2015年6月30日火曜日

日経 大林尚編集委員への疑問(2) 「核心」について

29日の日経朝刊オピニオン面「核心~人らしく逝くという選択  多死社会への備えあるか」について引き続き指摘していく。


【日経の記事】
ルクセンブルクの環状城壁からの景色
             ※写真と本文は無関係です

自殺を手助けする非政府組織(NGO)がスイスにあると聞いた。訪れて話を聞くと自殺幇助(ほうじょ)という、おどろおどろしい法律用語とは無縁の活動がみえてきた。「私たちがサポートしているのは、やむにやまれず死期を早める選択をした人です」。ベルンハルト・スッター代表の言葉である。

その団体exit(エグジット)はチューリヒの住宅街の一角、3階建ての小さなビルに入っていた。外壁一面がオフホワイトに塗られ、デザイナーズ・マンションのようだ。看板や表札はない。改めて辞書を引き、exitが「(遠回しに)この世を去ること」を意味するのを知った。

どんな団体か。数字で確認しよう。スタッフ70人に対し会員数は12万人。会員資格を持つのは18歳以上のスイス居住者。年会費は45スイスフラン(約6000円)だ。自らの死への考えをあらかじめ書面に残すリビングウイルを表明する人は年2万人。会員はサービスを無料で受けられる互助組織だ。

会員のなかで昨年1年間に死を望んだ人は約3000人いた。カウンセリングの結果、考えを改めたのが2000人。残る1000人にはさらに丁寧にカウンセリングをする。400人は考えを改め、600人が死を選択した。「何はともあれ、まず死以外の選択を勧めます」(スッター氏)

これまでに考えを改めた人は次の選択をした。

▽親を亡くしたばかりの男性ウェブデザイナー(41)→リビングウイル表明

▽初期認知症の女性(62)→カウンセリング継続

▽意識不明に陥った夫(75)に関する妻(55)の希望→法的な支援を提供

過去に度重なるカウンセリングの末、死期を早める選択をしたひとりがティーズ・ジェニィ氏だ。起業家であり、スイス議会議員でもあったジェニィ氏は、61歳で末期の進行性胃がんが見つかった。exitのサポートを受けて自ら命を絶ったのが62歳のとき。「人間らしく逝く。それに精力を傾注します」とスッター氏。

使う薬はNaP。服薬後3分で催眠状態に陥り、20分の間に静かに息を引き取る。この薬を使えるのは、自分で飲む、あるいは自分で注射する意志と力がある人に限る。第三者が手を出すのはご法度。家族の力を借りるのも認めない。認知症患者の多くは自分の意志で服用できないのでサポートの対象から外れる。


◎自殺幇助と無縁?

大林編集委員はNGOについて「自殺幇助という、おどろおどろしい法律用語とは無縁の活動がみえてきた」と書いている。しかし、読み進めると、自殺を望む人がNaPという薬を使って命を絶てるよう手助けをしていることが分かる。これでなぜ「自殺幇助とは無縁の活動」と感じたのだろうか。最後の段落では「同じことを日本ですると自殺幇助罪などに問われる可能性がある」とも記述している。ならばNGOの活動は自殺幇助と結び付く要素が十分にあるのではないか。


◎年会費取られても無料?

年会費6000円を取られるのに「サービスは無料」と言われても困る。例えば、年会費10万円を払えば後は追加料金なしで使い放題というスポーツクラブがあったら大林編集委員は「年会費10万円の無料スポーツクラブ」と考えるのだろうか。「会員はサービスを無料で受けられる」と言うより「会員はサービスを追加費用なしで受けられる」とした方が適切だろう。


◎意識不明の人の自殺を助けられる?

「当初は死を望み、その後に考えを改めた人」の事例を記事では紹介している。その中に「意識不明に陥った夫(75)に関する妻(55)の希望」という例がある。この場合、はっきりしない面もあるが、死期を早めるかどうかの対象となっているのは「意識不明の夫」なのだろう。しかし、記事によると「認知症患者の多くは自分の意志で服用できないのでサポートの対象から外れる」そうだ。ならば、NGOが意識不明の夫の自殺を助けられるはずはない。

しかも、意識不明の夫が「考えを改める」とも思えない。考えを改めたのは「妻」かもしれないが、妻がどう考えようとこのNGOに頼っても夫の死期を早めることはできない。本当に夫の安楽死を望むのであれば、相談相手を間違えている気がする。

他にも記事には問題がある。


【日経の記事】

(NGOの支援を受ける形で)こうして亡くなった人の死因をスイス政府は自殺に含めない。末期がん患者ならその病名が死因になる。

1982年のexit設立前、年間1600人程度だったスイスの自殺者は現在1100人に減った。徹底したカウンセリングの成果である。そのスイスも、医師会や教会関係者がexitを認めるようになるまでには歳月を要した。

今もし同じことを日本ですると、当然、刑法に抵触し、自殺幇助罪などに問われる可能性がある。一方で多死社会は確実にやってくる。議論をためらっている余裕はないのではないか。


◎自殺者減は「徹底したカウンセリングの効果」?

自殺者が年間1600人から1100人に減ったことを「徹底したカウンセリングの成果である」と大林編集委員は賞賛している。しかし、NGOは昨年に600人の自殺を助け、これは統計上、自殺に含めないらしい。ならば、実質的な自殺者はむしろ増えている。「統計上の自殺者が減ったんだから、素晴らしいじゃないか」と大林編集委員は言いたいのだろうか。


◎多死社会はまだ来てない?

多死社会は確実にやってくる」と書いているのだから、大林編集委員は「まだ多死社会になっていない」と考えているのだろう。

記事によると2014年の死亡者数は127万3020人で戦後最多。「国立社会保障・人口問題研究所によると、年間の死亡数が150万人に達するのは9年後」とも書いているので、「多死社会になるのは9年後」と大林編集委員は思っているのかもしれない。しかし「戦後最多の127万人の死亡者数は多死ではなくて、150万人になれば多死」と見なすことに何か意味があるのだろうか。


※記事への評価はD。大林尚編集委員への評価はEとする。記者への評価をDではなくEとする理由は(3)で説明する。

日経 大林尚編集委員への疑問(1) 「核心」について

29日の日経朝刊オピニオン面に載った「核心~人らしく逝くという選択  多死社会への備えあるか」という記事はツッコミどころが多かった。筆者は大林尚編集委員。引用が長くなるが、何が問題なのか見ていこう。

ルクセンブルクのギヨーム2世広場 ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】 

見据えるべき点が2つあるのに、その一つに目を奪われるあまり、もう一つが視界からはみ出したまま。記者自身、この種の失敗は枚挙にいとまがない。

さらに自省を込めると、2014年の人口動態統計の結果を載せた6日付本紙の報道も、そうした例かもしれない。記事中にこんなくだりがある。「今後の出生率はゆるやかな低下傾向をたどり、日本の人口減少ペースは今よりも加速する公算が大きい」(5面)

調査結果によると、女性1人が生涯に産むであろう子供数の推計値、合計特殊出生率が9年ぶりに下がり、出生数は統計史上最少の100万3532人だった。記事はこの点に比重を割くが、産声をあげる赤ちゃんが減った点だけを人口減に結びつけるのは飛躍があろう。死亡数が戦後最多を記録したもう一つの点に触れていないのだ。

その数127万3020人。海外との行き来を除く日本国内に住む日本人は差し引き26万9488人減った。1年で水戸市が消滅した計算になる。国立社会保障・人口問題研究所によると、年間の死亡数が150万人に達するのは9年後。少産に歯止めをかけ、多死への対応を急ぐ。二正面作戦は日本人に重い課題だ。

調査からは日本人の死因がわかる。多い順に(1)悪性新生物(がん)(2)心疾患(3)肺炎――。13年と同じだ。何らかの理由で意識が戻らない状態に陥り、意志に反して延命医療を受けている人もいるだろう。自然の摂理に照らすと、本来の死亡者はもっと多いはずだ。

自殺を手助けする非政府組織(NGO)がスイスにあると聞いた。訪れて話を聞くと自殺幇助(ほうじょ)という、おどろおどろしい法律用語とは無縁の活動がみえてきた。「私たちがサポートしているのは、やむにやまれず死期を早める選択をした人です」。ベルンハルト・スッター代表の言葉である。


今回の記事は大林編集委員がスイスのNGOを取材して安楽死を考える内容になっている。しかし、本題に入る前の部分にあまり意味がない。「日本の死亡数が増えてくるので多死への対応を急げ。そのためにも安楽死について考える必要がある」とつなげたいのだろうが、安楽死の問題は死亡者数の多寡と基本的に関係ない。死亡者数が減れば考える必要がない話でもないだろう。大林編集委員は記事中で日本人の死因を多い順に挙げているが、これも必要性が薄い。

推測するに「スイスのNGOへの取材で今回の『核心』を書きたい。でも与えられた行数が多いから、死亡者数が増えている話である程度はスペースを埋められたらなぁ」とでも大林編集委員は考えたのだろう。そうでなければ、この膨大な無駄をうまく説明できない。

記事の問題点はそれだけではない。

※(2)へ続く。

2015年6月28日日曜日

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(3)

(2)から続く。

上司を通じて圧力をかけても効果がないと気付いたのか、芹川洋一論説委員長からは以下の内容でメールが届いた。


【芹川論説委員長からのメール】
アムステルダムの海に浮かぶ中華料理店「シーパレス」
                   ※写真と本文は無関係です

花渕さん・鹿毛さん

いろいろ言って恐縮ですが、もうひとつ付け加えておきます。

「民主と自民が組んだときだけだ」のあと「民・自公の協力政権のかたちを探るほかない」と続けているところを読んでもらいたい。

民自公3党の協力により政治的な課題を処理していこう、というのが、我が社の社論です。「だけ」の含意は、「だけ」なのだから、総選挙後も参院選までの間は、民主・自民で部分協力の枠組みをつくって対応していけ、というものです。こうした記事は、細かいところまで考えて書いているつもりです。一方的に「だけ」を取れと言われると、考えて書いている人間からすると、ちょっと待ってくれ、となります。

もっと言えば、この記事のメッセージは、第三極に踊らされるのではなく、民・自の既成政党が将来の日本を見すえて、しっかりして、時には協力していけ、というものです。

このメッセージは政党関係者には伝わったようで、民主、自民の事務方の幹部から、反応がありました。

神は細部に宿るそうだから、細かい点はもちろん大事ですが、ぜひ筆者の意図をくみとってもらいたい。



私からも芹川氏にメールを送った。芹川氏とのやり取りはこれで終わる。



【芹川論説委員長に送ったメール】


メールありがとうございます。思うところを追加で述べてみます。

◎「問題はなかった」のか?

「記事の説明には問題があった」と今も考えています。その点を伝えるのに「こうすれば問題は生じなかった」と書くのはごく普通です。人の受け止め方は様々でしょうが、社会人としての常識を疑われるような無礼な表現とはとても思えません。それはともかく、ここでは「なぜ記事の説明に問題があったと判断しているのか」を改めて説明します。


★その1)「普通の読者」にとって自明か?

記事では「自公+第三極の政権になっても参院で過半数には届かない」とは書いていますが、「自公は小沢(日本未来の党)とは組まない」との説明はありません(示唆さえしていません)。記事を読んだ時に「自公が第三極を全て取り込んでも参院では過半数に届かないんだな」と読者が思うのは自然です。そう理解したとしても、読み手に落ち度はないでしょう。「小沢とは組まない」という前提を、芹川さんの言う「普通の読者」と共有していると考えるのは無理があります。誤解が生じるとすれば、記事中の説明に問題があるのです。


★その2)「民主と自民が組んだときだけ」か?


ユトレヒト(オランダ)のドム塔
          ※写真と本文は無関係です
最初のメールでも説明しましたが、「自公以外の勢力による連立」でもねじれ解消はあり得ます。「自民と民主が組んだときだけだ」とは言えません。記事を読んだ時に「自民と民主が組まないという前提では、どんな組み合わせでも参院のねじれは解消しないんだな」とすんなり理解した「普通の読者」はたくさんいたでしょう(私もその1人です)。「現実的には自民と民主が組んだときだけだ」と伝えたいのであれば、そう書けば済む話ではありませんか? 「『だけ』を取る」という選択は改善例の1つとして伝えたものです。筆者の意図が誤解の余地なく伝わるのであれば、他の選択でも問題はありません。


◎耳の痛い話

頂いたメールの中の「別にいろんなところから評価されたから、いいというものではないが、きょう、さまざまな反応があった中で、貴兄のメールは異色だった」というくだりが気になりました。「耳の痛い話が届きにくくなっているのではないか」と感じたからです。芹川さんの立場になれば、特に社内からは厳しい指摘を受けにくくなるでしょう。釈迦に説法だとは思いますが、立場が上になるにつれて自分を気持ちよくさせる情報しか入らなくなるものです。例えば、花渕部長に働きかけて私が委縮すれば、芹川さんの元に耳の痛い話はさらに届かなくなります。実際に、花渕部長からは社内で記事に関する議論をさせまいとする圧力をこれまでに何度も受けています。「最強のコンテンツ企業集団」を目指す日経にとって、それらは望ましいことですか? 報道機関としての自殺行為だとは思いませんか? 耳の痛い話を遠ざけるのではなく、逆にどんどん入ってくるように仕組みを改めるぐらいの気概が欲しいのです。そうでなければ、構造的な市場縮小の中で日経が衰退を免れる道はないでしょう。


6月28日の社説「懲らしめられるのは誰だろう」で日経は「反対意見を封殺せず、言論には言論で対抗していくのが民主主義である」と書いた。しかし、社内で記事に関する自由な議論ができないとすれば、言論の自由の大切さを紙面で説いても虚しく響く。ちょっと耳の痛い指摘を受けただけで上司を通じて圧力をかけるような論説委員長が論説委員会のトップに立っている現実を、日経は重く受け止めるべきだ。

念のために言っておくと、芹川氏は日経の中ではまともな方だ。上司を通じて圧力をかけたことを隠していないのは評価できる。自分の姿を隠して裏から手を回し、記事への指摘をやめさせようとする輩は日経社内にたくさんいる。こうした社内の現実を理解していれば、新聞社として「言論の自由が大切」といった主張をする気にはならないはずだ。

社内で自由な議論ができるような環境を整えるか、言論の自由の重要性を紙面で訴えるのをやめるか。日経にはこの二者択一を求めたい。


※芹川洋一論説委員長への評価はE(大いに問題あり)とする。

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(2)

(1)からの続き。

「こう書けば記事に問題は生じなかったと思えます」と芹川洋一論説委員長にメールで伝えたところ、以下のような返信があった。


デュルブイ(ベルギー)のウルセル伯爵城
                ※写真と本文は無関係です
【芹川論説委員長からの返信】

理解できていない。 安倍は石原や渡辺とは組んでも、小沢とは組まない。自公維新みんなでも過半数に届かない。現実問題として、届くのは自民に民主しかない。「だけ」なんだ。答えろと言うから、ちゃんと答えたのに、「問題は生じなかった」はないだろう。

そもそも雑報を書いているのではない。読者に訴えかけている原稿を、雑報と同じように書くわけがない。どうしたら普通の読者の頭にすっと入っていくかを考えて書いているつもりだ。それが、われわれの仕事でもある。

別にいろんなところから評価されたから、いいというものではないが、きょう、さまざまな反応があった中で、貴兄のメールは異色だった。新聞社だから、自由闊達は必要で、どしどし遠慮なく意見していいと思うし、言論の自由とは、言論の自由を否定するものをも認めることだ、と考えている。

だから、貴兄のメールはそれとして受けとめ、返事をした。しかし、そこには礼儀というものがあるはずだ。「問題は生じなかった」はないだろう。

花渕部長は編集局でも指折りの人格者で、見識もあり、仕事を一緒にやって、小生、畏敬の念を抱いている後輩だが、あえてCCで送っておく。花渕さん、煩わせて申し訳ありません。


ここで出てくる花渕敏氏は当時の私の上司だ。芹川氏としては「お前、何様のつもりだ。腹が立ったので、お前の上司にこの件を報告しておく。少しは自分の立場を考えろ」と伝えたかったのだろう。芹川氏からメールを受け取った花渕氏は、もちろんすぐに行動を起こした。以下は花渕氏が芹川氏と私に送ったメールの内容だ。


【花渕氏からのメール】

芹川論説委員長さま

花渕です。ccメールを拝受いたしました。
小生の目が行き届かなかったことも含め、申し上げる言葉が見つかりません。選挙戦に突入してきわめてご多忙ななか、わざわざご指導を頂戴しながら、ご不快な念を抱かせてしまいましたこと、誠に申し訳なく存じます。

外出先から直帰してしまいましたので、取り急ぎメールにて失礼いたします。

追って鹿毛さん

「個人的な判断で送付しており業務上の対応は不要」とありますが、芹川論説委員長に限らずこういうメールが送られた相手の方々は業務として対応されるわけです。何度も伝えていますが、明日おはなしします。どこに落ち度があったのか(あるいは「なかった」と考えるのか)、自らをふりかえっておいてください。


こうなるのは見えていた。社内の立場を考えれば、花渕氏は芹川氏に謝罪し私に圧力をかけるしかない。芹川氏の狙い通りだろう。問題は、上司を通じて圧力をかけるのが新聞社の論説委員長として適切かどうかだ。私としては、圧力に屈するわけにもいかないので、「自分の指摘に問題はないと考えている。芹川氏に謝罪するつもりはない」と花渕氏には伝えた。そこは芹川氏にとって予想外のようだった。

※(3)に続く。

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(1)

メディアにとって、言論の自由が重要なのは言うまでもない。しかし、それを語る資格が自らにあるかどうかは厳しく問う必要がある。日経は28日の社説「懲らしめられるのは誰だろう」では、自民党勉強会での出席者の発言を厳しく批判し「反対意見を封殺せず、言論には言論で対抗していくのが民主主義である」と訴えている。しかし、日経にそんなことを言える資格があるだろうか。少なくとも芹川洋一論説委員長(今回の社説にも関わっている可能性が高い)にはない。少し古い話になるが、なぜそう言えるのか説明してみよう。

2012年12月5日の朝刊1面に「『明日の日本』判断を」という記事を書いたのが芹川氏だ。その中に以下の記述がある。


【日経の記事】
北海のビーチリゾート スヘフェニンヘン(オランダ)
                 ※写真と本文は無関係です

ところが、民主党政権がつづいても、自公政権か、自公+第三極の政権になっても、参院の構成は同じだから、いずれも過半数には届かない。衆参のねじれ状況がつづく。衆院選をやっても政治の局面は転換しない。それが変わるのは民主と自民が組んだときだけだ


この説明は誤りだ。当時の議席分布を基に考えると「自公+第三極」でも過半数は確保できる。そこで芹川氏に「記事の説明は誤りではないか」とメールで指摘した。すると「安倍や石原が小沢と組むことはあり得ない」との回答があった。つまり、芹川氏の言う「自公+第三極」とは「自公+自公と組む可能性のある第三極」だそうだ。しかし、記事中にそうした説明はない。そこで、芹川氏に以下の内容のメールを送った。


【芹川論説委員長に送ったメール】

早速の回答ありがとうございます。

なぜ記事のような書き方になったのか理解できました。「自公に日本維新の会を加えた政権になっても…」「それが変わるのは民主と自民が組んだときだ」(「だけ」を取ってます)などと書けば、問題は生じなかったと思えます。


このメールに対し、芹川氏から反応があった。そして、それは新聞社の論説委員長から出てくるとは思えない内容だった。

※(2)へ続く。

2015年6月27日土曜日

週刊ダイヤモンドを格下げ 櫻井よしこ氏 再訂正問題で

日本の経済メディアで最も質が高いと認定していた週刊ダイヤモンドへの評価を引き下げる。Aだった格付けを週刊東洋経済と同格のA-に変更する。訂正記事での誤りを指摘されても無視して握りつぶし、読者の信頼を裏切ったことが主な理由。6月6日号の特集「流通最後のカリスマ 鈴木敏文の破壊と創造」の内容に問題が多かった点なども考慮した。

ダイヤモンド5月30日号のコラム「オピニオン縦横無尽」に2カ所の誤りがあり、6月13日号に訂正記事が出た。しかし、これにも誤りがあったので、田中博編集長と田島靖久副編集長(コラム担当者)に再訂正を求めたが、3週間待っても回答はない。筆者の櫻井よしこ氏のホームページにも同様の問い合わせをした。こちらも1週間以上が経過しても反応はない。

このため、明らかな誤りがあったのに握りつぶす方針だと推定して、田中編集長への評価をF(根本的な欠陥あり)とする。暫定でD(問題あり)としていた田島副編集長の評価もFに引き下げる。櫻井氏への評価もE(大いに問題あり)からFに変更する。

※今回の件に関しては「ダイヤモンド編集長へ贈る言葉」「櫻井よしこ氏へ 訂正の訂正から逃げないで」「櫻井よしこ氏のコラム 『訂正の訂正』は載るか?」「ダイヤモンド『鈴木敏文』礼賛記事への忠告」などを参照。


ダイヤモンド格下げ後の格付けは以下の通り。


スヘルデ川西側から見たアントワープ市街(ベルギー)  ※写真と本文は無関係です
【経済メディア格付け】

週刊ダイヤモンド(A-)
週刊東洋経済(A-)
週刊エコノミスト(BBB)
FACTA(BBB)
日経ビジネス(BB+)
日本経済新聞(BB)
日経ヴェリタス(BB)
日経MJ(BB-)
日経産業新聞(BB-)

※2015年6月27日時点

ピークは2013年? 日経「ゴルフ会員権 価格低迷」

仕方ないのかもしれないが、「これまでの経緯をあまり知らない記者が書いていて、デスクもそこを補ってあげられないんだろうな…」と思わせる記事が27日の日経朝刊企業総合面に出ていた。「ゴルフ会員権 価格低迷」という記事の中身は以下のようになっている。


【日経の記事】

リエージュ(ベルギー)のプリンス・エベック宮殿
                 ※写真と本文は無関係です

ゴルフ会員権の取引価格が低迷している。関東圏の平均価格は年初比で3%下落した。団塊の世代の高齢化に伴いゴルフをやめる人の売却希望が増えている。日経平均株価の上昇局面ではゴルフ会員権相場も上がってきたが、ゴルフ市場の構造変化で相関性が薄れているようだ。

関東ゴルフ会員権取引業協同組合(東京・千代田)がまとめた関東圏の平均価格(指定150コース)は206万5千円で、年初比6万6千円下落した。ピークだった2013年5月に比べると27%(76万4千円)下がった。仲介大手の住地ゴルフ(東京・中央)が算出している全国平均価格も121万円となり、13年5月比で11%下落した。日経平均株価が5割上昇したのと対照的だ。

ゴルフ会員権相場は、日経平均株価が上昇局面に入った12年12月から一時的に上がったが、13年5月をピークに下げが続く。業績が上向いた企業が含み損を抱えた会員権の売却に動いたことや、優遇税制の廃止をにらんだ個人の売りが重なった。



この分野に詳しくない人が記事を読んで、「ゴルフ会員権の相場は2013年が最高値だったのか。バブルの頃より2年前の方が高かったんだなぁ…」と勘違いしたとしても、読者を責めるのは酷だ。ゴルフ会員権相場は2013年よりバブル期の方がもちろん高い。関東圏指定150コースの「ピーク」は1990年のようだ。

日経には「記事の説明は誤りではないか」と問い合わせている。しかし、日経は読者の問い合わせに対しまともな対応をしない方針のようなので、きちんと回答してくる可能性はほぼゼロだ。記者など当事者に話を聞けば、「『直近のピーク』という意味で『ピーク』と書いた」と弁明しそうな気はする。しかし、そうは書いていないのだから「間違いか」と問われれば「間違いです」と答えるしかない。

最後の段落で「会員権が『投資ではなく実需で動く商品になった』(仲介大手の桜ゴルフ)ことで、ゴルファーの高齢化と競技人口の減少の影響を直接受けるようになった」と書いているのも、「この記者は分かってないのかな」と思えた理由の1つだ。いつからと明確に言えるわけではないが、プレーもしないのに値上がり益を期待して会員権を買うといった動きがほとんどなくなったのは、ここ1、2年の話ではないはずだ。軽く10年は経つだろう。しかし記事では、まるで最近の状況変化のように書いている。

せっかく記事で取り上げるならば、「団塊世代撤退の影響」と「株価との連動性の消失」の、どちらかに絞って分析をした方がよかった。しかし、踏み込んだ分析ができるほど記者は市場を理解しているのかと言われると、ちょっと苦しい。


※記事の評価はD(問題あり)。

2015年6月26日金曜日

日経「働きかた Next~女性が創る」に感じた疑問(2)

引き続き26日付の「働きかた Next~女性が創る(4)」について疑問点を挙げていこう。


◎0歳児保育は家事代行サービス?

「0歳児保育」とは「家事代行サービス」に含まれるのだろうか。記事からは、そうとしか解釈できなかった。具体的には、以下のように書いてある。


【日経の記事】
アムステルダム(オランダ)の運河 ※写真と本文は無関係

日本では家事や育児を他人に委ねることに否定的な風潮が強い。経済産業省が昨年6月に25~44歳の女性に聞いた調査では、家事代行サービスの利用経験がある人はわずか3%だった。だが急速に広がる日本企業の海外展開が、そんな意識を変えるかもしれない

住友商事に勤める出浦直子(33)は昨年12月、赴任先のタイで長男を出産した。日本では1年程度の育児休業を取るのが一般的だが、出浦は0歳児保育を使い、8週間で職場復帰した。「タイでは当たり前。同僚も同じように働いており、不安はなかった」。来月からは会社が新設した補助でベビーシッターを雇う。


出浦さんの話は、海外で家事代行サービスを利用した例なのだろう。しかし、記事を読むと利用したのは「0歳児保育」だ。これは保育所で0歳児を預かってもらうことを指しているはずだ。しかし、一般的には子供を保育所に預けても「家事代行サービスを使用した」とは言わない。仮に保育所の利用も家事代行サービスだとすれば、日本で家事代行サービスの利用経験がある人が「3%」に留まるとは思えない。

そもそも、0歳児保育やベビーシッターは日本でもそれほど珍しくない。記事では「日本では家事や育児を他人に委ねることに否定的な風潮が強い」と書いているが、家事はともかく育児はどうだろう。これだけ多くの保育所があって、待機児童が社会問題化しているほどなのに「育児を他人に委ねることに否定的な風潮」がそんなに強いのだろうか。


◎フィリピンでは家事をシェア?

フィリピンは『先進国』 家事、他人とシェア」という見出しも引っかかる。記事の終わりの方に代官山のシェアハウスで母親同士が助け合う話が出てくる。これは「家事を他人とシェア」と言える。しかし、見出しからは「家事をシェアするという点でフィリピンは先進国」との印象を受ける。実際にはメイドを雇って雇い主が家事の負担を軽減している事例しか出てこない。「家事のシェア」という言葉を使うと「家事負担の共有」だと受け取ってしまう。「あなたの家事を一部こちらで引き受けます。その代わりに、あなたも私の家事を一部肩代わりしてね」というのが「シェア」ではないのか。しかし、メイドやハウスキーパーと家事を「シェア」している人は皆無に近いだろう。


◎ちょっと宣伝くささが…

【日経の記事】

昨年7月に開業したタスカジの利用者はすでに1500人。料金は1時間1500円からと、3000円程度かかる他の家事代行より割安だ。取り次ぎに徹し、自社でハウスキーパーを抱えないので安くなるという。


家事代行マッチングサイトのタスカジを記事で使うのは悪くない。しかし、「日本人はもっと家事代行を利用してもいいのでは」と提案する中で、タスカジの優位性を強調するような記述はどうかと思った。宣伝くささが鼻につくと言うか…。特に以下のくだりだ。「この記事を読んで家事代行を利用してもいいかなと思った読者のみなさん。タスカジは安くていいですよ」と行間から声が聞こえてきそうだ。

※ここまで細々と注文を付けてきたが、決定的な問題はない。記事への評価はC(平均的)とする。

日経「働きかた Next~女性が創る」に感じた疑問(1)

日経朝刊1面の連載「働きかた Next~女性が創る」で26日付の見出しは「フィリピンは『先進国』 家事、他人とシェア」。記事の出来はそれほど悪くないが、気になる点がいくつかあった。列挙してみたい。

デュルブイ(ベルギー)のフォワール広場
                ※写真と本文は無関係です
◎メイドとハウスキーパー

「メイド」と「ハウスキーパー」は完全に同義ではないようだが、基本的には「お手伝いさん」や「家政婦」を指すようだ。記事では、フィリピンで働くフィリピン人のお手伝いさんを「メイド」と称し、日本で働くフィリピン人のお手伝いさんを「ハウスキーパー」と呼んでいる。実際の記事を見てみよう。


【日経の記事】

ホテルとの打ち合わせ、英会話学校とのイベント企画、社内ミーティング。各地をめまぐるしく動き、帰宅は午後8時をすぎることも多い。仕事に集中できるのは2人のフィリピン人メイドが子どもの世話や家事をしてくれるためだ。

 費用は月に3万円程度かかるが「ここでは働く女性がメイドを使うのは一般的」。世界経済フォーラムが調べた女性管理職比率は日本は11%なのにフィリピンは48%。世界トップクラスの原動力は家事の代行や育児支援サービスにある。

(中略)

外国人に家事を委ねる機運は国内でも出てきている。医療シンクタンクに勤める土井甲子(31)は6月初旬の休日、家事代行マッチングサイト「タスカジ」を使い、フィリピン人ハウスキーパーに自宅の掃除を頼んだ。

 「次は何をしましょうか」。夫が日本人で永住権を持つロドラ(39)は日本語で土井の指示を仰ぎ、居間や風呂場を掃除していく。その間、2歳の長男と遊んだ土井は「子どもとたくさん触れあえて、心に余裕ができた」。日本人キーパーも選べたが「子どもが英語に触れる良い機会」とあえて外国人にしたという。


記事を読んでも、なぜ「メイド」と「ハウスキーパー」を使い分けているのか分からない。仕事の中身にそれほど大きな違いはなさそうだ。深い意味がないのならば、用語は統一した方がいい。意図的に使い分けているのならば、なぜ使い分けているのか読者に伝わるよう工夫すべきだろう。

ついでに言うと、「『子どもが英語に触れる良い機会』とあえて外国人にした」のであれば、フィリピン人ハウスキーパーのロドラとは日本語で話さない方がよいのに…とは思ってしまう。



◎不明確な修飾

記事を書くときは、修飾・被修飾の関係が明確になるよう気を配ってほしい。今回の記事には「夫が日本人で永住権を持つロドラ(39)は日本語で土井の指示を仰ぎ、居間や風呂場を掃除していく」とのくだりがある。この書き方では「永住権を持つ」のが「夫」なのか「ロドラ」なのか断定できない。筆者の意図としては、永住権を持つのは「ロドラ」だろう。だとすれば「日本人男性と結婚し永住権を持つロドラ」などとすれば問題は解消する。今回の場合、読者に誤解を与えるリスクはほぼないものの、記事を書く上での基本として押さえておいてほしい。

※(2)でさらに指摘を続ける。

2015年6月25日木曜日

「税金考」を考える(6) ~「農地の適正課税滞る」

24日の日経朝刊1面「農地の適正課税滞る」と5面「税金考~農地税制 経済成長の壁に」に関する指摘をさらに続ける。


◎耕作放棄地をどうやって判定する?
アムステルダム(オランダ)のサルファティ公園
     ※写真と本文は無関係です


耕作放棄地に関する日経の報道でそもそも疑問なのは、耕作放棄地をどうやって判定するかだ。

5面の記事では「放棄地は必ず農地から除外するなどの改革が必要になってきそうだ」と書いている。ビルを建てたり、舗装して駐車場にしたりすれば「農地だ」と主張するのは不可能だろう。しかし、耕作放棄地だとそうはいかない。一見して明らかな耕作放棄地だと思えても、所有者が「畑を休ませているだけだ。来年は耕作を再開する」と主張すれば、簡単には否定できない。「種をまいたけれど芽が出ない」と言い張ることもできそうだ。実際に土地を休ませたり、栽培に失敗したりしている農家もいるだろうから、色分けは容易ではない。

自分が耕作放棄地を持っていたら、農地として認めてもらうために、何か手のかからないものを栽培するかもしれない。ヒントとなるのが6月3日の「税金考(2)~貴族になりたい 放棄地でも評価額134分の1」 という記事だ。


【日経の記事】

千葉県南房総市。初夏の風にそよぐ竹林の音が心地良いが、すぐ隣に自宅を構える坂本寿成さん(73)には不愉快な雑音だ。「イノシシの親子が7匹でタケノコを食べに来る。帰りにうちの田んぼを荒らす」

かつてのトウモロコシ畑は数十年放置されたあげく、竹が生い茂った。「伐採してもらいたい」。坂本さんはこう思うが、持ち主は行方が分からない。

全国40万ヘクタールと滋賀県の面積に匹敵する耕作放棄地。千葉は県面積に占める放棄地が3.5%と最大だ。放置しておくのは「税金が安いから」(坂本さん)だ。


ここでは、竹林を取材班の判断で耕作放棄地と断定している。しかし、持ち主が「タケノコを採るために竹林を育てている」と主張したら、何を根拠に耕作放棄地と仕分けするのだろう。もちろん、細かく基準を決めれば判別も可能かもしれない。しかし、財政面の制約があって確認作業に人を割けない中で、簡単にできるとは思えない。日経は「放棄地は必ず農地から除外する」と言うが、仕分け方の妙案はあるのだろうか。少なくとも、今回の記事には何も書いていない。


◎新たな担い手が土地を確保できない?

耕作放棄地の税負担が軽い→農業の新たな担い手が農地を確保できない→大規模化が進まず、農業の競争力が高まらない--と日経は訴える。しかし、どう考えても理屈に合わない。1面の記事では以下のように書いている。

【日経の記事】

確認の結果、耕作放棄地が農地から平均評価額が農地の107倍の雑種地に変われば、持ち主は税負担増を避けようと売却する可能性が高まる。現況確認がおざなりなため耕作をやめた土地も農地として格安の税金で持ち続けられる。「農地の取引が進まず、新たな農業の担い手が農地を確保できずにあきらめてしまう悪循環が続いている」と農業に詳しいエムスクエア・ラボの加藤百合子社長は話す。

新たな農業の担い手が農地を確保できずにあきらめてしまう」のならば、地方で農業をやれば済む話だ。5面の記事によれば、地方には二束三文でも耕作放棄地を売りたい人がいるのだから、問題は解消する。残るのは「どうしても都市部で農業をやりたい」という人だけだ。しかし、都市部で土地を確保して農業をやるのが難しいことが、そんなに問題だろうか。

そもそも、「耕作放棄地が売りに出ないから農地を確保できない」というのも奇妙だ。借りれば済む話ではないのか。耕作放棄地の所有者にとっても、地代が入ってくるのだからメリットがある。期間を定めて契約期間終了後には確実に農地が戻ってくる貸し方もできるようなので、「一度貸したらなかなか戻ってこないのでは」と心配する必要もないだろう。日経の記事では、「十分な地代収入を得られる機会があっても、耕作放棄地の所有者が貸し出しに応じない理由」が理解できない。

まとめると、(1)地方に関しては税負担が今のままでも耕作放棄地を売りたい人はたくさんいる。だから、農業の大規模化や新規参入を税制が妨げているわけではない (2)都市部で転用に伴う大幅な値上がりを待っている所有者にとっては、税負担が多少増えても売りに出すのが合理的とは言えない (3)耕作放棄地かどうかを判断するのは難しいので、マンパワーが足りない中できちんと仕分けるのは困難だし費用がかさむ (3)今の制度の下でも耕作放棄地を貸し出した方が放置するより合理的なので、農業の担い手が土地を確保できない理由にはなりにくい--と言えそうだ。

この問題の専門家ではないので、見落としている点があるかもしれない。しかし、日経の記事からは「耕作放棄地への課税強化で農業の大規模化が進み競争力が高まる」といった未来は思い描けなかった。

結局、日経は何のために耕作放棄地への課税強化に執心しているのだろうか。

※記事の評価はD。今後は「やっぱり耕作放棄地への課税強化は必要だ」と思えるような記事を期待したい。

「税金考」を考える(5) ~「農地の適正課税滞る」

24日の日経朝刊1面「農地の適正課税滞る」と5面「税金考~農地税制 経済成長の壁に」について引き続き疑問点を述べていく。


◎税負担増で農業の大規模化が進む?
アムステルダムのダム広場に建つマダム・タッソー蝋人形館
                  ※写真と本文は無関係です

耕作放棄地も課税上は固定資産税が軽い農地と見なされ、持ち主が土地を手放さないケースが多い。農業の生産性を高める大規模化を阻む一因となっている」と日経は主張している。これが本当ならば、耕作放棄地の税負担を高めれば、農業は大規模化していくはずだ。しかし、以下の記述からすると、どうも怪しい。


【日経の記事】

放棄地といっても転用期待で放置する人が多い都市部と買い手がつかない地方では状況が違う。浜松市に放棄地を持つある男性は「二束三文でも売れるなら売りたい」と語る。


これを信じれば、田舎では耕作放棄地への課税強化などなくても、今のままで大規模化できるはずだ。「二束三文でも売れるなら売りたい」という人から、どんどん農地を買えばいい。売却に至らない耕作放棄地は、「売らない」というより「買ってくれない」と考えるべきだ。

となると、課税強化で新たに売りに出てくるのは都市部の耕作放棄地だろう。しかし、都市部にはそもそも農地が少ないのだから、耕作放棄地を買っても「大規模化」は難しそうだ。日経は「農業の競争力の強化は日本経済の再生に欠かせない。環太平洋経済連携協定(TPP)も見すえれば、喫緊の課題だ」と書いているが、例えば東京23区内の耕作放棄地を全て耕作地に変えたところで、農業の競争力強化にはほとんどつながらないはずだ。


◎課税強化で都市部の耕作放棄地は売りに出る?

日経の解説によると、都市部の耕作放棄地は税負担が軽いために商業施設や道路への転用による値上がりを期待して持ち続けるケースが多いらしい。それが本当だとして、課税を強化すれば所有者は売りに出すだろうか。転用後の売却で多額の利益が期待できるのであれば、多少の税負担増では土地を手放さないはずだ。具体的なケースで考えてみよう。

Aさんは時価1000万円の耕作放棄地を保有していて、現在の固定資産税負担は年1000円だと仮定する。10年以内に商業施設ができるのが確実で、その際には保有する耕作放棄地を1億円で売却できるとAさんは確信している。そんな時、耕作放棄地への課税が強化され、税負担が10倍の年1万円になった。Aさんは土地を手放すだろうか。

税負担は10年間でも9万円しか増えない。1000万円の土地が1億円に上がると期待できるのであれば、すぐに1000万円で手放す気にはならないはずだ。もちろん、税負担を年1000万円にしたらAさんも考え直すかもしれない。しかし、極端に重い税負担は現実的ではない。都市部の耕作放棄地が日経の言うように一攫千金を期待できるものならば、そこに賭けている所有者の考えを多少の税負担増加で変えるのは難しい。

※(6)でさらに疑問点を挙げていく。

2015年6月24日水曜日

「税金考」を考える(4) ~「農地の適正課税滞る」

日経はなぜか耕作放棄地への課税強化に熱心だ。熱心なのは構わないが、日経の場合はそうなると往々にして論理展開に無理が生じてくる。24日朝刊では1面「農地の適正課税滞る」と5面「税金考~農地税制 経済成長の壁に」で、この問題を論じていた。しかし、ツッコミどころが多すぎて、とても「なるほどね」とは思えない。記事にも出てくる「政府の規制改革会議」と組んで課税強化を進めようとしているのだろうが、なぜこんな説得力の欠ける話になるのか。

リエージュ(ベルギー)の中心部に近いギユマン駅
                 ※写真と本文は無関係です
1面の記事には以下のように書いてある。

【日経の記事】

耕作放棄地の多い100市町村の9割近くが、税法が定める毎年の土地利用状況の確認調査を行わず、適正に課税できなくなっていることが日本経済新聞の調査でわかった。実態を把握できないため耕作放棄地も課税上は固定資産税が軽い農地と見なされ、持ち主が土地を手放さないケースが多い。農業の生産性を高める大規模化を阻む一因となっている

これを読むと、「土地利用状況の確認調査を毎年きちんととやるべきだ」と訴えたいのかと思ってしまう。しかし、5面の記事では様子が違ってくる。

【日経の記事】

放棄地が増える一方で、自治体の財政や人員の制約は強まっている。現況確認の頻度を現行法の「年1回」から「数年に1回」に改める一方、放棄地は必ず農地から除外するなどの改革が必要になってきそうだ。

1面の記事では、耕作放棄地の多い100市町村について、土地利用状況の確認調査を毎年はしていないとの回答が9割近かったため、「適正に課税できなくなっている」「実態を把握できないため耕作放棄地が農地と見なされている」と訴えている。それなのに、実態に合わせて現況確認を「数年に1回」に改めてはどうかと提案している。ならば、「全く調査しない」は改善すべきだとしても、「毎年せず」が9割という現状に大きな問題はなさそうだ。日経が求める改革が実現すれば「毎年せず」がおそらく「10割」になるのだから。

税制の見直しも必要なさそうに思える。1面の記事によると「確認の結果、耕作放棄地が農地から平均評価額が農地の107倍の雑種地に変われば、持ち主は税負担増を避けようと売却する可能性が高まる」そうだ。ならば、きちんと確認して耕作放棄地を雑種地に認定すれば済む。

5面の記事では、「税法の不備を改め農地税制を抜本的に見直す作業を急ぐ必要がある」と訴えている。しかし、税制の不備ではなく、確認作業という実務上の問題ではないのか。「農業委員会がその土地を農地ではないと認めない限り課税部局が別の地目に変えるのは難しい」と分析しているのであれば、税制をいじるより、農業委員会の権限や影響力を弱めるような法改正を進めた方が得策だろう。記事をいくら読んでも「農地税制を抜本的に見直す作業を急ぐ必要がある」とは感じられなかった。

※(5)でさらに指摘を続ける。

日経 太田泰彦編集委員 F評価の理由

日経ビジネスの大西康之編集委員、日経産業新聞の藤賀三雄編集長とともに、日経関係でF評価としているのが日経の太田泰彦編集委員だ。そう判断する基となった2011年11月21日の記事「日本のエンゲル係数なぜ高い」の問題部分を見てみよう。


【日経の記事】


ケルン(ドイツ)の大聖堂 ※写真と本文は無関係
先進国では忘れられがちな経済指標にエンゲル係数がある。家計の支出のうち、食費が占める割合のことだ。人が生きるために必要な食料の量は、収入によらず変わらないから、数字が大きいほど生活の水準が低いとされる。

一般に途上国ではエンゲル係数が高く、経済発展に伴って国民所得が上がるにつれて低下する。国際労働機関(ILO)によれば、ミャンマーは72.7%、インドは43.6%。食費が生活費の大半を占める国は世界にまだ多い。

日本も終戦直後(1946年)は66.7%と高かった。復興期と高度成長期は一貫して下がり続け、80年には28%になった。

ところが、ここ10年間は約23%にピタリと張りついて動かない。バブル崩壊後の家計の切り詰めで消費支出(2人以上世帯)も伸び悩み、今年も9月まで7カ月連続で前年同月比マイナスとはいえ、他の先進国と比べるとエンゲル係数が高止まりしていることが分かる。米国7.2%、ドイツ6.9%、英国11.4%など、主要国は20%以下がほとんどだ。


エンゲル係数に関しては、分子と分母で何を対象に含めるかによって数値がかなり変わってくる。基準を均した比較では、先進国の中で日本のエンゲル係数は平均的との見方が多いようだ。太田泰彦編集委員は算出基準が異なる数値を単純に比較して記事を書いていると思えた。100%の確証はなかったものの、この記事は根本的に成り立っていない可能性が非常に高い。何と言っても、タイトルが「日本のエンゲル係数なぜ高い」なのだから、エンゲル係数が先進国の中で平均的となれば、意味のない記事になってしまう。そこで当時、太田泰彦編集委員に説明を求めた。しかし、結論から言うと、逃げ回って最後まで回答しなかった。

太田泰彦編集委員は、自分の言い分にケチを付けそうもない社内の従順な人間に説明をしただけで問題を握りつぶしてしまった。社内での立場は強いのだから、そういうやり方の方が簡単だし、プライドも保てるはずだ。しかし、日経の対処方法を読者は支持しないだろう。

そこで、太田泰彦編集委員にメールを送ることにした。内容の一部を紹介する。


【太田泰彦編集委員に送ったメールの内容】

回答を待っていましたが、1週間近く経っても返事がないので「回答の意思なし」と判断しました。不適切な対応を放置するわけにもいかず、経緯を「喜多メール」と「杉田ホットライン」に投稿しておきました。とは言え、これによって何らかの変化が生じるとは期待していません。太田さんの立場は安泰なはずです。そして、その事実は日経の未来を暗示してもいます。

「社内の力関係に頼るのではなく、言葉や論理で勝負できる書き手になってほしい」という願いは捨て切れません。しかし、まともな書き手に今から生まれ変わらせる力は私にもありません。残された時間が徐々に少なくなる中で、「第2の太田泰彦」を生み出さないために自分には何ができるのかを考えていくつもりです。


2011年当時の予想通り、今も太田泰彦編集委員の立場は安泰のようだ。「日本のエンゲル係数なぜ高い」という問題の記事も、日経のデータベースにしっかり残っている。自分にもっと力があれば…という無念さは今も消えない。記事の説明に問題がないと考えているのであれば、今からでも遅くないので、きちんとした説明をしてほしい。それが実現しない限り、太田泰彦編集委員の評価はF(根本的な欠陥あり)を維持するしかない。

※太田泰彦編集委員については「問題多い太田泰彦編集委員の記事」(1)(2)参照。

2015年6月22日月曜日

日経ビジネス 大西康之編集委員 F評価の理由

日経ビジネス6月22日号の「時事深層~迷走するテレビ事業 『きゃりー』はシャープを救うか」という記事を読んでいたら、筆者が大西康之編集委員となっていた。この記事自体は可もなく不可もなくと言ったところか。若い女性に支持される「きゃりーぱみゅぱみゅ」をテレビCMに起用しても、実際に高額なテレビを購入する上の年齢層には訴えないのではないかというのが話の柱だ。

ベルギーのブリュッセル南駅周辺
            ※写真と本文は無関係です
テレビCMのキャラクターが業績に与える影響など、今時それほど大きいとも思えないが、文句を付けるほどの問題ではない。ただ、「業界全体では、テレビ事業から撤退(もしくは大幅縮小)した企業から順に業績が回復している」との説明は気になった。

例えば、パイオニアがプラズマテレビの生産を終了したのは2009年で、パナソニックは2013年のようだ。ならばパイオニアの方が先に業績回復を果たしているはずだが、そもそも同社の業績は回復したと言えるだろうか。14年にはAV事業の売却も発表しているし、いまだ経営再建の途上というのが常識的な理解だろう。「順に業績が回復している」とする大西編集委員の説明には首を傾げてしまう。

今回の記事の評価はC(平均的)だが、大西編集委員の評価はF(根本的な欠陥あり)としたい。もちろん今回の記事だけに基づく評価ではない。なぜF評価なのか。それは大西氏が日経の編集委員だった2012年まで遡る。そう言えば、F評価の根拠となる記事もシャープに関するものだった。

大西康之編集委員のF評価の根拠となっているのが、2012年5月21日付の日経朝刊総合・政治面に掲載された「迫真 危機の電子立国~シャープの決断(1)」という記事だ。その中で大西編集委員はシャープと鴻海精密工業(台湾)の提携に触れて「今年、創業100年を迎えるシャープが、日本の電機大手として初めて国際提携に踏み込んだ瞬間である」と描写した。

しかし、これは明らかな誤りだ。2012年より前にソニーとサムスンは液晶パネル事業で提携していた。この提携に関して「日本の電機大手による国際提携とは言えない」と主張するのは難しい。「本体に出資する提携ではないと、国際提携とは呼ばない」という無理のある前提を置いたとしても、NECがレノボに出資した実績が既にあったので、「シャープの件が国内電機大手で初の国際提携」との説明は成り立たない。

22日付の(2)でも大西編集委員はシャープと鴻海の提携について「日本の電機産業として初めてとなる国際資本提携」と説明している。ここでは「大手」とも限定していない。大手以外も含めれば、日本の電機メーカーが出資を受け入れた事例は珍しくない。どう考えても、記事の説明は誤りなのだ。

記事を担当した藤賀三雄氏(当時は産業部次長、現在は日経産業新聞編集長)と大西編集委員にメールを送り、記事の説明は誤りではないかと問い合わせた。しばらくして藤賀氏から回答が届いた。その内容は以下のような驚くべきものだった。


【藤賀氏からの回答】

日本の電機大手が海外企業と様々な事業提携をしているのはご指摘の通りです。シャープの場合は鴻海精密工業という台湾企業が、事実上の筆頭株主となるだけでなく、液晶パネルの最先端の技術が詰まった工場にシャープと同率で出資するという内容を含む資本業務提携です。原稿でも書いたとおり、業務提携の内容も白物家電を含めた広範なものになる可能性があります。これまでの電機メーカーの個別の事業分野に限定した提携や合弁事業とは一線を画す提携という意味で、初の国際提携と書いたものです。

出稿部としては間違いとは判断していません。連絡が遅くなって申し訳ありません。

----------------------------------------

これに納得できるはずがない。以下の内容で反論した。

【藤賀氏・大西氏に送ったメール(2012年)】

回答ありがとうございます。ただ、とても納得できる内容ではありませんでした。

「日本の電機大手が海外企業と様々な提携をしている」と認めるのであれば、シャープの件を「日本の電機大手による初の海外提携」とするのは明らかに誤りです。私が日経を信じている素直な読者ならば「シャープの件が日本の電機大手による初の海外提携」と記事で読んだ時に、「今まで日本の電機大手は海外企業と全く提携していなかったんだな」と理解します。そう思うのは、読者の理解力に問題があるからですか? その後に「日本の電機大手が海外企業と様々な提携をしているのはご指摘の通りです」と言われれば、「記事は間違いだったんだ」と思うほかありません。

「これまでの電機メーカーの個別の事業分野に限定した提携や合弁事業とは一線を画す提携という意味で、初の国際提携と書いたものです」と説明していますが、そう伝えたいなら、それが伝わる書き方を選ぶべきです。「国際提携」という言葉には「個別の事業分野に限定した提携や合弁事業とは一線を画す提携」といった意味がありますか? 単に「国際提携」と書けば、「個別の事業分野に限定した提携や合弁事業とは一線を画す提携」と読者が受け取ると思いますか?

こんな説明で通用するのならば、いい加減なことがかなり自由に書けます。例えば「イチローは日本人初のメジャーリーガーである」と綴っても大丈夫でしょう。「もっと早くにメジャーで活躍した日本人選手がいた」と指摘されても、「様々なメジャー記録を打ち立てるなど、それまでの日本人メジャーリーガーとは一線を画す活躍をしたという意味で、『イチローは日本人初のメジャーリーガー』と書きました」と弁明すれば済むわけです。自分を一読者の立場に置いてみて、この説明に納得できますか?

「世の中の人は意外に日経を信じてるんだな」と思う時がよくあります。今回の記事でも「日経が『初の国際提携』って書いてるんだから、日本の電機大手でこれまで海外企業との提携はなかったんだな」と素直に信じた読者が山のようにいるでしょう。そういう読者に対して、私は申し訳ない気持ちでいっぱいです。別に訂正を出せとは言いません。反省して、今後に生かしてほしいのです。頂いた回答には、自省のかけらも感じられません。本当に、今回の件で記事の作り手として何も問題を感じませんか?

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当時、藤賀氏からも大西編集委員からも、このメールに対する反応はなかった。このまま黙殺してやり過ごそうとする意図を感じたので、さらにメールを送った。その最後の方の内容を紹介する。

【2012年に藤賀氏・大西氏へ送ったメール(一部)】

今回の件は日経の記事のレベル(作り手のレベルとも言えます)を示す良い事例なので、経緯を編集局内の多くの人間に知らせています。ある記者からは「分かりやすさや面白さを優先して正確さを犠牲にすることは私もあります。ただ、『弁解できないほど正しさを曲げる勇気』は私にはありません」という反応が返ってきました。その言葉を借りて言うならば、入社からの長い年月を経て、我々はついに「弁解できないほど正しさを曲げる勇気」を手に入れたのです。そしてこれこそが、報道に携わろうと日本経済新聞社の門を叩いた者として、最終的に辿り着いた悲しすぎる境地なのです。

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藤賀氏からも大西氏からもこのメールに返信はなかった。「2人は記事の作り手として越えてはならない一線を越えてしまった」と言うほかない。そもそも、電機を担当する編集委員なのに、シャープと鴻海の提携を「日本の電機大手として初めての国際提携」と認識していたのであれば、あまりにお粗末だ。それだけでも評価はE(大いに問題あり)とすべきだろう。しかも、その間違い指摘を握りつぶしてしまった。記者としての基礎的資質を欠くのは自明だ。

今回、日経ビジネスの記事を読んでも、最後に「大西康之編集委員」という署名を見ると、「書く資格のない人間が書いた記事か」と反射的に思ってしまう。きちんと検証記事でも載せて反省の姿勢を見せれば別だが、越えてはならない一線を越えてしまった大西編集委員が「記事を書く資格」を回復することは、もうないだろう。現在は日経産業新聞の編集長を務める藤賀三雄氏も含め、記事の作り手としての評価はF(根本的な欠陥あり)とする。


※日経関連でもう1人、「F」と評価しているのが太田泰彦氏だ。この理由については「日経 太田泰彦編集委員 F評価の理由」で述べたい。

田中博ダイヤモンド編集長へ贈る言葉 ~訂正の訂正について

櫻井よしこ氏の連載コラム「オピニオン縦横無尽」に関する訂正記事が間違っていた件で、ダイヤモンド編集部から何の回答も得られなかった。これを受けてダイヤモンドの編集長へ読者としての意見を送っておいた。内容は以下の通り。


【ダイヤモンドへのメール】

週刊ダイヤモンド編集長  田中博様

6月13日号の「訂正とお詫び」の中で「60歳を超えると、毎年、年代層に応じて数日間の軍事訓練を受ける義務も負う」との記述を「60歳になるまで」に訂正された件で、私は再訂正を求めました。しかし、6月20日号に続き、6月27日号でも再訂正は掲載されませんでした。6月7日に訂正記事の内容が誤りであることをお伝えし、その後もメールや電話で回答を求めていますが、完全に無視されています。間違い指摘から2週間以上が経過しており、「訂正記事の内容には誤りがあるが、再訂正はしない。指摘に関しては、無視を貫く方針である」と推察するしかありません。この前提に基づいて、一読者としての意見を申し上げます。

「記事を作る側の人間には越えてはいけない一線がある」と私は考えています。明らかな誤りを握りつぶしてしまった方が組織内で大きな波風を立てずに済む場合も多いでしょう。しかし、一度そのやり方に手を染めてしまえば、記事の作り手としての信頼と資格を決定的に失ってしまいます。例えば、社外の知り合いから「訂正記事の中に明らかな誤りがあったのに、握りつぶして無視したって本当ですか?」と問われたら、何と答えますか。「雑誌編集者として後ろめたいことは何もしていません。あれは握りつぶすのが正解です」と胸を張って言えますか。


アントワープ中央駅  ※写真と本文は無関係です
訂正の訂正は避けたいという気持ちは理解できます。筆者の櫻井よしこ氏が再訂正に強く抵抗している可能性もあるでしょう。櫻井氏の機嫌を損ねて厄介な状況に追い込まれるのは、会社員として致命的なのかもしれません。そうした事情があったとしても、越えてはいけない一線を越えるべきではありません。今もダイヤモンドのサイトには、スイスの徴兵制に関する間違った記述が堂々と載っています。間違いだと気付いているのに放置しているのです。これを読者への裏切り行為と呼ばずして、何と呼べばよいのでしょう。

今回のように間違い指摘を握りつぶしてしまえば、今後の記事で企業の不祥事を批判しても説得力は皆無です。自社製品の欠陥を消費者から指摘されていたのに放置して問題を大きくしてしまったメーカーがあるとしましょう。そのメーカーを週刊ダイヤモンドの誌上で批判できますか。「社内の管理体制に問題がある」「消費者軽視の企業体質を改めるべきだ」などと書けば、その批判は自分たちにそのまま戻ってきます。しかし、取材対象に注文を付ける資格のないメディアでは、存在意義がありません。だから、歯を食いしばってでも、間違い指摘に対してまともな対応をすべきなのです。

私には「一線を越えてはダメだ」と助言することしかできません。今回の対応を見る限り、もう迷いはないのでしょう。雑誌の編集者を志した時には、明らかな誤りを握りつぶして保身へ走る側に回るとは思いもよらなかったはずです。しかし、経験を重ねる中で初心を忘れ、足を踏み入れてはいけない場所へと歩を進めてしまいました。それが残念でなりません。

堕ちてしまった向こう側の世界には、どんな風景が広がっていますか。



※しばらく様子を見るが、ダイヤモンドのメディアとしての評価は見直さざるを得ないだろう。

2015年6月21日日曜日

満足できる東洋経済の「早慶MARCH特集」

東洋経済6月27日号の早慶MARCH特集は満足できる内容だった。切り口に目新しさはないものの、総じて興味深く読めた。特に「採用担当覆面座談会~学歴フィルターの真実を語ろう」が良かった。就職活動中の学生にも参考になる中身だと思える。

ベルギーのデュルブイ  ※写真と本文は無関係です
不況で求人側が有利なときは採用の対象を早慶に絞り、MARCHまで手を伸ばさない。逆に今のような売り手市場ではMARCHが候補に入ってくる。言葉を選ばずに言えば、MARCHをバッファにしているわけだ」「地方の旧帝大よりは早慶を、関関同立よりはMARCHを採りたいというのが本音だ」といった採用担当者の発言が本物ならば、それを引き出した手腕もさすがと言うほかない。

とは言え、問題を感じる部分もあるのでいくつか記しておこう。


◎不自然な表現

特集の最初の記事「激変期を迎えた早慶MARCH」の中の「上場企業役員の出身大学ランキングでは慶応と早稲田が2トップだが、卒業生が役員になれる確率では東大に遠く及ばない(図1)」とのくだりが気になった。「卒業生数が役員になれる確率」は不自然な表現だ。「数」を抜いて「卒業生が役員になれる確率」とすべきだろう。

また、図1を見れば「確率では東大に遠く及ばない」実態が分かるのかと思ってしまうが、そうはなっていない。図1には「上場企業役員の出身大学ランキング」が出ているだけだ。東大、早稲田、慶応の大まかな学生数が頭に入っていれば「確率」の違いをイメージはできる。しかし、それを読者に求めるのは、ちょっと無理がある。


◎「浪人してまで早慶に入りたい子はもういない」?

「どこから入るのが王道か~早慶MARCH 合格への道」という記事で「浪人してまで早慶に入りたい子はもういない」という駿台予備学校の進学情報センター長のコメントを読んだ時は「そこまで言い切れるのか」と驚いた。結論から言うと、やはり大げさだ。記事では「ところが今は早慶であっても浪人は少数派。学部によって違うがおおむね6~8割が現役組だ。『何が何でも早慶』という熱烈な受験生はいなくなった」と書いている。つまり、裏返せば今でも2~4割の浪人経験者がいるわけだ。

これが事実ならば「浪人してまで早慶に入りたい子はもういない」との説明は完全に間違い。「『何が何でも早慶』という熱烈な受験生はいなくなった」という記述もほぼ誤りだ。ここまで言うならば浪人比率が少なくとも5%未満でないと説得力はない。


◎本当に「立地」が原因?

「ブランド私大は“立地”が命」という記事の中央大学に関する説明も腑に落ちなかった。記事では以下のように書いている。


【東洋経済の記事】

中央大学の凋落が著しい。2015年の志願者数は、6万9818人と4年連続で減少した。ピークだった11年と比較すると、実に2割減。MARCHの中でもその急落ぶりは目立つ。予備校や大学の関係者にその理由を問うと、たいてい同じ答えが返ってくる。「キャンパスの立地だ」と。八王子市の多摩モノレール沿線、小高い丘の上にあるのが中大多摩キャンパスだ。1978年に中央区神田駿河台から移転してきてはや37年経つが、いまだに「田舎すぎて遊び場がない」とまで学生に言わしめる環境だ。

11年がピークでそこから志願者数が減っているのであれば、「立地が原因」と言われても納得できない。移転は1978年なのだから、「なぜ立地に恵まれないのに、11年までは志願者が増えてきたの」と聞きたくなってしまう。記事では「早慶MARCHの入試合格者は今や6~7割以上が1都3県の出身」なので「アクセスのよさが重要」と説明している。しかし、それは11年でも同じようなものだろう。「なぜ11年までは良かったのに、その後ダメになったのか」をもっとしっかり分析してほしかった。

他に細かい指摘をするならば、「親世代とは一変!入試、就職、出世の新常識」という見出しもやや大げさか。特に大学の序列は、変化なしとは言わないが「一変」には程遠い。企業寿命は30年という定説に対して「大学の世界はそこまで大きくは動かない」と書いているので、作り手としても確信犯的な大げさ表現だとは思うが…。

早慶MARCH」を見出しにしているのも、若干引っかかった。「首都圏ブランド私大 今ドキ学生の生態系」という記事では早慶MARCHに上智、ICU、学習院を加えた10大学を並べて解説している。法政や中央より上智やICUの方がスペースは大きい。今回の特集は実質的には「首都圏メジャー私大特集」と呼ぶべき内容だった。


細かい注文は付けたが、特集の基本的なレベルの高さを打ち消すほどの問題ではない。記事の評価はB(優れている)。西村豪太、中川雅博、中原美絵子、福田恵介、秦卓弥、印南志帆、中山一貴、東出拓己、宮本夏実の各記者の評価も暫定でBとする。

日経「超低金利 揺れる企業年金」の苦しい内容

19~20日の日経朝刊投資情報面に連載された「超低金利 揺れる企業年金」は苦しい内容だった。(上)では「通貨高対策で0.75%のマイナス金利政策を続けるスイスで4月下旬、異例の事態が起きた。マイナス金利による目減りを嫌ったある年金基金が預金を引き出そうとしたところ、金融機関側に拒否されたのだ」と書いている。しかし、記事を読んでも、これがなぜ「異例の事態」なのか分からない。

ヴェンツェルの環状城壁(ルクセンブルク)  
               ※写真と本文は無関係です
記事には「スイスでは大量の紙幣発行が必要なこともあって預金の巨額引き出しは規制や当局の圧力などで難しい」との解説がある。元々、巨額の引き出しが規制されているのならば、引き出し拒否は当然だろう。引き出しができた方が「異例の事態」ではないのか。

(下)はさらに苦しい。まず「金利が下がると債券価格は値上がりする」と書いているが、「価格は値上がりする」は重複表現だ。「債券価格は上がる」「債券は値上がりする」としてほしい。市場関係の記事を書くならば、入社1年目に覚えておくべき基本だ。それがデスクも含めてできていないことになる。

全体の構成も無理がある。具体的に見てみよう。


【日経の記事】

年金給付を賄うには現金収入が欠かせない。本来、債券は長く持って利息を得るのが常道だ。だが、世界中で金利が極端に下がり、「債券運用のあるべき『解』が見えなくなっている」(伊藤忠企業年金基金の今沢恭弘運用執行理事)。

債券の穴をどう埋めるか。答えを探して、今沢氏のチームは昨年末から4カ月かけてロンドン、ニューヨークの運用会社を訪ね歩いた。お目当ては水道やガス、発電、交通などのインフラに投資するファンドの発掘。当初は30億円を投じ、最大100億円程度まで投資枠を積み増す計画だ。想定利回りは5~8%で、貴重な現金収入になるはずだ。

株式や債券などの従来型運用以外に手を広げる代替投資は、ここ20年ほどで急拡大した。米コンサルティング会社タワーズワトソンによると、昨年末時点で主要7カ国の年金資産(公的年金を含む)約34兆ドルの25%を占めている。

なかでも最近、存在感が高まっているのがインフラへの投資だ。京セラの企業年金は2013年度から太陽光発電ファンドへの投資を本格的に開始し、売電収益の分配を受けている。英国でも、年金基金協会主導でファンドがつくられ、小売り最大手のテスコなど複数の企業年金がインフラ投資拡大に動いている。

00年代半ばまでは日本を含めてヘッジファンドブームが代替投資の拡大をけん引したが、金融危機後に運用成績が低迷。欧米の公的年金が相次いで投資を廃止するなど今は下火になっている

脚光を浴びるインフラ投資だが、関連ファンドの市場規模は数千億ドルにとどまるとみられる。資金の急激な流入でファンド内に滞留する現金が膨らみ、大型案件の争奪戦で割高な条件の投資が増えるなど過熱感も出ている。市場規模の面だけをみても、債券やヘッジファンドなどの代役には限界がある



問題点を列挙してみる。


◎代替投資は拡大してる?

代替投資は、ここ20年ほどで急拡大した」と書いた後で「00年代半ばまでは日本を含めてヘッジファンドブームが代替投資の拡大をけん引したが、金融危機後に運用成績が低迷。欧米の公的年金が相次いで投資を廃止するなど今は下火になっている」とも解説している。これでは読者を迷わせるだけだ。後ろのくだりは「代替投資が下火」ではなく「ヘッジファンドブームが下火」だと言いたいのだろう。そうも取れるが、「投資を廃止する」の文言が「代替投資を廃止」と連想させることもあり、「代替投資が下火になった」と解釈したくなる。


◎株式投資ではダメ?

「債券での運用が難しくなり、その受け皿として代替投資、中でもインフラ投資が注目を集めている。しかし、市場規模が大きくないので限界がある」と記事では述べている。これも疑問だらけだ。まず、「債券が厳しいので代替投資へ」と言われると「なぜ株式ではダメなのか」と思ってしまう。ところが、記事には説明がない。「年金給付を賄うには現金収入が欠かせない」と書いているので、「現金収入」が関係あるのかもしれないが、株式投資でも配当収入は得られるし、売却すればもちろん現金化できる。「株式ではダメ。代替投資でないと」という理由があるならば、記事中で明示すべきだ。


◎「未曾有の運用難」?

「(インフラ投資は)市場規模の面だけをみても、債券やヘッジファンドなどの代役には限界がある」のはその通りかもしれない。しかし、だからと言って「未曾有の運用難」だとの説明には同意しかねる。既に触れたように「なぜ株式ではダメなのか」との疑問が残る。さらに言えば、代替投資では不動産やコモディティーも対象のはずだ。インフラ投資に限界があっても、「ゆえに代替投資では限界ある」とはならない。記事の筋立てに無理があるのではないか。


記事の評価はD。黄田和宏、堤正治、武田健太郎、松本裕子、野口和弘の各記者の評価もD(暫定)とする。

2015年6月20日土曜日

振れ幅 大きい? 日経「長期金利、半月ぶり低水準」(2)

19日の日経朝刊に出ていた「「長期金利、半月ぶり低水準」(マーケット総合2面)について、細かい点を指摘していく。

【日経の記事】
改修中のグラン・プラス(ブリュッセル)  ※写真と本文は無関係です

長期金利が半月ぶりの低水準に下がった18日の40年物国債の入札が「順調」な結果となり、債券需給に対する不安感が後退した。6月に入ってから長期金利と株式相場の連動性が強まっており、この日は日経平均株価が終値で1カ月ぶりに2万円を割り込んだことも長期金利の押し下げ圧力となった。ただ、引き続き振れ幅の大きい展開となる可能性がある。


 18日の債券市場で長期金利の指標となる新発10年物国債利回りは前日比0.045%低い(債券価格は高い)0.435%まで下げた。2日以来の低さだ。長期金利は直近のピークから0.1%以上下げたことになる。

財務省が同日に実施した40年物国債の入札では応札額を落札額で割った応札倍率が2.60倍となり、前回と比べて小幅に上昇した。「6月の超長期債入札は全て終わり、当面は需給の不安が台頭しにくい」(ドイツ証券の山下周氏)といい、債券の一定の買い安心感につながったとみられる。


◎「低水準に下がった」?

日本語としておかしいとは言わないが「低水準に下がった」は引っかかる。「長期金利が半月ぶりの低水準となった」でいいのではないか。


◎株安が長期金利の押し下げ要因?

6月に入ってから長期金利と株式相場の連動性が強まっており、この日は日経平均株価が終値で1カ月ぶりに2万円を割り込んだことも長期金利の押し下げ圧力となった」と書いてあると、株価の下落が長期金利の低下要因になったと読み取れる。しかし記事の終盤では以下のように説明している。


【日経の記事】

欧米金利が低下すれば内外金利差縮小を意識し、ドルやユーロに対して円高が進む。企業業績に悪影響が出るとの見方から株価が下落する。国内の長期金利は欧米金利に合わせて押し下げられる。そのため株価と長期金利が連動するようにみえているというわけだ


上記のくだりからは、「欧米の金利に連動して日本の長期金利が下がるのであって、株価下落が長期金利の低下を招いているわけではない」と読み取れる。だとすると、「日経平均2万円割れが長期金利の押し下げ圧力になった」との説明とあまり整合しない。



◎つながりが不自然では?

ただ、引き続き振れ幅の大きい展開となる可能性がある」と逆接的につないでいるのが不自然だ。その前の部分では「長期金利が下がっている」「株安が長期金利を押し下げた」などと書いているだけだ。「入札が順調であれば、振れ幅は本来大きくならないはずだ」といった前提が記者にはあるのかもしれないが、それを読者と共有しているとも思えない。


◎無駄な繰り返し

半月ぶりの低水準に下がった」と書いた後に「2日以来の低さだ」と入れる必要があるのだろうか。「18日の40年物国債の入札」「財務省が同日に実施した40年物国債の入札」と日付を2回入れなければならないのだろうか。こうした繰り返しを避ければ、記事はもっと簡潔にできる。そうした工夫を怠らないでほしい。

※記事の評価はD(問題あり)

2015年6月19日金曜日

振れ幅 大きい? 日経「長期金利、半月ぶり低水準」(1)

内輪の世界では違和感がないのだろうが、外から見ると奇妙に思えることは多い。19日の日経朝刊に出ていた「長期金利、半月ぶり低水準」(マーケット総合2面)という記事では、長期金利について「引き続き振れ幅の大きい展開となる可能性がある」と書いている。では、これまでの展開はそんなに「振れ幅の大きい」ものだったのだろうか。まず記事を見てみよう。



アムステルダムの運河クルーズ乗り場   ※写真と本文は無関係です
【日経の記事】

長期金利が半月ぶりの低水準に下がった。18日の40年物国債の入札が「順調」な結果となり、債券需給に対する不安感が後退した。6月に入ってから長期金利と株式相場の連動性が強まっており、この日は日経平均株価が終値で1カ月ぶりに2万円を割り込んだことも長期金利の押し下げ圧力となった。ただ、引き続き振れ幅の大きい展開となる可能性がある

18日の債券市場で長期金利の指標となる新発10年物国債利回りは前日比0.045%低い(債券価格は高い)0.435%まで下げた。2日以来の低さだ。長期金利は直近のピークから0.1%以上下げたことになる。


記事から「これまでの展開」を見てみよう。まず「長期金利は直近のピークから0.1%以上下げた」と書いてある。記事中のグラフで見ると、直近のピークは約1週間前。その時の0.5%強から「0.435%まで下げた」わけだ。1週間で0.1%強の金利低下は、一般的な感覚で言えば小動きだろう。グラフでは5月中頃からの長期金利を使っているが、やはり0.4~0.5%の幅を若干超える範囲での動き。これを「振れ幅の大きい展開」と言われても納得しかねる。

例えば、0.1%から一気に1%前後まで行けば、「振れ幅が大きい」と言うのも分かる。債券市場関係者の間では「最近、日本の長期金利も振れ幅が大きいね」といった会話が交わされているかもしれない。しかし、記者は読者に伝える時に、一般の人が納得できる書き方を選んでほしい。仮に、わずか0.1%の中での動きでも「振れ幅が大きい」と確信しているのならば、それを読者が納得できるように書くべきだ。

記事には他にも気になる点があるので、(2)で指摘を続ける。

(つづく)

櫻井よしこ氏 文章力でも「引退勧告」

「引退勧告」をしたこともあり、櫻井よしこ氏に関心を持つようになってきた。これまで週刊ダイヤモンドに連載している櫻井氏のコラムはほとんど読んでいなかったが、6月20日号の「オピニオン縦横無尽~ウクライナ支援で独・仏を味方に 中国を引きずりだした首相の深慮遠謀」という記事をじっくり読んでみた。やはり櫻井氏は引退した方がいい。今回は文章力に絞って櫻井氏の問題点を探っていこう。


【ダイヤモンドの記事】
ルクセンブルクの城壁の上   ※写真と本文は無関係です


中国人の思考の限界は、自由世界の国々が、力による現状変更に反対し、法による支配を掲げる正論を支持しないなど、あり得ないという国際社会の常識を理解できないことだ。

一読して読みにくい文だと分かる。「中国人の思考の限界は~理解できないことだ」という主語・述語の場所が遠い上に、その間に別の主語・述語をかぎカッコも使わずに挟んでいるからだ。

問題はそれだけではない。この書き方では、読者に作者の意図が伝わりにくい。素直に読めば、「国際社会の常識では、自由世界の国々が、力による現状変更に反対することも、法による支配を掲げる正論を支持しないことも、ともにあり得ない」と解釈できる。しかし、常識的に考えれば、あり得ないのは「自由世界の国々が力による現状変更に『賛成』すること」だろう。

筆者としては「力による現状変更に反対し、法による支配を掲げる」が「正論」を修飾していると言いたいのかもしれない。そういう解釈も不可能ではないが、普通に読めば「あれ、何言ってるの? 何かおかしくない?」と思うのが当然だ。そういう書き方が上手いか下手かは自明だろう。

文章力に疑問を抱かせるくだりは他にもある。


【ダイヤモンドの記事】

今回のG7の陰の主役は何といってもロシアだった。欧州諸国にとってロシア問題の切実さは私たちの想像を超える。メルケル独首相はプーチン大統領と直接、しかも少なからぬ頻度で、電話会談をする関係である。ドイツとロシアの協調関係は、複雑で歴史的な要素を含む独仏露三国関係において、およそいつもドイツのフランスに対するカードとなる。

ヨーロッパ諸国にとって、ロシアとウクライナの問題をどう解決するか、ロシアの拡大をどこまで抑制できるかは重大な課題であり、今回のサミットの陰の主役は紛れもなくロシアだった


今回のG7の陰の主役は何といってもロシアだった」と書いて、再び「今回のサミットの陰の主役は紛れもなくロシアだった」とほぼ同じ言い回しを使っているのも稚拙だ。「筆者は前に書いたことを忘れてしまったのかな」と思ってしまう。強調のために繰り返すのであれば「あえて繰り返すが」「重要なのでもう一度言う」などの文言を入れて、「同じことを書いているのは分かってます」と読者に伝えるべきだ。

記事の内容にも多くのツッコミどころはあるが、ここでは触れない。記事の評価はD(問題あり)とし、櫻井氏の評価もE(大いに問題あり)を維持する。

当該コラムに関する6月13日号の訂正記事に誤りと思われる部分があり、週刊ダイヤモンドに訂正の訂正を求めているが、12日間も放置されたままだ。6月18日には櫻井氏の公式ホームページにも「訂正記事は誤りではないか」と問い合わせをした。明らかな誤りを握りつぶそうとしているのは間違いないと判断できれば、櫻井氏への評価はさらに引き下げざるを得ない。

※櫻井氏に関しては「櫻井よしこ氏の悲しすぎる誤り」「櫻井よしこ氏への引退勧告」「櫻井よしこ氏のコラム 訂正の訂正は載るか?」「櫻井よしこ氏へ 『訂正の訂正』から逃げないで」「ダイヤモンド編集長へ贈る言葉 ~訂正の訂正について」でも言及。

2015年6月18日木曜日

「松井投手は中継ぎ転向」? ~ダイヤモンド 「洞察」

経済記事ではないが、ダイヤモンド6月20日号のコラム「洞察(52) 責任を負わない解説者と常に勝負が懸かる指導者」に気になる記述があったので、同誌に問い合わせてみた。記事と問い合わせの内容は以下の通り。


【ダイヤモンドの記事】
ノートルダム大聖堂(ルクセンブルク)
          ※写真と本文は無関係です


機会があれば話を聞いてみたいのは、楽天の大久保博元監督だ。今季から中継ぎに転向させた松井裕樹投手が先発への希望を口にしたときには「まだ、自分で選べるピッチャーじゃないだろう」と話したという。これには納得させられた。大久保監督の思い切った采配にはいつも注目している。一度お話をお聞きして興味深かっただけに、“勝負師”の秘訣をまた詳しくうかがいたいと思っている。


【問い合わせの内容】

6月20日号のコラム「洞察」についてお尋ねします。筆者の宮本慎也氏は「話を聞いてみたいのは、楽天の大久保博元監督だ。今季から中継ぎに転向させた松井裕樹投手が~」と書いておられます。しかし、松井投手は今季の開幕から抑えとして活躍しています。大久保監督は松井投手の中継ぎ起用を打ち出した時期もあったようですが、開幕前には「抑えは松井」と明言し、実際に抑えとして使っています。記事からは「今季の松井は中継ぎ」としか読み取れません。記事の説明は厳しく言えば誤りで、甘く見ても「読者に誤解を与える説明」だと思えます。編集部としてどう判断しているのか教えてください。


問い合わせたのは15日で、18日までに回答はない。ダイヤモンドも日経と同じように、まともな回答をしないメディアになっていく予感がする。そうならないよう祈りたい。

他に記事中で気になった点を1つ指摘しておく。「機会があれば話を聞いてみたいのは、楽天の大久保博元監督だ」と書いてあると、「筆者はまだ大久保監督に話を聞いていないのだろうな」と思ってしまう。しかし、読み進めると「一度お話をお聞きして興味深かっただけに」と出てきて、やや混乱した。「機会があればまた話を聞いてみたいのは~」とすれば問題は解決しそう。

記事の評価はC(平均的)。筆者の宮本慎也氏は野球解説者で、実際は宮本氏への取材を基にダイヤモンドの編集者が執筆しているのだろうと推測している。このため、宮本氏への書き手としての評価は見送りたい。

※結局、回答はなし。

「運用実績での選別不可欠」? 日経 増野記者への疑問

18日の日経朝刊投資情報面にまたも「投資初心者に読んでほしくない記事」が出ていた。筆者の1人は増野光俊記者。この記者が書いた4月22日の日経朝刊M&I面の記事「スゴ腕投信、どう探す?」と同様の問題点が今回も見られた。今回の「投信100兆円時代(下)」では「運用実績での選別不可欠」との見出しを付けて、以下のように書いている。

アムステルダム(オランダ)の運河  ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

投資家に変化の兆しもある。大阪府の会社員、柏原宏行さん(49)は厳選の結果、世界ヘルスケア企業などに投資する投信を200万円分買った。過去の運用成績や将来性が決め手。「長期保有するつもりなので一時的な市場の流行でなく、実績が重要だと思った



記事を読むと、特に投資初心者は「投信を選ぶ時には過去の運用成績に基づいて決めた方がいいんだな」と思ってしまうだろう。しかし、運用実績をいくら丹念に調べても、将来得られるリターンを高める効果はまずないはずだ。以前に増野記者の「スゴ腕投信、どう探す?」に対して書いた内容をあえて繰り返してみる。


【増野記者の記事に対する過去のコメント】 ※「投資初心者に読んでほしくない記事」参照

過去の運用成績が優れたファンドに投資する戦略を採用しても、ベンチマークを上回る運用成績を得られる確率を高められないことは広く知られている。将来の運用成績が優れているファンドを事前には見つける方法は原則としてない。投資初心者の投信選びに際しては、この事実を知らせるのが非常に重要だと思える。

過去の運用成績が優れているファンドの中に、将来もベンチマークを安定的に上回るノウハウを持っているケースが絶対にないとは言えない。それを見分けられる方法があるのならば、記事で「スゴ腕投信」の探し方を指南してもいいだろう。しかし、筆者である増野光俊記者も、そんな方法は知らないはずだ。「投資初心者はこの記事を読むな。仮に読んでも信じるな」と声を大にして訴えたい。


今回の「投信100兆円時代」では、もう1つ気になった。「商品の多様化」をどう評価しているのかという点だ。

(上)では「商品多様化 広がる担い手」との見出しを付け、以下のように説明している。


【日経の記事】

国内の低金利が続き、公社債投信の割合はこの10年で29%から18%に減った。少しでも高いリターンを求める個人が向かったのが海外債券や海外株など外貨建て資産に投資する投信。両者の合計額は10年前の2.3倍に膨らんだ。投信を通じた国際分散投資が進み、個人は円安による為替差益でも資産を膨らませた。(中略)そして今回のアベノミクス相場で訪れた「第3の波」。従来と違うのは商品の多様化と個人の長期投資の視点だ。


これだけ読むと、商品の多様化を前向きに評価しているとしか思えない。しかし、(下)では様子が違ってくる。


【日経の記事】

もっとも投信市場の変化は道半ばだ。米欧にない特異な現象が「新ファンド」の強い人気だ。

高利回り債投信、ブラジルレアル投信、豪ドル債投信、インフラ投信、REIT(不動産投信)投信……。新しいテーマが次々と登場し、実績がない新ファンドが売れ筋上位に並ぶ現象が続く。証券会社や銀行が「売りやすいファンド」の販売を優先している結果だ。


結局、商品の多様化をどう評価しているのか分かりにくい。新ファンドが不人気であれば、商品の多様化は進みにくいはずだ。「商品の多様化は新たな投資家を呼び込み、市場の拡大に寄与したが、好ましい面ばかりではない」と解釈すれば矛盾はない。ただ、(上)と(下)で正反対とも取れる書き方をされると、読む方としては戸惑う。

今回の連載の分担を勝手に推測すると、(上)は野口和弘記者、(下)は増野光俊記者だろうか。(上)から(下)へスムーズに読めるよう、すり合わせは両記者でしっかりしてほしかった。もちろんデスクにも責任はある。

※記事の評価は(上)がC(平均的)、(下)がD。記者の評価は野口記者を暫定でC、増野記者をD(問題あり)としたい。

2015年6月17日水曜日

年産量は「200トン」? 日経「プラチナ、長引く逆転相場」(2)

引き続き、ツッコミどころの多い「プラチナ、長引く逆転相場」という日経の記事(17日付朝刊マーケット総合2面)に注文を付けていく。

◎「生産量 年間200トン」と言われたら…

プラチナの生産量は年間200トン」と書いてあったら、どう理解するだろうか。記事では「年間」がどの年を指すのかには言及していないし、「約200トン」でも「200トン前後」でもなく「200トン」と言い切っている。普通は「プラチナの年間生産量は200トンでほぼ一定」と読み取るだろう。「直近の2014年の生産量は200トン」と補って解釈する読者もいるかもしれない。

ヴェンツェルの環状城壁(ルクセンブルク)  ※写真と本文は無関係です
調べてみると、プラチナの生産量は2012年=176トン、13年=180トン、14年=159トン、15年見通し180トンのようだ。ネットで見つけた情報なので、どの程度正確なのかは分からない。ただ、この生産量がおおむね正しいとすると、日経の説明は誤りになる。12年以降の生産量はピッタリ200トンではもちろんないし、「約200トン」「200トン前後」とも言い難い。ちなみに、11年の生産量は201トンのようだが…。

日経にはこの件で「記事の説明は誤りではないか」と17日午後5時頃に問い合わせをした。しかし、まともな回答が届くことはないだろう。


◎金は需給と無関係?

記事中の「プラチナは排ガス触媒の素材として欧州のディーゼル車で使われるため、原油と同じように需給も投資判断の材料になる」との説明は非常に引っかかった。「これを書いた記者は根本的に分かっていないのではないか」と疑わざるを得ない。

金とプラチナを比較する中で、「プラチナは原油と同じように需給も投資判断の材料になる」と言われると「では、金相場は需給と無関係に動くのか」と問いたくなる。市場で価格が決まる場合、投資対象が何であろうと需給は投資判断の材料になる。プラチナも原油も金も同じだ。もちろん、需給以外の要素をどの程度見る必要があるかには差も出るだろう。

記者が「原油とプラチナは需給を見ないと分析できないが、金は別」と考えているのならば、まともな市場関連記事を書ける見込みは限りなくゼロに近い。


◎「憶測」の意味 分かってる?

「憶測」とは「確かな根拠もなく、いい加減に推測すること」という意味だ。それが分かっているのか疑わしい記述があった。

【日経の記事】

デフォルト(債務不履行)が懸念されるギリシャも中銀が定額積み立てのように少しずつ金を買い進める。ユーロの下落が鮮明になり始めた11年5月から買い始めており、「ユーロを離脱して通貨、ドラクマの復帰を念頭に金を保有して一定の信用力を担保しようとしている」(亀井氏)という臆測は根強い。


記事では金融・貴金属アナリストの亀井幸一郎氏という市場関係者のコメントを使っている。亀井氏は取材に協力して金市場に関するコメントをしてくれているのに、その見方を「憶測」にしてしまうのは感心しない。「観測」あたりが適切だろう。

付け加えると、「ユーロを離脱して通貨、ドラクマの復帰を念頭に金を保有して~」という記述は日本語としてやや不自然だ。例えば「ユーロを離脱して自国通貨ドラクマを復活させる事態を念頭に金を保有して~」としてはどうだろうか。


最後に…


市場関連記事は本来ならば日経の得意分野のはずだ。なのに、この完成度の低さ。記者だけの問題ではない。こういう記事を経済紙のアタマ記事に仕立てていることに、デスクや部長、あるいはもっと上の編集局幹部は何の痛痒も感じないのだろうか。猛省を促す意味もあり、記事の評価はE(大いに問題あり)とする。

金は安全資産? 日経「プラチナ、長引く逆転相場」(1)

「記事の作り手は市場に関する理解が決定的に欠けているのではないか」と思える記事が17日の日経朝刊に出ていた。マーケット総合2面の「プラチナ、長引く逆転相場」 というアマタ記事は、ツッコミどころが多すぎる。経済紙で市場動向を扱う記事がこのレベルでは、ちょっと救いようがない。具体的に問題点を挙げていこう。

◎貴金属投資はそんなに安全?

アムステルダム(オランダ)の運河  ※写真と本文は無関係です
用語辞典で「安全資産」の意味を調べると、「資産から得られる収益を確実に予測することができる資産である。つまり、収益の金額、支払時点の双方ともに確実な資産である。無リスク資産とも呼ばれる」と出てくる。これに従えば、金もプラチナも当然、安全資産ではない。

しかし、記事では「安全資産といわれる金は安値圏で中央銀行の買い付けが相場を下支えする」「金をはじめとする貴金属は安全資産として投資される」と説明している。

貴金属がなぜ「安全資産」なのか記事中に説明はない。仮に「債券や株式と違って信用リスクがないから」と考えているとすれば、貴金属を含めコモディティーへの投資は全て「安全資産への投資」となる。しかし、「原油先物に思い切って資金を投じてみませんか。安全資産への投資なので安全ですよ」と言われて、納得できるだろうか。

貴金属への投資を促したい業界側からは、「金=安全資産」といった宣伝がメディアに対してもあるだろう。それを鵜呑みにしてはダメだ。「安全資産といわれる金」とどうしても書きたいのならば、「信用リスクがないという意味で安全資産といわれる金」などと説明してほしい。



◎金とプラチナの説明が…


この記事の金とプラチナに関する説明には、他にも疑問が残る。最初の段落で「産業素材の側面があるプラチナは消費地の欧州でギリシャ問題を背景にした将来的な需要減少が意識されて売られる。安全資産といわれる金は安値圏で中央銀行の買い付けが相場を下支えする」と書いている。

これを読むと「金には産業素材としての側面がないし、プラチナは安全資産ではない」と理解したくなる。しかし、それほど多くないとは言え、金にも産業用途はしっかりある。「安全資産」に関しても、記事を読み進めると「金をはじめとする貴金属は安全資産として投資される」と出てくるので、「だったら、プラチナは安全資産ではないかのような最初の説明は何だったのか」と混乱してしまう。


◎「割高」の意味分かってる?

記事の冒頭で「貴金属市場で金とプラチナの値動きに差が出ている。本来、割高なはずのプラチナの値下がりが激しく、金を下回る逆転相場が年初から続く」と書いている。記者は「割高」の意味を理解していないのだろう。「割高」とは「品質や分量に対して価格が高い」という意味だ。しかし、プラチナは金より「割高」なのが常態ではない。記事では「1トロイオンス当たりの価格は通常ならばプラチナの方が金より高い」と伝えたかったのだろうが、うまく説明できていない。

ついでに言うと、プラチナに関して「値下がりが激しく」と解説しているのも気になった。記事によると、プラチナの年初からの下落率は「9%」。これで「値下がりが激しく」と書くのは苦しい。明確な基準はないが、期間が半年ならば下落率として30%以上は欲しい気がする。


※(2)で引き続き記事の問題点を指摘していく。

(つづく)

2015年6月16日火曜日

櫻井よしこ氏へ 「訂正の訂正」から逃げないで

ダイヤモンド5月30日号のコラム「オピニオン縦横無尽」に2カ所の誤りがあり、6月13日号に訂正記事が出た。これにも誤りがあると思えたので再訂正を求めたものの、6月20日号では「訂正の訂正」を確認できなかった。ダイヤモンドのサイトに掲載された当該コラムも「誤った訂正」のままとなっている。ダイヤモンドの編集長へ6月7日に送った問い合わせには反応がなく、15日に改めて回答を求めたが、同日には返信がなかった。現時点では「訂正には誤りがあったのに、櫻井よしこ氏とダイヤモンド編集部には再訂正の意思がなく、再訂正を求める問い合わせは無視する方針だ」と推定するしかない。この推定に基づいて、以前に記した「櫻井よしこ氏への引退勧告」に加筆したい。

アムステルダムのムント塔(Munttoren)
            ※写真と本文は無関係です


◆櫻井よしこ氏への引退勧告 (加筆版)

櫻井よしこ様

週刊ダイヤモンド5月30日号のコラム「オピニオン縦横無尽」を拝読しました。その中で「スイスは男女を問わず、国民は徴兵の義務を負う。60歳を超えると、毎年、年代層に応じて数日間の軍事訓練を受ける義務も負う」と書いておられました。最初に読んだ時、「60歳を超えると軍事訓練を受ける義務を負う」との説明に驚きました。「20歳」と書いてあるのが「60歳」に見えたのかと思って、読み直したほどです。そこでスイスの徴兵制について調べてみると、「60歳を超えると軍事訓練の義務」も「女性にも兵役の義務」も誤りだと気付きました。

5月25日にダイヤモンド編集部へ問い合わせをし、記事の担当者から同月30日に「記事中の説明は誤り」との回答を頂きました。時間がかかったとはいえ、誤りを認めたことは評価しています。ただ、6月13日号に載った訂正記事にも誤りがあり、これは訂正されていません。

今回の件で「櫻井よしこ氏は書き手としての基礎的な能力を失っている上に、モラルの面でも重大な欠陥を抱えている可能性が高い」と判断するに至りました。これからその理由を説明します。

まず、間違いの内容です。私自身もミスの多い人間なので、他人のミスを責めるのは少し気が引けます。記事中で「30億5000万円」をうっかり「30億5000円」と書いてしまった記者がいても、「書き手としての資質に欠ける」と責めたりはしません。しかし、例えば巨人の原辰徳監督(現役時代は三塁手などとして活躍)を「現役時代は名投手として知られた阪神の原辰徳監督」と説明する執筆者に対しては、基礎的な資質に欠けると断じるしかありません。

今回の櫻井様の誤りは、これと同等の事例です。スイスに関して「男女を問わず徴兵の義務を負う」「60歳を超えると軍事訓練を受ける義務も負う」と立て続けに事実と全く異なる説明をしてしまいました。しかも、「60歳を超えると」に関しては、「60歳までは」と認識していたのに、なぜか筆が滑ってしまったそうですね。「高」「安」や「増」「減」ならば、うっかり逆に書いてしまうかもしれませんが、「60歳までは」が「60歳を超えると」になってしまうのは、通常では考えられません。百歩譲ってあり得るとしても、記事をチェックする段階で容易に気付くはずです。

私の間違い指摘に対して、「かつて女性にも兵役がありましたが、現在は任意とされています。この点で、男女を問わずというのは少し古い情報で、間違いです」と櫻井様は説明されました。しかし、これも間違いです。スイス大使館へ確認したところ、「現在も過去にもスイスの女性に徴兵制の義務はありません」との回答を得ました。

欧州投資銀行(ルクセンブルク)  ※写真と本文は無関係です
では、「60歳になるまで」への訂正は正しいのでしょうか。スイス大使館によると、同国では「兵役は19歳より34歳までが義務、中佐が36歳まで、それ以上の将校に関しては52歳まで」だそうです。櫻井様の場合、スイスに関する基本的な説明でコラムの中に2つの誤りがあり、実際はどうなのかと改めて調べてみても、2つとも正しい答えには辿り着けなかったのです。このままの状態で記事を世に送り出し続ければ、どんな結果が待っているかは説明するまでもないでしょう。

私は櫻井様について、よくは知りません。過去に何度かコラムを読んだ程度です。なので、以前から今のような状態なのか、加齢など何らかの要因によって能力が低下しているのかは判断できません。しかし、記事の執筆に当たって基本的な事実確認を今の櫻井様に任せるのは、非常に危険だと断言できます。

書き手としての誠実さにも、重大な疑義が生じています。6月13日号の「訂正とお詫び」では「60歳を超えると」を「60歳になるまで」に訂正しています。「これは誤りではないか」との私の指摘に対し、編集部も櫻井様も沈黙を守ったままです。誤りとの指摘を否定できないのに、再訂正をためらうのであれば、櫻井様に記事を書く資格はありません。

編集部から櫻井様に必要な情報が届いていない可能性もあるので、「誠実さに欠ける」と断定はしません。それでも、これだけは言えます。書き手としての良心を今も持っているのであれば、「訂正の訂正」から逃げないでください。

私は櫻井様に何の恨みもありません。ただ、週刊ダイヤモンドの一読者として、連載コラムは高い資質を持った書き手に任せてほしいと願っているだけです。そして残念ながら、櫻井様はその期待に応えられる状態ではありません。なので、櫻井様に「書き手としての引退」を強く勧告します。それは読者の利益になると同時に、櫻井様の名誉を守る最善の方法でもあると確信しています。

鹿毛秀彦

2015年6月15日月曜日

日経1面「消費回復にらみ投資拡大」の怪しさ

「日曜の1面アタマなんて、こんなもんでしょ」と言われればそうかもしれないが、14日付の日経朝刊に出ていた「消費回復にらみ投資拡大」は苦しい内容だった。特に、記事の柱にもなっているコカ・コーライーストジャパンの話が怪しい。当該部分は以下のようになっている。

オランダの王宮(アムステルダムのダム広場)
                           ※写真と本文は無関係です
【日経の記事】

国内消費には明るさも見え始めた。日本チェーンストア協会によると、4月の全国スーパー売上高は前年が駆け込み需要の反動で5.4%減だったとはいえ、6.4%増となり、増税後初めて増えた。家電量販大手4社の売上高も5月まで2カ月連続でプラスだ。

一方、家計調査では4月の2人以上世帯の1世帯あたり消費支出が物価の動きを除いた実質で1.3%減と13カ月連続で落ち込んだ。消費を巡る統計は明暗が入り交じるが、4月の実質賃金が2年ぶりに上昇に転じるなど「消費回復への期待が広がっている」(日本チェーンストア協会)。

こうした流れを受け、東日本を統括するコカ・コーライーストジャパンは9月にかけ、4工場に新しい生産ラインを5つ設ける。緑茶飲料「綾鷹(あやたか)」やコーヒー「ジョージア」などの供給体制を拡充する。

14年12月期は消費増税などの影響もあり、1.9%の減収(統合の影響を除いた比較可能ベース)となった。15年12月期はここまで販売が順調で、9.3%の増収を見込む。販売増へ工場向け設備投資額は前年を約25%上回る296億円を計画。13年のグループ再編以後では最大となる


問題点を3つ指摘しよう。


(1)「グループ再編以後では最大」に意味ある?

販売増へ工場向け設備投資額は前年を約25%上回る296億円を計画。13年のグループ再編以後では最大となる」と書いているが、再編が「13年」なのに「15年12月期の工場向け設備投資額が再編以後で最大」と言われても困る。再編後で比較できるのは、現時点で「14年12月期」と「15年12月期」しかない。「13年12月期」を入れても3つだ。その中で「最大」と意義付けする意味は乏しい。何とか話を盛り上げようと工夫した結果だとは思うが…。


(2)元から決まっていた話では?

2013年11月14日の「コカ・コーライースト、工場などに最大500億円 17年までに」という日経の記事には「対象工場は未定だが、17年までにさらに200億円を投じて5ラインを増やしたり工場内の倉庫を拡充したりする」との記述がある。今回の記事では「9月にかけ、4工場に新しい生産ラインを5つ設ける」となっているから、「5ラインの増設は2013年時点で方針として決まっていた」と推測できる。

もちろん、断定はできない。ただ、記事で説明しているように、「4月以降の消費回復の動きを受けて投資に動いた」とすれば、5ラインの増設を決めたのは今年5月以降のはずだ。しかし、それだと5月か6月にライン増設を決定して9月には完成することになる。これはちょっと早すぎる。そうした点を考慮すると、やはり「ライン増設は元から決まっていたのでは?」と疑いたくなる。仮に「17年に完成させる予定だったが、消費拡大を見込んで15年9月に前倒しした」といった事情があるのならば、そこに触れるべきだ。


(3)どの程度の生産能力増強なの?

コカ・コーライーストの生産能力増強が記事の柱になっているのに、何割ぐらい能力が増えるのか分からないのはまずい。これは書いてほしかった。少なくとも、現時点で生産ラインが何本あるかは分かるはずだ。100ラインを105ラインに増やすのと、5ラインを10ラインに増やすのでは、同じ「5ライン増設」でもインパクトが全く異なる。「13年のグループ再編以後では最大となる」といった、どうでもいい情報を入れるなら、何割ぐらい生産能力が増えるのかに触れるべきだ。


※記事の評価はD

2015年6月14日日曜日

日経 梶原誠編集委員に感じる限界

無理やりひねり出して記事を書いているからだろうか。14日付の日経朝刊総合・経済面のコラム「けいざい解読~市場動かす株主総会」はかなり無理のある内容だった。記事の前半部分で筆者の梶原誠編集委員は以下のように書いている。


【日経の記事】
アントワープ(ベルギー)の中心部   ※写真と本文は無関係です


企業の株主総会の開催が今月本格化する。昨年までとの違いは、企業と株主の実のある対話を促す枠組みが整った点だ。「セレモニー」だった総会が、株式市場を動かす材料に脱皮しつつある。

東京証券取引所によると、開催日のピークは26日で全体の4割強が集中する。ただ、市場関係者が注目する「事実上の総会」はすでにヤマ場だ。総会を前提に、企業と株主の対話が進んでいる

ファナックは、株主が批判を強めていた巨額の手元資金を株主に返し始めた。トヨタ自動車は国内の個人向けに5年間は譲渡できない株式を発行する計画だが、株主の間で賛否両論が盛り上がっている。総会が迫っているからこそ、対話が緊張感を帯びるのだ



見出しで「市場を動かす株主総会」となっていて、冒頭では「株主総会がセレモニーから脱しつつある」と唱えている。「そんなこと本当にあるのかな」と思いつつも、「実際にそうなったらすごいな」と期待しつつ読んでみた。結論から言うと、セレモニーからは脱しそうもない。記事の問題点を挙げてみる。


(1)「事実上の総会」で決まるのなら…

記事では、総会前の企業と株主の対話を「事実上の総会」と捉え、既にヤマ場を迎えていると解説している。これを信じるならば、実際の総会は「事実上の総会」で決まったことを追認する「セレモニー」の域を出ないはずだ。「事実上の総会」で物事を決める流れが強まっているとすると、むしろセレモニー化をさらに進める結果になるのではないか。



(2)「企業と株主の対話」とは?


対話が進んでいる」と書いている割に、記事を読んでも「どういう形で対話しているのか」が分かりにくい。「機関投資家が経営者を訪ねて面談している」といった動きを「対話」と言っているのかと最初は思ったが、そうでもなさそうだ。トヨタの話では「個人向けに5年間は譲渡できない株式を発行する計画だが、株主の間で賛否両論が盛り上がっている」と書いているだけで、この件で株主とトヨタが顔を合わせて対話したかどうかは読み取れない。

実際の対話ではなく、企業側が株主の意見などを間接的にでも知って、それを経営に生かすという意味での「対話」なのだろうか。しかし、記事の後半部分では「少数株主としての提案」といった話も出てくるので、ややこしい。「事実上の総会」という表現からは、有力な株主が一堂に会して総会前に企業側と対話するようなイメージも湧くが、そういう感じでもなさそうだ。結局、何を指して「対話」と言っているのか判然としなかった。


まとめると…


多くの企業はこれまでも主要株主の意向をヒアリングした上で株主総会での提案内容を決めていたはずだ。つまり、梶原編集委員の言う「事実上の株主総会」は目新しいものではない。「総会当日の活発な議論を受けて会社側の提案を修正する機会が増えそう」「総会での株主とのやり取りがリアルタイムで外部にも分かるようになり、それが総会当日の株価を動かす」といった話ならば、「『セレモニー』だった総会が、株式市場を動かす材料に脱皮しつつある」と書くのも分かる。しかし、記事を読んだ限りでは「形式的な意思決定の場としての株主総会」は今年も主流であり続けるとしか思えない。

梶原編集委員の記事を読んでいると、訴えたいことが既に枯渇しているのではないかと心配になる。今回も「株主と企業の対話が大事だよね」といった程度の問題意識しかないのに、何とか気の利いた話にしようとして無理な構成になってしまったのではないか。「けいざい解説」に限らないが、「独自の視点で書きたいことがある」と自ら訴える筆者に順番を優先的に回すような仕組み作りも必要だろう。

※記事の評価はD。梶原誠編集委員の評価もDとする。

2015年6月13日土曜日

運営方針と格付けについて

ここで運営方針と格付けについて、基本的な考え方を記しておく。


【運営方針】

1 このブログは日本の経済記事の質的向上を目的として運営する。

2 日本語で書かれた全ての経済記事を論評の対象とする。週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済、日本経済新聞を日本の主要経済メディアと捉え、重点的に評価する。

3 記事、書き手、媒体を格付けする。記事と書き手についてはA~Fの6段階で評価する。格付けの意味は、A(非常に優れている)、B(優れている)、C(平均的)、D(問題あり)、E(大いに問題あり)、F(根本的な欠陥あり)。媒体については、AAAを最上位とする債券格付けを模してランク付けする。


現時点で経済メディアの格付けは以下の通り


【経済メディアの格付け(2015年6月13日時点)】
ナミュール(ベルギー)の城塞に建つホテル「シャトー・ド・ナミュール」
                       ※写真と本文は無関係です


週刊ダイヤモンド(A)
週刊東洋経済(A-)
週刊エコノミスト(BBB)
FACTA(BBB)
日経ビジネス(BB+)
日本経済新聞(BB)
日経ヴェリタス(BB)
日経MJ(BB-)
日経産業新聞(BB-)


※購読料に見合う完成度が期待できる媒体をBBB以上、期待できない媒体をBB以下として格付けした。週刊ダイヤモンドは近く格下げとなる公算大。

「法の支配」を否定しちゃった日経の社説(2)

アントワープ(ベルギー)のグローテ・マルクト

※写真と本文は無関係です
13日付日経朝刊の社説「現実がもたらしてきた『憲法解釈の変遷』」の気になる点をさらに見ていこう。


【日経の社説】

冷戦後もPKO法、周辺事態法……状況の変化を踏まえ、政府はぎりぎりの線で憲法解釈をしてきた。そこに権力闘争である政治の駆け引きが絡まり合う。憲法解釈の変遷こそが戦後日本である。

そして今、日本を取り巻く安全保障環境はたしかに大きく変化している。北朝鮮はいつ暴発するか分からない

中国の台頭で米国を軸とする国際社会の力の均衡が崩れたことも見逃せない。尖閣諸島の領有権をめぐる摩擦にとどまらない。中国の海軍力の増強、南シナ海での埋め立ては日本のシーレーン(海上交通路)に影響を及ぼさないのだろうか。かりにあの空域で中国が防空識別圏を設定すればいったいどうなるのだろうか


上記のくだりに続いて「憲法は横に置いておいて、現実重視で方針を決めるべきだ」と解釈できる結論に至る。「今、日本を取り巻く安全保障環境はたしかに大きく変化している」から、法の支配を否定しても仕方がないと社説では示唆している。しかし、背景の説明自体に説得力がない。

日本を取り巻く環境が大きく変化している例として、記事ではまず北朝鮮を挙げている。しかし「北朝鮮はいつ暴発するか分からない」というのは、10年前でも20年前でも同じだろう。「以前は安全な存在だった北朝鮮がここ数年で急速に安全保障上の脅威となってきた」と言えるならば、記事の説明でもいいかしれないが、ちょっと考えにくい。

中国に関する説明も感心しない。まず「中国の海軍力の増強、南シナ海での埋め立ては日本のシーレーン(海上交通路)に影響を及ぼさないのだろうか。かりにあの空域で中国が防空識別圏を設定すればいったいどうなるのだろうか」と問いかけるだけで終わっているのが気になる。

読者の多くは防衛問題の専門家ではないので「シーレーンに影響を及ぼすかどうか」も「中国が防空識別圏を設定すればどうなるか」もよく分からないはずだ。こういう逃げたような書き方をせず、日経としてどう見ているのかを明示してほしかった。

素人判断だが、「埋め立て」も「防空識別圏」も、日本の経済活動への影響はほとんどなさそうだと思える。社説の筆者も似たような考えだとすると、「中国が防空識別圏を設定すれば、日本は海上輸送に大きな支障が出て、日常生活にも深刻な影響が避けられない」といった明確な見通しを示さないのも納得できる。

さらに言えば、南シナ海での埋め立てが日本のシーレーンへの脅威となり、その空域で中国が防空識別圏を設定して困った事態となった時に、憲法を横に置いて集団的自衛権の行使を認めれば、問題を解決できるのだろうか。安保法案が可決されれば、中国は南シナ海での埋め立てを中止するのだろうか。

常識的に考えれば、埋め立ての中止はないだろう。それでも、法の支配を否定してまで集団的自衛権の行使を認める必要があるのか。それとも「安保法案が成立すれば中国や北朝鮮がおとなしくなる」との確信が日経にはあるのだろうか。

「脅威があるんだから、違憲かどうかなんて議論しないで、現実に即して行動方針を定めればいい」と日経が主張したいのなら、それはそれで認める。ただ、今回の社説の内容では説得力が乏しすぎる。これからは法の支配を否定する側に立つのだから、その正当性をどう訴えるかは十分に検討してほしい。


※記事の評価はD。

「法の支配」を否定しちゃった日経の社説(1)

「あ~言っちゃったね。ついに『法の支配』を否定しちゃったね」と思わせる社説が13日付の日経朝刊に出ていた。「現実がもたらしてきた『憲法解釈の変遷』」という社説の後半部分を見てみよう。


【日経の社説】

ロッテルダム(オランダ)のキューブハウス
       ※写真と本文は無関係です
冷戦後もPKO法、周辺事態法……状況の変化を踏まえ、政府はぎりぎりの線で憲法解釈をしてきた。そこに権力闘争である政治の駆け引きが絡まり合う。憲法解釈の変遷こそが戦後日本である。

そして今、日本を取り巻く安全保障環境はたしかに大きく変化している。北朝鮮はいつ暴発するか分からない。

中国の台頭で米国を軸とする国際社会の力の均衡が崩れたことも見逃せない。尖閣諸島の領有権をめぐる摩擦にとどまらない。中国の海軍力の増強、南シナ海での埋め立ては日本のシーレーン(海上交通路)に影響を及ぼさないのだろうか。かりにあの空域で中国が防空識別圏を設定すればいったいどうなるのだろうか。

「9条の定める理想は理想として尊重するが、現実には、その時々の情勢判断によって、保有する軍備の水準、同盟を組む相手国等を、それらが全体として日本を危険にするか安全にするか、安全にするとしてもいかなるコストにおいてかなどを勘案しながら決定していくしかない」(長谷部恭男著『憲法』)。その通りである。


社説の主張を簡単にまとめると、「憲法でどう定めていようと、それは横に置いておいて現実に即した最善の策を取っていくべきだ」といったところか。さすがに、ストレートな表現を用いるのがためらわれたようで、記事ではかなり回りくどい書き方をしている。長谷部恭男氏の著作を引用した上で「その通りである」と結んでいるのも、「自分たちだけじゃない。『憲法なんか横に置いておけ』と主張をしている識者はちゃんといるんだ」と訴えたかったからだろう。

「法治国家」とか「法の支配」といった要素を重視する場合、「憲法違反の疑いが濃い政策変更を目指すならば、安部政権はまず憲法改正に取り組め」とでも主張するはずだ。そこに関しては「本来であれば、憲法を改正して対応するのがいちばんいいのに、それができない」と完全に諦めているようだ。なので、あっさりと「法の支配」を否定して、「現実優先」を選んだらしい。

日経の考え方を全面的には否定しない。ただ、主張の整合性は取ってほしい。例えば「タイ政治はクーデターで立て直せるのか」 という社説(2014年5月24日付)で日経は 「政治の混迷が続いていたタイで軍がクーデターに踏み切った。経済や社会にまで混乱が広がっていたとはいえ、民主主義と法の支配を損なう行動は残念だ」と訴えた。しかし、今後は日経に「法の支配を損なう行動は残念だ」など主張する資格はない。日経の考えに従えば、タイの場合も「法の定める理想は尊重するが、現実にはその時々の情勢判断に応じて、どういう統治形態であればタイを平和で望ましい方向に導いていけるかを勘案した上で軍も行動するしかない」と言えるはずだ。

この社説には、他にも気になる部分があった。それについては(2)で述べる。


(つづく)

「3つの誤算」がある? ~日経 川合智之記者への疑問

12日の日経朝刊国際1面にワシントン支局の川合智之記者が「米、対『イスラム国』で3つの誤算 」という記事を書いていた。「戦力逐次投入/低い士気/宗派対立」が「3つの誤算」だと分析しているものの、記事を読む限り「低い士気」を除くと、何が誤算なのか分からない。

「戦力逐次投入」については、以下のように解説している。
デュッセルドルフ(ドイツ)の観覧車
       ※写真と本文は無関係です


【日経の記事】

昨年6月、オバマ氏はISが首都バグダッドに迫ったことを受け、イラク兵訓練のため米軍事顧問団を300人派遣すると表明した。誤算だったのは戦力の「逐次投入」(野党・共和党のマケイン上院軍事委員長)を迫られたことだ

オバマ氏は昨年8月に空爆を始め、同11月には米兵1500人の増派を決定。今回の増派で3550人規模となる。マケイン氏は逐次投入について「包括的戦略がない」と批判し、数千人規模の米地上部隊を派兵するよう主張する


「逐次投入を迫られた」と川合記者は書いているが、オバマ政権は「米軍の地上部隊を大規模に投入して一気にイスラム国を攻撃したい」と希望していたのだろうか。記事にもあるように「イラク兵への軍事支援でイスラム国を掃討する方針」のはずだ。外部から見れば米国のやり方は「逐次投入」に見えるかもしれない。しかし、「逐次投入はしたくなかったのに、結果的に逐次投入になってしまった」という「誤算」はなさそうに感じる。仮に誤算があるのならば、それが読者に分かるように書くべきだ。

ついでに言うと、マケイン氏の主張は謎だ。逐次投入を批判する人物として記事に登場するが、なぜか追加で数千人規模の地上部隊の派兵を主張している。これまでの戦力投入に加えて数千人規模の地上部隊の派兵となれば、これまた戦力の逐次投入だ。この書き方では、マケイン氏がおかしな人に見える。実際は「包括的な戦略がないまま逐次投入している」と批判しているだけであって、「包括的な戦略さえあれば、逐次投入でもいい」との考えではないか。あくまで想像だが…。川合記者には、この辺りも分かりやすく書いてほしかった。

もう1つ、「宗派対立」に関する誤算も見ていこう。


【日経の記事】
 
第3の誤算は宗派対立だ。イラクのアバディ首相はイラク治安部隊の大敗を受け、イスラム教シーア派民兵に協力を求めた。ただアンバル州はスンニ派住民が多く、ラマディを奪還してもシーア派民兵と対立しかねない

シーア派を国教とするイランが民兵を支援しているとされ、イランの影響力強化を懸念する米国は民兵投入に慎重だ。米は今回の増派でまずスンニ派部族から兵士を勧誘し、イラク治安部隊との仲立ちをする考えだが、実際の任務開始は「6~8週間後」(米国防総省)。スンニ派勢力の訓練が終わり実戦投入できる時期は当面見通せない


これも記事からは何が誤算か読み取れない。シーア派とスンニ派の対立は中東政策を考える上で当然に米国も知っているはずだ。だから「まさか宗派対立があるとは…」というレベルの誤算は生じない。記事で言う「スンニ派部族から勧誘した兵士の任務開始」が「6~8週間後」になるのも、誤算かどうかは判然としない。「実戦投入できる時期は当面見通せない」という記述から、状況の厳しさは伝わってくるものの、計算が狂ったかどうかの説明はない。それにスンニ派兵士の投入時期で誤算が生じているのならば、「誤算」は「宗派対立」というより「現地での兵士育成」だろう。


※記事への評価はD。川合智之記者への評価もD(暫定)とする。

2015年6月12日金曜日

日経 大石格編集委員は東アジア情勢が分かってる?

11日付の日経朝刊視点・焦点面に「ニュース解剖~安保審議 浮かぶ論点」という記事が出ていた。1ページを丸々使ったこの記事では、3人の編集委員が座談会形式で安保法案について語っている。その中で大石格編集委員の発言が気になった。内容は以下の通り。


【日経の記事】

ディナン(ベルギー)の近くにあるヴェーブ城
          ※写真と本文は無関係です
大石 東アジアのパワーバランスはアヘン戦争以来、2世紀ぶりに激変している。米国の関心をアジアに向け続けさせるのは簡単じゃない。日本と周辺国が対立したとき、どう米国を関与させるかが、安全保障の焦点だ。


東アジアのパワーバランスはアヘン戦争以来、2世紀ぶりに激変している」というのだから、最近の変化は太平洋戦争の前後を上回る激変と言いたいのだろう。これは「あり得ない」と感じた。日本が大陸での権益を全て失って米国に占領され、朝鮮半島で北朝鮮と韓国が独立した1940年代を上回るほどの激変が今の東アジアで起きているだろうか。

アヘン戦争を持ち出している点から推測すると、「中国が『攻め込まれる側』から『攻め込む側』へ転換しようとしている」といった認識があるのだろう。しかし「東アジアのパワーバランス」はそれだけで決まるものではない。本当に「2世紀ぶりの激変」と信じているのならば、「太平洋戦争なんて今の変化に比べれば確かに小さな出来事なんだな」と読者を納得させるような記事を、大石編集委員にはぜひ書いてほしい。書けるならばの話だが…。

米国の関心をアジアに向け続けさせるのは簡単じゃない」とのコメントも謎だ。日々の様々な報道に接していると、米国は中国の拡張主義的な行動に対して強い関心を持っているように見えるし、その状況は容易に変わりそうもない。例えば、ニューズウィーク日本版6月9日号には「米中が戦火を交える現実味」という記事が出ている。この記事は「新たな『大国関係』との言葉とは裏腹に、中国とアメリカは南シナ海をめぐる戦争ゲームへと突き進もうとしている」との書き出しで始まる。

同誌6月16日号の「南シナ海、一触即発の危機」という記事では、米中関係について「どちらも攻撃を仕掛けるつもりはないが、舌戦が軍事衝突に発展する可能性は十分にある」と解説している。この記事によると、スプラトリー(南砂)諸島での中国の人工島造成に対し、米国のカーター国防長官が5月30日に「恒久的な停止」を要求するとともに「米国は国際法の認めるいかなる場所でも飛行、航行、作戦を行う」と断言したようだ。

これでも「米国の関心をアジアに向け続けさせるのは簡単じゃない」のだろうか。現時点では「米国の関心をアジアからそらすのは簡単じゃない」と言われた方が納得できる。「いやいや、米国は中国なんてあまり眼中にないんですよ。日本が一生懸命に働きかけないと、すぐにアジアへの関心を失ってしまうんです」と大石編集委員が信じているのならば、これも機会を見て記事にしてほしい。こちらも書ければの話ではあるが…。

率直に言って、「大石格編集委員は東アジア情勢が分かっている人なのかな」との疑問は残った。書き手としての評価はDとし、「要注意編集委員」としてウォッチしていきたい。

2015年6月11日木曜日

「難易度25倍」に根拠なし ~東洋経済のグーグル特集

「本当に『難易度25倍』?」で取り上げたグーグル特集に関して、東洋経済からようやく回答が届いた。やはり「難易度25倍」と言える根拠はないようだ。問い合わせと回答は以下の通り。


【問い合わせの内容】
アントワープ中央駅(ベルギーのアントワープ)
                         ※写真と本文は無関係です

週刊東洋経済6月13日号のグーグル特集についてお尋ねします。記事中で「グーグルに社員として採用される難易度は、米ハーバード大学の25倍といわれるほど高い」と説明し、「採用 ハーバード大学より25倍難しい就職」との見出しも付いています。しかし、「ワーク・ルールズ!」という書籍の引用部分では「(就職を希望する200万人のうち)グーグルが雇うのは年に数千人にすぎないから、ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学などと比べて倍率は25倍にもなる」と出てくるだけです。このデータから「難易度25倍」との結論は導けません。例えば、京都大の入試の倍率が3倍で、岐阜大の倍率が6倍だとしても、「岐阜大の難易度は京大の2倍」と単純には言えないはずです。「ハーバード大学より25倍難しい就職」との説明は誤りと考えてよいのでしょうか。正しいとすれば、その根拠も併せて教えてください。

ついでに、1つ気になった点を指摘しておきます。今回の特集では「人事部門は得てして優秀な社員から出来の悪い社員まで正規分布している前提で評価する。これは間違いで、突出した能力の社員が何人か出てくるのが当たり前(べき分布))だという」と説明しています。母数はよく分かりませんが、グーグルの社員数6万人を前提にすると、正規分布でもべき分布でも「突出した能力の社員」が何人かいてもおかしくありません。もちろん「突出」をどう捉えるかによります。記事では「正規分布では考えられないほどの突出した能力を持つ社員が何人か出てくるのが当たり前で、べき分布に従う」などと解説すべきだったと思えます。



【東洋経済の回答】

いつも週刊東洋経済をご購読いただき、どうもありがとうございます。

ご質問とご指摘について回答差し上げます。

難易度25倍について:おっしゃるとおり単純には言えません。著者自身、「グーグルに就職する難易度がハーバード大の25倍」と明言はしていません。書籍の全体を読んで、世界中からエンジニアを始めとした相当に優秀な人材が応募している状況が読み取れたのと、「就職するのはなかなか容易でない」と示すために、見出し等で「難易度」という言葉を使用しました。

ご指摘の「べき分布」についても、限られた行数で表現を端折ったため、わかりにくい表現となってしまったかもしれません。

今後はより一層、読者に誤解やミスリードを与えないような表現、内容となるよう努力して参ります。これからもご指導・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


7日に問い合わせし、3営業日が経過しても返信がなかったので催促した結果、11日の夕方に編集部から回答が届いた。確認に時間がかかる話でもないのに対応が遅かったのは不満が残るが、回答の内容は評価できる。特集自体の内容が悪くなかったこともあり、総合的に判断してグーグル特集への評価はBとする。

日経 北沢千秋編集委員への助言(3)

ちょっと古い記事だが、北沢千秋編集委員の実力を見る上で参考になると思われるので、2014年9月23日付の日経朝刊(投資情報面)に載った「一目均衡~ROE最大化と企業価値」という記事を取り上げたい。この記事に関しては、掲載直後に私から北沢編集委員へ疑問点を記したメールを送っている。その内容を一部使って、記事を分析してみよう。最も問題だと思えたのは以下の記述だ。


【日経の記事】
アントワープ(ベルギー)のノートルダム大聖堂
         ※写真と本文は無関係です

株式市場が一般の人々の資産形成の場として根を下ろすには、日本株への期待リターンが継続的に資本コストを上回ることが条件になる。



期待リターンが継続的に資本コストを上回る」という説明は苦しい。一般的に「期待リターン」とは株主資本コストの裏返しなので、基本的に数値は一致するはずだ。北沢編集委員へのメールの中では、以下のように説明した。


【北沢編集委員へのメール】

「資本コスト」という場合、負債も含めて考えるのが一般的ですが、ここでは文脈から判断して「資本コスト=株主資本コスト」との前提で話を進めます。「株主資本コスト」とは、「株主が企業に対して要求する期待収益率(期待リターン)」を企業側から見た言葉であり、原理的には「期待リターン=株主資本コスト」となるはずです。北沢さんも以前の記事で「株主資本コスト(期待収益率)」という表現を用いています。今回の記事に関しては、「期待リターン」を「実際のリターン」と置き換えれば、問題が解消しそうです。もちろん、「期待リターンと言っても、CAPM理論に基づいて計算するようなものではない。もっと漠然とした、その時の投資家全体の総意みたいなもの」といった弁明も成り立ちます。その場合、記事中の用語に関する説明が十分だとは言えないでしょう。

 
この指摘に対し、北沢編集委員から返信はなかった。なので、記事の説明には問題があったと考える方が自然だ。メールでは、他にも2点を指摘した。


~指摘その1~


【日経の記事】

ROEの最大化を目指す米国流の経営は、規模の拡大を犠牲にして成り立つ例が多い。ROEが高くなるほど、新規投資で現状のROEを維持するのは難しくなり、企業は投資よりも自社株買いや増配を優先したり、事業の売却や人員削減を進めたりする。会社の主人である株主が望むのは、1株利益の成長だからだ


【北沢編集委員へのメール】

上記のくだりでは、「米国企業は株主が1株利益の成長を望むからROEの最大化を目指している」と解説しています。これに関しては、「株主の求めるものが1株利益の成長ならば、単に1株利益を最大化させればいいのでは?」との疑問が湧きました。ROEを高めるために増配するのは分かりますが、増配は1株利益の成長と直に結び付くわけではありません。「とにかく1株利益を増やしたい」と考えるのであれば、配当はゼロにして、利益が少しでも出そうな事業への投資に回すのがあるべき姿でしょう。


~指摘その2~

【日経の記事】

そして、ROEと配当性向の水準をどうするかが、期待リターンを決める重要な要素となる。

【北沢編集委員に送ったメール】

上記のくだりは理解に苦しみました。期待リターンを求めるのに一般的に使われるCAPM理論では、「期待リターン=金利+(株式市場全体の期待収益率-金利)×β」という関係が成り立ちます。ここで個別企業に関わる部分はβだけですが、βは個別銘柄の株価と市場全体がどのくらい連動しているのかを表す数値であり、個別企業のROEや配当性向と大きな関連はないはずです。期待リターンの求め方は1つではないので、「ROEや配当性向は期待リターンを決める重要な要素にはなり得ない」とまでは言いません。ただ、「重要な要素となる」と断定するのならば、ROEや配当性向が期待リターンにどう関係するのか、もう少し説明が必要でしょう。


※私の指摘が的を射ているかどうかについては、やや自信がない部分もある。ただ、以上の指摘に対して、北沢編集委員から反応はなかった。こうした昨年までの記事の内容も考慮に入れた上で、記者としての評価をDとしている。今回の(1)~(3)だけでなく、「『株主優待制度をしている』?」でも北沢編集委員の記事に言及しているので、参考にしてほしい。

日経 北沢千秋編集委員への助言(2)

10日付の日経朝刊マネー&インベスト面に出ていた「株、2万円からの投資戦略」に関して、気になる点をさらに見ていこう。


【日経の記事】

下値は限られるとしても、業績見合いでみた年内の日経平均の上値メドが最大で2万2000円だとすると、足元の水準からの上げ余地は9%程度になる。今後の投資戦略は、前提とする投資の期間によっても変わりそうだ

「超低金利の環境下に半年で1割近い上昇が見込める投資対象は日本株以外に見当たらない。だから日本株は買い」と言うのはマネックス証券の広木氏。

一方、三菱UFJモルガン・スタンレー証券の芳賀沼千里チーフストラテジストは「個人投資家には、ここからはあまり無理をしないでとアドバイスしたい」と話す。上げ余地は限定的なので、中長期の投資なら追加資金の投入や上値追いは慎重に考えた方がいい、というわけだ。


上記の説明はやや分かりにくい。マネックス証券の広木氏は「買い」で、三菱UFJモルガン・スタンレー証券の芳賀沼氏は「ここからは慎重に(つまりやや弱気)」と言っているだけで、投資期間によってどう戦略が変わるかはコメントしていない。しかし、芳賀沼氏のコメントの後に北沢編集委員が「中長期の投資なら追加資金の投入や上値追いは慎重に」と解説を加えているので、たぶん広木氏は「短期ならば買い」、芳賀沼氏は「中長期ならば慎重(弱気)」との立場なのだろう。

引っかかるのは「上げ余地は限定的なので、中長期の投資なら追加資金の投入や上値追いは慎重に考えた方がいい」という解説だ。記事で言う「上げ余地」とは今期業績見通しを基にした年内の株価の話だろう。「今後は急落しそう」と予想しているならともかく、年内の上げ余地が限られるからと言って、中長期の投資に慎重になる必要があるだろうか。例えば投資期間を10年と考える場合、あくまで10年間の見通しを基に判断すべきだ。「10年間で考えると投資のタイミングとしては悪くないけど、年内の上げ余地が限定的だから追加投資はやめておこう」との判断に合理性は感じられない。

記事の結論部分も改めて見てみよう。


【日経の記事】

今後も緩和マネーや世界景気の回復を原動力に資産価格は上昇を続けるかもしれず、投資をやめて利益を得る可能性を放棄してしまうのも得策ではなさそうだ。ただ、中長期の資産運用では、少なくとも日本株なら日本株だけというように、1つの資産にリスクを集中するのは避けた方がいい

インフレ対応だけでなく、日本がデフレに逆戻りする可能性も考えて資産を分散するのが得策」(中窪文男UBS証券ウェルス・マネジメント本部最高投資責任者)。先のことは読めないからこそ、分散投資の意味がある。


まず、記事で分散投資を勧めているのに、「中長期の資産運用では」と限定しているのが気になった。分散によりリスクを低減できるからろいう理由で分散投資を勧めるのであれば、それは期間を問わないはずだ。わざわざ「中長期」に限定する場合、その理由も欲しい。

最後の段落では、それまで全く話題に上らなかったインフレとデフレの話が唐突に出てくる。そして専門家の「デフレに逆戻りする可能性も考えて資産を分散するのが得策」とのコメントを紹介している。なのに、具体的にどうすればいいのかヒントもない。記事中でも言及しているように「債券価格は高水準」なのだから、債券を組み込んでもデフレ対策としてあまり効果はなさそうだ。「商品先物の売りを組み込め」とでも言いたいのだろうか。こんな中途半端な言及しかできないのなら、インフレやデフレに触れる必要はないだろう。


※記事の評価はD。北沢千秋編集委員への評価もDを維持する。良い機会なので、(3)では北沢編集委員が2014年に書いた記事を取り上げたい。