2016年10月29日土曜日

欧米の失業は悲壮感 乏しい? 日経「働く力再興」の怪しさ

日本経済新聞朝刊1面で連載している「働く力再興~改革に足りぬ視点」の第3回「聞こえぬ『雇用流動化』の声 失業を生かせる国に」では、解雇規制の緩和を求める内容となっている。「失業でも明るい欧米、暗い日本」という対比を通じて、「失業してもいいじゃないか。解雇規制の緩和を進めようよ」と促すのが狙いのようだ。だが、取材班が言うように「欧米の労働者は失業後も腰を据えて次をめざせる。『無職』になると悲壮感が漂う日本と違う」のだろうか。
角島灯台(山口県下関市) ※写真と本文は無関係です

29日の記事の一部を見ていこう。

【日経の記事】

働く場所を持たない人のストレスは大きい。だが、欧米と日本の受け止めはだいぶ違う。欧米は失業期間を能力に磨きをかける時間ととらえ、前向きに職探しに励む人が多いようにみえる。ピンチをチャンスに変える。労働力は不断の鍛え直しがあってこそ輝く。

中略)欧州など海外は企業の内と外で労働者の磨き上げを怠らない。スウェーデンでは机上の勉強と就業体験を組み合わせた2年の公的な職業訓練が原則無料。教育訓練のための休暇取得も法律で認める。労働市場の流動化を前提としているから、欧米の労働者は失業後も腰を据えて次をめざせる。「無職」になると悲壮感が漂う日本と違う

失業してもスキルをあげて再就職の道が開けるとなれば、労働者は転職や離職を前向きに受け止められる。技能や経験値があがるから、再就職先での処遇がよくなる可能性もある。企業も有能な人材をためらいなく外から引き込むようになる。

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記事によると、欧米では失業しても「前向き」で「悲壮感」は乏しいらしい。しかし、実際にそうなのかは怪しい。例えば、「失業した時に悲壮感があったか」との問いに対し、欧州の失業経験者で「あった」と答えたのが30%に対し、日本では90%といったデータがあるのならば納得できる。だが、記事にはそうした話は出てこない。「欧米は前向き」というのは、あくまで取材班の持つイメージだ。

例えば7月27日の日経の記事で鳳山太成記者は以下のように書いている。

【日経の記事(7月27日)】

フランスでイスラム過激派によるテロが止まらない。26日に北部ルーアン近郊で発生した教会襲撃事件でも、犯人がイスラム過激思想に染まっていたことが明らかになった。欧州で特に仏がテロの標的となっている背景には、経済低迷に伴う失業率上昇や社会の閉塞感などで、国内のイスラム教徒や移民が不満を強めていることがある

中略)大多数のムスリムは穏健な市民だが、一部の若者が過激思想に染まっている。仏経済の低迷で若者の失業率は20%強と高く、特に移民は差別を受けて就職が難しい。ムスリムの平均年齢は全国平均より若く、将来に希望が持てない若者がシリアのIS支配地域に向かう事例が後を絶たない

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労働市場の流動化を前提としているから、欧米の労働者は失業後も腰を据えて次をめざせる。『無職』になると悲壮感が漂う日本と違う」という話が本当ならば、なぜ「若者の失業率は20%強と高く、特に移民は差別を受けて就職が難しい」フランスでは「将来に希望が持てない若者がシリアのIS支配地域に向かう事例が後を絶たない」のか。日本以上に「悲壮感」が漂っているように思える。

8月10日のニューズウィーク日本版には「失業と競争のプレッシャー、情け容赦ないフランスの現実」という記事が出ている。

【ニューズウィーク日本版の記事】

<リストラで1年半も失業中の中年男。やっとの思いでスーパーマーケットの監視員の仕事を手に入れるが、彼はその新たな職場で過酷な現実を目の当たりにする。フランスで観客の共感を呼び大ヒットとなった社会派ドラマ>

社会の片隅に生きる人間を見つめるフランス人監督ステファヌ・ブリゼの『ティエリー・トグルドーの憂鬱』では、失業によって悪戦苦闘を強いられる男の姿が描き出される。主人公のティエリー・トグルドーは1年半も失業中の中年男だ。職業訓練を受けても就職できなかった彼は、やっとの思いでスーパーマーケットの監視員の仕事を手に入れる。ところが、これで家族を養いローンも返済できると思ったのも束の間、彼はその新たな職場で過酷な現実を目の当たりにすることになる。

この映画はシリアスな題材を扱っているにもかかわらず、フランス本国で100万人を動員する大ヒットになったという。フランスでは失業率が10%に近く、深刻な社会問題になっている

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欧州では失業しても「悲壮感」がないのが当たり前だとしたら、「失業によって悪戦苦闘を強いられる男の姿が描き出され」た映画が、なぜ「フランスで観客の共感を呼び大ヒットとなった」のか。日経の取材班は欧州の現実を本当に正しく理解しているのか。

10月6日の日経の社説「反グローバル化の動きに歯止めかけよ」では、「若年層を中心に失業率が高止まりしている先進国は多い。経済のグローバル化の恩恵が一部の富裕層に偏っていると受け止められ、反グローバル化の世論が高まりやすい面はある」と訴えていた。欧米では失業しても悲壮感が乏しいのであれば、なぜ「反グローバル化の世論が高まりやすい」のか。「働く力再興」の取材班は「欧米では失業しても悲壮感が乏しい」とのイメージを根拠なく振りまいているように見える。

記事の最後の方で取材班は以下のように話をまとめている。

【日経の記事】

失業してもスキルをあげて再就職の道が開けるとなれば、労働者は転職や離職を前向きに受け止められる。技能や経験値があがるから、再就職先での処遇がよくなる可能性もある。企業も有能な人材をためらいなく外から引き込むようになる。

政府の改革論議では「流動化」という言葉遣いを避けていないか。不当解雇を巡る紛争を金銭補償で解決する仕組みも議論は膠着。職業訓練の充実や、退職した正社員の復職支援などとあわせ、働き手が自由に企業の間を動き回れる仕組みを整えなければ企業の競争力も強まらない

職のない期間は苦境でない。雌伏の時だ。

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働き手が自由に企業の間を動き回れる仕組みを整えなければ企業の競争力も強まらない」と書いているので、取材班では「働き手が自由に企業の間を動き回れる仕組み」になっていないと判断しているのだろう。これはおかしい。働き手が自由に企業の間を動き回ろうとするのを妨げる規制はほぼない。働き手の離職の自由は認められているし、企業は離職した働き手を原則として自由に採用できる。

例えば、トヨタの技術者が会社を辞めて日産に移り、さらにホンダに転職しようとする時に、どんな規制がそれを妨げるのだろうか。「ホンダに移りたいのに、今の法律では日産の許可がないと移れない」といった縛りはない。

働き手が勤務先と「競業避止義務契約」を結んでいれば、同業他社への転職が認められない場合も例外的にはある。取材班がこれを問題にしているのならば、解雇規制の緩和ではなく「競業避止義務契約」の完全無効を求めるべきだ。

取材班が本当に訴えたいのは「不要な働き手を自由に捨てられる仕組みを整えなければ企業の競争力も強まらない」ということではないか。本音を隠さず、「自由に労働者の首を切れる社会にしよう。その方が良い社会になる」と主張すればよいではないか。それができないのは、何か後ろめたさがあると疑われても仕方がない。


※記事の評価はD(問題あり)。

※今回の連載に関しては以下の投稿も参照してほしい。

嫌な予感がする日経1面連載「働く力再興」への注文
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_26.html)

「脱時間給」の推し方に無理がある日経「働く力再興(4)」
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_30.html)

サービス残業拒否は「泣き言」?日経「働く力再興」の本音
(http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_31.html)

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