2018年4月19日木曜日

「セクハラ問題で辞任は当然」の理由が見えない日経社説

19日の日本経済新聞朝刊総合1面に「セクハラ問題で辞任は当然だ」という社説が載っている。主張自体は良いとしても、「辞任は当然だ」と考える根拠を示していない。これでは困る。
門司港(北九州市)※写真と本文は無関係です

社説の全文は以下の通り。

【日経の社説】

福田淳一財務次官がセクハラ発言で辞任する。当然である。疑惑を全面否定する反論を公表、世論の反発を招いた結果で、遅きに失した感は否めない。事務方のトップにある次官の退出劇としては前代未聞だ。

きっかけは週刊新潮の報道である。女性記者に「胸触っていい?」とか「手縛っていい?」などとセクハラ発言を繰り返したという。麻生太郎財務相は13日の記者会見で「事実ならセクハラという意味ではアウト」と述べていた。

週刊新潮のニュースサイトで音声データが公開されたものの、財務省は福田次官を聴取したうえで疑惑を否定、名誉毀損の訴訟準備を進めていると発表した。女性記者に調査への協力も要請した。

これに対し世論は反発。野党だけでなく政府・与党内からも批判の声が出ており、追い込まれての辞任表明となった。

財務省をめぐっては、森友問題の文書改ざんだけでなく、ごみ撤去の口裏合わせや撤去費用の過大見積もりの疑いも浮上するなど底が抜けたような状態だ。省としてのあり方が厳しく問われている中で、緊張感を欠いているというしかない。

「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。フランス語で「高貴なるものの義務」と訳されている。社会的に高い地位の人間は社会の模範とならなければならないといった意味で使われる。

大蔵・財務官僚は「官庁の中の官庁」の一員としてとりわけその自覚を強く持った集団だったはずだ。もはやそうした意識はみじんもないのかもしれない。

今回の次官のセクハラ問題でいちばんつらい思いをしているのは、寝食を忘れて国のための意識を失わず仕事に励んでいる若い官僚たちであり、自殺者まで出した近畿財務局のような額に汗して働いている現場の職員たちだろう。

魚は頭から腐るといわれる。しばしば組織もそうだとされる。財務省がそうなってもらって困るのはいうまでもない。


◎社説であれば…

最初だけは「福田淳一財務次官がセクハラ発言で辞任する。当然である」と歯切れがいいが、社説を最後まで読んでも「当然である」とする根拠は見えてこない。

財務省は福田次官を聴取したうえで疑惑を否定、名誉毀損の訴訟準備を進めていると発表した」と社説でも触れている。それでも辞任が「当然」なのは、日経としてセクハラが事実だと確信しているからなのか。そこは明確に述べるべきだ。

日経としては「疑われただけでも辞任すべき」との考えなのかもしれない。だとすれば、やはりそう明言すべきだ。この立場を取る場合、濡れ衣を着せられた人に不利益を求めることを正当化できるかとの問題が生じる。

世論の反発を招いた」から辞任すべきだと考える場合も同様だ。そう思うなら、そう書くべきだし、濡れ衣だった場合はどうするのかという問題がやはり生じる。

新聞社の社説で「セクハラ問題で辞任は当然だ」と見出しを立てて主張を展開するならば、「辞任は当然」と考える理由を明示するのはこれまた「当然」だ。それができずに、ぼんやりした話をするだけならば、社説の存在意義はない。


※今回取り上げた社説「セクハラ問題で辞任は当然だ
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180419&ng=DGKKZO29558380Y8A410C1EA1000


※記事の評価はD(問題あり)。

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