2015年8月9日日曜日

理工系女性増やすべき? 日経 辻本浩子論説委員に問う

「理工系学部の学生に占める女性比率」というのは理想の数値があるのだろうか。あるいは女性が多ければ多いほど望ましいのだろうか。辻本浩子論説委員が9日の日経朝刊 日曜に考える面に書いた「中外時評~理工系の女性にエールを ロールモデルで活躍後押し」という記事では、理工系女子を増やすべきだと訴えているが、その根拠が薄弱だ。記事の一部を見てみよう。


【日経の記事】
ベルギーのブリュッセル  ※写真と本文は無関係です

理学部や工学部を選ぶ女性は、男性に比べて少ない。全学部に占める女性の割合は44%だ。だが理学部では4人に1人、工学部では8人に1人しか女性がいない

専攻する学生の少なさは、将来の進路にも影響する。総務省の科学技術研究調査報告によると、企業や大学などで働く研究者のうち、女性は14.6%だ。英国の37.8%、米国の33.6%など、他の先進国に比べ著しく低い。

とりわけ薄いのはトップ層だ。女性教授は理学部で5.2%、工学部で3.6%のみ。この傾向は、企業の管理職比率をみても明らかだ。全体の平均が8.3%(100人以上の企業)なのに対し、技術系の社員が多い製造業では3%にとどまる。

少子高齢化が進むなか、意欲と能力のある女性が活躍できるようにすることは、日本にとって欠かせない課題だ。とりわけ日本は科学技術立国を掲げている。このままでは国際的な競争でも後れをとりかねない


ほとんどの学生が自分の意思で進路を選んでいるとの前提が成り立つならば、「理学部では4人に1人、工学部では8人に1人しか女性がいない」ことに何の問題もない。理工系の女性比率が低いとすると、理工系以外の比率は高いわけだ。女性が文系学部で学んで、それを生かして社会で活躍してはダメなのか。もし「理工系学部の女性比率を英米と同じ水準にそろえる」「どの学部でも女性比率50%を目指す」といった目標を立てるとしたら、それらに合理性があるだろうか。

辻本浩子論説委員の「このままでは国際的な競争でも後れをとりかねない」という主張も根拠が見当たらない。日本の理工系学部の定員を一定と仮定すると、女性比率が高まれば、その分は理工系学部で学ぶ男性が減ってしまう。男性を女性に置き換えるだけで国際競争力が高まるのであれば話は別だが、仮に男女の能力に差がないとすると、学部の男女の比率が自然な形で変わっても影響は出ない。能力が低くても女性という理由だけで受け入れて女性比率を高めるとすると、競争力はかえって低下しそうだ。ここまでに述べた前提を覆す統計的な根拠があるかもしれないが、それなら記事中で明示すべきだ。

大事なのは、一人ひとりの個性や興味を生かし、その人ならではの可能性、能力を伸ばすことだ」という結論には同意できる。その結果として「理学部では4人に1人、工学部では8人に1人しか女性がいない」状況も十分にあり得るはずだ。「A大学の文学部の学生は70%が女性なのに、工学部には10%もいない」という事実があるとしても、だからと言って「本来なら理工系に進むべき女子学生が文学部に進学している」とは断定できない。

それとも「一人ひとりの個性や興味を生かし、その人ならではの可能性、能力を伸ばす」と理工系学部の女性比率がどうなるのか、辻本論説委員には見えているのだろうか。

記事の後半に出てくる「日本ではまだ『理工系の仕事は男性の仕事』『女子は文系』といったイメージが根強い」といった話にも説得力を感じない。統計的な根拠があるなら示してほしい。辻本論説委員の言うような実態があるとすると、なぜ「理学部では4人に1人」も女性がいるのか。ちょっと多すぎる。STAP細胞問題などもあり、「リケジョ」は広く世間に認知されている。今時、高校生レベルで「本当は理工系に進みたいけれど、男性の仕事だから諦めよう」などと考える女性がいるだろうか。いても、かなりの少数派だろう。こちらも統計的な根拠はないが…。

最後に、言葉の使い方で1つ指摘したい。記事の最初の方で、辻本論説委員は「残念ながら、道はまだ途上だ」と書いていた。「途上」には「道の上」という意味もあるので「道はまだ途上」にはダブり感がある。「残念ながら、まだ途上だ」「残念ながら、まだ道半ばだ」などとした方がよいだろう。


※記事も辻本浩子論説委員も評価はD(問題あり)とする。

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