日本経済新聞の辻本浩子 論説委員は自分の好みを他者に押し付けたがる傾向があるようだ。4日の朝刊オピニオン面に載った「中外時評~格差解消へ分業変えよう」という記事を読んで、そう感じた。中身を見ながら注文を付けていきたい。
|
耳納ハングライダー発進基地 |
【日経の記事】
月34万円と、月25万円。
賃金構造基本統計調査による、男性と女性の所定内給与の平均だ。いずれもフルタイムで働いている場合の値だが、それでもこれだけの違いがある。
国際的にみても、性別による金額の差は大きい。経済協力開発機構(OECD)のデータでは、男性を100とした場合、女性はOECD平均で90弱だ。80弱の日本は、韓国、イスラエルに次いで、ワースト3になっている。
なぜ女性は収入を得にくいのか。男女の役職や勤続年数の違いなどを補正しても、差は生じるという。なにより、この背後にある固定的な男女の役割分担を見逃すことはできない。
家事や育児などの「無償労働」は、世界的にも女性が多くを担っている。OECDの平均では、女性は男性の1.9倍だ。
では日本は? 5.5倍だ。4倍台の韓国やトルコとともに、ここでも日本は最下位グループの常連だ。
収入の少なさと無償労働の多さは、コインの両面だ。「男性は仕事、女性は家庭」。この分業意識が強ければ、女性が外で働くハードルは高くなる。出産を機に多くの人が退職し、正社員として再就職できても勤続年数は短くなる。実際には多くが非正規だ。
一方、こうした分業のもとでは男性は長時間、働くことができる。それが職場の標準であればあるほど、女性が力を発揮する道はますます狭まってしまう。
◎何が問題?
「所定内給与」での男女格差を辻本氏は問題視する。しかし性差別がない前提で言えば、特に問題は感じない。女性の「無償労働の多さ」が格差の一因だとしても、それが各人の自由な選択の結果ならば何の問題もない。
家庭内で誰がどんな役割をどのくらい担うかは、それぞれの家庭で自由に決めていい。その結果として男女に格差が生じるとしても「格差解消」を進める必要はない。
「格差」のない状態が辻本氏の好みなのだろう。そこも自由だ。ただ好みを他者に押し付けたがるのは感心しない。
辻本氏は「格差解消」を進めるべき理由をいくつか述べている。これにもツッコミを入れておこう。
「こうした分業のもとでは男性は長時間、働くことができる。それが職場の標準であればあるほど、女性が力を発揮する道はますます狭まってしまう」と辻本氏は言う。物事を片側からしか見ていない典型例だ。
「分業」によって「職場」で「女性が力を発揮する道」が狭くなるとしよう。裏返せば「家事や育児」などの分野で「女性が力を発揮する道」が広くなる。「職場」で「力を発揮する」方が「家事や育児」で「力を発揮する」より尊い訳ではない。社会を維持するためには、どちらも大切だ。
「家事や育児」で「力を発揮」したいと考える人が女性に多く、「職場」で「力を発揮」したいと考える人が男性に多いのならば、男女格差が生じるのは当然だ。これを無理に変えようとすれば効率は悪くなる。各人が自由に選択して得意分野で「力を発揮」するのが合理的だ。
続きを見ていこう。
【日経の記事】
流れを変えるチャンスは、あった。原点は、1975年。国連の「国際婦人年」を機に始まった世界的な大きなうねりだ。
この年の10月24日、アイスランドでは女性が一斉にストをした。父親は子どもを抱えて右往左往し、さまざまなサービスがストップした。賃金格差や家事・育児分担を見直してほしい。「女性の休日」の5年後、女性の大統領が誕生。いまでは国際的な指標であるジェンダー・ギャップ指数で世界1位を占める。
日本の変化はゆっくりだった。オイルショックで高度経済成長こそ終わったが、成長期に定着した分業システムは健在だった。終身雇用と年功序列を基本にした日本型の経営は、79年出版の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でも評価され、変える必要を感じにくかったかもしれない。
◎「分業システム」で「高度経済成長」を達成したのなら…
「分業システム」の下で日本は「高度経済成長」を達成したという点について辻本氏も異論はないだろう。ならば「経済成長」の面から「格差解消」を正当化するのも難しい。
さらに見ていく。
【日経の記事】
80年代、男女雇用機会均等法ができた。しかし第3号被保険者制度や配偶者特別控除といった、男女分業を前提にした税・社会保障制度も、この時期にできた。アクセルとブレーキを同時に踏むような状況だ。
仕事の量をセーブする女性はいまも多い。女性の力を十分に生かせないのは社会にとっても損失だ。
◎またも片側だけを見るが…
「仕事の量をセーブする女性はいまも多い。女性の力を十分に生かせないのは社会にとっても損失だ」と辻本氏はまたも片側しか見ないで主張を展開する。
「仕事の量をセーブ」して「家事や育児」に力を注いだからと言って「女性の力を十分に生かせない」と見るのは誤りだ。
辻本氏は新聞社で論説委員をやっているので「職場」で「力を発揮する」ことが素晴らしくて、「家事や育児」は「社会」への利益につながらないと見ているのだろう。だが「家事や育児」を誰かがやらなければ社会は回らない。「仕事の量をセーブ」して「家事や育児」に力を入れることを「社会にとっても損失」と見なすべきなのか。
さらに見ていく。
【日経の記事】
女性の収入の少なさは、「いま」に影響するだけではない。年金というかたちで老後の暮らしにも直結する。
男性は月15.9万円、女性は月9.6万円。
4月に内閣府の会議で示された高齢者の公的年金の平均額だ。データは2017年と少し古いが、差の大きさはうかがえる。
女性をさらに細かくみていくと、配偶者のいない「未婚」の女性は11.9万円。夫の遺族年金を受け取れることが多い「死別」の女性は、12.1万円だ。男女の賃金格差などの影響で、未婚の人より高くなっている。「離婚」の女性は働いていた期間が短くなりやすく、8.3万円だ。
いまや離婚は珍しくない。一生をひとりで暮らす人も多い。50歳時点で未婚の女性は6人に1人だ。男性=大黒柱ではなく、2人で家計を支えたい家庭もあるだろう。
◎それでも格差があるのなら…
「女性の収入の少なさは、『いま』に影響するだけではない。年金というかたちで老後の暮らしにも直結する」という指摘はその通りだ。だから「職場」で「力を発揮する」道を選びたいという女性がいても何の問題もない。
こうした条件を考慮した上で各人が自由に選択して男女格差が生じているはずだ。ならば格差は放置でいい。もちろん「男性=大黒柱ではなく、2人で家計を支えたい家庭もあるだろう」。一方で「男性=大黒柱」を望む「家庭」も否定されるべきではない。辻本氏の好みに合わせて社会を変える合理性は見当たらない。
結論部分も見ていく。
【日経の記事】
岸田文雄首相は3月、「女性の経済的自立」を新しい資本主義の柱に掲げると強調した。賃金格差是正に向け、情報開示ルールの見直しなどを進めるという。
ただし、それだけでは動かない。今年4月に男性の育児をうながす改正育児・介護休業法が施行されたが、こうした取り組みで固定的な分業意識をさらに変えていくことが必要だ。分業を前提にした働き方の改革や、税・社会保障制度の見直しにどこまで踏み込めるかに、かかっている。
◎「固定的な分業意識」はあっていい
「固定的な分業意識をさらに変えていくことが必要だ」と辻本氏は言うが、なぜそれほど個人の「意識」に介入したがるのか。「結婚したら夫に働いてもらって自分は専業主婦になりたい。それが自分の理想の家庭」との考え方は「結婚したら2人とも働いて家事も育児も等分負担で行きたい」という考え方と同様に尊重されるべきだ。
前者には「固定的な分業意識」があるから政府も動かして「意識」を「変えていくことが必要」なのか。かなり怖いものを感じる。
※今回取り上げた記事「中外時評~格差解消へ分業変えよう」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220504&ng=DGKKZO60484770S2A500C2TCR000
※記事の評価はD(問題あり)。辻本浩子論説委員への評価はDを据え置く。辻本論説委員については以下の投稿も参照してほしい。
ネタの使い回し? 日経 辻本浩子論説委員の「中外時評~女性のSTEMが開く未来」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/10/stem.html
日経 辻本浩子論説委員「育休延長、ちょっと待った」に注文
https://kagehidehiko.blogspot.com/2016/10/blog-post_16.html
「人生100年時代すぐそこ」と日経 辻本浩子論説委員は言うが…https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/100.html
少子化克服を「諦めるわけにはいかない」日経 辻本浩子論説委員に気付いてほしいことhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/11/blog-post_11.html