2018年4月10日火曜日

「子どもの貧困が深刻化」に根拠乏しい東洋経済「連鎖する貧困」

週刊東洋経済4月14日号の特集「連鎖する貧困」では「子どもの貧困が深刻化し、貧困の連鎖が懸念されている」と冒頭で訴えている。そして特集の「PART1~深刻化する子どもの貧困」の最初の記事には「アルマーニ騒動で浮き彫りに 広がる子どもの格差」という見出しが付いている。しかし、記事を読んでみても「子どもの貧困が深刻化」しているようにも「子どもの格差」が広がっているようにも見えなかった。
流川桜並木と人力車(福岡県うきは市)
        ※写真と本文は無関係です

記事では以下のように説明している。

【東洋経済の記事】

子どもの貧困の解消は待ったなしだ。厚生労働省の国民生活基礎調査によると、15年の子どもの貧困率(17歳以下で等価可処分所得の中央値の半分〈15年は122万円〉を下回る人の割合)は13.9%となった。過去最悪だった前回の12年調査から2.4ポイント下がり、12年ぶりに好転したとはいえ、7人に1人が貧困状態にある。OECD(経済協力開発機構)加盟国の13年の平均である13.3%を上回っている。

経済的な理由で就学が困難な世帯に給食費や学用品費を支給する就学援助の対象者も4年連続で減少しているが、まだリーマンショック前より多い。率で見ても高止まりしている(下図)。

親の収入が少ないことによって、十分な教育を受けられず、進学・就職で不利になり、収入の高い職に就けない状態が続き、貧困を抜け出せない──。困窮する子どもたちを放置すると、「貧困の連鎖」に陥ってしまう。


◎改善してても「深刻化」?

過去最悪だった前回の12年調査から2.4ポイント下がり、12年ぶりに好転した」のならば「子どもの貧困が深刻化」と言うのは少し苦しい。「就学援助の対象者も4年連続で減少」しているのならば、なおさらだ。「7人に1人が貧困状態」「(就学援助の対象者の)率で見ても高止まり」などと補ってはいるが「深刻化」が一段と進んでいる感じはない。

広がる子どもの格差」に関しても同様だ。記事の中に格差の広がりを裏付けるデータは見当たらない。

記事には「日本は世界的に見ても高い-子どもの貧困率の国際比較-」というタイトルを付けたグラフも載っている。これを見ると日本はOECD加盟35カ国中16位だ。グラフからは「世界的に見ても高い」との印象は持ちにくい。「真ん中ぐらい」という感じだ。

しかも、これはOECD加盟国内での比較だ。世界にはOECDに加盟していない国の方が多い。「世界的に見ても高い」かどうかはOECDのデータだけでは何とも言えない。本当に「世界的に」見た場合、日本の「子どもの貧困率」は低い可能性もある。

子どもの貧困が深刻化」という特集の方向性が大前提としてあり、その後でデータに当たったのだろう。だが、想定とは若干異なるデータが出てきてしまった。そこで何とか辻褄が合うように書いてはみたものの、苦しさは拭えなかったといったところか。

記事では他にも気になる記述があった。

【東洋経済の記事】

自治体や民間も支援に動き始めた。その一つが貧困家庭の子どもに無料で行う学習支援事業だ。

無料学習支援というと進学塾に通うようなイメージを持たれがちだが、通っている子どもたちの実態には愕然とさせられる。

「中学生が『映画を見に行く』と漢字で書けないんですよ……」

さいたま市生活困窮者学習支援事業の運営責任者を務める金子由美子さんはそう話す。集まってくる子どもたちの大半は「小学校の勉強でつまずいている子」(全国子どもの貧困・教育支援団体協議会の青砥恭・代表幹事)。

教室に通うことで学習面での効果はどのくらいあるのか。

「学校の成績評価を1から2へ、入試で100点満点の10点でも取れるようにする。そうすれば底辺校でも高校には入れるから」(青砥氏)

衝撃的なのはこれが氷山の一角であるということだ

「全国で見ると学習支援に来ているのはおおよそ2万人。生活保護世帯の子どもの1割程度しか来ていない計算だ。来られない子こそ問題」(青砥氏)


◎「生活保護世帯の子ども」は全て低学力?

無料学習支援」を受けて学ぶ子どもたちの学力の低さを紹介した上で「衝撃的なのはこれが氷山の一角であるということだ」と筆者の富田頌子記者は訴える。そして「(無料学習支援には)生活保護世帯の子どもの1割程度しか来ていない計算だ。来られない子こそ問題」とコメントを使っている。

有明海(佐賀県太良町)※写真と本文は無関係です

これを読むと「生活保護世帯の子ども=支援が必要な低学力の子ども」との前提を感じる。偏見ではないか。「生活保護世帯の子ども」は学力が低い場合が多いとは推測できる。しかし、そうではない子どもも数多くいるはずだ。成績上位にいる「生活保護世帯の子ども」が「学校の成績評価を1から2へ」上げるための教室に通っても、ほとんど意味がない。

学校の成績評価を1から2へ、入試で100点満点の10点でも取れるようにする。そうすれば底辺校でも高校には入れるから」という青砥氏のコメントにも疑問を感じた。「学校の成績評価」がどんなに低くても、「底辺校」で良ければ高校進学は可能なのではないか。あくまでイメージで、明確な根拠を持っている訳ではないが…。

仮に「成績が下位1%の子どもは底辺校であっても高校進学は難しい」としよう。その場合、いくら「無料学習支援」などで全体の底上げを図っても、結局はその中で下位1%の子どもが出てきてしまう。「高校に通えないと貧困から抜け出せない」のであれば、下位1%の子どもも高校に通えるような仕組みにするしかない(繰り返しになるが、すでにそうなっているような気がする)。


※今回取り上げた記事「連鎖する貧困 PART1 深刻化する子どもの貧困アルマーニ騒動で浮き彫りに 広がる子どもの格差


※記事の評価はC(平均的)。富田頌子記者への評価はB(優れている)からCに引き下げる。

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