2016年11月17日木曜日

シン・ゴジラの「主役」はゴジラ? 日経「春秋」への疑問

17日の日本経済新聞朝刊1面に載ったコラム「春秋」で、「大ヒットした映画『シン・ゴジラ』の主役が踏み抜いたのでは、と思うほど激しく陥没したJR博多駅前の大通りが埋め戻された」との冒頭の記述が気になった。長谷川博己氏が演じた内閣官房副長官の矢口蘭堂が「主役」だと勝手に思い込んでいたからだ。
つづら棚田(福岡県うきは市) ※写真と本文は無関係です

記事の全文は以下の通り。

【日経の記事】

大ヒットした映画「シン・ゴジラ」の主役が踏み抜いたのでは、と思うほど激しく陥没したJR博多駅前の大通りが埋め戻された。原因の究明や近隣への補償などなお難問は残るが、事故から1週間での復旧に各方面から「早い」「素晴らしい」と称賛の声が聞かれる。

決め手は流動化処理土だった。巨大な穴にたまった水の中でも固まる特殊な土のことで、地元の会社が急ピッチで生産し、現場へピストン輸送した。復旧には日ごろのライバル関係を超え、市内・県内の土木、建設業者らが自分たちの仕事を後回しにして駆けつけたという。トラックや重機は昼夜を分かたずに働き続けた。

ネタバレにならぬよう気をつけて記せば、復旧に向けたこうした情景も、政府と民間の企業が一致団結してゴジラを「処理」した冒頭の映画のシーンと重なり、興味深い。突貫工事を終えた福岡市の高島宗一郎市長は「官民一体のオール福岡。この心意気なしに復旧はなし得なかった。日本の底力だと思う」と胸を張った。

起きたことを後悔しても仕方ない。重要なのはどうリカバリーし、ダメージを最小化するかだ。福岡の埋め戻し作戦は、企業や組織の不祥事対応の原則を思い起こさせる。もっともこの街で地下鉄工事にともなう陥没事故が起きるのは3回目だ。いくら復旧が見事でも、同じ過ちが続けば「リカバリー以前の問題」となる。

----------------------------------------

ちなみに9月4日の「春秋」では以下のように書いている。

【日経の記事】

この夏公開されヒット中のゴジラ映画最新作「シン・ゴジラ」。大人の足を映画館に運ばせた裏に、怪獣映画にしては珍しい設定がある。ふつう巨大生物を迎え撃つ役回りは軍人か天才科学者。しかし今作では、若手の政治家や官僚ら背広姿の集団が主役を務めるのだ。

----------------------------------------

こちらの説明にはあまり違和感がない。17日の「春秋」と筆者は異なるのだろうが、矛盾は感じる。「若手の政治家や官僚ら背広姿の集団」がいくら頑張って「踏み抜いて」も博多駅前の陥没は起きそうもない。

ついでに指摘すると「政府と民間の企業が一致団結してゴジラを『処理』した冒頭の映画のシーンと重なり、興味深い」との記述はやや分かりにくい。「冒頭の映画のシーン」とは「この記事の冒頭で紹介した映画に出てくるシーン」という意味だろう。だが、「政府と民間の企業が一致団結してゴジラを『処理』したシーンが映画の冒頭に出てくる」とも解釈できる。

さらに言うと「政府と民間の企業が一致団結してゴジラを『処理』した」と書くのは、十分「ネタバレ」になっている気がする。

最後にもう1つ。「いくら復旧が見事でも、同じ過ちが続けば『リカバリー以前の問題』となる」などと断じる資格は日経にはない。日経では読者からの間違い指摘の多くを無視して握りつぶしてきた。これには長い歴史がある。記事中の間違いのうち「訂正」を出して「リカバリー」しているのは、ごく一部だ。自分たちは「リカバリー」さえ怠って「同じ過ち」を続ける新聞なのだ。「春秋」執筆に当たる論説委員もその自覚をしっかり持ってほしい。


※記事の評価はD(問題あり)。

0 件のコメント:

コメントを投稿