2021年4月30日金曜日

米国は「民主主義の再建」段階? 菅野幹雄ワシントン支局長に考えてほしいこと

30日の日本経済新聞朝刊1面に菅野幹雄ワシントン支局長が書いた「米、民主主義を守れるか」という記事では「民主主義の再建の成否は向こう数十年を左右する世界秩序の命綱だ」と訴えている。しかし話が漠然としていて説得力は感じなかった。

夕暮れ時の佐田川

記事の終盤を見てみよう。

【日経の記事】

1930年代も世界秩序に暗雲が垂れこめた。ルーズベルト氏が大統領になる約1カ月前、ナチス党を率いるヒトラーがドイツ首相に就いた。民主主義の隙を突いた専制主義の台頭を米国も止められず、世界は2度目の大戦に向かった。

いまの世界が直面するのも中国やロシアなど専制体制とのせめぎ合いだ。「米国民の多くは民主主義への信頼を失っている」。楊潔篪(ヤン・ジエチー)共産党政治局員は3月、米側代表団の面前で言い放った。米ジョンズ・ホプキンス大学のヤシャ・モンク准教授は「民主国家は苦しい立場に置かれている」と指摘する。

分断の修復には粘り強い取り組みが欠かせない。「いまは安定と落ち着きを取り戻す時だ」。米世論調査の第一人者、ジョン・ゾグビー氏は若い世代や多様性の重視を通じて結束の糸口をつかむよう提案する。

民主主義の再建の成否は向こう数十年を左右する世界秩序の命綱だ。100日を超えたこれからの行動こそが、78歳の老練な大統領に問われる。


◎分断してたら民主主義じゃない?

まず記事の書き方で2つ指摘したい。

ルーズベルト氏が大統領になる約1カ月前、ナチス党を率いるヒトラーがドイツ首相に就いた」と菅野支局長は書いている。なぜ「ルーズベルト氏」にだけ敬称を付けたのか。

歴史上の人物に敬称は要らないと思うが「ルーズベルト氏」とするならば「ヒトラー」にも敬称を付けるのが筋だろう。

楊潔篪(ヤン・ジエチー)共産党政治局員」がどこの国の人か分からないのも引っかかる。中国だろうと推測はできるが、明示すべきだ。菅野支局長には後輩の手本となる丁寧な書き方を心掛けてほしい。

本題に入ろう。

民主主義の再建の成否」と書いているので「米国では民主主義が壊れている」と菅野支局長は認識しているのだろう。しかし、その根拠がよく分からない。記事からは2つの候補が浮かぶ。

まずは「1月6日、選挙結果を覆そうと暴徒化したトランプ前大統領の支持者がこの連邦議会議事堂に乱入した」件だ。これで壊れたとの判断ならば「再建」は難しくない。警備を厳しくすればいい。

もう1つは「分断」だ。

分断の修復には粘り強い取り組みが欠かせない」などと菅野支局長は書いており「分断の修復」と「民主主義の再建」を関連付けている印象を受ける。

しかし「分断」と「民主主義」は両立する。米国でも多少のゴタゴタはあったが大統領選挙を受けて平和的に政権交代を実現している。個人的には「民主主義の再建」が必要だとは感じない。「民主主義」がきちんと機能しているように見える。

例えば、トランプ氏が憲法停止を宣言して強引に政権を維持するような状況であれば「民主主義の再建」が必要だと感じるが、そうはなっていない。

どういう基準で壊れたと見なすのか。何を実現できれば「民主主義の再建」と言えるのか。そこを明確にしないまま「民主主義の再建の成否は向こう数十年を左右する世界秩序の命綱だ」と言われても困る。

ついでに言えば、なぜ「数年」や「数百年」ではなく「数十年」なのかも、なぜ「世界秩序の命綱」なのかも菅野支局長は教えてくれない。

いまの世界が直面するのも中国やロシアなど専制体制とのせめぎ合いだ」と菅野支局長は書いている。ならば米国が「専制体制」に近付いた方が米中対立が和らぎ「世界秩序」は安定するとの見方もできる。

米国で「民主主義の再建」が進んだ結果として「中国やロシアなど専制体制とのせめぎ合い」が強まり、新たな「大戦」に繋がる可能性も当然にある。「民主主義の再建」が「世界秩序」を守る方向に作用するとは限らない。

菅野支局長は深く考えずに何となく結論を絞り出したのだろう。だが、それでは記事に説得力は生まれない。もっと突き詰めて考えてから記事を書いてほしい。


※今回取り上げた記事「米、民主主義を守れるか」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210430&ng=DGKKZO71490550Q1A430C2MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。菅野幹雄氏への評価もDを据え置く。菅野氏については以下の投稿も参照してほしい。

「追加緩和ためらうな」?日経 菅野幹雄編集委員への疑問
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/05/blog-post_20.html

「消費増税の再延期」日経 菅野幹雄編集委員の賛否は?
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/06/blog-post_2.html

日経 菅野幹雄編集委員に欠けていて加藤出氏にあるもの
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/08/blog-post_8.html

日経「トランプショック」 菅野幹雄編集委員の分析に異議
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/11/blog-post_11.html

英EU離脱は「孤立の選択」? 日経 菅野幹雄氏に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/03/blog-post_30.html

「金融緩和やめられない」はずだが…日経 菅野幹雄氏の矛盾
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/02/blog-post_16.html

トランプ大統領に「論理矛盾」があると日経 菅野幹雄氏は言うが…
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/10/blog-post_24.html

日経 菅野幹雄氏「トランプ再選 直視のとき」の奇妙な解説
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/blog-post_2.html

MMTの否定に無理あり 日経 菅野幹雄氏「Deep Insight」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/04/mmt-deep-insight.html

「トランプ流の通商政策」最初の成果は日米?米韓? 日経 菅野幹雄氏の矛盾https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/blog-post_27.html

新型コロナウイルスは「約100年ぶりのパンデミック」? 日経 菅野幹雄氏に問うhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/100.html

「中間選挙が大事」は自明では?日経 菅野幹雄氏「Deep Insight」に足りないものhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/02/deep-insight.html

「『マルチの蘇生』最後の好機」に根拠欠く日経 菅野幹雄氏「Deep Insight」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/03/deep-insight.html

2021年4月29日木曜日

台湾問題での当たり障りのない結論が残念な日経ビジネス 安藤毅編集委員

日経ビジネスの安藤毅編集委員は訴えたいことがない書き手なのか。4月26日号に載った「日米首脳会談で『対中国』連携確認~日本が直面、経済・安保の狭い道」という記事を読んで、そう感じた。「日米首脳会談」を受けて台湾問題を取り上げたものの「米国との連携を深めつつ、最大の貿易相手国である中国とどう向き合うか。狭い道を進む備えと戦略が問われる」という当たり障りのない結論で記事を締めている。

金川カントリーエレベーター

台湾問題を考える上で、安藤編集委員には以下の問題を考えてほしい。

(1)台湾併合は現実的な問題?

中国が武力で台湾を併合するというシナリオが現実的なものなのか。仮に非現実的な話ならば、「日米首脳会談」での「台湾言及」は無駄に中国を刺激していることになる。賢い選択ではない。


(2)米国は中国と戦ってでも台湾を守る?

台湾を中国の一部と認めている米国が武力を使ってでも台湾を守るのか。個人的には、守らない気がする。安藤編集委員はどう考えるのか。そこが知りたい。

守ると見ているのならば、中国が台湾に侵攻すると米中戦争が起こり「米国との連携を深め」た日本は米国と共に中国と戦う可能性が高まる。


(3)台湾を守るために戦争する意味ある?

尖閣諸島を守るために米国とともに中国と戦うのならば、まだ分かる。しかし中国の一部と日本も認めている台湾が武力で併合されたからと言って、なぜ日本が米国と共に中国と戦わなければならないのか。

米国がどうしても中国と戦って台湾を守るという姿勢ならば、「米国との連携」は大胆に緩める方が得策ではないのか。


(4)「狭い道」がある?

中国には武力による台湾併合への確固たる意思があり、米国には武力を用いてでもそれを阻止しようとする明確な方針があるとしよう。この場合「米国との連携を深め」つつ、中国とも上手く付き合えるような「狭い道」はない。

狭い道」があると安藤編集委員が考えるのならば、それはそれでいい。ただ「狭い道」がどんな道なのかは示してほしい。

そのイメージがないのならば「狭い道を進む備えと戦略が問われる」と結ぶのは無責任だ。「とにかく上手くやってね」と言っているのと大差ない。

「ホームランを増やしつつ三振を減らす工夫が求められる」とか「社会保障の充実を進めつつ財政健全化を実現する手腕が問われる」などと言うのは簡単だ。しかし現実には両立が難しい。その「狭い道」を進めと求めるのならば、書き手にもそれなりの案が求められる。

編集委員という肩書を付けて記事を書くならば、なおさらだ。

そのことを安藤編集委員には、よく考えてほしい。


※今回取り上げた記事「日米首脳会談で『対中国』連携確認~日本が直面、経済・安保の狭い道

https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/01024/


※記事の評価はD(問題あり)。安藤毅編集委員への評価はDを維持する。安藤編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「キャメロン発言が示唆に富む」? 日経ビジネス安藤毅編集委員https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/02/blog-post_11.html

「歴代最長の次は安定か混沌か」に答えを出さない日経ビジネス安藤毅編集委員https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/09/blog-post_5.html

2021年4月28日水曜日

物価は「底上げ」すべきもの?日経「上がらぬ物価、米欧と差」に注文

28日の日本経済新聞朝刊経済面に載った「上がらぬ物価、米欧と差~日銀、今年度見通し下げ デジタルで成長不可欠」という記事では「物価上昇=良いこと」との前提が引っかかった。

夕暮れ時の筑後川河川敷

デジタル分野などの成長戦略で企業の活力を引き出し、賃上げにつなげられなければ物価の底上げは望めない」「国際通貨基金(IMF)の最新予測では、米国の物価上昇率は21、22年ともに2%を超え、日本の出遅れ感は鮮明になる」などと書いている。

筆者は「物価の底上げ」を望み「物価上昇」に関する「日本の出遅れ」は好ましくないと感じているようだ。記事に付けた表によると3月の消費者物価指数(3月、前年同月比)で日本は0.2%の下落。米国は2.6%の上昇だ。なので物価上昇率を日本は0%、米国は3%として考えてみよう。

3%より0%の方が良いとは言い切れない。個人的には0%の方がいい。日経も3月7日の記事で小竹洋之編集委員が以下のように書いている。

『大きくいこう(Go big)』と銘打った米バイデン政権の財政出動を巡り、賛否両論が巻き起こっている。コロナ禍に対応する1・9兆ドル(約200兆円)の追加経済対策が過大で、米国の景気過熱やインフレを助長しかねないと懸念する識者と、これに異を唱える識者との活発な論争が続く

インフレを助長」することは好ましくないと考える「識者」もいるようだ。仮に3%が許容できる物価上昇率の上限だとすると米国は「財政出動」がしにくくなっている。「コロナ禍に対応する」ために「財政出動」はしたいが「インフレを助長」するのはマズいとの立場ならば、物価上昇率は0%の方が好ましい。

金融政策のやりやすさなどを考えると2%程度の物価上昇率が望ましいとの考え方も理解はできる。だからと言って単純に「物価上昇=良いこと」との前提で記事を書くのは感心しない。

日本では長年、物価上昇率が0%前後で推移している。物価の安定を是とするならば、理想に近いとも言える。

そのことを記事の書き手には考えてほしい。


※今回取り上げた記事「上がらぬ物価、米欧と差~日銀、今年度見通し下げ デジタルで成長不可欠

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210428&ng=DGKKZO71432000X20C21A4EE8000


※記事の評価はC(平均的)

2021年4月27日火曜日

日本はずっと「感染封じ込め」…と見えるのにそうは書かない日経の記事

日本はずっと新型コロナウイルスの感染を封じ込めているーー。この見方に賛成する人は少ないかもしれないが、27日の日本経済新聞朝刊総合2面に載った「感染封じ込め、世界で優劣鮮明~インドは『三重変異』も英・イスラエル、集団免疫視野」という記事からはそう判断できる。しかし日本に関しては「日本、ワクチン接種なお1%台」という関連記事で「」の側にいるような書き方をしている。筆者ら(竹内弘文記者、西野杏菜記者、馬場燃記者)には「日本はずっと感染を封じ込めているのでは?」との視点で問題を捉えてほしかった。
夕暮れ時の工事現場


今回の記事では3つのグループに分けてグラフを作っている。

(1)接種進まず→感染者増加           ドイツ インド
(2)接種は進んだが→感染者の減少は鈍く
米国  チリ
(3)接種が進む→感染封じ込め          イスラエル 英国

感染封じ込め」を判断するためのデータとしては「人口10万人あたり新規感染者数」を用いている。「感染封じ込め」と認定したイスラエルと英国は直近で1ケタ台になっているようだ。

関連記事には日本のグラフも付いていて「人口10万人あたり新規感染者数」は昨年12月以降、ずっと5人以下。イスラエルや英国はこの間に100人に近付いた時期があった。つまり日本は底ばい状態だ。

記事では「もたつく間に感染拡大の第4波が到来した。逼迫する医療体制に接種業務が重なれば、人繰りは一段と厳しくなる」と日本の現状を厳しく捉えている。しかし、他の国と同じように最大値100人のグラフにしてみれば分かるはずだ。日本はずっと「感染封じ込め」に成功している国になる。「第4波」と言っても常にさざ波だ。

そのことに気付けば「日本、ワクチン接種なお1%台」と危機感を持つ必要はなくなる。「ワクチン接種」なしでも「感染封じ込め」はできている。「医療体制」が「逼迫」しているとすれば、そこは「医療体制」の充実に力を注ぐしかない。

繰り返すが「感染封じ込め」はできている。さらに「感染封じ込め」を徹底させるために多くのことを犠牲にする意味があるのだろうか。


※今回取り上げた記事「感染封じ込め、世界で優劣鮮明~インドは『三重変異』も英・イスラエル、集団免疫視野
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB236IZ0T20C21A4000000/


※記事の評価はC(平均的)。特に大きな問題はなかった。竹内弘文記者への評価は暫定D(問題あり)から暫定Cへ引き上げる。西野杏菜記者への評価は暫定でCとする。馬場燃記者への評価はDからCへ引き上げる。

2021年4月26日月曜日

むしろ増加? 「女性研究者による論文は世界的に減少」に根拠欠く日経の記事

26日の日本経済新聞朝刊 科学技術面に載った「苦悩する女性研究者~子育て・介護負担」という記事によると「2020年春、女性研究者による論文は世界的に減少した」らしい。しかし、それを裏付けるデータが見当たらない。当該部分を見ていこう。

三隈川(筑後川)

【日経の記事】

新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な流行)の中、家庭で子育てや介護の負担が女性に偏りやすいことを背景に、科学界でも男女格差の拡大が懸念されている。多くの国でロックダウン(都市封鎖)や外出制限が実施された2020年春、女性研究者による論文は世界的に減少した。特にコロナ関連の論文執筆は引用回数などで将来のキャリアを左右し、影響が中長期に及ぶ可能性もある。

イタリアのミラノ大学などのグループはオランダの学術情報大手エルゼビアと協力し、同社が発行する全ての科学誌での論文投稿など500万人以上の研究者のデータを調べた。20年2~5月の論文投稿は全体で19年の同時期比30%増え、特にコロナと関わる健康・医学分野は63%の増加となった。

しかし、女性研究者の論文は男性ほど増えず、特に若手の女性ほど鈍化は顕著だった。コロナ関連の投稿数も女性のほうが少なかった。

研究グループは休校やオンライン授業で子供の在宅時間が増えるなど、家庭での女性の負担が重くなったと指摘。コロナ関連論文は注目を集めやすいため、研究業績の男女格差を広げた可能性がある。

米ミシガン大学などのグループも20年1~6月に発表されたコロナ関連論文を分析。女性が筆頭著者だった論文の割合は、19年の同時期に同じ科学誌に載った論文よりも19%少なかった。女性の中でも、実験などを中心的に担って筆頭著者になりやすい若手研究者が研究に取り組みにくかったことが背景にあるようだ。


◎肝心の数字はどこに?

最初に出てくる調査によると「20年2~5月の論文投稿は全体で19年の同時期比30%増え」ている。しかし「女性研究者による論文」が「減少した」訳ではない。「女性研究者の論文は男性ほど増えず、特に若手の女性ほど鈍化は顕著だった」との記述からは「男性ほど」ではないが増加したと取れる。

もう1つの調査では「女性が筆頭著者だった論文の割合は、19年の同時期に同じ科学誌に載った論文よりも19%少なかった」と書いているだけだ。「論文」の総数が増えていれば「女性が筆頭著者だった論文の割合」が低下したとしても「女性が筆頭著者だった論文」が数としては増えている可能性がある。

結局、この2つの調査からは「女性研究者による論文は世界的に減少した」とは言えない。

しかも最初に出てくる調査では「女性研究者の論文は男性ほど増えず」と記しているだけで「女性研究者の論文」に関する具体的な数値が出てこない。「女性研究者の論文」が増えているから、あえて数値を見せなかったのではとの疑いは残る。その上で「女性研究者による論文は世界的に減少した」と書いたのならば、意図的に読者を騙したと言われても仕方がない。


※今回取り上げた記事「苦悩する女性研究者~子育て・介護負担」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210426&ng=DGKKZO71310350T20C21A4TJM000


※記事の評価はE(大いに問題あり)

2021年4月22日木曜日

自分への称賛を誌面で紹介する宮嶋巌FACTA編集人兼発行人への違和感

こんなの載せて恥ずかしくないのか。持ち上げられたのが、そんなに嬉しかったのかーー。そう思わずにはいられなかった。FACTA5月号の「From Readers」では、同誌の編集人兼発行人の宮嶋巌氏をベタ褒めする井山哲氏(玉木雄一郎衆院議員秘書)の声を紹介している。

岡城跡

全文は以下の通り。 

【FACTAの記事】

お仕えしている上司が公党の代表を務めている関係で、毎週記者会見があるのだが、発行人の宮嶋巌さんの質問にはいつもハッとさせられる。新聞やテレビなどの既存メディアにはない視点で、鋭く切り込むのだ。切り込みが鋭いと、自ずと切り返しも鋭くなる。宮嶋さんに答えた上司の発言が既存メディアの記事になることも少なくない。その感度と分析力は、毎月の誌面にも表れている。

宮嶋さんは霞が関の大先輩(旧行政管理庁、私は旧科学技術庁出身)。会見での質問にも、国を支える官僚への「愛」を感じることが多い。吏道の廃れを憂う記事も「愛」があればこそ。「国家の『中枢』に迫る」はFACTAの柱の一つで、官界記事は密度が濃いが、情報が集まるのも、また「愛」の結果ではないだろうか。政権を担うためには「社員」である官僚との人間関係が欠かせない。政権を狙うのなら野党にこそ「愛」が必要だ。雑誌斜陽の時代と言われる中、15年という年輪を重ねられたことに敬意を表しつつ、毎月21日を楽しみにしている一人である。


◎そっと喜んでいた方が…

宮島氏に会ったことはないが「発行人の宮嶋巌さんの質問にはいつもハッとさせられる。新聞やテレビなどの既存メディアにはない視点で、鋭く切り込むのだ」などと、おだてられて満面の笑みを浮かべている姿が想像できる。嬉しいのは分かる。自分だったら「俺、こんなに褒められちゃったんだよ」的なことを周囲には言わない。舞い上がっている姿を晒すのが編集人兼発行人として恥だと感じるからだ。

しかし宮島氏は自らが編集人兼発行人を務める雑誌でこのヨイショを堂々と紹介している。編集人兼発行人なのだから「自分が知らない所で掲載が決まった」との言い訳は通らない。

From Readers」で前向きな声を紹介するなとは言わない。だが、基本は記事への称賛にしてほしい。それも、ただ褒め称えるだけではく「こういう視点があれば良かった」などと条件付きのものが好ましい。

今回は宮島氏個人への称賛が前面に出ている。これを載せて良しとする宮島氏の気持ちが理解できない。既に「裸の王様」になり切っているのか。

FACTAでは読者からの間違い指摘を無視してミスを放置する対応が常態化している。そのことに耳を塞ぎ、露骨なヨイショは喜んで受け入れて誌面で紹介する。「15年という年輪を重ね」た上で辿り着いた境地がそこでいいのか。

井山氏には宮島氏が立派な人物として映っているのだろう。しかし自らが発行する雑誌に関して間違い指摘を平気で無視する人物だと知ったらどうか。「政治家に『鋭く切り込む』前に、自分たちの誤りをきちんと正すべきだ」と思うのではないか。

「忠言耳に逆らう」

宮島氏にはこの言葉を贈りたい。「耳に逆らう」内容でも受け止めて改善に努められる編集人兼発行人になれているのか。その答えは明らかなはずだ。


※今回取り上げた記事「From Readers

https://facta.co.jp/article/202105039.html


※記事への評価は見送る。宮嶋巌氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

記事の誤りに「説明なし」 宮嶋巌FACTA編集長へ贈る言葉https://kagehidehiko.blogspot.com/2017/01/facta.html

2021年4月21日水曜日

「新時代の日米(下)」を書いた日経の桃井裕理 中国総局長に引退勧告

日本経済新聞の桃井裕理記者には書き手としての引退を勧告している。21日の朝刊1面に載った「新時代の日米(下)政府と企業に問う覚悟~中国、制裁カードで威嚇」という記事を見ると「中国総局長」という肩書が付いている。立派な役職に就いているのだから管理職業務に専念してほしい。今回の記事もやはり問題ありだ。一部を見ていこう。

日田市の三隈川

【日経の記事】

たとえば、米インド太平洋軍が推進する「太平洋抑止イニシアチブ(PDI)」構想がある。インド太平洋地域では中国が米国の軍事力を物量的に圧倒し、米軍を寄せつけない防衛ラインを完成しつつある。これを突破できなければ米軍は中国による台湾の武力侵攻を阻止できない

PDIは沖縄から台湾、フィリピンなどを結ぶ第1列島線上に高度な精密兵器のネットワークを築き中国の防衛線突破を狙う。同軍は3月、2027年までの6年間で3兆円規模の予算を求めた。


◎色々と問題が…

インド太平洋地域では中国が米国の軍事力を物量的に圧倒し、米軍を寄せつけない防衛ラインを完成しつつある」と桃井総局長は言う。「インド太平洋地域」と言えば米国の西海岸沿いの海域まで含む。こうした広い範囲で「中国が米国の軍事力を物量的に圧倒」しているのか疑問だが、そうだとしよう。ただ「米軍を寄せつけない防衛ライン」がどこにあるのかこの記事では説明していない。

インド太平洋地域」で「物量的に圧倒」しているのならば「防衛ライン」はアフリカ、北米、南米の近くにまで達するのが自然だろう。

しかし米国の「PDI」は「沖縄から台湾、フィリピンなどを結ぶ第1列島線上に高度な精密兵器のネットワークを築き中国の防衛線突破を狙う」らしい。これから判断すると、中国の「防衛ライン」はものすごく中国寄りだ。「台湾」さえ入っていないと読み取れる。

どうして「物量的に圧倒」している側が自国領土の近くに「防衛ライン」を設定し、弱者であるはずの米国が自国から遠い「第1列島線上」に「高度な精密兵器のネットワークを築き中国の防衛線突破を狙う」のか。辻褄が合っていない。

そもそも中国は「米軍を寄せつけない防衛ラインを完成しつつある」はずだ。核攻撃を受けてもそれらを全て撃退できる能力をほぼ持っているのだろう。そんな凄い中国に対して「高度な精密兵器のネットワーク」を築いたぐらいで「防衛ライン」を突破できるものなのか。

これ(中国の防衛ライン)を突破できなければ米軍は中国による台湾の武力侵攻を阻止できない」という見立てもおかしい。「第1列島線上」に「高度な精密兵器のネットワークを築」くのならば、「台湾」は米国の勢力圏内に入っているとも取れる。だとすると「防衛線突破を狙う」必要はない。「台湾」が中国の「防衛ライン」の外側にあるのならば、米国は「台湾」を守ればいいだけだ。「防衛ライン」を突破して中国本土に攻め込む必要は基本的にない。

同じ日の特集面に載った「台湾有事 備えはあるか~米中台の軍事力、中国優位が鮮明」という記事によると、中国は「『第一列島線』を自国防衛の最低ライン」と定めているようで、記事に付けた地図を見ると「台湾」は「ライン」の内側になっている。なので、この前提でも考えてみよう。

米国主導の「高度な精密兵器のネットワーク」に「台湾」を含むのならば、その「ネットワーク」が完成した時点で米国による「防衛線突破」はできている。「ライン」の内側に米国側が「高度な精密兵器のネットワーク」を築いているのだから、中国の「防衛線」は破られている。

結局、どう見るべきなのかよく分からない。桃井総局長の説明が拙いからだ。桃井総局長自身の考えがきちんとまとまっているのかも怪しい。なので結論は変わらない。桃井総局長は書き手としては退くべきだ。管理職として、しっかり頑張ってほしい。


※今回取り上げた記事「新時代の日米(下)政府と企業に問う覚悟~中国、制裁カードで威嚇

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210421&ng=DGKKZO71208640R20C21A4MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。桃井裕理記者への評価はE(大いに問題あり)を維持する。桃井総局長に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「米ロ関係が最悪」? 日経 桃井裕理記者「風見鶏」に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2018/04/blog-post_1.html

問題多い日経 桃井裕理政治部次長の「風見鶏~『東芝ココム』はまた起きる」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/07/blog-post_19.html

日経「風見鶏~『台湾有事』と経済安保」に見える桃井裕理記者の誤解https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/04/blog-post_18.html

台湾有事で「最悪の想定」が米中にらみあい? 日経 桃井裕理記者に感じる限界https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/04/blog-post_19.html

2021年4月20日火曜日

日経 甲原潤之介記者の見立て通りなら在日米軍は要らないような…

20日の日本経済新聞朝刊1面に甲原潤之介記者(安全保障エディター)が書いた「新時代の日米(中)有事にらみ危機感共有~自立した『防衛力』急務」という記事はツッコミどころが多かった。中身を見ながら具体的に指摘していく。

岡城跡の廉太郎銅像

【日経の記事】

米ソ冷戦の最前線が欧州なら、日本を含む東アジアは米中対立のフロントライン。日本の防衛力は同盟国の対中抑止力を左右する。


◎東アジアは冷戦の「最前線」にあらず?

米ソ冷戦の最前線が欧州なら、日本を含む東アジアは米中対立のフロントライン」と言われると「東アジア」は「米ソ冷戦の最前線」ではなかったと感じる。しかし同意できない。朝鮮半島の38度線を筆頭に「日本を含む東アジア」は「米ソ冷戦の最前線」だったと感じる。

ついでに言うと、なぜ「最前線」を「フロントライン」と言い換えているのか。無駄な横文字は使わないでほしい。

続きを見ていこう。

【日経の記事】

日本の安全保障体制は自立した防衛力と日米同盟の2本柱だ。日米安保条約第5条は米国による日本防衛の義務を定めるものの、敵からの攻撃の第1波に米軍が間に合う可能性は極めて低い。その間は自衛隊だけで守るのが大前提となるが、持ちこたえられるのか。

尖閣諸島に中国軍が上陸して侵攻しようとした場合、それを阻止する陸上自衛隊の水陸機動団の拠点は長崎県内にある。尖閣諸島までおよそ1000キロで、新型輸送機オスプレイでも2時間かかる。中国の侵攻の意図が分かって部隊を派遣しても手遅れとなる。


◎何のために沖縄の米軍基地はある?

この記事に書いてあることが正しいとすれば、在日米軍は必要ない。「敵からの攻撃の第1波に米軍が間に合う可能性は極めて低い。その間は自衛隊だけで守るのが大前提」なのに、わざわざ日本に基地を置かせて意味があるのか。

尖閣諸島に中国軍が上陸して侵攻しようとした場合」も沖縄の米軍は動きが遅いのだろう。長崎県にある「陸上自衛隊の水陸機動団の拠点」から兵力を投入して対応し、その後で米軍がやってくるのだから、グアムやハワイから来てもらっても大差ない。

持ちこたえられるのか」という問題意識を甲原記者が持っているのならば「日米同盟」が「」になるのかどうかを考えた方がいい。沖縄の在日米軍には撤退してもらって「陸上自衛隊の水陸機動団の拠点」を沖縄に移す方が「敵からの攻撃の第1波」に備える上では有効なはずだ。

今回の記事で最も引っかかったのが以下のくだりだ。


【日経の記事】

仮に中国が台湾を武力で統一しようとすれば、台湾に攻め込む中国軍を止めるのも米軍だ。集団的自衛権を行使して米軍への攻撃に自衛隊が反撃できるようにするには「存立危機事態」に認定する必要がある。台湾有事がそれに当たるかはときの政権の判断となる。


◎色々と疑問が…

台湾に攻め込む中国軍を止めるのも米軍だ」と書いているが、そもそも米国に軍事力を行使する正当性はあるのか。米国は台湾を中国の一部と見なす「1つの中国」政策を放棄してはいない。となれば中国が「台湾に攻め込む」のは自国領土の実効支配を取り戻そうとする動きになる。

「1つの中国」を認めていながら、中国と戦ってまでも台湾を守ろうとするのは理屈に合わない。台湾は米国の同盟国ではない。そもそも国として認めていない。なのに「台湾に攻め込む中国軍を止めるのも米軍」なのか。だとしたら、なぜそうなるのかの説明が欲しい。

さらに言えば、実力的に「台湾に攻め込む中国軍を止める」力が「米軍」にあるのかという疑問も残る。甲原記者の見立てでは、日本に基地を持っていながら「(日本に対する)敵からの攻撃の第1波に米軍が間に合う可能性は極めて低い」はずだ。台湾に米軍基地はない。ならば台湾への「第1波」に「米軍」が間に合う可能性はゼロに近い。

やはり「台湾に攻め込む中国軍を止める」のは「米軍」ではなく「台湾」自身だと考えるしかない。「台湾」にその力がなければ、中国は「米軍」がのんびりやってくる前に台湾を実効支配する。そうなった時に「1つの中国」を認めている「米軍」が台湾に侵攻して奪還を試みるのか。ちょっと考えにくい。

甲原記者の認識を基にすれば「米軍には期待できない。日本も台湾も自分のことは自分で守るしかない」と考えるべきだ。なのに、なぜか「台湾有事は対岸の火事で済まない。首脳会談で共有した危機感を防衛力の向上につなげることが急務となる」となってしまう。

日経は「日米同盟の強化」を訴えるのが大好きだ。しかし、コストの割に役に立たない同盟を強化しても意味がない。思い込みを排して「日米同盟は有事に役に立たないのでは」と考えてみてほしい。


※今回取り上げた記事「新時代の日米(中)有事にらみ危機感共有~自立した『防衛力』急務

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210420&ng=DGKKZO71166210Q1A420C2MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。甲原潤之介記者への評価はC(平均的)からDへ引き下げる。甲原記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経 甲原潤之介記者は「非核化の歴史3勝3敗」と言うが…https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/07/33.html

どうなったら「世界分裂」? 日経 甲原潤之介記者に問うhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2019/08/blog-post_25.html

2021年4月19日月曜日

台湾有事で「最悪の想定」が米中にらみあい? 日経 桃井裕理記者に感じる限界

日本経済新聞の桃井裕理記者が18日の朝刊総合3面に書いた「風見鶏~『台湾有事』と経済安保」という記事の問題点をさらに掘り下げてみる。まずは「台湾有事」について考えたい。

筑後川昇開橋

【日経の記事】

台湾海峡をめぐる「有事」の可能性が盛んに指摘され始めた。16日の日米首脳会談でも台湾海峡の平和と安定の重要性を確認した。

それでは実際に台湾有事が発生したら、日本の経済や社会にどのような事態が起こり得るのだろうか。

まず東シナ海や南シナ海で米中がにらみあい商業船の航行が難しくなる状況が考えられる。それが半年間続いたら……? 燃料や食料など様々な物資のサプライチェーンが断絶され日本経済は大混乱しかねない。

日本の石油備蓄は石油危機を経て約250日分を確保する。問題は発電燃料として需要が急増した液化天然ガス(LNG)。比率は約4割に達するが、超低温貯蔵が必要で長期在庫が持てない。輸入元もオーストラリアや東南アジア、中東など南シナ海経由に偏る。

航路を急きょ切り替えれば急場はしのげるが世界的にも物流の混乱が予想される。新型コロナウイルス禍でマスクの調達すらままならなかった日本にそんな芸当ができるのか。今年1月には厳冬で日本のLNG在庫が底をつきかけ「あわや停電」という状況に追い込まれた。スポット市場での緊急調達もできなかった。

日本の食料自給率は4割以下。米や小麦の備蓄は2~3カ月分あるが様々な食品で需給が逼迫し買い占めも起きかねない。日本の製造業は中国から東南アジアへサプライチェーンの分散を進めているが、南シナ海も「火薬庫」となるならばなお打撃は避けられない。中国や台湾の事業も継続が難しくなるかもしれない。


◎それが「最悪の想定」?

台湾有事」に関して「まず東シナ海や南シナ海で米中がにらみあい商業船の航行が難しくなる状況が考えられる」というのが、まず分からない。「米中」は「にらみあい」で済むとの前提なのか。その時に「台湾」は中国に占領されているのか。それとも単独で中国と戦っている状態なのか。曖昧な設定では困る。

記事の中で「日本には危機を直視するのを歓迎しない風潮がある。最悪の事態を想定すればコストもかかり、様々な事業の実現性も低下する」と桃井記者は書いている。「最悪の事態を想定」すべきとの考えならば「米中がにらみあい商業船の航行が難しくなる状況」を想定するのは甘すぎる。

米中」が「台湾有事」をきっかけに全面戦争に突入し、日本も米国とともに中国と戦う。結果として中国による核攻撃の対象となり、日本全土が壊滅的な損害を被るーー。「最悪の事態を想定」するならば、こんなところだろうか。少なくとも、日米が中国と戦争状態になる可能性は考慮すべきだ。

その辺りを「想定」すれば「中国や台湾の事業も継続が難しくなるかもしれない」などと呑気なことは言っていられない。戦死者が何百万人、あるいは何千万人出るのかといった点を考える必要が出てくる。

呑気に「経済安保」を論じるならば、「台湾有事」に関してなぜ「最悪の事態を想定」しなくて良いのかの説明は欲しい。それとも、「最悪の事態」でも米中にらみ合いで済むと見ているのか。

記事の結論部分にも注文を付けておきたい。

【日経の記事】

日本には危機を直視するのを歓迎しない風潮がある。最悪の事態を想定すればコストもかかり、様々な事業の実現性も低下する。

それでもかつては石油危機や食料安保が盛んに議論されたが、冷戦終結以降、危機を意識せずに生きていられる希少な時代に突入した。隣国が「一大生産地かつ巨大市場でありながらそれほど脅威ではない」という幸運に恵まれたためだ。

純粋に合理性、効率性のみを追求できた幸せな時代は過ぎ去った。非効率と共に生きる――。これが米中新冷戦時代の新常態となる。少なくとも福島第1原子力発電所の事故や新型コロナ禍で常に後手に回った過ちは二度と繰り返してはならない。


◎「幸せな時代は過ぎ去った」?

純粋に合理性、効率性のみを追求できた幸せな時代は過ぎ去った。非効率と共に生きる――。これが米中新冷戦時代の新常態となる」と書いているが全く同意できない。

「これまでと世の中が大きく変わる」と訴えた方が記事として成立しやすい。しかし、世の中はそんなに簡単には変わらない。なので大抵の場合は無理が生じる。今回もそうだ。

まず「純粋に合理性」を「追求」することはこれからもできる。「米中新冷戦時代」でも変わりはない。「最悪の事態を想定」すると「合理性」を「追求」できなくなると桃井記者は見ているのだろうか。

最悪の事態を想定」することに「合理性」があるのならば遠慮なく「追求」すべきだ。逆に「合理性」がないのならば「最悪の事態を想定」する必要はない。

付け加えると、戦後ずっと「台湾有事」も核戦争も可能性としてはあった。「最悪の事態を想定」すべきとの考えならば「冷戦終結以降、危機を意識せずに生きていられる希少な時代に突入した」などとは書かないはずだ。「最悪の事態を想定」すべきと訴える桃井記者自身が実は「最悪の事態を想定」せずに生きているのだろう。

次に「効率性」について考えよう。「最悪の事態を想定」すると「非効率」になるのは、その通りだろう。だが、これまでは「効率性のみを追求できた幸せな時代」との認識が間違っている。

地震などの災害に備えて拠点を分散したり調達先を多様化したりといった動きはこれまでも当たり前にあった。なのに桃井記者にはこれまでが「効率性のみを追求できた幸せな時代」と映るのか。「世の中が見えなさすぎ」と言わざるを得ない。

だから、こんな問題だらけの記事を書いてしまうのだろう。今回のような完成度の低い記事を読者に届ける「過ちは二度と繰り返してはならない」。桃井記者には書き手としての引退を勧告したい。


※今回取り上げた記事「風見鶏~『台湾有事』と経済安保」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210418&ng=DGKKZO71126100Y1A410C2EA3000


※記事の評価はE(大いに問題あり)。桃井裕理記者への評価はD(問題あり)からEへ引き下げた。桃井記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「米ロ関係が最悪」? 日経 桃井裕理記者「風見鶏」に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2018/04/blog-post_1.html

問題多い日経 桃井裕理政治部次長の「風見鶏~『東芝ココム』はまた起きる」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/07/blog-post_19.html

日経「風見鶏~『台湾有事』と経済安保」に見える桃井裕理記者の誤解https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/04/blog-post_18.html

2021年4月18日日曜日

日経「風見鶏~『台湾有事』と経済安保」に見える桃井裕理記者の誤解

日本経済新聞の桃井裕理記者にコラム執筆を任せるのはやめた方がいいーー。18日の朝刊総合3面に載った「風見鶏~『台湾有事』と経済安保」という記事を読んで、そう感じた。認識に誤りがあると思えた部分もあったので、日経には以下の内容で問い合わせを送った。

筑後川沿いの工事現場

【日経への問い合わせ】

日本経済新聞社  桃井裕理様 担当者様

18日の朝刊総合3面に載った「風見鶏~『台湾有事』と経済安保」という記事についてお尋ねします。この中に「今年1月には厳冬で日本のLNG在庫が底をつきかけ『あわや停電』という状況に追い込まれた。スポット市場での緊急調達もできなかった」との記述があります。

一方、2月1日付の「LNGスポット高騰一服~在庫調達進み品薄感が緩和」という日経の記事では以下のように記しています。

LNGのスポット価格は1月中旬までの1カ月で3倍近く上がり、一時は30ドル前後を付けた。電力需要の想定外の増加でLNGの在庫不足に陥り、電力各社が短期の調達を急いだ。これらのスポット品が順次到着して在庫状況が改善した。金融情報会社リフィニティブの分析によれば、日本、中国、韓国、台湾合計の1月下旬時点のLNG週間輸入量は1カ月前から約3割増えた。国内の電力会社も『在庫水準は低めに推移しているが、足元で必要な分は調達できている』(関西電力)との声が多い

これを信じれば1月の時点で「国内の電力会社」に関しても「スポット品が順次到着して在庫状況が改善」していたはずです。「スポット市場での緊急調達もできなかった」との桃井様の説明と矛盾します。

2月1日の記事が間違っている可能性もありますが、常識的に考えれば「緊急調達」はある程度できたのでしょう。「スポット市場での緊急調達もできなかった」との説明は誤りと見てよいのでしょうか。どちらの記事にも問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。

せっかくの機会なので、他にも指摘させていただきます。まずは以下の記述についてです。

CRSは最近、関係企業にある警告を出した。きっかけは半導体不足下にルネサスエレクトロニクスの工場で起きた火災だ。前提としてCRSは昨年から世界の重要工場で相次ぐ火災に留意していた。ネットには過電流でブレーカーに火災を起こす方法も出ていた。そこでサイバーチームが分析したところ、実際に過電流の操作が可能だとわかった。これを受け、関係企業に工場のサイバー防衛を見直すよう注意喚起した。荒唐無稽な陰謀論といってしまえばそれまでの話だが、CRSはそれをリスクを洗い出す起点とした

荒唐無稽な陰謀論といってしまえばそれまでの話」との説明が理解に苦しみました。「サイバーチームが分析したところ、実際に過電流の操作が可能だとわかった」のならば、明確に「リスク」があります。何を指して「陰謀論」と言っているのか分かりづらい面はありますが、「荒唐無稽な陰謀論」ではないと見るべきではありませんか。

次は以下の記述です。

それでもかつては石油危機や食料安保が盛んに議論されたが、冷戦終結以降、危機を意識せずに生きていられる希少な時代に突入した。隣国が『一大生産地かつ巨大市場でありながらそれほど脅威ではない』という幸運に恵まれたためだ

冷戦終結以降、危機を意識せずに生きていられる希少な時代に突入した」という認識には同意できません。そもそも「隣国」は中国だけではありません。1994年の北朝鮮危機を覚えていますか。この時も「危機を意識せずに生きていられる希少な時代」だったのですか。「自分はそう感じた」と言われればそれまでですが、一般的な認識との乖離は感じます。

長くなったので、この辺りで終わりにします。「スポット市場での緊急調達」に関しては回答をお願いします。週刊新潮の記事で日経の広報室は「記事の誤りなどについては真摯かつ丁寧に対応することを心掛けています」とコメントしています。しかし実際には読者からの間違い指摘を無視して多くの誤りを放置する対応が常態化しています。「真摯かつ丁寧」な対応を改めてお願いします。


◇   ◇   ◇


問い合わせの内容は以上だが、記事では他にも気になる点があった。それは別の投稿で触れたい。


追記)結局、回答はなかった。


※今回取り上げた記事「風見鶏~『台湾有事』と経済安保」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210418&ng=DGKKZO71126100Y1A410C2EA3000


※記事の評価はE(大いに問題あり)。桃井裕理記者への評価はD(問題あり)からEへ引き下げる。桃井記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「米ロ関係が最悪」? 日経 桃井裕理記者「風見鶏」に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2018/04/blog-post_1.html

問題多い日経 桃井裕理政治部次長の「風見鶏~『東芝ココム』はまた起きる」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/07/blog-post_19.html

2021年4月17日土曜日

「『名より実』取るトヨタの深謀」が苦しい日経ビジネス 吉岡陽・橋本真実記者

 大したことがないものを頑張って立派に見せようとしているーー。日経ビジネス4月19日号に載った「後発でも自動運転レベル2~『名より実』取るトヨタの深謀」という記事には、そんな印象が残った。ホンダが「世界初の『レベル3』を実現」する中でトヨタは「後発でも自動運転レベル2」。それでも負けている訳ではなく「名より実」を取ったのだと筆者ら(吉岡陽記者、橋本真実記者)は見ている。そこに説得力はあるだろうか。

熊本城

当該部分を見ていこう。

【日経ビジネスの記事】

ホンダは3月に発売した高級セダン「レジェンド」に搭載した運転支援システムで世界初の「レベル3」を実現。高速道路での渋滞時に自動運転に切り替わると、進行方向から視線を外してカーナビの画面などを注視したり、周囲の景色を眺めたりできる。日産自動車やSUBARUも手放し運転機能の搭載で先行する中、トヨタは自動運転のレベル争いから距離を置いた

こだわったのは「普段の運転スタイルとなるべく変わらないようにする」(前田CTO)ことだ。例えば、トラックなどの幅の広い大型車との並走時は、相手車両との間隔を通常よりも数十cm広く取って進むようにした。人が運転中に意識せずにする行動を再現して、システムによる運転への不安を軽減する狙いだ。

自動運転の完成度をさらに高める仕掛けも盛り込んだ。トヨタの量産車として初めて無線通信経由でソフトウエアを更新できるようにした。交通状況は目まぐるしく変わり、運転スタイルも百人百様だ。現状の制御方法が最適とは限らない。運転支援システムのカメラで撮影した映像や走行データを収集して分析し、安全性や乗り心地が高まるようにソフトを更新していく。


◎なぜ「レベル2」止まり?

まず、なぜ「レベル2」止まりなのかが気になる。「レベル3」を実現できる力があるのに「普段の運転スタイルとなるべく変わらないようにする」には「レベル2」に留めるのが最適との判断なのか。それとも「レベル3」はハードルが高いので「レベル争いから距離を置い」て「レベル2」でも戦える「システム」にしようとしたのか。

前者ならば「『名より実』取るトヨタの深謀」という見出しでいいだろうが「レベル3」を実現できる力があると取れる記述は記事中にはない。となると「自動運転のレベル争い」で後塵を拝したトヨタの弱者戦略だと解釈すべきだろう。

どちらでもいいのだが、どちらなのか分かるように書いてほしい。今回の書き方だと「弱者の戦略を強者の『深謀』のように持ち上げているのではないか」との疑念が晴れない。

トラックなどの幅の広い大型車との並走時は、相手車両との間隔を通常よりも数十cm広く取って進むようにした」「トヨタの量産車として初めて無線通信経由でソフトウエアを更新できるようにした」とも書いているが、これらは「レベル3」の「システム」だとできなくなるのか。普通に考えるとできそうな気がする。もし「レベル3」と両立不可能なものならば、その説明は欲しい。

他社との比較がないのも気になる。「無線通信経由でソフトウエアを更新」といった話は他社ではできていないのか。そこが分からないと「『名より実』取るトヨタの深謀」と言えるかどうか判断できない。

色々と無理してトヨタを庇っているからか記事の結論部分はかなり苦しい。そこも見ておこう。


【日経ビジネスの記事】

人中心」。会見中、トヨタはこうした言葉を繰り返した。製造現場では、人が機械に隷属するのではなく、人が主体となる「自働化」を志向してきた。その伝統を運転支援システムの開発でも継承し、個人が所有する乗用車で人と機械がどのように協調すべきかを模索しながら開発してきたという。

「できる」「できない」で比較されがちだった運転支援技術を、感性の領域での勝負に持ち込もうとするトヨタ。「自“働”運転」では負けられないという意地がのぞく


◎「自“働”運転」で勝負なら…

自働化」についてトヨタのホームページでは「トヨタ生産方式は、『異常が発生したら機械がただちに停止して、不良品を造らない』という考え方(トヨタではニンベンの付いた『自働化』といいます)と、各工程が必要なものだけを、流れるように停滞なく生産する考え方(「ジャスト・イン・タイム」)の2つの考え方を柱として確立されました」と説明している。

だとすると「車線変更するかどうかといった意思決定も運転者に任せる」ことになる「レベル2」よりも、より高いレベルで「自動運転」ができる「レベル3」の方が「自“働”運転」としては優れている。

この辺りはトヨタも分かっているのだろう。なので「トヨタは遅れている訳ではない」と一生懸命に記者会見でアピールしたと思われる。それは大切なことだ。「私たちはダメなんです」と認めるような自動車メーカーでは困る。

問題は筆者らだ。「レベル3が実現できないから苦し紛れに色々言ってるんじゃないの?」「じゃあホンダのレベル3より『人中心』と言えるの?」といった疑問は持ってほしかった。

今回の記事を読む限りでは「トヨタの言い分を素直に受け入れる良い記者なんだろうな」としか思えない。トヨタにとって「良い記者」という意味だ。読者にとって「良い記者」ではない。


※今回取り上げた記事「後発でも自動運転レベル2~『名より実』取るトヨタの深謀」https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/depth/01014/


※記事の評価はD(問題あり)。吉岡陽記者への評価はDを据え置く。橋本真実記者への評価は暫定でDとする。

2021年4月16日金曜日

「彼女が中止のホイッスルを吹く日」に期待する小田嶋隆氏の矛盾

小田嶋隆氏がやはりおかしい。東京五輪の中止を望んでいるのは分かるが、気持ちが先走り過ぎて話に矛盾が生じている。日経ビジネス電子版に16日付で載った「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明~彼女が中止のホイッスルを吹く日」という記事の一部を見ていこう。

夕暮れ時の筑後川

【日経ビジネスの記事】

五輪を中止する権限は、たぶん、誰も持っていない

しかしながら、誰であれ、五輪の開催に反対して自分の地位を捨てることはできる。この決断は、バカにならない。

仮に、小池都知事が

「アテクシは、感染爆発、が、いっこうに、おさまっていない、この現状の、なか、で、都民、ならびに、国民のみなさまの、安全、を、確保、いたしました、うえで、東京、オリンピック、ぅ、パラリンピック、を、開催できるとは、考えて、ぇ、おりません。ですので、熟慮、じゅくりょ、を、いたしました、結果、開催都市の、リーダーとして、責任を取ることができないという理由、を、もちまして、この際、都知事を、辞任する、決断、を、いたしました、ところで、ぇ、ございます」

てなことを言って辞任を申し出たら、その時点で五輪は事実上開催不能になるはずだ。してみると、小池都知事は、五輪中止の権限そのものは持っていなくても、五輪を中止に持ち込む影響力は持っているということになる。

もちろん、形式上の話をすれば、都知事が勝手に辞任したところで、副知事がその地位を代行すれば、オリンピックを開催することはできるだろう。

しかしながら、現実問題として小池都知事が五輪の開催に異を唱えて辞任した場合、ただでさえ五輪の開催にネガティブな世論が、いよいよ開催を許さない方向に動くはずで、そうなったら、開催はまずもって不可能になる。五輪開催都市のリーダーには、その程度の影響力は宿っている。


◎感染爆発してる?

東京、オリンピック、ぅ、パラリンピック、を、開催できるとは、考えて、ぇ、おりません」といった表記は、小池都知事を不必要に揶揄している印象を受けるし、何より読みにくい。それに「感染爆発、が、いっこうに、おさまっていない、この現状」という認識に同意できない。小田嶋氏は何を以って「感染爆発」と見なすのだろうか。仮に東京都の新規感染者数で見るならば、個人的には1日1万人は欲しい。

さらに言えば「小池都知事が五輪の開催に異を唱えて辞任した場合、ただでさえ五輪の開催にネガティブな世論が、いよいよ開催を許さない方向に動くはず」だとも思えない。むしろ小池批判が盛り上がりそうな気がする。

これはどちらが正しいとも言い切れない。とりあえず小田嶋氏の読み通りに進むとしよう。しかし「世論が、いよいよ開催を許さない方向に動く」としても、ゆえに「開催はまずもって不可能になる」と見るのは無理がある。なぜなら「五輪を中止する権限は、たぶん、誰も持っていない」というのが小田嶋氏の見立てだからだ。実際に「誰も(権限を)持っていない」とすれば、「世論」がどうなろうと突き進むしかない。

なのになぜ「開催はまずもって不可能になる」のか。この記事の中で「実際、私は、菅義偉首相や、森喜朗元東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長や、IOCのバッハ会長が、五輪の中止を決断する姿を想像することができない。彼らは、乗りかかった船に最後まで乗り続けるほかの選択肢を、はじめから持っていない人間たちだ」と小田嶋氏も書いている。

だとしたら「小池都知事が五輪の開催に異を唱えて辞任した場合」でも「IOCのバッハ会長」や「菅義偉首相」には「五輪の中止を決断」できないはずだ。ならば誰が「決断」するのか。「小池都知事」がどう動こうと「五輪の中止」はないと見る方が辻褄が合っている。

記事の続きを見ていこう。

【日経ビジネスの記事】

それにしても、五輪中止という、いまとなっては唯一とも思える常識的な判断を、明快に表明できそうな人間として、私(たち)が、小池百合子都知事以外の顔を思い浮かべられずにいることは、あらためて考えてみるに、かなり不可思議なことだ。

なぜだろう。

どうして私たちは、小池都知事に無茶な役割を押し付けたがっているのだろうか


◎なぜ「唯一」?

五輪中止という、いまとなっては唯一とも思える常識的な判断」という書き方が引っかかる。なぜ「五輪中止」が「唯一とも思える常識的な判断」なのか。記事に説明は見当たらない。

日本の年間死亡者数は2020年に11年ぶりの前年割れとなった。百歩譲って「感染爆発」が起きているとしても、それで日本人の死亡者数が大きく増えている訳ではない。むしろ減少傾向だ。となれば「五輪」開催を選ぶ方が「常識的な判断」とも言える。

小田嶋氏が「五輪中止」派なのは、それはそれでいい。しかし「常識的な判断」ができる人はみんな「五輪中止」派ですよね的な書き方はやめてほしい。物事はそれほど単純ではないはずだ。

どうして私たちは、小池都知事に無茶な役割を押し付けたがっているのだろうか」という書き方も同じだ。「どうして私は」ではダメなのか。「私たち」を使いたいのならば、その範囲を明確にしてほしい。少なくとも自分は「小池都知事に無茶な役割を押し付けたがって」はいない。

この後、記事は「思うに、私が小池百合子氏に五輪中止のホイッスルを吹く役柄を期待しているのは、個人的な資質もさることながら、彼女が女性だからだ。別の言い方をすれば、私自身の中にある『マッチョな男たちは、ホモソーシャルの決定事項を決してくつがえすことができないはずだ』という思い込みが、小池百合子氏を召喚してやまないということでもある」と続く。

明らかに「思い込み」だ。「女性」でも「決定事項を決してくつがえすことができない」人はいるはずだし、男性でも「決定事項」をくつがえせる人はいる。当たり前の話だ。性別で見るよりも「IOCのバッハ会長」や「菅義偉首相」がどういう人物かを分析するべきだ。「男は全員できない。女ならできる」というのは見方が単純すぎる。

この辺りにも小田嶋氏の衰えを感じる。

五輪」は開催すべきだし開催される。「小池都知事」が辞任しても、それは変わらない。そう予言しておこう。もうすぐ答えが出るはずだ。


※今回取り上げた記事「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明~彼女が中止のホイッスルを吹く日」https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00117/


※記事の評価はD(問題あり)

2021年4月15日木曜日

日経「統治改革、東芝が試金石」に感じる川崎健編集委員の説明不足

東芝を巡る最近の動きは問題点が分かりづらい。15日の日本経済新聞朝刊総合1面に川崎健編集委員が書いた「統治改革、東芝が試金石~市場との対話、世界が注視」という記事も「結局、何が問題なのか」を絞り切れていないと感じた。

熊本市内のサンマルクカフェ

順に中身を見ていこう。

【日経の記事】

買収提案を受けてから約1週間という急転直下の決定だった。東芝の車谷暢昭社長兼最高経営責任者(CEO)が14日辞任した。これは「資本市場からの逃避」と映る株式非公開化の是非を公正に検討するために不可欠なプロセスだ。市場との対話はスタート台に立ったばかり。東芝の今後の一挙手一投足は、日本の企業統治改革の真価を占う試金石となる

先週浮上した英CVCキャピタル・パートナーズなどによる東芝の買収提案は、その動機やプロセスに多くの市場関係者が疑問を呈していた。

CVCは車谷氏が前職で日本法人会長を務めていたファンドだ。東芝はアクティビスト(物言う株主)の大株主らとの対立が先鋭化していた。それだけに現経営陣の続投を支持してくれる友好的なファンドに全株を買い取ってもらって市場から退場する「出来レース」と市場は受け止めた


◎「出来レース」はダメ?

株式非公開化」の多くは、多数の株主の目を気にせず経営できるようにする目的がある。悪いことではない。悪いことならば「株式非公開化」を規制すべきだ。「英CVCキャピタル・パートナーズなどによる東芝の買収提案」が「出来レース」だとしても、既存株主の不利益とならない株価で買収してもらって「市場から退場する」のならば問題ないと思える。

しかし川崎編集委員は「東芝の車谷暢昭社長兼最高経営責任者(CEO)が14日辞任した」ことを「株式非公開化の是非を公正に検討するために不可欠なプロセス」だと言う。「車谷」氏がいても「株式非公開化の是非を公正に検討する」ことはできるはずだ。「車谷」氏がいる限り「株式非公開化の是非を公正に検討」できないとすれば、その方が「企業統治」として問題がある。

続きを見ていこう。

【日経の記事】

東芝は2017年、米原子力子会社だったウエスチングハウスの巨額損失が原因で監査法人の承認が必要な決算を作成できない事態に陥った。金融庁と東京証券取引所は有価証券報告書の提出や決算発表の延期を何度も承認。そこまでして東証が上場維持に腐心した東芝が今度は自ら上場廃止を選ぶとなれば、東証にとっては大きな痛手だ。


◎話が逸れているような…

東証が上場維持に腐心した東芝が今度は自ら上場廃止を選ぶとなれば、東証にとっては大きな痛手」かもしれないが「企業統治改革」とはあまり関係がない。話が逸れている印象を受ける。

さらに続きを見ていく。

【日経の記事】

あらゆる点で説明責任の放棄。日本は資本市場をゴミ箱と考えているのか」。東芝株主である海外アクティビストの一人はCVC案をこう批判していた。

取締役会の最も重要な役割は、株主の利益に反するような経営者の暴走を止めることだ。車谷社長の辞任決定を受けて大手運用会社のファンドマネジャーは「ギリギリで取締役会によるガバナンス(統治)が、ちゃんと機能したのではないか」と評価する。


◎川崎編集委員による「説明責任の放棄」では?

あらゆる点で説明責任の放棄。日本は資本市場をゴミ箱と考えているのか」というコメントがよく分からない。なぜ「CVC案」が「あらゆる点で説明責任の放棄」と言えるのか記事には説明がない。川崎編集委員による「説明責任の放棄」ではないのか。

日本は資本市場をゴミ箱と考えているのか」という部分も理解に苦しむ。「東芝ゴミ」ということか。しかし、なぜ「ゴミ」なのか不明。「CVC案」はわざわざ「ゴミ箱」から「ゴミ」を拾い出すものなのか。カネをかけて何のためにそんなことをするのか。このコメントを記事で使いたいのならば、もう少し丁寧に説明すべきだ。

さらに続きを見ていく。

【日経の記事】

「本人から辞任が出たということに尽きる」。永山治取締役会議長は会見でこう説明した。多くの市場参加者は取締役会が車谷氏にプレッシャーをかけた結果と受け止めている。

とはいえ、信頼回復に向けた綱川智新社長ら東芝経営陣と市場との対話は始まったばかりだ。最大の焦点は、非公開化案の是非を市場が納得する形で新経営陣が透明かつ公正な検討を進められるかどうかだ。

経営陣は「ファンドの買収提案は企業価値の向上につながらない」と判断し、買収を拒否するかもしれない。その場合は1株5000円というCVCの初期提案以上に株価を上げられる独自の経営計画を代案として市場に提示すべきだ


◎買収受け入れもあり?

上記のくだりからは「1株5000円というCVCの初期提案以上に株価を上げられる独自の経営計画を代案として市場に提示」できないのならば「CVC案」を受け入れる選択もあると取れる。

取締役会の最も重要な役割は、株主の利益に反するような経営者の暴走を止めることだ。車谷社長の辞任決定を受けて大手運用会社のファンドマネジャーは『ギリギリで取締役会によるガバナンス(統治)が、ちゃんと機能したのではないか』と評価する」と川崎編集委員は書いている。

CVC案」がまともな案である可能性もあるのに、なぜ「車谷」氏の動きを「暴走」と断じるのか。東芝にとってベストな経営判断をしようとしていた可能性は残る。

さらに続きを見ていく。

【日経の記事】

一方、CVCは正式な提案に向けて今後検討を加速するだろう。すでに買収案の検討に着手した米KKRなど、より高い値段で買収できると考える世界の名だたるファンドたちが、続々と東芝買収に名乗りを上げる可能性が高い。

ただ稼ぐ力に対して高すぎる価格で買収を受け入れるのも東芝の将来に禍根を残す。ファンドは自らの資金に外部借入金を足して買収金額を膨らませる。負債は買収後の東芝の貸借対照表(バランスシート)に載る。買収後に過剰に背負った借金返済のために事業売却や人員削減を迫られるようだと元も子もない。

日本のガバナンス改革は社外取締役の拡充など形式だけ整えているとの批判も多かった。「日本を代表する名門企業の一社である東芝の経営再建の行方は日本のガバナンス改革の真価をはかるテストケースとして世界から注目されるだろう」(川北英隆京大名誉教授)

CVCの買収提案は政府系ファンドの産業革新投資機構(JIC)や日本政策投資銀行(DBJ)の参加も想定するなど「官の影」もちらつく。東芝が政府の力も使って不透明な形で市場から退出するようなら、日本の統治改革は見せかけだけと世界から受け止められかねない


◎ではどうすれば…

東芝が政府の力も使って不透明な形で市場から退出するようなら、日本の統治改革は見せかけだけと世界から受け止められかねない」と川崎編集委員は言う。「政府の力」に頼るのがダメなのか「不透明な形」がダメなのか分からないが、どちらもダメだとしよう。

では「政府の力」に頼らず透明な形で「稼ぐ力に対して高すぎる価格で買収を受け入れ」た場合はどうなるのか。これも好ましくないと川崎編集委員は見ているようだが「日本の統治改革は見せかけ」ではないと証明できる効果はあるのか。それとも、これも「統治改革」の面で問題があるのか。

統治改革、東芝が試金石」と言うものの、どういう形で「試金石」になるのかよく分からない。「政府の力」に頼ると「統治改革」は失敗という理屈も疑問が残る。「政府の力」も使って成長力を高めて株主の利益を増やすのは「統治」として許されないのか。

川崎編集委員は記事を以下のように締めている。

【日経の記事】

「上場企業の品質を高めてこそ、日本が国際金融センターとして世界の投資家から注目してもらえる」。日本投資顧問業協会の大場昭義会長は指摘する。東芝の経営判断は、菅義偉政権が掲げる日本の国際金融センター構想が「掛け声だおれ」に終わらないかどうかのカギも握っている


◎そんな大げさな話?

これは大げさだと感じる。

東芝が驚くような好条件で「株式非公開化」を実現したとしよう。「政府の力」は使わないし透明性も申し分ない。その場合「日本の国際金融センター構想」が「『掛け声だおれ』に終わらない」可能性が一気に高まるだろうか。

高まらないとは言い切れないが「日本の国際金融センター構想」とは、そんなに簡単に実現するものなのかとは思う。

東芝の件を「日本にとって非常に重要な象徴的案件」と川崎編集委員は見ているのだろう。違うとは言わないが、説得力ある形で説明はできていない。お家騒動的に見る方が適切のような気はする。


※今回取り上げた記事「統治改革、東芝が試金石~市場との対話、世界が注視

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210415&ng=DGKKZO71013360U1A410C2EA1000


※記事の評価はD(問題あり)。川崎健編集委員への評価はDで据え置く。川崎編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。


川崎健次長の重き罪 日経「会計問題、身構える市場」http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/07/blog-post_62.html

なぜ下落のみ分析? 日経 川崎健次長「スクランブル」の欠陥http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/09/blog-post_30.html

「明らかな誤り」とも言える日経 川崎健次長の下手な説明http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/02/blog-post_27.html

信越化学株を「安全・確実」と日経 川崎健次長は言うが…http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/07/blog-post_86.html

「悩める空売り投資家」日経 川崎健次長の不可解な解説
http://kagehidehiko.blogspot.com/2016/10/blog-post_27.html

日経「一目均衡」で野村のリーマン買収を強引に庇う川崎健次長
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/09/blog-post_11.html

英国では「物価は上がらない」と誤った日経「モネータ 女神の警告」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/12/blog-post_29.html

日経 川崎健次長の「一目均衡~調査費 価格破壊の弊害」に感じた疑問https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/01/blog-post_23.html

日経 川崎健編集委員「一目均衡~失われた価格発見機能」に見える矛盾https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/03/blog-post_16.html

2021年4月14日水曜日

宮尾龍蔵・神戸大学教授の「緩和継続の約束、一段と重く」に説得力欠く日経「経済教室」

14日の日本経済新聞朝刊 経済教室面に載った「金融政策点検の論点(上) 緩和継続の約束、一段と重く」という記事は説得力がなかった。記事の3分の2ほどをダラダラとこれまでの経緯の説明に費やしたのも残念だが、何より「緩和継続の約束、一段と重く」と言える根拠が弱い。問題のくだりを見ていこう。

夕暮れ時の熊本港

【日経の記事】

では今後「量」の面で求められるのは、必要額の買い入れだけだろうか。2%目標の実現にはなお時間がかかるなか、枠組み自体を修正すべきなのだろうか。

「量」に関して日銀は個々の資産買い入れに加え、資金供給量全体を将来にわたり拡大し続けるとの「先行き指針」を公表しており、それは引き続き緩和効果を発揮するとみられる。16年9月の政策修正時から、日銀は「マネタリーベースの拡大方針を、物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで継続する」という強いコミットメント(約束)を表明している。

量の拡大方針が2%目標にリンクしているため、目標達成に時間がかかるほど、将来の資金供給量や資産残高は累増していくと予想される。その予想は現在の金融環境をより緩和的にし、また日銀は簡単に利上げに転じないとのシグナルにもなるだろう。

図2は為替レートと株価の動きを示す。17年以降、様々なショックが発生し長期国債の買い入れペースが鈍化するなかでも、過度な円高には振れず緩和的な金融環境が維持されてきた。量拡大への強いコミットメントが底流で寄与してきたと推察され、今後もその役割が一層期待される。

この議論は、2%物価目標という枠組みの修正には極めて慎重にならざるを得ないことを意味する。2%目標を仮に引き下げれば、そこにひもづいて形成されている人々の緩和予想は大幅に修正され、甚大な引き締めインパクトとなろう。同様に出口戦略の議論も将来の引き締め計画のアナウンスとなることから、慎重な検討が求められる。現代の非伝統的金融政策では、将来の政策運営に関する情報発信はそれ自体が政策手段であり、人々の緩和予想を通じ経済に影響を及ぼすことを忘れてはならない。

副作用に配慮しつつ緩和の長期化を可能にするための工夫や見直しは、今後も模索が続くと予想される。超低金利の維持、必要に応じて実施される資産買い入れ、そして将来の緩和継続への固い約束は、目立たなくとも、日本経済にとって重要な支えであり続ける


◎色々と分からないことが…

17年以降、様々なショックが発生し長期国債の買い入れペースが鈍化するなかでも、過度な円高には振れず」と書いているが、まず「過度な円高」の水準が分からない。「過度」かどうかを判断する基準も不明だ。

筆者で神戸大学教授の宮尾龍蔵氏は「量拡大への強いコミットメントが底流で寄与してきたと推察」しているが、「推察」の根拠は示していない。「量拡大への強いコミットメント」の下で「過度な円高」が起きなかったとしても、そこに因果関係を安易に見出すのは危険だ。因果関係を「推察」しているのだから、何らかの根拠は欲しい。

「とにかく自分はそう信じている」といったレベルの話ならば、それをベースにした主張にはほとんど意味がなくなる。

将来の政策運営に関する情報発信はそれ自体が政策手段であり、人々の緩和予想を通じ経済に影響を及ぼすことを忘れてはならない」と宮尾氏は言う。ならば、日銀が物価目標2%の達成に強い意思を示し、異次元緩和と言われるほどの策を打ったのに「2%物価目標」はなぜいつまで経っても達成されないのか。色々と言い訳はあるだろうが、「2%目標を仮に引き下げ」ても「人々」への影響は小さいと見る方が自然だ。

円高」は悪いこととの前提も引っかかる。日本経済にとって円高が及ぼすマイナスの影響は以前より小さくなっているとも言われる。

インフレ率が為替相場に影響を与えるのは分かる。しかし日銀の「物価目標」に実際のインフレ率を動かす力は感じられない。「2%物価目標」を取り下げたところで、実際のインフレ率はゼロ%近辺の状況が続くだろう。

突然取り下げればサプライズに反応して一時的には円高に動くかもしれない。だが、実際の物価動向への影響が小さいと確認されれば、現実のインフレ率を反映した為替相場に戻ってくるのではないか。

この話は効かない薬を止める時と似ている。「この薬を飲んだらあっと言う間に症状が改善します」と言われて飲み続けたが一向に良くならない。「もうやめた方がいいのでは」と医者に相談すると次のように言われる。

「この間に症状が劇的には悪くなってないでしょ。これは薬の効果だと考えられます。これからもこの薬はあなたをしっかり支えてくれますよ。飲み続けましょう」

医者の言っていることが間違いとは立証できない。だが、少なくとも最初の話とは違う。

日銀の「物価目標」に関しては、実験してみればいい。宮尾氏は「物価目標」に大きな力があると信じているはずだ。「物価目標」を取り下げて「過度な円高」になった場合は「物価目標」を復活させれば済む。もっと円安にしたい場合は「物価目標」を3%とか4%にすればいい。

これで為替相場が動くならば、ものすごく簡単な為替介入の道具を日銀は手に入れたことになる。そんな簡単なものではないと思うが…。とにかく、やってみれば答えは出る。簡単に引き返せるのだから、ぜひやってほしい。


※今回取り上げた記事「経済教室金融政策点検の論点(上) 緩和継続の約束、一段と重く」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210414&ng=DGKKZO70946700T10C21A4KE8000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年4月13日火曜日

日経 山下真一氏「一目均衡~環境・資源需給のジレンマ」に欠けた視点

物事を片側からしか見ていない記事と言えばいいのだろうか。13日の日本経済新聞朝刊 投資情報面にシニアライターの山下真一氏が書いた「一目均衡~環境・資源需給のジレンマ」という記事には不満が残った。その一部を見ていこう。

夕暮れ時の久留米市

【日経の記事】

 石油や金属など資源の生産拡大を最優先してきた企業が、少しずつ再生エネや環境対策重視へと軸足を移している。鉱山会社の年次報告書は軒並み、生産活動への取り組みより、排出ガス削減への努力を前面に出し始めた。地球規模の環境対策には、こうした動きは大きな後押しではあるが、一方で資源生産が後退するといずれ原油や金属の需給が逼迫するのではないか、との懸念を生んでいる。

商品市場はいち早く資源の需給に警鐘を鳴らし始めた。昨年後半から海外市場で銅やニッケル相場が急上昇している。資源の生産が縮小する中、銅やニッケルを多く使う電気自動車(EV)の増産が続くと、いずれ不足が顕在化せざるをえないというジレンマを市場は意識している。

資源会社の転換は、ESG(環境、社会、ガバナンス)を重視する投資家や金融機関から投資や融資の見送りという厳しいカードを切られたことが一因だ。「ここ数年、石炭会社は資金調達の手段が減っており、今後さらに状況は悪化するだろう」。米石炭大手の最高経営責任者(CEO)は最近、収支報告の席で苦しい台所事情を明かした。

社債を発行する資源企業の場合、購入する投資家が減って、高い金利を払わざるをえなくなる。結果的に資金調達のコストが増え予算が制約されるため、新しい鉱山の開発縮小や、既存の鉱山の売却を迫られる


◎市場の調整機能が働きそうな…

上記のくだりで気になるのは市場の調整機能を考慮していないことだ。

銅やニッケル」の不足が顕著になって価格が上昇すれば、まず既存の「鉱山会社」の採算が良くなる。「社債を発行する資源企業の場合、購入する投資家が減って、高い金利を払わざるをえなくなる」としても、価格上昇による恩恵が上回れば、資金的な問題はなくなる。資金もあって市場環境も悪くないのに「新しい鉱山の開発縮小」に動くだろうか。

既存の「鉱山会社」が「ESG(環境、社会、ガバナンス)を重視する投資家や金融機関」の目を気にして「新しい鉱山の開発縮小」を止めないとしても、新規参入は期待できる。

銅やニッケル」の不足によって「電気自動車(EV)の増産」が難しくなっている状況であれば、新規参入は歓迎されそうだ。そうした動きが活発になれば一時的に「不足が顕在化」しても、徐々に解消に向かう。それが市場の調整機能だ。

新しい鉱山の開発」を禁止したりといった規制が加わるのならば話は別だ。そうではないのならば市場の調整機能に期待していい。

資源生産量の減少が続くと、その分を別の資源で補うか、消費量を減らすしかない。代替エネを使う発電のコストを下げ一気にシフトするか、金属利用ではリサイクルを強力に進めるか、より少ない資源でいまと同じレベルの製品を作るか…。いずれも技術革新がカギを握る」と山下氏は続けている。

しかし、需要があるのに「資源生産量の減少」が一方的に進むと見るのは無理がある。「技術革新がカギを握る」面もあるだろうが、基本的には市場が「資源の需給」バランスを整えてくれると見るべきだ。「それだと当たり前すぎて記事として成立しない」とは感じるだろうが…。


※今回取り上げた記事「一目均衡~環境・資源需給のジレンマ

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210413&ng=DGKKZO70925730S1A410C2DTA000


※記事の評価はD(問題あり)。山下真一氏への評価は暫定C(平均的)から暫定Dへ引き下げる。山下氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日経 山下真一氏の「一目均衡~ESGマネー導く条件」に感じた「ないものねだり」https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/11/esg.html

2021年4月12日月曜日

「新型コロナのゼロリスク志向」の危うさを訴えた東洋経済 大崎明子氏を評価

週刊東洋経済4月17日号に載った「ニュースの核心~新型コロナのゼロリスク志向と思考停止」という記事は評価できる。筆者は本誌コラム二ストの大崎明子氏。小さなリスクへの過大な対応が大きなマイナスを生んでいる現状を嘆く内容だ。当たり前のことを書いているだけとも言えるが、主要メディアに属する人物がこうした声を上げ始めたことは注目に値する。

夕暮れ時の耳納連山

記事の一部を見てみよう。

【東洋経済の記事】

2020年はパンデミック(感染症の世界的流行)の年だった。そう聞いて後世の日本人は戸惑うのではないか。パンデミックが怖いのは多くの死者を出すからだが、日本では高齢化が進んでいるにもかかわらず、20年の死者総数が19年よりも減少したのだ。

厚生労働省の人口動態統計速報によれば、20年の死者は0.7%減の138.4万人で、減少は11年ぶり。死因別の直近データは11月までだが、首位は腫瘍の35.7万人で、例年と変わらない。

新型コロナによる死者数は今年4月3日時点で9218人。昨年6月18日から検査陽性者の死は医師の確定を待たずに新型コロナによる死と報告されており、過大計上も指摘される。他方でインフルエンザと新型コロナ以外の肺炎による死者数は11月までで前年比1.8万人減少の7.2万人で、総合すると日本の感染症対策は期待以上の効果を上げたといえる。

ところが、こうしたデータは国会で完全に無視され、新型コロナへの対策をより軽くして国民の日常生活を取り戻そうという議論は見られない。野党も医療関係者も国民活動の縮小ばかりを要求する。安易に「ゼロコロナ」を掲げること自体、信頼に値しない

特定のリスクをゼロにすることにこだわった結果、全体としてのリスクやコストが増大し、ベネフィットが失われる「ゼロリスクバイアス」が日本を覆っている。

緊急事態宣言は1月に再発出され、2度延長。さらに、「まん延防止等重点措置」が設けられ、ステージ2、3でも飲食店などへの規制が可能になった。過料こそ30万円から20万円へと下がったが、規制に従わない業者は少なく実質は緊急事態宣言と変わらない。現在6都市に適用されているが、さらに広がる可能性がある。


◎やや大げさだが…

基本的に異論はない。「『ゼロリスクバイアス』が日本を覆っている」とまで言われると、やや大げさに感じるが、全体として新型コロナウイルスの「リスク」にこだわり過ぎているのは間違いない。「日本では高齢化が進んでいるにもかかわらず、20年の死者総数が19年よりも減少した」のは、その表れだ。

今でもやり過ぎなのに「野党も医療関係者も国民活動の縮小ばかりを要求する」のも問題だ。医師会が「医療関係者」の都合を優先するのは分かるが、「野党」の立憲民主党が「ゼロコロナ戦略」を打ち出したのには本当に失望した。その辺りは大崎氏も同じ認識のようだ。

記事の後半部分で特に同意できるくだりを最後に紹介しておく。

【東洋経済の記事】

対面型授業の忌避で将来を担う若者の教育がおろそかにされ、「不要不急」の名の下に、スポーツや文化や芸術も犠牲にされている。そう言うと、高齢者の命を軽んずるのか、との非難を浴びそうだが、「生きることの質」も重要なはずだ。人は何らかの原因で必ず死ぬ。最期の日々に家族との面会も絶たれる現状が適切なのか。

これらを正当化する理屈が「医療逼迫」である。しかし、昨年から準備期間があったにもかかわらず、国民に感染防止を呼びかけるばかりで、医療提供体制は整わなかった。業界利益を代表する日本医師会に積極的な協力を取り付けられない政治の怠慢だ。民間病院といえども国の診療報酬制度に守られた公的インフラであることを肝に銘じるべきだ。対応の遅れを指摘した医師は、同業者から激しいバッシングを受けている。ゼロコロナ志向の前には冷静な議論もおぼつかない。


◎人命軽視批判を覚悟した点を評価

新型コロナウイルスに関しては「基礎疾患のある人や高齢者にはそこそこリスクがあるが、それ以外の人にとっては風邪と大差ない」という認識でいいだろう。そして「死者が高齢者に偏っているのならば社会活動の制限は基本的に不要」と思える。

主要メディアでこの主張を打ち出しにくいのは「高齢者の命を軽んずるのか、との非難を浴びそう」だからだ。テレビや新聞は高齢者に頼る部分も大きい。

東洋経済の読者層も若くはないはずだが、大崎氏は「非難」を覚悟の上で自説を展開している。この点は高く評価したい。

高齢者の命」は社会活動を制限しない範囲で守ればいい。「対面型授業の忌避で将来を担う若者の教育がおろそかにされ、『不要不急』の名の下に、スポーツや文化や芸術も犠牲にされている」現状をもっと憂うべきだ。そこに一石を投じた大崎氏に改めて賛意を表したい。


※今回取り上げた記事「ニュースの核心~新型コロナのゼロリスク志向と思考停止」https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26672


※記事の評価はB(優れている)。大崎明子氏への評価はD(問題あり)からC(平均的)に引き上げる。大崎氏については以下の投稿も参照してほしい。

東洋経済に載った木内登英氏のインタビュー記事が興味深いhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2017/08/blog-post_23.html

「1人当たり成長率」って何? 東洋経済 大崎明子氏への質問
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_41.html

「テレビ、大手新聞」を「偏向メディア」と断じる週刊東洋経済 大崎明子氏の「偏向」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/09/blog-post_6.html

民主党は米国上院で「過半数」確保? 東洋経済 大崎明子氏に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/01/blog-post_18.html

2021年4月11日日曜日

エビデンスが足りない日経社説「政治でも経済でも女性の活躍をもっと」

日本経済新聞の論説委員ならば「エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング(Evidence-Based Policy Making)」という言葉を聞いたことがあるだろう。社説で政策提言をする際には、有効性に関する「エビデンス」がどの程度あるのか考えてほしい。その意味では11日の朝刊に載った「政治でも経済でも女性の活躍をもっと」という社説には不満が残った。

夕暮れ時の筑後川

内容を順に見ていこう。

【日経の社説】

日本の世界との距離を、改めて示した数字だろう。男女平等の度合いを示す世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は世界156カ国中120位だった。121位だった前回とほぼ変わらず、主要7カ国(G7)で最下位だ。

問題は、こうした状況が長年、続いていることだ。政府は2003年、指導的地位に占める女性の割合を20年までに30%程度にする目標を掲げた。しかし達成できず「20年代の可能な限り早期に」と先送りしている。実効性あるやり方を考えるときだ。


◎「男女平等の度合いを示す」?

以前から訴えているが「ジェンダー・ギャップ指数」は「男女平等の度合いを示す」ものではない。「ジェンダー・ギャップ」(男女格差)を表しているだけだ。

日本の世界との距離を、改めて示した数字」とも言えない。上位の国だけが「世界」ではない。順位で言えばトップとは119位差だが、これが「世界との距離」ではない。

続きを見ていこう。

【日経の社説】

とりわけ遅れが目立つのは政治だ。列国議会同盟のまとめでは国会議員(衆院)の女性比率は9.9%で、世界193カ国中166位だった。改善の余地は大きい

18年には候補者の男女比を「できる限り均等」にするよう政党に促す法律ができた。ただ、あくまで各党の努力目標だ。今年の衆院選挙に向けて、候補者などの一定割合を女性に割り振る「クオータ制度」について、前向きに議論を始める時期ではないか


◎議員の女性比率は高い方が良い?

改善の余地は大きい」と言うが、そもそも「国会議員の女性比率」は高い方が好ましいのか。例えば「国会議員の女性比率」を高めると国民の幸福度が高まるといったエビデンスはあるのか。

自分は男女平等主義者だが、国の諸問題を一気に解決できるといった強いプラス効果が期待できるのならば「国会議員の女性比率」を100%とする「クオータ制度」の導入にも反対しない。しかし「海外に比べて低いから」とか「政府目標があるから」といった理由では納得できない。

特に「クオータ制度」は男女平等の原則を崩すものだ。絶対に崩すなとは言わないが、男性差別をしてまで「クオータ制度」を導入するのならば、その効果に関して強力かつ十分なエビデンスが欲しい。なのに社説には何の説明もない。

国会議員の女性比率」に関しては、女性が新党を立ち上げて大量の女性候補者を擁立し、女性の支持を得れば問題は解決できる。女性は有権者ベースで多数派なのだから、難しい話ではない。「国会議員の女性比率」の低さが問題ならば、まずは「女性よ立ち上がれ。女性議員増加に向けて行動せよ」と呼びかけるべきだ。

続きを見ていこう。

【日経の社説】

経済分野では、女性の力を生かす要請が資本市場から強まっている現実がある。金融庁と東京証券取引所が6月にも改定する「企業統治指針」(コーポレートガバナンス・コード)では、上場企業が女性の管理職の登用などに関して目標を立てて実施し、状況を開示するよう強く促す。

経営戦略や商品開発に多様な価値観が反映されれば、幅広い顧客の支持を得やすくなる。米マッキンゼーの調べでは、女性の幹部登用に積極的な会社は消極的な会社に比べ利益率が高い傾向にある


◎「幅広い顧客の支持を得やすくなる」?

経営戦略や商品開発に多様な価値観が反映されれば、幅広い顧客の支持を得やすくなる」ことの根拠として「女性の幹部登用に積極的な会社は消極的な会社に比べ利益率が高い傾向にある」と記したのだろう。

まず「女性の幹部登用に積極的な会社は消極的な会社に比べ利益率が高い傾向にある」としても、相関関係しか確認できない。因果関係があるとしても「利益率」が高くなると「女性の幹部登用に積極的」になるという方向なのかもしれない。

女性の幹部登用に積極的」になると「利益率」を高める効果があるとしても、それが「幅広い顧客の支持を得やすくなる」ことと関連するのかどうかは分からない。

利益率」を高めることが必ずしもプラスにならない点にも注意が必要だ。「女性の幹部登用に積極的な会社」は設備投資など出費に消極的になるので「利益率」が高まりやすいとすれば、成長の芽を自ら摘んでいるとも言える。

そもそも「商品開発に多様な価値観が反映され」るためには、必ずしも「女性の幹部」を必要としない。平社員でもいいし、女性顧客への調査などを「開発」に生かす手もある。

それでも「女性の幹部登用に積極的」になることに意味があると言うのならば、その根拠を示してほしい。基本的に企業は自社の利益を最大化するように「幹部登用」を進めるはずだ。そこに縛りを加えるのならば、やはり強力で十分なエビデンスが欲しい。しかし社説には、そうした記述はない。

政治でも経済でも女性の活躍をもっと」進めるべきかどうかは「エビデンス」ベースで考えたい。


※今回取り上げた社説「政治でも経済でも女性の活躍をもっと」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210411&ng=DGKKZO70895250R10C21A4EA1000


※社説の評価はD(問題あり)

2021年4月10日土曜日

本当に「世界で急減」? 日経1面「出生数が世界で急減」の問題点

日本経済新聞朝刊1面トップを飾った「出生数が世界で急減 コロナ禍、日米欧1~2割減~将来不安、成長の重荷に」という記事には問題を感じた。本当に「出生数が世界で急減」しているのか怪しい。「日米欧1~2割減」だけでは何とも言えない。

夕暮れ時の工事現場

記事中で数字を確認できるのはイタリア、スペイン、フランス、スウェーデン、ポーランド、中国(香港)、米国(コネティカット州)、日本のみ。出生率が高いアフリカ、西アジア、南米はごっそり抜けている。

出生数が世界で急減」と打ち出すのならば「世界」全体で見ても「急減」傾向でないと苦しい。データが揃わない国も多いだろうから「世界全体の数字を見せろ」とは言わない。だが欧米と東アジアだけで「世界」を語られても困る。

アフリカや西アジアは人口増加率の高い国が多いので「コロナ禍」で出生率が多少下がっても「出生数」はプラスを維持している可能性が十分にありそうだ。

記事でもう1つ気になるのは「人口減=良くないこと」という単純な図式で捉えている点だ。

コロナ禍の影響が測れる昨年12月から今年1月、多くの国で出生数は10~20%落ち込んだ。世界全体でこの流れが定着すれば、持続的な成長への足かせになる」と筆者ら(辻隆史記者と竹内弘文記者)は解説する。間違いではないが、少子化によって世界の人口増加が抑えられればプラス面も大きい。環境への負荷を少なくできるのは筆者らにも分かるはずだ。なのに、なぜマイナス面にのみ言及するのか。地球は100億人でも200億人でも余裕で受け止める力があるとでも思っているのか。


※今回取り上げた記事「出生数が世界で急減 コロナ禍、日米欧1~2割減~将来不安、成長の重荷に

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210410&ng=DGKKZO70887260Q1A410C2MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。辻隆史記者への評価は暫定でDとする。竹内弘文記者への評価は暫定Cから暫定Dへ引き下げる。竹内記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。

日本は「気がつけば格付け先進国」? 日経 竹内弘文記者に問うhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html

2021年4月9日金曜日

ワクチンも財政も日本は「後進国」?日経コラム「大機小機」に異議あり

「日本は○○後進国になってしまった」と嘆く記事を最近よく見かける。この手の記事には問題が多い。「後進国」の基準を明確にしないまま論じているものが目立つからだ。そもそも先進国、後進国という色分けが適切なのかと思える分野もある。9日の日本経済新聞朝刊マーケット総合2面に載った「大機小機~いつの間に後進国になったか」という記事を基にこの問題を考えてみたい。

夕暮れ時の筑後川

【日経の記事】

コロナ禍で思うのは、いつの間に日本は「後進国」に転落したのかという点である。肝心のワクチンは米独英や中ロのような開発国にはなれず、インドのような生産拠点でもない。ワクチン接種率は世界で100番目だ

「ワクチン後進国」に甘んじるのは、企業も政府も目先の利益を追う安易なイノベーション(革新)に傾斜し、人間の尊厳を守る本源的なインベンション(発明)をおろそかにしたからではないか。


◎開発していても「後進国」?

新型コロナウイルスのワクチンに関して「開発国にはなれず」と書いているが同意できない。「開発を進めている国=開発国」とすれば日本は「開発国」だ。

「承認されて初めて開発国になれる」と筆者の無垢氏は考えているのだろう。だとしても、それを根拠に「ワクチン後進国」と言えるのか。先進国は「米独英や中ロのような開発国」だけになってしまう。未承認であっても「開発」を進めているのであれば「先進国」に入れる方がしっくり来る。

ワクチン接種率は世界で100番目」だから「ワクチン後進国」とも思えない。「ワクチン接種率」は高い方が良いとは限らない。仮に良いとしても「接種率」が高い国を「ワクチン先進国」と見るべきなのか。例えば、国民に接種を強制して「接種率」100%を実現する国が出てきた時に「ワクチン先進国」と見なす気にはなれない。

同日の日経にもアストラゼネカ製のワクチンに関して「接種に年齢制限相次ぐ」という記事が出ている。こうした「制限」の結果として「接種率」が低くなった場合も「ワクチン後進国」なのか。

途中を飛ばして「財政後進国」のくだりを見ておく。

【日経の記事】

そして「財政後進国」である。コロナ禍で財政出動は避けられないが、日本の公的債務残高の国内総生産(GDP)比は2.7倍に膨らんだ。日銀が大量の国債購入で財政ファイナンスにあたるから規律は緩む。財政危機の重いツケは将来世代に回る

日本が「後進国」に転落した背景には、政治・行政の劣化がある。責任も取らず、構想力も欠く。問われるのは、日本のガバナンス(統治)である。コロナ危機下で科学的精神と人道主義に基づいて民主主義を立て直し、資本主義を鍛え直さないかぎり、先進国には戻れない。


◎財政黒字は「先進的」?

発展段階があるものに関しては「後進国」「先進国」という色分けも分かる。しかし「財政」はそういうものではない。初期段階は財政赤字で、国が発展するに従って黒字化するものでもない。赤字が悪で黒字が善とも言えない。

日本の公的債務残高の国内総生産(GDP)比は2.7倍に膨らんだ」かもしれないが、だから「財政後進国」なのか。「科学的精神と人道主義に基づいて民主主義を立て直し、資本主義を鍛え直さないかぎり、先進国には戻れない」と無垢氏は言うが、「財政後進国」から抜け出すのは技術的にはそれほど難しくない。大増税と大幅な歳出削減を進めればいい。

だが、それが国民の幸福感を高める可能性は極めて低いだろう。「財政後進国」などと言うと、そこから抜け出さなければならないという不適切な印象を与えてしまう。

財政危機の重いツケは将来世代に回る」というのも基本的には誤解だ。「財政危機」の定義が不明だが、現状を「財政危機」と見ていると仮定しよう。「公的債務残高」の多さは「将来世代」が大人になっても変わらないかもしれない。だが「将来世代」は「債務」だけを引く継ぐ訳ではない。国債などの資産(債権)も受け継ぐことになる。

現役世代が国債の債務不履行を受け入れて「公的債務残高」を大幅に圧縮するとしよう。この場合は「将来世代」に受け渡す国債が目減りしてしまう。「債務」の裏側には債権があることを忘れてはならない。

さらに言えば、「財政危機」を「公的債務」の返済に窮する事態と定義すると、日本でそれが起きる可能性は非常に低い。日本には強い通貨主権があるからだ。債務返済に必要な日本円は政府・日銀が自ら創出できる。無垢氏にはMMTの考え方をぜひ学んでほしい。


※今回取り上げた記事「大機小機~いつの間に後進国になったか」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210409&ng=DGKKZO70831300Y1A400C2EN2000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年4月6日火曜日

トヨタへの忖度? 「新たな持ち合い」を論じない日経社説「トヨタ・いすゞが挑む課題」

株式の持ち合いに関する日本経済新聞のダブルスタンダードが気になる。基本的に日経は持ち合いに否定的だ。昨年2月の社説では以下のように訴えている。
夕暮れ時の筑後川


企業は敵対的買収を恐れるあまり買収防衛策や株の持ち合いに走るべきではない。15年に始まった企業統治改革によって、買収防衛策を廃止したり持ち合いを解消したりする企業が増えてきた。これが海外投資家からの評価にもつながっている面もあり、この流れを逆戻りさせてはならない

こう主張しているのであれば、新たな「持ち合い」には批判的であるはずだ。しかし、そうとも限らない。例えば3月24日付の「トヨタといすゞが再び資本提携、400億円規模 新会社も」という記事では「トヨタ自動車といすゞ自動車は24日、相互出資すると発表した」と書いているだけで「持ち合い」という言葉をそもそも用いていない。

そして4月6日の朝刊総合1面に載った「トヨタ・いすゞが挑む課題」という社説では「トヨタ自動車といすゞ自動車が資本提携に踏み切った。トヨタ傘下の日野自動車も加わり、環境対策や疲弊する物流の改善に乗り出すという。いわば社会課題の解決が共通目標といえるだけに、早期に協力の成果を出してほしい」と持ち合いを伴う「資本提携」を前向きに取り上げている。

社説を最後まで読んでも「持ち合い」はもちろん「相互出資」という言葉すら出てこない。「持ち合いを解消」する「流れを逆戻りさせてはならない」と訴えているのに、なぜ「トヨタ自動車といすゞ自動車」の新たな「持ち合い」を問題視しないのか。

事情は想像できる。「持ち合い」は解消に向かうべきというのが日経のスタンスだ。しかし有力企業であるトヨタを批判して関係を悪化させる事態は避けたい。そこでニュース記事では「持ち合い」と言わず「相互出資」と言い換える。

社説では「持ち合い」「相互出資」には触れずに「自動車産業だけではなく、日本の製造業は難しい社会課題にどう向き合うかが問われている。トヨタといすゞの連携は、様々な取り組みの試金石の一つとなる」などと書いて逃げたのだろう。

「そんな腰抜けメディアではない」と日経の論説委員らが思うのならば「トヨタ」による新たな「持ち合い」の動きの是非を論じるべきだ。

批判しろとは言わない。「良い持ち合いもある。トヨタの場合はそれ」という話ならば「持ち合いを解消」する「流れを逆戻りさせてはならない」という主張にも修正が要る。良い「持ち合い」を解消する必要はない。むしろ増えていいはずだ。


※今回取り上げた社説「トヨタ・いすゞが挑む課題
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210406&ng=DGKKZO70717690V00C21A4EA1000


※社説の評価はD(問題あり)

2021年4月5日月曜日

ジェンダー・ギャップ指数ランキングは上げるべき? 日経女性面の記事に思うこと

ジェンダー・ギャップ指数」をベースに「日本は何とかしなければ」と訴える記事をよく目にする。しかし、基本的に意味がない。5日の日本経済新聞朝刊女性面の「ジェンダー・ギャップ120位の波紋」という記事の関連コラム「取り組まない理由なし」を材料にこの問題を考えてみよう。

道の駅 水辺の郷 おおやま

まずメインの記事の「世界各国の男女平等の度合いをランキングした『ジェンダー・ギャップ指数2021』」という説明がおかしい。「男女平等」を実現しても「ジェンダー・ギャップ」は生じ得る。例えば看護師は90%以上が女性だ。この分野の「ジェンダー・ギャップ」は大きい。ゆえに「男女平等」ではないと言えるだろうか。

毎日新聞は3月31日付の記事で「世界各国の男女格差を測る『ジェンダーギャップ指数』」と説明している。この方が適切だ。日経も見習ってほしい。

ここから「取り組まない理由なし」の中身を見ていこう。全文は以下の通り。

【日経の記事】

日本の人口減少は深刻だ。すでに15~64歳の生産年齢人口は激減している。少子化は先進国共通の課題とはいえ、フランスやスウェーデンなど対策が一定の効果を上げている国はある。いずれもジェンダー・ギャップ指数ランキングの上位国だ

人口が減っても、生産性を高めることである程度の経済力は維持できる。だが、日本生産性本部によると、日本の就業者1人当たりの労働生産性は8万1千ドルで、経済協力開発機構(OECD)の加盟国平均(10万ドル)を下回る。主要7カ国(G7)で最下位だ。アイスランドやフィンランドなどランキング上位3カ国にも遠く及ばない。

なぜ上位国は男女平等に取り組めるのか。当たり前のことであり、国として効果があると考えるからだ。人口減少の先頭集団にいる日本が女性活躍を進めない理由はない


◇   ◇   ◇


疑問点を挙げてみる。

(1)何位になればいい?

ジェンダー・ギャップ指数」のランキングを問題視する人に考えてほしいのは「何位になればいいのか」だ。10位以内なのか。100位以内なのか。あるいはG7で最下位がまずいのか。そして、なぜその順位を目指すのか。仮に10位以内を目指すとして、11位ではなぜダメなのか。

世界中の国が「ジェンダー・ギャップ」の解消に真剣に取り組み、ほとんどの「ジェンダー・ギャップ」をなくしたとしても、最下位の国は出てくる。相対評価だからだ。

仮に「ジェンダー・ギャップ」が好ましくないものだとしても、解消の達成度合いをランキングで測るのは問題が多い。「10位以内が合格」とすると、ほとんど「ジェンダー・ギャップ」がない状況を世界が作り上げても、大多数の国は不合格になってしまう。


(2)少子化対策になる?

少子化は先進国共通の課題とはいえ、フランスやスウェーデンなど対策が一定の効果を上げている国はある。いずれもジェンダー・ギャップ指数ランキングの上位国だ」という書き方がズルい。「ジェンダー・ギャップ指数ランキングの上位国」になれば「少子化」問題をかなり解決できるような印象を与えている。

しかし「少子化は先進国共通」だ。出生率で2を少し上回る人口置換水準を合格点とすれば「ジェンダー・ギャップ指数ランキング」が上でも下でも、ほとんどの「先進国」は落第点だ。

落第組の中で「フランスやスウェーデン」の点数が少し高いとしても、ドングリの背比べに過ぎない。そもそもランキング1位のアイスランドや2位のフィンランドでも「少子化」は続いている。出生率も低い。「ジェンダー・ギャップ指数」を向上させても少子化問題は解決しないと見るのが自然だ。


(3)生産性が高まる?

ジェンダー・ギャップ指数ランキング」が上がれば「生産性を高め」られるのか。「(日本の生産性は)アイスランドやフィンランドなどランキング上位3カ国にも遠く及ばない」とは書いているが、「生産性を高め」られると言える根拠は示していない。

例えば国会議員の女性比率を50%に引き上げれば「ジェンダー・ギャップ指数ランキング」は上がるだろう。しかし直接的に「生産性を高め」られる訳ではない。「生産性を高め」られると筆者が信じているのならば明確なエビデンスを示すべきだ。


(4)男女平等とは別

なぜ上位国は男女平等に取り組めるのか。当たり前のことであり、国として効果があると考えるからだ」と記事では書いている。繰り返すが「ジェンダー・ギャップ」をなくすことが「男女平等」ではない。

例えば「男女平等」の原則に基づいて学力だけで合否を決めると、東京大学の入学者に占める女性比率は20%にとどまるとしよう。そこで、女性比率を50%に高めるクオータ制を導入すると「ジェンダー・ギャップ」はなくなる。しかし「男女平等」は崩れて女性優遇となってしまう。

なぜ上位国は男女平等に取り組めるのか」という問い自体に問題がある。「上位国」が「ジェンダー・ギャップ」を減らすためにクオータ制などを導入している場合「男女平等」を犠牲にしていると見るべきだ。


(5)「女性活躍」とも別

人口減少の先頭集団にいる日本が女性活躍を進めない理由はない」と記事を締めているが「ジェンダー・ギャップ」が大きいからと言って「女性活躍」が進んでいない訳ではない。

もちろん「女性活躍」の定義次第ではある。「国会議員の女性比率=女性の活躍度」とすれば日本の「女性活躍」は大したことがない。しかし広く社会に貢献しているかどうかで「活躍」の度合いを見るならば、今も昔も「女性活躍」社会だ。さらに「女性活躍」を進める必要はない気がする。

記事の筆者にはぜひ日経社内を見回してほしい。「活躍しているのは男性ばかりで、女性は活躍していないなぁ」と感じるだろうか。そこに答えの欠片が転がっているはずだ。


※今回取り上げた記事「取り組まない理由なし

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210405&ng=DGKKZO70611630S1A400C2TY5000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年4月4日日曜日

「一億総中流もはや過去」と日経1面連載「パクスなき世界」は言い切るが… 

4日の日本経済新聞朝刊1面に載った「パクスなき世界~繰り返さぬために(4) 『一億総中流』もはや過去 成長と安全網、両輪で」は苦しい内容だった。日本国内の話に終始しており「パクスなき世界」というテーマから外れてきている。しかも「『一億総中流』もはや過去」と言える根拠も弱い。その部分を見てみよう。

耳納連山に沈む夕陽

【日経の記事】

特に影響が大きいのが女性だ。野村総合研究所はパート女性らのうち勤務シフトが5割以上減り、かつ休業手当を手にしていない「実質的失業者」は、20年末の90万人から21年2月に103万人に増えたと推計する。

労働力調査によると、母子世帯は20年10~12月に71万世帯と、前年同期から13万世帯も増えた。労働政策研究・研修機構の20年11月の調査では、ひとり親世帯の6割が20年末にかけ暮らし向きが「苦しい」と回答した。

過去30年の低成長で生活保護の受給者も増えていた。コロナ禍は、中間層の厚みを背景に社会の安定を誇った「一億総中流社会」が過去のものであることを鮮明にした


◎「『一億総中流』もはや過去」と言いたいのなら…

2019年12月5日付の日経の記事で「(生活の程度を尋ねる設問に対し)70年代前半には、『中』と回答した人が9割を超えました。これが総中流社会の意味するところです」と東北学院大学教授の神林博史氏が書いている。その通りだろう。

今回の連載の取材班が「『一億総中流』もはや過去」と訴えたいのならば「『中』と回答した人」の割合はこんなに下がったと見せてあげればいい。しかしその道を選んでいない。「過去30年の低成長で生活保護の受給者も増えていた」などと書いているだけで「中流」意識がどうなったのかは教えてくれない。

一方、神林氏はこの点に触れている。「中流意識はどう変化したかというと、実はほとんど変化していません。『中』回答は現在まで9割前後の水準を維持しています」と記している。これが事実ならば「『一億総中流』もはや過去」とは言い難い。

『中』と回答した人」の比率は変わらなくても「一億総中流」だと思う人は少なくなっているといった見方はできるかもしれない。神林氏もそういう認識のようだ。

取材班も同じ認識ならば「『中』と回答した人」の比率に触れた上で「『一億総中流』もはや過去」と納得させる材料を提示すべきだ。「生活保護の受給者」が増えていても「一億総中流」意識が消えるとは限らない。今回示した材料では「『一億総中流』もはや過去」とは感じられない。

『中』と回答した人」の比率に大きな変化がないことを取材班は知っているのではないか。自分たちの思い描くストーリーに合わないから、あえて無視して記事を組み立てたのだろう。だが、それでは説得力は出ない。

生活保護の受給者」にしても、記事に付けたグラフを見ると過去10年は減少傾向だ。これでは、ご都合主義的にデータを用いたと言われても仕方がない。

そして「変えるべきものを変え、成長の道筋を取り戻す。それが忍び寄る分断を防ぐための前提になる」という当たり障りのない結論を導いている。訴えたいことが明確にならないまま連載を続けたので、最終回の結論がこんなものになってしまったのではないか。

パクスなき世界」シリーズをさらに続けることはお薦めしない。しかし、どうしても再びやりたいのならば「自分たちが本当に訴えたいこと、自分たちだから訴えられることは何なのか」を取材班のメンバーは改めて自問してほしい。


※今回取り上げた記事「パクスなき世界~繰り返さぬために(4) 『一億総中流』もはや過去 成長と安全網、両輪で

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210404&ng=DGKKZO70674120U1A400C2EA2000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年4月3日土曜日

説明が雑な日経1面連載「パクスなき世界~繰り返さぬために(3)」

3日の日本経済新聞朝刊1面に載った「パクスなき世界~繰り返さぬために(3)陰謀論に試されるネット 利器か凶器か人類に問う」という記事は雑な説明が目立った。前半部分を見てみよう。

室見川

【日経の記事】

あなたは正しい情報をもとに世界を見ていると思いますか――。

「新型コロナウイルスのワクチンは生物実験だ」。3月20日、米国やオーストリア、スイス、カナダなど、世界各地で同時に政府のコロナ対策に抗議するデモが開かれた。陰謀論を信奉する集団「Qアノン」やワクチン反対論者、トランプ前大統領の支持者らが各地でデモを繰り広げた

メディアの格付け機関、ニュースガードによると、米動画サイト「オディシー」で2020年11月~21年2月にフランス語の動画本数が英語を上回った。仏語圏の主要SNS(交流サイト)から排除された陰謀論者らが活動の場を米企業が運営するサイトに移したとみられている。サイト上では過激な言葉や真偽不明の情報が飛び交う。

メディア史に詳しい京都大学の佐藤卓己教授は人々の間で情報が拡散する仕組みについて、「語り手と受け手の相互作用で増殖する構造は同じだが、拡散する範囲・速度が上がっている」と指摘する。


◎どういうデモ?

最初の事例が謎だらけだ。「世界各地で同時に政府のコロナ対策に抗議するデモが開かれた」らしいが、なぜ「同時」に「デモが開かれた」のか書いていない。主催者がいるのか、誰かが呼びかけたのか。その辺りの説明は欲しい。

新型コロナウイルスのワクチンは生物実験だ」というのも誰の言葉か分からない。「デモ」の主要な訴えなのか。参加者の1人が掲げていただけの主張なのか。何の説明もない。

とにかく「新型コロナウイルスのワクチンは生物実験だ」という主張を取材班は「正しくない情報」だと思っているようだ。だが「生物実験」という見方が誤りとは言い切れない。「ワクチン」が人体に与える長期的な影響を検証せずに接種が進んでいるのは明らかだ。その意味で「生物実験」ではある。

陰謀論を信奉する集団『Qアノン』やワクチン反対論者、トランプ前大統領の支持者」とひとまとめにしているのも引っかかる。「ワクチン反対論者、トランプ前大統領の支持者」は「陰謀論を信奉」しているとは限らない。なのに同列に扱っていいのか。

そんなことはお構いなしに話は「オディシー」へと移っていく。「デモ」に関する雑な説明から何を読み取ればいいのか。「確かに、このデモの記述とかは鵜呑みにできない怪しい情報ですね」とでも思っておけばいいのか。

オディシー」の話もあまり意味がない。「過激な言葉や真偽不明の情報が飛び交う」のはツイッターなどの「主要SNS」も同じだ。「フランス語の動画本数が英語を上回った」ことから「仏語圏の主要SNS(交流サイト)から排除された陰謀論者らが活動の場を米企業が運営するサイトに移した」と推測しているが「だから何なの」と聞きたくなる。

その後に「情報が拡散する仕組み」へ話を移している。しかし「オディシー」の事例が「拡散する範囲・速度が上がっている」根拠になる訳でもない。無駄な事例としか思えない。

情報の詰め込み過ぎは日経の1面連載によく見られるパターンだ。事例をたくさん入れるので、1つ1つは説明不足になってしまう。ゆえに説得力が失われてしまう。

正しい情報をもとに世界を」見る大切さを訴えたいのならば、説明はもう少し丁寧にしてほしい。


※今回取り上げた記事「パクスなき世界~繰り返さぬために(3)陰謀論に試されるネット 利器か凶器か人類に問う

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210403&ng=DGKKZO70666230T00C21A4MM8000


※記事の評価はD(問題あり)

2021年4月2日金曜日

日経で「最低賃金の引き上げ」を再び訴えたデービッド・アトキンソン氏へのツッコミ

小西美術工芸社社長のデービッド・アトキンソン氏が再び「最低賃金の引き上げ」を唱え始めた。2日の日本経済新聞朝刊オピニオン面に「エコノミスト360°視点~成長に賃上げが最善な理由」という記事を書いている。しかし「なるほど」と思える内容ではない。中身を見ながらツッコミを入れていきたい。

夕暮れ時の佐田川

【日経の記事】

世界銀行によると、世界経済を支えている最大の要素は個人消費で、世界の国内総生産(GDP)の63%を占めている。日本も決して例外ではない。個人消費は人数と消費額で構成される。人口が減少して高齢化が進む日本では、量的なマイナス要因を受け続けているため、GDPはなかなか伸びない。高齢化によって、若者から高齢者に所得が移転している影響も大きい。高齢者は、生産性の高いモノより、生産性の低いサービスをより多く消費するからだ。


◎GDPを増やす必要ある?

人口が減少して高齢化が進む日本」で「GDP」を増やす必要があるのか、まず疑問だ。1人当たりの「GDP」ならば、まだ分かる。必要なモノやサービスが供給されていて、国民がそれで満足しているのならば、1人当たりの「GDP」でさえ増えなくていい。

続きを見ていこう。

【日経の記事】

人口が減るなかで個人消費を維持するには、賃上げしかない。賃上げは、生産性による要因と、労働分配率による要因に分けられる。諸外国でも生産性向上に比べて賃金は上がっていない。人口が減少している先進国ほどその影響は大きい。生産性向上率より賃上げの比率が低い分だけ、デフレとなる


◎「生産性向上率より賃上げの比率が低い分だけ、デフレとなる」?

生産性向上率より賃上げの比率が低い分だけ、デフレとなる」という論理が謎だ。「諸外国でも生産性向上に比べて賃金は上がっていない」のだから「諸外国」でも「デフレとなる」はずだが、そうした傾向は見られない。物事を単純に捉え過ぎているのではないか。「賃上げ率-生産性向上率=物価上昇率」なのか。これだと賃上げゼロの状態で生産性を2倍にすると物価がゼロ(物価下落率100%)になってしまうが…。

さらに見ていく。最も問題を感じた部分だ。

【日経の記事】

なぜそうなっているのか。その原因はモノプソニーの進行にある。モノプソニーとは買い手の独占のことだったが、いまは雇用側が労働者に対して相対的に強い交渉力を行使し、割安で労働力を調達することができること、という定義に変わっている。

新古典派経済学では、労働価格は需給によって決められるとされる。その理論が成立するには、全ての労働者が正確な情報を得て、それに基づいて行動するのが前提だ。しかし、全く同じ内容の仕事をしている社員2人の給料が同じではないという事実からも、モノプソニーの存在を否定する学者はいない


◎定義が曖昧だが…

まず「モノプソニー」の定義が曖昧だ。「雇用側が労働者に対して相対的に強い交渉力を行使し、割安で労働力を調達することができること」と言うが「相対的に強い」とか「割安」をどうやって判断するのか不明だ。

さらに謎なのが「全く同じ内容の仕事をしている社員2人の給料が同じではないという事実からも、モノプソニーの存在を否定する学者はいない」という説明だ。

ある会社が年収500万円の契約で社員Aを雇ったとしよう。その直後に「全く同じ内容の仕事」をする人がもう1人必要になったが、労働需給が逼迫していて人が採れない。そこで「600万円は欲しい」と強気の姿勢を崩さないBと年収600万円で契約し社員とした。しかし、直後に大不況となり、転職しようにも今や年収300万円の確保もままならない。なのでAは仕方なく年収500万円のまま働き続けている。

ここでは「全く同じ内容の仕事をしている社員2人の給料が同じではないという事実」は確認できるがBは「強い交渉力を行使」して高い賃金を獲得している。「雇用側が労働者に対して相対的に強い交渉力を行使」しているとは言い難い。現在の市場価格を年収300万円とすればAの「労働力」も「割安」ではない。

モノプソニーの存在を否定する学者はいない」のかもしれないが、それは「モノプソニーの存在」に関する議論があまりないだけではと思える。定義が曖昧なのだから「存在」するかどうか論じても、あまり意味がない。

長くなったので、結論部分に飛ぼう。

【日経の記事】

最低賃金の引き上げは、短期的には資本家から労働者への利益移転なので、商工会議所などは当然のように反対しがちだ。しかし人口減少下の日本では、賃上げにより個人消費を喚起すれば、回り回って個人や企業だけでなく、国も恩恵を受ける最善の政策なのである。


◎そんな単純な話?

最低賃金の引き上げ」は「個人や企業だけでなく、国も恩恵を受ける最善の政策」らしい。そんな単純な話なのかという疑問がアトキンソン氏の主張には付いて回る。例えば「最低賃金」を時給1億円としたらどうなるか。大幅な「引き上げ」で大金持ちばかりになり「個人や企業だけでなく、国も恩恵を受ける」だろうか。

大幅なインフレ、大量の廃業や人員整理などが起きそうな気がする。「そこまで上げろとは言っていない」とアトキンソン氏は反論するかもしれない。では適正な「引き上げ」幅はどの辺りなのか。仮に年5%だとして、なぜそう言えるのか。

その論証なしに「最低賃金の引き上げ」を「最善の政策」と言われても困る。


※今回取り上げた記事「エコノミスト360°視点~成長に賃上げが最善な理由

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210402&ng=DGKKZO70575410R00C21A4TCR000


※記事の評価はD(問題あり)。アトキンソン氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

D・アトキンソン氏の「最低賃金引き上げ論」に欠けている要素
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/d.html

改めて感じたアトキンソン氏「最低賃金引き上げ論」の苦しさ
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_10.html

日経でも雑な「最低賃金引上げ論」を披露するアトキンソン氏
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/10/blog-post_11.html

相変わらず説明に無理があるデービッド・アトキンソン氏の記事
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/11/blog-post_7.html

最低賃金引き上げ率「5%」の根拠を示さないデービッド・アトキンソン氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2020/01/5.html

2021年4月1日木曜日

「選択的夫婦別姓」の導入後は旧姓使用がNGに? 日経の記事を読んで考えたこと

選択的夫婦別姓」は女性の利益になるというイメージは強いだろう。しかし1日の日本経済新聞朝刊政治面に載った「選択的夫婦別姓実現へ経営者らが有志の会~来月にも政府に提言」という記事を読むと「そうでもないかも」と思えてくる。

両筑橋の架け替え工事現場

全文は以下の通り。

【日経の記事】

企業経営者らが「選択的夫婦別姓の早期実現を求めるビジネスリーダー有志の会」を発足する。改姓によって主に女性のキャリアが分断されることや、旧姓との二重使用が企業のコストを増大させている点などを問題視する

賛同者を集めて共同声明をまとめ、5月にも菅義偉首相や関係閣僚らに提出する計画だ。

選択的夫婦別姓は結婚する際に夫婦が同姓か別姓かを選べるしくみだ。金丸恭文フューチャー会長兼社長や夏野剛ドワンゴ社長、南場智子ディー・エヌ・エー会長ら約20人が呼びかけ人となり、4月中に企業役員など1千人の賛同者を集める。

共同代表の夏野社長は「当たり前のことを当たり前にできないことが日本の生産性の低さにつながっている。身近な問題から変えていきたい」と指摘している。

昨年末に閣議決定した第5次男女共同参画基本計画のパブリックコメントでは400件以上の要望があったが、最終段階で「選択的夫婦別氏」の文言が削られた。

自民党では賛成派と慎重派がそれぞれ議員連盟を立ち上げるなど議論が活発になっている。


◎「旧姓との二重使用」がダメなら…

選択的夫婦別姓の早期実現を求めるビジネスリーダー有志の会」では「旧姓との二重使用が企業のコストを増大させている」と見ているらしい。「増大させている」としても微々たるもののような気はするが、とにかく「問題視」している。それを解消するための「選択的夫婦別姓」導入だ。

有志の会」系の企業では、導入後は当然に「旧姓との二重使用」は認められなくなる。これが一般化した場合でも「選択的夫婦別姓」は女性にとって好ましいことなのか。

「夫の姓に合わせた上で通称としての旧姓使用がベスト」と考える女性も少なくないだろう。しかし、それは「企業のコストを増大させ」るので「姓を変えたくないなら夫婦別姓を選択しろ」という流れになっていく。

「通称としての旧姓使用がベスト」という女性がどの程度いるのかは分からない。その割合次第ではあるが、「選択的夫婦別姓」は必ずしも女性に優しくないとは言えそうだ。

日経でもこの問題をぜひ取り上げてほしい。


※今回取り上げた記事「選択的夫婦別姓実現へ経営者らが有志の会~来月にも政府に提言」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210401&ng=DGKKZO70550100R30C21A3PP8000


※記事の評価はC(平均的)