2016年10月17日月曜日

「転職しやすさが高成長を生む」? 日経の怪しい説明

経済記事では、データの扱いが非常に重要だ。そのデータの扱いで問題が生じやすいのは、相関関係に関するものだ。相関関係から勝手に因果関係を導き出すと、ご都合主義的な解説に陥りやすい。17日の日本経済新聞朝刊総合・経済面に載った「エコノフォーカス~転職しやすさ、賃上げを刺激 勤続短い国は潜在成長率高め」という記事にも、その危うさがある。
福岡県立浮羽究真館高校(うきは市) ※写真と本文は無関係です

筆者の川手伊織記者は記事の冒頭部分で「海外では転職のしやすさ(流動性)が高成長につながる傾向が認められ、賃上げへの波及効果も期待できそうだ」と書いている。この説明が妥当かどうか考えてみたい。

【日経の記事】

まず経済協力開発機構(OECD)や米労働省のデータをもとに、日米欧など35カ国の「勤続10年以上の従業員の割合」を調べた。データがそろう12年時点でみると日本は47%。ギリシャ、イタリア、ポルトガルの南欧3カ国に次いで高い。

経済の中長期的な実力を示す潜在成長率では日本は0.3%だった。こちらは南欧3カ国に次ぐ低さだ。

勤続年数が短い米国やオーストラリアは潜在成長率も高めだ。35カ国全体では「勤続10年以上の割合が10%低いと、潜在成長率は1.4ポイント高い」という関係性が浮かぶ

もちろん潜在成長率を左右する要素はその国の人口や投資(資本投入量)、技術革新の度合いなど様々だ。だが労働投入という切り口から見てみると、転職が活発になるほど人的資本が収益力のより高い成長部門に移動しやすくなり、経済全体を底上げするという流れを裏付けているようだ

潜在成長率の上昇に伴って経営者は経済成長の先行きに楽観的になる傾向も強い。強気の収益見通しを立てやすくなる分、賃上げにも応じやすくなる。内閣府の分析では、企業が成長率予測を1ポイント引き上げると、1人あたり人件費の前年比伸び率も1.3ポイント高まる。

----------------------------------------

記事には「潜在成長率」と「勤続年数10年以上の従業員の割合」の関係を示すグラフが付いている。「労働市場で人の入れ替わりが活発なほど、潜在成長率が高い傾向にある」というタイトル通りのグラフになっている。両者に相関関係があるのは認めていい。

だが、因果関係に関しては特に根拠を示していない。川手記者の推測なのだろう。

「推測だから意味がない」とは言わない。ただ、因果関係は川手記者の推測とは逆だと考える方が自然だ。「勤続年数10年以上の従業員の割合」を低くすると「潜在成長率」が高まるのではなく、「潜在成長率」が高い社会だから「勤続年数10年以上の従業員の割合」が低くなるのではないか。

当然だが、若年層の比率が高い社会では「勤続年数10年以上の従業員の割合」は低くなる。こうした社会では出生率が高く、人口も増えやすい。ゆえに潜在成長率も高くなりそうだ。

人口増加以外の何らかの理由(例えば技術革新)で潜在成長率が高まった場合も、新産業が急成長してそちらに労働者が移るので「勤続年数10年以上の従業員の割合」は低くなるだろう。このように「潜在成長率が高くなると労働者の流動化も進む」という因果関係には説得力がある。

川手記者は「労働者の流動性を高める→潜在成長率が高まる→賃上げが進む」という関係を記事で提示している。しかし、実際には「潜在成長率が高まる→労働者の流動性が高くなる」という因果関係だとしたら、解雇規制を緩めたところで賃上げにはつながらない。

因果関係の説明が苦しい部分は他にもある。

【日経の記事】

野党などでは安倍政権が目指す解雇の金銭解決制導入や「脱時間給」で非正規化や賃金カットが広がるとの反発が強い。だが脱時間給で職務本位の採用が進むなどして転職しやすい環境になれば、経済の生産性が高まって働き手への恩恵も広がりそうだ

----------------------------------------

上記のくだりはさらに強引だ。なぜ「脱時間給」にすると「職務本位の採用が進む」のか。ほとんど関係ないだろう。「解雇の金銭解決制導入」が「転職しやすい環境」につながるとも思えない。解雇規制を緩めれば「やむなく転職市場に放り出される人」は増えるだろう。しかし「転職しやすい環境」になるかどうかは別だ。常識的に考えれば、転職市場での競争相手が増えるので、採用されにくくなるはずだ。

「解雇規制を緩和したり、残業なしで働くようにしたりすれば、労働者にもメリットが大きいんですよ。経済が成長して賃上げも進むんですよ」と川手記者は訴えている。本気でそう思っているのか、日経の社論に合わせて仕方なく記事を書いているのかは分からない。

いずれにしても、解雇規制の緩和や「脱時間給」が経済を成長させ、賃上げを呼び込むと考えるのは無理がある。例えば、日本では1990年代以降に非正規雇用の比率が高まった。非正規だと雇用が安定しないので、実質的な“解雇規制の緩和”とも言える。非正規に関しては労働者の流動性も高い。それが日本の潜在成長率引き上げや持続的な賃上げにつながっただろうか。

今回の記事を読んで「そうか。解雇規制の緩和とかを進めた方が労働者のためなんだ」と素直に信じる人も少なくないだろう。そう考えると川手記者は罪深い。


※記事の評価はD(問題あり)。川手伊織記者への評価も暫定でDとする。この投稿に寄せられたコメントについては「『解雇規制の緩和』に関するコメントを受けての追加説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_90.html)、「『解雇規制の緩和』に関するコメントを受けてさらに説明」(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_42.html)を参照してほしい。

1 件のコメント:

  1. >常識的に考えれば、転職市場での競争相手が増えるので、採用されにくくなるはず

    労働市場がダブついてればそうですけど、タイトなら労働者側有利になるでしょう。

    あなたが自分で直前に「>『転職しやすい環境』になるかどうかは別」と言っておられてこれは賛成。なのになぜ次の瞬間「>採用されにく(い環境になる)」と言い出すのか。「>別(問題)」なんじゃなかったのか。

    転職しやすさは労働市場のタイトさ≒(自然失業率を基準にした)失業率の趨勢で決まると考えるのが経済学を踏まえた普通の見解でしょう。そしてこれは金融・財政政策で調整する話。

    問題はタイトなのに転職がしやすくならない場合、解雇規制緩和で長期的に労働環境を変えるべきかもしれない(これはまた別の分析が必要で当該日経記事では説明しきれてないのは事実)。また労働市場がダブついた場合セーフティネットできちんと対応する必要は当然ある。

    返信削除