記事では、まず以下のように問題提起している。
ユトレヒト(オランダ)の中心部 ※写真と本文は無関係です |
【ダイヤモンドの記事】
ポツダム宣言受諾から七〇年、さまざまな歴史論争が展開されている。本誌発売時点では安倍晋三首相の七〇年談話も発表されているだろう。談話に「侵略」の二文字を入れるべきだという要求もある。それには断固、反対だという声は、私も含めて、強い。
そこで大東亜戦争の本質を考えてみよう。同戦争は大別して三つに分けられる。(1)日中戦争、(2)日米戦争、(3)ソ連参戦である。
三つの骨格を見るだけで「侵略」の一語で大東亜戦争をくくることが果たして適切なのかが、分かるだろう。
この後に「ソ連」「米国」の話が続くが、ここは良しとしよう。問題は以下の部分だ。
【ダイヤモンドの記事】
最後に日中戦争。日中戦争は昭和六(三一)年九月一八日の柳条湖事件に始まる満州事変から昭和二〇(四五)年の敗戦までを指すという考え方がある。その考え方に沿って、満州事変が「侵略戦争」の始まりだと主張する人々にぜひ読んでほしい本がある。
一冊は国際連盟が派遣したリットン調査団の報告書を渡部昇一氏が解説した『全文リットン報告書』である。もう一冊は、満州事変当時、在北京米国公使だったジョン・マクマリー氏の報告書である。『平和はいかに失われたか』の邦題で単行本になっている。
少なくとも上の二冊を読めば、日中戦争さえも「侵略」の一語で定義することがいかに危ういか、気付いてもらえるだろう。
歴史観ほど、国によって異なるものはない。個人も同様だ。国家間であれ、個人間であれ、歴史観の統一はなかなか難しい。私たちにできることは、可能な限り幅広く、当時の人々が見て、聞いて、考えてたどり着いた結論を学び、それらに基づいて考えることだ。そうすることが当時の状況のより深い理解につながると私は信じている。
「いくら何でもそれはないでしょ」と思わせる書き方だ。「二冊を読めば、日中戦争さえも『侵略』の一語で定義することがいかに危ういか、気付いてもらえるだろう」と主張するのは問題ない。しかし、「本を読めばなぜ気付けるのか」は説明すべきだ。わずかな説明さえ放棄して「私の主張が正しいのは、本を読めば分かるから」と言われても、納得できるはずがない。
櫻井よしこ氏は書き手としての基礎的資質を欠いており、こうした記事が生み出されるのは、ある意味で必然だ。ダイヤモンド編集部に対しては、1日も早いコラム執筆者の交代を求めたい。
※記事の評価はD(問題あり)、櫻井よしこ氏への評価はF(根本的な欠陥あり)を維持する。F評価の理由については「櫻井よしこ氏へ 『訂正の訂正』から逃げないで」などを参照してほしい。
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