日本経済新聞は芹川洋一論説主幹に引導を渡す気はないようだ。29日の朝刊1面では、安倍晋三首相の真珠湾訪問を受けて、「
揺らぐ価値 問い直す」というかなり長い解説記事を書かせていた。しかし、内容には辛さばかりが目立つ。具体的に指摘してみたい。
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大原八幡宮(大分県日田市) ※写真と本文は無関係です |
◎本当に「ヒント」がある?
【日経の記事】
歴史の区切りとはこういうことなのだろう。1941年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃から75年。安倍晋三首相とオバマ米大統領がそろって慰霊碑に花をたむけた。5月の大統領の広島訪問とともに、過去を乗りこえた歴史の和解の光景として人々の記憶に刻み込まれるに違いない。
それは世界が大きく動き、新たな段階に入った2016年という節目の年を締めくくるにふさわしいできごとでもある。世界を揺さぶっている対立と分断を超克していくヒントを与えているように思えるからだ。
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安倍晋三首相とオバマ米大統領の真珠湾での慰霊を「
世界を揺さぶっている対立と分断を超克していくヒントを与えているように思える」と芹川論説主幹は捉えている。それはそれでいい。しかし、記事を最後まで読んでも、真珠湾での慰霊にそんな意味を見出せる理由が分からなかった。これは最後に改めて論じる。
続きを見ていこう。
◎何のための「日本外交史」?
【日経の記事】
時計の針を日米開戦のころに戻してみよう。
「戦争は外交の破綻に始まって、外交の復活によって終局する」――。自由主義者の評論家・清沢洌(きよし)が開戦直後の42年、ペリー来航から真珠湾までの88年間をあらわした『日本外交史』の序文の一節だ。
出口が見えないまま「外交の破綻」で奇襲攻撃により突っ込んでいった戦争は、広島・長崎があり、あまりに多くの犠牲を払って無条件降伏という外交の無策で終局した。無残なものだった。
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「
『日本外交史』の序文の一節」を紹介した意味が感じられない。この序文では「
戦争は外交の復活によって終局する」となっているらしいが、太平洋戦争については芹川論説主幹も「
無条件降伏という外交の無策で終局した」と結論付けている。つまり、「
序文」の通りにはなっていない。ならば、何のために「
序文」を持ち出したのか。
「序文の通りにならなかったことに意味がある」という場合もあるだろう。だが、芹川論説主幹はそこに踏み込むわけでもなく、話を進めてしまう(後で「
外交の復活」は出てくるが、これはこれで問題がある。それは後述する)。
上記のくだりに関しては「
時計の針を日米開戦のころに戻して」みる必要はなさそうだし、「
日本外交史」の「
序文」も無駄だ。太平洋戦争を振り返るのであれば、歴史的な事実を単純になぞるだけで済むと思える。
◎「ここまで来るのに戦後71年かかった」?
【日経の記事】
占領をへて講和・独立。米ソ冷戦構造のもと、日本は西側の一員として、経済も安全保障も米国に依存しながら、軽武装重商主義で高度成長を実現、経済大国になった。米側にとっても対ソ戦略上、日本を取り込んでおくのは得策だった。利益をともにする戦略的な同盟関係だった。
両国関係の深まりによって、冷戦後、民主主義と自由という価値を共有する「価値の同盟」になった。オバマ大統領の広島訪問と、こんどの安倍首相の真珠湾訪問が実現したのはその結果といえるだろう。
相互依存の利益の体系に加え、相互信頼の理念の体系にまで日米関係は発展してきたわけだ。ここまで来るのに戦後71年かかった。それは「外交の復活」の最終的なかたちでもある。
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まず「
ここまで来るのに戦後71年かかった」との説明が腑に落ちない。「
相互依存の利益の体系に加え、相互信頼の理念の体系にまで日米関係」が発展するのに「
戦後71年かかった」と芹川論説主幹は言いたいのだろう。しかし、その前に「(日米は)
冷戦後、民主主義と自由という価値を共有する『価値の同盟』になった」とも書いている。ならば、「
相互信頼の理念の体系にまで」発展させるのに要したのは「(冷戦後までの)
戦後50年ほど」ではないのか。
「
『外交の復活』の最終的なかたち」との記述も奇妙だ。太平洋戦争は「
外交の無策で終局した」はずだ。その後については「
占領をへて講和・独立。米ソ冷戦構造のもと、日本は西側の一員として、経済も安全保障も米国に依存しながら、軽武装重商主義で高度成長を実現、経済大国になった」とは書いているものの、「
外交の復活」には全く触れていない。
なのに、急に「
『外交の復活』の最終的なかたち」と言われても困る。記事で述べてきたのは「
外交の無策で終局した」ところまでだ。「いつの間に『復活』してたの?ちゃんと教えてよ」とツッコみたくなる。
そして今度は「
歴史の終わり」というよく分からない説明が出てくる。
【日経の記事】
日米両国にとっての歴史の終わりから見えてきたものは、対立と分断を乗りこえるのは共通の利益と、価値の共有ということだ。それはグローバルな自由主義経済であり、民主主義と自由だったはずだ。
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「えっ! 歴史の終わり?」と訳が分からなくなってしまった。「
『外交の復活』の最終的なかたち」に辿り着いたら、それは「
日米両国にとっての歴史の終わり」なのか。来年以降も「
日米両国にとっての歴史」が続いていくと考えるのは誤りなのか。あまりにも説明が適当すぎる。
◎「民主主義」は機能しているような…
【日経の記事】
それが今や揺らいでいるのである。英国の欧州連合(EU)からの離脱決定や、トランプ米大統領誕生のベクトルが別の方向を向いているのは否定できない。保護主義や保守的な価値観、そしてポピュリズム(大衆迎合主義)が勢いを増している。寛容や多様性はすっかりかすんでしまっている。
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「
英国の欧州連合(EU)からの離脱決定や、トランプ米大統領誕生」が「
民主主義」とは「
別の方向を向いている」とは思えない。民主主義的な手続きをしっかりと踏んだ上で「
離脱決定」や「
トランプ米大統領誕生」となったはずだ。芹川論主幹は何を見て「(民主主義とは)
別の方向を向いている」と判断したのだろうか。
芹川論説主幹の思い切りが良すぎる説明はさらに続く。
◎EUモデルは「完全に破綻」?
【日経の記事】
要は世界はこれからどこへ向かうのかということだ。冷戦後、進歩的な世界観があった。国家の体をなしていない前近代(プレモダン)の世界から、国民国家による近代(モダン)の世界へ、そして国家の枠組みを超えていく脱近代(ポストモダン)の世界へ、と動いていくという考え方だ。
支配する理念は民主主義と自由である。そのいちばん進んだ例がEUだった。ところが中東からの難民もあって、このモデルは完全に破綻した。
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EUの「
モデルは完全に破綻した」らしい。単に「
破綻した」のではなく「
完全に破綻した」のだ。これが正しいのであれば、EUは原型を留めないほどに崩れているはずだ。しかし、今のところ脱退決定が相次ぐという事態にさえ至っていない。芹川論説主幹は何を以って「
完全に破綻した」と結論付けたのか。ここでも説明のいい加減さが出ている。
EUには加盟申請中の国もあり、英国離脱を乗り越えてその「
モデル」をさらに広げていく可能性も十分にありそうだ。「
完全に破綻」とまで言い切るのであれば、まともな根拠を示してほしい。
芹川論説主幹の説明を信じれば、EUにはもはや「
民主主義と自由」もなさそうに思える。だが、本当にそうなのか。
◎結局、「真珠湾」とは関係ない?
【日経の記事】
今おこっているのは歯車の逆回転だ。歴史は一本調子では進まない。常に行きつ戻りつなのはその通りだ。しかし逆行するのに手をこまぬいていていいわけがない。混乱と摩擦の新たな歴史の始まりだけは何としても避けなければならない。
真珠湾から世界に発しているメッセージは歴史の和解だけでなく、健全な民主主義と自由という揺らぐ価値の問い直しではなかろうか。
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記事の結びで「
真珠湾から世界に発しているメッセージは歴史の和解だけでなく、健全な民主主義と自由という揺らぐ価値の問い直しではなかろうか」と解説しているが、なぜそう言えるのかは教えてくれない。
「
安倍晋三首相とオバマ米大統領の真珠湾での慰霊」から直接的に「
健全な民主主義と自由という揺らぐ価値の問い直し」に結び付けるのは困難だ。芹川論説主幹がそう結び付けたのならば、その経緯を読者に説明すべきだ。しかし、記事を読んでも「なぜそう解釈したのか」は見えてこない。
結局は「
真珠湾での慰霊」と関係の薄い話に終始したのが今回の記事だ。1面に載せる意義は感じられない。せっかく解説記事を載せるのならば、もっとしっかりした書き手に任せるべきだと思うが、社内の力関係はそれを許さないのだろう。
※記事の評価はD(問題あり)。芹川洋一論説主幹への評価はE(大いに問題あり)を維持する。芹川論説主幹に関しては以下の投稿も参照してほしい。
日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_50.html
日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_98.html
日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_51.html
日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_15.html
日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html
「株価連動政権」? 日経 芹川洋一論説委員長の誤解
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_31.html
日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html
日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_13.html
日経 芹川洋一論説主幹 「新聞礼讃」に見える驕り
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post_33.html
「若者ほど保守志向」と日経 芹川洋一論説主幹は言うが…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_39.html
ソ連参戦は「8月15日」? 日経 芹川洋一論説主幹に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/815.html