成長」自体を自明の目標と捉えているのではないか。

経済成長」を実現しても、国民の幸福度が高まらないなら意味はない。「経済成長」していなくても、国民が今の暮らしに満足しているなら問題はない。そうは考えないのか。

思考停止に陥らず自問してみてほしい。


※今回取り上げた記事「生産年齢人口、ピークの95年比13.9%減 国勢調査確定値~生産性改善が急務 規制緩和・DXに活路

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211201&ng=DGKKZO78039180R01C21A2MM8000


※記事の評価はC(平均的)