2016年12月31日土曜日

公明党は「本妻」?「愛人」? なかなか届かぬFACTAの回答

12月22日にFACTAへ送った問い合わせにまだ回答がない。「カスタマーサポート」からは「このたびお寄せいただきましたご質問は、さっそく担当(編集部)に転送いたしました。あいにく今の時点で編集の者は皆取材等で出払っており、また連休も挟むためお返事にお時間をいただくこともあるかとは存じますが、担当へは連絡済みでございますので、お待ちいただければ幸いです」との連絡はあった。そんなに確認に時間のかかる問い合わせとも思えないのだが…。
大分城址公園(大分市) ※写真と本文は無関係です

問い合わせの内容は以下の通り。

【FACTAへの問い合わせ】

1月号に関して、いくつか質問させていただきます。まずは「首相『第2の愛人』と化す維新」という記事です。

記事には「自由党、保守党、みんなの党……。与野党が1議席を争う小選挙区制が96年に導入された後、政権批判票の大半は野党第1党に流れ、全国組織を持つ公明党と共産党を除き、第三極の政党は次々に消滅した。唯一の例外は民主党だ」との記述があります。

これを信じれば、社会民主党は「消滅」しているはずですが、今も国会に議席を有したまま生き残っています。消滅した政党の例示には2009年結成の「みんなの党」も入っているので、「96年時点で存在していた党」に限定して説明しているわけでもなさそうです。そう考えると「日本維新の会」や「自由党(旧生活の党と山本太郎となかまたち)」も第三極として存在しています。

「(消滅しなかった)唯一の例外は民主党」という説明は誤りではありませんか。正しいとすれば、その根拠を教えてください。

次に「菅の本領『公明に煮え湯』」という記事についてお尋ねします。この記事では以下のくだりが気になりました。

「英国のEU(欧州連合)離脱といい、米大統領選といい、イタリアの憲法改正といい、全国民の直接投票の怖さを立て続けに見てきた今、日本初の国民投票で失敗は許されない」

米国の大統領選挙は「直接選挙」ではなく、選挙人を選ぶ「間接選挙」です。得票数はクリントン氏がトランプ氏を上回っていたのですから、直接選挙であれば「怖さ」を見ることもなかったはずです。「直接投票」と「直接選挙」は別との可能性も考慮しましたが、無理があると思えます。

最後に公明党は「本妻」なのか「愛人」なのかについて教えてください。

「首相『第2の愛人』と化す維新」という記事では本文に「愛人」が出てきません。ただ、常識的に考えて、見出しが想定する「第1の愛人」は公明党でしょう。ところが「菅の本領『公明に煮え湯』」という記事では以下のように書いています。

「衆院採決で公明党に煮え湯を飲ませたのは『本妻でも甘い顔ばかりしてられない。これからは愛人の存在にも慣れてもらわなくちゃ』という無言の通告とみえる」。

ここからは「公明党=本妻」と受け取れます。別の筆者による記事かもしれませんが、同じ1月号の中で「本妻」になったり「愛人」になったりするのは問題だと思えます。FACTA編集部としては公明党を「本妻」「愛人」のどちらと判断しているのでしょうか。「首相にとっては愛人だが、自民党や菅官房長官にとっては本妻」というのも考えにくいところです。

質問は以上です。お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いします。

----------------------------------------

FACTAには、元日本経済新聞編集委員の大西康之氏を起用していることに関しても問い合わせを送っているが、これまた編集部からの回答はない。発行人兼編集主幹の阿部重夫氏、編集長の宮嶋巌氏には適切な対応を期待したい。


※「首相『第2の愛人』と化す維新」「菅の本領『公明に煮え湯』」という記事の評価はD(問題あり)。

※今回の件に関しては以下の投稿も参照してほしい。

記事の誤りに「説明なし」 宮嶋巌FACTA編集長へ贈る言葉
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/01/facta.html

2016年12月30日金曜日

日経女性面で誤った認識を垂れ流す水無田気流氏

日本経済新聞女性面にコラムを書いている水無田気流氏の問題は何度か取り上げてきた。30日の女性面のインタビュー記事でも、相変わらず思い込みに基づく誤った認識を垂れ流していた。聞き手である佐藤珠希女性面編集長にメールで意見を送ったので、その内容を紹介したい。
大分銀行赤レンガ館(大分市) ※写真と本文は無関係です

【日経女性面編集長へのメール】


日本経済新聞 女性面編集長 佐藤珠希様

12月30日の「女・男 ギャップを斬る~共働き社会 追いつかぬ政策 平日の子連れパパ 定着を/母に求める水準高すぎる」という記事について意見を述べさせていただきます。 記事は水無田気流氏と池田心豪氏に佐藤様がインタビューする内容となっています。この中で特に水無田氏の発言に問題を感じました。

記事の中では、女性だけが負担を強いられているかのような発言が出てきます。例えば「保育園の入園手続きは煩雑で仕事復帰へのプレッシャーも大きい。母親は精神的・時間的コストを一人で負っている」と水無田氏は述べていますが、父親が「精神的・時間的コスト」を負っているケースも当然にあります。家庭によって事情はそれぞれなのに「母親は精神的・時間的コストを一人で負っている」と断言するのは正しいのでしょうか。

より大きな問題があるのは以下の発言です。

「私も子どもが生まれたときは非常勤講師だったので、預け先探しに苦労した。専門学校の夜間講義の日は公営の一時保育に預け、午後9時に授業が終わると迎えに飛んで行き、寝ている息子を引き取りタクシーで帰る。託児コストで講義報酬の半分近くが消えた。両立のコストを女性だけが担っている。社会構造の問題だ」

「我が家の場合は両立のコストを女性である自分だけが担った」と言うのは分かります。しかし、それはあくまで水無田氏の話です。なのに、なぜか水無田氏は「両立のコストを女性だけが担っている。社会構造の問題だ」と全体に広げてしまいます。保育園への子供の送り迎えをしている男性など日本中に山ほどいます。それは佐藤様もご存じのはずです。なのに「両立のコストを女性だけが担っている」といった水無田氏の誤った認識を正さないまま、記事にしてよいのですか。

「両立のコストを負っている男性もいますよね」とインタビュー時に聞いてもいいでしょう。偏見が強すぎる部分については省いて記事にする選択もあります。しかし、そうした手を打たず、誤解に基づく水無田氏の発言をそのまま載せてしまったのは、佐藤様にも責任があります。

そもそも「両立のコストを女性だけが担っている」状況がおかしいと思うのならば、水無田氏はなぜ自ら改善に動かなかったのでしょうか。「託児コストで講義報酬の半分近くが消えた」と述べていますが、夫が働いていたのであれば、「託児コスト」の一部を負担してもらえばよいでしょう。夫が無職であれば、送り迎えは分担できそうです。健康上の問題などでそれも難しい場合はあり得ます。ただ、その場合は「社会構造の問題」というより、「個別の家庭の問題」と見るべきです。


「母親は精神的・時間的コストを一人で負っている」「両立のコストを女性だけが担っている」といった誤った情報を読者に届けるのは、そろそろ終わりにしませんか。水無田氏をどうしても使いたいのならば止めません。ただ、偏見に満ちた思い込みに関しては、佐藤様から働きかけて改めてあげてはどうでしょう。読者の利益を考えればそうすべきですし、結果として水無田氏の名誉も守られるはずです。

----------------------------------------

※記事の評価はD(問題あり)。佐藤珠希女性面編集長への評価はE(大いに問題あり)を据え置く。水無田気流氏については以下の投稿も参照してほしい。

日経女性面なら許される? 水無田気流氏の成立しない説明
http://kagehidehiko.blogspot.com/2015/10/blog-post_55.html

日経女性面「34歳までに2人出産を政府が推奨」は事実?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/34.html

日経女性面に自由過ぎるコラムを書く水無田気流氏
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_5.html

2016年12月29日木曜日

日経1面の解説記事をいつまで芹川洋一論説主幹に…

日本経済新聞は芹川洋一論説主幹に引導を渡す気はないようだ。29日の朝刊1面では、安倍晋三首相の真珠湾訪問を受けて、「揺らぐ価値 問い直す」というかなり長い解説記事を書かせていた。しかし、内容には辛さばかりが目立つ。具体的に指摘してみたい。
大原八幡宮(大分県日田市) ※写真と本文は無関係です

◎本当に「ヒント」がある?

【日経の記事】  

歴史の区切りとはこういうことなのだろう。1941年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃から75年。安倍晋三首相とオバマ米大統領がそろって慰霊碑に花をたむけた。5月の大統領の広島訪問とともに、過去を乗りこえた歴史の和解の光景として人々の記憶に刻み込まれるに違いない。

それは世界が大きく動き、新たな段階に入った2016年という節目の年を締めくくるにふさわしいできごとでもある。世界を揺さぶっている対立と分断を超克していくヒントを与えているように思えるからだ

----------------------------------------

安倍晋三首相とオバマ米大統領の真珠湾での慰霊を「世界を揺さぶっている対立と分断を超克していくヒントを与えているように思える」と芹川論説主幹は捉えている。それはそれでいい。しかし、記事を最後まで読んでも、真珠湾での慰霊にそんな意味を見出せる理由が分からなかった。これは最後に改めて論じる。

続きを見ていこう。


◎何のための「日本外交史」?

【日経の記事】

時計の針を日米開戦のころに戻してみよう。

「戦争は外交の破綻に始まって、外交の復活によって終局する」――。自由主義者の評論家・清沢洌(きよし)が開戦直後の42年、ペリー来航から真珠湾までの88年間をあらわした『日本外交史』の序文の一節だ。

出口が見えないまま「外交の破綻」で奇襲攻撃により突っ込んでいった戦争は、広島・長崎があり、あまりに多くの犠牲を払って無条件降伏という外交の無策で終局した。無残なものだった。

----------------------------------------

『日本外交史』の序文の一節」を紹介した意味が感じられない。この序文では「戦争は外交の復活によって終局する」となっているらしいが、太平洋戦争については芹川論説主幹も「無条件降伏という外交の無策で終局した」と結論付けている。つまり、「序文」の通りにはなっていない。ならば、何のために「序文」を持ち出したのか。

「序文の通りにならなかったことに意味がある」という場合もあるだろう。だが、芹川論説主幹はそこに踏み込むわけでもなく、話を進めてしまう(後で「外交の復活」は出てくるが、これはこれで問題がある。それは後述する)。

上記のくだりに関しては「時計の針を日米開戦のころに戻して」みる必要はなさそうだし、「日本外交史」の「序文」も無駄だ。太平洋戦争を振り返るのであれば、歴史的な事実を単純になぞるだけで済むと思える。


◎「ここまで来るのに戦後71年かかった」?

【日経の記事】

占領をへて講和・独立。米ソ冷戦構造のもと、日本は西側の一員として、経済も安全保障も米国に依存しながら、軽武装重商主義で高度成長を実現、経済大国になった。米側にとっても対ソ戦略上、日本を取り込んでおくのは得策だった。利益をともにする戦略的な同盟関係だった。

両国関係の深まりによって、冷戦後、民主主義と自由という価値を共有する「価値の同盟」になった。オバマ大統領の広島訪問と、こんどの安倍首相の真珠湾訪問が実現したのはその結果といえるだろう。

相互依存の利益の体系に加え、相互信頼の理念の体系にまで日米関係は発展してきたわけだ。ここまで来るのに戦後71年かかった。それは「外交の復活」の最終的なかたちでもある。

----------------------------------------

まず「ここまで来るのに戦後71年かかった」との説明が腑に落ちない。「相互依存の利益の体系に加え、相互信頼の理念の体系にまで日米関係」が発展するのに「戦後71年かかった」と芹川論説主幹は言いたいのだろう。しかし、その前に「(日米は)冷戦後、民主主義と自由という価値を共有する『価値の同盟』になった」とも書いている。ならば、「相互信頼の理念の体系にまで」発展させるのに要したのは「(冷戦後までの)戦後50年ほど」ではないのか。

『外交の復活』の最終的なかたち」との記述も奇妙だ。太平洋戦争は「外交の無策で終局した」はずだ。その後については「占領をへて講和・独立。米ソ冷戦構造のもと、日本は西側の一員として、経済も安全保障も米国に依存しながら、軽武装重商主義で高度成長を実現、経済大国になった」とは書いているものの、「外交の復活」には全く触れていない。

なのに、急に「『外交の復活』の最終的なかたち」と言われても困る。記事で述べてきたのは「外交の無策で終局した」ところまでだ。「いつの間に『復活』してたの?ちゃんと教えてよ」とツッコみたくなる。

そして今度は「歴史の終わり」というよく分からない説明が出てくる。

【日経の記事】

日米両国にとっての歴史の終わりから見えてきたものは、対立と分断を乗りこえるのは共通の利益と、価値の共有ということだ。それはグローバルな自由主義経済であり、民主主義と自由だったはずだ。

----------------------------------------

「えっ! 歴史の終わり?」と訳が分からなくなってしまった。「『外交の復活』の最終的なかたち」に辿り着いたら、それは「日米両国にとっての歴史の終わり」なのか。来年以降も「日米両国にとっての歴史」が続いていくと考えるのは誤りなのか。あまりにも説明が適当すぎる。


◎「民主主義」は機能しているような…

【日経の記事】

それが今や揺らいでいるのである。英国の欧州連合(EU)からの離脱決定や、トランプ米大統領誕生のベクトルが別の方向を向いているのは否定できない。保護主義や保守的な価値観、そしてポピュリズム(大衆迎合主義)が勢いを増している。寛容や多様性はすっかりかすんでしまっている。

----------------------------------------

英国の欧州連合(EU)からの離脱決定や、トランプ米大統領誕生」が「民主主義」とは「別の方向を向いている」とは思えない。民主主義的な手続きをしっかりと踏んだ上で「離脱決定」や「トランプ米大統領誕生」となったはずだ。芹川論主幹は何を見て「(民主主義とは)別の方向を向いている」と判断したのだろうか。

芹川論説主幹の思い切りが良すぎる説明はさらに続く。


◎EUモデルは「完全に破綻」?

【日経の記事】

要は世界はこれからどこへ向かうのかということだ。冷戦後、進歩的な世界観があった。国家の体をなしていない前近代(プレモダン)の世界から、国民国家による近代(モダン)の世界へ、そして国家の枠組みを超えていく脱近代(ポストモダン)の世界へ、と動いていくという考え方だ。

支配する理念は民主主義と自由である。そのいちばん進んだ例がEUだった。ところが中東からの難民もあって、このモデルは完全に破綻した

----------------------------------------

EUの「モデルは完全に破綻した」らしい。単に「破綻した」のではなく「完全に破綻した」のだ。これが正しいのであれば、EUは原型を留めないほどに崩れているはずだ。しかし、今のところ脱退決定が相次ぐという事態にさえ至っていない。芹川論説主幹は何を以って「完全に破綻した」と結論付けたのか。ここでも説明のいい加減さが出ている。

EUには加盟申請中の国もあり、英国離脱を乗り越えてその「モデル」をさらに広げていく可能性も十分にありそうだ。「完全に破綻」とまで言い切るのであれば、まともな根拠を示してほしい。

芹川論説主幹の説明を信じれば、EUにはもはや「民主主義と自由」もなさそうに思える。だが、本当にそうなのか。


◎結局、「真珠湾」とは関係ない?


【日経の記事】

今おこっているのは歯車の逆回転だ。歴史は一本調子では進まない。常に行きつ戻りつなのはその通りだ。しかし逆行するのに手をこまぬいていていいわけがない。混乱と摩擦の新たな歴史の始まりだけは何としても避けなければならない。

真珠湾から世界に発しているメッセージは歴史の和解だけでなく、健全な民主主義と自由という揺らぐ価値の問い直しではなかろうか

----------------------------------------

記事の結びで「真珠湾から世界に発しているメッセージは歴史の和解だけでなく、健全な民主主義と自由という揺らぐ価値の問い直しではなかろうか」と解説しているが、なぜそう言えるのかは教えてくれない。

安倍晋三首相とオバマ米大統領の真珠湾での慰霊」から直接的に「健全な民主主義と自由という揺らぐ価値の問い直し」に結び付けるのは困難だ。芹川論説主幹がそう結び付けたのならば、その経緯を読者に説明すべきだ。しかし、記事を読んでも「なぜそう解釈したのか」は見えてこない。

結局は「真珠湾での慰霊」と関係の薄い話に終始したのが今回の記事だ。1面に載せる意義は感じられない。せっかく解説記事を載せるのならば、もっとしっかりした書き手に任せるべきだと思うが、社内の力関係はそれを許さないのだろう。


※記事の評価はD(問題あり)。芹川洋一論説主幹への評価はE(大いに問題あり)を維持する。芹川論説主幹に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_50.html

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_98.html

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_51.html

日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_15.html

日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html

「株価連動政権」? 日経 芹川洋一論説委員長の誤解
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_31.html

日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html

日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_13.html

日経 芹川洋一論説主幹 「新聞礼讃」に見える驕り
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post_33.html

「若者ほど保守志向」と日経 芹川洋一論説主幹は言うが…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_39.html

ソ連参戦は「8月15日」? 日経 芹川洋一論説主幹に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/815.html

2016年12月28日水曜日

FACTAに問う「ミス放置」元日経編集委員 大西康之氏起用

元日本経済新聞編集委員の大西康之氏がFACTAで記事を書いているのをよく見かける。これはまずい。日経時代に記事中の明らかな誤りを放置した大西氏に関しては、記事の作り手としての資質を決定的に欠いていると評価している。そこでFACTAに質問を送ってみた。
角島大橋(山口県下関市) ※写真と本文は無関係です

「大西氏がそんな書き手だったとは…」という話ならば、FACTAには何の問題もない。少し調べれば簡単に事実確認できるはずだ。その上で執筆陣から外せばいい。

もちろん、こちらの事実誤認を指摘してもらっても構わない。万が一、大西氏が自らの対応を反省しているのであれば、それを大西氏が広く世の中に発信した上で再出発する手もある。だが、何もなかったかのように大西氏が記事を書き続ける選択を認める気にはなれない。


【FACTAへの問い合わせ】

発行人兼編集主幹 阿部重夫様  編集長 宮嶋巌様

「あなたの車も『エアバッグが危ない』」という記事を書いている、ジャーナリストで元日本経済新聞編集委員の大西康之氏を筆者として起用していることに関してお尋ねします。

まず、以下の事実はご存じでしょうか。

2012年5月21日付の日経朝刊総合・政治面に掲載された「迫真 危機の電子立国~シャープの決断(1)」という記事の中で、大西編集委員はシャープと鴻海精密工業(台湾)の提携に触れて「今年、創業100年を迎えるシャープが、日本の電機大手として初めて国際提携に踏み込んだ瞬間である」と描写しています。

これは明らかな誤りです。2012年より前にソニーとサムスンは液晶パネル事業で提携していました。この提携に関して「日本の電機大手による国際提携とは言えない」と主張するのは難しいでしょう。

22日付の(2)でも大西編集委員はシャープと鴻海の提携について「日本の電機産業として初めてとなる国際資本提携」と説明しています。ここでは「大手」とも限定していません。大手以外も含めれば、日本の電機メーカーが出資を受け入れた事例は珍しくありません。

しかし、担当デスクだった藤賀三雄氏は「これまでの電機メーカーの個別の事業分野に限定した提携や合弁事業とは一線を画す提携という意味で、初の国際提携と書いたものです」と日経社内で主張し、誤りを認めませんでした。大西氏は私が知る限りでは沈黙していたので、藤賀氏と同じ立場なのでしょう。

電機産業を担当する編集委員が「日本の電機大手として初めて国際提携に踏み込んだ瞬間」と誤解していただけでもお粗末な話ですが、間違いは誰にもあるので、そこを責めるつもりはありません。ただ、大西氏は誤りを認めず、周囲から反省を求められても読者軽視の姿勢を貫きました。記事の作り手としての資質を決定的に欠いていると評するしかありません。

御誌では、こうした事実を踏まえた上でも「大西氏はFACTAの執筆者に相応しい」と判断しているのでしょうか。だとしたら、御誌への評価も見直さざるをえません。

FACTA1月号の記事で大西氏は以下のように記事を締めています。

「エアバッグにまつわる真実が明らかになった今、『危険なエアバッグ』を野放しにしてきたことで起きた事故の責任に、どう答えるのか。自動車メーカーはタカタを人身御供にして、やり過ごす算段だろうが、一度開きかけたパンドラの箱が閉まるとは思えない」

大西氏の過去を知った上で記事を読むと、説得力はゼロです。記事中の明らかな誤りを放置してきた「責任に、どう答えるのか」と逆に大西氏に聞きたくなります。知らぬ顔をしたまま時の流れに身を任せて「やり過ごす算段」でしょうが、我々はそれを許してよいのでしょうか。

----------------------------------------

※この問い合わせは12月25日に送ったものだ。ほぼ3日が経った段階で回答はない。日経OBの阿部氏を含めてFACTA編集部が正しい判断をできるように祈りたい。


※大西氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経ビジネス 大西康之編集委員 F評価の理由
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_49.html

大西康之編集委員が誤解する「ホンダの英語公用化」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_71.html

東芝批判の資格ある? 日経ビジネス 大西康之編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_74.html

日経ビジネス大西康之編集委員「ニュースを突く」に見える矛盾
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/01/blog-post_31.html



※今回の件に関しては以下の投稿も参照してほしい。

記事の誤りに「説明なし」 宮嶋巌FACTA編集長へ贈る言葉
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/01/facta.html

2016年12月27日火曜日

二刀流は「過去に例がない」? 東洋経済「2017年大予測」

日本ハムファイターズの大谷翔平選手のような「二刀流」の選手が過去にもいたことは、かなり知られた話だと思っていた。ところが、週刊東洋経済12月31日・1月7日合併号の特集「2017年大予測」の中で「過去に例がない」と言い切っていた。そこで東洋経済に問い合わせを送ってみた。
柳川高校(福岡県柳川市) ※写真と本文は無関係です

【東洋経済への問い合わせ】

週刊東洋経済編集長 西村豪太様

12月31日・1月7日合併号の特集「2017年大予測」についてお尋ねします。北海道日本ハムファイターズ監督である栗山英樹氏へのインタビュー記事の中に「過去に例がない、大谷翔平選手の『二刀流』(投手と打者両方での試合出場)を確立させるなど、指導者として手腕を発揮」と栗山氏を紹介しています。しかし「二刀流」は大谷選手を除くと「過去に例がない」のでしょうか。

例えば関根潤三氏に関して、2013年の日経の記事に以下のような略歴が掲載されています。

「関根 潤三(せきね・じゅんぞう) 東京都出身。旧制日大三中から法大を経て1950年、近鉄に入団。最初は投手で合間に一塁手などで出場、57年から完全に野手に転向。プロ野球史上ただ一人、球宴に投手と野手でそれぞれ出場経験を持つ。巨人に移籍した65年オフに現役を引退。投手として通算65勝94敗、防御率3.43、打者として通算1137安打、打率2割7分9厘の成績を残した」

関根氏だけではありません「“元祖二刀流”野口二郎のとてつもない記録とは…」という2016年10月17日のスポーツ報知の記事ではこう書いています。

「(野口二郎の)二刀流は戦後になっても続き、その集大成が46年にマークした31試合連続安打という当時のプロ野球新記録である。戦争で肩を痛めたこともあり制球重視の老練な投手に生まれ変わり、野手としても外野に“コンバート”されていた。が、期間中は4度の完投を含め13試合に登板しながら、4安打2度を含め131打数48安打の打率3割6分6厘。この記録は当時は発見されず、48年に25試合連続安打を放った金星・坪内道則が新記録とされた」

こうした報道などから判断すると「過去に例がない」との記述には疑念が生じます。御誌の説明は誤りと考えてよいのでしょうか。正しいとすれば、その根拠も併せて教えてください。

御誌では読者からの間違い指摘を握りつぶす対応が常態化しています。日本を代表する経済誌の編集長として良心に恥じない選択をしてください。

----------------------------------------

問い合わせでは触れなかったが、「『二刀流』(投手と打者両方での試合出場)」という説明も問題なしとしない。「投手と打者両方での試合出場」でいいのならば、「二刀流」は全く珍しくない。指名打者制のないセ・リーグでは投手が当たり前に打席に立っている。

大谷選手を念頭に置いてプロ野球における「二刀流」を定義すると「投手・打者の両方で主力選手を目指すこと」辺りが適当だと思える。


※東洋経済の問い合わせ関連業務は既に年末年始休みに入っており、回答は1月4日以降になるらしい。西村豪太編集長がこれまでの行いを反省して新年には正しい道へ戻ってくるよう祈ろう。その可能性が限りなくゼロに近いとしても…。

追記)結局、回答はなかった。

2016年12月26日月曜日

宣伝臭さ丸出し 日経 水野裕司編集委員「経営の視点」

26日の日本経済新聞朝刊企業面に載った「経営の視点~企業、人とITで採用活動 『協働』が高める競争力」という記事は、筆者である水野裕司編集委員の志の低さが伝わってくる内容だった。こんな宣伝臭さ丸出しの記事を書いて心が痛まないのは悪い意味で凄い。気が引ける面があったのか、水野編集委員も「宣伝に見えないような工夫」を施してはいる。しかし、元の臭いが強烈なので、宣伝臭さを覆い隠すには至っていない。
杖立温泉(熊本県小国町) ※写真と本文は無関係です

社内での地位を確立している水野編集委員に「こんな内容の記事じゃダメでしょ」と注文を付けられる企業報道部のデスクはいないかもしれない。ただ、何十年も記事を書き続けてきて、「結局は宣伝臭い安直な記事しか書けなくなった」ではあまりに寂しい。「このままでよいのか」を水野編集委員にはよく考えてほしい。

記事の全文は以下の通り。

【日経の記事】

企業の採用活動にもIT(情報技術)が浸透してきた。人材サービスのビズリーチ(東京・渋谷)が選考の進捗状況や面接の評価を一元管理する「HRMOS(ハーモス)採用管理」を開発するなど、支援システムが広がり始めている。労働集約的だった採用活動の効率化や選考過程の「見える化」が進んでいる。

IT活用はまず、採用活動そのものの革新を後押しする。グルメ情報サイト運営のRetty(レッティ、東京・品川)は、管理が煩雑だった米国流の採用がやりやすくなり、より注力できるようになった。

米グーグルやフェイスブックでは「リファラル(紹介)採用」といって、社員が自分の人脈や友人のなかから候補者を選び、転職を働きかける方式が活発。自社の企業文化をわかっている社員自身が採用活動に携わることで、早くから会社に適応し成果を出せる人材を見つけやすいためだ。

ただリファラル採用は、候補者を口説き落とすのに1年以上かかることも珍しくない。面接を社内の誰が担当し、計何回実施するかも相手によって異なる。新卒一括採用と違い、選考過程を社内で共有するにはかなりの労力が要る

これをレッティは採用管理システムの導入で大幅に省力化した。約80人の社員全員が事業の成長の担い手を発掘する「全員採用」を掲げ、推進体制を整えた。IT活用をテコに人材資源を厚くしている例だ。

ITで選考過程を「見える化」したことが思わぬ経営上の効果を生んだのが、インターネット動画広告の製作を支援するViibar(ビーバー、東京・品川)だ。面接した社員がどんな問題意識を持っているか把握し、社員のベクトル合わせに役立てている。

中途入社希望者らと面接した社員は、その評価結果をシステムに書き込む。そこには会社が提供すべきサービス内容など経営戦略についての社員の考え方も表れる。経営者にとって貴重な情報だ

ビーバーのビジネスモデルは動画の作り手と顧客の企業をネット上で結びつけることだが、「企画段階から踏み込んで企業に提案することで、より価値を生める」(小栗幹生取締役)。社員数が現在の約50人に増える過程で、その基本戦略に人によってズレが生じることもあった。「見える化」により、会社のめざす方向の共有を改めて進めることができたという。

どんな会社でありたいか、社員の考えがバラバラだと組織の力が半減する。ITを集団の力の底上げにつなげている例といえる。

人工知能(AI)を使った採用や人事の支援システムも実用化され始めている。自社で活躍している人材はどんな行動パターンかなどをAIが学習し、適性判断や社内の人材登用に生かすというものだ。

ITが企業に浸透すればするほど、社員は、人間がこなした方がいいことや機械による代替が難しい仕事にシフトしていく必要がある。人脈を活用した即戦力の発掘や社内のベクトル合わせはその例だろう。ITと人の「協働」によって、企業の競争力をいかに高めるか。来年はますます大きな課題になる。

----------------------------------------

一読すれば誰でも分かるというものではないが、これは「ビズリーチ」の1社宣伝物の記事だ。「HRMOS(ハーモス)採用管理」のホームページによると、記事に出てくる「レッティ」も「ビーバー」もビズリーチが開発した採用管理システムのユーザーだ。

しかし、それを記事中で明らかにしてしまうと、ビズリーチの宣伝だとバレバレになる。なので、水野編集委員も手は打っている。レッティやビーバーがどこの「支援システム」を使っているのか隠している。

支援システムが広がり始めている」と1社だけではないような書き方をしているのも、宣伝臭さを隠すための方策と考えれば腑に落ちる。

本当に「支援システムが広がり始めている」のであれば、複数の支援システムを記事で紹介すればいい。しかし面倒だったからか他に適当な事例がないからか、水野編集委員はビズリーチとそのユーザーに頼って記事を仕上げてしまう。

それでも、記事をしっかり書けていれば「広告的な記事」としては問題ない。しかし、そうもなっていない。記事の中身にいくつかツッコミを入れてみよう。

◎そんなに「新卒一括採用」と違う?

リファラル採用」について「新卒一括採用と違い、選考過程を社内で共有するにはかなりの労力が要る」と水野編集委員は書いている。その理由として「リファラル採用は、候補者を口説き落とすのに1年以上かかることも珍しくない。面接を社内の誰が担当し、計何回実施するかも相手によって異なる」点を挙げている。

これに納得できるだろうか。まず採用に要する期間に関しては、長い方が情報を共有しやすいはずだ。「リファラル採用」の方がじっくり時間をかけるのであれば、情報共有のための時間も多く確保できる。

面接を社内の誰が担当し、計何回実施するかも相手によって異なる」のは「新卒一括採用」も似たようなものだと思えるが、仮に「新卒一括採用」では面接を担当する人は全て同一人物で、回数も同じだとしよう。だからと言って「リファラル採用」の方が情報共有が難しいとは言い切れない。

面接担当者や面接回数が決まったら、その情報を関係者で共有すれば済む。これだけならば、わざわざ新たなシステムを導入すべき話とも思えない。「ITで採用活動」などと大げさに言う必要もなさそうだ。


◎具体的なデータは?

レッティは採用管理システムの導入で大幅に省力化した」と水野編集委員は言い切っているが、「大幅」という漠然として情報を提供しているだけで、具体的な数値は教えてくれない。この辺りはいかにも宣伝臭い。

例えば「リファラル採用に要する期間は1人当たり平均6カ月かかっていたが、システムの導入によって2カ月程度まで短縮できた」などと書いてあれば、「確かに効果があるんだな」と実感できる。だが、そうした大きな効果は出ていないのだろう。出ていれば、水野編集委員も数字を出して紹介したはずだ。


◎そんな「効果」でよければ…

ビーバー」の事例はさらに辛い。「中途入社希望者らと面接した社員は、その評価結果をシステムに書き込む」。その内容が「経営者にとって貴重な情報」になるらしい。

そういう効果がないとは言わない。だが、「経営戦略についての社員の考え方」を知りたいのならば、そのための意見交換の場を作ったりする方が、よほど効率的で効果も大きい気がする。

面接した人に対する「評価結果」に「経営戦略についての社員の考え方」が表れるのは、事例としてはかなり限られているのではないか。そもそも「約50人」しかいない会社で「HRMOS(ハーモス)採用管理」のようなものに頼らないと「社員の考え方」を把握できないのならば、そちらの方を問題視した方がいいのかもしれない。


※記事の評価はD(問題あり)。水野裕司編集委員への評価もDを維持する。水野編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

通年採用で疲弊回避? 日経 水野裕司編集委員に問う(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_28.html

通年採用で疲弊回避? 日経 水野裕司編集委員に問う(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_22.html

2016年12月25日日曜日

FACTAに「声」を寄せた金山隆一エコノミスト編集長に期待

FACTA1月号の「読者の声」に気になる人が「」を寄せていた。週刊エコノミスト編集長の金山隆一氏だ。その中で金山氏は以下のように綴っている。
大分港(大分市) ※写真と本文は無関係です

【FACTAの記事】

経済メディアに26年従事してきたからこそ、「大手町と霞が関の取材だけで経済を分かった気になるな」と肝に銘じてきた。だから財界誌からネットまでくまなく見るがFACTAも欠かさず目を通す。

やはり気になるのは原発関連の報道。2016年2月号の橘川武郎・東京理科大学大学院教授の『「もんじゅ廃炉」は愚かな道』が指摘する「原発の賛否に関わらず社会全体が解決すべき使用済み核燃料の処理問題」など、原発推進か再稼働かという二項対立で解けない複雑な問題を丁寧に報道している姿勢がいい。

この頁の某月風紋も必ず目を通す。原子力規制庁の中途採用であぶり出した「オールジャパンで原子力人材が払底している」状況などはメディアが伝えるべき視点だ。

エネルギー問題だけでなく、15年以上続く慢性デフレの真因と打開策、ネット時代のメディアの新しい姿、資本主義の次の世界など、骨太のテーマで、どちらが新しい視点や切り口、ウルトラCの処方箋を提示できるか、誌面で勝負したい。

----------------------------------------

自分が知らないだけでよくある話かもしれないが、ライバル関係にある雑誌に「読者の声」を送っていたのが、まず驚きだった。例えて言えば、日経の編集局長が朝日の「」欄に編集局長として投稿するようなものだ。そんなことが起きれば驚愕するし、日経を少し見直すだろう(過去になかったと確認できているわけではない)。

しかも金山氏は「骨太のテーマで、どちらが新しい視点や切り口、ウルトラCの処方箋を提示できるか、誌面で勝負したい」と挑戦状も叩きつけている。週刊エコノミストでの取り組みに自信があるからできる芸当だと思える。

週刊ダイヤモンドの田中博氏、週刊東洋経済の西村豪太氏、日経ビジネスの飯田展久氏といった、読者からの間違い指摘を握りつぶしてでも自分たちのプライドを必死に守ろうとする類の編集長とは異なる「覚悟」を感じる。

日本の経済メディアの中で現在、最高の格付けを付与しているのが週刊エコノミストだ。ここが崩れると、かなり苦しい。しかし、「ウルトラCの処方箋を提示」しようとの気概を持ち、ライバル誌に勝負を挑む金山氏ならば、期待してもいいのではないか。今回の「読者の声」はそういう希望を与えてくれるものだった。


※参考までの「経済メディアの格付け」を以下で紹介しておく。8月時点の格付けを変更していない。

◆経済メディア格付け(2016年12月25日時点)

週刊エコノミスト(A) 
週刊東洋経済(BBB+) 
週刊ダイヤモンド(BBB)
FACTA(BBB)
日経ビジネス(BB)
日本経済新聞(BB)
日経ヴェリタス(BB)
日経MJ(BB-)
日経産業新聞(BB-)

※購読料を払うだけの価値があると思えるメディアをBBB以上に格付けしている。

2016年12月24日土曜日

どこが「北欧流と重なる」? 日経1面「砂上の安心網(5)」

日本経済新聞朝刊1面の連載「砂上の安心網~2030年不都合な未来」が24日にようやく最終回を迎えた。最初から最後まで一貫して苦しい内容だった。今回も取材班に送ったメールを紹介したい。取材班の中の1人でもいいから「このままではダメだ」と気付いてほしい。
大分県立大分上野丘高校(大分市) ※写真と本文は無関係です

◇取材班に送ったメールの内容◇

砂上の安心網」取材班のみなさんへ

砂上の安心網~2030年不都合な未来(5)生活保護、安住の温床 『働く』前提の仕組み欠く」という記事に関して意見を述べさせていただきます。

最終回では「2030年不都合な未来」をしっかり描いてくれるかと期待していましたが、そうはなりませんでした。最終回で「2030年」に触れたのは以下の部分だけです。

取材班の推計では団塊の世代が80代になる30年には65歳以上の高齢者1人を1.65人で支えることになる。現役世代の負担は増すばかりだ。支えられる側から支える側へ、1人でも多くの人が回らないと社会保障は立ちゆかなくなる

最終回のテーマは「生活保護」です。「2030年不都合な未来」というタイトルに忠実であれば、2030年に生活保護を巡ってどんな「不都合な未来」が待っているのかは不可欠な要素です。なのに、そこへ斬り込もうともしていません。記事からは取材班の「覚悟のなさ」が伝わってきます。

30年には65歳以上の高齢者1人を1.65人で支える」という話も、第1回で使ったデータの使い回しです。しかも現状との比較さえしていません。第1回に載せたグラフによると、「65歳以上人口1人当たりの就業者数」は16年でも「1.86人」となっており、30年の「1.65人」と決定的な差はありません。

生活保護を巡る「2030年」は描こうともしない。「高齢者1人を1.65人で支えることになる」とは言ってみるものの、現状との差が小さいためか比較はしない。これで「2030年」には「不都合な未来」が訪れると読者に納得してもらえるでしょうか。せっかく紙幅を割いて連載してきたのに、「覚悟のなさ」ばかりが伝わってくる中身でいいのでしょうか。

最終回に関しては他にも気になる点がありました。列挙しておきます。

【日経の記事】

最近、全国の自治体窓口で「はやり」があると聞いた。別々の場所にあった生活保護の受付と職業あっせんの窓口を近接させ、生活保護受給者をまずはハローワークに連れて行く。厚生労働省が旗を振った。

◎疑問その1~生活保護受給者が受付に出向く?

生活保護の受付」と聞くと「生活保護を受けたいと考える人が訪れる窓口」だと思ってしまいます。しかし、その直後に「生活保護受給者をまずはハローワークに連れて行く」との説明が出てきます。ここから判断すると、「受付」に来るのは「生活保護受給者(既に受給している人)」となります。ここは、どう解釈すべきか分かりませんでした。


【日経の記事】

北海道釧路市では2015年10月から福祉事務所内にハローワークの出張所を設置。ケースワーカーや就労支援員が仕事を探す人と一緒に労働条件を考えられるようになった。15年度に生活保護から抜け出した人は717人。ここ10年で最も多かったという。

◎疑問その2~なぜ比較を見せない?

福祉事務所内にハローワークの出張所を設置」した効果を見せるのであれば、設置直前と設置後を比べるべきでしょう。設置は2015年10月なので、15年度下期の実績を前年同期や15年度上期と比べるのが良さそうです。15年度と14年度の比較でもいいでしょう。

しかし、なぜか「15年度に生活保護から抜け出した人は717人。ここ10年で最も多かったという」と書いているだけです。ここから「確かに効果があったんだったな」とは実感できません。例えば、14年度の実績が「710人」だった場合、「効果があった」と言い切れますか。14年度との比較をあえて避けているのは、増加がわずかだからではありませんか。

【日経の記事】

15年度の生活保護世帯は160万強。世帯主が65歳未満なのは約74万だった。このうち約54万世帯は働いて収入を得ている人が誰もいない。様々な事情で働きたくても働けない人がいる。弱者を支えるのが安心網の重要な役割だ。しかし見方によっては約54万人の「潜在就業者」がいると捉えることもできそうだ。

◎疑問その3~54万人の「潜在就業者」がいる?

今回の記事では「世帯主が65歳未満」で「働いて収入を得ている人が誰もいない」生活保護世帯について「約54万人の『潜在就業者』がいると捉えることもできそうだ」と書いています。これは奇妙です。記事でも「様々な事情で働きたくても働けない人がいる」とも述べています。

働く能力があるのに働いていないのであれば、そうした人を「潜在就業者」と捉えるのも頷けます。しかし「約54万世帯」の全てがそうではないはずです。どの程度の「潜在就業者」がいるかを判断する上では、将来も就業が困難と思われる人の数を推定すべきです。しかし、記事では「世帯主が65歳未満」であれば働けるはずとの前提に立ってしまっています。

例えば、重度の若年性アルツハイマー病患者で就労が困難となり生活保護を受けているような人まで「潜在就業者」と見なすのは適切なのでしょうか。

【日経の記事】

「スウェーデンは生活保護は極力やらない。働かない人はサポートを受けないという基本理念がある」。日本総合研究所の湯元健治副理事長(59)の解説だ。福祉国家、スウェーデン。実は経済の活力を損なわないように社会保障給付の一部を厳しく制限する。働くことを前提とする姿勢は「ワーク・ファースト・プリンシプル」(勤労第一主義)と呼ばれるそうだ。

失業期間が長くなるほど失業保険はどんどん減る。働かない人は老後の備えも細ってしまう。その代わり、働く意思がある人は国が徹底的に背中を押す。

◎疑問その4~日本とそんなに違う?

日本とスウェーデンではそんなに差があるのでしょうか。スウェーデンに関して「失業期間が長くなるほど失業保険はどんどん減る」と書いていますが、日本では失業保険の給付は1年以内で終わってしまいます。支給期間で見れば、日本の方が厳しいのではありませんか。

生活保護に関しても、記事の説明だけでは何とも言えません。「スウェーデンは生活保護は極力やらない」とのコメントは出てきますが、具体的なデータがありません。日本でも、簡単な書類さえ出せばすぐに生活保護の対象となるわけではありません。データの裏付けなしに「日本はスウェーデンとは差がある」と訴えるような書き方は感心しません。

【日経の記事】

北欧流と重なる試みがあると聞いて北海道当別町を訪ねた。北海道医療大学構内のカフェ。泡立てたミルクで絵を描くラテアートで人気の東京・渋谷のカフェが社会福祉法人とともに出店した。「好きな絵でお客さんが喜ぶのがうれしい」。ラテアート担当の田村準起さん(30)は知的障害を持つが、小さな頃から絵が得意。掃除をするのも会議室にコーヒーを運ぶのも障害を持つ従業員だ。

◎疑問その5~どこが「北欧流と重なる」?

上記のくだりは意味不明です。「北海道医療大学構内のカフェ」の話はどこが「北欧流と重なる」のですか。記事で言う「北欧流」とは「働かない人はサポートを受けない」「働く意思がある人は国が徹底的に背中を押す」といったことでしょう。しかし、カフェの話では「知的障害を持つ」「田村準起さん(30)」が働いている様子を描いているだけです。

例えば、田村さんが「自分は知的障害があるから働きたくない」と訴えていたのに、「うちの町では生活保護なんか認めない。働かざる者食うべからずだよ。カフェを紹介してやるから、そこでカネを稼ぎな」と当別町の職員が諭して今に至っているのならば分かります。しかし、記事にそういった話は出てきません。記事のような説明で「北欧流と重なる」と言われても困ります。

以上です。連載はいずれ再開するのでしょう。その時は完成度の高い記事に仕上げてください。今回送った一連のメールがその一助となれば幸いです。

----------------------------------------

※連載全体の評価はD(問題あり)。今回の特集に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「2030年に限界」の根拠乏しい日経1面「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030.html

第2回で早くも「2030年」を放棄した日経「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030_20.html

「介護保険には頼れない」? 日経「砂上の安心網」の騙し
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_21.html

日経朝刊1面連載「砂上の安心網(4)」に見えた固定観念
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_62.html

2016年12月23日金曜日

説明が雑すぎる日経「数字が語る行く年来る年(6)」

技量不足なのか、やる気の問題なのか分からないが、23日の日本経済新聞朝刊 投資情報面に載った「数字が語る行く年来る年(6)7323億円 任天堂株、空前の売買代金 ポケモンがリスク資金に火」という記事は雑な説明が目立った。
成田山新勝寺 三重塔(千葉県成田市)
          ※写真と本文は無関係です

具体的に見ていこう。

◎「超高速取引」だとなぜ「集中」?

【日経の記事】

特定の銘柄に資金が集中する背景には、1秒間に数千回の売買を繰り返す超高速取引もある。東証では取引所のシステムにサーバーを併設する「コロケーション」と呼ぶ超高速売買が活発化。16年は全取引の過半を占めるまでになった。

------------------

超高速売買が活発化」すると「特定の銘柄に資金が集中する」らしいが、なぜそうなるか全く説明していない。高速売買は幅広い銘柄で可能なはずだ。「高速売買の広がり→特定銘柄への売買集中」と当然になるわけではない。


◎問題が多すぎて解読困難

【日経の記事】

一方、年金基金などを預かる機関投資家は運用資産が膨らみ、ここ数年、株価指数に沿って広く薄く投資するパッシブ運用に傾いてきた。BNPパリバ証券の岡沢恭弥グローバルマーケット統括本部長は「海外投資家の質問は8割が政治と日銀。個別企業の話題は乏しい」という。パッシブ運用の投資家も、市場平均以上の収益を稼ぐには任天堂のような成長株を無視できなくなっている

----------------------------------------

このくだりは問題が多すぎて解読困難だ。仮にデスクが頼りにならないとしても、紙面化する前に「これじゃまずい」と誰か声を上げなかったのか。

流れを簡単に言うと「機関投資家はパッシブ運用傾斜、海外投資家も個別株に関心乏しい」という話を受けて「パッシブ運用の投資家も成長株を無視できなくなっている」と結論を導いている。話の前段を素直に受け継げば「パッシブ運用が中心の投資家は任天堂のような成長株に見向きもしない」などとなる方が自然だ。記事の書き方ではまともな説明になってない。

さらに言えば、「パッシブ運用の投資家も、市場平均以上の収益を稼ぐには」との記述が謎だ。パッシブ運用で市場平均以上の収益を稼ごうとする投資家などいるのか。そもそも市場平均を上回る運用成績を狙うのならば、その時点で基本的にはアクティブ運用になってしまう。


◎「需給」が「成長性の根拠」?

【日経の記事】

ただ、期待先行で急騰した銘柄ほど反動の谷は深い。任天堂は株価の最終的な決め手となる業績予測の難しさを示した。成長性の根拠は「いずれメガヒットを飛ばしてくれるという期待」(カブドットコム証券の佐野真営業推進部長)と売り買いの需給だけだ。

----------------------------------------

いずれメガヒットを飛ばしてくれるという期待」が「成長性の根拠」と言えるかどうか怪しいが、これはまだ分かる。次の「売り買いの需給」は謎だ。需給が逼迫していても緩んでいても「成長性の根拠」にはなりそうもない。

筆者は「株式の需給が締まる=成長性が高まる」と考えているのだろう。しかし、例えば自社株買いには企業の成長性を高める効果があるだろうか。むしろ、増資して株式の需給を緩める方が、まだ増資資金を用いた成長への投資などが期待できる。

この記事には他にもツッコミどころがあるが、この辺りで終わりにしたい。記事の説明不足は十分に分かってもらえたはずだ。連載の担当者は「田中俊行、真鍋和也、井川遼、田中博人、岸田幸子、土居倫之」の各記者となっていた。6人がそれぞれ1回分を担当したのだろう。

誰がどの回を書いたのか分からないので、書き手への評価は見送る。ただ、「自分が書いた分以外は無関係」と思ってもらっては困る。今回指摘したのは、株式市場に関するある程度の知識があれば誰でもできる初歩的なものだ。

経済紙で株式市場を担当する記者が6人も集まって、このレベルでは寂しすぎる。記者にもデスクにも能力がない場合、周囲が補うしかない。同じ連載の担当記者なのに、問題に気付いていても黙っていたとすれば、読者への背信行為だ。

「自分たちは、こんなにレベルの低い記事をなぜ世に送り出してしまったのか」をそれぞれが改めて自問してほしい。


※記事の評価はD(問題あり)。今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

記事の信頼性を損なう日経の「ブラックスワン」大安売り
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_47.html

投信の比較が恣意的な日経「数字が語る行く年来る年」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_17.html

2016年12月22日木曜日

日経朝刊1面連載「砂上の安心網(4)」に見えた固定観念

くどいのは承知の上で、今回も日本経済新聞朝刊1面の「砂上の安心網~2030年不都合な未来」という連載の問題点を指摘していく。例によって取材班にメールを送った。内容は以下の通り。
草千里ヶ浜(熊本県阿蘇市) ※写真と本文は無関係です


◇取材班へのメール◇

砂上の安心網~2030年不都合な未来(4) 政治に『老高若低』の呪縛 痛み伴う改革 及び腰」という記事に関して意見を述べさせていただきます。

まず「2030年問題」に触れておきます。第4回では再び「2030年」の「不都合な未来」を描くことを放棄していました。ここまで来れば「2030年不都合な未来」というタイトルを付けたのが失敗だったと結論付けてよいでしょう。

それ以外で気になったのは、根拠を示さず社会保障を「高齢者偏重」と決め付けた点です。記事の最初の方では以下のように書いています。

【日経の記事】

「人生100年時代の社会保障へ」――。10月26日、小泉進次郎氏ら若手議員約20人でつくる自民党の「2020年以降の経済財政構想小委員会」はこう題した提言をまとめた。年金の支給開始年齢のさらなる引き上げなどを打ち出した。

めざすのは高齢者偏重から全世代型の社会保障、とりわけ「自助を最大限に支援する制度」への変革だ。「痛みが伴う改革から逃げてはならない」と訴えるのも、財政難を背景に「ないものはない」(小泉氏)と考えるからだ。

若手議員らしく中長期的な視点で改革姿勢を鮮明にしたが、党内で注目度は低い。当面の政策に反映されないからだ。「言いっ放しの提言」と冷ややかな視線も漂う。

----------------------------------------

経済財政構想小委員会では「高齢者偏重」と判断しているのでしょう。しかし、取材班のみなさんがそれを素直に受け入れる必要はありません。仮に受け入れたのであれば、なぜ「高齢者偏重」と言えるのか読者に根拠を示すべきです。

経済財政構想小委員会によると「現在の社会保障は、高齢世代に90兆円程度、子供世代に20兆円程度、現役世代に20兆円程度を支給している」そうです。これだけでは「偏重」かどうかは判断できません。人口構成や、社会保障の必要性が異なるからです。「高齢世代、子供世代、現役世代にそれぞれ43兆円程度」となるのが偏重のない正しい姿とは言い切れないはずです。

現状が「高齢者偏重」ではないとは言いません。ただ、記事で「高齢者偏重」の是正を訴えるのであれば、「確かに高齢者に偏重しているな」と読者を納得させてほしいのです。今回の記事ではそれを最初から放棄しています。これでは説得力が生まれるはずもありません。

気になる点をさらに列挙していきます。

【日経の記事】

12月15日の自民党本部。厚生労働部会に怒号が響いた。「こんな見直しバカじゃないか」「すべて厚労予算の削減でやるのは難しい」。患者負担上限を定めた「高額療養費制度」の高齢者の一部を対象とした見直しは了承されたが、厚労族は怒りをぶちまけた。

◎疑問その1~怒号? 怒り?

すべて厚労予算の削減でやるのは難しい」との発言は「怒号」なのでしょうか。コメントだけ読むと「怒号」ではなさそうですし、「怒りをぶちまけた」ようにも見えません。


【日経の記事】

与党議員には苦い記憶が頭をよぎる。小泉純一郎内閣が06年に社会保障費の伸びを5年間抑える方針を決定。「高齢者いじめ」と批判され、09年に政権から転落する要因になったとみる。衆院解散風におびえ有権者が嫌がる負担増には及び腰だ。

選挙の投票率は年齢が上がるほど高くなる傾向があり、政治は「老高若低」に傾く。安倍晋三首相も高い内閣支持率を使って抜本的な改革に切り込む姿勢は見えない。

◎疑問その2~若者は「抜本的な改革」を支持?

上記の書き方だと投票率が「老高若低」だから抜本改革が進まないと受け取れます。しかし、若者は本当に「抜本的な改革」を支持しているのでしょうか。例えば、年金支給開始年齢を80歳にして、給付水準も今の半分にしてみましょう。

個人的な経験で恐縮ですが、こうした「抜本的な改革」を求めるか20代の若者に聞くと、ほぼ全員が否定的な見解を示します。理由は「自分もいずれは高齢者になるから」です。記事には「若い世代は抜本的な改革に賛成」との前提を感じますが、それは怪しい気がします。実際に記事でも、若い世代の改革志向を確認できる根拠を示していません。

【日経の記事】

「町はさびれ、各世帯は孤立し、独居老人はたくさんいた。他人の世話になりたくないという人たちも集まれる家庭的な介護の場をつくれないかと」。高知県中芸広域連合保健福祉課の広末ゆか課長らは13年前に田野町に「なかよし交流館」をつくった。今では独居老人らのたまり場になっている。

認知症や身体に障害をかかえた人も肩を寄せ合う。食事や入浴といった実費だけで手軽に利用でき、ボランティアの職員を募るなどして運営費を抑える。国の介護保険制度にできるだけ頼らないようにした同様の施設は県内42カ所にまで広がった。広末氏は話す。「公助はもう限界に来ている」

◎疑問その3~「なかよし交流館」は「公助」ではない?

なかよし交流館」とは自治体が造ったものではないのですか。記事の書き方からは「広末ゆか課長ら」が個人でカネを出しているようにも読めますが、常識的に考えると自治体から資金が出ているのでしょう。だとしたら、それも「公助」です。

公助」で箱モノを「県内42カ所」に造っているのに「公助はもう限界に来ている」と訴えても説得力はありません。むしろ「公助にできることは山のようにある」とでも語ってもらうべきでしょう。

----------------------------------------

※記事の評価はD(問題あり)。「高齢者偏重」「老高若低」などでは、取材班の固定観念の強さを感じた。「本当にそうなのか」「なぜそう言えるのか」と突き詰めて考えずに、誰かが言った話をそのまま受け入れてはいないか。その点をじっくり考えてほしい。

※今回の特集に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「2030年に限界」の根拠乏しい日経1面「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030.html

第2回で早くも「2030年」を放棄した日経「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030_20.html

「介護保険には頼れない」? 日経「砂上の安心網」の騙し
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_21.html

どこが「北欧流と重なる」? 日経1面「砂上の安心網(5)」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_42.html

2016年12月21日水曜日

「介護保険には頼れない」? 日経「砂上の安心網」の騙し

ややくどい気もするが、今回も日本経済新聞朝刊1面の「砂上の安心網~2030年不都合な未来」という連載を取り上げる。21日の「(3)認知症家族に迫る限界 介護保険には頼れない」では「2030年」にこそ触れていたものの、「介護保険には頼れない」との主張はご都合主義的で無理があった。今回も取材班にメールを送ったので、その内容を紹介したい。
震災後の熊本城(熊本市) ※写真と本文は無関係です

◇取材班に送ったメール◇

「砂上の安心網」取材班のみなさんへ

砂上の安心網~2030年不都合な未来(3)認知症家族に迫る限界 介護保険には頼れない」という記事に関して、意見を述べさせていただきます。

第2回では早くも「2030年不都合な未来」を描くことを放棄してしまいましたが、第3回では「30年」の文字が見えます。この点では第2回からの改善が感じられます。

しかし、「なぜ2030年に焦点を当てるのか」という、連載が始まって以来の問題は残っています。今回の記事では「認知症大国・日本。462万人(2012年)の認知症の人は、団塊の世代が80代になる30年、多いシナリオで830万人に。森さんが体験した介護の日々は、多くの人の日常になる」と書いています。

取材班では、内閣府の資料を基に「30年、多いシナリオで830万人に」と書いたのでしょう。この資料によると、「多いシナリオ」では2040年に953万人、2050年に1016万人、2060年に1154万人となっています。つまり何十年も増え続けます。そこで増加途上である2030年の「830万人」を取り上げて「森さんが体験した介護の日々は、多くの人の日常になる」と訴える意味はあるのでしょうか。

記事の書き方では、認知症患者の数が「462万人」ならば「多くの人の日常」ではないが、「830万人」だと「多くの人の日常」になるとも解釈できます。しかし、そうでしょうか。認知症患者の介護は、現時点でも「多くの人の日常」になっているはずです。

こうした問題が生じるのも「2030年不都合な未来」というタイトルのためです。「2030年」に触れなければ、連載の趣旨に合わなくなります。しかし、「2030年」を差し込もうとすると、今度は「なぜ2030年に特に焦点を当てるのか」という問題が出てきます。結局は、そこを乗り越えられないまま説得力の乏しい記事になってしまったというのが第3回でしょう。

他にも気になった点があるので指摘しておきます。

【日経の記事】

「物忘れがひどくなってきた。いずれは施設なのかな」。東京都世田谷区の奈良慶子さんは悩む。

生後半年の娘を抱え、認知症の父親(85)を介護する。「ダブルケアは負担が大きい」。施設を頼ろうにも、特別養護老人ホーム(特養)への入所には、父親の要介護度がネックになる。

今は生活の一部に介助がいる要介護1。15年の介護保険法改正で、要介護1と2は原則、入所対象外に。認知症の特例はあるが、区内には2000人近い待機者がおりメドがたたない。

「認知症は介護が大変なのに要介護度が低い」。青森県で特養を営む中山辰巳さん(64)は嘆く。

介護保険は身体機能の衰えへの支えを重視する。妄想や問題行動は体が元気でも出るため、要介護度と介護の大変さが一致しない例もある。「そもそも介護保険の成立時、認知症の激増は前提ではなかった」


◎疑問その1~取材班は「社会保障費抑制派」では?

取材班のみなさんは「痛みを伴う人がたくさんいるかもしれない」けれど、「自助が果たす役割」を重視して社会保障費を抑えていこうとの立場ではなかったのですか。

上記のくだりを読むと「認知症患者の介護認定をもっと甘めにしてあげるべきだ」と訴えているようにも感じます。取材班の立場を貫くならば、奈良慶子さんに関しては「大変だろうが、父親を施設に入れるのは諦めて、自分で頑張るべきだ」となりそうなものですが…。


◎疑問その2~父親の要介護度は低い?

奈良さんの父親に関しては「物忘れがひどくなってきた」「今は生活の一部に介助がいる要介護1」と書いてあるだけです。これだけだと、それほど大変そうには見えません。大変さを出すために「生後半年の娘を抱え」と入れているのでしょうが、85歳の父親がいる女性が「生後半年の娘を抱え」ているケースはかなり特殊です。奈良さんの事例では、情報が限られていることもあり、「父親の要介護度が低すぎる」とは思えませんでした。


◎疑問その3~なぜ「特養」限定?

最も気になったのが、なぜ「施設=特養」なのかです。グループホームであれば奈良さんの父親のような要介護1の認知症患者でも入所できます。記事の書き方だと、奈良さんには介護保険を利用して父親を施設に入れる道がないかのようです。

世田谷区でグループホームに空きがあるのかどうかは分かりませんが、特養以外にも選択肢がある点は記事中で触れるべきでしょう。待機者の多さで知られる特養だけを取り上げて「メドが立たない」と訴えても説得力はありません。一種の「騙し」です。


【日経の記事】

たとえ認知症でも、介護保険だけに頼るのはますます厳しくなる。そんな未来を見据え、自ら備える意識も広がる。太陽生命保険の「ひまわり認知症治療保険」。認知症になると300万円を給付する。3月の発売後、予想を上回る約14万6千件の契約を集めた。

◎疑問その4~なぜ宣伝みたいなことを?

記事の終盤に「ひまわり認知症治療保険」の“宣伝”が出てきたのは残念です。記事では保険料の水準にも触れず「認知症になると300万円を給付する」と、もらえる部分だけを前面に出しています。総合的に判断して「ひまわり認知症治療保険」が優れていると判断したのならば、その根拠を示すべきです。

そもそも記事では「認知症の人を1人介護するのに、年382万円も家族は無償で負担している」と書いています。「ひまわり認知症治療保険」で300万円を得ても1年分の負担も賄えません。保険料が極端に安いならば別ですが、「介護保険には頼れない」と不安を煽った上で、「ひまわり認知症治療保険」を“宣伝”してあげるのは頂けません。

さらに言えば「3月の発売後、予想を上回る約14万6千件の契約を集めた」との情報にもほとんど意味はありません。予想をどの程度上回っているのか触れていませんし、「14万6千件の契約」が多いのか少ないのかも一般の読者には判断できません。紙幅を割いてこの手の“宣伝”をしていては、読者の信頼を得るのは難しいでしょう(騙される読者も多いとは思いますが…)。

----------------------------------------

※記事の評価はD(問題あり)。今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「2030年に限界」の根拠乏しい日経1面「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030.html

第2回で早くも「2030年」を放棄した日経「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030_20.html

日経朝刊1面連載「砂上の安心網(4)」に見えた固定観念
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_62.html

どこが「北欧流と重なる」? 日経1面「砂上の安心網(5)」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_42.html

2016年12月20日火曜日

第2回で早くも「2030年」を放棄した日経「砂上の安心網」

日本経済新聞朝刊1面の「砂上の安心網~2030年不都合な未来」という連載は19日の第2回で早くも「2030年」の「不都合な未来」を描かなくなってしまった。第1回の内容から考えても、そうなる予感はあったが…。第1回の記事に「ご意見や体験談を取材班にお送りください」と書いてあったので、そこに出ていた取材班のメールアドレスに意見を送ってみた。ここではその内容を紹介したい。
夜明ダム(福岡県うきは市・大分県日田市)
              ※写真と本文は無関係です


◇取材班に送ったメールの内容◇


「砂上の安心網」取材班の皆さんへ

砂上の安心網~2030年不都合な未来(2) 超高額薬時代の序章 『革命』に揺らぐ皆保険」という記事に関して意見を述べさせていただきます。

まず気になったのは、第2回で早くも「2030年」を論じることを放棄してしまった点です。第1回でも「なぜ2030年に絞るのか」は曖昧でしたし、「2030年、支え合いは限界に」と断定しているのに、まともな根拠を提示していないといった問題はありました。それでも、「2030年」を描こうする意思は伝わってきました。

しかし、第2回では「2030年不都合な未来」に全く触れていません。取り上げているのは「2016年」の今そこにある問題です。第2回で「2030年」を描くことを諦めてしまうのならば、なぜ「2030年不都合な未来」というタイトルを選んだのですか。このタイトルを選んだ以上、石にかじりついてでも「2030年」の「不都合な未来」を読者に示し続けるべきです。

せっかくの機会なので、他にも引っかかった点を列挙しておきます。

【日経の記事】

人生が暗転した。肺にある腫瘍が脳にも転移し、主治医から事実上、余命6カ月だと告げられた。栃木県真岡市の医師、橋本紳一さん(57)のがんとの闘いは2010年3月から始まった。強力な抗がん剤治療を始め、味覚障害や手足のしびれ、脱毛が襲った。

◆疑問その1~転移までは「暗転」せず?

上記の書き方だと「肺にある腫瘍が脳にも転移」した時点で人生が「暗転した」と解釈できます。しかし、普通はがんだと判明した時点で「暗転」するのではありませんか。がんが見つかった時点で「転移」があったのかとも思いましたが、記事の書き方から判断すると、当初は肺だけだったのに、脳にも転移したから「暗転した」と理解する方が自然です。

ただ、記事からは「がんとの闘いが始まったのは、転移が見つかって余命6カ月と告げられてから」とも受け取れます。そうなると「がんだと分かった時点で脳への転移もあった」との解釈に傾きます。

説明が不十分なために読者を迷わせる書き方になっていませんか。


◆疑問その2~何のための「事実上」?

主治医から事実上、余命6カ月だと告げられた」というくだりで「事実上」は何のために入れているのでしょうか。基本的に要らない気がします。「明確には言われていないが、遠回しに6カ月だと示唆された」といった事情があるのならば「主治医から余命6カ月だと遠回しに告げられた」などとした方がよいでしょう。


【日経の記事】

生きるための耐えがたい苦しみ。最期まで闘い続けると誓った激烈な副作用から橋本さんを救ったのが新薬「オプジーボ」だった。

今春から投与を始めると、まず水を飲んでも歯を磨いても起きる強烈な吐き気が消えた。体調は大幅に改善し、「外食も楽しめる」と橋本さんは喜ぶ。

がん治療の「革命」――。オプジーボをはじめとするがん免疫療法に対し、世界中の研究者や医師が口をそろえる。現時点で全ての患者に効果があるわけではないが、一部の末期患者でがん細胞がほぼ消失する画期的な結果が出ている。

◆疑問その3~抗がん剤の副作用も消す?

記事を素直に受け取ると、オプジーボには抗がん剤の「激烈な副作用」を消す力があることになります。常識的に考えれば、それまで使っていた抗がん剤をやめてオプジーボに切り替えたために「激烈な副作用」から解放されたのでしょう。しかし、記事の書き方だと「オプジーボを飲めば従来の抗がん剤と併用しても『激烈な副作用』から逃れられる」と理解する人が出てきそうです(その解釈で正解なのかもしれませんが…)。

【日経の記事】

だが良いことばかりではない。「月300万円近くかかります」。3月にオプジーボを使い始めた福岡市の会社員、大西順平さん(仮名、67)は耳を疑った。

オプジーボは100ミリグラムで73万円。体重60キログラムの患者が1年間使うと薬剤費は約3500万円になる。世間の批判もあり、薬価改定の時期を待たずに異例の大幅値下げが決まった。

◆疑問その4~「月300万円」は自己負担?

上記の書き方だと、オプジーボを使い始めた大西さんは月300万円の自己負担を迫られたと受け取るのが自然です。実際には記事の後の方で書いているように「超高額薬も月数万円程度からの自己負担で利用できる」はずです。

「記事を最後まで読んでもらえば、月300万円の自己負担にならないのは分かるはずだ」と反論したくなるかもしれません。しかし、だったら「月300万円」が出てきた時点ですぐに説明すべきです。誤解を与えたまま話を進めるような書き方は感心しません。

----------------------------------------

※記事の評価はC(平均的)。この連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「2030年に限界」の根拠乏しい日経1面「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030.html

「介護保険には頼れない」? 日経「砂上の安心網」の騙し
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_21.html

日経朝刊1面連載「砂上の安心網(4)」に見えた固定観念
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_62.html

どこが「北欧流と重なる」? 日経1面「砂上の安心網(5)」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_42.html

「2030年に限界」の根拠乏しい日経1面「砂上の安心網」

なぜ「2030年」なのか--。日本経済新聞朝刊1面で「砂上の安心網~2030年 不都合な未来」という連載が始まったが、「2030年」を前面に出す理由を文面から拾い出すのはかなり難しい。19日の第1回の「チェックなき膨張 社会保障債務 2000兆円に」「公助・共助・自助 現場に『解』を探す」という2本の記事の中で「2030年」に関連する部分を見ていこう。
草千里ヶ浜(熊本県阿蘇市) ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

・団塊の世代が80代を迎える2030年はどのような社会になるのか。

・社会保障給付費は30年に今より約50兆円増えて170兆円程度に達する可能性がある。影響が大きいのが医療費。とりわけ75歳以上の後期高齢者医療費は約1.5倍の21兆円に達する公算が大きいことが全国調査をもとにした分析で分かった。

・1人につき年100万円以上の医療費を使っている市区町村は14年度分で347に及ぶ。30年の人口推計などから試算すると、全体の後期高齢者医療費は現在の約14兆円から大きく膨れ上がる。

・学習院大学の鈴木亘教授の試算では、年金や医療、介護にかかわる債務は30年時点で今より350兆円増えて2000兆円規模に達する。

2020年の東京五輪・パラリンピックの10年後、日本はどのような社会になっているのだろうか。確実なのは社会保障制度で支えられる人が今よりずっと多くなることだ。

・「財政破綻の危機が現実になる恐れがある」。日本経済研究センターは30年の未来像に警鐘を鳴らす。国と地方の債務残高は名目国内総生産(GDP)の250%に達し、経済の実力を示す潜在成長率は人口減少を映してマイナスに陥る可能性があるという。医療や介護、年金にかかるお金が膨張し、財政を圧迫する。この構図が終局を迎えかねない。

----------------------------------------

なぜ「2020年」でも「2040年」でも「2050年」でもなく、「2030年」なのか分かるだろうか。強いて答えを探せば「団塊の世代が80代を迎える」からだろうか。だが、その後では「とりわけ75歳以上の後期高齢者医療費は約1.5倍の21兆円に達する公算が大きい」とも書いている。だったら「団塊の世代が後期高齢者になる2025年」に焦点を当ててもいいのではないか。

記事にはイラスト付きのグラフも載っていて、そこでは「2030年、支え合いは限界に」と断言している。だが、説得力は乏しい。「65歳以上人口1人当たりの就業者数」はグラフによると16年が「1.86人」で30年が「1.65人」だ。そこに決定的な差は感じられない。

現役が支援する75歳以上医療費」についても、16年が「約6兆円」で30年が「約9兆円」だ。負担は増すだろうが、驚くほどの急増ではない。こうした2種類のデータだけ見せられて「2030年、支え合いは限界に」と言い切られても困る。なぜ6兆円には耐えられて9兆円は無理なのかは、記事のどこかで説明してほしい。

「今と2030年でそんなに大きな差があるかな?」と思える部分は他にもある。記事では現状と比較せずに「国と地方の債務残高は名目国内総生産(GDP)の250%に達し、経済の実力を示す潜在成長率は人口減少を映してマイナスに陥る可能性がある」と書いている。

現状でも債務残高はGDPの230%程度に達しているのに、それが250%になるから「財政破綻の危機が現実になる恐れがある」と言われて「なるほど」と思えるだろうか。「250%は破綻の危機だが、230%なら何とか大丈夫」と言える根拠があるなら記事中で示すべきだ。

潜在成長率も同じだ。今は5%以上ある潜在成長率が30年にはマイナスになるという話なら「大変だ」と騒ぐのも分かる。だが、現状でゼロに近いとされる潜在成長率が「マイナスに陥る可能性がある」のは、そんなに大きな変化なのか。深刻さを訴えたいならば「潜在成長率は30年には2ケタのマイナスになる可能性が高い」ぐらいの大胆な予測が欲しい。

そもそも、現状との比較を記事中でしていないのは問題だ。比較するとインパクトが弱くなるからという理由ならば読者を欺いているし、「うっかり」ならば作り手の技量不足だ。

最後に「上手くない」と思えたくだりを1つ取り上げたい。「医療や介護、年金にかかるお金が膨張し、財政を圧迫する。この構図が終局を迎えかねない」と書くと、財政圧迫が解消するようにも解釈できる。文脈から判断すると、そう言いたいのではないはずだ。改善例を示しておく。

【改善例】

国と地方の債務残高は名目国内総生産(GDP)の250%に達し、経済の実力を示す潜在成長率は人口減少を映してマイナスに陥る可能性があるという。医療や介護、年金にかかるお金が膨張し、財政を圧迫する。この構図の終局は破滅的なものになりかねない。


※記事の評価はC(平均的)。取材班には、連載終了までに「なぜ2030年なのか」の明確な答えを読者に示してほしい。少なくとも第1回ではできていない。


※今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

第2回で早くも「2030年」を放棄した日経「砂上の安心網」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/2030_20.html

「介護保険には頼れない」? 日経「砂上の安心網」の騙し
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_21.html

日経朝刊1面連載「砂上の安心網(4)」に見えた固定観念
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_62.html

どこが「北欧流と重なる」? 日経1面「砂上の安心網(5)」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_42.html

2016年12月18日日曜日

都内でも「地方店」と書く週刊ダイヤモンド大矢博之記者

地方店」と言う場合、「地方」はどの地域を指すだろうか。辞書には「首都などの大都市に対してそれ以外の土地」(デジタル大辞泉)と出ているが、明確に範囲を決めるのは難しい。ただ、きっちりと線引きができないからと言って、東京都内の店まで「地方店」扱いになると違和感が拭えない。
阿蘇駅(熊本県阿蘇市) ※写真と本文は無関係です

しかし、週刊ダイヤモンド12月24日号に大矢博之記者が書いた「財務で会社を読む~三越伊勢丹ホールディングス  “優等生”の旗艦店に黄信号 百貨店一本足打法で崖っぷち」という記事では、「三越多摩センター」も「伊勢丹府中」も「地方店」に含めている。

【ダイヤモンドの記事】

百貨店の課題として業界に共通するのが地方店の不振である。三越伊勢丹も、閉鎖を決めた三越千葉、三越多摩センターの2店に加え、伊勢丹松戸、伊勢丹府中、松山三越、広島三越の4店について、抜本的な構造改革を行うと今回の決算発表で明らかにした。

----------------------------------------

地方店三大都市圏以外にある店」と受け取るのが一般的だろう。やや狭くして「首都圏以外にある店」と考えても、三越千葉、三越多摩センター、伊勢丹松戸、伊勢丹府中は「地方店」から外れる。「地方店東京23区外の店」とすれば記事の説明で問題なくなるが、府中市や多摩市を「地方」に分類する人は稀だと思える。

大矢記者には「百貨店の課題として業界に共通するのが地方店や郊外店での不振である」という書き方を薦めたい。

記事には、他にも気になる点がいくつかあった。列挙してみる。

◎大丸東京店はJフロントの「旗艦店」?

主要旗艦店の売上高の前年同期比」というタイトルが付いた表を見ると、Jフロントリテイリングの旗艦店は「松坂屋名古屋店」「大丸東京店」「大丸心斎橋店」となっている。これは解せない。なぜ「大丸神戸店」は入らないのか。2016年2月期の店舗売上高を見ると、東京店の731億円に対し神戸店は850億円とかなり上回っている。地域での存在感という意味でも、神戸店の方が圧倒的に上だ。

ついでに言うと「主要旗艦店」という言葉も気になる。これだと「主要ではない旗艦店」が他にあるのだろう。しかし、百貨店の「旗艦店」がそんなに数多くあるとは思えない。大矢記者は旗艦店が何店あると考えているのだろうか。


◎本店の不振深刻でも「大黒柱」は崩れてない?

【ダイヤモンドの記事】

しかし、ここにきて深刻度を増しているのは“優等生”のはずだった旗艦店の落ち込みだ。百貨店事業の売上高の約2割を1店舗でたたき出す伊勢丹新宿本店は「圧倒的に利益率が高く、新宿本店が持ちこたえれば、大きく数字は崩れないはずだった」(大西社長)。

ところが、上半期、新宿本店の売上高が5.1%落ちた。高島屋新宿店の売上高がほぼ横ばいだったことと比べると不振が目立つ。

中略)新たな収入源が育つまでは旗艦店で稼いでしのぐほかないが、大黒柱が崩れれば一気に“負け組”へ転落する危険性も秘めている。

----------------------------------------

旗艦店の落ち込み」が「深刻度を増している」のであれば、旗艦店頼みの百貨店事業は既に崩れ始めているのではないか。しかし、記事の最後には「大黒柱が崩れれば一気に“負け組”へ転落する危険性も秘めている」と書いてあり、まだ崩れる前のようだ。

落ち込みが深刻」でも崩れてはいないのならば、「大黒柱が崩れる」とはどういう状況を指すのか。今回の記事のような締め方では説得力に欠ける。


◎「製造小売業化」だと差別化しにくい?

【ダイヤモンドの記事】

インバウンド減少や優待制度の変更に加えて、新宿本店の変調の原因について、ある業界関係者は三越伊勢丹が進める「仕入れ構造改革」の影響を指摘する。

従来、アパレルメーカーは“花形”の新宿本店の売り場を確保するため、新宿本店向けの専用商品を積極的に提案してきた。こうした商品は利幅が大きく、新宿本店の利益の源泉となっていた。

ところが、アパレル業界の苦境で、メーカーは新宿本店の専用商品を開発する余裕がなくなってきた。そこに追い打ちをかけたのが、三越伊勢丹が仕入れ構造改革で、自ら商品を企画・開発する製造小売業化を推し進めたことだ。

このことは、苦しい条件をのんで専用商品を開発し、新宿本店を“特別な店”として支えてきたという自負を持つアパレルメーカーには裏切りに映った。このため「新宿本店向けの専用商品が減っている」(業界関係者)といい、“ファッションの最先端”だった新宿本店の差別化がしづらくなっているというわけだ

----------------------------------------

三越伊勢丹が仕入れ構造改革で、自ら商品を企画・開発する製造小売業化を推し進めたこと」が原因で「新宿本店の差別化がしづらくなっている」と大矢記者は分析している。これは奇妙だ。

「(アパレルメーカーが手掛ける)新宿本店向けの専用商品が減っている」のが事実だとしても、その裏側には「製造小売業化」がある。普通に考えれば、メーカーに「新宿本店向けの専用商品」を多少作ってもらうよりも「製造小売業化」の方がはるかに差別化しやすい。「製造小売業化」すれば、自社ブランドでの展開も可能だ。それは新宿本店以外にも広げられる。粗利益率も常識的には製造小売りの方が高くなる。

製造小売業化」がきちんと機能しているのならば、「新宿本店向けの専用商品が減っている」ことは取るに足らないはずだ。新宿本店が不振に陥っているとすれば、原因はむしろ「製造小売業化」が思惑通りに進んでいないか、規模が小さすぎるからではないか。

在庫リスクを自ら負う「製造小売業化」はハイリスク・ハイリターンとも言える。失敗すれば傷も深くなるし、高度なノウハウも必要になる。三越伊勢丹に関してその辺りを探っていけば、より的確な分析になった気がする。


※記事の評価はD(問題あり)。大矢博之記者への評価もDを維持する。

2016年12月17日土曜日

投信の比較が恣意的な日経「数字が語る行く年来る年」

17日の日本経済新聞朝刊 投資情報面に載った「数字が語る行く年来る年(3)0.01% 投信手数料の差 『最安以外は選ばれない』」という記事には、何とも言えない嫌な感じが漂っていた。「金融業界寄りの臭いが鼻につく」と言い換えてもいい。投資信託の比較がかなり恣意的なのも、おそらく「うっかり」ではない。記事中に漂う臭いの元を探ってみよう。
クンチョウ酒造(大分県日田市豆田町) ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

「大和が戦線に参入」「やってくれましたニッセイアセット」。2016年、ネット上で投資信託について熱く語る「投信ブロガー」の話題をさらったのが、運用手数料である信託報酬の引き下げ競争だ。

主戦場は日経平均株価など指数に連動するインデックス型投信で、始まりは去年9月。三井住友アセットマネジメントが確定拠出年金向け低コスト投信を一般販売する「離れワザ」(業界関係者)に踏み切り注目を集めた。

慌てたのが「低コストといえばニッセイ」を標榜、「購入・換金手数料なしシリーズ」に力を入れてきたニッセイアセットマネジメントだ。すかさず2カ月後、信託報酬の大幅値下げに動いた。だが9月、今度は大和証券投資信託委託が最低水準投信を一気に12本投入する。するとニッセイアセットが再び2カ月後に記録を塗り替えたのだ。

----------------------------------------

信託報酬の引き下げ競争」を歓迎する「投信ブロガー」のコメントから入り、さらには「確定拠出年金向け低コスト投信を一般販売する」動きを業界の「離れワザ」として紹介する。少し嫌な予感はするが、嘘を書いているわけでもない。この辺りまでは大きな問題を感じない。引っかかったのは、その後だ。

【日経の記事】

最低の差はわずか0.01%(東証株価指数連動型の場合)。100万円の投資で100円の違いだ。だが、世はマイナス金利時代。「72」を利率で割ると元本が倍になるメドが分かる「72の法則」によると、バブル期の預金金利6%なら12年で倍だが、今は0.01%。7200年かかる。長引く超低金利がワンコインに相対的重みを与えた

「最安」には実質以上の価値がある。「投信は必ずネットのランキングで手数料を比較する」と、30代の小島翔太さん。消耗品から投信まで、ネットショッピング世代の投資家には、最安以外は意味を持たない

本家米国は最安競争で先を行く。世界最大の資産運用会社ブラックロックVSインデックス投信の生みの親バンガードの構図だ。10月にブラックロックが主力の上場投資信託(ETF)シリーズで0.04%の商品を投入。業界最低を掲げるバンガードを0.01%下回った

同じ「0.01%の闘い」だが、水準が違う。日本の投信の信託報酬は年1.3%と米国の年0.6%の倍以上だ(15年平均、モーニングスター調べ)。

----------------------------------------

上記のくだりの問題点を列挙する。

◎なぜ日本はETF除外?

本家米国は最安競争で先を行く」ことの具体例として、「10月にブラックロックが主力の上場投資信託(ETF)シリーズで0.04%の商品を投入。業界最低を掲げるバンガードを0.01%下回った」と紹介している。この「0.04%の商品」はETFだ。日米を比較するならば、日本もETFを含めて「最安競争」を見るのが当然だろう。

しかし、記事ではETFを除外して「最低水準」「最安」などと表現している。理由は察しが付く。ETFを入れると「最安」ではなくなるからだろう。日本でも信託報酬が0.1%を下回るETFは珍しくない。

一方、記事に付けた「大手各社の日経平均連動型投信」という表によると、「最安」の「ニッセイアセット」でも信託報酬は0.180%(税抜き)だ。ETFとの比較では「0.01%の闘い」と呼べるレベルに達していない。

では、「記事で言うインデックス投信の手数料の『最安』とは、あくまでETFを除外したものです」と宣言した上で、米国との比較もETFを除いてやれば問題なかったのだろうか。

記事では「消耗品から投信まで、ネットショッピング世代の投資家には、最安以外は意味を持たない」とも書いている。やや大げさだが、とりあえず受け入れてみよう。「最安以外は意味を持たない」とすれば「日本株でパッシブ運用をやるために投信を購入しよう」と考える投資家に「ETF除外」の前提はあり得ない。売買手数料などを考慮してもETFの方が低コストだと判断できれば、当然にETFを選ぶはずだ。

ETFは積み立て投資がしにくいといった面はある。だが、「最安以外は意味を持たない」と記事で主張した以上、コスト以外にETF除外の言い訳を求めるのは無理がある。


◎なぜ「投信全体」で比較?

インデックス投信の手数料を論じてきたのだから「同じ「『0.01%の闘い』だが、水準が違う」の後には日米のインデックス投信の比較が続くのかと思わせるが「日本の投信の信託報酬は年1.3%と米国の年0.6%の倍以上だ(15年平均、モーニングスター調べ)」と、投信全体で比べている。ここはインデックス投信を比べてほしかった。

問題は他にもある。記事に付けた「インデックス投信の低コスト化が加速」というグラフの注記には「モーニングスター調べ。税抜き信託報酬、ETF除く、追加型株式投信を集計」と書いてある。ここから判断すると日本の「1.3%」は「ETF除く」が条件だろう。だが米国の「0.6%」は断定できない。

ETFを除外という同じ条件で比較しているとすると、記事でブラックロックのETFを信託報酬「0.04%」で「業界最低を掲げるバンガードを0.01%下回った」と取り上げるのは不適切だ。論じる対象はあくまで「ETF除く」であるべきだ。

一方、米国もETFを含めた投信の信託報酬だとすると、ETFを除外した日本と条件が違ってしまい、比べてはいけないものを比べたことになる。


◎「ワンコイン」に意味なし

さらに細かい話にはなるが「長引く超低金利がワンコインに相対的重みを与えた」との説明も引っかかった。「100万円の投資で100円の違い」だから「ワンコイン」なのだろう。だが、これは投資金額次第だ。「1000万円の投資で1000円の違い」と考えれば「ワンコイン」ではなくなる。なのに「ワンコインに相対的重みを与えた」と書いて意味があるのか。

記事の後半部分にも注文を付けたい。

【日経の記事】

世界的低コスト化の背後にはIT(情報技術)を金融に活用したフィンテックがある。まず今年、日本が迎えたのが「ロボアド元年」だ。人を介さず「ロボット・アドバイザー」がコストや運用実績の膨大なデータを基に自動的に最安・最適商品を選び提案する

----------------------------------------

信託報酬が日米で下がっている話の後で「世界的低コスト化の背後にはIT(情報技術)を金融に活用したフィンテックがある」と書いてあると、フィンテックに信託報酬を引き下げる力があるように感じてしまう。だが、これは怪しい。

人を介さず『ロボット・アドバイザー』がコストや運用実績の膨大なデータを基に自動的に最安・最適商品を選び提案する」ことで販売手数料は下がるかもしれない。だが、信託報酬は言ってみれば「運用管理費用」なので、ロボアドを使って「最安・最適商品を選び提案」しても信託報酬を下げる効果は期待できない。

そもそも、ロボアドを使わなくても販売手数料はゼロの投信がいくつもある。結局、低コスト化の理由としてロボアドを取り上げる意味は乏しい。「なのになぜ?」と思っていると、記事の最後の方で答えらしきものが見えてくる。それは後で触れる。

さて、記事の終盤を見ていこう。

【日経の記事】

2017年はさらに「未来」に近づく。販売だけでなく、運用も人工知能(AI)自らが考える投信が相次ぎ登場する。AIはディープラーニング(深層学習)を重ね、スゴ腕ファンドマネジャーへと成長していく。初期費用はかかるが、AIに払う信託報酬は一段と抑えられる。現在の主戦場、インデックス型だけでなく投資判断で超過収益を狙うアクティブ型にも低コスト化の波が広がる。

来年は個人型確定拠出年金(iDeCo)の裾野が広がり、積み立て型の少額投資非課税制度(NISA)も18年1月に続く。低コストが効果を発揮する少額・長期の投資を促す道具立てがそろう。

ロボアドを提供するお金のデザイン(東京・港)では「利用者の9割が投資初心者で20~30歳代が6割」(北沢直最高執行責任者)という。毎月分配金型など「年金代わり」の投信を好む既存顧客の高齢化が進み「若い世代を開拓しないと生き残れない」(大手運用会社幹部)。

もう誰も0.01%の重みを無視できない

----------------------------------------

◎AIは「スゴ腕ファンドマネジャーへと成長」?

まず「AIはディープラーニング(深層学習)を重ね、スゴ腕ファンドマネジャーへと成長していく」と書いているのが引っかかる。つまり学習すればするほど運用成績を高められるのだろう。本当ならば興味深い。だが、にわかには信じられない。将棋や囲碁とは話が違うはずだ。「AIを使えば将来は安定して市場平均を上回る運用成績を上げられるようになる」と考えているのならば、根拠は示してほしかった。

これは原理的には難しいはずだ。仮に一部のAIが優れた結果を残し、そこから最終的には市場全体でAIに運用を任せるようになるとしよう。その時には当然に「AI全体の運用成績=市場平均並み」となる。つまり多くのAIは市場平均に勝てなくなる。


◎「AIに払う信託報酬は一段と抑えられる」?

初期費用はかかるが、AIに払う信託報酬は一段と抑えられる」という説明は解釈に迷った。「一段と抑えられる」とは、何を意味するのか。「既に抑えられているが、さらに抑えられる」という場合に「一段と抑えられる」と書くはずだ。だが「AIに払う信託報酬」が既に抑えられているような話は記事に出てこない。

記事からは「ディープラーニング(深層学習)を重ね」ると「AIに払う信託報酬は一段と抑えられる」のだと感じる。だが、これも理解に苦しんだ。例えば、初期費用がかかるので当初は年1%の信託報酬だが、学習を重ねるにつれて0.9%、0.5%、0.1%といった具合に下がる投信が登場すると言いたいのだろうか。あり得ないとは言わないが、現状とあまりに違いすぎる。どういう経路を辿って「一段と抑えられる」のかは説明が欲しかった。


◎「低コストが効果を発揮する少額・長期の投資」?

低コストが効果を発揮する少額・長期の投資」という書き方は感心しない。特に「少額」はまずい。投資額が10万円ならば2%信託報酬を1%に引き下げても1000円しか変わらない。だが、投資額1億円ならば100万円も違ってくる。金額で言えば「低コストが効果を発揮する」のは「多額」の方だ。


◎「お金のデザイン」への配慮?

日経は「お金のデザイン」という会社が大好きなようだ。フィンテックやロボアドに関連する記事では、何度も前向きに紹介している。記事の途中で「なぜロボアド? 信託報酬の下げとほとんど関係ないのでは?」と疑問が浮かんだが、「お金のデザイン」への配慮とすれば納得できる。

もう誰も0.01%の重みを無視できない」と筆者が本当に思うのならば「お金のデザイン」を含めてロボアドを肯定的に取り上げるのはやめた方がいい。「お金のデザイン」ではロボアドの手数料を年1%も取っている。「0.01%の重みを無視できない」と考える投資家ならば、運用成績を高める効果がほとんど期待できないロボアドに年1%も支払うのは、あまりに愚かだ。

今回の記事は、投信を売る側からは高い評価が得られるかもしれない。だが、真剣に投資を考える日経の読者に薦められる内容とは言い難い。


※記事の評価はD(問題あり)。「数字が語る行く年来る年」という連載に関しては、以下の投稿も参照してほしい。

記事の信頼性を損なう日経の「ブラックスワン」大安売り
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_47.html

説明が雑すぎる日経「数字が語る行く年来る年(6)」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_23.html

2016年12月16日金曜日

記事の信頼性を損なう日経の「ブラックスワン」大安売り

これまでも指摘してきたが、経済記事に「ブラックスワン」という言葉が出てきたら眉に唾した方がいい。ほとんどの場合「ブラックスワン(あり得ないと思われていた出来事が実現すること)」には当てはまらない。似たような要注意用語としては「革命」がある。
佐嘉神社(佐賀市) ※写真と本文は無関係です

16日の日本経済新聞朝刊 投資情報面に載った「数字が語る行く年来る年(2)1286円 ブレグジット後の株価下落 2度舞ったブラックスワン」という記事によると、2016年に2回(あるいは3回)の「ブラックスワン」が起きたそうだ。だが、英国のEU離脱も米大統領選でのトランプ氏の勝利も「ブラックスワン」とは言い難い。

記事では以下のように書いている。

【日経の記事】

2016年6月24日、株式市場の歴史に新たな一ページが加わった。

日経平均株価の下落幅1286円安=史上8位、東証1部の下落銘柄1954銘柄=過去最高、日経平均の日中値幅1525円=史上10位。

記録ずくめとなったこの日。東京の投資家の目は英国の国民投票の開票速報にくぎ付けだった。事前予想に反し欧州連合(EU)離脱派の勝利が伝わるや、まさにつるべ落としに。「ブラックスワン」(実現可能性は小さいが実現すると影響が大きい出来事)が舞い降りた瞬間だった

50年以上、株式市場に身を置く岡三オンライン証券の伊藤嘉洋氏はバブル崩壊を思い出していた。「海外勢主導の暴力的な先物の下げと国内勢の投げ。あの頃以来だ」。日経平均下落幅10位の半分を1990年代初めのバブル崩壊が占める。株価水準が高い当時に肩を並べてのランクインが「ブレグジット」の衝撃を示す。下落率(7.9%)でも歴代9位だ。

「100年に1度」のはずのブラックスワン。今年はわずか約140日後、再び舞い戻る。11月8日の米大統領選でトランプ氏勝利が濃厚になると、またもや時差上、矢面に立たされた東京市場で9日の日経平均は919円下落した。下げ幅自体は歴代25番目程度。だが、今度のブラックスワンには続きがあった

 「トランプ相場」の始まりだ。翌10日に株価は1092円リバウンドし、上昇幅で歴代13位に入る。「政治イベントでの負のショックはあり得るが、続く上げ方向のブラックスワンは初めて」(JPモルガン・アセット・マネジメントの重見吉徳氏)と、プロも驚いた。

----------------------------------------

例えば、共和党候補でも民主党候補でもない立候補者が米国の大統領選挙で事前の泡沫候補扱いを覆して勝利したら「ブラックスワン」と呼んでいい。しかし、トランプ氏は共和党の候補で、不利とは言われながらもクリントン氏と競っていた。「番狂わせ」かもしれないが「ブラックスワン」は大げさすぎる。

英国のEU離脱もそうだ。事前の世論調査でも賛否は拮抗していた。これを「ブラックスワン」と見なすのは無理がある。記事でも「『100年に1度』のはずのブラックスワン」と書いている(なぜ「100年に1度」か謎だが…)。それが1年に2度も起きたら「本当にブラックスワンかな」と疑ってほしい。

しかも、米大統領選後の上げ相場まで「上げ方向のブラックスワン」として扱っている。これだと「ブラックスワン」には「サプライズ」ぐらいの重みしかない。しかも、「2度」の“ブラックスワン”も相場急落は一時的で、市場への衝撃的なインパクトはなかった。見出しとしては「舞い降りなかったブラックスワン」の方がしっくり来る。

革命」もそうだが、大したことがないのに大げさな呼称を与えてしまうと、記事への信頼を損なってしまう。実際に日経の朝刊1面の企画記事などで「革命」という単語を目にするだけで、反射的に「この記事は大丈夫かなぁ…」と思ってしまう。「ブラックスワン」も同じ運命を辿りつつある。それが日経にとって好ましいかどうか記事の作り手はよく考えてほしい。

今回の記事の「大げささ」が分かる点をもう1つ指摘しておきたい。

日経平均下落幅10位の半分を1990年代初めのバブル崩壊が占める。株価水準が高い当時に肩を並べてのランクインが『ブレグジット』の衝撃を示す。下落率(7.9%)でも歴代9位だ」と記事では解説している。「下落幅」で見ると大したことがないように見えるかもしれないが、今は株価水準が低いので「下落率」では上位に来ると訴えたいのだろう。

だが、記事ではブレグジットで下げた「6月24日」について「日経平均株価の下落幅1286円安=史上8位」としている。つまり「下落幅」でも「下落率」でもランクはほぼ同じだ。結局、10位にようやく入ってくる程度の下げにしかつながらない「サプライズ」だったと言える。

今回の記事の最後は以下のようになっている。

【日経の記事】

そして2017年。10年前はサブプライム危機、20年前はアジア通貨危機、そして30年前はブラックマンデーと危機が巡る年回りだ。みずほ総合研究所の高田創氏は「10年サイクル7の年のジンクス」を警戒する。「火種はまず新興国の通貨不安、次に欧州の金融・政治不安にある」。再び欧州からブラックスワンが飛来するのか。3月オランダ総選挙、4~5月フランスの大統領選と続き、秋にはドイツ議会選挙が待つ。

----------------------------------------

大胆に予言してみよう。2017年も「ブラックスワン」は起きる。「日経がブラックスワンと呼ぶ出来事は起きる」という意味ではあるが…。


※記事の評価はC(平均的)。今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

投信の比較が恣意的な日経「数字が語る行く年来る年」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_17.html

説明が雑すぎる日経「数字が語る行く年来る年(6)」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_23.html

本当に「地方は医師不足」? 週刊エコノミストの記事に異議

「地方は医師不足」とよく言われる。これはかなり乱暴なまとめ方だ。人口当たりで見ても、「都会には医師がたくさんいて、田舎には少ししかいない」とは言い切れない。なのに、なぜか単純な見方がまかり通っている。週刊エコノミスト12月20日号の「エコノミストリポート~総数は『医師余り』も地域、診療科偏在解消めど立たず 社会的責務に反する医師の自律」という記事にも、その傾向が見られた。
大分県立日田高校(日田市) ※写真と本文は無関係です

当該部分を見ていこう。

【エコノミストの記事】

(2040年に「医師余りになる」という)この結果に異論を唱えたのが地方の医療現場だ。計算上は医師総数が確保されるとしても、地域、診療科の偏在解消にめどが立っていないためだ。「いつになっても田舎は医師であふれない。医師の総数議論は偏在対策をやってからすべきだ」(辺見公雄・全国自治体病院協議会会長)との声が上がる。

医師の地域偏在はいまだに大きい。14年の調査では、人口10万人当たりの医師数は、最多の京都府(307.9人)と最少の埼玉県(152.8人)で2倍の開きがある(図2)。同じ都道府県でも、地域の一体性を踏まえて入院医療体制を整備する「2次医療圏」で比較すると、県庁所在地と周辺部で2~3倍の開きがあることも珍しくない

----------------------------------------

筆者であるメディカルライターの田中尚美氏は「医師が『都市部やラクと言われる診療科に集まる流れ』を変えるのは簡単ではない」とも書いているので、「地方の医療現場」は医師不足で、都市部は違うと見ているのだろう。

だが、「図2」の「都道府県別の人口10万人当たり医師数」を見る限り、田中氏の見立てと必ずしも一致しない。記事でも書いているように、医師数が「最少」なのは都市部に分類できる埼玉県だ。千葉、神奈川、愛知、兵庫も全国平均を下回っている。一方、中国、四国、九州は軒並み全国平均より上だ(宮崎だけはわずかに全国平均以下)。

県庁所在地と周辺部で2~3倍の開きがあることも珍しくない」と田中氏も書いているように、同じ県内での格差も当然に無視できない。また埼玉や千葉では東京の病院を利用する住民も多いので、医師数が少ない弊害が出にくい面もあるのだろう。だとしても、「いつになっても田舎は医師であふれない」と単純化できる状況には見えない。

例えば、福岡県久留米市のホームページには「平成24年の調査では、全国の政令市と中核市を合わせた62都市のうち、人口10万人当たりの医師の数は568.5人で1位、病院・診療所の数も6位になりました」との記述がある。県庁所在地から離れた「田舎」でも、医師がたくさんいる地域はある。実際、久留米市には周辺部も含めて「こんなに…」と驚くほど医療機関がある。感覚的に言えば、「田舎」に医師があふれている。

図2」から浮かび上がるのは、都会と田舎の格差というより、東日本と西日本の差だ。北海道、東北、関東で全国平均を上回っているのは東京のみ。しかし、記事では都会と田舎の格差としてしか医師の地域偏在を捉えていない。

付け加えると、以下の説明も気になった。

【エコノミストの記事】

医師への規制強化を実現するため、最後の手段として「医局制度」の復活を求める意見まで出始めた。自民党の国会議員でつくる「医師偏在是正に関する研究会」の小島敏文衆院議員は「医師が勤務地を自由に選べる現状では、どのような改革を進めても意味がない」と指摘する。

----------------------------------------

はっきりとは書いていないが、「医師の地域偏在を解消するためには医局制度の復活も1つの選択肢」と田中氏は見ているようだ。なので「医師が勤務地を自由に選べる現状では、どのような改革を進めても意味がない」というコメントを肯定的に使っているのだろう。

だが、「医師が勤務地を自由に選べる現状では、どのような改革を進めても意味がない」との考え方は明らかに間違っている。例えば、東京は人気だが埼玉には行きたがる医師が少ないという状況ならば、収入でインセンティブを与えてあげればいい。極端な話、埼玉の病院に勤務すれば東京よりも10倍以上の収入が得られるとすれば、埼玉に医師は集まってくるはずだ。

そのための十分な財源が確保できるかといった問題はある。だが「どのような改革を進めても意味がない」と諦める必要はない。「医師が勤務地を自由に選べるとしても、偏在を解消する道はある」と考えるのが妥当だ。田中氏には、その点に触れてほしかった。


※記事の評価はC(平均的)。田中尚美氏への評価も暫定でCとする。

2016年12月15日木曜日

大塚家具に負債なし?週刊ダイヤモンド泉秀一記者の誤り

週刊ダイヤモンド12月17日号の「Close Up~大塚家具が業績悪化で窮地 因縁の土地に売却話も浮上」という記事に、誤りと思える記述があった。大塚家具について「負債はない」と言い切っているが、どうも怪しい。以下はダイヤモンド編集部に送った問い合わせの内容だ。
筑後川(福岡県朝倉市・うきは市)

【ダイヤモンドへの問い合わせ】

週刊ダイヤモンド12月17日号の「Close Up~大塚家具が業績悪化で窮地 因縁の土地に売却話も浮上」という記事についてお尋ねします。筆者の泉秀一記者は大塚家具について「勝久前会長の時代から無借金経営を続けているため負債はない。自己資本比率は73%と高いので、銀行が資金を借す可能性はある」と記しています。しかし、本当に「負債はない」のでしょうか。

同社の決算短信で今年9月末の数字を見ると、「負債合計」が94億円余りとなっています。短信を信じれば、負債はあります。そもそも「自己資本比率は73%」と泉記者も書いています。ここからも27%分の「負債」があると判断できます。「無借金経営を続けているため負債はない」との説明は「無借金経営を続けているため有利子負債はない」の誤りではありませんか。

記事の説明が間違っているのであれば、訂正記事の掲載をお願いします。「負債はない」で正しいとの判断であれば、その根拠を教えてください。御誌では、読者からの間違い指摘を握りつぶし、誤りを闇へと葬り去る対応が常態化しています。日本を代表する経済メディアとして責任ある対応を心がけてください。

----------------------------------------

ダイヤモンドの体質を考えれば、回答はないはずだ。なので記事の説明は誤りと推定するしかない。

この記事には他にも気になる点があった。いくつか指摘してみる。

◎「赤字を止血」?

【ダイヤモンドの記事】

大塚家具は16年12月期の第3四半期までの9カ月(1~9月)累計で41億円の純損失を計上した。10月以降も業績は伸びず、11月の店舗売上高は対前年同月比59%。前年同時期に実施したセールの影響を考慮しても落ち込みは大きく、赤字を止血できずにいる。

----------------------------------------

赤字を止血」が気になる。言いたいことは分かるが不自然な日本語だ。この場合「」が「赤字」を表しているのでダブり感が出てしまう。「赤字を止められずにいる」などとした方がいい。

ついでに言うと「対前年同月比59%」の「」は省ける。また、「前年同月比59%」よりも「前年同月比41%減」の方が個人的には読みやすい。簡潔に書くという点では「前年同時期に実施したセール」の「実施した」も要らない。「前年同時期のセール」で十分に伝わるはずだ。

記事には「土地売却は赤字を補填することだけが目的ではない」という文もあった。これも「土地売却は赤字の補填だけが目的ではない」で事足りる。泉記者には「できるだけ簡潔に記事を書く」という意識を持ってほしい。

大塚家具の経営戦略に関する分析にも疑問が残った。


◎「勝久前会長」の路線が正解?

【ダイヤモンドの記事】

大塚家具の業績はなぜこれほどまでに落ち込んだのか。大きな理由は二つある。

一つは中途半端な価格戦略だ。家具業界は、低価格商品を強みとするニトリやスウェーデンのイケアの勃興によって、高級品と普及品への二極化が進んだ。勝久前会長は、そうした変化の中にあっても高級品路線を貫いてきた。

一方、久美子社長はニトリやイケアに対抗すべく、従来よりも低価格な商品を増やし、全方位戦略を敷いている。そのため、「誰がターゲットなのか」がぼやけてしまった。

より大きな理由は二つ目にある。安売りセールによる「大塚家具ファン」の心離れだ。

大塚家具は創業以来、問屋を通さないという流通形態を取ることで百貨店などの競合と差別化し、高級品をできるだけ安く販売するモデルを築いてきた。

1993年以降は、商品は最初からできる限り低価格に抑え、どれだけ客に頼まれても「原則、値引きはしない」をおきてにした。客が愛想を尽かして帰っても、百貨店などで同じ商品の価格を比較して、大塚家具に戻ってくるケースが多かったという。それ故、リピーターが多いのが特徴だった。

安易なセールは、このモデルでつかんだファンからの信頼を裏切ることになる。しかし、15年4~5月に開催した「大感謝セール」以降、久美子社長体制ではこれまでに計4回のセールを実施した。

“禁断の果実”に手を出した結果、15年3月の株主総会以降、セール実施月を除くと、店舗売上高が前年実績を超えた月はほとんどない。結局、業績悪化に拍車が掛かるばかりとなった。

----------------------------------------

上記の解説で気になるのは「勝久前会長の戦略が正解で、それを軌道修正した久美子社長に問題がある」と受け取れる点だ。勝久前会長が指揮を執っていた時期は収益が伸びていたのに、久美子社長になってからダメになったのならば分かる。

だが、勝久前会長のやり方が行き詰まったから久美子社長の登場となったのではないのか。勝久前会長は「高級品路線を貫いてきた」し、「どれだけ客に頼まれても『原則、値引きはしない』をおきてにした」のだろう。その戦略は久美子社長の登場までは当たっていたのか。泉記者の書き方だと、勝久前会長の戦略には何の問題もなかったかのようだ。

過去10年に限って言えば、どちらの経営戦略も失敗だったのではないか。「久美子社長の失敗の方が酷い」と描写するならば分かる。だが、勝久前会長を一方的に持ち上げるような説明には納得できなかった。


※記事の評価はD(問題あり)。泉秀一記者への評価はDを維持する。泉記者については以下の投稿も参照してほしい。


「ザ・モルツ大失速」? 週刊ダイヤモンド泉秀一記者に問う(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_10.html

「ザ・モルツ大失速」? 週刊ダイヤモンド泉秀一記者に問う(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_11.html

週刊ダイヤモンド「美酒に酔う者なきビール業界」への疑問
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/07/blog-post_21.html


追記)結局、回答はなかった。

2016年12月14日水曜日

「インフレはドル高招く」と日経 河浪武史記者は言うが…

「米国でのインフレはドル安要因かドル高要因か」と問われれば、「ドル安」と答えるだろう。もちろん話は単純ではない。だが、「インフレ圧力が強まればドル高を招く」と断定されると「ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。13日の日本経済新聞朝刊 景気指標面にワシントン支局の河浪武史記者が書いた「トランプ氏、雇用守れるか」という記事の全文を見た上で、インフレ圧力がドル高を招くかどうか考えてみたい。
佐嘉神社(佐賀市) ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

11月の米雇用統計は失業率が4.6%と約9年ぶりの水準まで低下、労働市場の好調さを裏付けた。ただトランプ次期米大統領が雇用維持にこだわる製造業は就業者の減少が続く。トランプ氏が声高に主張するように「米国に雇用を取り戻す」ことはできるのか。

米雇用統計発表の前日である12月1日、トランプ氏は米空調大手キヤリアのインディアナ州の工場を訪れ、メキシコ移転によって計画されていた工場の閉鎖と人員割削減を阻止したと高らかに表明した。「この国ではこれ以上の従業員削減は認められない、そう言ってやったんだ」。トランプ氏はキヤリアの親会社トップに電話で直接そう圧力をかけたことを堂々と明らかにした。

製造業の雇用減は、大統領選の大きな争点となった。「ラストベルト(赤さび地帯)」と呼ばれる中西部の製造業集積地で、トランプ氏は予想を上回る集票力を発揮し、番狂わせとされた勝利を呼び込んだ。「感謝ツアー」と銘打った1日からの遊説では、真っ先に中西部を訪問した。

トランプ氏の政治圧力で製造業の雇用減を食い止められるとの見方は少ない。製造業の雇用者数は2008年の金融危機前と比べ150万人も少なくなった。その主因は「生産工程の自動化だ」(フロマン米通商代表部代表)。15年の米国の輸出金額を00年と比べると、家電は約1.4倍、自動車は約2倍に増えており、米製造業が縮小したわけではない。企業は国際競争力を保つために省力化投資を進めており、製造業の雇用減は先進国共通だ

米経済の活力につながってきた労働者の移動を損ねるリスクもある。米労働市場は完全雇用に近づいており、伸び盛りの企業は人材確保のコストが上がっている。生産性の落ちた旧来型の産業から新興企業に人員が移らなければ、米経済は人手不足という成長の天井にぶち当たる。

トランプ氏の経済政策の多くはインフレ圧力を強める。それはドル高を招き、結果として米製造業の雇用をさらに脅かしかねない

----------------------------------------

最終段落を見る限り「インフレ圧力の高まり→ドル高」と河浪記者は思い込んでいるようだ。しかし、教科書的に言えばインフレはドル安要因だ。極端なケースを考えれば分かりやすい。ハイパーインフレが米国で起きたらドル相場はどう動くだろうか。

ただ、河浪記者の気持ちも分からなくはない。推測すると「インフレ圧力が高まる→利上げが進む→高金利に釣られてドルが買われる」というルートを想定しているのだろう。これは間違いではない。米国でのインフレ圧力の高まりが利上げ観測を生みドル高が進行する局面も十分にあり得る。

だからと言って、当たり前のように「インフレ→ドル高」と書くのは問題だ。教科書的な動きではないのだから、そこはしっかりと背景を説明すべきだ。

ついでに言うと、ドル高は「インフレ圧力」を弱める働きがある。なので、「インフレ→ドル高」と動くとしても、ドル高が進めばインフレを抑えてドル高の原因自体を消す方向に力が働く。だとすれば「結果として米製造業の雇用をさらに脅かしかねない」と心配する必要は乏しくなる。

この記事には他にも気になる点があった。列挙してみる。

◎なぜ「輸出金額」で見る?

15年の米国の輸出金額を00年と比べると、家電は約1.4倍、自動車は約2倍に増えており、米製造業が縮小したわけではない」と河浪記者は書いている。なぜ「輸出金額」なのか。米国の製造業が縮小したかどうかを見たいのならば「生産金額」の方が適切だ。輸出が増えていても内需が落ち込んでいれば、「米製造業が縮小」している可能性は残る。

家電」と「自動車」にしか触れていないのも引っかかる。製造業全体の数字はないのだろうか。


◎「2008年の金融危機前」っていつ?

製造業の雇用者数は2008年の金融危機前と比べ150万人も少なくなった」と言われて、いつと比較しているか分かるだろうか。何となくは分かる。08年8月か07年12月が有力候補だとも思う。だが、断定できる材料は記事中にはない。こういう書き方は、できるだけ避けてほしい。


◎製造業の雇用減は続くはずでは?

トランプ氏の政治圧力で製造業の雇用減を食い止められるとの見方は少ない」「製造業の雇用減は先進国共通だ」と書いているのだから、「労働者の移動を損ねるリスクもある」と心配する必要は乏しいのではないか。トランプ氏がどうあがこうと製造業での雇用減少が続き、「生産性の落ちた旧来型の産業から新興企業に」人が移ると河浪記者は見ているのではないか。

これは書き方の問題でもある。「トランプ氏の思惑通りに雇用減を食い止められても、それはそれで厄介な事態を引き起こす」などと間に入れれば、記事としてはスムーズに流れる。


※記事の評価はD(問題あり)。河浪武史記者への評価も暫定でDとする。

2016年12月13日火曜日

「官製春闘」は要る?要らない? 日経1面記事の矛盾

官製春闘」を日本経済新聞はどう評価しているのだろうか。13日の朝刊1面に載った「働く力再興~成長の原資を生かす(中) 『官製春闘』もういらない 高度人材、脱・横並びから」という記事を読んで分からなくなってしまった。まずは8日の朝刊1面に載った記事「日本の消費、賃上げ頼み 世界景気 続く険路(下) デフレ心理なお強く」の最終段落を見ておこう。
野外彫刻「遊星散歩」
上野丘子どものもり公園 展望広場(大分市)

【日経の記事(12月8日)】

世界景気の不確実性が高い中でも株高、円安を起点に消費を喚起し、国内景気の浮揚につなげたい。その好循環のカギは賃上げだ。安倍晋三首相は来年の春季労使交渉で「今春並み以上」の賃上げをするよう経済界に求めた。4年目を迎える「官製春闘」の役割は一段と重みを増す

---------------------

これを信じるならば、「円安を起点に消費を喚起し、国内景気の浮揚につなげたい」と考える日経は「4年目を迎える『官製春闘』の役割は一段と重みを増す」と「官製春闘」に大きな期待を寄せているはずだ。しかし、5日後には同じ朝刊1面で「『官製春闘』もういらない」と打ち出してしまう。その最終段落は以下のようになっている。

【日経の記事(12月13日)】

政労使が話し合うべきは時代に即した労働者への報い方ではないか。一律の労働者保護では強者が伸びず、成果なくもらいすぎる悪平等も生む。賃上げの空気しかつくらない「官製春闘」は4年で打ち止めにするほうがいい

------------------------------------

どちらの記事が正しいとか間違っているとかの問題ではない。1週間も経たないうちに朝刊1面の企画記事で「『官製春闘』の役割は一段と重みを増す」と書いたかと思えば、一転して「『官製春闘』もういらない」と断言してしまう。そこにメディアとしての実力のなさを感じる。

『官製春闘』は4年で打ち止めにするほうがいい」と書いているのだから、4年目までの「官製春闘」の重要性は否定していないとの弁明も不可能ではない。だが、かなり無理がある。「4年目を迎える『官製春闘』の役割は一段と重みを増す」と言われれば、5年目以降も「官製春闘」に期待していると受け取る方が自然だ。

8日の記事を担当した「景気動向研究班」と、13日の記事の筆者が別なのは分かる。だが、同じ新聞の同じ1面朝刊だ。180度違うとも言える主張を展開するのは感心しない。編集委員が署名入りで書く記事ならば「メディアとしての日経と個人の意見は別」とも解釈できる。だが、今回はそうではない。

矛盾に気付かなかったとすれば、チェックが甘すぎる。気付いていたのに止められなかったとすれば、組織としての風通しの悪さを感じる。いずれにしても褒められた話ではない。

13日の記事には、もう1つ矛盾を感じた。

【日経の記事(12月13日)】

そもそも春季労使交渉(春闘)など労使合意が及ぶ範囲は、大企業や製造業の正社員、現業に従事する労働者などに限られる。非正規労働者は全体の約4割を占め、労働組合の組織率も17%程度に下がった。

----------------------------------------

一律の労働者保護では強者が伸びず、成果なくもらいすぎる悪平等も生む」という理由で「『官製春闘』は4年で打ち止めにするほうがいい」と記事では主張している。一方、「そもそも春季労使交渉(春闘)など労使合意が及ぶ範囲は、大企業や製造業の正社員、現業に従事する労働者などに限られる」とも書いている。春闘の影響を受ける労働者が「限られる」のであれば「一律の労働者保護」とは言い難い。

ついでに、以下の段落に関しても注文を付けておこう。

【日経の記事(12月13日)】

戦後日本企業は終身雇用を前提に年功序列型の賃金で正社員に報いた。経営が順調で温かな労使関係を維持できるなら、毎年少しずつ賃金を上げるやり方でもいい。だが、事業規模や知名度では生き残れない。民間は時間でなく成果で報いる手法に向かいつつある。

----------------------------------------

この説明は、厳しく言えば支離滅裂だ。「戦後日本企業は終身雇用を前提に年功序列型の賃金で正社員に報いた。経営が順調で温かな労使関係を維持できるなら、毎年少しずつ賃金を上げるやり方でもいい」と言うが、「年功序列型の賃金」は「毎年少しずつ賃金を上げるやり方」ではない。

年功序列型の賃金」体系の下であっても、大幅な賃上げや賃下げは起こり得る。実際に1970年代のオイルショック時には大幅な賃上げとなった(もちろん物価も大きく上がった)。

だが、事業規模や知名度では生き残れない」もつながりが悪い。「経営が順調で温かな労使関係を維持できる」企業は今もたくさんあるだろう。「事業規模や知名度では生き残れない」としても、それ以外の要因で「経営が順調」な企業は、なぜ「毎年少しずつ賃金を上げるやり方」を放棄する必要があるのか。

結局、この段落は何を訴えたいのか非常に分かりづらい。関係の乏しい話を無理に結び付けているように見える。

付け加えると、「民間は時間でなく成果で報いる手法に向かいつつある」という書き方も引っかかった。これだと企業が従業員に「時間」や「成果」を与えて、働きに「報いる」ように読める。「民間は時間ではなく成果に基づいて賃金を決める手法に向かいつつある」と言いたいのだろうが…。


※13日の記事の評価はD(問題あり)。

2016年12月12日月曜日

産経 松浦肇編集委員だから書ける「World Scope」を評価

優れたコラムに必須の要素とは何か。色々な考え方があるだろうが、自分が重視しているのは「結論に説得力があるか」「その筆者だからこそ書ける内容になっているか」の2点だ。何が言いたいのか分からないような記事ではダメだし、どこかで誰かが言っていたような中身であれば、わざわざ読む価値はない。
北九州市から見た関門橋と関門海峡 ※写真と本文は無関係です

その基準で見ると、週刊ダイヤモンド12月17日号に松浦肇 産経新聞ニューヨーク駐在編集委員が書いた「World Scope ワールドスコープ(from 米国)~大の『マスコミ嫌い』 トランプ大統領誕生で 揺らぐ米メディアの既得権」という記事は評価できる。まずは記事の全文を見てほしい。

【ダイヤモンドの記事】

米大統領選挙投票日の前日、11月7日。共和党から米大統領選に出馬したドナルド・トランプ氏の選挙集会を取材すべく、米北東部ペンシルベニア州のスクラントン市を訪れた。

選挙集会では、後方にマスコミが陣取るのが慣例だ。リアルタイムで報道する記者のために、机と電源も用意されている。この日は100席以上が設置されていた。

当初、席はガラガラだった。そこで、筆者が座ろうとすると、広報担当から立ち退きを要求された。「同行記者の席です」。

今度は携帯電話の電池が切れそうになった。床から数十本は突き出ていた電源を利用しようとしたところ、またしても広報が「使わないでください」。要は、筆者が海外メディア所属だからだ。

その後、トランプ氏が到着すると、同行記者団がわっと席を占有し、「取材の邪魔になるから」と筆者は隅っこに追いやられた。集会後の選挙対策チームのコメント取りにも、呼ばれない。

「報道の自由度ランキング」で日本は毎年下位に甘んじている。夏前に国連人権理事会から報告者が訪日した際は、日本メディアと政府の「癒着」を指摘する声が聞かれた。

ある程度はその通りなのかもしれないが、模範として引用される米国だって、メディアが政府、官庁、大企業との接点を独占している。今回の大統領選投票日には、ヒラリー・クリントン氏の集会を中心に、多くのフリーや外国プレスは登録すらできなかった。

例えば、米連邦準備制度理事会(FRB)が金融政策を決める米連邦公開市場委員会(FOMC)後に開く記者会見。「開かれた行政」の象徴とされるが、実態は違う。質問者をあらかじめ決めている。

この会見では、大概20前後の質疑応答があるのだが、米メディアが質問権をほぼ独占する。海外勢が質問できるのは数カ月に1回あるかないか。米国債の大半が、日本など海外の投資家に握られているのにだ。

米国に記者が自ら組成する「クラブ」はほとんどないが、当局に登録していない「外の記者」にとって取材の制約は日常的。警察や裁判所といった司法の分野では特に記者証をもらうのが至難の業だ。暴動取材といった危険が伴う場合、記者証がないと警官から間違って殴られる可能性がある。

一方で、トランプ氏の大統領就任で、米国の大手メディアが独占していた「パイプ役」の地位が揺らぎ始めたのも事実。選挙期間中、ジャーナリストの寄付先の大半がクリントン氏だったこともあり、トランプ氏は大のマスコミ嫌い。選挙活動中は「不誠実な人々だ」とマスコミ批判に徹した。

大統領選後は一度も記者会見を開かず、トランプ氏はツイッターでつぶやくだけ。安倍晋三首相が11月にトランプ氏と会談した際には、予定を米メディアには一切告げなかった。12月半ばに初の記者会見を約束しているが、反故にする可能性もある。

ホワイトハウスの記者団はトランプ新政権から情報が取れず、トランプ氏が住むニューヨークのトランプタワー前には記者団が常駐している。皮肉にも、日本メディア批判の材料に使っていた「夜討ち・朝駆け」を自ら実践しているのである。

----------------------------------------

「米国では日本のメディアがよく批判の対象になるけど、米国だって褒められたもんじゃないだろ」との筆者の思いが出発点となって、今回の記事が生まれたのだろう。その思いの背景にある事実を提示した上で「皮肉にも、日本メディア批判の材料に使っていた『夜討ち・朝駆け』を自ら実践しているのである」と締めているので、説得力が生まれている。

今回の内容は、米国で取材する米国外メディアの記者であり、米国在住が長い筆者だからこそ書けたとも言える。「トランプ氏の選挙集会」「米連邦公開市場委員会(FOMC)後に開く記者会見」などでの多くの疎外体験は、具体的であるが故に記事に重みを与えている。

と、ここまではプラスの面を見てきた。ただ、引っかかる点もいくつかあった。それらにも触れておきたい。


◎「米メディアの既得権」 結局は元の鞘に?

毎日新聞は11月22日付で「ドナルド・トランプ米次期大統領は21日、自身の住居があるニューヨークの『トランプタワー』に米主要テレビ局やニュース専門局の幹部や司会者ら計約25人を招き、非公式のオフレコ会談を開いた。米メディアによると、トランプ氏は、大統領選を通じて生まれたメディアとの対立関係の『リセット(修復)』を提案した」と伝えている。

松浦編集委員の記事を読むと、トランプ氏と大手メディアの関係は冷え切っているように見える。ただ、毎日の記事を信じるならば、結局は元の鞘に収まりそうな感じもする。「12月半ばに初の記者会見を約束している」と松浦編集委員も書いている。もちろん「反故にする可能性もある」とは思うが、結局は「リセット(修復)」となるような…。


◎警察は「司法」?

警察や裁判所といった司法の分野」というくだりは引っかかった。「警察は行政では?」と思ったからだ。もちろん司法との関係は深いが、少なくとも「司法府」には入らないし、例えば「司法の場で真実を明らかにする」と言う場合、「警察に判断を任せる」とのニュアンスはない。

「米国では司法省の管轄が…」など色々と言えることはあるだろう。だが、記事の中で重要な要素ではないので、「司法」を省いて「特に警察や裁判所では記者証をもらうのが至難の業だ」とするのが適切だと思える。


◎「メディア」と「マスコミ」

メディア」と「マスコミ」は同義ではない。ただ、多くの場合ほぼ同じような意味で使われている。1つの記事の中では、どちらかに絞った方がいい。今回は「メディア」に統一するのが好ましそうだ。具体的には以下のようになる。統一しても問題は生じないはずだ。

後方にマスコミが陣取るのが慣例だ。後方にメディアが陣取るのが慣例だ

トランプ氏は大のマスコミ嫌い。トランプ氏は大のメディア嫌い。

「不誠実な人々だ」とマスコミ批判に徹した。「不誠実な人々だ」とメディア批判に徹した。

注)「メディア」は必要に応じて「大手メディア」にしてもいい。


※記事の評価はB(優れている)。松浦肇編集委員への評価はD(問題あり)からC(平均的)に引き上げる。松浦編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。


「金融危機から6年」? 産経の松浦肇編集委員へ質問(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/10/blog-post_80.html

「金融危機から6年」? 産経の松浦肇編集委員へ質問(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/10/blog-post_8.html

何のためのパリ取材? 産経 松浦肇編集委員への注文(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_30.html

何のためのパリ取材? 産経 松浦肇編集委員への注文(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/11/blog-post_96.html

「再収監率40ポイント低下」? 産経 松浦肇編集委員の誤解
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/01/40.html

ジャンク債は値下がり? 産経 松浦肇編集委員の記事を解読
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/02/blog-post_25.html

2016年12月11日日曜日

民進・蓮舫代表の不興恐れぬ日経 宮坂正太郎記者に期待

日本経済新聞のインタビュー記事と言えば、当たり障りのない話に終始する予定調和型が圧倒的に多い。大物の企業経営者へのインタビューでは特にそうなりがちだ。企業に擦り寄ってネタをもらう習性が染み付いているためで、ネタを取る必要のない編集委員であっても、一度染み付いた企業ヨイショの体質が変わることはまずない。
つづら棚田(福岡県うきは市) ※写真と本文は無関係です

政治部の事情はよく分からないが、企業報道部と似たり寄ったりだと思っていた。ただ、11日朝刊日曜に考える面の「永田町インサイド~とがった自分にジレンマ 就任3カ月 民進・蓮舫代表に聞く 」という記事を読んで、少し見方が変わった。聞き手の宮坂正太郎記者がかなり突っ込んだ質問をしていたからだ。蓮舫代表の不興を買うリスクを宮坂記者が引き受けているのが、紙面から伝わってくる。

自分が気付かないだけで政治部は以前からこうなのか、それとも最近になって変わってきたのか、あるいは宮坂記者が異端なのかは、よく分からない。ただ、期待を持たせる動きではある。

「不興を買うリスク」を感じさせるやり取りをいくつか見ていこう。

【日経の記事】

――就任後の取り組みを自己採点すると何点か。

「政党の代表は自己評価しない。評価するのは国民だ。今なお伸びていない支持率も含め、厳しめにみていると思う」

――落第点なのか。

「自分で評価しない」

――代表としてどう評価されていると思うか。

 「毎週末地方を歩いているが、多くの方が集会や街頭演説に来ていただいている。私への期待と党への期待の乖離(かいり)をどう縮めるかが最大の課題だ」

――党の支持率は上がっていない。

「平時に支持率を上げるのはすごく難しい。選挙が近づくことで上がっていくよう持っていきたいが、奇策はない。勝負に出たい」

----------------------------------------

厳しめにみていると思う」との答えに満足せず、「落第点なのか」と畳みかけたのは評価できる。畳みかけていく姿勢は以下のやり取りにも見える。

【日経の記事】

――党内がバラバラとの批判が続く。

「まとまっている」

――首相は党首討論で、カジノを中心とした統合型リゾート(IR)を推進する法案で意見が割れていると批判した。

「首相が勝手に言っている話だ。バラバラな時はニュースになるが、まとまっている時は報道されない」

――外交や安全保障分野の政策が見えない。

「外交や安保は政権が変わって大きくぶれてはいけない。首相がロシアのプーチン大統領やオバマ大統領と会談するのに異を唱えたことはないが、会談内容や成果については注視。問題があれば指摘する。日米同盟は基軸だ。ただ憲法違反の疑いのある安全保障関連法は廃止する。抑止力が高まったと首相は言うが、中国は相変わらずわが国の領海に侵入し、北朝鮮はミサイルを発射している」

----------------------------------------

かなり厳しい質問が続く印象だ。宮坂記者はこの他にも「民進党の『提案型』が伝わってこない」「民進党の経済政策の哲学やキャッチフレーズが分からない」といった言葉をぶつけている。「この際だから、民進党について問題だと思っていることは何でも思い切って聞いてやろう」と踏ん切りを付けたかのようだ。

個人的には、インタビューはこうあるべきだと思っている。「相手との関係を絶対に壊したくない」と聞き手が考えている場合、読む価値のあるインタビュー記事に仕上がる可能性は非常に低くなる。もちろん予定調和的でよいインタビュー記事もなくはない。ただ、政党の党首に党としての取り組みを聞く場合に、緊張感ゼロの予定調和では意味がない。

だからこそ「日経らしくない宮坂正太郎記者」の今後に期待したい。


※記事の評価はB(優れている)。宮坂正太郎記者への評価は暫定でBとする。

2016年12月10日土曜日

「シニア夢中」は騙し? 日経「サクッと天丼 シニア夢中」

見出しに釣られて記事を読んでみると裏切られるというケースが日本経済新聞にはよくある。10日の朝刊企業・消費面のトップ記事「サクッと天丼 シニア夢中 安さ人気、大手が力  松屋が専門店 『てんや』は地方拡大」もその1つだ。「天丼ってシニアに人気なのかぁ」と思って最後まで読んでみたが、「シニア夢中」と言えるような話はほぼなかった。
早稲田大学(東京都新宿区) ※写真と本文は無関係です

記事の全文は以下の通り。

【日経の記事】

外食チェーン大手が天ぷら・天丼専門店に参入したり、出店を拡大したりする動きが相次いでいる。松屋フーズやセブン&アイ・フードシステムズが参入し、天丼店「てんや」を展開する最大手のロイヤルホールディングス(HD)は地方出店を加速する。調理の手間がかかる天ぷらを手ごろな価格で提供し、シニアなどの需要をつかむ

牛丼チェーン「松屋」を展開する松屋フーズは天ぷら専門の新業態「ヽ松(てんまつ)」の1号店を都内のJR立川駅前に出店した。天丼を500~790円で販売するほか、天ぷら定食なども用意する。売れ行きをみて、ロードサイドなどで多店舗化する。

ファミリーレストラン「デニーズ」を運営するセブン&アイ・フードシステムズは9日、天ぷら・天丼専門店「まん天丼」の初の路面店を13日に東京・板橋に開くと発表した。通常の天丼で490円。これまで試験運営してきたノウハウを生かし、多店舗化を目指す。

節約志向の高まりでファミリーレストランが伸び悩む中、天ぷら・天丼専門店は調理の手間がかかる天ぷらの揚げたての味を、専用の調理機械を用いた省力化などで手ごろな価格に抑えた「お得感」を売り物に伸びている。特に1世帯当たりの人数が少ないシニアや調理時間が取りにくい働く女性から支持を集める

富士経済(東京・中央)によると、16年の国内外食市場で138業態のうち「天丼・天ぷら」は15年比で21%増の259億円となる見込みで、伸び率は2番目に高い。

天丼店「てんや」を展開する最大手のロイヤルHDは地方への出店を加速する。国内では直営156店、フランチャイズチェーン(FC)28店の計184店(2016年末見込み)を出すが、直営店はほぼ全て首都圏にある。20年に5割増の280店に増やし、うち100店は地方を中心にFCで出店する。千葉県などで2店展開するドライブスルー型も増やし、持ち帰り需要を取り込む。

讃岐うどん店「丸亀製麺」を運営するトリドールHDも天ぷら専門店「まきの」を月内に都内に初出店する。17年3月期中に8店まで増やし、前期末比で倍増する。サトレストランシステムズもさいたま市の商業施設内に天丼店「さん天」のフードコート店を初出店した。運営ノウハウを蓄積し、商業施設内への本格展開につなげる。

----------------------------------------

この記事の中で「シニア」に言及しているのは「シニアなどの需要をつかむ」と「特に1世帯当たりの人数が少ないシニアや調理時間が取りにくい働く女性から支持を集める」の2カ所だけだ。これで「シニア夢中」と見出しを付けるのは無理がある。シニアにどの程度の人気なのかは全く触れていない。

シニアに人気の理由も「1世帯当たりの人数が少ない」というだけだ。この理由ならば「世代を問わず1人暮らしや2人暮らしの人に人気」となる方が自然だ。「シニアが夢中」と見出しを付けるならば、他の世代と比べてどの程度の人気なのか、それはなぜなのかは必須で入れたい。

記事を担当した企業報道部に「シニアが夢中」という認識がないのならば、見出しを担当する整理部に「この見出しはまずい」と伝えるべきだ。見出しを受け入れたのならば、「シニアが夢中」という見出しを裏切らないような内容に作り変える必要がある。こういう記事に接すると「編集局内できちんと連携が取れてないんだろうな」と思えてしまう。

ついでに「出店拡大」にも触れておこう。

ロイヤルHDは地方への出店を加速する」と書いているが、記事中の情報だけでは「出店を加速する」かどうか判断できない。

まず、現状で地方店がどの程度あるのか不明だ。「国内では直営156店、フランチャイズチェーン(FC)28店の計184店(2016年末見込み)を出すが、直営店はほぼ全て首都圏にある」と書いてあるので、地方店は現状で最多でも30店ぐらいなのは分かる。ただ、FCの28店のうち地方店がどの程度を占めるのかは謎だ。なので地方店の数は、可能性として0~30程度とかなり幅が広くなる。

今後については「20年に5割増の280店に増やし、うち100店は地方を中心にFCで出店する」と書いている。これは「20年には地方の店舗数が計100店になる」と解釈していいだろう。仮に現状の地方店を30店とすると、4年で70店を出す計算になる。これが「出店を加速」かどうかは微妙だ。

例えば、地方への新規出店が15年5店→16年25店→17年20店→18年20店→19年15店→20年15店--だとしよう。これだと「出店を減速」の方がしっくり来る。「出店を加速」と伝えるためには、ある期間の出店数に比べて、その後の出店数が増えていく姿を見せる必要がある。

今回の記事では現状の店舗数と20年の店舗数を見せているだけだ(しかも現時点での地方店の数は不明)。これだと「出店を加速」ときちんと伝えたことにはならない。

さらに言うと、「讃岐うどん店『丸亀製麺』を運営するトリドールHDも天ぷら専門店『まきの』を月内に都内に初出店する。17年3月期中に8店まで増やし、前期末比で倍増する」という書き方も感心しない。これだと「17年3月期中に8店まで増や」すのは「都内」の店舗とも解釈できる。

月内に初出店であれば「前期末比で倍増」して「17年3月期中に8店」にはならないので、これは都内ではなく「まきの」の全店舗数だと推測はできる。だが、上手い書き方ではない。

今回の記事は、もう少し書き方と見出しを工夫すれば及第点に達していた。その「もう少し」が高い壁なのかもしれないが…。


※記事の評価はD(問題あり)。

2016年12月9日金曜日

朝日に完敗 日経「ユニクロ、ヒートテックで暖かさ2.25倍」

暖かさ2.25倍」と言われて、どうイメージするだろうか。今の暖かさを「1」として、それが2倍強になったかどうか、どうやって測定すればいいのだろう。9日の日本経済新聞朝刊企業・消費面に載った「ユニクロ、ヒートテックで暖かさ2.25倍の新商品」というベタ記事の見出しを見て、そんな疑問が浮かんだ。まずは記事の全文を見ていこう。
成田山新勝寺(千葉県成田市) ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

ファーストリテイリング傘下のユニクロは8日、機能性肌着「ヒートテック」で従来より2.25倍暖かい商品を19日に発売すると発表した。糸の編み方の工夫や裏地の起毛を長くして暖かさを高めた。価格は通常のヒートテックより1000円高い税別1990円。

「ヒートテックウルトラウォーム(超極暖)」の商品名で東レと開発した。氷点下に近い場所で長時間作業する人などの利用を見込む。

-----------------

記事では、何で「暖かさ」を測っているのか説明がない。ユニクロのニュースリリースを見ると「『ウルトラウォーム』は、『エクストラウォーム(極暖)』の約1.5倍※1(通常のヒートテックの約2.25倍※2)暖かいヒートテックです」と確かに書いてある。そして「※1」「※2」の注記によると「衣類の熱抵抗を表すCLO値を元に算出」したようだ。

まず、リリースに問題がある。「衣類の熱抵抗を表す数値が2.25倍暖かさが2.25倍」とは言えないだろう。「この服は暖かさが2倍ですよ」と言われたら、「実感としての暖かさが2倍」だと理解するのが普通だ。例えば気温は暖かさを示す数値の1つだろうが、気温が2度から4度になっても「暖かさが2倍」かどうかは、また別だ。

リリースの場合は、「衣類の熱抵抗を表すCLO値を元に算出」と断っているので大きな問題はない。だが、日経は何の注釈も付けずに「従来より2.25倍暖かい」と言い切っている。消費者に誤解を与える書き方だ。

CLO値2.25倍暖かさ2.25倍」を仮に認めるとしても、「従来より2.25倍暖かい」との説明には問題が残る。リリースでは「『エクストラウォーム(極暖)』の約1.5倍※1(通常のヒートテックの約2.25倍※2)暖かい」となっている。「エクストラウォーム」が既にあるのならば「従来の1.5倍暖かい」とすべきだ。

通常のヒートテック」と比べたいのであれば、「従来より2.25倍暖かい」ではなく「通常のヒートテックより2.25倍暖かい」などと表記するしかない。

記事には他にも問題がある。

まず「糸の編み方の工夫や裏地の起毛を長くして暖かさを高めた」というくだりは日本語として拙い。これだと形式的には「糸の編み方の工夫」や「裏地の起毛」を「長く」したと解釈するしかない。だが「糸の編み方の工夫を長くして」では意味不明だ。

例えば「糸の編み方を工夫したり裏地の起毛を長くしたりして暖かさを高めた」「糸の編み方の工夫や、裏地の起毛を長くすることで暖かさを高めた」とすれば問題は解消する。

氷点下に近い場所で長時間作業する人などの利用を見込む」との説明も引っかかった。「氷点下に近い場所」と書くと「氷点下の場所」は除外しているように思える。だが、「氷点下の場所」でも使えるはずだ。

これはリリースを見て謎が解けた。「寒さの厳しい地域に住んでいる方や氷点下に近い場所で長時間作業する方などのために開発した、ユニクロ史上最も暖かいヒートテックです」というリリースの表現の一部をそのまま記事に使っていたのだ。

こうしたところにも、あまり工夫せずに記事を仕上げる日経の記者の姿勢が透けて見える。

上記の指摘を踏まえて、朝日新聞の記事と比べてみよう。

【朝日の記事】

ユニクロは19日、保温力の高い機能性下着「ヒートテックウルトラウォーム(超極暖)」を発売する。従来のヒートテックやヒートテックエクストラウォーム(極暖)に比べ、一段と暖かい「最強のヒートテック」だ。長袖Tシャツとタイツ、レギンスがあり、税抜き1990円。

生地が厚いため、下着だけでなく、長袖Tシャツとしても着られる。寒冷地の消費者から「ヒートテックを2枚重ねで着る」との声があり、新たに開発した。寒冷地向けだけでなく、冬のスポーツや屋外の長時間作業での使用も想定している

生地はヒートテックを手がけてきた東レが開発。4種類の糸の編み方を変え、裏地の起毛部分の毛足も長くしたことで、生地中の空気層をさらに増やした

ユニクロはスポーツウェアに力を入れており、8日の発表会では、エベレストに日本人最年少で登頂した冒険家の南谷真鈴さんが商品を紹介した。ファーストリテイリングの堺誠也執行役員は「スキーの時など、これまでのヒートテックでは物足りなかった場面でも使える。生活シーンに合わせて選んでいただければ」と語った。(栗林史子)

----------------------------------------

朝日の栗林記者は「従来より2.25倍暖かい」といった数値情報を入れていない。「一段と暖かい」と書いているだけだ。「暖かさ2.25倍」といった表現は誤解を与えるので、あえて捨てたのではないか。だとすると、日経の記者より一段レベルが高い。

日経の記事に関して指摘した問題点が、朝日の記事には全て当てはまらない。「最強のヒートテック」という表現に宣伝臭さは感じるが、許容範囲内だろう。同じユニクロの発表記事でも、作り手の実力差はかなり開いている。

日経の企業報道部で記事を書いた記者、記事をチェックしたデスクは朝日の記事を参考にした方がいい。そして「なぜ自分たちの記事はレベルが低いのか」をじっくりと分析すべきだ。


※日経の記事の評価はD(問題あり)。