2016年5月17日火曜日

日経 梶原誠編集委員の「一目均衡」に見えるご都合主義

随分と恣意的にデータを扱っていると思える記事が、17日の日本経済新聞朝刊 投資情報面に出ていた。「一目均衡~一角獣が生まれた年」という記事で、筆者の梶原誠編集委員は「危機がイノベーションを生む」と訴えている。そういう面が皆無とは言わない。しかし、記事で示した数値からそうした傾向を読み取るのは無理がある。
筑後川橋(片の瀬橋)と菜の花(福岡県久留米市)
          ※写真と本文は無関係です

記事の後半部分を見てから、筆者の主張のどこに無理があるのか検討したい。

【日経の記事】

経済危機というピンチもイノベーションを生んできた。自動車の大衆化を進めたT型フォードは、世界的な金融危機の翌1908年の発売だ。百年に一度とされた2008年のリーマン危機も例外ではなかった。

株式未公開ながら新手の発想で企業価値を10億ドル以上に拡大した「ユニコーン(一角獣)」。米配車アプリのウーバーテクノロジーズを筆頭に、イノベーションの象徴でもある。世界133社を対象に設立の年を集計したところ、平均設立年は07年だった。信用度の低いサブプライムローンの大量焦げ付きが露呈し、危機が始まった年に当たる。

その後リーマン危機、欧州債務危機と混乱は拡大したが、会社の設立は続いた。ユニコーンの54%が「暗黒の5年間」といえる07~11年に生まれている。

危機がイノベーションを生む理由は、消費者の考え方が変わり、企業に変化を迫るからだ。民泊の概念を定着させた米エアビーアンドビーは08年に創業した。「人々がお金を稼ぐあらゆる手段を検討し始めた」。共同創業者は昨年、本紙にこう振り返った。

企業にも条件がある。「ピンチだからこそイノベーティブでないと生き残れない」という強い姿勢だ。米デュポンが1930年代にナイロンを開発できたのは、大恐慌のさなかも研究開発を続けたからだ。

日本も、ピンチをチャンスとする歴史を刻んできた。関東大震災が起きたのは1923年。前年に3004件だった特許の登録は、震災2年後の25年に5086件に急増した。単なる復旧を越えて復興を目指した空気が伝わる。

熊本でも同じことが起こるだろうし、起こらなくてはなるまい。熊本をイノベーション史の例外にしてはならない

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上記の説明がなぜおかしいか列挙してみる。

◎「2005年」に危機があった?

『ユニコーン』は危機が生んだ」というグラフによると、ユニコーンの「年別設立社数」は04年5社→05年4社→06年12社→07年15社→08年14社→09年18社→10年11社となっているように見える(グラフから判断しているので多少の違いはあり得る)。ここで最も大きな変化が生じているのは06年だ。前年の4社から一気に3倍の12社に増えている。梶原編集委員の言うように「危機がイノベーションを生む」のであれば、05年には「リーマン危機、欧州債務危機」を上回るぐらいの大きな危機があったもよさそうだ。しかし、そうした話は記憶にない。


◎なぜ「ユニコーン」で見る?

梶原編集委員はイノベーションが起きた件数を「ユニコーンの設立」で代替させているようだ。全く的外れとは言わないが適切でもない。「ユニコーン」が企業価値10億ドル以上の未公開企業ならば、上場するとユニコーンではなくなってしまう。しかし、上場しても過去に起こしたイノベーションが消えてしまうわけではない。

ユニコーンに関して「世界133社を対象に設立の年を集計したところ、平均設立年は07年だった」と梶原編集委員は書いている。これは何となく理由が想像できる。創業から数年で「企業価値10億ドル」はハードルが高すぎるし、設立から10年以上が経てば、急成長した会社の多くは上場してしまうのだろう。だから、記事に付けたグラフも09年を中心とした正規分布に近い形になっている。

もちろんこれは推測で、危機がイノベーションを生む可能性も否定しない。しかし、そこに因果関係を見出すには根拠が乏しいと思える。基本的にイノベーションとは毎年生まれているものだ。なので「危機の後に生まれてくるのでは」との先入観を持って見れば、おそらくそう見えてしまう。

自動車の大衆化を進めたT型フォードは、世界的な金融危機の翌1908年の発売だ」といった説明からは、その傾向が見て取れる。Aの後にBが起きると、Aが原因でBが起きたと人は思い込みやすい。そこは慎重に判断すべきだ。


◎「阪神大震災」「東日本大震災」はなぜ無視?

熊本でも同じことが起こるだろうし、起こらなくてはなるまい。熊本をイノベーション史の例外にしてはならない」と梶原編集委員は結んでいる。しかし、なぜ海外や関東大震災の例を取り上げているのに、東日本大震災は無視なのか。梶原編集委員の分析が正しければ、東日本大震災の直後から日本ではイノベーションが急増しているはずだ。ユニコーンも多数誕生しているだろう。

『ユニコーン』は危機が生んだ」と信じているのならば、外国や遠い過去ではなく、国内の近い時期の事例の方が説得力がある。しかも同じ震災だ。「東日本大震災は発生から時間があまり経っていないのでデータが揃わない」と言うならば、阪神大震災でもいい。これならば、直後にイノベーションが急増したと示すデータがあるはずだ。震災でなければ1997~98年の金融危機でもいい。

熊本をイノベーション史の例外にしてはならない」と言っている以上、阪神大震災も90年代の金融危機も東日本大震災も、その後に大きなイノベーションのうねりを生み出してきたはずだ。なのに、梶原編集委員はそれらに触れない。となると、やはり疑念が湧く。記事の流れに合うデータをご都合主義的に並べているだけではないのか--。

結局、書きたいことがないのに記事を書いているから、無理のある展開になってしまう。今回の記事の内容は、実は昨年12月に梶原編集委員が書いた「イノベーションの大競争」という記事と非常に似ている。これに関しては「ネタに困って自己複製に走る日経 梶原誠編集委員」で取り上げる。

※記事の評価はD(問題あり)。梶原誠編集委員への評価もDを据え置く。

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