2015年7月22日水曜日

日経「企業統治の意志問う」で中山淳史編集委員に問う

「東芝の記者会見を受けて1面に解説記事を書くことになったけど、特に訴えたいこともない。でも何か書かなきゃいけないからなぁ…」などと思いながら執筆したのだろうか。22日の日経朝刊1面トップ「東芝、来月に新経営陣」に付いていた「企業統治の意志問う」という解説記事には、読む価値を感じなかった。その理由は後で述べるとして、まずは事実関係を正しく説明できているのか疑問に思えた部分を見てみよう。


【日経の記事】
アムステルダム(オランダ)の運河 ※写真と本文は無関係です

伊藤忠商事の丹羽宇一郎前会長は「日本のコーポレートガバナンスは制度だけつくり、魂を入れていない感じがする」と話す。例えば委員会制をこぞって導入した電機大手は業績が伸び悩む企業が目立ち、非導入の自動車大手は快走する。結果だけ見れば制度と業績が反比例の関係になっているのは統治がちゃんと機能していないからだ。


上記の内容に関して、日経に以下の問い合わせをした。


【日経への問い合わせ】

記事中で「委員会制をこぞって導入した電機大手は業績が伸び悩む企業が目立ち、非導入の自動車大手は快走する」と書かれていますが、事実誤認していませんか。東芝以外で委員会制の電機大手(日立、ソニー、三菱電機)を見ると、日立と三菱電機は2015年3月期に最高益を更新しました。一方、自動車大手でもホンダは減益です。「制度と業績が反比例」と言えるほど好対照とは思えません。記事の説明で問題ないとすれば、その根拠を教えてください。


伸び悩む企業が目立ち」「快走する」といった表現なので、間違いだと断定できるような話ではない。ただ、「筆者の中山淳史編集委員はちゃんと分かって記事を書いているのかな」とは思ってしまう。もちろん、こちらの問い合わせが的外れという可能性もある。しかし、日経はきちんと回答しない方針を貫いているので、記事に問題があったと推定していくしかない。

結果だけ見れば制度と業績が反比例の関係になっているのは統治がちゃんと機能していないからだ」という説明もおかしい。「統治がちゃんと機能していない」ことが「制度と業績が反比例の関係になっている」原因と言えるだろうか。この場合、きれいに因果関係を説明するならば「制度と業績が反比例の関係になっているのは、委員会制が従来の制度に比べ問題が多いからだ」といった流れにする必要がある。

「統治がちゃんと機能していないから、業績が悪化する」という理屈は成り立つかもしれない。しかし、それは「制度と業績が反比例の関係になっている」要因を説明していない。この辺りも、言いたいことが明確にならないまま書いているのが影響しているのかもしれない。

ついでにも2つほど細かい点を指摘しておこう。

記事では「いまや日本企業の株主の3割強は外国人だ」と書いているが、間違いだろう。「日本の上場企業」に関しては、株主の3割強が外国人で問題ないと思うが…。

東芝は株式上場企業で最も早く『委員会設置会社』に移行した企業統治の優等生だったが、内実は何も変わっていなかった」という記述も気になる。「委員会設置会社だから企業統治の優等生」といった前提は成り立たないどころか、むしろ逆だと筆者自身が述べていたはずだ。なのに、なぜ「優等生だった」と断定してしまうのか。「内実は何も変わっていなかった」とすれば、「ずっと企業統治の劣等生だった」と考えるべきだろう。

細かい点も気になるが、やはり問題は「誰でも思い付きそうな当たり障りのない話を日経の編集委員が新聞の1面に書いている」という点だ。記事の後半部分で、筆者は以下のように述べている。


【日経の記事】

制度や組織を整えるのは必要条件にすぎない。企業は監視機能として「危機感」や「怖い存在」を本当に埋め込んでいるのかどうかが問われている。トップの言葉と役割は大きい。企業不祥事に詳しい大分県立芸術文化短大の植村修一教授は「トップは企業のあり方を社員に語る存在。企業統治はその方向付けがあって動き出す」と話す。

企業統治指針(コーポレートガバナンス・コード)が策定され、今年は「企業統治元年」といわれている。トップが成長の目標を掲げ、社員にはっぱをかけるのは自然な行為だ。だが、行き過ぎれば組織の足元は揺らぐ。経営者には難しいかじ取りが求められる時代だ

重要なのは東芝の問題が日本国内の問題にとどまらない点である。いまや日本企業の株主の3割強は外国人だ。海外投資家が今回、日本企業に抱いたのは、企業統治の形を整えても本当に活用できるかとの疑問だ。制度や形だけつくって満足していては再び足をすくわれる。日本企業には重い宿題が残された格好だ。


制度や組織を整えるのは必要条件にすぎない」「トップの言葉と役割は大きい」。それはそうだろう。「経営者には難しいかじ取りが求められる時代だ」に関しても、今に限らないが、それもそうだろう。「制度や形だけつくって満足していては再び足をすくわれる。日本企業には重い宿題が残された格好だ」という説明にも異論はない。ただ、「そんなことは、改めて言われなくても分かってるよ」とは言いたくなる。

編集委員が1面に解説をするのなら、その編集委員だからこそ書ける何かが欲しい。「なぜこういう事態に陥ったのか」を独自の視点で解説してもいい。再発防止に向けて、思い切った案を出す手もある。そういう何かが、この記事には欠けている。何のために1面で紙幅を割いて中山淳史編集委員の署名入り記事を載せるのか。その意味をよく考えてほしい。

「急に書いてくれと言われたので…」と弁明したくなるかもしれない。それでも「自分になら書ける、自分にしか書けない話は何か」を絞り出して記事にすべきだ。無理な注文だと思うならば、編集委員の肩書は返上すべきだろう。


※記事の評価はD(問題あり)、中山淳史編集委員の評価もDとする。

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