2015年6月10日水曜日

日経 北沢千秋編集委員への助言(1)

10日付の日経朝刊マネー&インベスト面に出ていた「株、2万円からの投資戦略」にはがっかりした。何が問題なのか。筆者である北沢千秋編集委員への助言という形でまとめてみよう。


【北沢編集委員への助言】

ゲント(ベルギー)の聖ミヒャエル教会
           ※写真と本文は無関係です
この記事の前文では、日経平均株価の2万円回復を受けて「ここから先、どんな姿勢で日本株投資に臨もうか」と問題提起している。読者としては「どんな姿勢で日本株投資に臨むべきか、日経の編集委員がヒントをくれるのだろう」と期待して読み進めるはずだ。なのに、この記事は「先のことは読めないからこそ、分散投資の意味がある」と結論付けて終わってしまう。これでは編集委員が署名入りで長々と記事を書く意味がない。

この結論で良ければ、どんな時期のどんな株式にも使える。「××株の先行きは読めない。だからこそ、××株だけに投資せず、分散投資を心がけよう」。この「××」は「米国」「中国」「トヨタ」「アップル」などに置き換えても問題ない。しかも、来年でも再来年でも使える。こんな結論では、「日経平均が2万円を回復した今の日本株」に限定して「どんな姿勢で臨むべきか」と問うた意味がない。

今回の記事では、専門家の見方も交えながら、PERを使って「割高ではないが、割安感はない」と日本株の現状を解説している。これはこれでいい。しかし、結論部分では、そうした状況を踏まえた上で、強気か弱気か北沢編集委員自身の見解を述べてほしかった。それが記事の肝となったはずだ。

こうした構成になってしまった要因は2つ思い当たる。まず「何を訴えたいか」を明確にしないまま記事を書いているからだろう。「分散投資の重要さを訴えたかった」と北沢編集委員が考えたのならば、結論は「先のことは読めないからこそ、分散投資の意味がある」でもいい。しかし、そう訴えたいのなら、そこに至る道筋は書き出しから全く違ってくるはずだ。「訴えたいこと」を明確にしないまま記事を書き進めると、今回の記事に限らず取って付けたような結びになりやすい。日経の場合、朝刊1面の企画記事(特に10人以上の取材班が手がけた記事)にこの傾向が強い。

もう1つの要因は、リスクから逃げすぎていることだ。日本株に関して強気か弱気か北沢編集委員が自らのスタンスを見せてしまえば、後で振り返った時に恥をかくかもしれない。それを避けるためには「先のことは読めないからこそ、分散投資の意味がある」という結論は有効だ。1年後でも5年後でも、分散投資に意味がある状況は変わらない。しかし、この結論ならば、PERを使って割安か割高かを考える必要はほぼない。「どんな姿勢で臨むべきか」と問いかけた上で「色々な見方があるが、結局先のことは分からない。だから分散投資は忘れないように」と述べれば、話は終わりだ。

署名入りで分析記事を書く記者には、強くこう訴えたい。「多少のリスクを恐れず、自分にしか書けない、自分になら書ける記事を世に送り出してほしい」。編集委員というご利益のありそうな肩書を付けて記事を書くのならば、なおさらだ。相場関連記事で言えば、同じ日経の鈴木亮編集委員はきちんとリスクを取った記事を残している(※「リスクを取った相場予想を評価」を参照」)。

鈴木編集委員にできて、北沢編集委員にできないはずはない。北沢編集委員の奮起に期待したい。


※(2)では、この記事に関して細かい指摘をしていく。

(つづく)

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