2015年6月28日日曜日

日経 芹川洋一論説委員長 「言論の自由」を尊重?(3)

(2)から続く。

上司を通じて圧力をかけても効果がないと気付いたのか、芹川洋一論説委員長からは以下の内容でメールが届いた。


【芹川論説委員長からのメール】
アムステルダムの海に浮かぶ中華料理店「シーパレス」
                   ※写真と本文は無関係です

花渕さん・鹿毛さん

いろいろ言って恐縮ですが、もうひとつ付け加えておきます。

「民主と自民が組んだときだけだ」のあと「民・自公の協力政権のかたちを探るほかない」と続けているところを読んでもらいたい。

民自公3党の協力により政治的な課題を処理していこう、というのが、我が社の社論です。「だけ」の含意は、「だけ」なのだから、総選挙後も参院選までの間は、民主・自民で部分協力の枠組みをつくって対応していけ、というものです。こうした記事は、細かいところまで考えて書いているつもりです。一方的に「だけ」を取れと言われると、考えて書いている人間からすると、ちょっと待ってくれ、となります。

もっと言えば、この記事のメッセージは、第三極に踊らされるのではなく、民・自の既成政党が将来の日本を見すえて、しっかりして、時には協力していけ、というものです。

このメッセージは政党関係者には伝わったようで、民主、自民の事務方の幹部から、反応がありました。

神は細部に宿るそうだから、細かい点はもちろん大事ですが、ぜひ筆者の意図をくみとってもらいたい。



私からも芹川氏にメールを送った。芹川氏とのやり取りはこれで終わる。



【芹川論説委員長に送ったメール】


メールありがとうございます。思うところを追加で述べてみます。

◎「問題はなかった」のか?

「記事の説明には問題があった」と今も考えています。その点を伝えるのに「こうすれば問題は生じなかった」と書くのはごく普通です。人の受け止め方は様々でしょうが、社会人としての常識を疑われるような無礼な表現とはとても思えません。それはともかく、ここでは「なぜ記事の説明に問題があったと判断しているのか」を改めて説明します。


★その1)「普通の読者」にとって自明か?

記事では「自公+第三極の政権になっても参院で過半数には届かない」とは書いていますが、「自公は小沢(日本未来の党)とは組まない」との説明はありません(示唆さえしていません)。記事を読んだ時に「自公が第三極を全て取り込んでも参院では過半数に届かないんだな」と読者が思うのは自然です。そう理解したとしても、読み手に落ち度はないでしょう。「小沢とは組まない」という前提を、芹川さんの言う「普通の読者」と共有していると考えるのは無理があります。誤解が生じるとすれば、記事中の説明に問題があるのです。


★その2)「民主と自民が組んだときだけ」か?


ユトレヒト(オランダ)のドム塔
          ※写真と本文は無関係です
最初のメールでも説明しましたが、「自公以外の勢力による連立」でもねじれ解消はあり得ます。「自民と民主が組んだときだけだ」とは言えません。記事を読んだ時に「自民と民主が組まないという前提では、どんな組み合わせでも参院のねじれは解消しないんだな」とすんなり理解した「普通の読者」はたくさんいたでしょう(私もその1人です)。「現実的には自民と民主が組んだときだけだ」と伝えたいのであれば、そう書けば済む話ではありませんか? 「『だけ』を取る」という選択は改善例の1つとして伝えたものです。筆者の意図が誤解の余地なく伝わるのであれば、他の選択でも問題はありません。


◎耳の痛い話

頂いたメールの中の「別にいろんなところから評価されたから、いいというものではないが、きょう、さまざまな反応があった中で、貴兄のメールは異色だった」というくだりが気になりました。「耳の痛い話が届きにくくなっているのではないか」と感じたからです。芹川さんの立場になれば、特に社内からは厳しい指摘を受けにくくなるでしょう。釈迦に説法だとは思いますが、立場が上になるにつれて自分を気持ちよくさせる情報しか入らなくなるものです。例えば、花渕部長に働きかけて私が委縮すれば、芹川さんの元に耳の痛い話はさらに届かなくなります。実際に、花渕部長からは社内で記事に関する議論をさせまいとする圧力をこれまでに何度も受けています。「最強のコンテンツ企業集団」を目指す日経にとって、それらは望ましいことですか? 報道機関としての自殺行為だとは思いませんか? 耳の痛い話を遠ざけるのではなく、逆にどんどん入ってくるように仕組みを改めるぐらいの気概が欲しいのです。そうでなければ、構造的な市場縮小の中で日経が衰退を免れる道はないでしょう。


6月28日の社説「懲らしめられるのは誰だろう」で日経は「反対意見を封殺せず、言論には言論で対抗していくのが民主主義である」と書いた。しかし、社内で記事に関する自由な議論ができないとすれば、言論の自由の大切さを紙面で説いても虚しく響く。ちょっと耳の痛い指摘を受けただけで上司を通じて圧力をかけるような論説委員長が論説委員会のトップに立っている現実を、日経は重く受け止めるべきだ。

念のために言っておくと、芹川氏は日経の中ではまともな方だ。上司を通じて圧力をかけたことを隠していないのは評価できる。自分の姿を隠して裏から手を回し、記事への指摘をやめさせようとする輩は日経社内にたくさんいる。こうした社内の現実を理解していれば、新聞社として「言論の自由が大切」といった主張をする気にはならないはずだ。

社内で自由な議論ができるような環境を整えるか、言論の自由の重要性を紙面で訴えるのをやめるか。日経にはこの二者択一を求めたい。


※芹川洋一論説委員長への評価はE(大いに問題あり)とする。

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