JR久大本線 由布院駅(大分県由布市) ※写真と本文は無関係です |
記事では「木造戸建て住宅は20年で価値ゼロ」という業界の慣習が生まれた背景を以下のように解説している。かなり長くなるが引用してみる。
【日経ビジネスの記事】
日本の住宅の約6割を占める木造戸建て住宅は、最も資産価値の下落スピードが速い。一律で「20年で価値ゼロ」と見なす業界慣習があるためだ。普通ならメンテナンス状況や現状の品質が価格に反映されるのが当然に思えるが、現実はそうなっていない。
価値が維持されない商品は「資産」とは呼べない。つまり日本の住宅の正体は、資産のフリをした「消費財」なのだ。
しかも「20年で価値ゼロ」と見なす慣習の根拠が定かではない。「財務省令で、木造住宅の耐用年数を22年と定めている」ことが、きっかけという説が有力だが、市場価格と税制上の扱いは、本来何の関係もない。
それでは、なぜ根拠がないルールが業界慣習として、実際の市場に影響するようになったのか。それは国、不動産・建設業界、金融業界が一丸となって、慣習にしがみついてきたからだ。
国にとって、消費財であり固定資産である新築住宅は、非常に都合の良い存在だ。新築住宅であれば消費税と固定資産税が税収として入る。だが、中古住宅流通では基本的に消費税が発生しない。ちなみに土地の売買に、消費税はかからない。
大和ハウス工業の樋口武男会長・CEO(最高経営責任者)は「米国と英国では住宅に消費税はかからない。消費税と固定資産税の二重取りは顧客にも説明がつかないので、品質が高い住宅への消費税は適用除外にしてほしいと何度も陳情したが、ダメだった」と明かす。
一方、不動産会社としては中古住宅の価値を認めない方が、都合が良い。資産価値が認められて中古流通比率が高まることは新築着工の減少につながり、業績面ではマイナスに作用するからだ。
住宅投資がGDP(国内総生産)に占める比率は3%程度。しかし、その動向は建設業や金融業だけでなく、家電や住設機器などにも広く影響し、経済波及効果が大きい。生活に密着した存在ということもあり、毎年税制改正を巡る綱引きに注目が集まる。
中古住宅市場活性化が叫ばれる中、2015年9月に不動産協会が出した税制改正要望の第1項目は「新築住宅に係る固定資産税の軽減特例の延長」。長年、延長を認めさせてきたこの特例を、業界は今回も勝ち取ったわけだが、その陳情ぶりを見ても新築重視の姿勢がうかがい知れる。
家を売っても借金が残るため、住み替えられない。そんな状況を生み出す一翼を担う形になっているのは、金融機関だろう。
「建物の建築主や状態を現地まで行って調べるのは面倒で時間もかかる。そんな審査なんてやってられない」とある地域金融機関のトップは率直に語る。「住まいを売っても借金が残ることが住み替えを阻んでいると認識している」とこの首脳は言うが、では結局のところ住宅ローンは何に価値を見いだして受け付けているのかといえば「人の返済能力だ」と明言する。
ある地銀の中堅幹部は「まだ使い続けられる建物に価値があるという議論は分かる。だが、市場が認めない価格を銀行が認めて融資するわけにはいかない」と説明する。現在の住宅ローンはほとんど取りっぱぐれがないおいしい商品である。経営的な観点から見れば、自ら積極的に変える理由はない。
税収減を恐れる国。新築着工戸数減少を少しでも先送りしたい不動産・建設業界。消費者に余分な負担を強いていることを認識しながら、その状況を放置する金融機関。それぞれが目先の利益を追求し、「20年で価値ゼロ」というルールはビジネスの前提条件としてガッチリと組み込まれ、日本は「中古不流通」状態へと陥った。その結果、500兆円という巨額が国民の手からこぼれ落ちてしまったのは前述の通りだ。
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上記の説明に関して、まず個別の疑問点を列挙してみたい。
◎国も「しがみついてきた」?
「20年で価値ゼロ」が市場に定着した理由を「国、不動産・建設業界、金融業界が一丸となって、慣習にしがみついてきたからだ」と記事では解説している。ならば国はどんな形で「しがみついてきた」のだろうか。この慣習を守っているのは不動産市場の参加者であり、国は基本的に関与していないはずだ。新築偏重の流れを守ろうと様々な対策を打って「20年で価値ゼロ」となるように仕向けてきたのならば「しがみついてきた」と言えるだろう。しかし記事中にそうした説明は見当たらない。
◎金融機関も「しがみついてきた」?
記事によれば、住宅ローンで金融機関が見ているのは「人の返済能力」であり、建物の状態などはいちいち審査していられないらしい。ならば建物の価値が20年でゼロになろうが、買い値の半分の価値が残っていようが、金融機関には関係ないことになる。融資基準を変えれば「20年で価値ゼロ」に何らかの影響を与えられるかもしれないが、金融機関が「20年で価値ゼロ」に「しがみついている」とは考えにくい。
次に「20年で価値ゼロ」に何の問題があるのか考えてみたい。
◎富が失われる?
「20年で価値ゼロ」という慣習のせいで「500兆円という巨額が国民の手からこぼれ落ちてしまった」と記事では主張している。本当にそうだろうか。具体的に考えてみよう。
Aさんは築20年で本来価値1000万円の住宅(建物部分)を保有している。しかし、20年ルールのせいで0円としか評価してもらえない。そのため土地代の2000万円だけで建物も一緒にBさんへ2000万円で売却したとしよう。この場合、建物部分の本来価値1000万円は無償でBさんのものになっている。Aさんは1000万円の損でBさんは1000万円の得だ。国民全体で見れば損得はない。外国人に売却すると話は変わってくるが、売買シェアとしては無視してよい水準だろう。
◎本当に「20年超」でも価値がある?
「不動産市場で価値ゼロと評価される20年超の住宅でも、本当はちゃんと価値がある」というのが記事の主張の根幹だ。しかし、不動産市場のような不特定多数の参加者が自由に売買しているところで、そんなに人為的に評価を下げられるのだろうかとの疑問は湧く。カルテルが成立しているなら話は別だ。しかし、そうした話は聞かないし、プレーヤーが多すぎるので現実的ではないだろう。
そもそも、価値があるものを無理にゼロ評価しているとすると、そこには大きな商機が生まれる。「本来は価値がある」というからには、その価値を理解してくれる人がどこかにはいるはずだ。ならば、その人を見つけて販売すれば多額の利益が得られる。なぜそういう人が現れないのだろうか。「本来の価値を計測するのが難しいし、価値を分かってれる人もなかなか見つからない。マッチングをしようとすると費用が掛かり過ぎて割に合わない」とすれば、「本来的価値はないに等しい」と考えた方が正解だ。
◎なぜ「10年で価値ゼロ」にはならない?
住宅の価値を早めにゼロにすることが国、不動産・建設業界、金融機関にとってそんなに都合がいいのなら、なぜ20年ではなく10年あるいは5年で「価値ゼロ」にしないのだろうか。本質的価値から乖離させて「20年で価値ゼロ」とするのが可能ならば、もっと期間を短くもできるはずだ。それができないとすれば、やはり「20年で価値ゼロ」には、それなりの合理性があるのではないか。
「高い価値のある住宅でも一律に20年で評価がゼロになる」というのが本当ならば、記事の主張とは逆に新築住宅を建てる人が減りそうな気がする。新築の価値は100で築20年は価値80(しかし評価はゼロ)だと仮定しよう。多少古くなっているが、住むのに不自由はないとする。新築の建物の価格が1000万円で築20年がタダならば、基本的には築20年の物件(価値は新築の80%)に住む方が経済的に有利だ。そうなると、わざわざ1000万円も払って家を建てるおめでたい人はなかなか出てこなくなる。
ならば、何かが間違っているはずだ。それは築20年の価値を新築の80%としていることだと思える。評価もゼロで実質的な価値もほぼゼロならば「中古を買うより新築」となるのも納得できるのだが…。
※記事の評価はD(問題あり)。広岡延隆記者、林英樹記者、島津翔記者への評価はDで確定とする。玉置亮太記者(日経コンピュータ)、松浦龍夫記者は暫定でDとしたい。
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