日本経済新聞朝刊1面連載で特に危険なのが「世界一変系」だ。今を時代の転換点と捉え「革命」や「パラダイムシフト」が起きて世界が一変すると説く。日経はこの手の連載を繰り返してきた。だが、そんなに頻繁に世界が一変する訳もなく、どうしても説得力に欠けてしまう。
7日のに始まった「パクスなき世界」もそうだ。第1回の「成長の女神 どこへ~コロナで消えた『平和と秩序』」という記事の書き出しは「世界は変わった」。「コロナ」は世界を一変させた面もあるが、やはり危険な香りが漂ってくる。最初の段落を見てみよう。
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大雨で冠水した福岡県久留米市内 ※写真と本文は無関係です |
【日経の記事】
世界は変わった。新型コロナウイルスの危機は格差の拡大や民主主義の動揺といった世界の矛盾をあぶり出した。経済の停滞や人口減、大国の対立。将来のことと高をくくっていた課題も前倒しで現実となってきた。古代ローマの平和と秩序の女神「パクス」が消え、20世紀型の価値観の再構築を問われている。あなたはどんな未来をつくりますか――。
◎無理があるような…
記事の言う通りならば「経済の停滞や人口減、大国の対立」は「将来のことと高をくくっていた課題」だったのに「新型コロナウイルスの危機」によって「前倒しで現実となってきた」のだろう。だが、いずれもコロナ以前から盛んに「課題」として議論されてきた問題だと思える。
これが「世界一変系」連載の辛いところだ。「経済の停滞や人口減、大国の対立」といった問題は以前からあったのに、急に世界が変わって「前倒しで現実となってきた」と訴えないと、なぜ今この連載をやるのかという意義付けをしにくい。
「20世紀」は米国が「パクス」で、21世紀には「パクス」が消えた。だから「20世紀型の価値観の再構築を問われている」というのが取材班の基本認識なのだろう。だが、21世紀に入って20年近くが経過している。「パクスなき世界」に人々は慣れていると捉える方が自然だ。なのになぜ今になって「20世紀型の価値観の再構築を問われている」のか。
「新型コロナウイルスの危機」によって米国という「パクス」が突然姿を消したのならば「価値観の再構築」が必要かもしれない。しかし、そうではないはずだ。
記事の続きを見ていこう。
【日経の記事】
「人々は同じ嵐に遭いながら同じ船に乗っていない」。米ニューヨーク市の市議イネツ・バロン氏は訴える。同市は新型コロナで約2万4千人もの死者を出した。
市内で最も所得水準の低いブロンクス区の死亡率を10万人あたりに当てはめると275。最も高所得のマンハッタン区の1.8倍だ。3月の都市封鎖後も低所得者が多い地区の住民は「収入を得るため外出し、ウイルスを家に持ち帰った」(同氏)。命の格差が開く。
◎同じ船に乗っているような…
「市内で最も所得水準の低いブロンクス区の死亡率」が「最も高所得のマンハッタン区の1.8倍」だとしても「同じ嵐に遭いながら同じ船に乗っていない」とは感じない。
「高所得」だから安全地帯にいるわけでも、「低所得」だと必ず座して死を待つ訳でもない。「所得水準」によって「死亡率」にある程度の差が出るのは、個人的にはそれほど気にならない。「1.8倍」ならば許容範囲内だと感じる。
さらに続きを見ていく。
【日経の記事】
危機は、成長の限界に直面する世界の現実を私たちに突きつけた。
古代ローマ、19世紀の英国、そして20世紀の米国。世界の繁栄をけん引する存在が経済や政治に秩序をもたらし、人々の思想の枠組みまで左右してきた。ローマの女神にちなみ、それぞれの時代の平和と安定を「パクス」と呼ぶ。だが今、成長を紡ぐ女神がいない。
パイが増えず、富の再分配が働かない。米国の潜在成長率は金融危機が起きた2008年に戦後初めて1%台に沈み、一定の教育を受けた25~37歳の家計所得は18年に6万2千ドルと89年の水準を4千ドル下回った。「子は親より豊かになる」神話は崩れ、中間層が縮む。「米国は富裕層と低所得層からなる途上国型経済となった」(経済史家ピーター・テミン氏)
◎新型コロナと関係ある?
「成長を紡ぐ女神がいない」「パイが増えず、富の再分配が働かない」という見立てが正しいとしよう。しかし根拠として挙げている数字は「18年」のものだ。「成長の限界に直面する世界の現実」は「新型コロナウイルスの危機」が「突きつけた」ものなのか。新型コロナの問題が起きる前から21世紀は「パクス」なき時代だったはずだ。
さらに続きを見ていく。
【日経の記事】
国際通貨基金(IMF)によると、先進国全体の実質成長率は1980年代、90年代の年平均3%から2010~20年は同1%に沈む。低温経済が世界に広がり、格差への不満をテコに独裁や大衆迎合主義が民主主義をむしばむ。中国やロシアなど強権国家の台頭を許す隙が生じ「パクスなき世界」を混乱が覆う。
◎具体性に欠けるが…
「低温経済が世界に広がり、格差への不満をテコに独裁や大衆迎合主義が民主主義をむしばむ」と書いているが、具体例は出てこない。「独裁」が現実になっているのであれば「民主主義をむしばむ」どころか「民主主義」は機能不全と言える。
「大衆迎合主義」に関しては、それが広がったからと言って「民主主義をむしばむ」と判断するのは早計だ。例えば「財政赤字を気にせず減税する」という主張を掲げる政党があって、これが「大衆迎合主義」に当たるとしよう。この政党を国民の多くが支持した結果、政権を獲得した。それは「民主主義をむしばむ」動きと言えるのか。
その後、「無茶な減税はまずい。財政健全化を進めるべきだ」と考える軍の指導者がクーデターを起こして軍事政権を打ち立てた場合「民主主義」は守られたことになるのか。取材班でよく考えてほしい。
さらに続きを見ていく。
【日経の記事】
経済成長の柱の一つは人口増だった。18世紀以降の産業革命は生産性を高め、19世紀初めにやっと10億人に届いた世界人口はその後125年で20億人に達した。第2次大戦後の60年代に世界の人口増加率は2%を超え、日本などが高成長した。
すでに伸びは鈍り、今後の人口増の多くもアフリカが占める。世界人口は2100年の109億人を頂点に頭打ちとなる。コロナ禍はそんな転換期の人類を襲った。
◎「転換期」と言える?
「コロナ禍はそんな転換期の人類を襲った」と書いているが、現在が「転換期」と言える理由が謎だ。「世界人口は2100年の109億人を頂点に頭打ちとなる」のならば「転換期」は80年後ではないのか。
あるいは人口の「伸び」が鈍った時が「転換期」なのか。記事に付けたグラフによると「人口増加率」が頭打ちとなったのは20年以上前のようだ。今を「転換期」と捉えるのは、やはり無理がある。
さらに見ていこう。
【日経の記事】
経済のデジタル化も「長期停滞」の一因となる。今秋の上場へ準備する中国の金融会社、アント・グループ。企業価値は2000億ドル(約21兆円)と期待され、トヨタ自動車の時価総額に並ぶ。10億人超が使う決済アプリ「支付宝(アリペイ)」が価値の源泉だ。
組織を支えるのは技術者を中心に約1万7千人。トヨタの連結従業員数約36万人を大きく下回る。豊かさを生む主役がモノからデータに移り、成長企業も大量の雇用を必要としない。一部の人材に富が集中し、低成長と格差拡大が連鎖する。
◎「成長企業も大量の雇用を必要としない」?
「成長企業も大量の雇用を必要としない」と書いているが「アント・グループ」は「約1万7千人」を雇用しているらしい。これを「成長企業も大量の雇用を必要としない」と見るべきなのか。
そこに無理があるから「トヨタ自動車」と比較しているのだろう。だが業種や事業形態が異なる企業を比較しただけで「成長企業も大量の雇用を必要としない」と結論付けるのは感心しない。
「アント・グループ」のような「成長企業」が数多く生まれて、それぞれが1万人規模の雇用を生み出す世界では「低成長と格差拡大が連鎖する」とは限らないのではないか。
記事はまだ続くが、長くなったのでこの辺りでやめておく。結論としては「世界一変系の日経1面連載はやはりツッコミどころが多い」でいいだろう。
※今回取り上げた記事「パクスなき世界(1)成長の女神 どこへ~コロナで消えた『平和と秩序』」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200907&ng=DGKKZO62882320R20C20A8MM8000
※記事の評価はD(問題あり)