2021年3月31日水曜日

東洋経済オンライン「厚労省官僚『銀座で0時頃まで23人宴会』のあぜん」に感じた後味の悪さ

3月29日付の東洋経済オンラインに田島靖久記者が書いた「厚労省官僚『銀座で0時頃まで23人宴会』のあぜん~時短要請の21時を過ぎても帰らず、店に残り」という記事には何とも言えない後味の悪さが残った。特ダネなのかもしれない。だが、経済メディアである東洋経済の記者が“自粛警察”として出動したことを素直には喜べない。

夕暮れ時の筑後川

記事には何枚もの「宴会」の写真が付いていて「撮影:藤原 宏成」と書いてある。記事の書き方から推測すると「宴会」が開かれることを聞き付けた田島記者がカメラマンを伴って店内に入ったのだろう。「宴会」の様子をずっと観察し、こっそり撮影させ、記事にする。その一連の行動を称賛する気持ちにはなれない。

宴会」は明確なルール違反でもないようだ。記事の当該部分を見ていこう。

【東洋経済オンラインの記事】

法制度で公に定められていないとしても、社会的責任を鑑みて内規の整備や通達がなされている組織は少なくない。こうした取り決めがコロナ対策の総本山である厚労省にはないということなのか。

厚労省は、「大臣官房人事課から各部局に対し、業務後の大人数での会食や飲み会を避けるよう指示している」とするとともに、政府が2020年3月28日に発表した「感染リスクが高まる5つの場面」に該当するような行動は避けるよう指示しているという。次の5場面だ。

①飲食を伴う懇親会等

②大人数や長時間におよぶ飲食

③マスクなしでの会話

④狭い空間での共同生活

⑤居場所の切り替わり

今回はこの「5つの場面」のうち、「①飲食を伴う懇親会等」「②大人数や長時間におよぶ飲食」「③マスクなしでの会話」という3つに該当。特に、②の中で感染リスクが高まる事例として上げられている「5人以上の飲食」についても完全にアウトだ。

こうした事態について厚労省は、「今回の会食は指示の趣旨に反するものであり、再発防止のため改めて指示をし、全職員の認識を徹底することとする」とコメントする。  


◎「好ましくない」との結論は導けるが…

上記の説明から、今回の「宴会」が好ましくないとの結論は導けるだろう。しかしあくまで「避けるよう指示」であり禁止ではない。新型コロナウイルス問題では小さなリスクを大きく捉え過ぎていると見る自分としては、今回の「宴会」に大きな問題を感じない。むしろ、報道の方に相互監視社会的な息苦しさを感じる。

自粛警察支持派から見れば田島記者は立派に役割を果たしているのだろう。報道を正面切って批判するのは難しい。それでも後味の悪さは消えない。

一読者として東洋経済に求めているのは、こんな記事ではないとは伝えておきたい。


※今回取り上げた記事「厚労省官僚『銀座で0時頃まで23人宴会』のあぜん~時短要請の21時を過ぎても帰らず、店に残り

https://toyokeizai.net/articles/-/419884


※記事への評価は見送る

2021年3月30日火曜日

出色の出来! 日経 高井宏章編集委員「一目均衡~日銀、自縄自縛のETF買い」

日本経済新聞の編集委員で評価できる書き手はわずかしかいない。その中に加えてもいいのではと思えたのが高井宏章編集委員だ。30日の朝刊 投資情報面に載った「一目均衡~日銀、自縄自縛のETF買い」という記事は出色の出来。全文を見た上で具体的に論評したい。

夕暮れ時の筑後川

【日経の記事】

予想通り、それは「点検」ではなく「同義語反復」に終わった。19日に日銀が公表した政策再点検の資料でETF(上場投資信託)買い入れの「効果」として調べたのは、煎じ詰めれば、超短期のマーケットインパクトだった。「効果あり」なのは明白で、検証は「株価を短期的に下支えした」という事実を言い換えたにすぎない。

「株式市場のリスクプレミアムへの働きかけ」で問われるべきは、企業や投資家の行動にどんな長期的変化をもたらし、経済成長率や物価にどう影響したかだろう。

だが、そんなことは検証できるはずもない

株式の投資家はリスクテークの見返りに国債などと比べて高めのリターンを求める。この「上乗せ要求分」がリスクプレミアムだ。株価の予測が不可能なのだから、リスクプレミアムを何%と見積もるべきか、「正解」は誰にも分からない。それでも不確かな未来に賭ける試みの積み重ねが「見えざる手」を生むのが株式市場の神髄だ。リスクプレミアムは、安易に「働きかけ」の対象に置けるような代物ではない。

日銀自身の再点検と時を同じくして、ベテラン投資家の東京海上アセットマネジメントの平山賢一氏が手厳しい検証を試みている。近著『日銀ETF問題』の執筆動機は「株式市場に携わる者としての違和感と怒り」と語る。

戦中・戦後の株式市場への国家介入と現状を比較する同書は、問題点を指摘しつつ、軟着陸の出口戦略を提案する。平山氏は「市場のダイナミズムが操作可能な対象だと考えたのは傲慢のそしりを免れない」と話す。

資本市場に対する敬意の欠如は、米国と比較するとより鮮明になる。

米国の場合、「株価も長期金利も市場が決めるもの」という姿勢は揺らいでいない。昨年12月、米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は株価急騰に関連してリスクプレミアムに言及した。超低金利という環境に適合しようと株式市場自身が、リスクプレミアムの均衡点を探っている最中だという趣旨で市場の主体性を重んじる内容だった。

日本の現状を平山氏は「情報や知見ではなく『時代の空気』に左右される政策決定や、経済を公的管理下に置きたがる発想は、戦前・戦中と似通う」と指摘する。

ある市場関係者は「この10年、株価を決めてきたのは結局、企業業績だ」と分析した上で、「一方、日銀が『出口』を語れば株価が急落しかねない。効果は乏しいのに惰性でツケだけ膨らみつづける最悪の政策」と一刀両断する。

自縄自縛で「出口」は見えず、日銀は深い泥沼に足をとられている。19日の金融政策決定会合の会見で黒田東彦総裁はETF買いについて「減らす意図はない。今後も十分な量を買うために持続性、機動性を増した」と強調した。

最後に投資家ウォーレン・バフェット氏の言葉を紹介しておこう。

やる価値のないことなら、うまくやる価値もない


◎ここまで書けるとは…

高井編集委員の記事は編集委員になる前から読んできた。それほど良い印象はない。突然、覚醒したのだろうか。驚きを禁じ得ない。

書き手としての基礎的な能力があるとの前提で言えば、コラムの担い手にとって最も重要なのは健全な批判精神だ。この記事にはそれが溢れている。

ただの悪口では「健全」とは言えない。根拠を示して冷静に説得力のある批判を組み立てなければならない。高井編集委員にはその力があると、この記事から伝わってくる。

『株式市場のリスクプレミアムへの働きかけ』で問われるべきは、企業や投資家の行動にどんな長期的変化をもたらし、経済成長率や物価にどう影響したかだろう。だが、そんなことは検証できるはずもない」という指摘はその通りだ。

高井編集委員は「日銀」と「黒田東彦総裁」への厳しい見方を隠さない。コメントを使ってはいるが「効果は乏しいのに惰性でツケだけ膨らみつづける最悪の政策」との評価は高井編集委員も同じだろう。

やる価値のないことなら、うまくやる価値もない」という締めも美しい。ふらつきのない見事な着地だ。日銀による「ETF買い」の本質を上手く言い当てている。

最後に「出口」について触れておきたい。個人的には、市場を通じた早期売却でいいと感じる。「日銀が『出口』を語れば株価が急落しかねない」のはそうだ。しかし、結局は適正水準に戻ってくると見ている。「この10年、株価を決めてきたのは結局、企業業績」というコメントが記事にもある。

業績や財務内容から考えて明らかに割安な水準にまで下がった銘柄については、値ごろ買いが入ると見るのが自然だ。需給は短期的には株価を大きく左右するが、中長期的に見れば株価は企業の業績や財務内容に連動する。

不確かな未来に賭ける試みの積み重ねが『見えざる手』を生むのが株式市場の神髄」だとしたら、その「神髄」を信じて早期売却に賭けたい。それが「日銀ETF問題」に「違和感と怒り」を持つ者の1人である自分の考えだ。

高井編集委員には、今後の記事で「出口」のあるべき方策を語ってほしい。


※今回取り上げた記事「一目均衡~日銀、自縄自縛のETF買い

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210330&ng=DGKKZO70458030Z20C21A3DTA000


※記事の評価はB(優れている)。高井宏章編集委員への評価は暫定D(問題あり)から暫定Bに引き上げる。高井編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

問題あり 日経 高井宏章編集委員の「一目均衡~『強制MMT』で黙るカナリア」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/mmt.html

2021年3月29日月曜日

グローバルダイニングの件で「狙い撃ち」問題を論じない日経ビジネス庄司容子記者

日経ビジネス3月29日号に庄司容子記者が書いた「外食、時短拒否店に来客集中~2%の大にぎわいが呼ぶ波紋」という記事には不満が残った。肝心なことを論じていないからだ。最初の段落から見ていこう。

筑後平野と耳納連山

【日経の記事】

2度目の緊急事態宣言下、深夜営業を続けたグローバルダイニング。客が集中して2月は大幅増収となった。だが、東京都が3月18日、同社に対し午後8時に閉店するよう命令を出し、時短営業を余儀なくされた。長谷川耕造社長は「狙い撃ちされた」と都を提訴した。苦境にある外食の深夜営業は是なのか非なのか。


◎問題は「狙い撃ち」では?

今回の「提訴」で最も焦点になるのは「狙い撃ち」の是非だろう。なのに庄司記者はこの問題を全く論じていない。しかも「狙い撃ち」ではないかのような書き方をしている。

【日経ビジネスの記事】

都の目視調査によると1月18日から3月18日にかけて、都内で午後8時以降に営業する飲食店は調査対象の2%に当たる2251店にとどまった。居酒屋「博多劇場」を運営する一家ダイニングプロジェクトは再発令後、都内の店で通常営業を続けていたが、都が大手にも協力金を支払うと決めたため時短や休業に転じた。外出自粛が叫ばれていても利用者に罰則があるわけではなく、少数派となった「時短拒否店」に長谷川氏の言う通り客が集中。東京・渋谷などでチェーン展開するラーメン店は連日未明まで客足が絶えず、深夜に行列ができていた。

特需で潤った2%の飲食店の中でグローバルダイニングのように時短拒否を大っぴらに訴えている企業はほとんどない。その同社に対し東京都は緊急事態宣言が解除される直前の3月18日、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、「正当な理由なく午後8時以降に営業した」などとして深夜営業の停止を命令した。拒否すれば30万円以下の過料という罰則がある。

これを受け、グローバルダイニングは同日から21日まで、都内の全店舗を午後8時までの営業に変更。だが同社は命令が「営業の自由を侵害し違憲で、違法だ」として22日、損害賠償を求めて東京地裁に都を提訴した。訴訟の目的はお金ではないとの理由から、損害賠償請求額は104円としている。

長谷川氏は1月、「20時までの営業では事業の維持、雇用の維持は無理」と訴えていた。苦しい内情を吐露したうえでの時短破りに理解を示す一部の世論もあった。

ただ、ルールを破ったもの勝ちと受け取られかねない2月の大もうけは想定外だったという。そこに小池百合子都知事が例外は認めないとの意思を示した格好。緊急事態宣言は解除され、営業時間の短縮要請は午後9時までに緩和された。それでもウイルス感染が収まったわけではない。いさかいに終始するよりも、時短に協力できる環境づくりに両者が知恵を絞るべきだろう


◎「例外は認めないとの意思を示した」?

深夜営業の停止を命令した」ことを「小池百合子都知事が例外は認めないとの意思を示した格好」と庄司記者は書いている。「時短拒否店」の全てに命令を出したのならば分かる。しかし朝日新聞の報道によると「都は18日、営業を午後8時までとする緊急事態宣言下で要請に応じていない飲食店27店に、特措法45条に基づく時短営業命令を出した」ものの「うち26店がグローバルダイニング系の飲食店だった」らしい。

都の命令が「狙い撃ち」に当たるのか。当たるとすれば、それは正当なのか。そこを論じないで、この問題を取り上げて意味があるのか。

なのに「いさかいに終始するよりも、時短に協力できる環境づくりに両者が知恵を絞るべきだろう」で記事を締めてしまう。どちらに分があると庄司記者が見ているのかは明示してほしかった。「小池百合子都知事が例外は認めないとの意思を示した格好」との記述から都寄りの立場だと推測はできる。

それはそれでいい。その場合、「狙い撃ち」ではない、あるいは「狙い撃ち」でも問題はないと見ているはずだ。なぜそう判断したのか。そこが肝だ。


※今回取り上げた記事「外食、時短拒否店に来客集中~2%の大にぎわいが呼ぶ波紋」https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/00981/


※記事の評価はD(問題あり)。庄司容子記者への評価もDを維持する。庄司記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。


33%出資の三菱製紙は「連結対象外」? 日経ビジネスに問う
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/02/33.html

「33%出資は連結対象外」に関する日経ビジネスの回答
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/02/33_21.html

「小林製薬=一発屋」と誤解させる日経ビジネス庄司容子記者
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/09/blog-post.html

2021年3月28日日曜日

男女一緒の競技は「平等であっても公平ではない」? 東洋経済「少数異見」への異論

週刊東洋経済4月3日号に載った「少数異見~スポーツにおけるジェンダー平等を考える」という記事は興味深かった。「男女」が「一緒に競技」した場合に「上位は男性ばかり」になってしまうことを「平等」と見ている点は評価したい。しかし、それ以外では引っかる部分もあった。記事の一部を見ていこう。

室見川

【東洋経済の記事】

表面的な区別撤廃では問題が解決しない領域もある。スポーツの世界だ。

男女別で競技が行われており、それが社会的にも認められている。当たり前だが、男女が生物学的にまったく等しいわけではないからだ。とくに、一般的には、体格や筋肉の量については男性が女性よりも勝っている。これは生物としてのヒトの特性である。

これを男女平等だといって、一緒に競技をすれば、(少なくともトップレベルでは)上位は男性ばかりになってしまう。それでは平等であっても公平ではない


◎「公平」でもあるような…

男女平等だといって、一緒に競技をすれば、(少なくともトップレベルでは)上位は男性ばかりになってしまう。それでは平等であっても公平ではない」と筆者の彩雲氏は言う。本当に「公平」ではないのか。「公平」とは「すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま」(デジタル大辞泉)だ。

例えばオリンピックで100メートル走の金メダルを「人種、国籍、年齢、性別などにかかわらず人類で最も速く100メートルを走れた選手」に贈るとしよう。この場合、人類に関しては「すべてのものを同じように扱うこと」ができているはずだ。男女別にした方がむしろ「判断や処理」に偏りが生まれる。

男女平等」の原則を徹底させれば「スポーツの世界」でも「一緒に競技」をして勝敗を決めることになる。男女平等主義者の自分としては、その方がスッキリする。F1方式と言ってもいい。女子F1はないし、少数ながら女性ドライバーがF1レースに参加した歴史もある。男女に関して言えば、不平等でも不公平でもない。

男女別で競技」することを完全に否定はしないが、その場合は「男女平等」の原則から外れるという認識は共有されていい。

記事中の「男女が生物学的にまったく等しいわけではないから」という説明も謎だ。そもそも人は同性であってもそれぞれが「まったく等しいわけではない」。「生物学的にまったく等しい」というのが「完全に同一種」という意味ならば「男女」はいずれも同じ人類だ。


※今回取り上げた記事「少数異見~スポーツにおけるジェンダー平等を考える」https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26553


※記事の評価はC(平均的)

2021年3月26日金曜日

「30分」は本当に凄い? 日経1面「損保ジャパン、医療保険金30分で」の苦しさ

1面にニュース記事を持ってくるならば、ふさわしいネタをきちんと書いてほしい。26日の日本経済新聞朝刊1面に載った「損保ジャパン、医療保険金30分で~実費入金」という記事は、その条件を満たしていない。

耳納連山に沈む夕陽

全文は以下の通り。

【日経の記事】

損害保険ジャパンは6月、入院費の実費を最短30分程度で受け取れる医療保険を売り出す。実際の損害に応じて保険金を出す損保のノウハウを活用する。利用者の手続きはスマートフォンで完結する。デジタル化でコストを抑え、保険料は30歳代で月2千円程度と業界で一般的な4千~5千円前後より安くする

医療保険は入院日数に応じて決まった保険金を出す定額払いが主流だ。医療費の高額化などで、日額いくらの保険に加入すれば十分かがわかりにくくなっている。損保ジャパンは実費払いで不安解消を狙う。限度額は月50万円で、必要な範囲の補償に絞ることで保険料を抑える。病院が発行する領収書の診療報酬点数に連動し保険金を払う。


◎どこが新しい?

損害保険ジャパンは6月、入院費の実費を最短30分程度で受け取れる医療保険を売り出す」という冒頭の書き方から判断すれば「最短30分」が話の柱になるはずだ。しかし「最短30分」の凄さをなぜか説明していない。例えば「他社では10時間以上かかる」といった記述があれば「最短30分」は画期的だと分かる(30分で受け取れることに意味があるのかとは思うが、ここでは置いておく)。

実費払い」の「医療保険」だとも記事では強調している。これは他社にもあるのでニュース性は乏しい。なのに「保険料は30歳代で月2千円程度と業界で一般的な4千~5千円前後より安くする」と書くのは感心しない。断定はできないが「定額払い」との比較だろう。安さに触れるならば「実費払い」の「医療保険」同士で比べるべきだ。

高額療養費制度があるので、民間の「医療保険」はほとんどの人にとって要らない商品だ。前向きに紹介するのは好ましくない。どうしても1面のニュース記事にするならば、かなり画期的でないと苦しい。

なのに今回は新規性が乏しそうな商品を好意的に取り上げている。業界の回し者的な記者が書いた記事と見るべきだろう。


※今回取り上げた記事「損保ジャパン、医療保険金30分で~実費入金」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210326&ng=DGKKZO70350700W1A320C2MM8000


※記事の評価はE(大いに問題あり)

2021年3月25日木曜日

週刊ダイヤモンド「激突座談会」での小幡績 慶大准教授のおかしな発言

週刊ダイヤモンド3月27日号に載った「激突座談会~日本と米国の株高はバブルか?」という記事はツッコミどころが多い。「強気派のリーダー格、松本大・マネックスグループCEOと弱気派・バブル崩壊派の旗頭である小幡績・慶應義塾大学大学院准教授が、モデレータを務める経済評論家の山崎元氏を挟んで激突する」という内容だ。「座談会」では特に小幡氏のおかしな発言が目立った。

筑後川と耳納連山

具体的に見ていこう。

【小幡氏の発言】

私は今の株高は明らかにバブルで、しかも最終局面に近いと思っています。その理由は単純で、株価水準とか数字は関係ない。

これは私独自の定義なんですが、投資家が他人の投資行動に基づいて自分の投資を決めている状態にあって、しかも大多数の投資家がそうであり、かつ買っている場合、これがバブルです。

だから買いが続けば、バブルは続きます。もう3万円だろうが関係なく上がる。みんなが買っているから買う。他の人が儲かっているのに自分が儲からないのは嫌だから買うし、最後まで乗って人よりも儲けたいから買う。


◎説明になってないような…

理由は単純」と言うが「最終局面に近い」と見る「理由」に言及していない。

明らかにバブル」という判断にも疑問が湧く。「投資家が他人の投資行動に基づいて自分の投資を決めている」かどうかを小幡氏はどうやって確認しているのか。「大多数の投資家がそう」かどうかを確認するのは非常に難しい。聞き取り調査をしても「他の投資家が買っているから自分も買っている」と答える人が「大多数」になるとは考えにくい。本音の部分では他者追随であっても、それを正直には申告しない人が多そうだ。

そもそも「みんなが買っている」状況は基本的にあり得ない。売買が成立している時には必ず売り手がいる。株価が上がり続けているからと言って「みんなが買っている」のではない。必ず売っている投資家がいる。

バブルに関する小幡氏の発言をさらに見ていこう。

【小幡氏の発言】

僕はやっぱりバブルだと思っているから、真面目な読者に勧める戦略としては2つあります。

1つ目の戦略は、投資対象を全て流動性の高い大型優良株にしておくこと。流動性のあるものは、本当にバブルが崩壊したと自分が思って、そこから売っても間に合うんです。ちょっと売りのタイミングが遅れただけで、売れなくなることはないですから。

バブルのプロセスの最後には上昇があるので、ギリギリまで身構えていてヤバいと思ったら手放す。もう1つは流動性のないものは上がらないし下がりもしないので、やはり自分が好きで供給が限られていて増えないものを持っておく。


◎「流動性のないものは上がらないし下がりもしない」?

まず「流動性のないものは上がらないし下がりもしない」という説明が謎だ。「流動性のないもの」は想定しにくいので、ここでは「流動性の非常に低いもの」と仮定しよう。例えば昭和の時代の旧車でどうか。「供給が限られていて増えないもの」とは言える。しかし価格は上がりもするし下がりもする。

ここで言う価格とは評価額のことだ。「流動性」が低くて売買が成立していなくても評価額は変動する。1年前に1000万円で入手した旧車に対して100万円の買い注文しかない状況になっていても不思議ではない。

大型優良株」の話は小幡氏のもう1つの発言を見てから考えたい。


【小幡氏の発言】

僕は今年、バブルが崩壊すると言っている。そんなすぐに結果が出て、外れが明確で、皆に非難される可能性のあることを断言する人間は僕ぐらいでしょうが、今年21年中にはじける。なぜかといえば、上がり過ぎたから。上がるスピードが速過ぎました

株価は乱高下しながら、例えば新々コロナの出現など何らかのショックで明らかに下がっていくと思う。もう1つ、米国債利回りの上昇で株価が下がったように、何の理由もないのに暴落する可能性もあります。


◎バブル崩壊の基準は?

小幡氏は「外れが明確」と言うが、そうは思えない。「バブルが崩壊」したかどうかの基準を示していないからだ。例えば日経平均が年末に2万7000円になるとしよう。この場合「バブルが崩壊」したと言えるのか。何とも判断しにくい。

投資家が他人の投資行動に基づいて自分の投資を決めている状態にあって、しかも大多数の投資家がそうであり、かつ買っている場合、これがバブル」と言うのが小幡氏の考えだ。これだと株価が上がった場合でも「投資家が他人の投資行動に基づいて自分の投資を決めている状態」が解消されたから「バブル」は「崩壊」したとの弁明が成り立つ。やはり「外れが明確」には程遠い。

今年21年中にはじける。なぜかといえば、上がり過ぎたから」という説明も雑だ。「スピード」はどのぐらいになると「上がり過ぎ」なのかが分からない。また一定の「スピード」を超えた場合に「バブルが崩壊」するとしても、それがなぜ「今年21年中」なのかも説明していない。

今年21年中」に「バブルが崩壊」のならば、もう時間がない。本当にそう思えるのならば「大型優良株」は早めに売却した方が良さそうだが小幡氏の考えは違う。

本当にバブルが崩壊したと自分が思って、そこから売っても間に合う」と小幡氏は言う。「間に合う」とはどういうことか。例えば日経平均が2万円を割って初めて「バブルが崩壊」したと感じる人でも「ちょっと売りのタイミングが遅れただけ」で済むのか。

バブルが崩壊」する時には「株価は乱高下しながら」水準を切り下げていくと小幡氏は見ている。だとしたら「本当にバブルが崩壊した」かどうかの判断はかなり難しい。小幡氏の助言に有用性は感じられない。

結論としては「バブル崩壊に関する小幡氏の発言を参考にするな」でいいだろう。


※今回取り上げた記事「激突座談会~日本と米国の株高はバブルか?


※記事の評価は見送る。小幡績氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

小幡績 慶大准教授の市場理解度に不安を感じる東洋経済オンラインの記事https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/03/blog-post_18.html

「確実に財政破綻は起きる」との主張に無理がある小幡績 慶大准教授の「アフターバブル」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post.html

やはり市場理解度に問題あり 小幡績 慶大准教授「アフターバブル」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post_4.html

2021年3月24日水曜日

完成度の低さが気になる日経 田中暁人論説委員「中外時評~アジア発ユニコーンの真価」

24日の日本経済新聞朝刊オピニオン面に田中暁人論説委員が書いた「中外時評~アジア発ユニコーンの真価」という記事は完成度が低かった。論説委員ならば若手記者の手本となるような記事に仕上げてほしい。具体的に問題点を指摘してみる。

大丸下関店

【日経の記事】  

とはいえ、こうしたスタートアップを本家になぞらえるのは時期尚早だ。クーパンの20年12月期のフリーキャッシュフロー(純現金収支)は1億8千万ドル以上の赤字。設立から10年以上にもかかわらず、ソフトバンクグループ(SBG)傘下のビジョン・ファンドなどから調達した資金を食い潰している。同期間のフリーキャッシュフローが300億ドル以上の黒字だったアマゾンとの差は歴然としている。

アジア発のユニコーンにとって今後の最大の課題は、世界のベンチャーキャピタル(VC)がばらまいた投資マネーに依存する体質からの早期脱却だ。クーパンの成長に触発されるように、アマゾンは韓国通信大手のSKテレコム傘下のネット通販会社と提携する形で同国への参入をうかがう。利益を伴う成長に転換できなければ、期待先行で買われた株価がはがれ落ち、経営が行き詰まる懸念もある


◎なぜフリーキャッシュフローで見る?

韓国ネット通販大手」の「クーパン」について「20年12月期のフリーキャッシュフロー(純現金収支)は1億8千万ドル以上の赤字」と書いた上で「ビジョン・ファンドなどから調達した資金を食い潰している」と解説している。

フリーキャッシュフロー」の赤字は、それほど問題がない。きちんと利益を計上していても、多額の設備投資などをしていれば赤字になり得る。「利益を伴う成長に転換できなければ」と田中論説委員は書いているが「フリーキャッシュフロー」が赤字の企業でも「利益を伴う成長」を実現している場合はある。「クーパン」が「利益を伴う成長」になっていないと伝えたいのならば営業損益などを用いた方が良いだろう。

こうしたスタートアップを本家になぞらえるのは時期尚早だ」という説明も引っかかる。「同期間のフリーキャッシュフローが300億ドル以上の黒字だったアマゾンとの差は歴然としている」と田中論説委員は言うが「同期間」(解釈に迷う面はあるが「20年12月期」だろう)で比べて意味があるのか。

アマゾン」も設立当初は赤字続きだった。設立からの年数で今の「クーパン」と同じ時期の業績がどうだったのかが知りたい。「本家になぞらえる」のが適当かどうかは、そこで判断すべきだ。

記事の終盤も見ておこう。


【日経の記事】

それでも、グーグルやアマゾンといった「GAFA」の影響力がデジタル経済の隅々にまで広がり、市場寡占の懸念が世界規模で強まるなか、これらに対抗する可能性があるスタートアップが一段の成長のために上場を目指すのは望ましい潮流といえよう。

日本でもヤフーを傘下に持つZホールディングスとLINEが経営統合し、楽天が日本郵政などと資本提携するなど「GAFA対抗」の再編が続く。ただ、こうした動きが老舗ネット企業にとどまっているだけでは心もとない。

米CBインサイツによると日本のユニコーンは4社で、韓国(10社)の半分に満たない。ユニコーン上場を機に世界の投資家による玉石混交の見極めが始まるなか、日本ではその「石」を探すことすら難しい。

GAFAに挑む気概を持つ起業家と、それに応える太い流れのリスクマネーが日本にも必要だ。足踏みを続ければ米中の遠い背中はおろか、アジア全体の競争からも遅れかねない


◎色々とツッコミどころが…

まず「米中の遠い背中はおろか、アジア全体の競争からも遅れかねない」という文が気になった。「AはおろかBからも~」という表現の使い方が上手くない。「遠い背中から遅れる」とはあまり言わない。「米中の背中がさらに遠のくだけでなく、アジア全体の競争からも遅れかねない」などとした方が自然ではないか。

ユニコーン上場を機に世界の投資家による玉石混交の見極めが始まる」との解説も謎だ。「玉石混交の見極め」は常にある。「ユニコーン」になる過程でも、なってからも「世界の投資家」の「見極め」を経なければ資金調達はできない。これまで「玉石混交の見極め」がなかったと田中論説委員が見ているのならば少し怖い。

上場企業としての「玉石混交の見極め」と言いたいのかもしれないが「ユニコーン」の上場自体も珍しくない。日本発の「ユニコーン」だったメルカリが上場したのは3年前だ。

最後に記事の結論部分に注文を付けたい。

GAFAに挑む気概を持つ起業家と、それに応える太い流れのリスクマネーが日本にも必要だ」と訴えたいのならば、そのためには何をすべきか論じてほしかった。記事にはそれが全くない。

そもそも「GAFAに挑む気概を持つ起業家」が乏しいのか怪しい。「日本のユニコーンは4社で、韓国(10社)の半分に満たない」ことを根拠にしているようだが、「GAFAに挑む気概を持つ起業家」の多寡は「ユニコーン」の社数では測れない。評価額が低くても「気概」は持てる。

ユニコーン」の社数をベースに「スタートアップ」を語るのは基本的に危うい。企業評価額10億ドル以上の「スタートアップ」の数を比べるのならば、まだ分かる。しかし「ユニコーン」とは評価額10億ドル以上の「未公開企業」だ。

韓国の「10社」のうち例えば6社が上場すると「ユニコーン」は日本と同じ4社になる。だからと言って「韓国もGAFAに挑む気概を持つ起業家が日本並みに少なくなってしまった」などとは語れないはずだ。

その辺りを田中論説委員には考えてほしかった。


※今回取り上げた記事「中外時評~アジア発ユニコーンの真価」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210324&ng=DGKKZO70251750T20C21A3TCR000


※記事の評価はD(問題あり)。田中暁人論説委員への評価は暫定C(平均的)から暫定Dに引き下げる。

2021年3月23日火曜日

日経朝刊1面「東芝、不審ドローン捕獲事業」にwhenが抜けた理由

日本経済新聞の企業ニュース記事には5W1Hの1つである「when(いつ)」が抜けがちだ。23日の朝刊1面に載った「東芝、不審ドローン捕獲事業~米新興に出資」という記事でも「不審ドローン捕獲事業」へ「参入する」時期に触れていない。

錦帯橋

全文は以下の通り。

【日経の記事】

東芝は不審ドローン(小型無人機)を、ドローンで撃退するサービスに参入する。機体を自動で追尾し捕獲する技術を持つ米スタートアップに出資した。機体から出る電波を検知する東芝の技術と組み合わせ、空港や原子力発電所などでの利用を見込む。石油施設が攻撃されるなど海外ではドローンを使った破壊工作やテロが相次いでおり国内外のセキュリティー需要の高まりに対応する。

東芝子会社の東芝インフラシステムズが、米フォーテム・テクノロジーズ社(ユタ州)に1500万ドル(約16億円)出資した。出資比率は不明だが、同社は不審ドローン対策の製品・システム専業で、捕獲用ドローンに強みを持つ。不審機体を自動追尾してネットを放出してとらえ、安全な場所に移送する。両社の技術を組み合わせ、撃退システムを提供していく

東芝は不審ドローン対策システムの世界市場が20年度の数百億円規模から、30年度までに3000億円超に膨らむとみる。政府施設やスポーツ観戦のスタジアムなどでの需要も見込む。これまでスタートアップが中心だったこの分野にインフラの保守管理も手がける東芝のような大企業が参入することで市場が拡大する可能性がある。


◎「参入した」では?

東芝は不審ドローン(小型無人機)を、ドローンで撃退するサービスに参入する」と冒頭で書いているので「まだ参入していない」と取れる。では何を以って「参入」と見なすのだろう。今回の記事では「機体を自動で追尾し捕獲する技術を持つ米スタートアップに出資した」ことが「参入」に当たると読み取るのが自然だ。となると既に「出資した」のだから、「参入する」ではなく「参入した」と書くべきだ。

両社の技術を組み合わせ、撃退システムを提供していく」とも書いているので「撃退システム」の販売開始を以って「参入」と見なせるかもしれない(やや無理はある)。この場合も「参入」時期は分からない。

日経のニュース記事で「when」が抜けるケースは、うっかり型と確信犯型に分けられる。今回は後者だろう。「参入した」と過去形では1面に持ってくるには苦しい。そこで「参入する」と冒頭で打ち出し「参入」時期には触れなかったのではないか。

そもそも「出資した」ことを以って「参入」と見なせるかも疑問だ。子会社化したのならば「参入」でいい。だが「出資比率は不明」だ。

となると、どういう関係で事業を進めていくかが重要になる。そこは「両社の技術を組み合わせ、撃退システムを提供していく」としか書いていない。例えば東芝が5%出資と多少の技術供与をした上で「米フォーテム・テクノロジーズ社」が「撃退システムを提供していく」という話ならば「東芝は不審ドローン(小型無人機)を、ドローンで撃退するサービスに参入」とは感じられない。

東芝子会社の東芝インフラシステムズが、米フォーテム・テクノロジーズ社(ユタ州)に1500万ドル(約16億円)出資した」という話を大きく見せるために無理をした印象が今回の記事には拭えない。


※今回取り上げた記事「東芝、不審ドローン捕獲事業~米新興に出資」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210323&ng=DGKKZO70230140T20C21A3MM8000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年3月22日月曜日

高野利実がん研有明病院乳腺内科部長の「がん放置」否定論に感じるズルさ

「固形がん治療に抗がん剤を使うべきではない」と訴える医師の近藤誠氏に対する否定論は基本的に説得力がない。反論の材料が乏しいのだろう。遠回しに否定してくるものが目立つ。17日付で読売新聞の医療・健康・介護サイト「ヨミドクター」に載った「Dr.高野の『腫瘍内科医になんでも聞いてみよう』~抗がん剤は絶対に使いたくありません。『がん放置療法』でいいですか」という記事もそうだ。

夕暮れ時の筑後川

中身を見ながら問題点を指摘したい。

【読売新聞の記事】

抗がん剤はつらい副作用を伴うことが多く、世の中にネガティブなイメージも広まっていますので、「できればやらないで済ませたい」と思うのは自然なことです。

医師の近藤誠さんは、手術や抗がん剤などの積極的治療を受けないで、がんを放置する「がん放置療法」を勧めています。「抗がん剤はやらなくてよい」とわかりやすく説明してくれる近藤さんの文章は、多くのがん患者さんの心にしみ込み、実際に、「抗がん剤は絶対にやらない」とおっしゃる患者さんは増えているように思います。

抗がん剤によって期待される効果と、予測される副作用を十分に理解して、それでも抗がん剤をやらないという選択をするのであれば、その判断は尊重されるべきです。ただ、中には、深く考えることなく、最初から「抗がん剤はやらない」と決めてしまっているような方もおられます。「抗がん剤なんて命を縮めるだけ」「この本には、絶対にやってはいけないと書いてある」と言って、医師の話を聞いてくれないこともあります。

これまでも何度か書いたように、抗がん剤というのは、数ある道具の中の一つにすぎません。それが役に立つのかどうかは、それを使う目的、場面、考え方によって違ってきます。ある道具が、自分にとってプラスになると思えるなら使えばよいし、マイナスの方が大きいと思うなら使わなければよく、それは、その時々でよく考えながら決めていくものです。

単なる道具である抗がん剤について、「絶対に使ってはいけない」とか、「絶対に使うべき」というように、一般論で論争すること自体、不毛なものです。この論争では、一人ひとりの患者さんの状況や、治療を行う目的が度外視されています。その道具がダメなものなのか、素晴らしいものなのかは、書籍や雑誌で言い争うものではなく、診察室で、状況に応じて判断されるべきものです


◎議論を否定するとは…

その道具(抗がん剤)がダメなものなのか、素晴らしいものなのかは、書籍や雑誌で言い争うものではなく、診察室で、状況に応じて判断されるべきものです」という主張は酷い。「抗がん剤」を治療に用いるかどうかは第一にエビデンスに基づいて決めるべきだ。そこをベースに使用の可否を「診察室で、状況に応じて判断」すべきだ。エビデンスに関する議論自体を否定してどうする。

抗がん剤使用群と放置群に分けてランダム化比較試験を行い、使用群の死亡率が明らかに低ければ「素晴らしいもの」との見方に同意できる。そうしたエビデンスなしに「診察室で、状況に応じて判断」していいのか。

しかし、がん研有明病院乳腺内科部長の高野利実氏は「一般論で論争すること自体、不毛」と議論自体を否定する。「エビデンスがない」という批判に対し「論争しても意味がない。抗がん剤がダメかどうかは現場に任せておけ。外野は口を出すな」と返しているようなものだ。こういう医師には絶対に診てもらいたくない。

続きを見ていこう。


【読売新聞の記事】

まず考えるべきは、「何のためにその道具を使うのか」「自分にとって大切なものは何か」「これからどのように過ごしていきたいか」という『治療目標』です。一つひとつの道具のプラス面とマイナス面を予測して、マイナスよりもプラスが上回る可能性が高い、すなわち、より目標に近づける道具があれば、それを選ぶことになります

◎議論を封じたはずだが…

「固形がんに抗がん剤は使うべきではない。使用が長生きにつながるエビデンスがない」といった批判があっても「一般論で論争すること自体、不毛」だと言うのが高野氏の考えのはずだ。であれば抗がん剤の「プラス面とマイナス面」をどうやって判断するのか。

エビデンスを重視する場合、「一般論で論争すること」に意味が出てくる。「エビデンスがない」との批判には「明確なエビデンスがある」と反論して「患者さん」が誤った判断をしないように導ける。

記事を見る限り「抗がん剤が有効とのエビデンスはない」との主張に正面から反論する気が高野氏にはないようだ。となるとエビデンスを重視せず「使うのか」どうかを決めることになる。それで「プラス面とマイナス面」をどうやって「予測」するのか。医師の勘にでも頼るのか。

さらに高野氏のズルさを感じるのが個別事例の使い方だ。そこも見ておこう。

【読売新聞の記事】

静岡県在住のAさん(71)は、2016年1月、66歳のとき、左乳房とわきの下のしこりに気づきましたが、すぐには病院に行きませんでした。1年半後、しこりが大きくなって、左腕のむくみがひどくなったところで、近くの病院を受診し、進行乳がんと診断されましたが、「抗がん剤は受けたくない」と、病院から離れてしまいました。この頃、近藤さんの本をよく読んでいて、その影響を強く受けていたといいます。近藤さんのセカンドオピニオン外来も受診して相談しましたが、「がん放置療法で大丈夫」と言われたそうです。

その後もがんは悪化し、しこりの痛みも強くなり、途方に暮れていたところで、私の書いた本に出会ったそうです。それまで信じていた近藤さんの考え方とは違うのに、すんなりと受け止められたということで、それをきっかけに、18年1月、私の外来を受診されました。検査をしてみると、左乳房のしこりは皮膚や筋肉まで広がり、反対側の乳房や全身のリンパ節、肝臓、骨などにも多数の転移が認められました。

ご本人とよく相談し、症状を和らげて穏やかに過ごしていくことを目標に、それまで毛嫌いしていた抗がん剤を始めたところ、これがよく効いて、しこりもわからなくなり、痛みやむくみなどの症状も改善しました。特別なことをしたわけではなく、標準的な抗がん剤を使用しただけです。抗がん剤は4か月行い、それ以降、現在までの3年間、静岡から東京へ通院して、分子標的治療薬の投与を3週に1回受けています。病気は落ち着いていて、元気に過ごしながら、週2回はプールで楽しく泳いでいるそうです。「がん患者とは思えないって、みんなから言われるのよ。あのまま『がん放置療法』を続けていなくて本当によかった」と、診察のたびにたくさんお話をしてくれます。


◎「Aさん」に近藤氏を否定させるとは…

高野氏は近藤氏の主張を否定したくて仕方がないように見える。しかし反論の材料が乏しい。そこで「静岡県在住のAさん(71)」を登場させたのだろう。「あのまま『がん放置療法』を続けていなくて本当によかった」と「Aさん」に語らせている。この辺りに高野氏のズルさを感じる。

抗がん剤を始めたところ、これがよく効いて、しこりもわからなくなり、痛みやむくみなどの症状も改善しました」と高野氏は言い切っているが、なぜ「よく効いて」と断言できるのか。「抗がん剤を始めた」後に「しこりもわからなくなり、痛みやむくみなどの症状も改善」したとしても、それだけでは因果関係の証明にはならない。他の要因で「改善」した可能性が残る。

仮に「Aさん」には「よく効いて」結果的に正しい選択だったとしよう。だとしても一般化できる訳ではない。「Aさん」型が全体の1%で、大した効果もなく抗がん剤の重い副作用に苦しむ非「Aさん」型が99%だとしよう。事前にどちらの型か分からない場合「標準的な抗がん剤を使用」すべきだろうか。

そうした点が明らかにならないと「プラス面とマイナス面」の判断はできない。なのに高野氏は自分に都合がいい特定の事例を持ち出して「がん放置療法」を否定している。そうでもしないと否定できないと感じているからだろう。

ちなみに近藤氏は「がん放置」を勧めているが、病状が進行した場合は放射線治療などで対応して生活の質を維持することを推奨している。「しこりの痛み」が強くなっても「放置」を続けるのが近藤氏の主張のような書き方をしているが違うのではないか。

標準的な抗がん剤」が使用に値するものならば、明確なエビデンスを示してほしい。結局はそれに尽きる。使用群と放置群に分けたランダム化比較試験の結果が知りたい。そのエビデンスがないのならば「固形がんに抗がん剤を使うべきではない」という近藤氏の主張に軍配を上げたい。


※今回取り上げた記事「Dr.高野の『腫瘍内科医になんでも聞いてみよう』~抗がん剤は絶対に使いたくありません。『がん放置療法』でいいですか」https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20210316-OYTET50008/?catname=column_takano-toshimi


※記事の評価はE(大いに問題あり)

2021年3月21日日曜日

日経ビジネス東昌樹編集長が語る「鈴木修さんの激怒」に見えた日経の問題点

日経ビジネス3月22日号に東昌樹編集長が書いた「編集長の視点~鈴木修さんの激怒やむ 浜松市と静岡市の関係」という記事を読むと、日本経済新聞が報道機関として抱えている問題点が垣間見える。

久留米リサーチパーク

記事の一部を見ていこう。

【日経ビジネスの記事】

スズキ会長の鈴木修さんが6月に経営の第一線から退きます。思い出すのは5年前。スズキとトヨタ自動車の提携のスクープを日経新聞に載せたところ、修さんが激怒。日経懇話会からの退会を通告してこられた時のことです。

懇話会は全国の経営者や識者とつくる組織で、浜松懇話会の顔役はもちろん修さん。辞めていただくわけにはいきません。面会を拒絶されたため、修さん行きつけの料亭で経営者の方々で宴席を開き、別の宴席にいる修さんを呼んで、偶然居合わせた体の私が直談判することに。頃合いを見て女将に修さんを呼んできてくれるよう頼みます。

しかし、戻ってきた女将は「来たくないと言ってます」。どうやら察知されたようです。「もう一回お願いします」「やっぱりダメでした」「もう一回だけ」。次にフスマが開くと無表情の修さんが。私が「静岡懇話会が追い上げてきて浜松の会員数を抜きそうです」と言うと修さんはいつもの笑顔に戻って言いました。「おやおや、それはいけませんね。頑張りましょうか」

多くの修羅場をくぐり抜けた経営者の器と状況を瞬時に把握したうえでの判断の切れはさすがだと感じました。


◎報道機関としてはOK?

スズキ会長の鈴木修さん」に関する思い出話を東編集長は語っている。問題が起きたが、東編集長が見事に解決したらしい。それはそれで立派だ。しかし何も疑問に思わなかったのだろうか。記事からは「こんなのおかしい」と感じた様子が見えない。

日経懇話会」の存在自体は是として話を進めよう。しかし「浜松懇話会の顔役はもちろん修さん。辞めていただくわけにはいきません」というのが解せない。他の人でもいいではないか。なぜ「辞めていただくわけ」にいかないのか。

そういう状況を作ってしまうと日経は「スズキ」に関して自由に報道ができなくなる。そこに問題意識を持ってほしかった。もし「おかしい」と感じていたのならば記事で触れるべきだ。

スズキとトヨタ自動車の提携」というのは悪い話ではない。「修さんが激怒」した理由には言及していないが、先走った報道が気に入らなかったといった類だろう。その程度で「激怒」されて右往左往するメディアであれば、「スズキ」に批判的な記事を書くのは非常に難しくなる。

メディアにとってフリーハンドを持つことは決定的に重要だ。中立であれとは言わない。担当記者が「スズキ」寄りでも批判的でもいい。だが、その立ち位置の決定権はメディア側にあるべきだ。しかし、今回の「編集長の視点」の内容が事実ならば、日経は「修さん」を怒らせると困るメディアだったはずだ。

有力企業に関して「落ちた犬しか叩けない」という傾向が日経にはある。不祥事などを起こして様々なメディアで叩かれる状況になれば、日経も一緒に批判はする。しかし、そうではない有力企業を日経が率先して批判することは稀だ。

東編集長は日経に戻れば出世していくだろう。その暁には「日経懇話会からの退会を通告」されただけで右往左往しなければならない日経の体質にメスを入れてほしい。


※今回取り上げた記事「編集長の視点~鈴木修さんの激怒やむ 浜松市と静岡市の関係」https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00107/00118/


※記事への評価は見送る。東昌樹編集長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

コメントの主は誰? 日経ビジネス 東昌樹編集長に注文
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html

「中間価格帯は捨てる」で日経ビジネス東昌樹編集長に注文
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/08/blog-post_87.html

「怪物ゴーン生んだ」メディアの責任に触れた日経ビジネス東昌樹編集長に期待
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/12/blog-post_3.html

詰め込み過ぎが惜しい日経ビジネス東昌樹編集長の「傍白」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/12/blog-post_17.html

絶賛に値する日経ビジネス東昌樹編集長の「編集長の視点」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_23.html

「スカイマーク佐山会長」のダメさを上手く伝えた日経ビジネス東昌樹編集長https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/05/blog-post_16.html

2021年3月20日土曜日

そもそも「自由貿易」は実現してる? 日経「大機小機~自由貿易死守へ3つの責務」

自由貿易」に関する誤解は多い。「国家が輸出入品の禁止・制限、関税賦課・為替管理・輸出奨励金などの規制、および保護・奨励を加えない貿易」(デジタル大辞泉)という意味での「自由貿易」は基本的に実現していない。なのに「自由貿易を守れ」といった主張をよく目にする。20日の日本経済新聞朝刊マーケット総合2面に載った「大機小機~自由貿易死守へ3つの責務」という記事もそうだ。「自由貿易死守へ3つの責務」という見出しからも、筆者の一礫氏が「自由貿易」は既に実現しているとの前提に立っているのが分かる。

耳納連山

記事には他にもツッコミどころがある。最初の段落から見ていこう。

【日経の記事】

半世紀前、モスクワ経由のフライトでロンドンに赴任した時、Far Eastとはよく言ったものだと思った。日本は、中東を越えて、はるかに遠い極東だった。だが、遠くにありながら、わが国と英国はよく似ている。大陸国家ではなく海洋国家。みずからは資源を持たずとも外国の資源を利用して繁栄。大きな共通点は、外国との貿易が生命線であることだ。


◎北海油田は?

みずからは資源を持たずとも外国の資源を利用して繁栄」したのが「わが国と英国」の共通点だと書いている。北海油田を有する英国を「みずからは資源を持たず」と見なしてよいのか。

続きを見ていこう。


【日経の記事】

自由貿易は、地球環境問題と同じように、世界共通のテーマである。制度としての生存能力もある。「要素価格均等化定理」にあるように、資本や労働や土地などの生産要素は、たとえ国際間で移動できなくても、貿易を自由にしてさえおけば、報酬は国際間で均等化される。


◎「生存能力もある」?

制度としての生存能力もある」と言うが、そもそも「自由貿易」は日本も含めほぼ「生存」していない。「貿易を自由にして」いる状態を一礫氏はどう捉えているのか。関税があったり輸出入の禁止品目があったりしても「自由貿易」なのか。だとしたら「自由貿易」とは何なのか。

半世紀前、モスクワ経由のフライトでロンドンに赴任した」との記述から一礫氏はかなり高齢だと推測できる。年齢で一律に判断するつもりはないが、記事の中身を見ると「大機小機」を任せるのは終わりにした方が良いと思える。


※今回取り上げた記事「国家が輸出入品の禁止・制限、関税賦課・為替管理・輸出奨励金などの規制、および保護・奨励を加えない貿易

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210320&ng=DGKKZO70167850Z10C21A3EN2000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年3月19日金曜日

どの程度「強める」のか書かないと…日経「NEC、管理職の成果主義強める」

19日の日本経済新聞朝刊企業2面に載った「NEC、管理職の成果主義強める~来期からジョブ型後押し」という記事は完成度が低かった。と言うより、この中身で3段見出しを付けて世に出せるのが悪い意味で凄い。全文を見た上で問題点を指摘したい。

【日経の記事】

夕暮れ時の筑後川

NECは2022年3月期から、課長職以上の管理職を対象に成果主義を強めた新しい人事評価制度を導入する。これまで横並びの色合いが濃く報酬に大きな差が生まれにくかった。メリハリのある考課や報酬で仕事への意欲を高める。職務を明確にして働く「ジョブ型」人事制度を一部専門職などで適用しているが、評価制度の見直しで対象を広げる。

全社員の3割に当たる約6千人の管理職で新評価制度を適用。管理職は1年間の業務の目標を示した「コミットメントシート」を提出し、期末に成果や達成度合いを厳しく評価する。これまで半期ごとに評価をしていたが、報酬に反映する成果の割合が少なかった

NECは19年3月期に執行役員の人事評価制度で業績連動以外に個人間でも報酬などに差が生じる成果主義を導入した。今後は課長以上にも対象を広げ、将来的にはグループ会社を含む全社員に広げていく考えだ。

NECは人工知能(AI)やデータサイエンスといった高度な専門性を持つ人材を中心にジョブ型雇用を導入しており、21年4月からは新卒でもジョブ型採用を始める。今回、成果主義を適用した人事評価に見直すことで、23年3月期以降に会社全体でジョブ型にスムーズに移行できるようにする


◎数値はなし?

管理職の成果主義強める」というのが記事の柱だ。しかし、どの程度「強める」のかは読み取れない。「これまで半期ごとに評価をしていたが、報酬に反映する成果の割合が少なかった」と書いているので「成果の割合」を高めるのだろう。だったら具体的な数値は欲しい。「これまで横並びの色合いが濃く報酬に大きな差が生まれにくかった」と言うだけで、今後はどのぐらいの「大きな差が生まれ」るのか伝えないのは苦しい。

取材をしてもNECが数値を明らかにしないのならば「管理職の成果主義強める」という話を柱にするのは諦めるべきだ。

来期からジョブ型後押し」という話も理解に苦しむ。「ジョブ型」と「成果主義」に直接的な関係はない。「成果主義」を採用しない「ジョブ型」も当然にあり得る。メンバーシップ型で「成果主義」を採用してもいい。

成果主義を適用した人事評価」にすると「ジョブ型にスムーズに移行できる」と筆者は見ているようだが、その理由は説明していない。そこも苦しい。


※今回取り上げた記事「NEC、管理職の成果主義強める~来期からジョブ型後押し」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210319&ng=DGKKZO70115870Y1A310C2TJ2000


※記事の評価はE(大いに問題あり)

2021年3月18日木曜日

労働者の味方を装う日経社説「生産性高める改革で賃金上昇に道筋を」

「働く人の味方のように装う社説」と言えばいいのだろうか。18日の日本経済新聞朝刊総合1面に載った「生産性高める改革で賃金上昇に道筋を」という社説には問題を感じた。筆者の本音ベースで見出しを付ければ「解雇規制の緩和で企業の自由度を高めよう」辺りか。そう正面から訴えてくれればスッキリするのだが…。

耳納連山

中身を見ながらツッコミを入れていきたい。

【日経の社説】

新型コロナウイルス禍による景気の先行きの不透明さを反映し、2021年春の賃上げが低調だ。政府が経済界に賃金増額を要請した「官製春闘」のときの賃上げの勢いは失われている。

賃金低迷の根本的な原因は日本企業の生産性の低さだ。企業が付加価値を生む力が高まらない限り、継続的な賃金上昇は望めない。生産性を高める改革に官民で取り組む必要がある。

21年春の賃金交渉は自動車や重工大手の労働組合で、基本給を上げるベースアップ(ベア)の要求自体を見送る動きが広がった。電機大手では、ベアに相当する賃金改善を昨年と同水準の1000円と回答する企業が相次いだ。

12年末発足の第2次安倍政権下で官製春闘が始まり、ベアと定期昇給を合わせた賃上げ率は14年から2%台に乗せてきた。

しかし16年以降、賃上げ率は低下傾向にある。21年については民間シンクタンクが軒並み2%割れを予測する。賃金が伸び悩めば、消費に回るお金が減ってデフレに後戻りする懸念も強まる


◎「継続的な賃金上昇」は必要?

そもそも「継続的な賃金上昇」は必要なのか。日本ではインフレ率が長くゼロ近辺に張り付いている。ならば「賃金」も横ばいでいい。もちろん上がる方が好ましいだろうが、無理して上げる必要はない。

賃金が伸び悩めば、消費に回るお金が減ってデフレに後戻りする懸念も強まる」と社説は訴えるが「伸び悩み」ならば「賃金」は減らない。なのに「消費に回るお金が減ってデフレに後戻りする懸念も強まる」と見なすのは強引だ。

続きを見ていこう。


【日経の社説】

働く人1人あたりが生みだす付加価値(労働生産性)が日本は主要7カ国(G7)のなかで最も低い。この状況の改善が持続的な賃金上昇には欠かせない。


◎なぜ「G7」で見る?

この手の解説をよく見るが、なぜ「G7」で見るのか。そして「G7」で何位ならば合格点なのか。その理由は何か。そこを明確にせずに「G7」で最下位だから「改善」をと言われても納得できない。

さらに見ていく。


【日経の社説】

上場企業の手元資金は過去最高水準にあり、企業はこれを活用して新しいサービスや事業モデルの創造に力を入れるべきだ。事業再編を進め、成長力の衰えた分野から伸びる分野へ人員を移していくことが求められる。感染症に強い経営基盤づくりにもつながる。

自社のなかで円滑に人員の移動ができない場合も増えるとみられる。政府の役割は、企業の枠を超えて需要のある分野へ人材が移っていきやすい環境を整えることだ。労働市場の流動性を高めることで、雇用を確保するという考え方をとるべきだ。

国のハローワークの職業紹介機能を強める必要がある。民間のノウハウを積極的に取り入れたい。国や都道府県による職業訓練も、デジタル分野を増やすなど産業構造の変化に合わせて内容を充実すべきだ。金銭補償を伴う解雇規制の緩和も求められる

政府の働き方改革は非正規従業員の処遇改善などで前進がみられるが、生産性を高めるための労働規制改革は課題が山積している。柔軟な労働市場の整備に向けた改革を政府は強力に推進すべきだ


◎いよいよ本音が…

ここで筆者の本音が見えてきた。「金銭補償を伴う解雇規制の緩和も求められる」とサラッと入れている。「生産性を高めるための労働規制改革は課題が山積している。柔軟な労働市場の整備に向けた改革を政府は強力に推進すべきだ」と言うともっともらしいが、要は「簡単に解雇できるような仕組みにしろ」と求めている訳だ。

1つの考え方だとは思うが、日経の主張との整合性の問題も感じる。

社説では「デフレに後戻りする懸念」を訴えていた。「解雇規制の緩和」によって失業者が増えれば、それこそ「デフレに後戻りする懸念」が高まる。

上場企業の手元資金は過去最高水準にあり、企業はこれを活用して新しいサービスや事業モデルの創造に力を入れるべきだ」と社説では書いているで、職を失った人は新たな成長分野で吸収できると見ているのだろう。しかし「上場企業の手元資金」が潤沢な状況は続いているのに、いまだに有力な成長市場を生み出せていない。

となれば、「解雇規制の緩和」は失業者を増やす方向に働くと見る方が自然だ。解雇されない人にしても「いつ解雇されるか分からない」と感じれば消費を抑えて貯蓄を増やすだろう。賃金上昇率を多少高めても消費が上向く可能性は低いのではないか。

日経が望む「解雇規制の緩和」は言ってみれば正社員の実質非正規化だ。日経は少子化問題に関して「対策を総動員せよ」と訴えていたが、正社員の実質非正規化を推進すれば、子供を産み育てることに関して国民が前向きになれるだろうか。

解雇規制の緩和」が労働者の利益になると本気で信じているのならば、その根拠を示してほしい。経営側の利益を代弁しているのならば、それを隠さずに論陣を張るべきだ。

今回の社説は、そのどちらもできていない。


※今回取り上げた社説「生産性高める改革で賃金上昇に道筋を」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210318&ng=DGKKZO70070980X10C21A3EA1000


※社説の評価はD(問題あり)

2021年3月17日水曜日

「別人格」を疑う余地ある? 日経 大石格上級論説委員「中外時評~政治家は身内にこそ厳しく」

17日の日本経済新聞朝刊オピニオン面に載った「中外時評~政治家は身内にこそ厳しく」という記事は、大石格上級論説委員が書いた記事の中ではまともな方だ。しかし、もちろん問題はある。その部分を見ていこう。

筑後川の両筑橋架け替え工事現場

【日経の記事】

その意味で、いま話題の菅義偉首相の長男が絡んだ総務省幹部接待はかなり異色の展開である。

政治家の子どもが企業勤めをすることはよくある。だが、大抵は若いときの社会人修業としてであり、いちど秘書に転じたら、再び企業勤めをするのは親が落選したときぐらいだった。やや下品な物言いをするならば、政治は足を踏み入れたら最後、死ぬまで色眼鏡で見られ続ける世界と目されてきたわけだ。

ところが、菅氏の長男は総務相秘書官ののち、父の事務所で働くのではなく、サラリーマンの道を選んだ。本当に菅氏の言う通り「完全な別人格」になったのだろうか。15日の参院予算委員会で、勤め先である東北新社の中島信也社長は長男のことを「優秀な若者」と持ち上げた。

さて、これらの弁を信じるべきか、信じざるべきか。国会議員ののち、ソフトバンク社長室長を務めた嶋聡氏のような例もないわけではない。

それを踏まえたうえで、あえていえば、菅首相はなぜ永田町の常識に挑むような道を我が子に選ばせたのか。ふつうの秘書にしておけば、こんな大ごとにならなかったのにである


◎「別人格」でない状態とは?

まず「別人格」が引っかかる。複数の意味があるが、ここでは「人格」を「法律上の行為をなす主体。権利を有し、義務を負う資格のある者」(デジタル大辞泉)としよう。

菅氏の長男」が「総務相秘書官」だった時には「完全な別人格」ではなかったと大石上級論説委員は見ているようだ。個人的には、当時も今も「菅氏」とその「長男」は「完全な別人格」だと思える。部分的にでも同一の「人格」という状態がよく分からない。両者が共謀して罪を犯したとしても「人格」が重なる感じはしない。

さて、これらの弁を信じるべきか、信じざるべきか」と大石上級論説委員は言うが「首相の長男だから」という理由で「長男」が「東北新社」に入っていた場合は「完全な別人格」という説明が誤りとなるのか。

ついでに言うと「菅首相はなぜ永田町の常識に挑むような道を我が子に選ばせたのか」という説明も気になる。「長男」は30代で「東北新社」に入ったようだ。既に立派な成人だ。その人物に関して「なぜ永田町の常識に挑むような道を我が子に選ばせたのか」と問うべきなのか。常識的に考えれば進む「」は「長男」が選んでいる。「菅氏」と「長男」は違うと言うのならば、その説明が要る。

それに「なぜ永田町の常識に挑むような道を我が子に選ばせたのか」と疑問に思うのならば、取材をしてみればいいではないか。「菅氏」への取材が難しくても周辺に話を聞けるはずだ。何のために政治の世界を長く取材してきたのか。

今回の記事は「政治家は身内にこそ厳しく」という当たり前のことを訴える捻っていない内容だ。そこは良しとしよう。だったら、せめて取材は綿密にやったらどうか。もうそんな気力は残っていないのかもしれないが…。


※今回取り上げた記事「中外時評~政治家は身内にこそ厳しく

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210317&ng=DGKKZO70023910W1A310C2TCR000


※記事の評価はD(問題あり)。大石格編集委員への評価もDを維持する。大石編集委員については以下の投稿も参照してほしい。

日経 大石格編集委員は東アジア情勢が分かってる?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_12.html

ミサイル数発で「おしまい」と日経 大石格編集委員は言うが…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_86.html

日経 大石格編集委員は「パンドラの箱」を誤解?(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_15.html

日経 大石格編集委員は「パンドラの箱」を誤解?(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_16.html

日経 大石格編集委員は「パンドラの箱」を誤解?(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_89.html

どこに「オバマの中国観」?日経 大石格編集委員「風見鶏」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/08/blog-post_22.html

「日米同盟が大事」の根拠を示せず 日経 大石格編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/blog-post_41.html

大石格編集委員の限界感じる日経「対決型政治に限界」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/07/blog-post_70.html

「リベラルとは何か」をまともに論じない日経 大石格編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/10/blog-post_30.html

具体策なしに「現実主義」を求める日経 大石格編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/12/blog-post_4.html

自慢話の前に日経 大石格編集委員が「風見鶏」で書くべきこと
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/04/blog-post_40.html

米国出張はほぼ物見遊山? 日経 大石格編集委員「検証・中間選挙」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/11/blog-post_18.html

自衛隊の人手不足に関する分析が雑な日経 大石格編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_27.html

「給付金申請しない」宣言の底意が透ける日経 大石格編集委員「風見鶏」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/05/blog-post_74.html

「イタリア改憲の真の狙い」が結局は謎な日経 大石格上級論説委員の「中外時評」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post_7.html

菅政権との対比が苦しい日経 大石格編集委員「風見鶏~中曽根戦略ふたたび?」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post_18.html

2021年3月16日火曜日

日経 川崎健編集委員「一目均衡~失われた価格発見機能」に見える矛盾

16日の日本経済新聞朝刊 投資情報面に川崎健編集委員が書いた「一目均衡~失われた価格発見機能」という記事には矛盾を感じた。

臼杵石仏

全文は以下の通り。

【日経の記事】

株価がファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)を反映しなくなっているのでは――。多くの投資家が今の株式市場に感じているであろう違和感の正体を、数字で解き明かした論文が今月発表された。

証券アナリストジャーナルが3月号に掲載した野村アセットマネジメントのクオンツやファンドマネジャーら3人の手による「バリュー投資の再考」と題した論文だ。

「2018年以降に限っていえば(企業の)利益の改善があったとしても価格発見機能が働いておらず、株式市場は深刻な機能不全に陥っている」。過去約40年の日米株式市場のデータを分析して導き出した結論は、衝撃的だ。

論文は12カ月先利益が正確にわかっていると仮定し、この「完全予見利益」ではじいた割安銘柄を買った場合のリターンを計算する。すると1980年以降、年率10%以上の超過リターンを出してきた。必ず当たる利益予想に従って投資すれば、業績が株価に織り込まれる過程で高いリターンを得ることができた。

だが2010年以降はリターンが上がりづらくなっており、日本の超過リターンは18年に1.6%、19年に1.1%まで低下。米国は19年にマイナス2.2%に転じた。業績が株価に織り込まれず、割安な銘柄がいつまでも放置されていることを意味する。

この事実は投資の前提を真っ向から否定する。将来の利益を正確に予想しても業績は株価には反映されず、そんな投資家の努力は無駄に終わることを意味するからだ。

なぜ市場の価格発見機能は壊れてしまったのか

第1の理由は、リーマン危機後に顕著になった世界経済の成長率低下と主要国の金融緩和だ。経済成長が見込めない中でも高い利益成長が期待できる一握りのテック企業に緩和マネーが集中。割高なグロース(成長)株が買い進まれ、景気と業績の連動性が高いバリュー(割安)株は見向きもされなくなった

第2の理由は、パッシブ運用という、個別企業の業績を全く参照せずに投資する投資家の膨張だ。マネーはアクティブ運用から、指数構成銘柄を一括購入する低コストのパッシブ運用にシフト。銘柄選別を通じて業績を株価に反映させるコストを誰も負担しないようになってきている。

第3の理由は、現行の会計システムだけでは企業の価値を捕捉できなくなってきたことだ。知的財産など無形資産が企業の成長力を左右するようになれば会計上の利益だけでは株価は動かなくなる。ESG(環境・社会・統治)を企業評価に組み込もうとする最近の変化も同じ文脈だ。

米長期金利の上昇を機に足元ではバリュー株がようやく反転しているが、その持続力は市場に価格発見機能が戻るかどうかにかかっている。

このままでは、産業へのリスクマネーの効率的な配分という株式市場の最も大事な役割が永久に損なわれてしまいかねない。バリュー株の本格復活の可否が、単なる運用スタイルの優劣を超えた重要な問題と考えるゆえんだ。


◇   ◇   ◇


疑問点を列挙してみる。


(1)矛盾してない?

パッシブ運用にシフト」してきたため「銘柄選別を通じて業績を株価に反映させるコストを誰も負担しないようになってきている」と川崎編集委員は言う。一方で「一握りのテック企業に緩和マネーが集中」とも書いている。これは整合しない。「パッシブ運用」ばかりで「銘柄選別」をしなくなっているのに、なぜ「一握りのテック企業に緩和マネーが集中」するのか。「一握りのテック企業に緩和マネーが集中」しているのは「アクティブ運用」が大きな影響力を持っている証ではないか。


(2)見向きもされない?

パッシブ運用」が主流なのに「バリュー(割安)株」が「見向きもされなくなった」のも不思議だ。「指数構成銘柄を一括購入する」のだから、「指数構成銘柄」であれば「バリュー(割安)株」も買われるはずだ。市場平均に対する「超過リターン」が得られないからと言って「見向きもされ」ていないと考えるのは早計だ。


(3)「価格発見機能」は壊れてる?

なぜ市場の価格発見機能は壊れてしまったのか」と川崎編集委員は言うが、本当に「壊れてしまったのか」。

第3の理由は、現行の会計システムだけでは企業の価値を捕捉できなくなってきたことだ。知的財産など無形資産が企業の成長力を左右するようになれば会計上の利益だけでは株価は動かなくなる」と記事でも書いている。

会計上の利益」以外の要素も含めて「株価」が形成されているとすれば「価格発見機能」は「壊れて」いないとも言える。

そもそも「株価」は「12カ月先利益」だけに左右されるものではない。13カ月より先の「利益」や保有資産の影響も受ける。

さらに言えば、「12カ月先利益」をベースに、どうやって「割安」かどうか判断したのか基準を記事では示していない。どういう基準を使うかによっても「バリュー(割安)株」かどうかが変わってくる。

論文では「価格発見機能が働いておらず、株式市場は深刻な機能不全に陥っている」と結論付けているようだが、それを鵜呑みにしてよいのか疑問は残る。


(4)「永久に損なわれてしまいかねない」?

百歩譲って「2018年以降に限っていえば(企業の)利益の改善があったとしても価格発見機能が働いておらず、株式市場は深刻な機能不全に陥っている」としよう。だからと言ってなぜ「このままでは、産業へのリスクマネーの効率的な配分という株式市場の最も大事な役割が永久に損なわれてしまいかねない」と考えるのか。

個人的には「明らかに割安な状態は長く放置されない」と予測したい。純資産100億円で安定的に利益を出している企業の株が「見向きもされ」ず時価総額1億円にとどまっているとしよう。それでも長期にわたって放置される状況は考えにくい。買収して利益を得ようとする者が現れると見る方が自然だ。

「簡単に利益が得られる機会があるのに誰も関心を持たない」という状況が「永久に」続くことを川崎編集委員は心配しているのか。気が知れない。


※今回取り上げた記事「一目均衡~失われた価格発見機能」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210316&ng=DGKKZO69996500V10C21A3DTA000


※記事の評価はD(問題あり)。川崎健編集委員への評価はDで据え置く。川崎編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。


川崎健次長の重き罪 日経「会計問題、身構える市場」http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_62.html

なぜ下落のみ分析? 日経 川崎健次長「スクランブル」の欠陥http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/09/blog-post_30.html

「明らかな誤り」とも言える日経 川崎健次長の下手な説明http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/02/blog-post_27.html

信越化学株を「安全・確実」と日経 川崎健次長は言うが…http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/07/blog-post_86.html

「悩める空売り投資家」日経 川崎健次長の不可解な解説
http://kagehidehiko.blogspot.com/2016/10/blog-post_27.html

日経「一目均衡」で野村のリーマン買収を強引に庇う川崎健次長
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/09/blog-post_11.html

英国では「物価は上がらない」と誤った日経「モネータ 女神の警告」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/12/blog-post_29.html

日経 川崎健次長の「一目均衡~調査費 価格破壊の弊害」に感じた疑問https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/blog-post_23.html

2021年3月15日月曜日

「米国の株高はいつまで続く」にゼロ回答の東洋経済 中村稔氏に考えてほしいこと

「記事で株価を予想しても意味がない」と個人的には思っている。なので週刊東洋経済3月20日の特集「波乱に負けない!上がる株」には元々あまり魅力を感じない。ただ、予想をするならば、逃げずにしっかり予想してほしい。その意味で、今回の特集で「本誌コラムニスト」の中村稔氏が書いた「バイデン、1.9兆ドル刺激策の是非~米国の株高はいつまで続く」という記事には落第点しか与えられない。

道の駅きよかわ

この記事には2つの柱がある。「1.9兆ドル刺激策の是非」と「米国の株高はいつまで続く」だ。前者から見ていこう。


【東洋経済の記事】

「米国は過去40年で最も深刻なインフレの初期段階に直面している」。そう警告するのが、クリントン政権で財務長官を務めたサマーズ氏だ。バイデン政権の1.9兆ドル(約200兆円)の追加経済対策が議会を通過する中、1人約15万円の現金給付を柱とした大型財政支出が需給ギャップを大幅に上回る過剰な需要とインフレを生み出すとみる。

金融市場でも、期待インフレ率の上昇とともに長期金利(10年物国債利回り)が急騰(右図)。2月下旬には一時、約1年ぶりに1.6%台に乗せた。平均配当利回りとほぼ同レベルへの急上昇を受け、米株式市場は一時急落するなど世界の市場を巻き込んで神経質な展開となっている。米金利上昇はドル高円安の要因ともなった。

中略)トランプ氏を破って政権に就いた民主党のバイデン大統領は、就任後すぐに1.9兆ドルの追加経済対策法案を推進。民主党が主導権を握った上下両院で可決の運びとなった。その結果、インフレ懸念から長期金利が上昇してきたのが現状だ。

その間、NYダウは昨年3月安値を底に3万ドルを超えるまで反騰したが、背景には株式市場にとって理想的な構図があった。すなわち「景気回復」と「金融緩和の長期化」が併存する環境だ。これで「ちょうどいい湯加減」の「ゴルディロックス相場」ともいわれる相場が続いてきた。

だが、景気回復と金融緩和の長期化は二律背反の関係ともいえ、景気回復が続けば、いずれ金融引き締めに転じるのが普通。理想的な構図がいつまでも続くわけではない。実際、インフレ懸念の高まりと長期金利の上昇がその構図に水を差してきた。問題は、インフレ懸念が現実のものとなって金融引き締めが早まるかどうかだ。


◎「1.9兆ドル刺激策の是非」はどこへ?

記事を最後まで読んでも「1.9兆ドル刺激策の是非」は明らかにならない。「大型財政支出が需給ギャップを大幅に上回る過剰な需要とインフレを生み出す」という「サマーズ氏」の見方を紹介したので「」に傾くのかと思えたが、「現状、専門家の間では、物価上昇率が昨年の反動で一時2%を上回っても、その後は年末にかけて再び落ち着くという見方が多い」とも述べており、中村氏の立ち位置はよく分からない。

そもそも「インフレ懸念が現実のもの」となる場合は「1.9兆ドル刺激策」を「」と見るかどうかも不明だ。

米国の株高はいつまで続く」についても見ておこう。


【東洋経済の記事】

FRBは平均インフレ目標を導入しており、2%を超えるインフレもある程度の期間は容認する見通し。市場では、FRBの利上げ開始は24年以降となり、それに先行する量的緩和の規模縮小(テーパリング)開始は来年初頭前後との見方が多い。そして株式市場では今後、実体経済が低迷する中で回復を先取りする相場から、景気回復が本格化する中で現実の企業収益の成長を織り込む相場へ移行するというシナリオが有力だ。

とはいえ、景気が想定以上に過熱し、インフレや金利上昇が行き過ぎるリスクはある。ワクチンが普及して人々の不安が薄れる中で追加的に現金が給付されれば、「貯蓄より消費」との気持ちが強くなるだろう。今年の実質成長率についてゴールドマンが約7%に予想を引き上げたほか、一部には10%に接近するという見方もある。米政権は環境インフラ投資などさらなる経済対策を急ぐ方針。金利急騰を消化できず、株価が一時急落する局面は今後も予想される

世界経済を牽引する米国は力強い回復が見込まれるが、同じく回復の鮮明な中国との対立激化を含めて今後もリスクが付きまとう。日本はグローバル経済の影響を受けやすいだけに、その経済動向からは目が離せない


◎「目が離せない」が結論では…

米国の株高はいつまで続く」との問いに対しては事実上のゼロ回答だ。「いつまで」には全く言及していない。「規模縮小(テーパリング)開始は来年初頭前後」と見ているようだが、それが「株高」終了のサインとは言っていない。

実体経済が低迷する中で回復を先取りする相場から、景気回復が本格化する中で現実の企業収益の成長を織り込む相場へ移行するというシナリオが有力だ」と書いているので、強気の予想を打ち出すのかと思えば「株価が一時急落する局面は今後も予想される」と逃げも打っている。

そして最後は「(米国の)経済動向からは目が離せない」で記事を締めてしまう。「米国株はこれから上がるかもしれないし下がるかもしれない。経済動向をしっかり見とかないとね」といったレベルの“予想”だ。今後、株高が続いても急落局面に入っても「外れない」作りにはなっている。故に意味がない。

当たり障りのないことしか書きたくないのなら「バイデン、1.9兆ドル刺激策の是非~米国の株高はいつまで続く」といった見出しは付けないことだ。代わりに「物価動向が焦点~米国株は上昇持続も急落もあり得る」といった見出しでどうか。

これなら「読む価値のない記事」だと伝わりやすい。見出しを維持したいのならば、もう少しきちんとした「予想」を打ち出すべきだ。別に「今年10月にバブル崩壊が起きて米国株高は終焉を迎える」といった予言者みたいな予想をしろとは言わない。だが、せめて強気か弱気かのスタンスは明確にしてほしい。

何のための「本誌コラムニスト」なのか。中村氏には改めて自問してほしい。


※今回取り上げた記事「バイデン、1.9兆ドル刺激策の是非~米国の株高はいつまで続く」https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26426


※記事の評価はD(問題あり)。中村稔氏への評価はDで確定とする。中村氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

米国は「リーマンショック時以来のゼロ金利政策」? 東洋経済 中村稔氏に問うhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/06/blog-post_20.html

2021年3月14日日曜日

日経「日銀、ETF購入柔軟に~年6兆円目安、削除案が浮上」の辻褄合わない説明

13日の日本経済新聞朝刊総合2面に載った 「日銀、ETF購入柔軟に~年6兆円目安、削除案が浮上 株高で買い入れ見送り」という記事に気になる記述があった。

横浜税関本関庁舎

【日経の記事】

日銀は次回の決定会合でETFの購入方法を見直す方針だ。雨宮正佳副総裁は「メリハリのある買い入れを行うことで金融緩和の持続性を高める」との考えを示している。普段は購入を見送りつつ、株価急落時に巨額の買い入れに動く余地を残す方向だ。

焦点はETF購入にかかわる二つの目安の扱いだ。まず年12兆円の上限は、なくしたり引き下げたりすると「緩和後退」と受け取られる懸念がある。急速な円高・株安などの混乱を招かないよう、この上限は残す可能性が高まっている。

一方で年6兆円の原則については日銀内で「削除してもいい」(幹部)との意見が出てきた。この額に縛られるとメリハリをつけた買い入れが難しくなる面がある。市場動向をにらみながら、削除する方向で検討する。


◎だったら逆では?

日銀の「ETF購入」では「年12兆円の上限」と「年6兆円の原則」がある。つまり6兆~12兆円が年間の購入額となる。どちらかを「削除」するとしよう。その時に「緩和後退」と受け取られるのは避けたい。となれば「削除」すべきなのは「年12兆円の上限」となるのが自然だ。これをなくせば20兆円でも30兆円でも買える。追加緩和とも取れる。

一方「年6兆円」を「削除」すれば下限がなくなる。全く買わない選択肢も出てくるので「『緩和後退』と受け取られる懸念」は当然にある。なのに日銀は「年6兆円」を「削除」する方向らしい。

それはそれでいい。実質的には「緩和後退」だが、そう受け取られたくはないという考えなのだろう。問題は日経の方にある。「年12兆円の上限は、なくしたり引き下げたりすると『緩和後退』と受け取られる懸念がある」から「年6兆円」を「削除」する話が出ていると解説している。理屈が合っていない。

おそらく日銀関係者の説明をそのまま記事にしたのだろう。だが、そこは「理屈に合いませんよね。緩和後退と取られたくないなら上限の12兆円を削るしかないでしょ。下限の6兆円を削れば緩和後退と見るのが当然でしょ」などと取材時にツッコミを入れてほしかった。

取材先との力関係でそれが難しいとしても、記事に書く際に工夫はできたはずだ。なのに辻褄の合わない話をそのまま読者に届けてしまうとは…。

あるいは理屈に合わないことに気付いていないのだろうか。いずれにしても問題ありだ。


※今回取り上げた記事「日銀、ETF購入柔軟に~年6兆円目安、削除案が浮上 株高で買い入れ見送り

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210313&ng=DGKKZO69956670S1A310C2EA4000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年3月12日金曜日

MMTを「単純な主張」と見誤った前田栄治ちばぎん総合研究所社長

12日の日本経済新聞朝刊オピニオン面にちばぎん総合研究所社長の前田栄治氏が書いた「エコノミスト360°視点~新型コロナ下での『MMT』考察」という記事は、MMT否定論の中ではまともな方だ。しかし、もちろん問題はある。 

大城橋

具体的に見ていこう。

【日経の記事】

MMTは「政府はインフレになるまで国債発行を拡大し、中央銀行が購入し続ければよい」というのが基本的な考え方だ。

私の認識は、物価上昇につながりうるとの点でマネタリーベースに着目したリフレ派の議論に比べまだマシな一方、インフレになれば財政緊縮や金融引き締めで対応すればよいといった単純な主張は非現実的というものだ。

日本の消費税率引き上げや社会保障改革の経験からも分かるとおり、民主主義のもとではMMTによってインフレが訪れたからといって、増税や歳出削減を進めることは容易でない。金融政策については急速に引き締めに転じると、金融市場に大きなショックを与え、金融経済の安定を損なう。


就業保証プログラムは無視?

まず「MMT」は「インフレになれば財政緊縮や金融引き締めで対応すればよいといった単純な主張」ではない。

なお、ここではステファニー・ケルトン氏が書いた「財政赤字の神話~MMTと国民のための経済の誕生」という本の内容を「MMT」の主張と見なす。そこにはこんな記述がある。

インフレが加速し始めたとき、それを抑制する手段として議会の支出と税制の調整だけに頼るのでは力不足だ。MMTは政府の裁量的財政政策(ハンドルさばき)を補完するものとして、政府による就業保証プログラム(JGP)を推奨する。いわば完全雇用と物価安定を促す、非裁量的な自動安定化装置だ。(中略)財政政策というハンドルを、政府による就業保証という新しい強力な衝撃吸収装置で補強せよ、というのがMMTの主張だ

政府による就業保証プログラム」に関して、ここでは詳しく説明しない。しかし「MMT」は「インフレになれば財政緊縮や金融引き締めで対応すればよいといった単純な主張」をしていないことは明らかだ。前田氏は知らなかったのか、あえて無視したのか。いずれにしても問題がある。

記事の続きを見ていく。

【日経の記事】

さらに、MMTに関連した2つの論点を指摘したい。

第一に、そもそも財政政策の判断をインフレにひもづけることの是非だ。積極的なポリシーミックスにより、局所的に物価が上昇する可能性はあるが、グローバル化やデジタル化などにより、世界的に物価が上がりにくい経済構造が長く続きそうだ。

そうであれば、インフレを政策の判断基準とした場合、積極財政が長引く結果、例えば非効率な公的部門が肥大化し、経済の活力が失われる可能性が十分ある。債務残高の拡大が国債格下げにつながり、企業の外貨調達が困難になるリスクもある。財政政策は多面的な議論が必要だ。


◎当たり前の話では?

財政政策は多面的な議論が必要」というのは当たり前の話だ。「多面的な議論が不要」とは「MMT」も主張していない。

MMTが目指すのは、国家の財政権力を活かして経済の潜在力を最大限引き出しつつ、財政権力に対する適切なチェック機能を働かせることだ。(中略)大いなる力には大いなる責任がともなう。国家の財政権力は、国民みんなのものだ。それを行使するのは民主的に選ばれた議員だが、その目的はすべての国民に奉仕することだ。過剰な支出は力の濫用だが、インフレリスクを抑えつつより良い暮らしを実現する方法があるにもかからわず、それを実行しないこともまた力の濫用である

MMT」は「インフレにならない限り無駄な支出もドンドンやれ」と訴えている訳ではない。「インフレリスクを抑えつつより良い暮らしを実現する」ための政策があるのならば「実行」をためらうなとの立場だ。「過剰な支出は力の濫用」とケルトン氏も断言している。

非効率な公的部門が肥大化」して「より良い暮らしを実現」できなくなるならば、その「支出」は好ましくない。この点で前田氏と考え方に差はないはずだ。

財政赤字の神話~MMTと国民のための経済の誕生」をじっくり読んで「MMT」への誤解を解くことを前田氏には勧めたい。


※今回取り上げた記事「エコノミスト360°視点~新型コロナ下での『MMT』考察」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210312&ng=DGKKZO69889310R10C21A3TCR000


※記事の評価はD(問題あり)

「微アルコール」は「新たなカテゴリー」? 日経 中村直文編集委員の誤解

12日の日本経済新聞朝刊企業2面に中村直文編集委員が書いた「アサヒVSスーパードライ ゼロが焦点(上) 微アルコール 脱マッチョへ」という記事は問題が多かった。中身を見ながら具体的に指摘していく。

耳納連山に沈む夕陽

【日経の記事】

1都3県では新型コロナウイルスの感染対策で緊急事態宣言が再延長された。感染拡大からおよそ1年。内食志向が強まるなど食生活スタイルは変化し、企業の戦略にも影響を与えている。不振のビール業界では、新たな競争が勃発した。松本清張氏の小説タイトル風に言うならば「ゼロが焦点」だ。

アサヒビールが3月末に発売するのはアルコール度数0.5%の微アルコールビール「ビアリー」。これまでのノンアルコールビールでは味の面で物足りない。そこでアルコール摂取をできるだけ抑えながら、おいしさも追求する目的で3年前から開発がスタートした。


◎「ゼロが焦点」?

「ノンアルコールビールと言ってもわずかにアルコールが入っていた。しかしアサヒの新商品では完全なアルコールゼロを初めて実現…」といった話ならば「ゼロが焦点」でいいだろう。しかし「アサヒビールが3月末に発売するのはアルコール度数0.5%の微アルコールビール」。「ゼロが焦点」とは言い難い。

続きを見ていく。

【日経の記事】

「ローアルコール、ノンアルコールなど脱・アルコールは日本が先行していたが、今は海外の方が進んでいる」。2020年9月にアサヒビールが立ち上げた「新価値創造推進部」の梶浦瑞穂部長はこう説明する。民間調査会社の試算では16~19年のアルコール度数0~0.5%の酒類市場の伸び率は6.3%と全体の0.5%を大きく上回っているという。


◎なぜ「試算」?

まず、なぜ「試算」なのか。「16~19年」ならば実績が出ているはずだ。実績値を用いていないということか。ならば注釈が要る。

16~19年」の「伸び率」という説明も分かりにくい。「16」と「19年」を比べているようにも見えるし「16~19年」とその前の4年間を比べている気もする。

日本」の市場規模について書いているのだろうが「今は海外の方が進んでいる」とのコメントが直前にあるので世界全体の動向のようにも感じる。この辺りは明確に書いてほしい。

続きを見ていこう。今回の記事で最も問題を感じた部分だ。


【日経の記事】

このためアサヒは「スマートドリンキング」(スマドリ)と呼ぶ新たなキャンペーンを開始。25年までにアルコール度数3.5%以下の商品構成比20%を目指す。ビアリーはその第1弾。同社は日本の20~60代の人口約8千万人のうち、約4千万人が「酒を飲めない」、あるいは「飲めるけど飲まない」層と分析する。微アルコールという新たなカテゴリーを創出し、停滞するアルコール市場の裾野を広げたいという野心的な取り組みだ。

もっともこれは簡単ではない。イノベーションあるいは新市場の形成とは「習慣」を提案し、なじんでもらうことに他ならない。しかもアサヒがこれまで消費者に印象づけてきたイメージの刷新も必要で、経営風土の見直しも要するからだ。


◎「新たなカテゴリーを創出」?

微アルコールという新たなカテゴリーを創出し、停滞するアルコール市場の裾野を広げたいという野心的な取り組みだ」と中村編集委員は言うが、本当に「新たなカテゴリー」なのか。例えばアルコール度数0.8%のホッピーは「微アルコール」ではないのか。0.5%のノンアルコールビールも輸入品は売られているようだ。そもそもノンアルコールビールも当初は「微アルコール」のものが多かった。「新たなカテゴリーを創出」という説明は違う気がする。

ついでに言うと「25年までにアルコール度数3.5%以下の商品構成比20%を目指す」という書き方も引っかかった。これだと0%を含むので「微アルコール」の目標にはならない。それに現状がどの程度かを見せないと「商品構成比20%」がどのくらい「野心的」なのか分からない。

「中村編集委員に記事を書かせるならば周囲の強力な支援が必要」と訴えてきたが、今のところできていないようようだ。


※今回取り上げた記事「アサヒVSスーパードライ ゼロが焦点(上) 微アルコール 脱マッチョへ

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210312&ng=DGKKZO69912280R10C21A3TJ2000


※記事の評価はD(問題あり)。中村直文編集委員への評価はDを維持する。中村編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。


無理を重ねすぎ? 日経 中村直文編集委員「経営の視点」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2015/11/blog-post_93.html

「七顧の礼」と言える? 日経 中村直文編集委員に感じる不安
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/05/blog-post_30.html

スタートトゥデイの分析が雑な日経 中村直文編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_26.html

「吉野家カフェ」の分析が甘い日経 中村直文編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/blog-post_27.html

日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」が苦しすぎる
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/08/blog-post_3.html

「真央ちゃん企業」の括りが強引な日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/08/blog-post_33.html

キリンの「破壊」が見えない日経 中村直文編集委員「経営の視点」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/12/blog-post_31.html

分析力の低さ感じる日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/blog-post_18.html

「逃げ」が残念な日経 中村直文編集委員「コンビニ、脱24時間の幸運」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/24.html

「ヒットのクスリ」単純ミスへの対応を日経 中村直文編集委員に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_27.html

日経 中村直文編集委員は「絶対破れない靴下」があると信じた?
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_18.html

「絶対破れない靴下」と誤解した日経 中村直文編集委員を使うなら…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_21.html

「KPI」は説明不要?日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」の問題点
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/06/kpi.html

日経 中村直文編集委員「50代のアイコン」の説明が違うような…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/06/50.html

「セブンの鈴木名誉顧問」への肩入れが残念な日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/07/blog-post_15.html

「江別の蔦屋書店」ヨイショが強引な日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_2.html

渋野選手は全英女子まで「無名」? 日経 中村直文編集委員に異議あり
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_23.html

早くも「東京大氾濫」を持ち出す日経「春秋」の東京目線
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_29.html

日経 中村直文編集委員「業界なんていらない」ならば新聞業界は?
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/blog-post_5.html

「高島屋は地方店を閉める」と誤解した日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_23.html

野球の例えが上手くない日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/11/blog-post_15.html

「コンビニ 飽和にあらず」に説得力欠く日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/01/blog-post_23.html

平成は「三十数年」続いた? 日経 中村直文編集委員「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/02/deep-insight.html

拙さ目立つ日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ~アネロ、原宿進出のなぜ」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/02/blog-post_28.html

「コロナ不況」勝ち組は「外資系企業ばかり」と日経 中村直文編集委員は言うが…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/06/blog-post.html

データでの裏付けを放棄した日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/07/blog-post_17.html

「バンクシー作品は描いた場所でしか鑑賞できない」と誤解した日経 中村直文編集委員https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/09/blog-post_11.html

「新型・胃袋争奪戦が勃発」に無理がある日経 中村直文編集委員「経営の視点」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post_26.html

「悩み解決法」の説明が意味不明な日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_19.html

問題多い日経 中村直文編集委員「サントリー会長、異例の『檄』」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/blog-post_89.html

「ジャケットとパンツ」でも「スーツ」? 日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/blog-post_30.html

2021年3月11日木曜日

日経に好ましい変化? 「親子上場」に関する石橋茉莉記者の説明を評価

日本経済新聞は親子上場問題を好んで論じる。それ自体は悪くないが、気になる点が2つある。まず、親子上場を問題視するのに禁止は求めないところだ。親子上場を「日本特有」と捉えるのも理解に苦しむ。

大阪城

その意味で11日の朝刊金融経済面に載った「企業統治指針 残る課題(下)親子上場の是非問わず~株主保護と説明責任必要」という記事には注目したい。

日本は子会社も上場する企業が突出して多い。上場企業のうち株式を30%以上保有する上場企業を持つ割合は米国の0.89%や英国の0.20%に対し日本は10.73%だ」と石橋茉莉記者は記している。

日本は上場子会社が多い」というタイトルのグラフを見ると「支配株主50%以上」では日本が約6%。これに対しフランスとドイツは約2%で決定的な違いはない。「日本特有」ではないことを石橋記者はデータできちんと示している。

週刊エコノミスト2019年11月5日号の記事で一橋大学特任教授の藤田勉氏は「日本ほど活発でないが、親子上場は大陸欧州や南米を中心に海外でも広く存在する」と解説していた。これと符合する。

しかし日経はこれまで「日本に特有」と訴え続けてきた。例えば2019年6月7日付の記事では「貿易摩擦への懸念や米利下げ期待など株式相場を動かす材料が猫の目のように入れ替わる日々。その中でも変わらぬ日本特有の重要テーマがある。親子上場だ」と竹内弘文記者が書いている。

2020年10月6日付の記事にも「世界的にみても日本に特有のグループ形態」との記述がある。米英では親子上場が非常に少ないとしても、だから「日本に特有」とは言えない。広く海外を見る必要がある。

今回の石橋記者の説明には問題を感じない。好ましい変化が見える。そこは評価したい。


※今回取り上げた記事「企業統治指針 残る課題(下)親子上場の是非問わず~株主保護と説明責任必要

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210311&ng=DGKKZO69860640Q1A310C2EE9000


※記事の評価はC(平均的)。石橋茉莉記者への評価は暫定でCとする。

2021年3月10日水曜日

「賃金格差にも気づかぬ男性7割」? ビジネスインサイダー西山里緒記者の誤解

ビジネスインサイダージャパンに3月8日付で載った「『男女平等は重要』にYESと言えない男性たち。賃金格差にも気づかぬ男性7割」という記事を書いた西山里緒記者は、基本的なところで認識を誤っているのではないか。「賃金格差にも気づかぬ男性7割」「リンクトイン・ジャパン」が発表した「仕事に対する意識調査(Opportunity Index)」を基に西山記者は「賃金格差にも気づかぬ男性7割」に関して以下のように書いている。

夕陽と鉄塔

【ビジネスインサイダーの記事】

他の質問でも、男女差が顕著に現れたものもあった。「自分の職業/仕事では、同じ立場の男性の給料は女性と比べて高い」と回答したのは、男性では30%だが女性は40%という結果に。

実際には、男女間の賃金格差は歴然と存在している

厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、2018年時点で女性の賃金は男性の7割程度。この背景には、そもそも管理職に就く女性の割合が低いことや、女性の方が勤続年数が平均して短いことなどが挙げられている

リンクトイン日本代表の村上臣さんは、こう語る。

日本の男性は、男女の賃金格差にまだ気づいていないのでは。女性が今置かれている現状を、女性のみならず、男性も傾聴して、アライ(支援者)になっていくことが重要」


◎理屈が合わないが…

自分の職業/仕事では、同じ立場の男性の給料は女性と比べて高い」との回答が男性では「30%」にとどまったことを根拠に「賃金格差にも気づかぬ男性7割」と見出しで打ち出したようだ。明らかに不適切だ。

自分の職業/仕事では、同じ立場の男性の給料は女性と比べて高い」と回答した人が「賃金格差」に気付いている可能性が十分にあるからだ。「同じ立場」の給料に男女差がなくても「賃金格差」は生じる。

西山記者も「賃金格差」の背景を「管理職に就く女性の割合が低いことや、女性の方が勤続年数が平均して短いこと」と書いている。なのに、なぜこんな理屈に合わない説明をしてしまったのか。

日本の男性は、男女の賃金格差にまだ気づいていないのでは」と「リンクトイン日本代表の村上臣さん」もコメントしている。「では」と付けているので断定ではないが、このコメントも問題ありだ。

男女の賃金格差」があるのは広く知られている。それに「気づいていないのでは」と男性の認識不足を指摘するような発言をするのならば、相応の根拠は欲しい。

賃金格差にも気づかぬ男性7割」と見出しに取られると、男性は愚かで認識不足との印象を受けるが、まともな根拠はゼロ。そのことに「気づかぬ」西山記者には猛省を促したい。


※今回取り上げた記事「『男女平等は重要』にYESと言えない男性たち。賃金格差にも気づかぬ男性7割

https://www.businessinsider.jp/post-230877


※記事の評価はE(大いに問題あり)

2021年3月9日火曜日

「『マルチの蘇生』最後の好機」に根拠欠く日経 菅野幹雄氏「Deep Insight」

大きなことを言いたい気持ちは分かる。しかし説得力がないのはダメだ。その意味で9日の日本経済新聞朝刊オピニオン面に菅野幹雄氏(肩書は本社コメンテーター)が書いた「Deep Insight~『マルチの蘇生』最後の好機」という記事には落第点しか与えられない。

夕暮れ時の筑後川

当該部分を見ていこう。

【日経の記事】

フランス・モンテーニュ研究所の特別顧問、ドミニク・モイジ氏は「米国の復帰という事実を過小評価するリスクと、過大評価するリスクの2つがある」と言う。

バイデン氏の米国を中心に米欧同盟を強力に再建し、中国やロシアの攻撃的な振る舞いを押し返せれば、期待以上の国際協調が復活するというのが前者のシナリオだ。一方で世界への関与を弱め、内なる分断も抱える米国やバイデン氏が十分な成果を残せない後者の展開も起こりうる。24年の米大統領選挙で「米国優先」の共和党候補やトランプ氏自身が勝利すれば多国間協調は再起不能になる。

「脱トランプ」後に訪れたマルチ体制を蘇生する好機は、今を逃すと二度と来ないかもしれない

流れを左右するリーダーがもう2人いる。1人はボリス・ジョンソン英首相だ。欧州連合(EU)離脱とコロナ禍に忙殺されたが、ワクチン投与の進展などで勢いを回復している。6月のG7サミット、11月の第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)はともに英国が主催する。地球規模の課題に強い国際協調をまとめられれば、追い風になる。

菅義偉首相も重要な存在だ。ケント・カルダー氏は「日本がマルチ体制の新たなガバナンス(統治)づくりで役目を果たすべきだ」と語る。国連など既存機関の限界をにらみ、民間部門も交えた多国間協力を探るべきだという。


◎22世紀も見えてる?

『脱トランプ』後に訪れたマルチ体制を蘇生する好機は、今を逃すと二度と来ないかもしれない」と菅野氏が考えるのは「24年の米大統領選挙で『米国優先』の共和党候補やトランプ氏自身が勝利すれば多国間協調は再起不能になる」からだ。

しかし、なぜ「再起不能になる」のかは教えてくれない。「『米国優先』の共和党候補やトランプ氏」が永遠に米国大統領になり続ける訳ではない。「米国優先」ではない大統領が生まれる可能性は当然にある。「24年の米大統領選挙」の結果は22世紀以降の米国の政策までも縛ってしまうと菅野氏は思い込んでいるのか。

見出しで「最後の好機」と打ち出したのだから「マルチ体制を蘇生する好機は、今を逃すと二度と来ないかもしれない」という部分は記事の肝のはずだ。なのに、なぜ「最後の好機」なのか、まともな説明は見当たらない。

百歩譲って「24年の米大統領選挙」で「トランプ氏」が勝利すると米国では永遠に「トランプ氏」的な大統領が続くとしよう。だからと言って「多国間協調は再起不能になる」とは限らない。例えば米国を除く全ての国が参加する自由貿易協定が発効したとしよう。この場合「マルチ体制を蘇生」できたと言えるのではないか。遠い将来まで見通せば、そうした可能性もゼロではないはずだ。

ドナルド・トランプ氏がホワイトハウスを去って50日足らずで、多国間主義(マルチラテラリズム)が冬眠から目覚め、動き出した」と菅野氏は言うが「冬眠」と「蘇生」を分ける基準もよく分からない。

バイデン米大統領は米国を温暖化対策の国際枠組み『パリ協定』や世界保健機関(WHO)に戻した」としても、「パリ協定」や「WHO」はそれまで瓦解していた訳ではない。米国が抜けると「多国間主義(マルチラテラリズム)」ではなくなるとの解釈なのか。

マルチラテラリズム」とは「貿易などの国際問題を、当事者である二国間だけではなく、多国間で調整・処理すべきであるという考え方」(日本語大辞典)であり、米国が参加しない「マルチラテラリズム」も当然にある。

「世界がマルチ体制を蘇生する好機は何度でも訪れる。そもそもマルチ体制は21世紀に入って死んだことがない」というのが常識的な判断ではないか。


※今回取り上げた記事「Deep Insight~『マルチの蘇生』最後の好機

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210309&ng=DGKKZO69768140Y1A300C2TCR000


※記事の評価はD(問題あり)。菅野幹雄氏への評価もDを据え置く。菅野氏については以下の投稿も参照してほしい。

「追加緩和ためらうな」?日経 菅野幹雄編集委員への疑問
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_20.html

「消費増税の再延期」日経 菅野幹雄編集委員の賛否は?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_2.html

日経 菅野幹雄編集委員に欠けていて加藤出氏にあるもの
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/08/blog-post_8.html

日経「トランプショック」 菅野幹雄編集委員の分析に異議
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/blog-post_11.html

英EU離脱は「孤立の選択」? 日経 菅野幹雄氏に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/03/blog-post_30.html

「金融緩和やめられない」はずだが…日経 菅野幹雄氏の矛盾
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/02/blog-post_16.html

トランプ大統領に「論理矛盾」があると日経 菅野幹雄氏は言うが…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/10/blog-post_24.html

日経 菅野幹雄氏「トランプ再選 直視のとき」の奇妙な解説
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_2.html

MMTの否定に無理あり 日経 菅野幹雄氏「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/mmt-deep-insight.html

「トランプ流の通商政策」最初の成果は日米?米韓? 日経 菅野幹雄氏の矛盾https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/blog-post_27.html

新型コロナウイルスは「約100年ぶりのパンデミック」? 日経 菅野幹雄氏に問うhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/100.html

「中間選挙が大事」は自明では?日経 菅野幹雄氏「Deep Insight」に足りないものhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/02/deep-insight.html

2021年3月8日月曜日

前田建設と前田道路は24%出資でも「親子」だった? 週刊ダイヤモンド松野友美記者に問う

週刊ダイヤモンド3月13日号の「『前田』の名を看板から消す覚悟も~前田建設、親子げんかの顛末」という記事は引っかかるところが多かった。まずは「親子げんか」について。記事の冒頭には「準大手ゼネコンの前田建設工業は1年前、グループ傘下の前田道路に対するTOB(株式公開買い付け)に成功した。当時『親子げんか』状態だった両社を束ねる統合会社は看板から『前田』を消そうとしている」との記述がある。

三ノ宮駅

当時」は「前田建設による前田道路株所有は24%強にとどまっていた」ことを筆者の松野友美記者も認めている。子会社ではなく関連会社だった「前田道路」は「」と争った訳ではない。親戚同士の争いといったところか。

さらに気になるのが「両社を束ねる統合会社」の話だ。「前田建設グループを統べる持ち株会社については、水面下で社名に前田の名前を冠さない案が出ている」という。

前田の名前を冠さない」理由について「コンセッションの世界では(「前田」というブランドが)逆に邪魔になることもある。『施工がしたくて入札に参加したと思われてしまう』(前田建設幹部)のだ。前田建設は施行だけでなく運営を受託すること、運営することで広がるビジネスに野心を持っている。その道を進むためには前田の名前すら外してしまおうというわけだ」と松野記者は説明している。

そもそも社名に「前田」を入れるかどうかで「入札」の結果が変わるのか疑問だ。空港などの「コンセッション」では、発注側も素人ではない。社名を変えても「旧前田建設」と認識される見るのが自然だ。

それに「施工がしたくて入札に参加したと思われて」もいいのではないか。「施行」の受注も狙っているのならば、大きな誤解はない。十分に魅力的な条件を提示すれば落札もできる気がする。「条件はいいけど前田建設は施工がしたいだけだろ。だから不採用」となるものなのか。

コンセッション」の受発注の内情に詳しい訳ではないが「施工がしたくて入札に参加したと思われてしまう」のを避けるためという理由には納得できなかった。


※今回取り上げた記事「『前田』の名を看板から消す覚悟も~前田建設、親子げんかの顛末


※記事の評価はD(問題あり)。松野友美記者への評価はDで確定とする。

2021年3月6日土曜日

ミス放置を続ける東洋経済 西村豪太編集長が片付けるべき「大きな宿題」

記事中のミスを放置すべきではない。間違い指摘には真摯に対応すべきだ。メディアとして当たり前のことを繰り返し訴えてきたのは、それを守れないメディアが当たり前に存在するからだ。週刊東洋経済もその1つ。

夕暮れ時の空

高橋由里氏、西村豪太氏、山田俊浩氏、そして再登板した西村氏。歴代編集長が連綿とミス放置の伝統を受け継いでいる。その西村氏が3月13日号の「編集部から」で気になることを書いていた。全文は以下の通り。

【東洋経済の記事】

新聞でも雑誌でも、「周年もの」で出色の記事を作るのはなかなか難しいものです。それでもやる意味があるのは、都合の悪いことは視界に入らない習性が人間にはあるからだと考えています。その果ての忘却を防ぐための仕掛けが「周年もの」なのではないでしょうか。

「3.11」から間もなく10年が経ちます。福島原発の処理水、除染土といった問題はいまだ片付かず、22ページからの記事にあるように廃炉の道筋もついていません。社会が関心を失えば、限られた当事者による判断でとんでもない間違いをしてしまうこともありえます。われわれは大きな「宿題」の存在を折に触れて思い出す必要があります


◎異論はないが…

都合の悪いことは視界に入らない習性が人間にはある」と西村氏は言う。間違い指摘を当たり前のように無視して記事中のミスを放置する東洋経済の姿は「都合」が「悪い」から「視界に入らない」ようにしているのか。あるいは「視界」に入っているのに悪しき伝統を守っているのか。

ミス放置の問題の1つは、意見に説得力がなくなってしまうことだ。「都合の悪いことは視界に入らない習性が人間にはある」「忘却を防ぐための仕掛けが『周年もの』」などと書いても「記事中のミスを平気で放置する編集長に言われても…」となってしまう。

東洋経済は2月13日号で「郵政崩壊~成長戦略もガバナンスも落第点」という特集を組んでいた。「ミス放置が当たり前の東洋経済はメディアとして落第点ではないのか。他者に落第点を付ける前にやるべきことがあるはずだ」と返されたら西村氏は何と答えるのか。

社会が関心を失えば、限られた当事者による判断でとんでもない間違いをしてしまうこともありえます」と西村氏は言う。その「とんでもない間違い」を東洋経済は続けている。

われわれは大きな『宿題』の存在を折に触れて思い出す必要があります」と本当に思うのならば、身近な「宿題」をまず片付けるべきだ。間違い指摘の無視を止め、誤りがあればきちんと訂正する。それができないまま他者に注文を付けても虚しいだけだ。

「過ちては改むるに憚ること勿れ」

西村氏には改めてこの言葉を贈りたい。「大きな『宿題』の存在」を西村氏は思い出せるだろうか。


※今回取り上げた記事「編集部から


※記事の評価は見送る。西村豪太氏への評価はF(根本的な欠陥あり)を据え置く。西村氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

道を踏み外した東洋経済 西村豪太編集長代理へ贈る言葉
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_4.html

「過ちて改めざる」東洋経済の西村豪太新編集長への手紙
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html

訂正記事を訂正できるか 東洋経済 西村豪太編集長に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_25.html

「巨大地震で円暴落」?東洋経済 西村豪太編集長のウブさ
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/01/blog-post_19.html

金融庁批判の資格なし 東洋経済の西村豪太編集長
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/03/blog-post_19.html

「貿易赤字の解消」で正解?東洋経済 西村豪太編集長に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_72.html

編集長時代はミス黙殺 コラムニストとしても苦しい東洋経済 西村豪太氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/12/blog-post_24.html

2021年3月5日金曜日

なぜ韓国は対象外? 日経 中村亮記者「米軍がアジアに対中ミサイル網」

5日の日本経済新聞朝刊1面に載った「米軍がアジアに対中ミサイル網 6年で2.9兆円要望~日比と協力焦点」という記事には色々と疑問を感じた。最初の段落を見た上で具体的に指摘したい。

有明海

【日経の記事】

米政府と議会はインド太平洋地域で中国への抑止力を強化するため、2022会計年度(21年10月~22年9月)から6年間で273億ドル(約2.9兆円)の予算を投じる案を検討する。沖縄からフィリピンを結ぶ第1列島線に沿って米軍の対中ミサイル網を築く。台湾や南シナ海の有事を想定しており、同盟国との協力も課題となる


◇   ◇   ◇


(1)「沖縄からフィリピンを結ぶ第1列島線」?

中村亮記者は「沖縄からフィリピンを結ぶ第1列島線」と書いているが、記事に付けた地図を見ると「第1列島線」は九州とベトナムを結んでいる。「沖縄からフィリピン」はその一部だ。地図が正しいとすると「沖縄からフィリピンを結ぶ第1列島線」という説明には問題がある。


(2)「日比と協力焦点」という見出しはどこから?

同盟国との協力も課題となる」とは書いているが、記事を最後まで読んでも「日比と協力焦点」という話は出てこない。「同盟国との協力」が「日比」限定ならば、本文中でもそう明示すべきだ。


(3)韓国はなぜ対象外?

一番分からなかったのが「米軍の対中ミサイル網を築く」のに、なぜ在韓米軍は「ミサイル網」を築かないのかだ。距離的には中国にかなり近い。あえて対象に入れていないのであれば、その理由は触れてほしかった。


(4)中国は台湾で活動?

記事中に「背景には、台湾や東シナ海、南シナ海での中国の活動に警戒が高まっていることがある」との記述がある。中国は実効支配していない「台湾」で「活動」しているのか。諜報活動などを指しているのか。あるいは「台湾近海」での「活動」との趣旨か。説明が不十分だ。


(5)日本にメリット?

日本にとってプラスだ」という「日本政府高官」のコメントが記事には出てくる。しかし「マイナス」としか思えなかった。記事でも「アジア諸国は米国のミサイル部隊を受け入れるほど中国の攻撃対象となり、経済で報復を受けるリスクもある」と書いている。

台湾や南シナ海の有事を想定」した「対中ミサイル網」を日本に置く意味があるのか。日本を守るための「対中ミサイル網」ならば、まだ分かる。「台湾」有事の際に日本国内から中国に向けて「ミサイル」が発射され、その報復として日本で大きな被害が出た時に「日本にとってプラス」だったと振り返れるのか。

国際1面の関連記事では「(日本の)財政負担も懸念材料」とも書いている。益が少なく害が多い「対中ミサイル網」をカネを出して配備してもらう気が知れない。これが日経の大好きな「日米同盟の強化」なのか。

中村記者には、その辺りも考えてこれから記事を書いてほしい。


※今回取り上げた記事「米軍がアジアに対中ミサイル網 6年で2.9兆円要望~日比と協力焦点

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210305&ng=DGKKZO69681580V00C21A3MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。中村亮記者への評価はDで据え置く。中村記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。

メキシコは「低税率国」? 日経1面「税収 世界で奪い合い」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/09/blog-post_3.html

カナダが「欧州」に見える日経「米欧、軍事費でも摩擦」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/blog-post_8.html

EU批判は「NATO批判」? 日経  中村亮記者に注文
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/eunato.html

日経「米欧とカナダ、ロシア追加制裁」に見える中村亮記者の拙さhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_85.html

プレジデントオンラインでのMMT否定論が的外れな明石順平氏

MMTを否定的に取り上げた記事に説得力はない。この経験則は今のところ外れがない。3日付のプレジデントオンラインに弁護士の明石順平氏が書いた「『値段が同じなのに食品が小さく』アベノミクスが招いた"通貨安インフレ"の怖さ~MMT論者は『返済』を軽視しすぎだ」も例外ではなかった。

アオサギ

記事の中身を見ていこう。

【プレジデントオンラインの記事】

しかし、財政への信頼喪失からくる通貨安インフレは、モノやサービスの需給とは別の次元の話です。現に、アベノミクスでも円安インフレは発生していますが、これは日本国内の需要が増えたからではなく、単なる通貨安インフレです。MMT論者は、この「通貨安インフレ」というものを全く無視しています

日本のMMT論者を見ていると、「物価上昇率前年比2%を達成するまでは財政拡大してよい」と主張する人が多いようですが、極端な財政支出の拡大をすれば、円安インフレによってあっという間に前年比2%は達成されてしまうでしょう。アベノミクスだって、2014年から15年にかけての原油の暴落という偶然が無ければ、前年比2%が達成されていたことは確実です。しかし、それは単に通貨の価値が落ちたことによるインフレですので、国民にとって全く意味の無い悪いインフレです。


◎「通貨安インフレ」を無視?

自国通貨建ての国債はデフォルトにならないので、インフレにならない限り、財政赤字は問題無い」というのが「MMT」の考えだと明石氏も書いている。「MMT論者は、この『通貨安インフレ』というものを全く無視しています」と言うが、「MMT」は裏返して言えば「インフレになると財政赤字を問題視する」考えだ。「通貨安インフレ」も除外していない。何を根拠に「通貨安インフレ」を「全く無視」と判断したのか。

通貨安インフレ」は「国民にとって全く意味の無い悪いインフレ」かもしれない。しかし「MMT」は「通貨安インフレ」を含む「インフレ」を軽視していない。この点で明石氏と大きな違いはない。

明石氏の「MMT」否定論をさらに見ていこう。

【プレジデントオンラインの記事】

日本がやっていることは、ポンジスキームに他なりません。したがって、投資家達が手を引けば、あっという間に国債が暴落します。毎年発生する莫大な償還金も、新しく金を借りられるから一応形の上では返済できているのです。しかし、借金の貸し手がいなくなれば、それは成り立ちません。国債が暴落すれば、通貨も運命を共にしますので、通貨も暴落し、凄まじい通貨安インフレが発生します。これが大規模に発生したのが、1980年代〜90年代における中南米の債務危機でした。

要するに、MMT論者は「返済」という要素を異常に軽視しているのです。借金で通貨が増えていくという理解は合っていますが、返済スケジュールが守られることが最も重要な要素です。


◎大きな勘違いが…

投資家達が手を引けば、あっという間に国債が暴落します」というのは大きな勘違いだ。日銀が徹底的に買い支えるとしたらどうか。日銀の国債購入能力に限界はない。その気になれば、全ての日本国債を買い入れることもできる。どこかに限界があると明石氏は見ているのか。だとしたら、それはどこなのか。思い付かないはずだ。

投資家達が手を引いても、日銀が買い支えれば国債は暴落しない。日銀の購入能力に資金的な限界はない」と考えるべきだ。

もちろん全ての国に当てはまる訳ではない。強い通貨主権を持っている日本だからできることだ。「自国通貨建ての国債はデフォルトにならないので、インフレにならない限り、財政赤字は問題無い」というのが「MMT」の主張だ。米ドル建ての債務を抱えた中南米の国が首が回らなくなる可能性は十分にある。「自国通貨」を持たないユーロ圏の国も「国債が暴落」するリスクを抱えている。

何のためにわざわざ「自国通貨建ての」と断っているのかを明石氏は考えるべきだ。「MMT論者は『返済』という要素を異常に軽視している」のではない。「自国通貨」を持つ国は「自国通貨建ての国債」の「返済」能力を心配しなくていいという当たり前の主張をしているだけだ。

最後に明石氏の主張の矛盾を1つ挙げておこう。

毎年発生する莫大な償還金も、新しく金を借りられるから一応形の上では返済できているのです。しかし、借金の貸し手がいなくなれば、それは成り立ちません」と言う一方で「形式的にデフォルトを避けるためなら、最後は自国の中央銀行に直接引受をさせればよい」とも書いている。

形式的にデフォルトを避ける」ことができるのに「借金の貸し手がいなくなれば」返済はできなくなるのか。それは「形式的」に見ても「デフォルト」ではないのか。

借金の貸し手がいなく」なった時に「自国の中央銀行に直接引受をさせ」た場合、「一応形の上では返済できている」と言えるのか、言えないのか。よく考えれば、自分の主張のおかしさに気付けるはずだ。


※今回取り上げた記事「『値段が同じなのに食品が小さく』アベノミクスが招いた"通貨安インフレ"の怖さ~MMT論者は『返済』を軽視しすぎだ」https://president.jp/articles/-/43691


※記事の評価はE(大いに問題あり)

2021年3月4日木曜日

「スウェーデンの集団免疫獲得は失敗」に根拠欠く週刊ダイヤモンド野村聖子記者

 スウェーデンの新型コロナウイルス対策は誤解されやすいようだ。週刊ダイヤモンド3月6日号の特集「最新!コロナ防衛術 免疫力の嘘ホント」でも野村聖子記者がおかしな説明をしている。

片の瀬橋

【ダイヤモンドの記事】

「ワクチンなしでも、みんなでコロナにかかれば集団免疫はもっと早く獲得できるのでは?」と思うかもしれないが、その道を選択したスウェーデンは冬に感染者、死亡者共に急増、作戦は失敗した。

コロナから解放されるにはワクチン以外、われわれに道は残されていないのだ。


◎関係ない話をされても…

記事の中で「集団免疫とは、ある集団の中で免疫を持つ人の割合がある一定割合以上に達し、その集団内で感染が拡大しにくい状態になったことを指す言葉だ」と野村記者も書いている。ならば「集団免疫」を「獲得」できたかどうかは「免疫を持つ人の割合」で見るしかない。

なのに「感染者、死亡者共に急増、作戦は失敗した」と書いている。「感染者、死亡者共に急増」したことと「集団免疫」の「獲得」は矛盾しない。「感染者」が「急増」したのならば「集団免疫」の「獲得」に向けて前進したとも言える。なぜ「免疫を持つ人の割合」に触れないのか。

「集団免疫の獲得=コロナからの解放」と見なすのであれば「コロナから解放されるにはワクチン以外、われわれに道は残されていない」と考える必要はない。「みんなでコロナにかかれば」済む。野村記者は「ワクチン」接種が進むことを望んでいるのだろう。だからと言って無理のある説明をしてはダメだ。

付け加えると「免疫を持つ人の割合がある一定割合以上に達し」と書くと「割合」が重複してしまう。「ある」も不要。「免疫を持つ人の割合が一定以上に達し」でいい。

野村記者は「その道を選択したスウェーデン」とも書いているが、「スウェーデン」が「集団免疫」の「獲得」を目指したのかも疑問だ。

昨年7月10日付の「集団免疫でなく持続性追求~元駐スウェーデン大使 渡辺芳樹氏」というの日経の記事では「スウェーデンは今回の新型コロナウイルス対策で集団免疫を獲得する戦略をとったわけではない。一時は70歳以上に外出自粛勧告を出し、規制を順次強め50人以上の集会も禁止した。ただ、欧州のほかの国のような都市封鎖(ロックダウン)はしなかった」と「渡辺芳樹氏」が述べている。

また、文藝春秋の昨年8月号に載った「スウェーデン『集団免疫作戦』のウソ」という記事で医師・疫学研究者の上田ピーター氏は以下のように記している。

まずスウェーデンの政策に関して、世界では『強制的なロックダウンを避けて独自路線を採った』『集団免疫の獲得を目指して、なるべく多くの人が感染することで事態を早期に収束させようとしたが、結局、失敗に終わった』と報じられています。しかし、こうした『集団免疫論』は、公式には一度も表明されていません

渡辺氏や上田氏が間違っていたり、記事掲載後にスウェーデンが政策を変更したりといった可能性は残る。本当にスウェーデンは「その道を選択した」のか。野村記者はしっかり確認したのだろうか。


※今回取り上げた記事「免疫とコロナが分かる~ワクチン&治療薬最前線」


※記事の評価はD(問題あり)。野村聖子記者への評価はDを維持する。野村記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。

週刊ダイヤモンド「不妊治療最前線」野村聖子記者に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/blog-post_16.html

回答までに半年を要した週刊ダイヤモンドの特集「医者&医学部 最新序列」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/blog-post_7.html

2021年3月3日水曜日

「若年層の保守化」の分析記事で毎日新聞の平田崇浩論説委員に感じた問題

毎日新聞世論調査室長兼論説委員の平田崇浩氏には「若者も自分と同じような考えに至るべきだ」との思いが強すぎる気がする。週刊エコノミスト3月9日号に平田氏が書いた「東奔政走~主体性なき若年層の保守化 底が抜けた政権のモラル」という記事の一部を見ていこう。

耳納連山

【エコノミストの記事】

2月調査の年代別の内閣支持率を見ると、30代以下(18~29歳45%▽30代45%)と40代以上(40代36%▽50代38%▽60代37%▽70代以上32%)の間にくっきりと断層が表れる。  

注目すべきは、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長が女性蔑視発言で辞任したことに対する評価だ。全体では「辞任は当然だ」が69%を占めたが、30代では62%、18~29歳では51%まで下がる。  

30代以下は、なぜもっと怒らないのだろうか。少子高齢化問題を全く解決できず、子どもを産み育てやすい社会環境を次世代に残すこともできていない「シルバー民主主義」の恥部をさらけ出したのが森発言だ。あらゆる職場で女性が枢要なポジションを占め、自由に発言し行動するのが当たり前になっていない日本社会の現実から目を背けてはならない。  

例えば、選択的夫婦別姓の導入にしても、夫婦同姓を当然のように受け入れてきた世代に政治を任せていては実現しない。若年層が奮起しなければ、この国の政治は変わらない。世代を挙げて保守化などしているときではないと思うのだが、どうにももどかしい


◎「保守化」は誤り?

世代を挙げて保守化などしているときではないと思うのだが、どうにももどかしい」というくだりに平田氏の考えがよく表れている。

「保守化していない上の世代」が正しくて「保守化した若者」が間違っているとの前提を感じる。「自分の考えが正しい」と信じることを否定はしないが、その視点で「若年層の保守化」を分析すると歪みが生じてしまう。

森喜朗前会長」の「女性蔑視発言」に関して「30代以下は、なぜもっと怒らないのだろうか」と平田氏は問いかけている。本来ならば「40代以上はなぜこんなに怒るのか」との問いも同時に立てるべきだ。しかし「怒るのが当然。怒らないのはおかしい」との前提があるので、分析が偏ってしまう。

怒らない」と言っても「18~29歳では51%」が「辞任は当然だ」と回答している。上の世代は発言に怒り、下の世代は怒っていないと二極化している訳ではない。

むしろ平田氏の怒り方の方が理解に苦しむ。「少子高齢化問題を全く解決できず、子どもを産み育てやすい社会環境を次世代に残すこともできていない『シルバー民主主義』の恥部をさらけ出したのが森発言だ」と言われても「そうですね」と返す気にはなれない。

少子高齢化問題を全く解決でき」ないことと「森発言」がどう関係するのか謎だ。全国民から「女性蔑視」の意識が完全に消えれば「少子高齢化問題」は「解決」に向かうのか。

子どもを産み育てやすい社会環境を次世代に残すこともできていない」との見方にも同意できない。もちろん完璧ではないが、「子どもを産み育てやすい社会環境」はかなり整っている。終戦直後のベビーブームの頃と今はどちらが「子どもを産み育てやすい社会環境」なのか、言うまでもない。

だからと言って、ベビーブームの時を上回る出生率を実現できる訳ではない。「子どもを産み育てやすい社会環境が整っていないから少子化が進行している」と平田氏は思い込んでいるのかもしれないが、問題はそんなに単純ではない。

若年層の保守化」の理由については「今の世の中悪くないよね」という感覚が「若年層」の方に強いからだと個人的には見ている。「森発言」への反発もこれで説明できる。

女性蔑視」の風潮を「若年層」はあまり感じていないのではないか。そのため、「森発言」に関しても「考えの古いおじいさんが困ったこと言っちゃったね」ぐらいの受け止め方が多くなるのだろう。

『シルバー民主主義』の恥部をさらけ出したのが森発言だ」とまで言い切る平田氏のような考えは、中高年である自分から見ても大げさで強引な感じがする。

選択的夫婦別姓」についても、平田氏は「導入=正しいこと」との前提を持っているようだが、そこは同意できない。国民の好みの問題だ。

選択的夫婦別姓の導入にしても、夫婦同姓を当然のように受け入れてきた世代に政治を任せていては実現しない」とは思わないが、仮にそういうものだとしよう。ならば「若年層」に任せておけばいい。どうしても「選択的夫婦別姓」が必要だと感じれば「導入」に動くだろう。「夫婦同姓を当然のように受け入れてきた世代」は温かく見守ってあげればいいのではないか。

世代を挙げて保守化などしているときではないと思うのだが、どうにももどかしい」と感じてしまうのは「自分と同じ価値観を若い世代にも持ってもらいたい」との願いがあるからだろう。分からなくもないが価値観の押し付けは控えたい。


※今回取り上げた記事「東奔政走~主体性なき若年層の保守化 底が抜けた政権のモラル」https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210309/se1/00m/020/041000c


※記事の評価はD(問題あり)

2021年3月2日火曜日

百貨店の「在庫リスク」の説明が違うような…日経「Jフロント、衣料品の定額課金」

2日の日本経済新聞朝刊1面に載った「Jフロント、衣料品の定額課金~月1.1万円 コロナ下、収益補完狙う」という記事の最後に「百貨店にとって衣料品は圧倒的な稼ぎ頭だ。ただ販売減で在庫リスクも高まっており、利用で稼ぐことで負担を減らす」という説明が出てくる。これは引っかかった。

大山ダム

百貨店の「衣料品」販売は基本的に消化仕入れだ。店頭で売れてから仕入れる形を取るので百貨店には「在庫リスク」がない。テナントとしてアパレルを入れている場合は賃料を取る形なので、やはり「在庫リスク」とは無縁だ。

Jフロント傘下の大丸松坂屋百貨店」が上記の2つの方式を基本にしている場合「在庫リスクも高まっており」という説明は問題が出てくる。

では、かなりの規模で買い取りの形で販売している場合はどうか。「新型コロナウイルスで来店客が減る」と想定しているのならば、仕入れ規模を抑制しているはずなので、基本的には「在庫リスク」も低下する可能性が高い。販売増加を見越して積極的に仕入れをしている時の方が「在庫リスク」は増すはずだ。

さらに言えば「利用で稼ぐことで負担を減らす」という話にもなりにくい気がする。

記事によると「大丸松坂屋が取引先のブランドから買い取り、顧客の利用データや経年変化などのデータをブランド側と共有」する仕組みらしい。この場合「在庫リスク」が新たに生じてしまう。消化仕入れなどで「在庫リスク」をできるだけ負わずにやってきた百貨店が「在庫リスク」を抱えて新たな道へ踏み出すと評価すべきなのかもしれない。

ただ、今回のニュースは1面に持っていくほどの話なのかとは感じた。

衣料品のサブスクリプション(定額課金)サービス」に関して「5年後に会員数3万人、売上高で年55億~60億円を目指す」らしい。目標を達成したとしても利益貢献としては10億円レベルだろう。「Jフロント」の業績に大きな貢献は期待できない。

毎月3着まで着用できる」と書いているが、「たった3着なのか」とも感じた。この分野に詳しい訳ではないが、他の「衣料品のサブスクサービス」と比べて料金も含め優位性は感じられない。

記事には「まず国内外の約50ブランドが参加。『マルニ』『シーバイクロエ』など海外有力ブランドのほか、三陽商会の『エポカ』なども入る」と書いてあり、ここがポイントなのだろう。

例えば「海外有力ブランド」の服をそろえた「サブスクサービス」は初めてといった説明があれば、少しは1面らしさが出てくる。記事には「小売り大手による衣料品のサブスクサービスは初めて」との記述はある。新規性のアピールとして、これが精一杯だとしたら、やはり1面ネタには苦しい。


※今回取り上げた記事「Jフロント、衣料品の定額課金~月1.1万円 コロナ下、収益補完狙う

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210302&ng=DGKKZO69554560S1A300C2MM8000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年3月1日月曜日

日経 山田彩未記者「女性起業拡大へVC動く」に感じた問題点

 1日の日本経済新聞朝刊スタートアップ面に載った「女性起業拡大へVC動く~ANRI、投資先の2割配分 多様性で収益伸ばす」という記事には色々と問題を感じた。山田彩未記者は最初の段落で以下のように書いている。

夕暮れ時の風景

【日経の記事】

女性の起業家が増えない現状を変えようと、ベンチャーキャピタル(VC)などが動き出している。主要国のスタートアップ投資のうち、女性が創業した企業への投資は3%どまりだ。企業の成長には多様性が不可欠との認識が広がり、独立系VCは投資の2割超を女性が代表の企業に充てる。米国では新規株式公開(IPO)の引き受け条件にする圧力も強まる。


◎「女性の起業家が増えない現状」を伝えないと…

記事を最後まで読んでも「女性の起業家が増えない現状」が伝わってこない。「主要国のスタートアップ投資のうち、女性が創業した企業への投資は3%どまり」といったデータは見せているが、これだと「女性の起業家」が増えていないとは言い切れない。「スタートアップ投資」の対象にならない「女性の起業家」もいるはずだ。「女性が創業した企業への投資は3%どまり」に関しても、少し前までは1%だった場合「急増」とも言える。

記事の続きを見ていこう。

【日経の記事】

「スタートアップが上場を目指すには経営陣が男性ばかりでは社会に受け入れられない」。独立系VCのANRI(東京・渋谷)の佐俣安理代表は語る。同社は2020年11月、運用中のファンド(総額220億円)で投資先の2割以上を女性が代表を務める企業にする方針を発表した。

「(投資先の)多様性の欠如は成長の妨げにもなる」(佐俣氏)と判断。リクルート出身者が起業した女性向けキャリアスクール運営のSHE(同・港)などに出資した。


◎「女性ばかり」は受け入れられる?

記事の内容から判断すると「ANRI」の方針はおかしい。「多様性の欠如」が問題だと思うのならば「経営陣」の男女バランスが適切な「スタートアップ」を投資対象にすれば済む。しかし、なぜか「投資先の2割以上を女性が代表を務める企業にする方針を発表した」らしい。

女性が代表を務める企業」の「経営陣」が女性のみだった場合「多様性の欠如」は問題にならないのか。だとしたら問題は「多様性の欠如」ではないはずだ。

女性の起業家」を増やすことと関係ない話も山田記者は盛り込んでいる。


【日経の記事】

ただ起業が盛んな米シリコンバレーでも男性偏重が続き、セクハラなどに反対する女性らの「#MeToo」の運動も広がった。米国では、成長企業に女性役員を求める動きが強まる。ゴールドマン・サックスが20年1月、女性など多様性をもたらす人材が取締役会に1人もいない企業のIPOを引き受けない方針を表明。ビッグデータ管理・分析のスノーフレイクが20年9月の上場直前に女性取締役を増員した。


◎取締役になれば「起業家」?

成長企業に女性役員」を入れたからと言って、その「女性役員」が「女性の起業家」になる訳ではない。「女性の起業家」を増やせば「女性役員」の増加要因になるが、創業後に「女性役員」を受け入れても「女性の起業家」は増えない。上記のくだりでは話が脱線している。

記事の中で最も問題を感じたのが以下のくだりだ。

【日経の記事】

スタートアップ情報の米クランチベースによると、米国や日本など主要国で女性を創業者に含む企業への投資額は19年に266億ドル(約2.8兆円)と10年比で8.6倍だった。全体の6.5倍より伸び率は大きい。だが女性のみで設立の企業への投資は全体のわずか3%。男性と共同創業の9%を足しても12%だ。

BCGは男女格差の原因として、(1)VCなど投資家が女性起業家に対し事業に無知だという偏見を持っている(2)男性起業家が自身を売り込みすぎている(3)男性投資家が育児や美容など女性起業家が多い事業領域を理解していない――を挙げた。


◎女性には何の「原因」もない?

この手の話では「女性の側に問題は全くない。問題があるとしたら社会構造、あるいは男性」という流れになりやすい。この記事もそうだ。

BCG」(ボストン・コンサルティング・グループ)の言い分をそのまま書いただけと山田記者は弁明するかもしれないが、この「男女格差の原因」は酷い。

VCなど投資家」は「偏見」の持ち主であり、「男性投資家」は「女性起業家が多い事業領域を理解していない」と決め付けている。「理解していない」比率は100%なのか。でないのならば、「理解していない場合が多い」などと記すべきだ。「BCG」がそういう表現を用いていないと言うなら「BCG」の分析を記事に盛り込むべきではない。

「偏見がある」「理解していない」などと特定の属性への侮蔑とも取れることを書くのならば、どういうデータでそういう傾向を読み取ったのか根拠も示すべきだ。男性蔑視に社会が寛容なのは分かる。だからと言って、全ての「男性投資家」は「女性起業家が多い事業領域を理解していない」と取れる書き方をするのは感心しない。

さらに言えば、女性の側に「男女格差の原因」を求めないのは無理がある。「BCG」は「男性起業家が自身を売り込みすぎている」と言っているらしいが、正当な方法で「売り込み」をしているのならば「売り込みすぎている」との説明はおかしい。むしろ「女性起業家は男性に比べて売り込みに消極的な傾向がある」などとすべきだ。


※今回取り上げた記事「女性起業拡大へVC動く~ANRI、投資先の2割配分 多様性で収益伸ばす

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210301&ng=DGKKZO69466690W1A220C2FFT000


※記事の評価はD(問題あり)。山田彩未記者への評価も暫定でDとする。