「財政破綻」に関しては、おかしな解説が相変わらず多い。24日付の現代ビジネスにジャーナリストの鷲尾香一氏が書いた「日本は本当に『財政破綻』しない…? 現実味を帯びる『金利上昇』で待ち受ける最悪のシナリオ」という記事もそうだ。「金利上昇」によって「財政破綻」という「シナリオ」が「現実味を帯びる」と鷲尾氏は訴える。そのくだりを見ていこう。
夕暮れ時のうきは市 |
【現代ビジネスの記事】
仮に日本でも金利の引き上げが行われれば、企業の借入金利の上昇を呼び、企業活動に影響が出るし、住宅ローン金利の引き上げなど国民生活に直撃する。もっとも問題なのは、政府債務(国債発行)に強烈な打撃を与える可能性があることだ。
政府にとっては、金利上昇で国債の利回りも上昇するので、国債発行の負担が大きくなる。金利負担が増加すれば、新規の国債発行も減らさなければならなくなるし、安易に借換債を発行することも困難になるだろう。
借換債を減少せざるを得なくなれば、国債の償還を進める必要があり、財政は強烈な緊縮政策を行う必要に迫られる。
それは日本の財政政策に対する信認が崩れることを意味する。国債発行の継続性や国債償還への疑念が芽生えれば、国債の価格は急落する危険性を秘めている。
◎逆では?
現在は日銀が長期金利もコントロールしているので、金利が政府・日銀の望まない水準へ上昇することは基本的にない。だが、そのことは置いておいて、市場の価格決定機能に委ねた結果として「国債の利回り」が上昇したとしよう。
鷲尾氏によると「財政は強烈な緊縮政策を行う必要に迫られる」らしい。そうとも限らない気がするが、これも受け入れよう。だとしても「それは日本の財政政策に対する信認が崩れることを意味する」という説明はおかしい。支出削減や増税などによる「強烈な緊縮政策」を実行に移せば、いわゆる財政健全化に向けて動き出している。「信認」が高まるならともかく、なぜ「信認が崩れる」のか。
しかも「借換債」が減り「国債の償還」が進むのならば、「国債」の需給は締まるはずだ。つまり価格が上がりやすくなる。なのに「国債の価格は急落する危険性を秘めている」と見るべきなのか。基本的に逆だ。
さらに見ていこう。
【現代ビジネスの記事】
国債は安全資産という認識があることで、政府がいくら国債を発行しても国債は誰かが購入してきたが、“国債は危ない”となれば、誰が国債を購入するのであろうか。否定派が言うように、本当に国内で購入されているから大丈夫なのか。日銀が購入するから大丈夫なのだろうか。
国債価格の急落は日銀の資産内容を悪化させる。同様に、銀行や生損保、年金といった国債を大量に保有する機関投資家の資産内容も悪化する。
否定派は、日銀は日銀券(紙幣)をドンドン発行すれば問題はないと主張するかも知れない。だが、日銀券は日銀の負債にあたる。
資産の裏付けなく日銀券を発行することは、日銀の財務内容が悪化することを意味する。日銀の自己資本は10兆円程度しかなく、国債価格の下落は日銀の債務超過に直結するのだ。
また、銀行が日銀に預けている当座預金も日銀の負債だ。そして日銀が国債を購入するために使っている資金は、元はと言えば銀行に預けている国民の預金なのだから、日銀の資産内容の悪化は、つまるところ国民の資産内容が悪化するとも考えられる。
◎日銀の購入能力に限界はある?
「日銀が購入するから大丈夫なのだろうか」と問うたものの、鷲尾氏の出した結論は「つまるところ国民の資産内容が悪化するとも考えられる」というものだ。これも受け入れてみよう。しかし「財政破綻」という「シナリオ」には結び付かない。
「国債は危ない」となって「日銀」以外の買い手が消えたとしよう。しかし「日銀」が購入する限り「財政破綻」には至らない。この前提で言えば、問題は「日銀」の購入能力だ。そこに能力的な限界はない。政府・日銀は無から日本円を創出できる。保有している金の時価に見合った分だけしか購入能力がないといった話ならば「日銀」の購入には限界があり、そこで「財政破綻」の「シナリオ」が現実味を帯びる。
しかし今の「日銀」にそうした制約はない。仮に「国民の資産内容が悪化する」としても、だからと言って「財政破綻」してしまう訳ではない。
さらに見ていこう。
【現代ビジネスの記事】
財政政策への不安は“国債の格下げ”にもつながる。格下げされれば、国債への信認が一段と低下し、国債の担保価値は減少。購入者が減少して国債発行が難しくなる。企業や金融機関に対する格付けは、国債の格付けが上限となるため、日本の企業や金融機関の格付けも格下げされ、国際競争力が低下することになる。
以上、金融緩和政策の終焉を例にあげ、そのリスクシナリオを説明したが、新型コロナウイルスの発生のように金利上昇は何をきっかけに起きるかは予測できない。リーマンショックのように経済危機がいつ起こるかは、誰にも予測できないのだ。
否定派は国債を発行しても、建設国債には見合いの資産があり、国が保有する資産も豊富にある。また、20年12月末の個人金融資産は約2000兆円もあるから大丈夫と主張する。
だが、国の資産はすぐに現金化できるものは少ない。それに、個人金融資産を国債が安全な理由としてあげるのは、いざとなれば国債を返済不能として、その穴埋めとして個人金融資産で賄うと言っているようなものだ。
◎「個人金融資産で賄う」必要ある?
自分も鷲尾氏の言う「否定派」に当たるが「個人金融資産は約2000兆円もあるから大丈夫」などとは全く思わない。「財政破綻」を心配する必要がないのは、無限に日本円を創出する力を政府・日銀が持っているからだ。なので、円建て政府債務の不履行による「財政破綻」は、政府が自らの手足を縛るような法律でも作らない限りあり得ない。
この考えに対する反論を聞きたい。基本的には「政府・日銀に無限に日本円を創出する能力などない」「無限に日本円を創出する能力があっても債務不履行に陥る可能性はある」のどちらかだ。
後者に関しては、その可能性を否定はしない。政府支出の上限を定める法律などができるとの前提であれば「財政破綻」の「シナリオ」は描ける。しかし鷲尾氏はそういう話をしていない。
結論部分も見ていこう。
【現代ビジネスの記事】
財務省が発表した21年度見通しの国民負担率は44.3%。国民負担率は、国民の支払う国税と地方税の合計である租税負担と、年金や社会保険料などの社会保障負担の合計が国民所得に占める割合を示すものだ。
これに財政赤字を加えたのが「潜在的な国民負担率」で21年度見通しは56.6%となっている。すでに我々は所得の半分以上は国に取り上げられている。これ以上の搾取は許されるものではない。
否定派が主張するように、たしかに財政破綻の兆候はないかもしれない。だが、財政健全化への取り組みは、将来に対するリスク・マネジメントという側面においては重要である。
そして何よりも大切なのは、将来世代が希望する社会政策を行おうとした時に、国債の償還負担が足かせとなって、使える財政資金に大きな制約がかかってしまうのを防ぐことだ。
後顧の憂いはやはり残してはいけないのだ。
◎結局「財政破綻」の「シナリオ」はなし?
最後まで記事を読んでも「財政破綻」という「シナリオ」が「現実味を帯びる」感じはない。政府・日銀が日本円を創出する能力に限界はないという基本的な認識が鷲尾氏には欠けているのだろう。なので「使える日本円は限られる」と考えてしまうのではないか。
今のうちに「財政健全化」を進めておかないと「将来世代が希望する社会政策を行おうとした時に、国債の償還負担が足かせとなって、使える財政資金に大きな制約がかかってしまう」と信じているようだ。
しかし「国債の償還負担が足かせ」となることはない。家計であれば、借金に頼った生活を続けていると返済負担が重荷になって、使える「資金に大きな制約がかかってしまう」。しかし政府・日銀は家計とは根本的に異なる。無から「資金」を生み出せるし、その金額は無限だ。
そこに気付けば鷲尾氏の認識も変わるのではないか。「財政破綻」の「シナリオ」に「現実味」があるかどうか、もう一度よく考えてほしい。
※今回取り上げた記事「日本は本当に『財政破綻』しない…?現実味を帯びる『金利上昇』で待ち受ける最悪のシナリオ」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86556?imp=0
※記事の評価はE(大いに問題あり)
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