筑後船小屋駅(福岡県筑後市) ※写真と本文は無関係です |
【「がん外科医の本音」の内容】
「なるべく検査はしたくない。気づいたら手遅れというのがいい」
先日のこと、検診を受けない父を説得していたら、こう言われました。息子が医者なんだから、頼むから受けてくれ、そういう私にはっきりと言ったのです。そして、「がんにかかってしまった、という精神的な苦痛がずっと続くなら、手遅れで見つかった方がいい」
と言ったのです。私は衝撃を受けました。どちらかと言えば合理的で常に論理的なものの考え方をする父が、このようなことを言ったからです。再三説得を試みましたが、最終的には諦めました。がんに対する考え方は1つではない。それを痛感したのです。
◎「父」の方が合理的では?
「父」はがん検診に関して「合理的」に判断できなかったと中山氏は感じているのだろう。しかし、「合理的」なのは「父」の方で、中山氏はかなり非「合理的」だ。
「がんにかかってしまった、という精神的な苦痛」がない状態で1カ月を過ごす時の満足度が10点で、「精神的な苦痛」がある場合を5点としよう。
「検診を受けない」場合はこれから100カ月後に「手遅れ」の状態で見つかり3カ月後に死亡し、「検診」を受けると7カ月長生きできて110カ月後に死亡すると仮定する。
この間の満足度は「検診を受けない」場合が1015点で、「検診」を受けた場合は550点となる。早期発見による延命効果が非常に大きければ別だが、満足度は「検診を受けない」方が高くなりやすい。
「父」は「精神的な苦痛」がある場合を1点と見ているかもしれない。そうなると、さらに「検診」を受ける意味はなくなる。
また、発見によるマイナスは「精神的な苦痛」だけではない。手術や抗がん剤により体力が低下する上に、治療に時間を取られる。経済的な負担も生じる。そう考えると「父」の判断は「合理的」だ。
一方、中山氏は「息子が医者なんだから、頼むから受けてくれ」と訴えている。これは「父」の健康とは全く関係ない問題だ。自分が「父」の立場だったら「検診を受けた方が明らかに長生きできるからと言うなら分かる。だが『息子が医者なんだから、頼むから受けてくれ』とは何だ。お前の仕事の都合のために、なんで俺が受けたくもない検診を受けなきゃならないんだ。お前はそれでも医者か」と一喝するだろう。
ちなみに中山氏は著書の中でがん検診について「『こうするといいですよ』というシンプルなおすすめができない分野」「検診を受けるべきかどうかを決めるには『メリットとデメリットをてんびんにかけた結果、どちらが上回っているのか』を考えなければならない」と述べている。
ならば「父」の判断に何の問題もないはずだ。「メリットとデメリットをてんびんにかけた結果、どちらが上回っているのか」をきちんと考えた「父」を本で取り上げて、「検診に関しては『合理的』な判断ができなかった人」のように描いて良心が痛まないのか。
ここまでは「検診」を受けると長生きできる可能性が高まると仮定して話を進めてきたが、実はこれも怪しい。週刊ポスト2017年3月17日号の記事では以下のように説明している。
【週刊ポストの記事の内容】
昨年1月、世界的に権威のある『BMJ(英国医師会雑誌)』という医学雑誌に、「なぜ、がん検診は『命を救う』ことを証明できなかったのか」という論文が掲載された。その中で、「命が延びることを証明できたがん検診は一つもない」という事実が指摘されたのだ。
たとえば、最も効果が確実とされている大腸がん検診(便潜血検査)では、4つの臨床試験を統合した研究で、大腸がんの死亡率が16%低下することが示されている。その一方で、がんだけでなく、あらゆる要因による死亡を含めた「総死亡率」が低下することは証明できていない。
◎結局、受けない方が…
著書の中で中山氏は「がん検診のメリット」について「そのがんで死亡することを防ぐこと」だと述べている。しかし、「そのがんで死亡すること」を防げても、「他の要因で死亡するリスク」が高まり相殺されるのならば、あまり意味はない。
「がん検診」に関して「『総死亡率』が低下することは証明できていない」のであれば、積極的に受ける気にはなれない。受けなければ「精神的な苦痛」は避けられるし、余計な時間やお金を使わずに済む。
「BMJ(英国医師会雑誌)」に載った論文は間違いだというならば話は別だが、中山氏は著書の中でそうは述べていない。結局、今得られる情報を基にすると「がん検診は避けた方が合理的」との結論に落ち着く。
繰り返しになるが、中山氏よりもその「父」の方が「合理的」だ。
※今回取り上げた本「がん外科医の本音」
※本の評価はD(問題あり)。中山祐次郎氏への評価もDとする。
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