2021年5月10日月曜日

国産ワクチンがないと「敗戦」? 日経の高田倫志記者に考えてほしいこと

10日の日本経済新聞朝刊インサイドアウト面に載った「必然だったワクチン敗戦~不作為30年の官、民のはしご外す」という記事には問題を感じた。最初の方で高田倫志記者(先端医療エディター)は以下のように書いている。

下関駅

【日経の記事】

新型コロナウイルスのワクチン開発で日本は米英中ロばかりか、ベトナムやインドにさえ後れを取っている。菅義偉首相が4月、米製薬大手ファイザーのトップに直々に掛け合って必要なワクチンを確保したほどだ。「ワクチン敗戦」の舞台裏をさぐると、副作用問題をめぐる国民の不信をぬぐえず、官の不作為に閉ざされた空白の30年が浮かび上がる。

世界がワクチンの奪い合いの様相を強める中で、国産ワクチンはひとつも承認されていない。ところが、厚生労働省で医薬品業務にかかわる担当者は「米国や欧州ほどの感染爆発は起きていない。何がいけないのか」と開き直る。「海外である程度使われてから日本に導入したほうが安全性と有効性を見極められる


◎世界は敗戦国ばかり?

高田記者の考えでは「新型コロナウイルスのワクチン開発」に成功した国が戦勝国で、それ以外が「ワクチン敗戦」国なのだろう。記事から判断すると「米英中ロ」「ベトナム」「インド」などの限られた国が戦勝国ということか。つまり世界は「ワクチン敗戦」国で溢れている。だとしたら、それほど嘆くことなのか。

そもそも自国で「新型コロナウイルスのワクチン開発」をしようとする国がかなり少ないはずだ。記事によると日本は4社が「開発中」だ。承認には至っていないとしても、先頭集団に近いところにいる。

アンジェス、塩野義などが開発中の国産ワクチンは承認されるとしても22年以降の見通しだ」と高田記者は言うが、裏返せば「22年以降」は戦勝国の仲間入りを果たせる可能性が十分にある。やはり嘆くほどの話ではない。

そもそも「新型コロナウイルスのワクチン開発」に成功したかどうかで勝敗を決める意味はあるのか。例えばイスラエルは外国製のワクチンに頼って高い接種率を実現したようだが、この場合も高田記者の考えに従えば「ワクチン敗戦」なのだろう。しかし、必要な人にワクチンが十分に供給できればいいのではないか。

日本に関しては「菅義偉首相が4月、米製薬大手ファイザーのトップに直々に掛け合って必要なワクチンを確保したほどだ」とも書いている。これも「必要なワクチンを確保」できているのならば問題はないはずだ。

国産ワクチンはひとつも承認されていない」状況に関して「米国や欧州ほどの感染爆発は起きていない。何がいけないのか」という「厚生労働省で医薬品業務にかかわる担当者」のコメントを高田記者は紹介している。「海外である程度使われてから日本に導入したほうが安全性と有効性を見極められる」という発言も含めて納得できる内容だが、高田記者はこれらの発言にどんな問題があるのか教えてくれない。

新型コロナは、全体として見れば日本人の命を守ったとさえ言える。日本ではコロナ禍によって超過死亡が生じることはなく、逆に2020年の死亡者数は11年ぶりに減少した。新型コロナによる死亡者が高齢者に偏っていることも併せて考えれば、慌てて「国産ワクチン」を承認すべき状況にはなっていない。

ワクチンは感染が広がらなければ需要がなく、民間企業だけでは手がけにくい。しかし日本では開発支援や買い取り、備蓄の機運は乏しい」とも高田記者は書いている。政府が支援しろといいたいのだろう。しかし「開発支援」が乏しい中でも4社がワクチンを「開発中」だ。それで十分ではないか。特定の産業に資金を投じて保護する政策は不正の温床になるし公平性にも欠ける。なるべく避けるべきだ。

結局、「ワクチン敗戦」と騒ぐほどの事態だとは思えない。もちろん、十分な有効性を確保して承認を得る国内企業が現れた方が好ましい。しかし、そうした企業がいないからと言って、いたずらに危機感を煽る必要はない。


※今回取り上げた記事「必然だったワクチン敗戦~不作為30年の官、民のはしご外す


※記事の評価はD(問題あり)。高田倫志記者への評価は暫定でDとする。

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