【ダイヤモンドへのメール】
週刊ダイヤモンド編集長 田中博様
6月13日号の「訂正とお詫び」の中で「60歳を超えると、毎年、年代層に応じて数日間の軍事訓練を受ける義務も負う」との記述を「60歳になるまで」に訂正された件で、私は再訂正を求めました。しかし、6月20日号に続き、6月27日号でも再訂正は掲載されませんでした。6月7日に訂正記事の内容が誤りであることをお伝えし、その後もメールや電話で回答を求めていますが、完全に無視されています。間違い指摘から2週間以上が経過しており、「訂正記事の内容には誤りがあるが、再訂正はしない。指摘に関しては、無視を貫く方針である」と推察するしかありません。この前提に基づいて、一読者としての意見を申し上げます。
「記事を作る側の人間には越えてはいけない一線がある」と私は考えています。明らかな誤りを握りつぶしてしまった方が組織内で大きな波風を立てずに済む場合も多いでしょう。しかし、一度そのやり方に手を染めてしまえば、記事の作り手としての信頼と資格を決定的に失ってしまいます。例えば、社外の知り合いから「訂正記事の中に明らかな誤りがあったのに、握りつぶして無視したって本当ですか?」と問われたら、何と答えますか。「雑誌編集者として後ろめたいことは何もしていません。あれは握りつぶすのが正解です」と胸を張って言えますか。
アントワープ中央駅 ※写真と本文は無関係です |
今回のように間違い指摘を握りつぶしてしまえば、今後の記事で企業の不祥事を批判しても説得力は皆無です。自社製品の欠陥を消費者から指摘されていたのに放置して問題を大きくしてしまったメーカーがあるとしましょう。そのメーカーを週刊ダイヤモンドの誌上で批判できますか。「社内の管理体制に問題がある」「消費者軽視の企業体質を改めるべきだ」などと書けば、その批判は自分たちにそのまま戻ってきます。しかし、取材対象に注文を付ける資格のないメディアでは、存在意義がありません。だから、歯を食いしばってでも、間違い指摘に対してまともな対応をすべきなのです。
私には「一線を越えてはダメだ」と助言することしかできません。今回の対応を見る限り、もう迷いはないのでしょう。雑誌の編集者を志した時には、明らかな誤りを握りつぶして保身へ走る側に回るとは思いもよらなかったはずです。しかし、経験を重ねる中で初心を忘れ、足を踏み入れてはいけない場所へと歩を進めてしまいました。それが残念でなりません。
堕ちてしまった向こう側の世界には、どんな風景が広がっていますか。
※しばらく様子を見るが、ダイヤモンドのメディアとしての評価は見直さざるを得ないだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿