2016年10月30日日曜日

「脱時間給」の推し方に無理がある日経「働く力再興(4)」

日本経済新聞の朝刊1面で「働く力再興~改革に足りぬ視点」という連載が始まった時に「脱時間給や解雇規制緩和で無理のある主張を展開してくるのではないか」と予想したら、やはりその通りになった。第3回で「欧米では失業しても悲壮感が乏しい」と根拠なく唱えたのに続いて、第4回の「『モーレツ社員』がいてもいい 時間の管理、私に任せて」では「成果に応じて賃金を払う脱時間給制度はいまの労働実態に即している」と訴えている。
角島大橋(山口県下関市) ※写真と本文は無関係です

電通の女性社員の過労死が大きな問題となっている今の日本で、「脱時間給」が本当に「いまの労働実態に即している」のか、記事の中身を検証してみたい。

【日経の記事】

現有戦力が今まで以上に力を出すしか日本経済が伸びる道はない。といって無軌道に働き続ければ、貴重な働き手にダメージを与える。時間の使い方を変えれば生産性は上がる。こなすべき仕事にどう取り組むか。働き手の判断ひとつだ。

サイバーエージェントの山内隆裕取締役(33)は時間を気にせずバリバリ働く新人時代を過ごし「筋肉営業」とやゆされた。今は平日午後8時に帰る。子会社社長も兼務する慌ただしい日々で、「1時間あたりの価値の最大化」を意識する。

60分の会議は50分に短縮。浮いた時間で社員と意見を交わし、企画を練る。定例会議はやめた。昼食も打ち合わせに使う。子育て中の女性や束縛を嫌う技術者も、会社にいる時間は短いほうが力が出る。そう考えた。

----------------------------------------

◎「午後8時に帰る」のは凄い?

なぜ最初に「サイバーエージェントの取締役」を取り上げたのだろうか。役員ならば「時間の管理」はかなり自由にできるのが当然だ。サイバーエージェントが「時間の管理」で先進的な企業ならば、普通の社員を取り上げた方が説得力はある。

山内隆裕取締役」の話も大したことがない。仮に朝9時から働いているとすると、「午後8時に帰る」まで昼休みも仕事に使って連続11時間働いている計算になる。今でも十分に「バリバリ働く」側の人だ。

60分の会議は50分に短縮。浮いた時間で社員と意見を交わし、企画を練る」という話も苦しい。「浮いた時間で社員と意見を交わし、企画を練る」のは会議と大差ない。会議で「社員と意見を交わし、企画を練る」こともできるのだから。

昼食も打ち合わせに使う。子育て中の女性や束縛を嫌う技術者も、会社にいる時間は短いほうが力が出る」との説明も引っかかった。「子育て中の女性や束縛を嫌う技術者」と昼休みに打ち合わせをしているのだろうか。だとしたら、打ち合わせの相手をする社員らは昼休み返上で働くしかない。その分、早く帰れるとしても、社員らの労働時間は減らないし、社員に休憩なしで働かせているのであれば、労働基準法違反の疑いもある。社員は打ち合わせ終了後にきっちり休憩を取っているのであれば「会社にいる時間」を短くする効果は見込みにくい。

2つ目の事例もまた苦しい。

【日経の記事】

楽天を辞めフリーで働く日下朋子さん(36)。市場調査や広報支援など常時5つほどの仕事をこなす。ベンチャー経営者とは二人三脚で事業開発を進める。さぞモーレツな働きと思いきや、1日を仕事、遊び、勉強、睡眠に分け、働く時間は「6時間」に限定。2年前の病気が転機になった。

基本原則がある。1つは働く場所を選ばない。東京の自宅、福島の実家、貸しオフィスを活用する。2つ目は得意な仕事だけやる。苦手な作業は他人に任せる。3つ目は1日1分でも前進する。「毎日がオーディション。1回のメールや提出物に魂を込める」。収入は正社員時代と比べても満足のいく水準という

2人の共通点は、時間を自分の判断で使うところだ。働く時間を抑えても成果は落とさない。安倍晋三首相(62)は働き方改革を巡り「モーレツ社員の考え方が否定される日本にしたい」と宣言した。長時間働きづめは時代遅れだが、成果が出なくては元も子もない。

----------------------------------------

◎「取締役」の次は「フリー」?

フリーの人が「時間を自分の判断で使う」のは当たり前だ。取締役やフリーの人を取り上げないと「時間を自分の判断で使う」事例が見つからないとすれば、日本の普通の会社員は「時間を自分の判断で使う」ような環境にないと言えないだろうか。

日下朋子さん」の収入が「正社員時代と比べても満足のいく水準」となっているのも気になった。「増えている」とは書いていないので、減収なのだろう。だが、労働時間も減っているから「満足」なのではないか。その辺りを曖昧にしているのにズルさを感じる。

付け加えると「1つは働く場所を選ばない。東京の自宅、福島の実家、貸しオフィスを活用する」と言われても「働く場所を選ばない」ようには見えない。例えば「美容院で髪を切ってもらいながらプレゼン用の資料を作ったり、スポーツジムで筋力トレーニングをしながら取引先と電話で交渉したりする」と書いてあれば、確かに「働く場所を選ばない」んだなと納得できる。

3番目の事例にもツッコミを入れておこう。

【日経の記事】

金属加工のオーザック(広島県福山市)は社員に1日8時間以上働かせない。仕事量も減らさない。社員は工夫した。1人が複数の機械を扱う「多能工」という仕組みを取り入れた。今は機械部門の7割にあたる11人が多能工。残業は6年で3分の1に減った

社内に休みやすい空気が生まれ、仕事と家庭の両立が進んだ。必要な仕事を短時間で終え、早帰りする人もいる。岡崎瑞穂専務(62)は「労働時間を減らして生産性を落とすわけにはいかない。社員が何をすべきか考えてくれた」と話す。

----------------------------------------

◎「8時間以上働かせない」はずでは?

社員に1日8時間以上働かせない」のならば、普通は残業ゼロになる。だが、なぜか「残業は6年で3分の1に減った」だけだ。この「3分の1」は、従業員が時には「1日8時間以上」働いた結果ではないのか。

さて、最後に「脱時間給制度」の導入を求める取材班の主張を見ていこう。

【日経の記事】

時間の縛りをかけずとも労働者は賢く働く。成果に応じて賃金を払う脱時間給制度はいまの労働実態に即している国が一律に労働時間や残業時間を決めれば、むしろ働く自由度が減る。寝食忘れて夢中に働くのもいい。1時間でやるべきことをやり、職場を離れてもいい。「9時~5時」で会社にいる必要はない。

一方で、たとえ本人にやる気があり、長時間働く理由があっても、過重労働にはブレーキをかける必要がある。過労死や精神的ストレスの発症は防ぐ。時間管理の規制を緩めつつ、無理を強いる職場の監視は強める。そこは行政の出番だ。

----------------------------------------

◎辻褄の合わない説明

まず、辻褄が合っていない。「時間の縛りをかけずとも労働者は賢く働く」としよう。だとすれば、過労で倒れるまで働くような「賢く」ない働き方をする労働者は、日本にはいないはずだ。働き過ぎの問題も起きない。めでたしめでたしだ。「過重労働にはブレーキをかける必要」など全くない。なぜなら「時間の縛りをかけずとも労働者は賢く働く」のだから。

ところが記事では「たとえ本人にやる気があり、長時間働く理由があっても、過重労働にはブレーキをかける必要がある」と説いている。「時間の縛りをかけずとも労働者は賢く働く」のではなかったのか。それとも労働時間の上限といった「時間の縛り」が必要なのか。

過重労働にはブレーキをかける必要がある」の方を受け入れて考えてみよう。その場合、「寝食忘れて夢中に働くのもいい」のか。新入社員が張り切って働いていて「最近は土日返上で、1日18時間以上働いているんですよ」と言っている場合はどうなるのか。「長時間働く理由があっても、過重労働にはブレーキをかける必要がある」のか。それとも、「寝食忘れて夢中に働くのもいい」と考えて放置すべきなのか。


◎「国が一律に労働時間や残業時間を決める」?

国が一律に労働時間や残業時間を決めれば、むしろ働く自由度が減る」という説明も分かりにくい。まず、そういう話はあるのか。「日本人の労働時間は1日8時間、残業は週2日で1日2時間。例外はなし」などと決めれば確かに「自由度」は減る。だが、そうした制度を実現しようという動きはなさそうに思える。

現状でも「週3日勤務で1日3時間労働」といった働き方は認められている。企業が従業員の効率性を高めて労働時間を減らしたいのであれば、それを妨げる規制は見当たらない。取材班は何を伝えたかったのだろうか。


◎「脱時間給制度はいまの労働実態に即している」?

成果に応じて賃金を払う脱時間給制度はいまの労働実態に即している」と取材班は訴えるが、根拠は乏しい。どんな「労働実態」なのか明確ではないからだ。過労死が社会問題となるような「労働実態」が残る日本には、「名ばかり管理職」に残業代なしで働かせる手法を認めてあげた方が好ましいとでも言いたいのだろうか。

長時間働く理由があっても、過重労働にはブレーキをかける必要がある」と取材班が本気で思うのならば「脱時間給制度」はやめた方がいい。「今は残業代を払うのが嫌だから社員にそこまで働かせていないけど、残業代を払わずに済むならばもっと働かせたい」と考えている経営者にとって、「脱時間給制度」は渡りに船だ。

「長時間労働をさせたいわけでなない。ただ、無駄な残業代を払うのが嫌なんだ。給与は成果に応じて払いたい」と経営者が思っているだけならば、今の制度でも対応可能だ。まず「残業は原則禁止。どうしても必要な場合は許可を得てからやる」とする。その上で、成果に応じて給与を払えば終わりだ。「脱時間給制度」などなくても「残業なし。成果に応じて給与を支払う」という道は自由に選べる。

「脱時間給制度」の導入を望む経営者がいるとすれば、「残業(あるいは長時間労働)はしてほしい。でも残業代は払いたくない」との願望を抱えていると考えるべきだ。


※記事の評価はD(問題あり)。

※今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

嫌な予感がする日経1面連載「働く力再興」への注文
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_26.html)

欧米の失業は悲壮感 乏しい? 日経「働く力再興」の怪しさ
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_29.html)

サービス残業拒否は「泣き言」?日経「働く力再興」の本音
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_31.html)

0 件のコメント:

コメントを投稿