2015年7月18日土曜日

記事の誤りを握りつぶす理由 日経の場合(3)

日経が明らかな誤りの多くを握りつぶす理由として(1)間違いかどうかの判断を記事の作り手側に委ねている (2)作り手のプライドが高い (3)訂正を出す「コスト」が高い--という3つを挙げた。対策としては、これらの要因を消すものとなる。

ユトレヒト(オランダ)の中心部 ※写真と本文は無関係です
まずは「被告人が判決文を書く」問題だ。これは喜多氏へのメールでも触れたように、中立性の高い組織を設けて、そこに間違い指摘を集約し、「記事に問題があったのか」「訂正を出すべきか」といった判断をさせればいい。

立場の弱い人間だと公正な判断を下しにくいので、できれば社外の人で構成したい。それが無理でも、社内に遠慮せず判断できる独立性は確保したい。その組織が出した答申を編集局長がチェックして最終判断をすれば、「被告人が判決を書く」事態は避けられる。

訂正を出す「社内的コスト」が高い点も改善したい。現状では、訂正を出す場合、責任者の負担が重過ぎる。「始末書と顛末書を書いて、さらにそれを社内の何カ所にも手渡しで配って、上司にも叱られて」といった状況を考えれば、強引にでも「記事に問題はない」と主張したくなる気持ちも分かる。

まず、「訂正は毎日出るものだ。訂正が多いからダメとか少ないから良いとかいう性格のものではない」という認識を社内で共有したい。その上で「訂正を出しても、確認作業をきちんとした上での誤りであれば社内での評価には影響しない。しかし、誤りとの疑いが生じたのに、それを放置した場合は厳しく処罰する」との方針を徹底すべきだ。

訂正に関しては、特定のページに「訂正コーナー」を常設するのが望ましい。そうすれば「紙面に訂正が毎日出るのが当然」との空気が生まれ、訂正を出すことへの抵抗も薄れる。さらに言えば、始末書や顛末書はなくていいし、社内のいくつもの部署に顛末書を配るといった見せしめ的な行為も必要ない。データベース上でミスの内容などを確認できるようにすれば十分だ。どうしても特定の部署に連絡が必要ならば、メールを使えば済む。

最も難しいのがプライドの問題だ。実力に見合ってプライドが高いのならば問題はない。日経の場合、実力がないのにプライドが高いから厄介だ。そもそも、ある程度の実力があれば、「日経のレベルは決して高くない。このままではまずい。質を高めるための対策が必要だ」と気付くので、余計なプライドは持ちようがない。プライドの高さは、実力のなさの裏返しでもある。

そうは言っても、無駄なプライドを打ち砕く特効薬はない。編集局内の多くの人間が余計なプライドを抱えている現状では、訂正コーナーに毎日2ケタの訂正が載るといった事態に耐えられないだろう。会社のトップが決断すれば別だが、「間違いを握りつぶすのはやめて、訂正コーナーに毎日10件でも20件でも訂正を出そう」という提案が受け入れられる可能性はほぼゼロだ。

「日経はレベルの高い新聞で、ミスはあくまで例外的な出来事」との共同幻想に基づいてプライドを形成している人たちにとって、ミスを握りつぶすのは大事なものを守るための「正しい行為」だ。ゆえに、握りつぶしを防ぐ対策には全力で反対してくる。つまり、無駄なプライドを破壊しない限り、明白な誤りが黙殺され続ける現実は変わらない。

無駄なプライドを壊していくには、結局は外部からの風当たりを強くするしかない。音楽、映画、小説などは、その出来について厳しく論評する人も多く、作り手はなかなか「天狗」になれない。しかし、経済記事は批評するのに専門知識も必要だし、そもそも小説のように一生懸命に読んでいる人が少ない。

日経の記事がこれまで以上に外部からの厳しい評価にさらされ、それが記者やデスクに対する評価ともっと直接的に結び付いていけば、無駄なプライドも徐々にそぎ落とされていくはずだ。日経が間違いの握りつぶしをやめる日はすぐには来ないだろう。しかし、無理だと諦めてしまうほど難しい話とも思えない。


※日経の間違い握りつぶし問題に関しては「日経ビジネス 大西康之編集委員 F評価の理由」「日経 太田泰彦編集委員 F評価の理由」「日経の商品担当記者が垂れ流し続ける『間違い』」なども参照してほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿