2015年10月17日土曜日

日経女性面なら許される? 水無田気流氏の成立しない説明

日経の女性面と言えば、女性を応援している限りいい加減な記事を書いていても大丈夫というイメージが強い。詩人・社会学者の水無田気流氏が書いた17日の「女・男 ギャップを斬る~『おじさん』中心雇用社会 擬態可能な寿命は短い」という記事もその典型だろう。話がまともに成立していない。 冒頭で「この国の企業には、どうやら性別年齢を問わず、働く人々を『おじさん』にしてしまう魔物が潜んでいるらしい」と言ってはみたものの、実際に読んでみると「魔物」はいないようだ。

大濠公園(福岡市中央区) ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

この国の企業には、どうやら性別年齢を問わず、働く人々を「おじさん」にしてしまう魔物が潜んでいるらしい。「ケアワークを妻に丸投げして仕事だけしていればいいおじさん」が労働者の標準型であるため、それ以外の人々は周辺労働へと追いやられていく。女性だけではなく、介護などを抱え込んだ男性もまた「おじさん」の座から滑り落ちてしまう。たとえば、民間研究所の調査によれば、正社員から介護のために転職した人のうち、転職先でも正社員として働いている人は、男性は3人に1人、女性は5人に1人となり、平均年収は男性で4割、女性で5割減少する。

女性がゆるく長く働き続けられるのは、いわゆる一般職的な雇用形態である。最初から結婚後の家庭責任負担の重さを見越して、こちらのコースを目指す女性も多い。またスタート地点で同じ正社員から始めても、女性は育児負担を抱え込むと途端に「おじさん」の働き方が難しくなってしまう。日本の企業では産休育休の取得後時短勤務で復帰した女性は、比較的責任が軽く低待遇の職にコース替え(マミートラック)が慣行となっている。日本は先進国の中で「子どもがいるフルタイムワーカーの男女(25~44歳)の賃金格差」がもっとも大きい国だ。子どもがいない男女の賃金格差は24%だが、子どもがいる男女の賃金格差は61%。


冒頭の主張通りならば、この国の企業で働く人は、若者も女性もあっと言う間に「ケアワークを妻に丸投げして仕事だけしていればいいおじさん」になってしまうはずだ。しかし、水無田気流氏によると「女性だけではなく、介護などを抱え込んだ男性もまた『おじさん』の座から滑り落ちてしまう」らしい。みんなを「おじさん」に変えてしまう「魔物」は死んでしまったのか。

記事では「女性は育児負担を抱え込むと途端に『おじさん』の働き方が難しくなってしまう」とも書いている。ここでも「魔物」が女性を「おじさん」に変えてしまう様子はない。「比較的責任が軽く低待遇の職にコース替え」になった女性は「魔物」から逃れる術を知っているようだ。

そもそも「ケアワークを妻に丸投げして仕事だけしていればいいおじさん」だけを「おじさん」と呼んでいるのも気になる。「介護などを抱え込んだ男性もまた『おじさん』の座から滑り落ちてしまう」と筆者は言うが、例えば介護のために転職した50代男性を「おじさんではない」と考えるのは不自然だ。「おじさん=ケアワークを妻に丸投げして仕事だけしていればいい男性」との印象を与える書き方は適切とは思えない。当たり前の話だが、「ケアワークを妻に丸投げして仕事だけしているおじさん」もいれば、そうではない「おじさん」もいる。

『おじさん』の座から滑り落ちてしまう」という表現も引っかかった。水無田気流氏の考えでは「おじさん」は「周辺労働へと追いやられていく」人よりも一段高いところにいるのだろう。この考えには賛成できない。むしろ逆との考えも成り立つ。「女性がゆるく長く働き続けられるのは、いわゆる一般職的な雇用形態である」と水無田気流氏も書いている。そして、一般的には「おじさん」にこうしたコースは用意されていない。

仕事ばかりの人生しか選べない「おじさん」になりたいか、それとも一般職として緩く長く働く「女性」になりたいかと問われれば、個人的には迷わず後者だ。「おじさん」の座にいたとしても、喜んで「緩く長く」へと滑り落ちたい。


※記事の評価はD(問題あり)。水無田気流氏の評価も暫定でDとする。

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