2022年5月31日火曜日

「『積み立て投資』が急速に広がっている」に根拠欠く日経朝刊1面の記事

日本経済新聞には肝心な情報が抜けている記事がよく載る。31日の朝刊1面に載った「積み立て投資、年2兆円ペース~若年層、老後に備え」という記事もそうだ。新聞の顔とも言える1面でこの完成度は辛い。全文を見た上で具体的に指摘したい。

サッポロビール九州日田工場

【日経の記事】

個人の間で投資信託を定期的に買い続ける「積み立て投資」が急速に広がっている。大手ネット証券と独立系投信の計7社に聞き取りしたところ、3月の投資額は1584億円と月間で過去最高になった。年間で2兆円に迫るペースに増えており、投信の純流入額の2割に相当する。老後への不安で若年層が資産形成に動いており、日本でも長期の資産運用に資金が向かい始めた。

積み立て投資は一定額を定期的に買い、長期の資産形成に向くとされる。購入額に増減がある投信全体と異なり、個人の投資の普及度合いを推し量る指標になる。日本経済新聞がSBI証券、楽天証券、マネックス証券、松井証券、auカブコム証券のネット証券5社、セゾン投信、さわかみ投信の計7社を対象に毎月積み立て設定の投信の買い入れ額を調べた。

3月は1584億円と年換算で約1.9兆円になる。投信全体の純流入額は2019~21年の3年平均で約9兆円。積み立て投資の年2兆円の水準は、投信全体の純流入額と比べると2割に相当する。また個人の現預金は21年に35兆円増えており、現預金偏重は変わらないが、2兆円の水準は約6%に相当する。


◎「急速に広がっている」と訴えるなら…

『積み立て投資』が急速に広がっている」というのが記事の柱だ。当然に「急速に広がっている」と裏付けるデータが要る。しかし、どの期間でどの程度の増加なのか全く分からない。

「書くのを忘れていた」というならば書き手としての資質に欠けるし、増加率のデータは元々ないのならば、根拠なしに「急速に広がっている」と書いたことになる。今回のような記事を1面に持ってきたデスクや編集局幹部の責任も重い。

3月の投資額は1584億円と月間で過去最高になった」とは書いている。ただ、これだけでは「急速に広がっている」かどうかは分からない。2月も「過去最高」で3月はそれをわずかに上回っただけかもしれない。前年同月で見る手もあるが、それでも伸び率が低い中での「過去最高」であれば「急速に広がっている」とは言えない。

さらに言えば、5月末に載せる記事でなぜ3月の数字なのか。各社とも4月の数字はありそうな気がする。

4月の数字をまだ出せないとしても「年間で2兆円に迫るペース」と書くならば1~3月の数字は見せたい。そこから「年間」の「ペース」を見るのが好ましい。

やはり、この記事の完成度は低い。


※今回取り上げた記事「積み立て投資、年2兆円ペース~若年層、老後に備え」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220531&ng=DGKKZO61278020R30C22A5MM8000


※記事の評価はE(大いに問題あり)

2022年5月30日月曜日

「『嫌い』が変える消費」の解説が強引な日経 中村直文編集委員

日本経済新聞の中村直文編集委員は強引な解説が目立つ。30日の朝刊ビジネス面に載った「経営の視点~『嫌い』が変える消費 酒・ユニクロ、アンチつかむ」という記事も苦しい内容だった。順に見ていこう。

三連水車

【日経の記事】  

元陸上選手の為末大氏が自身のニュースレターで意外なことを書いていた。「既存のスポーツシステムはスポーツ好きもうみましたが、スポーツ嫌いの方もたくさんうんできました」。スポーツは、アスリートの超人的な技で感動を生んだり、心身の健康を増進したり、プラス面が多い。その第一人者でもある為末氏がなぜ?

同氏によるとスポーツは「社会的な価値観を増幅させる機能」があり、苦手な人や権威的な体育会の体質で嫌な体験をした人を遠ざけてしまうことも理解する必要があるという。これはスポーツ以外にも通じる。「楽しいのが当たり前」と支配的な価値観が強まりすぎると、「アンチ」を生むことになる


◎解釈は合ってる?

まず「『アンチ』を生む」背景を正しく理解しているのか気になる。

為末氏」は「苦手な人や権威的な体育会の体質で嫌な体験をした人を遠ざけてしまうことも理解する必要がある」と訴えているだけだ。

それを「『楽しいのが当たり前』と支配的な価値観が強まりすぎると、『アンチ』を生むことになる」と中村編集委員は捉えている。「体育会の体質で嫌な体験をした人」は「『楽しいのが当たり前』と支配的な価値観が強まりすぎる」ことに反発しているのか。そもそも「体育会」に「楽しいのが当たり前」というイメージがあるのか。

さらに言えば「その第一人者でもある為末氏がなぜ?」との問いに中村編集委員は答えを出していない。例えば「為末氏」自身が多くの「スポーツ嫌いの方」を生んでしまった経験を持っているといった話があれば答えになる。

続きを見ていこう。


【日経の記事】

環境志向の高まり、縦型社会の揺らぎなど、社会・経済は激変している。当たり前と思い込んでいる価値観に対して「嫌い」が顕在化し、市場を揺さぶる。例えばお酒。「飲みニュケーション」として成長してきたアルコール市場では、ノンアルコール、あるいは微アルコール派が増えてきた

新型コロナウイルスの感染拡大で飲酒の場が減り、リモートワークが拡大。すると、酒、あるいは酒でつながる文化に嫌気がさしていた層が顕在化し、アンチ市場が広がった。実際に酒を飲めない、あえて飲まない人は約4千万人ともいわれ、酒類メーカーも嫌われない努力に余念がない。


◎話は合ってる?

『楽しいのが当たり前』と支配的な価値観が強まりすぎると、『アンチ』を生むことになる」事例として「お酒」を挙げているが、話が合っていない。

飲みニュケーション」に対して「『楽しいのが当たり前』と支配的な価値観が強まりすぎ」たから「アンチ」が増えてきたという流れなら分かる。しかし、むしろ逆だ。

新型コロナウイルスの感染拡大で飲酒の場が減り、リモートワークが拡大」したらしい。それは「飲みニュケーション」嫌いにとって好ましい状況だ。なのに「アンチ」が「顕在化」するのか。謎の現象だ。

さらに言えば「アルコール市場では、ノンアルコール、あるいは微アルコール派が増えてきた」からと言って「酒、あるいは酒でつながる文化に嫌気がさしていた層が顕在化」したとは言い切れない。

そもそも「微アルコール」は「」だ。「ノンアルコール」に関しても「飲みニュケーション」を否定しているとは限らない。「」は飲めないけど「飲みニュケーション」の場には参加したいという人にはありがたい商品だ。

少し飛ばして続きを見ていく。


【日経の記事】

キユーピーは「高カロリーを嫌う顧客」を想定し、カロリーハーフタイプを約30年前に発売した。社内でも「マヨネーズを否定することにならないか」と反対の意見も多かったが、今は約30%がカロリーカット型でアンチ派をうまく取り込んだ


◎高カロリーを好む価値観あった?

『楽しいのが当たり前』と支配的な価値観が強まりすぎると、『アンチ』を生むことになる」という話はどうなったのか。「『高カロリー』食品を食べるのは素晴らしいこと」といった「価値観」が「支配的」な時代は記憶にない。食糧難の時代の話か。

昔からの「マヨネーズ」好きも「高カロリー」を支持していた訳ではないだろう。「マヨネーズは高カロリーでなきゃ意味がない」といった考えが支配的になる中で「アンチ派」が台頭してきたのならば今回の記事に合うのだが…。

中村編集委員の書く記事はやはり無理がある。



※今回取り上げた記事「経営の視点~『嫌い』が変える消費 酒・ユニクロ、アンチつかむ

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220530&ng=DGKKZO61238080Z20C22A5TB0000

※記事の評価はD(問題あり)。中村直文編集委員への評価はDを維持する。中村編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

マックが「体験価値」を上げた話はどこに? 日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」https://kagehidehiko.blogspot.com/2022/04/blog-post_15.html

無理を重ねすぎ? 日経 中村直文編集委員「経営の視点」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2015/11/blog-post_93.html

「七顧の礼」と言える? 日経 中村直文編集委員に感じる不安
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/05/blog-post_30.html

スタートトゥデイの分析が雑な日経 中村直文編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_26.html

「吉野家カフェ」の分析が甘い日経 中村直文編集委員
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/blog-post_27.html

日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」が苦しすぎる
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/08/blog-post_3.html

「真央ちゃん企業」の括りが強引な日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/08/blog-post_33.html

キリンの「破壊」が見えない日経 中村直文編集委員「経営の視点」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/12/blog-post_31.html

分析力の低さ感じる日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/blog-post_18.html

「逃げ」が残念な日経 中村直文編集委員「コンビニ、脱24時間の幸運」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/24.html

「ヒットのクスリ」単純ミスへの対応を日経 中村直文編集委員に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_27.html

日経 中村直文編集委員は「絶対破れない靴下」があると信じた?
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_18.html

「絶対破れない靴下」と誤解した日経 中村直文編集委員を使うなら…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/05/blog-post_21.html

「KPI」は説明不要?日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」の問題点
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/06/kpi.html

日経 中村直文編集委員「50代のアイコン」の説明が違うような…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/06/50.html

「セブンの鈴木名誉顧問」への肩入れが残念な日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/07/blog-post_15.html

「江別の蔦屋書店」ヨイショが強引な日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_2.html

渋野選手は全英女子まで「無名」? 日経 中村直文編集委員に異議あり
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_23.html

早くも「東京大氾濫」を持ち出す日経「春秋」の東京目線
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_29.html

日経 中村直文編集委員「業界なんていらない」ならば新聞業界は?
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/blog-post_5.html

「高島屋は地方店を閉める」と誤解した日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_23.html

野球の例えが上手くない日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/11/blog-post_15.html

「コンビニ 飽和にあらず」に説得力欠く日経 中村直文編集委員
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/01/blog-post_23.html

平成は「三十数年」続いた? 日経 中村直文編集委員「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/02/deep-insight.html

拙さ目立つ日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ~アネロ、原宿進出のなぜ」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/02/blog-post_28.html

「コロナ不況」勝ち組は「外資系企業ばかり」と日経 中村直文編集委員は言うが…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/06/blog-post.html

データでの裏付けを放棄した日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/07/blog-post_17.html

「バンクシー作品は描いた場所でしか鑑賞できない」と誤解した日経 中村直文編集委員https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/09/blog-post_11.html

「新型・胃袋争奪戦が勃発」に無理がある日経 中村直文編集委員「経営の視点」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/10/blog-post_26.html

「悩み解決法」の説明が意味不明な日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/12/blog-post_19.html

問題多い日経 中村直文編集委員「サントリー会長、異例の『檄』」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/blog-post_89.html

「ジャケットとパンツ」でも「スーツ」? 日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/blog-post_30.html

「微アルコール」は「新たなカテゴリー」? 日経 中村直文編集委員の誤解https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/03/blog-post_12.html

「ながら族が増えた」に根拠欠く日経 中村直文編集委員「ヒットのクスリ」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/05/blog-post_14.html

「プロセスエコノミー」の事例に無理がある日経 中村直文編集委員「Deep Insight」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/10/deep-insight.html

2022年5月28日土曜日

国立女子大の工学部を東洋経済オンラインで前向きに取り上げた杉山直隆氏に問う

男子大がない日本では「国立女子大=性差別制度」と言うほかない。しかし、なぜかメディアでは前向きに取り上げられがちだ。オフィス解体新書・代表の杉山直隆氏が27日付で東洋経済オンラインに書いた「国立女子大で『工学部』が相次ぎ新設される背景~『工学=男性』は過去に、STEM人材を増やせ」という記事もそうだ。一部を見ていこう。

有明海

【東洋経済オンラインの記事】

工学=男性はもはや過去の話。

男女の性差を解析し、研究開発に取り入れる「ジェンダード・イノベーション」の重要性も叫ばれ、工学分野でも女性の人材が求められるようになっている。

ところが、日本は工学分野の女性人材があまりに少ない。経済協力開発機構(OECD)の調査によると、2019年に大学などの高等教育機関に入学した学生のうち、STEM(科学・技術・工学・数学)分野を専攻する女性の割合は、日本は加盟国36カ国で最下位。とくに工学・製造・建築は16%にとどまる

この問題を解決すべく、女子大初の工学部設置に乗り出したのが、国立女子大の奈良女子大学とお茶の水女子大学だ。両校は2016年に大学院の生活工学共同専攻を開設している。

共学の工学部は男子が大半を占めるので抵抗を感じる女子学生もいた。そうした人も女子大ならば、思う存分、工学を学べるわけだ


◇   ◇   ◇


疑問点を列挙してみる。

(1)「日本は工学分野の女性人材があまりに少ない」?

日本は工学分野の女性人材があまりに少ない」と見る根拠は「STEM(科学・技術・工学・数学)分野を専攻する女性の割合は、日本は加盟国36カ国で最下位」という「経済協力開発機構(OECD)の調査」。これだと「あまりに少ない」とは感じられない。

日本で必要とされる「工学分野の女性人材」の人数に対して供給される「人材」が圧倒的に少ないのならば分かる。しかし、そうした情報は出てこない。「工学・製造・建築は16%」しかいないとしても、それで企業や研究機関が困っていないのならば問題はない。

STEM分野を専攻する女性の割合」の高さを競うことに意味はない。日本は「STEM分野を専攻する男性の割合」が加盟国でトップとも言える。そんなに悪いことなのか。


(2)女子大への工学部設置で「問題を解決」?

女子大への「工学部設置」が「問題」の「解決」につながるとも思えない。「共学の工学部は男子が大半を占めるので抵抗を感じる女子学生もいた。そうした人も女子大ならば、思う存分、工学を学べるわけだ」と杉山氏は言う。しかし「そうした人」がどの程度いるのかには触れていない。数が少なければ効果は限定的だ。「共学の工学部」に進む女子学生を減らすだけに終わる可能性も十分にある。

共学の工学部」にも「16%」の女子学生がいるとしよう。それでも「男子が大半を占めるので抵抗を感じる」からと言って「工学部」への進学を諦める女子学生は「工学」への熱意が高いとは考えにくい。「そうした人」が「女子大」の「工学部」に集まってくるとしたら、その「人材」に多くを期待できない気もする。


(3)国立女子大の性差別は気にならない?

やはり「国立女子大=性差別制度」という問題も引っかかる。杉山氏はこの問題に触れないまま「女子大初の2つの工学部が軌道に乗れば、ほかの女子大でも工学部設置の動きが生まれ、女性のSTEM人材が増えるだろう。両大学に寄せられる期待は大きい」と記事を締めている。

なぜ女子は全ての国立大学の受験資格があるのに男子は2校から排除されるのだろう。これを性差別でないとするのは難しい。何も問題を感じないのか。

杉山氏が性差別容認論者ならば、それはそれでいい。ただ「国立女子大の奈良女子大学とお茶の水女子大学」が男子に門戸を閉ざしても良いと言える理由はぜひ考えてほしい。


※今回取り上げた記事「国立女子大で『工学部』が相次ぎ新設される背景~『工学=男性』は過去に、STEM人材を増やせ

https://toyokeizai.net/articles/-/590165


※記事の評価はD(問題あり)

2022年5月26日木曜日

女性だけが改姓を強いられる? 毎日新聞 佐藤千矢子論説委員の誤解

女性論者が女性問題を論じると雑な主張になりやすい。おかしな主張でも許してしまう雰囲気がメディアの中にもあるのだろう。毎日新聞の佐藤千矢子論説委員が5月23日付のプレジデントオンラインの書いた「『オッサン』かどうかを判断するリトマス試験紙になる"ある質問"~多くの人の幸せを奪う"オッサンの壁"」という記事にも色々と問題を感じた。

夕暮れ時

一部を見ていこう。

【プレジデントオンラインの記事】

なぜ選択的夫婦別姓の問題に私がこだわるのか。それは、女性の「生きづらさ」を解決するために、これが「一丁目一番地」のように感じるからだ。

選択的夫婦別姓の問題は、主に女性が結婚とともに夫の姓への改姓を事実上、強制されることによって、社会的に不利益を被る問題として語られることが多い。もちろんその問題は大きい。しかし、それだけではない。氏はその人の人格を構成する重要なアイデンティティの一部だ。改姓に抵抗のない人もいるが、改姓によって、それまでの自分の人生が否定されたように感じる人もいる。この感覚は私には経験はないが、よくわかる気がする。もちろん男性が改姓してもいいわけだが、実際には女性が改姓するケースが96%と圧倒的だ。女性だけが、結婚とともに、改姓を強いられ、自己喪失感を持つという問題を、放置していいはずがない。なぜ女性だけが、生まれながらの姓で生きることが許されないのか、説明がつかない。


◎そんなに「強制」ある?

女性だけが、結婚とともに、改姓を強いられ、自己喪失感を持つという問題を、放置していいはずがない」という認識は明らかに間違っている。

まず「改姓を強いられ」ることは基本的にない。男性が「改姓」してもいいと佐藤論説委員も認めている。どうしても「改姓」が嫌ならば「結婚」をやめてもいい。その自由もある。

選択的夫婦別姓の問題は、主に女性が結婚とともに夫の姓への改姓を事実上、強制されることによって、社会的に不利益を被る問題として語られることが多い」と佐藤論説委員は書いているが「夫の姓への改姓を事実上、強制される」という事例がそんなにあるのか。

改姓」を拒めば家族を皆殺しにすると脅されて「改姓」に応じた女性もいるかもしれない。その場合は「事実上」の「強制」と言えなくもない。しかし、そうした話は稀だろう。

実態にはそぐわないが「改姓した人=改姓を強いられた人」との前提で考えてみよう。この場合でも「女性だけが、生まれながらの姓で生きることが許されない」とは言えない。

女性が改姓するケースが96%」と佐藤論説委員も書いている。言い換えれば「男性が改姓するケースが4%」ある。ここに属する男性も「生まれながらの姓で生きることが許されない」人に当たるはずだ。

ついでに言うと「選択的夫婦別姓の問題」が「女性の『生きづらさ』を解決するため」の「一丁目一番地」ならば日本の女性が抱える問題は大きくない。「選択的夫婦別姓」が実現しなくても生活苦に陥る訳ではない。貧困や差別などで目立った問題がないから「選択的夫婦別姓の問題」を「一丁目一番地」と感じるのだろう。やはり日本の女性は恵まれている。

もう少し見ていく。


【プレジデントオンラインの記事】

私は男性優位に設計された社会でその居心地の良さに安住し、意識的にも無意識のうちにも現状維持を望むあまり、変化に適応できない人を「オッサン」と称しているが、これだけ選択的夫婦別姓容認派が多数を占めてもなお、「家族の絆」や「日本の伝統」を理由に「選択的に」夫婦別姓を認めることにさえ反対するのは、年長の男性が家庭で権力を持つ「家父長制」や性別役割分担の意識に縛られた「オッサンの壁」の象徴のように思える。

立法府で重い責任を負う国会議員たちが、この問題に賛成するか反対するかは、私にとって「オッサン」(オッサン予備軍を含む)かどうかを判断するリトマス試験紙のような役割を果たしている。だから、こだわらざるを得ない。男性の既得権、もっとやわらかく言えば、男性が生まれながらにはいている「下駄」に気づかず、男性優位社会を当たり前のこととして守ろうとする「オッサンの壁」が、多くの人たちの幸せを奪っているのではないだろうか。選択的夫婦別姓問題はそのわかりやすい例のように思う。


◎「オバハン」もあり?

佐藤論説委員は「男性優位に設計された社会でその居心地の良さに安住し、意識的にも無意識のうちにも現状維持を望むあまり、変化に適応できない人を『オッサン』と称している」らしい。

男性優位に設計された社会でその居心地の良さに安住し、意識的にも無意識のうちにも現状維持を望むあまり、変化に適応できない女性」がいたら「オバハン」と佐藤論説委員は呼ぶのだろうか。

あるいは「女性だけが、結婚とともに、改姓を強いられ」ると誤解する佐藤論説委員のような女性を「オバハン」と称する人がいたら受け入れられるのか。そこを考慮した上で「オッサン」という言葉を使ってほしい。

選択的夫婦別姓」に賛成するかどうかは、自分から見れば好みの問題だ。国民の過半数が導入を望むなら導入すべきだし、そうでないなら見送っていい。自分と意見が異なるからと言って反対派を「オッサン」と称して蔑むような態度は感心しない。

佐藤論説委員はそうは思わないのか。


※今回取り上げた記事「『オッサン』かどうかを判断するリトマス試験紙になる"ある質問"~多くの人の幸せを奪う"オッサンの壁"」

https://president.jp/articles/-/57345


※記事の評価はD(問題あり)

2022年5月25日水曜日

FACTAで「過去の国債債務不履行=非自国通貨建て」と断言した中野剛志氏に問う

個人的にはMMTを支持しているが、日本での代表的な論者である中野剛志氏はあまり信用していない。FACTA6月号の記事でも事実誤認と思える記述があった。以下の内容で問い合わせを送っている。

室見川

【FACTAへの問い合わせ】

評論家 中野剛志様  FACTA編集人兼発行人 宮嶋巌様

FACTA6月号に中野様が書いた「『狂信と平和ボケ』の財務省」という記事についてお尋ねします。問題としたいのは「実際、過去の債務不履行の事例は、いずれも、非自国通貨建て国債に関するものだ」との記述です。

記事の中で「(変動相場制の下で)自国通貨建ての国債が債務不履行に陥ることは、その国家に返済の意志がある限りはあり得ない」というMMT(現代貨幣理論)の主張を中野様は紹介しています。この主張が正しいとしても「過去の債務不履行の事例は、いずれも、非自国通貨建て国債に関するもの」とは思えません。

代表的なMMT論者であるL・ランダル・レイ氏は著書「MMT」で以下のように述べています。

1998年、ロシアはその政府債務のデフォルトによって金融市場に衝撃を与えた。多くの人々が、ロシアのデフォルトは、主権を有する政府の債務にデフォルトリスクはないというMMTの立場に反するものだと信じている。ロシアの債務が、政府によって発行された通貨であるルーブル建てだったことは間違いない

レイ氏も含め「1998年」の「ロシアのデフォルト」はロシア政府が返済の意思を欠いていたために起きたと見なす場合が多いようです。なのでMMTの主張が誤りとは言えません。ただ「債務不履行の事例」に「自国通貨建て国債に関するもの」もあるはずです。

過去の債務不履行の事例は、いずれも、非自国通貨建て国債に関するもの」という説明は誤りと見て良いのでしょうか。問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。御誌では読者からの間違い指摘を無視してミスを放置する対応が常態化しています。読者から購読料を得ているメディアとして責任ある行動を心掛けてください。


◇   ◇   ◇


※今回取り上げた記事「『狂信と平和ボケ』の財務省」https://facta.co.jp/article/202206010.html


※記事の評価はD(問題あり)

2022年5月24日火曜日

「戦時の日米首脳会談は20年ぶり」? 日経 吉野直也 政治部長はやはり苦しい

日本経済新聞の吉野直也政治部長に記事を書かせるのはやめた方がいい。ベテランでありながら朝刊1面の解説記事で「戦時の日米首脳会談はアフガニスタンとイラクでの戦争以来、ほぼ20年ぶりである」と堂々と書いてしまうならば、かなり苦しい。周りがサポートできていないのか、吉野部長がサポートを受け付けないのか。いずれにしても書き手としての適性は明らかに欠けている。

耳納連山に立つ電波塔

日経には以下の内容で問い合わせを送った。

【日経への問い合わせ】

日本経済新聞社 政治部長 吉野直也様

24日朝刊1面の「同盟深化が促す『自立』」という記事についてお尋ねします。問題としたいのは「戦時の日米首脳会談はアフガニスタンとイラクでの戦争以来、ほぼ20年ぶりである」というくだりです。

ここで言う「戦時」を「日米どちらかが戦争をしている時期」とした場合、現状は「戦時」に当たらないのではありませんか。

世界のどこかで戦争が起きていれば戦時」との前提でも考えてみました、その場合でも「ほぼ20年ぶり」が成立しません。「アフガニスタン戦争」に関して日経は「20年に及ぶ米史上最長の戦争」であり「米軍撤収期限直前の(2021年)8月15日にタリバンがアフガンほぼ全土を掌握して、事実上、米国の敗北で終わった」と説明しています。

これを信じれば、2021年4月の菅・バイデン会談も17年2月の安倍・トランプ会談も「戦時の日米首脳会談」となります。「戦時」を「日米のどちらかが戦争をしている時期」と定義した場合でも「ほぼ20年ぶり」はやはり成り立ちません。

戦時の日米首脳会談はアフガニスタンとイラクでの戦争以来、ほぼ20年ぶりである」との説明は誤りと考えてよいのでしょうか。問題なしとの判断であれば、その根拠を併せて教えてください。御紙では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。日本を代表する経済メディアとして責任ある行動を心掛けてください。


◇   ◇   ◇


※今回取り上げた記事「戦時の日米首脳会談はアフガニスタンとイラクでの戦争以来、ほぼ20年ぶりである

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220524&ng=DGKKZO61055380U2A520C2MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。吉野直也政治部長への評価はDを維持する。吉野部長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

相変わらず苦しい日経 吉野直也政治部長「Angle~『工作員』プーチン氏の限界」https://kagehidehiko.blogspot.com/2022/05/angle.html

2月と3月でウクライナ情勢の分析を一変させた日経 吉野直也政治部長の厚顔https://kagehidehiko.blogspot.com/2022/03/23.html

おかしな分析を連発…日経 吉野直也政治部長の「Angle~弱い米国がもたらす世界」https://kagehidehiko.blogspot.com/2022/02/angle.html

トランプ氏の発言を不正確に伝える日経 吉野直也記者
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_7.html

トランプ大統領「最初の審判」を誤解した日経 吉野直也次長
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/03/blog-post_13.html

日経 吉野直也記者「風見鶏~歌姫がトランプ氏にNO」の残念な中身
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/10/no.html

漠然とした訴えが残念な日経 吉野直也政治部長「政策遂行、切れ目なく」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/08/blog-post_29.html

日経が好んで使う「力の空白」とは具体的にどんな状況? https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/08/blog-post_30.html

2022年5月21日土曜日

おかしな解説が目立つ日経社説「賃上げ伴う物価上昇の好循環を総力で」

 21日の日本経済新聞朝刊総合1面に載った「賃上げ伴う物価上昇の好循環を総力で」という社説はおかしな解説が目立った。順に見ていく。

夕暮れ時の筑後川河川敷

【日経の社説】

総務省が発表した4月の消費者物価指数は生鮮食品を除く総合指数で前年同月比2.1%上昇した。日銀が物価安定の目標とする2%を超えたのは消費税率引き上げの影響が出た2015年3月以来、約7年ぶり。その特殊要因を除くと、13年7カ月ぶりだ。

長くデフレに苦しんだ日本だがこの2%到達は朗報といえない。日本経済の活力を高め、賃上げを伴う物価上昇の好循環が起きるような環境を整えるのが急務だ。


◎デフレ脱却はできた?

まず1つ日経にお願いしたい。「長くデフレに苦しんだ日本だがこの2%到達は朗報といえない」と書いているが、現状でデフレ脱却はできたのか。日経の見解を社説で示してほしい。日銀の見方とはもちろん違ってもいい。

2%に達してもデフレ脱却とは見なせないとするならば、日経にとってデフレ脱却の基準は何なのかも教えてほしい。「消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)」以外の基準を持ち出す場合、物価上昇率が5%になっても10%になっても「デフレ脱却はまだまだ」という状況もあり得る。

そうなると「デフレ」とは何なのかという話にもなってくる。そこを経済紙としてしっかり説明してほしい。

続きを見ていこう。


【日経の社説】

物価上昇は世界共通の流れだ。消費者物価は米国で40年ぶりの8%台、ユーロ圏も7%台半ばと高い伸びが続く。ロシアのウクライナ侵攻が原油や資源、穀物の高騰に拍車をかけた。

日本では21年春に携帯大手各社が一斉に料金を値下げした影響が上昇率を押し下げてきたが、4月はその要因が薄れた。日銀の黒田東彦総裁は22年度に物価上昇が「いったん2%程度」まで高まると指摘した。到達は予想通りだ。

数字こそ2%に達したものの、世界的な資源高や円安といった外部要因による物価上昇は、国富の海外流出を招き、家計を苦しめて個人消費を沈滞させる。日銀は金融緩和の手をゆるめられないため円安が一段と進み、輸入価格を押し上げる悪循環を生む

すくみ合いの構図を脱し、流れを反転させる必要がある


◎「流れを反転させる必要がある」?

流れを反転させる必要がある」と日経は言う。「日銀は金融緩和の手をゆるめられないため円安が一段と進み、輸入価格を押し上げる悪循環を生む」のが現状だ。この「流れを反転させる」とどうなるだろう。

まず「日銀は金融緩和の手をゆるめ」る。すると「円安」から円高に流れが変わる。「輸入価格を押し上げる」力が弱まり「家計」に恩恵が及んで「個人消費」が活発になるといったところか。しかし「金融緩和の手をゆるめ」るべきだと日経は訴えていない。

金融緩和」を見直せば本当に上記のような「流れ」になるかどうかは分からない。しかし日経が「流れを反転させる必要がある」と見るならば「強引な長期金利の抑圧をやめろ」ぐらいの主張はしていい。

さらに見ていく。


【日経の社説】

企業は原材料高を価格に上乗せできていない。企業間で取引する「川上」の価格を示す国内企業物価指数の4月の上昇率は10.0%。「川下」の消費者物価との差は8ポイント近い。顧客離れを恐れて企業がコスト増を抱え込むためだが、これは持続的ではない。

最近、生活に身近な食品や飲料で値上げの発表が相次いでいるのはやむを得ない。企業は適切な価格転嫁を通じ、生産性や付加価値を高める努力が必要だ。


◎初歩的な理解ができていないような…

国内企業物価指数の4月の上昇率は10.0%。『川下』の消費者物価との差は8ポイント近い」というデータを根拠に「企業は原材料高を価格に上乗せできていない」と断定できるだろうか。きちんと「原材料高を価格に上乗せできて」いる可能性は十分にある。社説の筆者は基本的なことを理解できていないと感じる。

商社が小麦を輸入しパンメーカーが製造販売(小売りも手掛けているとする)している場合を考えてみよう。小麦の輸入コストが10%上昇したので、それを上乗せして商社はパンメーカーに販売する。10%をきっちり転嫁できている。企業間取引であり「上昇率は10.0%」となる。

パンの製造販売コストのうち小麦価格が占める割合は20%だとしよう。これが1割アップとなるので、小売価格に転嫁すると2%の値上げとなる。上昇率は2%だ。

小麦の仕入れコストの上昇率とは「8ポイント」の差があるが、商社もパンメーカーも「原材料高を価格に上乗せできて」いる。

社説の筆者は「国内企業物価指数」の「上昇率」が「消費者物価」のそれと上回っていれば「企業は原材料高を価格に上乗せできていない」と思い込んでいるのだろう。実際はそんなに単純な話ではない。

国内企業物価指数」はモノだけが対象なのに「消費者物価」はモノとサービスを対象としている点にも注意が必要だ。

社説の終盤も見ておこう。


【日経の社説】

果実は賃上げの形で従業員に積極的に還元すべきだ。22年1~3月期の実質雇用者報酬は前期比0.4%減と悪化した。一部大手企業は労使交渉で2%程度の賃上げを決めたが、2%の物価高で帳消しとなり、個人消費の足を引っ張る。生産性の向上に見合った一段の賃上げの努力が欠かせない。

政府も規制改革やデジタル改革、労働市場改革を意欲的に進めて後押しすべきだ。いかに経済活動の体温を高め、安定的な物価上昇につなげるか。「物価2%」を総力戦の号砲にしてほしい。


◎賃上げが消費の「足を引っ張る」?

一部大手企業は労使交渉で2%程度の賃上げを決めたが、2%の物価高で帳消しとなり、個人消費の足を引っ張る」と日経は言う。

2%程度の賃上げ」が「個人消費の足を引っ張る」とは思えない。物価上昇に追い付いていないとしても、「個人消費」にとってはプラス要因だろう。

そもそも日経は「流れを反転させる必要がある」と見ていたのではないのか。「賃上げ」の動きが加速すると物価上昇に弾みが付いてしまう。そうなると少なくとも「流れ」は「反転」しない。

世界的な資源高や円安といった外部要因」で2%の「物価上昇」となる中で「経済活動の体温を高め」ると物価上昇率はさらに高まるだろう。

それが好ましいと言うのならば「物価上昇」をどの程度にすべきか日経の見解を打ち出してほしい。

今回の社説を読んでいると「経済紙なのにこれで大丈夫なのか」という不安が先行してしまう。


※今回取り上げた社説「賃上げ伴う物価上昇の好循環を総力で

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220521&ng=DGKKZO61003150Q2A520C2EA1000


※社説の評価E(大いに問題あり)

2022年5月20日金曜日

ツッコミどころが多い日経社説「国は『脱マスク』へルール示せ」

20日の日本経済新聞朝刊総合1面に載った「国は『脱マスク』へルール示せ」という社説はツッコミどころが多かった。全文を見た上で具体的に指摘したい。

夕暮れ時の筑後川サイクリングロード

【日経の社説】

新型コロナウイルス対策の行動制限が解かれて2カ月になる。感染は急拡大することなく落ち着いている。そろそろマスクを外せないかとの声もあり、国民の関心は高い。国は着用ルールを抜本的に見直し、きめ細かく示すべきだ

諸外国でマスク義務をなくす動きが相次ぐ中、着用を巡る議論に混乱がみられる。岸田文雄首相と一部の閣僚で見直しについて見解が食い違い、二転三転する。

松野博一官房長官らは人との距離が十分とれる屋外では不要と言うが、分かりづらく判断に困る。屋外での着用は原則必要ないとし、不特定多数の人で混み合う繁華街など、着用が求められる場面を個別に例示してもらいたい

商業・娯楽施設といった屋内での一律着用も再検討すべきだろう。映画館やクラシックコンサートなど、もともと「会話のない」場所なら、徹底した換気を条件に外して構わないのではないか。

公共交通機関の利用でも、飛行機や新幹線では乗り降りする際を除き、マスクの有無で感染リスクに大きな差はないだろう

オミクロン型でウイルスの特性は変わった。国民の6割弱がワクチンの3回接種を終えた。マスク着用は2020年春に「新しい生活様式」として手洗いや「3密」対策と併せ感染予防の要になったが、2年が経過したいま、最新の科学的知見に基づき見直す時だ。

日本は海外のように着用を法律で義務化せず、政府や自治体の呼びかけにとどめてきた。社会の「同調圧力」が働いたともいえる。とはいえ、国が着用ルールをあいまいにしておくのはよくない

多くの人が顔の半分を隠して長い間交流せざるを得ない状況は、健全といえない。発育世代にとって人間関係を築く障壁になるとの指摘もある。6月以降、外国からの訪問客が本格的に入ってくる。ルールが具体的でないと、観光地などでトラブルを招くだろう。

岸田首相はマスク着用のルールについて、明快で強いメッセージを国民に送るべきである


◇   ◇   ◇


疑問点を列挙してみる。


(1)そもそも「ルール」はある?

国は着用ルールを抜本的に見直し、きめ細かく示すべきだ」「国が着用ルールをあいまいにしておくのはよくない」などと書いているが、日本に国が定めたマスクの「着用ルール」はあるのか。

日本は海外のように着用を法律で義務化せず、政府や自治体の呼びかけにとどめてきた」と今回の社説でも説明している。ならば国定の「着用ルール」はないと見るべきだ。存在しない「着用ルールを抜本的に見直」すことはできない。出発点から間違っている。


(2)「きめ細かく示すべき」?

着用ルール」ではなく「呼びかけ」の基準を見直すとして、それを「きめ細かく示すべき」なのか。

屋外での着用は原則必要ないとし、不特定多数の人で混み合う繁華街など、着用が求められる場面を個別に例示してもらいたい」と日経は求める。

例えば「不特定多数の人で混み合う繁華街」では「着用」を求めるとしよう。しかし「不特定多数の人で混み合う」や「繁華街」の範囲を明確に決めるのは困難だし、仮に決めても情報量が多すぎて伝わらないだろう。

国として「着用」の推奨は全面的にやめるというのが一番の「明快で強いメッセージ」ではないのか。


(3)矛盾してない?

映画館やクラシックコンサートなど、もともと『会話のない』場所なら、徹底した換気を条件に外して構わないのではないか」と日経は訴える。裏返せば屋内の「会話」がある場所では外せないと見ているのだろう。

しかし「飛行機や新幹線では乗り降りする際を除き、マスクの有無で感染リスクに大きな差はないだろう」とも述べている。「飛行機や新幹線」は「会話」があるのが普通の場所なのに「乗り降りする際を除き」マスクを外して良いと取れる。矛盾してないか。

乗り降りする際」だけ「マスクの有無で感染リスクに大きな差」が生じると見るのも謎だ。「飛行機や新幹線」の場合「乗り降りする際」の方が換気は良さそう。会話もどちらかと言えば座っている時の方が活発だろう。なのに「乗り降りする際」だけマスクをすべきなのか。謎の論理だ。

飲食店に行くと飲み物や料理が届くまではマスクをしている人が多い。当然、飲食の時には外す。いかにも意味がなさそうなので自分は未着用のままだが、あれと似たものを「乗り降りする際」限定のマスク着用には感じる。


※今回取り上げた社説「国は『脱マスク』へルール示せ」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220520&ng=DGKKZO60953250Q2A520C2EA1000


社説の評価はD(問題あり)

2022年5月18日水曜日

「女子は工学部という選択肢がないと考えてしまう」と日経で訴えた真下峯子氏の誤解

18日の日本経済新聞朝刊社会面に「教育岩盤〈揺らぐ人材立国〉工学部を女子の選択肢に~昭和女子大付属昭和中・高校長 真下峯子氏」という記事が載っている。「工学部」の女子比率を高めようという動きを最近よく見かけるが、基本的に意味がない。「真下峯子氏」の発言にも多くの問題を感じた。

大山ダム

今回はそこを見ていきたい。

【日経の記事】

――工学部に進む女子が少なく大学関係者が苦慮しています。

学校には女子にあまり無理させない、大変なことはやらせないという雰囲気がある。教職員も管理職も保護者も『理系が苦手ならそれでいいよ、できるところだけやりなさい』という意識だ。そうしたことが小学生のころから積み重なって理系科目に苦手意識を持つようになり、どんどん女子の進路選択の幅が狭くなってしまう構造だ」


◎だったら問題は男子では?

学校には女子にあまり無理させない、大変なことはやらせないという雰囲気がある」らしい。裏返せば「学校には男子に無理をさせる、大変なこともやらせるという雰囲気がある」のだろう。だったら対策が必要なのは「男子」だ。

理系が苦手では許されない、できるようになるまで無理してでもやれ」と「男子」のみに強いる構造があるとすれば「男子」の負担が重すぎる。

続きを見ていこう。


【日経の記事】

――工学部や理系に対する女子生徒のイメージは。

「埼玉県の教員時代、先進的な理数系教育を推進するスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の全国大会に参加したことがある。他校の女子生徒たちの雑談を聞いていたら『理系では就職できないから行かない』と話していた。SSHで学ぶ生徒でさえその程度の認識だ」


◎根拠は「雑談」の盗み聞き?

他校の女子生徒たちの雑談」を基に「工学部や理系に対する女子生徒のイメージ」を語られても困る。きちんとした調査結果はないのか。ないとしても「埼玉県の教員時代」も含めて真下氏は多くの「女子生徒」と接してきたはずだ。そこで得た総合的な判断を示してほしかった。

さらに見ていく。


【日経の記事】

「理系が得意な女子は医師や薬剤師、看護師など資格系には目が向いても、工学部には関心がない。建設・土木現場や工場で働くという昔ながらのイメージしか持っていないからだ」


◎「工学部には関心がない」?

工学部の女子比率は15%程度のようだ。「理系が得意な女子は医師や薬剤師、看護師など資格系には目が向いても、工学部には関心がない」とすれば、15%程度いる女子学生はなぜ工学部を受験したのだろう。「理系が得意な女子」でないと、なかなか工学部を受験しないと思える。

ちなみに医学部の女子比率は13%程度のようだ。「理系が得意な女子は医師や薬剤師、看護師など資格系には目が向いても、工学部には関心がない」のならば医学部の女子比率は工学部のそれより圧倒的に高くなるはずだが…。

さらに見ていこう。


【日経の記事】

「工学部の学びは社会のあらゆる場面に関わっている。機械の制御や食品工学、アプリケーションソフト開発など女子が能力を発揮して活躍できる分野は多い。大学も工学部への女子受け入れに熱心だし、工学部卒の女子学生は就職市場で引く手あまた。それでも生徒の意識は変わらない」

――なぜなのでしょう。

「時代の変化や大学の取り組みが高校の教員に伝わっていないからだ。生産年齢人口の減少で、女子が労働市場で活躍できるチャンスは広がっているのに、そういう問題意識もない。生徒の進路選択を支援する教員の意識改革が必要だ」

「教員はキャリア教育やインターンシップ、職業体験などと口にするが、実は何も知らない。それを知るようにするのが管理職の仕事だ。私は教員に対し、どんどん学校の外に出て行って、大学の先生や企業人と話をするように言っている。教員はもっと外の世界を知るべきだ。生徒に対するキャリア教育のようなことを学校の仕組みとして教員対象に進めていくことが必要だと思う」


◎「高校の教員」のせい?

女子が能力を発揮して活躍できる分野は多い。大学も工学部への女子受け入れに熱心だし、工学部卒の女子学生は就職市場で引く手あまた」→「それでも生徒の意識は変わらない」→「時代の変化や大学の取り組みが高校の教員に伝わっていないから」と真下氏は分析する。

つまり「時代の変化や大学の取り組み」を女子生徒が正しく理解すれば「生徒の意識」は変わると見ている。ならば問題は第一に女子生徒にある。高校生で進路を決めるのに「高校の教員」に教えてもらわない限り何も気付けないとしたら、あまりに愚かだ。

ネット検索だけでも色々と情報が得られる時代なのだから「大学の取り組み」ぐらいは主体的に調べてほしい。

個人的には真下氏の分析が間違っていると見ている。女子生徒の多くは「時代の変化や大学の取り組み」を知った上でも「工学部」に魅力を感じないのだろう。「就職市場で引く手あまた」なのは「医師」も同じようなものだ。ならば「理系が得意な女子」が「工学部」志望へと動かなくても不思議ではない。

インタビューの最後も見ておく。


【日経の記事】

――女子の理系教育に力を入れるのはなぜですか。

「単に女子が工学部に行けばいいというつもりはない。女子がはなから自分には工学部という選択肢はないと考えてしまう状況を変えたい。選択肢から外さないのが大事。それだと無自覚的に自分の可能性を閉じることになる」


◎そんな「状況」ある?

女子がはなから自分には工学部という選択肢はないと考えてしまう状況を変えたい」と真下氏は言う。そもそもそんな「状況」があるのか。あるとしたら、なぜ「工学部」の女子比率が15%もあるのか。そこを考えてほしい。


※今回取り上げた記事「教育岩盤〈揺らぐ人材立国〉工学部を女子の選択肢に~昭和女子大付属昭和中・高校長 真下峯子氏

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220518&ng=DGKKZO60875040X10C22A5CT0000


※記事への評価は見送る

2022年5月16日月曜日

日本経済の「最悪の結末」を描けていない東洋経済コラムニスト 野村明弘氏

16日付の東洋経済オンラインに東洋経済解説部コラムニストの野村明弘氏が書いた「『過剰な円安』で迫られるアベノミクスの後始末~『貧しい日本』という国難が現実化しつつある」という記事は苦しい内容だった。中身を見ながら具体的に指摘したい。

夕暮れ時の筑後川

まずグラフに問題がある。「名目実効為替レートの昨年12月以来の騰落率」とのタイトルを付けてブラジル、南アフリカ、中国、英国、米国、インド、ドイツ、フランス、日本を比べ「日本が独歩安の展開に」と説明している。

しかしドイツとフランスも日本ほどではないがマイナス。「為替相場で、単独の通貨のレートだけが下がること」(デジタル大辞泉)を「独歩安」と呼ぶのならば「日本が独歩安の展開に」はなっていない。

そもそも8カ国だけでは「独歩安」かどうか判断できないが…。

ここからは本文の問題点を見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

問題はシナリオ1のように、資源高による経常収支の悪化や金利差拡大が想定以上に継続した場合だ。

その際、日銀はいずれ利上げに追い込まれる。もしそうなれば、超低金利が永遠に続くかのように錯覚していびつな構造に陥った日本の経済や金融・財政が音を立てて崩れ落ちる可能性がある。

最悪の結末の話を急ぐ前に、そこへ至るまでにどんな経路や回避策があるのかについて見ていこう。


◎大きく出たが…

超低金利が永遠に続くかのように錯覚していびつな構造に陥った日本の経済や金融・財政が音を立てて崩れ落ちる可能性がある」と野村氏は警鐘を鳴らす。「日本の経済や金融・財政が音を立てて崩れ落ちる」とはどんな状況を指すのだろうか。面白そうだが「最悪の結末の話を急ぐ前に」と話を逸らされたので、飛ばして「最悪の結末」に関する記述を見ていこう。


【東洋経済オンラインの記事】

ただし、先行きには大きな落とし穴もある。金利上昇のもたらす経済や金融財政へのショックだ。とりわけ、一段と急速な円安が現実化した場合、この最悪の事態が生じる可能性が高い

ここでは10%や20%といった極端な金利上昇を考える必要はない。仮に金利が1~2%上がったとしても、ゼロ金利をベースに理論価格が形成されている資産(不動産や株式など)は、現在価値割引率の上昇を通じての市況悪化を免れないだろう

金利と一緒に賃金も順調に上昇していれば影響は最小化できるが、賃金上昇が弱い場合は、資産価格下落の幅は大きくなる。

また事実上の無利子・無担保による中小・零細企業向けコロナ対策融資は40兆~50兆円規模まで膨張している。超低金利を前提に組まれた住宅ローンを含め、金利上昇がどの程度の不良債権リスクを顕在化させるのかは当の金融庁でも把握できていない


◎どこが「最悪の事態」?

最悪の事態」という割に大した話は出てこない。「不動産や株式」の「市況悪化」はありがちな事象だ。「賃金上昇が弱い場合は、資産価格下落の幅は大きくなる」としても、極端なケースを除けば「最悪の事態」とは言い難い。「不良債権リスク」に関しても、ある程度大きくなったからと言って「最悪の事態」と見るのは苦しい。

もっと見ていけば「最悪の結末」「最悪の事態」が何を指すのか分かるだろうか。関連がありそうなところを拾っていく。


【東洋経済オンラインの記事】

5月9日時点で日銀の当座預金は554兆円だ。今後、急速な円安進行など何らかの対応により、日銀が仮に当座預金への付利(短期金利)を1%引き上げると、年間利払いは約5.5兆円となり、たちまち債務超過となる(21年3月末の純資産は4.5兆円)。


◎日銀の「債務超過で何が困る?

日銀の「債務超過」に触れているが、それがどう「最悪の事態」と結び付くのか論じていない。様々な議論があるが中央銀行の「債務超過」に大きな問題はないと個人的には見ている。野村氏は違う意見なのだろう。それはそれでいい。ただ、日銀の「債務超過」が「最悪の結末」「最悪の事態」と関連するのならば、そこはしっかり説明してほしい。

続きを見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

一方、世界最悪の公債残高を積み上げた国の財政はどうか。

財務省は金利が1%上昇すると、2年後の年利払いは3.7兆円増えると試算している。2%上昇なら7.5兆円の増加だ。現在、ウクライナ危機を受けて防衛費の倍増が与党で議論されているが、日本の防衛費は現在、ざっと年5兆円。何かと話題に上る生活保護費は同4兆円だ。

これらに匹敵する規模の利払いの追加が発生すれば、予算策定の混迷は必至だ。積極財政派は「インフレになったら歳出削減や増税で対応すればいい」と主張してきたが、現実に行われているのはそれとは正反対の対応だ。ガソリン高に対応した補助金や低所得者層への給付金などインフレ対応の経済対策の策定に政治は汲々としている。


◎やはり「最悪の事態」が見当たらない

これらに匹敵する規模の利払いの追加が発生すれば、予算策定の混迷は必至」だとしても、それだけで「最悪の結末」「最悪の事態」と見なす気にはなれない。

そろそろ記事の終盤になってくる。最後まで一気に見ていく。


【東洋経済オンラインの記事】

岸田政権は7月の参議院議員選挙を前に補正予算策定を決めたが、インフレ傾向の経済の中で金利上昇下での国債増発という事態が広がる可能性がある。

「日銀による超低金利政策と財政赤字の垂れ流しは、欧米の低インフレ、低金利の状態が続く中では持続可能だった。それが反転したら危険なことになる」(大手証券会社エコノミスト)

コロナ禍やウクライナ危機を背景とした世界的インフレ、さらには異例のスピードでの米国の利上げは、リーマンショック後に起きた最大の構造変化だ。

円安をめぐる黒田緩和への評価の激変は、アベノミクスの終焉と総括を求めているといえる。


◎結局「最悪の結末」とは何?

最後まで読んでも「最悪の結末」「最悪の事態」が何を指すのか判然としない。推測しようにも手がかりは乏しい。

「大変なことになるかも」と訴えたくて大きく出たのだろうが、きちんと「最悪の結末」「最悪の事態」を描けないのならば、かえって逆効果だ。


※今回取り上げた記事「『過剰な円安』で迫られるアベノミクスの後始末~『貧しい日本』という国難が現実化しつつある

https://toyokeizai.net/articles/-/588627


※記事の評価はD(問題あり)。野村明弘氏への評価もDを据え置く。野村氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。


「現在世代の消費」に使うと「将来世代に残るのは借金だけ」と誤解した東洋経済の野村明弘氏

https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/11/blog-post_17.html

アジア通貨危機は「98年」? 東洋経済 野村明弘記者に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/09/98.html

「プライマリーケア」巡る東洋経済 野村明弘氏の信用できない「甘言」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_28.html

2022年5月15日日曜日

90年代以降は「デフレスパイラル」それとも「ゼロインフレ」? 日経ビジネスに問い合わせ

日経ビジネス5月16日号の特集「絶望物価~負のスパイラルが始まった」は興味深い中身ではあるが、整合性に問題を感じる記述もあった。以下の内容で問い合わせしている。

耳納連山から見た夕陽

【日経ビジネスへの問い合わせ】

日経ビジネス編集部 岡田達也様 藤中潤様 酒井大輔様

5月16日号の特集「絶望物価~負のスパイラルが始まった」についてお尋ねします。問題としたいのは以下の記述です。

日本経済は90年以降の、失われた20年、30年の低成長期に、消費者物価指数の底ばいが当たり前の『ゼロインフレ社会』になった」(PART1)

「(日本経済は)バブル崩壊とともに『失われた30年』を歩むことになる。景気が悪化し、消費は低迷。給料は上がらず、値下げしないと物が売れない悪循環『デフレスパイラル』に陥った。デフレが当たり前になってしまった日本にとって、物価が上がり続けることに対する免疫は薄い」(PART4)

どちらも「失われた30年」の物価動向を振り返った記述ですが整合しません。PART1では「消費者物価指数の底ばいが当たり前の『ゼロインフレ社会』」と見ているのに対しPART4では「フレスパイラル」「デフレが当たり前になってしまった」と説明しています。

個人的にはPART1の説明が適切だと思えます。PART1に付けたグラフでも分かるように「消費者物価指数」がプラスの年もかなりあります。グラフに出てこない2007年までを含めても「フレスパイラル」「デフレが当たり前になってしまった」と見るのは無理があります。

この2つの説明は矛盾していませんか。「デフレが当たり前」と「消費者物価指数の底ばいが当たり前」のどちらを信じれば良いのでしょうか。

筆者が異なるためこうした結果になったのだと思うのですが、記事を擦り合わせて全体の整合性を整えるという作業はやっているのでしょうか。

せっかくの機会なので、もう1点指摘しておきます。

見出しで「負のスパイラルが始まった」と打ち出し「跳ね上がる原材料やエネルギー価格でメーカーの採算は悪化し、家計も苦しむ。それでもデフレの長期停滞で下がったままの賃金は上がらない」と説明しています。

これでは「負のスパイラル」になりません。「賃金が上がらない」→「原材料・エネルギー価格がさらに上がる」という因果関係が成立しないからです。賃金が上がらないことは、むしろインフレ抑制要因です。

例えば「プロ野球チームの成績が落ちる→観客動員が減り球団収入が減る→選手の年俸総額を削る→補強が進まずチーム力が低下する→チームの成績がさらに落ちる→……」と連鎖するのが「負のスパイラル」ではありませんか。

問い合わせは以上です。PART1とPART4の説明の食い違いについては回答をお願いします。

お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いします。


◇   ◇   ◇


※今回取り上げた特集「絶望物価~負のスパイラルが始まった」https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/special/01100/


※特集への評価は回答を見てから考えたい。

2022年5月14日土曜日

相変わらず苦しい日経 吉野直也政治部長「Angle~『工作員』プーチン氏の限界」

日本経済新聞の吉野直也政治部長が相変わらず苦しい。13日の朝刊政治・外交面に載った「Angle~『工作員』プーチン氏の限界 日本、国防予算に転換を」という記事も中身の乏しい内容だった。順にツッコミを入れていきたい。

夕暮れ時

【日経の記事】

工作員(スパイ)は諜報(ちょうほう=インテリジェンス)はできるものの、戦略(ストラテジー)は描けない――。スパイの役割をパズルに擬するなら完成図を知らされずに1つのピースを埋めるために奔走する職務の印象だ。

旧ソ連の国家保安委員会(KGB)出身でスパイ活動が染みついているロシアのプーチン大統領に戦略を持てというのは無理な話でもある。ウクライナ侵攻の長期化は「工作員」プーチン氏の限界と迷走がもたらした帰結といえる。


◎以前の仕事と結び付けても…

元「工作員(スパイ)」には「戦略(ストラテジー)は描けない」から「プーチン大統領に戦略を持てというのは無理な話」という筋立ては基本的に意味がない。

仮に元「工作員(スパイ)」の多くが「戦略(ストラテジー)は描けない」としても例外はいるはずだ。「プーチン大統領」が例外に当てはまらないと見るべき根拠があるのか。

この手の筋立てで良ければ「コメディアンは笑わせるのが仕事。コメディアンから転身したゼレンスキー大統領が敵を恐怖に陥らせる戦略を立てるのは無理な話」との見方も成り立つ。吉野政治部長は同意してくれるだろうか。

続きを見ていく。


【日経の記事】

「唯一の正しい決定だった」。9日の第2次世界大戦の対ドイツ戦勝記念日。プーチン氏の演説はウクライナ侵攻を巡る歪曲(わいきょく)された歴史観とそれに基づく妄言と虚言にまみれた。

この的外れな演説を含め2月24日のウクライナ侵攻以降、ロシアの軍や情報機関、政府高官はどんな気持ちでプーチン氏を眺めているのだろうか。

ウクライナへの非道な行為はおかしいと思いながらもロシアで生きていくためには追従するしかないという諦念に近い感情、もうひとつはプーチン氏の主張を本当に信じ込んでいる洗脳状態。この2つに大別できるかもしれない。

様々な場面でプーチン氏の言い分をよどみなく代弁する彼らの表情をみていると、演技なのか、洗脳されているのか判別しにくい。9日の演説でもプーチン氏の背後に居並ぶ軍幹部の無表情が気になった。奥底に沈殿している心の動きまではうかがえない。

プーチン氏を止める手立てがロシア内部にない以上、米欧や日本が支援するウクライナとの戦いは長引く。他国の領土を力で奪う行為を許せば、中国などに誤ったメッセージを送りかねない。


◎行数稼ぎが長すぎない?

今回の記事には「『工作員』プーチン氏の限界~日本、国防予算に転換を」という見出しが付いている。しかし上記のくだりは「『工作員』プーチン氏の限界」とも「日本、国防予算に転換を」とも関連が乏しい。

最後まで読むと分かるが「『工作員』プーチン氏の限界」と「日本、国防予算に転換を」も関連が乏しい。「日本、国防予算に転換を」が吉野政治部長の訴えたいことだとすれば、記事の約半分を行数稼ぎに使っていることになる。感心しない。

ここから「本題」に関する記述を見ていく。


【日経の記事】

この戦いが日本に与える示唆は他国からの侵攻を防ぐための抑止力を備えることだ。自民党は4月にまとめた防衛力強化に関する提言で、防衛費について5年以内に国内総生産(GDP)比2%以上を念頭に増やすよう求めた。

日本の防衛費は2021年度当初予算でGDP比0.95%。北大西洋条約機構(NATO)の基準で、領海を警備する海上保安庁なども入れて補正予算を含めても1.24%だ。

日本は防衛費、米欧は国防費と呼ぶ。07年に防衛庁から防衛省に格上げした際、名称問題で国防省も候補に挙がった。決め手は定着していた防衛の呼称だった。

国防(national defense)は防衛(defense)よりも広い概念でとらえられる。他国の脅威から軍事力で国を守るのは同じだとしても国防は軍事力だけでなく、科学技術、公共事業、原子力、インテリジェンスなど国の総合力を指す。

日本の防衛予算は「防衛省の予算」という色合いが濃い。12月に編成する予算案は夏の各府省庁の概算要求をもとに財務省が査定する。国防という考え方をとりづらく、各府省庁の縦割りに沿って予算案ができる仕組みだ。

例えば米国は科学技術予算のうち45.7%を国防用が占めるのに対し、日本は2.9%にとどまる。防衛次官経験者は「科学技術を軍事と民生に厳密に分けようとするのが原因だ。軍事アレルギーを克服しない限り、国家の産業競争力は落ちる」と語る。

戦略なき、工作員の末路は予想がつかない。6月の主要7カ国(G7)首脳会議の議長国、ドイツのショルツ首相はロシアの侵攻後、国防費をGDP比2%以上へと増額する方針を発表した。

「来年の議長国は日本。共同文書の中核は台湾有事を念頭に置いたG7の結束になるだろう」(自民党の佐藤正久外交部会長)

日本がG7をけん引するためには国防への決意が欠かせない。来年度予算案の編成は「防衛省の予算」ではなく、「国防予算」への転換が前提となる


◎色々と分からないことが…

まず「米国は科学技術予算のうち45.7%を国防用が占めるのに対し、日本は2.9%にとどまる」のは「科学技術を軍事と民生に厳密に分けようとするのが原因」という理屈がよく分からない。

科学技術」を「軍事と民生に厳密に分け」ずに、どうやって「米国」は「45.7%を国防用」と計算できたのだろう。「厳密」な区分けがあるから「45.7%」という数字が出てきたのではないのか。

事情がよく分からないが、米国は担当者の判断で適当に「軍事」か「民生」か決めていい仕組みだとしよう。となれば日本も比率を上げるのは簡単だ。担当者が「科学技術」は広い意味で全て「軍事」に関連があると判断してしまえばいい。それで日本は「国防用」の比率が100%になる。しかし、そんな数字合わせに意味があるのか。

日本がG7をけん引するためには国防への決意が欠かせない来年度予算案の編成は『防衛省の予算』ではなく、『国防予算』への転換が前提となる」という結論部分も理解に苦しむ。

国防予算」に「転換」すると具体的に何が変わるのだろう。「科学技術を軍事と民生に厳密に分け」るのをやめるのは分かる。そうすると「科学技術」関連予算の多くが「国防予算」と見なされて予算規模が大きく見えるという話か。

となると実態はあまり変わらない。「防衛費」の定義を変えて「GDP比」を高めれば「G7」で「国防への決意」をアピールできると言いたいのだろうか。

具体論を掘り下げていないので推測に頼らざるを得ない面もあるが、そんな趣旨だろう。

そんな小手先でごまかすことを提案するために長々と話を進めてきたのか。やはり吉野政治部長は残念な書き手と言うほかない。


※今回取り上げた記事「Angle 『工作員』プーチン氏の限界~日本、国防予算に転換を」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220513&ng=DGKKZO60728770T10C22A5PD0000


※記事の評価はD(問題あり)。吉野直也政治部長への評価はDを維持する。吉野部長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

2月と3月でウクライナ情勢の分析を一変させた日経 吉野直也政治部長の厚顔https://kagehidehiko.blogspot.com/2022/03/23.html

おかしな分析を連発…日経 吉野直也政治部長の「Angle~弱い米国がもたらす世界」https://kagehidehiko.blogspot.com/2022/02/angle.html

トランプ氏の発言を不正確に伝える日経 吉野直也記者
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_7.html

トランプ大統領「最初の審判」を誤解した日経 吉野直也次長
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/03/blog-post_13.html

日経 吉野直也記者「風見鶏~歌姫がトランプ氏にNO」の残念な中身
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/10/no.html

漠然とした訴えが残念な日経 吉野直也政治部長「政策遂行、切れ目なく」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/08/blog-post_29.html

日経が好んで使う「力の空白」とは具体的にどんな状況? https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/08/blog-post_30.html

2022年5月12日木曜日

人命より経済重視? 日経「イエレン氏、中絶制限なら『経済に打撃』」に思うこと

人工妊娠中絶擁護派の主張にはやはり説得力がない。11日の日本経済新聞夕刊総合面に高見浩輔記者が書いた「イエレン氏、中絶制限なら『経済に打撃』~公的支援の必要性指摘」という記事を読んで、そう感じた。

熊本港

中身を見ながら思うところを述べてみたい。

【日経の記事】

イエレン米財務長官は10日、上院銀行・住宅・都市問題委員会で、女性が中絶する権利を失った場合は「経済に大きなダメージをあたえかねない」と指摘した。権利を認めた1973年の判決を覆す草稿が米連邦最高裁から流出したことを踏まえ、議員の質問に答えた。


◎人命より経済?

イエレン米財務長官」は「女性が中絶する権利を失った場合は『経済に大きなダメージをあたえかねない』と指摘した」らしい。だから「中絶する権利」は大事だということか。

特殊な事例を除き「中絶」は殺人と見なすべきだ。胎児の命を犠牲にしてでも「経済に大きなダメージ」がないようにすべきなのか。賛成できない。

続きを見ていく。

【日経の記事】

イエレン氏は中絶を合憲とした73年の「ロー対ウェイド」判決により「労働参加率が上昇した」と見解を示した。「女性が家庭とキャリアのバランスをとりながら計画を立てられるようになった」と述べ、合憲判決が覆った場合に望まない妊娠によって仕事を辞めなければならないケースが増えることに懸念を表明した。

10代の女性、特に低所得で黒人の女性が予期しない妊娠で生活に支障を来すことが多いという分析を示した。「女性が中絶という手段を使えないことで、貧困に陥ったり、公的支援を必要とする確率が高くなったりすることは明らか」と強調した。


◎それこそ公的支援の出番では?

労働参加率」を引き上げたり「女性が家庭とキャリアのバランスをとりながら計画を立てられるように」することは胎児の命より大切なのか。胎児を殺してまで実現すべきことなのか。

望まない妊娠によって仕事を辞めなければならないケースが増えることに懸念を表明した」らしいが米国では産休制度がないのか。ないか不十分なら、それこそ「公的支援」の出番ではないか。

望まない妊娠」の場合、育児を放棄できる権利も確立させたい。「10代の女性、特に低所得で黒人の女性が予期しない妊娠で生活に支障を来すことが多い」のならば、そうした「女性」による育児放棄を認めて国が育てる仕組みを作ってもいい。

同じ人間でありながら「イエレン氏」が「まず胎児の命を守ろう」という発想にならないのが不思議だ。

さらに見ていく。


【日経の記事】

イエレン氏は具体的な数字を示さなかったが、労働市場を専門とするエコノミスト、ケイト・バーン氏の研究では「中絶に対する制限の厳しい州は、女性がより高収入の仕事に移る可能性が7.6%低い」という。

イエレン氏は「自分がこの世に生んだ子供が望まれていると感じ、子供を養うための経済的な余裕がある」ことが満足できる人生につながるとも話した。

最高裁はトランプ前大統領による指名の影響で保守派が多数を占めている。最高裁から流出した草稿を巡っては、バイデン大統領が合憲判決を覆すことに反対を表明している。


◎胎児の命を守ろう!

イエレン氏は『自分がこの世に生んだ子供が望まれていると感じ、子供を養うための経済的な余裕がある』ことが満足できる人生につながるとも話した」らしい。胎児の命より母親の「満足できる人生」を優先ということか。

胎児は「殺さないで」と声を上げることはもちろん泣くことさえできない。だからまともな人権も認められずに命を奪われる。生まれてきた赤ちゃんを殺せば殺人ならば、胎児を殺すのも殺人だ。この2つを別物と見なすのは無理がある。

胎児の命を守りたい。胎児も人だ。


※今回取り上げた記事「イエレン氏、中絶制限なら『経済に打撃』~公的支援の必要性指摘

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220511&ng=DGKKZO60652890R10C22A5EAF000


※記事の評価は見送る

2022年5月11日水曜日

「『MMTは法的に底が抜けている』という根本的誤解」を指摘した中野剛志氏の主張を支持

 評論家の中野剛志氏は評価が難しい書き手ではある。「デフレに関する説明には問題があるがMMTに関する説明は悪くない」と見ている。11日付で東洋経済オンラインに載った「『MMTは法的に底が抜けている』という根本的誤解~『財政論議の混乱』は相変わらず続いている」という記事は後者に当たる。一部を見ていこう。

筑後川橋(片の瀬橋)

【東洋経済オンラインの記事】 

ところが、その翌日の(日本経済新聞の)記事では、藤谷武史・東京大学教授が、白井教授とはまったく逆の形で、MMTを批判している。財政法を専門とする藤谷教授は、国会が増税のタイミングを決定する権限をMMTが否定していると主張するのだ。

「日本でなお影響力を保つ現代貨幣理論(MMT)の法的問題点にも付言しておきたい。『租税が貨幣を駆動する』という教義からすれば、インフレになれば直ちに非裁量的に増税されることで、実物経済供給力と貨幣量(購買力)のバランスが調整されるというのが前提のはずだ。だがこれは国会が増税のタイミングを決定する権限を自ら放棄することにほかならない。(中略)少なくとも現行憲法を前提とする限り、MMTは法的に底が抜けているということになる」

この藤谷教授による批判は、大いに問題がある。その一つは、藤谷教授が「租税が貨幣を駆動する」というMMTの主張を根本的に誤解している点にある。

MMTを代表するL・ランダル・レイによれば、「租税が貨幣を駆動する」というのは、次のような意味である。

貴金属の裏づけなど固有の価値をもたない紙幣(法定不換通貨)を、どうして人々は貨幣として受け取るのか。それは、政府が、自国通貨を法定し、その自国通貨による納税義務を課しているからだ。人々は、自国通貨で支払わなければならない納税義務があるから、その通貨を欲しがるようになる。要するに、租税が貨幣の需要を生み出している。このことをレイは「租税が貨幣を駆動する」と表現した。それは、レイの『MMT現代貨幣理論入門』を読めばすぐわかることだ。

この理解によれば、納税義務が軽ければ、通貨の需要が減るから、インフレになる(通貨の価値が下がる)ということはできるだろう。しかし、藤谷教授が指摘するような「インフレになれば直ちに非裁量的に増税されることで、実物経済供給力と貨幣量のバランスが調整される」などという前提は、どこにもない。

もっとも、所得税には、赤字では課税されず、黒字の時のみ課税されるので、好況で黒字になると税負担が重くなり、インフレを軽減するという「自動安定化装置」があるとされる。MMTが自動安定化装置を高く評価しているのは事実だが、所得税に自動安定化装置が認められるというのは、MMTに固有の主張ではない。

所得税の自動安定化装置は、確かに「インフレになれば直ちに非裁量的に増税される」仕組みと言える。しかし、だからと言って、所得税が現行憲法上「法的に底が抜けている」はずがないだろう。いったい、現行憲法をどう解釈したら、所得税は違憲ということになるのだろうか。


◎確かにその通り…

この説明は納得できる。「藤谷武史・東京大学教授」の記事は自分も読んだ。「『租税が貨幣を駆動する』という教義からすれば、インフレになれば直ちに非裁量的に増税されることで、実物経済供給力と貨幣量(購買力)のバランスが調整されるというのが前提のはずだ」という論理展開は謎だ。

藤谷教授」の中には何か経路が見えているのかもしれないが記事では説明していない。「租税が貨幣を駆動する」という主張から「インフレになれば直ちに非裁量的に増税されることで、実物経済供給力と貨幣量(購買力)のバランスが調整される」という「前提」を直接的に導くのは無理がある。

そのことを中野氏は上手く解説している。

MMT」は批判が難しい理論で、批判論には基本的に説得力がない。「藤谷教授」の主張もその1つだ。今回の記事に関しては中野氏の主張に軍配を上げたい。


※今回取り上げた記事「『MMTは法的に底が抜けている』という根本的誤解~『財政論議の混乱』は相変わらず続いている

https://toyokeizai.net/articles/-/585762


※記事の評価はB(優れている)

2022年5月9日月曜日

東洋経済オンラインで「脱マスク」否定論を展開した久住英二氏に異議あり

3日付の東洋経済オンラインにナビタスクリニック内科医師の久住英二氏が書いた 「『脱マスク』が正解?欧米は誰もしてないは勘違い~『同調疲れ』が日本での論争を過熱させている」という記事は説得力がなかった。 やはり「 『脱マスク』が正解」と思える中身だ。その一部を見ていこう。

四山神社

【東洋経済オンラインの記事】

はっきりしているのは、全面的な「脱マスク」は正解じゃないということ。かといって「いつでもどこでもマスク」はもっと間違っている。では何をどうすればいいのか。

withコロナのマスク生活で、押さえておくべき基本は3つだけだ。

① 換気の不十分な屋内や公共交通機関ではマスク着用がベター

② 夏は熱中症のリスクが増すため、屋外ではマスク不要

③ 子ども(小児)は基本的にマスク不要

あとは各自判断すればいい。重要なのは「マスクをするかどうか」より、「コロナ前の日常をどれだけ取り戻せるか」だ。


◎それが「コロナ前の日常」では?

まず1つツッコミを入れておきたい。「重要なのは『マスクをするかどうか』より、『コロナ前の日常をどれだけ取り戻せるか』だ」と久住氏は言う。ならば「マスクをするかどうか」は「重要」だ。「コロナ前」はマスクなしで普通に暮らしていた。「コロナ前の日常」を取り戻すことが「重要」ならば「マスクをするかどうか」も、その1つだ。

マスクに関するエビデンスに触れた部分も見ておこう。ここが最も「重要」だ。


【東洋経済オンラインの記事】

マスクの呼吸器感染症から身を守る効果については、新型コロナを機にエビデンスが急速に集積した。かつては、マスクは「ウイルスをばら撒かないためのもの」としか認識されていなかったが、科学界のスタンスは180°変わった

昨年12月に発表された論文では、飛沫感染だけでなく空気感染(エアロゾル感染)も考慮した検証が行われている。結果は、感染リスクの高い順に以下のとおり。

●感染者と非感染者がともにマスクなしで1.5mの距離で対面会話をした場合

⇒非感染者の感染リスクは1分半で90%に到達した。

●非感染者のみが医療用マスク(サージカルマスク)を着用し、マスクなしの感染者と喋った場合

⇒1分以内に感染リスクが生じ、30分で90%に達した。

●両者とも医療用マスクを着けて会話した場合

⇒1~2分間は感染リスクが1%未満に保たれた。時間とともに徐々に感染リスクは上がったが、20分経過で10%、1時間でも20%未満だった。これは、両者マスクをせず1.5mの距離で終始黙って向き合っていた場合と、ほぼ同等。

●両者あるいは非感染者が医療用マスクをして2人とも黙っていた場合

⇒5~10分間は感染リスク1%未満、1時間経っても10%未満に抑えられた。

着け方が間違っていては適切な予防効果は得られないが、正しく着用する限り有効な予防手段となる、というのがマスクに対する世界の共通認識となった


◎意味ある?

まず「医療用マスク(サージカルマスク)を着用」した場合の「エビデンス」を参考に「脱マスク」を議論して意味があるのか。日本では街中でマスクをしている人の99%が「医療用マスク(サージカルマスク)を着用」しているのならば分かる。むしろ逆だろう。

医療用以外のマスクでの「エビデンス」はないのか。ないとしたら、なぜ「換気の不十分な屋内や公共交通機関ではマスク着用がベター」と言い切れるのか。

百歩譲って「正しく着用する限り有効な予防手段となる」としても「正しく着用」している人があまりいないのならば「マスク着用」を勧める意味はさらに乏しくなる。その辺りの検証なしに「マスク着用がベター」と言い切るのは感心しない。

付け加えると「非感染者のみが医療用マスク(サージカルマスク)を着用」した場合と「感染者と非感染者がともにマスクなし」の場合に顕著な差がないのも引っかかる。記事で示した程度の差しかないのならば「マスクは『ウイルスをばら撒かないためのもの』」との認識で良いのではないか。

マスク着用」に関して個人的に最も引っかかるのが飲食店だ。「飲食の時以外はマスク着用をお願いします」などと客に求めている店が多い。こうした「お願い」に意味があるのかどうかを久住氏には考えてほしかった。

換気の不十分な屋内や公共交通機関ではマスク着用がベター」なのだとすれば「屋内にある飲食店ではマスク着用がベター」となるのだろう。しかし多くの人は「医療用マスク(サージカルマスク)を着用」していないし、食べる時には当然にマスクを外している。それでも「着用がベター」なのか。

医療現場など一部を除けば「全面的な『脱マスク』は正解」だと思える。それではなぜダメなのか。久住氏には改めて考えてほしい。


※今回取り上げた記事 「『脱マスク』が正解?欧米は誰もしてないは勘違い~『同調疲れ』が日本での論争を過熱させている

https://toyokeizai.net/articles/-/586526


※記事の評価はD(問題あり)

2022年5月5日木曜日

要らない社説の典型 日経「スマホOS寡占に対処を」

5日の日本経済新聞朝刊 総合・政治面に載った「スマホOS寡占に対処を」という社説は「要らない社説」の典型だ。全文を見た上で問題点を指摘したい。

三連水車

【日経の社説】

米アップルとグーグルによる2社寡占の弊害に切り込む契機になるのだろうか。政府のデジタル市場競争会議がモバイルネット市場について中間報告をまとめ、健全な競争環境を確保するために政府がより積極的な役割を果たすべきだとの考え方を打ち出した。

欧州連合もデジタル市場の寡占について、新法の制定による事前規制の強化に乗り出した。寡占の弊害を抑えつつ、規制対象の企業を含めて開発サイドのイノベーションへの意欲を十分に引き出す。そんな賢い規制をどう設計するか、政府の知恵が問われる

端末やアプリの進化に伴い、スマートフォンの果たす役割は検索や買い物から動画視聴、金融取引まで年々広がり、今では生活や仕事に欠かせない存在になった。

ただスマホの基本ソフト(OS)はアップルの「iOS」とグーグルの「アンドロイド」の寡占が続いている。両社はスマホの基盤であるOSを握ることで、アプリの開発・配信や課金について自社に有利な運営が可能になっており、競争環境をゆがめる恐れがあるというのが報告書の認識だ。

例えば、アプリの開発をめぐってアップルと独立系の企業が競う場合に、OSの更新情報を社内で共有できるアップルが断然有利で、独立系が後れを取った例が紹介されている。報告書は公正競争が損なわれかねない数々の場面を当事者の証言などをもとに具体的に描き出しており、迫力がある。

もともとデジタル市場は利用者が増えるほど利便性が高まる「ネットワーク効果」が働きやすく、いちど寡占化すると、市場の力で是正するのは難しい。画面の小さいスマホは操作性に欠け、最初に設定されたアプリを使い続けることが多く、2社の優位がさらに際立つとも指摘した。

政府は今後各方面から意見を募り、具体的な規制手法を検討する方針だ。報告書に反発する2社の言い分も踏まえたうえで、実効性が高く、副作用の小さい規制の導入を急ぐべきだ


◎何のための社説?

政府のデジタル市場競争会議」がまとめた「中間報告」に関する解説記事ならば、この内容でもいいだろう。しかし社説だ。「しっかり議論して上手いことやってね」的なお願いをするだけなら意味がない。しかし日経ではこの手の社説が後を絶たない。

今回も「寡占の弊害を抑えつつ、規制対象の企業を含めて開発サイドのイノベーションへの意欲を十分に引き出す。そんな賢い規制をどう設計するか、政府の知恵が問われる」と書くだけで自ら「知恵」を出そうとはしない。

そして「報告書に反発する2社の言い分も踏まえたうえで、実効性が高く、副作用の小さい規制の導入を急ぐべきだ」と結んでいる。どんな「規制」にすれば「実効性が高く、副作用の小さい」ものになるのか日経として考えた形跡すらない。

これが自分たちの限界と感じるのならば社説は廃止でいい。

何のための社説なのか。論説委員の存在意義は何なのか。改めて自問してほしい。


※今回取り上げた社説「スマホOS寡占に対処を」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220505&ng=DGKKZO60521830V00C22A5PE8000


※社説の評価はD(問題あり)

2022年5月4日水曜日

自分の好みを押し付けたがる日経 辻本浩子論説委員「中外時評~格差解消へ分業変えよう」

日本経済新聞の辻本浩子 論説委員は自分の好みを他者に押し付けたがる傾向があるようだ。4日の朝刊オピニオン面に載った「中外時評~格差解消へ分業変えよう」という記事を読んで、そう感じた。中身を見ながら注文を付けていきたい。

耳納ハングライダー発進基地

【日経の記事】 

月34万円と、月25万円。

賃金構造基本統計調査による、男性と女性の所定内給与の平均だ。いずれもフルタイムで働いている場合の値だが、それでもこれだけの違いがある。

国際的にみても、性別による金額の差は大きい。経済協力開発機構(OECD)のデータでは、男性を100とした場合、女性はOECD平均で90弱だ。80弱の日本は、韓国、イスラエルに次いで、ワースト3になっている。

なぜ女性は収入を得にくいのか。男女の役職や勤続年数の違いなどを補正しても、差は生じるという。なにより、この背後にある固定的な男女の役割分担を見逃すことはできない。

家事や育児などの「無償労働」は、世界的にも女性が多くを担っている。OECDの平均では、女性は男性の1.9倍だ。

では日本は? 5.5倍だ。4倍台の韓国やトルコとともに、ここでも日本は最下位グループの常連だ。

収入の少なさと無償労働の多さは、コインの両面だ。「男性は仕事、女性は家庭」。この分業意識が強ければ、女性が外で働くハードルは高くなる。出産を機に多くの人が退職し、正社員として再就職できても勤続年数は短くなる。実際には多くが非正規だ。

一方、こうした分業のもとでは男性は長時間、働くことができる。それが職場の標準であればあるほど、女性が力を発揮する道はますます狭まってしまう


◎何が問題?

所定内給与」での男女格差を辻本氏は問題視する。しかし性差別がない前提で言えば、特に問題は感じない。女性の「無償労働の多さ」が格差の一因だとしても、それが各人の自由な選択の結果ならば何の問題もない。

家庭内で誰がどんな役割をどのくらい担うかは、それぞれの家庭で自由に決めていい。その結果として男女に格差が生じるとしても「格差解消」を進める必要はない。

格差」のない状態が辻本氏の好みなのだろう。そこも自由だ。ただ好みを他者に押し付けたがるのは感心しない。

辻本氏は「格差解消」を進めるべき理由をいくつか述べている。これにもツッコミを入れておこう。

こうした分業のもとでは男性は長時間、働くことができる。それが職場の標準であればあるほど、女性が力を発揮する道はますます狭まってしまう」と辻本氏は言う。物事を片側からしか見ていない典型例だ。

分業」によって「職場」で「女性が力を発揮する道」が狭くなるとしよう。裏返せば「家事や育児」などの分野で「女性が力を発揮する道」が広くなる。「職場」で「力を発揮する」方が「家事や育児」で「力を発揮する」より尊い訳ではない。社会を維持するためには、どちらも大切だ。

家事や育児」で「力を発揮」したいと考える人が女性に多く、「職場」で「力を発揮」したいと考える人が男性に多いのならば、男女格差が生じるのは当然だ。これを無理に変えようとすれば効率は悪くなる。各人が自由に選択して得意分野で「力を発揮」するのが合理的だ。

続きを見ていこう。


【日経の記事】

流れを変えるチャンスは、あった。原点は、1975年。国連の「国際婦人年」を機に始まった世界的な大きなうねりだ。

この年の10月24日、アイスランドでは女性が一斉にストをした。父親は子どもを抱えて右往左往し、さまざまなサービスがストップした。賃金格差や家事・育児分担を見直してほしい。「女性の休日」の5年後、女性の大統領が誕生。いまでは国際的な指標であるジェンダー・ギャップ指数で世界1位を占める。

日本の変化はゆっくりだった。オイルショックで高度経済成長こそ終わったが、成長期に定着した分業システムは健在だった。終身雇用と年功序列を基本にした日本型の経営は、79年出版の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でも評価され、変える必要を感じにくかったかもしれない。


◎「分業システム」で「高度経済成長」を達成したのなら…

分業システム」の下で日本は「高度経済成長」を達成したという点について辻本氏も異論はないだろう。ならば「経済成長」の面から「格差解消」を正当化するのも難しい。

さらに見ていく。


【日経の記事】

80年代、男女雇用機会均等法ができた。しかし第3号被保険者制度や配偶者特別控除といった、男女分業を前提にした税・社会保障制度も、この時期にできた。アクセルとブレーキを同時に踏むような状況だ。

仕事の量をセーブする女性はいまも多い。女性の力を十分に生かせないのは社会にとっても損失だ


◎またも片側だけを見るが…

仕事の量をセーブする女性はいまも多い。女性の力を十分に生かせないのは社会にとっても損失だ」と辻本氏はまたも片側しか見ないで主張を展開する。

仕事の量をセーブ」して「家事や育児」に力を注いだからと言って「女性の力を十分に生かせない」と見るのは誤りだ。

辻本氏は新聞社で論説委員をやっているので「職場」で「力を発揮する」ことが素晴らしくて、「家事や育児」は「社会」への利益につながらないと見ているのだろう。だが「家事や育児」を誰かがやらなければ社会は回らない。「仕事の量をセーブ」して「家事や育児」に力を入れることを「社会にとっても損失」と見なすべきなのか。

さらに見ていく。


【日経の記事】

女性の収入の少なさは、「いま」に影響するだけではない。年金というかたちで老後の暮らしにも直結する。

男性は月15.9万円、女性は月9.6万円。

4月に内閣府の会議で示された高齢者の公的年金の平均額だ。データは2017年と少し古いが、差の大きさはうかがえる。

女性をさらに細かくみていくと、配偶者のいない「未婚」の女性は11.9万円。夫の遺族年金を受け取れることが多い「死別」の女性は、12.1万円だ。男女の賃金格差などの影響で、未婚の人より高くなっている。「離婚」の女性は働いていた期間が短くなりやすく、8.3万円だ。

いまや離婚は珍しくない。一生をひとりで暮らす人も多い。50歳時点で未婚の女性は6人に1人だ。男性=大黒柱ではなく、2人で家計を支えたい家庭もあるだろう


◎それでも格差があるのなら…

女性の収入の少なさは、『いま』に影響するだけではない。年金というかたちで老後の暮らしにも直結する」という指摘はその通りだ。だから「職場」で「力を発揮する」道を選びたいという女性がいても何の問題もない。

こうした条件を考慮した上で各人が自由に選択して男女格差が生じているはずだ。ならば格差は放置でいい。もちろん「男性=大黒柱ではなく、2人で家計を支えたい家庭もあるだろう」。一方で「男性=大黒柱」を望む「家庭」も否定されるべきではない。辻本氏の好みに合わせて社会を変える合理性は見当たらない。

結論部分も見ていく。


【日経の記事】

岸田文雄首相は3月、「女性の経済的自立」を新しい資本主義の柱に掲げると強調した。賃金格差是正に向け、情報開示ルールの見直しなどを進めるという。

ただし、それだけでは動かない。今年4月に男性の育児をうながす改正育児・介護休業法が施行されたが、こうした取り組みで固定的な分業意識をさらに変えていくことが必要だ。分業を前提にした働き方の改革や、税・社会保障制度の見直しにどこまで踏み込めるかに、かかっている。


◎「固定的な分業意識」はあっていい

固定的な分業意識をさらに変えていくことが必要だ」と辻本氏は言うが、なぜそれほど個人の「意識」に介入したがるのか。「結婚したら夫に働いてもらって自分は専業主婦になりたい。それが自分の理想の家庭」との考え方は「結婚したら2人とも働いて家事も育児も等分負担で行きたい」という考え方と同様に尊重されるべきだ。

前者には「固定的な分業意識」があるから政府も動かして「意識」を「変えていくことが必要」なのか。かなり怖いものを感じる。


※今回取り上げた記事「中外時評~格差解消へ分業変えよう

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220504&ng=DGKKZO60484770S2A500C2TCR000


※記事の評価はD(問題あり)。辻本浩子論説委員への評価はDを据え置く。辻本論説委員については以下の投稿も参照してほしい。

ネタの使い回し? 日経 辻本浩子論説委員の「中外時評~女性のSTEMが開く未来」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/10/stem.html

日経 辻本浩子論説委員「育休延長、ちょっと待った」に注文
https://kagehidehiko.blogspot.com/2016/10/blog-post_16.html

「人生100年時代すぐそこ」と日経 辻本浩子論説委員は言うが…https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/100.html

少子化克服を「諦めるわけにはいかない」日経 辻本浩子論説委員に気付いてほしいことhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/11/blog-post_11.html

2022年5月2日月曜日

「核で抑止」日本はOKで北朝鮮はNG? 日経 芹川洋一論説フェローに問う

自らの主張を考える時には整合性の確保が大事だ。その意味で2日の日本経済新聞朝刊オピニオン1面に論説フェローの芹川洋一氏が書いた「核心~ウクライナ危機から学ぶ」という記事には引っかかる記述があった。そこを見ていこう。

三隈川(筑後川)

【日経の記事】

ウクライナでもわかったのは、同盟というかどうかは別にして、助け合う国が必要ということだ。2番目の学びである。北欧の国が北大西洋条約機構(NATO)加盟の動きを見せているのもロシア侵攻の副次的な結果だ。

そのうえでプーチン大統領の核の脅しで思い知ったのは、核兵器をもった国が周辺にある場合、核で抑止をきかせるしかないという現実だ


◎なのに北朝鮮を非難?

プーチン大統領の核の脅しで思い知ったのは、核兵器をもった国が周辺にある場合、核で抑止をきかせるしかないという現実だ」と芹川氏は言う。ならば「核兵器をもった国が周辺にある場合」の核保有は正当化されるはずだ。

例えば北朝鮮は中ソと国境を接しているし日韓には米軍基地がある。「核兵器をもった国」に取り囲まれているとも言える状況だ。「核で抑止をきかせるしかないという現実」に直面している。

なのに日経は4月18日付の「北朝鮮は『核』をもてあそぶな」という社説で「ICBMなどに積む戦略核に加え、韓国や日本、米領グアムを射程に入れ戦場での限定的な使用を想定した戦術核の開発は核の脅威を広げ、核不拡散体制の根幹も揺るがす。ロシアが戦術核兵器を使う可能性が危ぶまれるなか、それに乗じた蛮行は許されない」と訴えている。

核で抑止をきかせるしかないという現実」を北朝鮮は無視すべきなのか。理屈が合っていない。論説フェローという肩書を持つ芹川氏は社論の決定にも関与していると推測できる。

この社説は「プーチン大統領の核の脅し」を踏まえたものだ。なのに北朝鮮は「核で抑止をきかせるしかないという現実」に適応してはダメなのか。理屈が合っていない。

ついでに記事の続きを見ていこう。


【日経の記事】

日本は唯一の被爆国である。核廃絶をめざすのは当然だ。「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を守りながらロシア、北朝鮮、中国にどう対峙していくかに知恵をしぼるしかない

要は有事の際の対応である。それを考えるとき、思いおこすべき国会答弁と、これを受けたやりとりがある。

▼民主党政権下の2010年3月17日、衆院外務委員会での岡田克也外相の答弁。

「核の一時的寄港を認めないと日本の安全が守れない事態が発生すれば、ときの政権が命運をかけて決断をし、国民に説明する」

▼自民党が政権復帰したあとの14年2月14日、衆院予算委員会での岡田氏と岸田文雄外相のやりとり。

岡田氏「(私の答弁は)非核三原則を守ることを原則にしつつ、緊急時において内閣の判断で例外を認めるという答弁だが、現政権もこの方針を引き継いでいるか」

岸田外相「安倍内閣としても引き継いでいる」

3月7日の参院予算委員会でも、岸田首相は自らの内閣でも継承すると言明した。

これは有事には「持ち込ませず」にこだわらない「非核2.5原則」といえる。岡田答弁で与野党合意ができているのなら、米国の核の傘が雨漏りしないのかどうかを点検、破れ傘でないのを見せることも抑止になる。核の傘の点検が3番目の学びだ。


◎「非核三原則を守りながら」?

有事には『持ち込ませず』にこだわらない『非核2.5原則』」で良しとするならば「非核三原則」は壊れる。なのになぜ「非核三原則を守りながらロシア、北朝鮮、中国にどう対峙していくかに知恵をしぼるしかない」となるのか。

非核三原則の一部を崩してでもロシア、北朝鮮、中国にどう対峙していくかに知恵をしぼるしかない」となぜ訴えないのか。

米国の核の傘が雨漏りしないのかどうかを点検、破れ傘でないのを見せることも抑止になる」という説明もよく分からない。「雨漏り」「破れ傘」とは具体的にどういう状態を指すのか。そこは明確にしてほしい。

ちなみに歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏は文藝春秋5月号で以下のように記している。

『核の傘』も幻想です。使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えないからです。中国や北朝鮮に米国本土を核攻撃できる能力があれば、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ません

これは納得できる。そもそも日本は「核の傘」など差していない。芹川氏はどう見る?


※今回取り上げた記事「核心~ウクライナ危機から学ぶ」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220502&ng=DGKKZO60398360Y2A420C2TCS000


※記事の評価はD(問題あり)。芹川洋一氏への評価はE(大いに問題あり)を据え置く。芹川氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

昔話の長さに芹川洋一論説フェローの限界が透ける日経「核心~令和臨調、3度目の挑戦」https://kagehidehiko.blogspot.com/2022/03/3.html

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_50.html

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_98.html

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(3)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/06/blog-post_51.html

日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_15.html

日経の芹川洋一論説委員長は「裸の王様」? (2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_16.html

「株価連動政権」? 日経 芹川洋一論説委員長の誤解
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/08/blog-post_31.html

日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(1)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html

日経 芹川洋一論説委員長 「災後」記事の苦しい中身(2)
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/03/blog-post_13.html

日経 芹川洋一論説主幹 「新聞礼讃」に見える驕り
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/04/blog-post_33.html

「若者ほど保守志向」と日経 芹川洋一論説主幹は言うが…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_39.html

ソ連参戦は「8月15日」? 日経 芹川洋一論説主幹に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/815.html

日経1面の解説記事をいつまで芹川洋一論説主幹に…
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/12/blog-post_29.html

「回転ドアで政治家の質向上」? 日経 芹川洋一論説主幹に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/08/blog-post_21.html

「改憲は急がば回れ」に根拠が乏しい日経 芹川洋一論説主幹
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2018/01/blog-post_29.html

論説フェローになっても苦しい日経 芹川洋一氏の「核心」
http://kagehidehiko.blogspot.com/2018/04/blog-post_24.html

データ分析が苦手過ぎる日経 芹川洋一論説フェロー
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_77.html

「政権の求心力維持」が最重要? 日経 芹川洋一論説フェローに問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/10/blog-post_79.html

「野党侮れず」が強引な日経 芹川洋一 論説フェローの「核心」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/06/blog-post_18.html

「スペイン風邪」の話が生きてない日経 芹川洋一論説フェロー「核心」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/04/blog-post_27.html

日経 芹川洋一論説フェローが森喜朗氏に甘いのは過去の「貸し借り」ゆえ?https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/02/blog-post_11.html

日本の首相に任期あり? 菅首相は安倍政権ナンバー2? 日経 芹川洋一論説フェローに問うhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/09/2.html