2021年4月16日金曜日

「彼女が中止のホイッスルを吹く日」に期待する小田嶋隆氏の矛盾

小田嶋隆氏がやはりおかしい。東京五輪の中止を望んでいるのは分かるが、気持ちが先走り過ぎて話に矛盾が生じている。日経ビジネス電子版に16日付で載った「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明~彼女が中止のホイッスルを吹く日」という記事の一部を見ていこう。

夕暮れ時の筑後川

【日経ビジネスの記事】

五輪を中止する権限は、たぶん、誰も持っていない

しかしながら、誰であれ、五輪の開催に反対して自分の地位を捨てることはできる。この決断は、バカにならない。

仮に、小池都知事が

「アテクシは、感染爆発、が、いっこうに、おさまっていない、この現状の、なか、で、都民、ならびに、国民のみなさまの、安全、を、確保、いたしました、うえで、東京、オリンピック、ぅ、パラリンピック、を、開催できるとは、考えて、ぇ、おりません。ですので、熟慮、じゅくりょ、を、いたしました、結果、開催都市の、リーダーとして、責任を取ることができないという理由、を、もちまして、この際、都知事を、辞任する、決断、を、いたしました、ところで、ぇ、ございます」

てなことを言って辞任を申し出たら、その時点で五輪は事実上開催不能になるはずだ。してみると、小池都知事は、五輪中止の権限そのものは持っていなくても、五輪を中止に持ち込む影響力は持っているということになる。

もちろん、形式上の話をすれば、都知事が勝手に辞任したところで、副知事がその地位を代行すれば、オリンピックを開催することはできるだろう。

しかしながら、現実問題として小池都知事が五輪の開催に異を唱えて辞任した場合、ただでさえ五輪の開催にネガティブな世論が、いよいよ開催を許さない方向に動くはずで、そうなったら、開催はまずもって不可能になる。五輪開催都市のリーダーには、その程度の影響力は宿っている。


◎感染爆発してる?

東京、オリンピック、ぅ、パラリンピック、を、開催できるとは、考えて、ぇ、おりません」といった表記は、小池都知事を不必要に揶揄している印象を受けるし、何より読みにくい。それに「感染爆発、が、いっこうに、おさまっていない、この現状」という認識に同意できない。小田嶋氏は何を以って「感染爆発」と見なすのだろうか。仮に東京都の新規感染者数で見るならば、個人的には1日1万人は欲しい。

さらに言えば「小池都知事が五輪の開催に異を唱えて辞任した場合、ただでさえ五輪の開催にネガティブな世論が、いよいよ開催を許さない方向に動くはず」だとも思えない。むしろ小池批判が盛り上がりそうな気がする。

これはどちらが正しいとも言い切れない。とりあえず小田嶋氏の読み通りに進むとしよう。しかし「世論が、いよいよ開催を許さない方向に動く」としても、ゆえに「開催はまずもって不可能になる」と見るのは無理がある。なぜなら「五輪を中止する権限は、たぶん、誰も持っていない」というのが小田嶋氏の見立てだからだ。実際に「誰も(権限を)持っていない」とすれば、「世論」がどうなろうと突き進むしかない。

なのになぜ「開催はまずもって不可能になる」のか。この記事の中で「実際、私は、菅義偉首相や、森喜朗元東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長や、IOCのバッハ会長が、五輪の中止を決断する姿を想像することができない。彼らは、乗りかかった船に最後まで乗り続けるほかの選択肢を、はじめから持っていない人間たちだ」と小田嶋氏も書いている。

だとしたら「小池都知事が五輪の開催に異を唱えて辞任した場合」でも「IOCのバッハ会長」や「菅義偉首相」には「五輪の中止を決断」できないはずだ。ならば誰が「決断」するのか。「小池都知事」がどう動こうと「五輪の中止」はないと見る方が辻褄が合っている。

記事の続きを見ていこう。

【日経ビジネスの記事】

それにしても、五輪中止という、いまとなっては唯一とも思える常識的な判断を、明快に表明できそうな人間として、私(たち)が、小池百合子都知事以外の顔を思い浮かべられずにいることは、あらためて考えてみるに、かなり不可思議なことだ。

なぜだろう。

どうして私たちは、小池都知事に無茶な役割を押し付けたがっているのだろうか


◎なぜ「唯一」?

五輪中止という、いまとなっては唯一とも思える常識的な判断」という書き方が引っかかる。なぜ「五輪中止」が「唯一とも思える常識的な判断」なのか。記事に説明は見当たらない。

日本の年間死亡者数は2020年に11年ぶりの前年割れとなった。百歩譲って「感染爆発」が起きているとしても、それで日本人の死亡者数が大きく増えている訳ではない。むしろ減少傾向だ。となれば「五輪」開催を選ぶ方が「常識的な判断」とも言える。

小田嶋氏が「五輪中止」派なのは、それはそれでいい。しかし「常識的な判断」ができる人はみんな「五輪中止」派ですよね的な書き方はやめてほしい。物事はそれほど単純ではないはずだ。

どうして私たちは、小池都知事に無茶な役割を押し付けたがっているのだろうか」という書き方も同じだ。「どうして私は」ではダメなのか。「私たち」を使いたいのならば、その範囲を明確にしてほしい。少なくとも自分は「小池都知事に無茶な役割を押し付けたがって」はいない。

この後、記事は「思うに、私が小池百合子氏に五輪中止のホイッスルを吹く役柄を期待しているのは、個人的な資質もさることながら、彼女が女性だからだ。別の言い方をすれば、私自身の中にある『マッチョな男たちは、ホモソーシャルの決定事項を決してくつがえすことができないはずだ』という思い込みが、小池百合子氏を召喚してやまないということでもある」と続く。

明らかに「思い込み」だ。「女性」でも「決定事項を決してくつがえすことができない」人はいるはずだし、男性でも「決定事項」をくつがえせる人はいる。当たり前の話だ。性別で見るよりも「IOCのバッハ会長」や「菅義偉首相」がどういう人物かを分析するべきだ。「男は全員できない。女ならできる」というのは見方が単純すぎる。

この辺りにも小田嶋氏の衰えを感じる。

五輪」は開催すべきだし開催される。「小池都知事」が辞任しても、それは変わらない。そう予言しておこう。もうすぐ答えが出るはずだ。


※今回取り上げた記事「小田嶋隆の『ア・ピース・オブ・警句』 ~世間に転がる意味不明~彼女が中止のホイッスルを吹く日」https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00117/


※記事の評価はD(問題あり)

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