少子化に関する現状認識がまともになっている感じはあるが、まだまだ問題は多い。25日の日本経済新聞朝刊1面に載った「人口と世界~成長神話の先に(3)少子化克服は『百年の計』~出生率1.5の落とし穴」という記事への評価はそんなところだ。内容を見ながら具体的に論じたい。
香山昇龍大観音 |
【日経の記事】
超少子化に陥る分水嶺とされる出生率1.5を長く下回った後に回復した国はほぼない。子どもが少ないのが当たり前の社会になり、脱少子化が困難な「低出生率のわな」に陥る。1.34の日本も直面する現実だ。
◎なぜ「1.5」にこだわる?
「超少子化に陥る分水嶺とされる出生率1.5を長く下回った後に回復した国はほぼない」と説明しているが、記事に付けたグラフを見る限りでは「1.5」が「分水嶺」となっている感じはない。「人口置換水準(出生率で約2.1)を下回った国が、そこから人口置換水準を安定的に超えるところまで回復させるのは至難」と読み取る方が自然ではないか。
続きを見ていこう。
【日経の記事】
なぜ少子化が進むのか。人口学者が指摘するのは、女性の教育と社会進出だ。男女格差が縮小するのは社会にとって大きな前進だが、女性にばかり育児の負担がかかる環境が変わらないと、働きながら望むように子どもを産み育てられない。
「フルタイムで働きながら子育てなんて考えただけで疲れる」。バンコクの女性大学院生(35)は嘆く。タイの20年の出生率は1.5で低出生率のわなの瀬戸際に立つ。
タイ女性の大学進学率は58%で男性の41%を上回る。英HSBCによると、大部分の国民が高等教育を受ける国で高出生率の国は一つもない。だが女性の教育を後戻りさせるわけにはいかない。
福祉国家フィンランドも出生率が10年の1.87から急減し、20年は1.37。子育て支援が手厚いはずの同国の急降下は大きな謎とされる。非政府組織(NGO)の人口問題連盟の調査ディレクター、ベンラ・ベリ氏は「女性は男性にもっと平等に家庭に参加してほしいと考えている」と指摘する。
◎進歩はあるが…
日経は2020年1月の社説で「少子化を克服した国はもっと先をゆく。フィンランドなどは、ベビーカーを押しながら運賃を片手で払うのは危ないという配慮からベビーカー連れの乗客を無料にしている」と書いていた。完全に誤解している。
当時「フィンランド=少子化を克服した国…という認識は誤りではないか」との問い合わせを送ったが、回答も訂正もなかった。今回、改善は見られる。少なくとも「フィンランド」を「少子化を克服した国」とは見なしていない。
だが問題は残る。少子化が進む理由が「女性の教育と社会進出」だとしたら、そこを逆戻りさせるのが素直だ。しかし「女性の教育を後戻りさせるわけにはいかない」となると手詰まりに陥ってしまう。そこであれこれ別の手を考えたくなるが、どうしても無理が出てきてしまう。それが以下のくだりだ。
【日経の記事】
ヒントはどこにあるのか。少子化対策の優等生といわれてきたフランス。ここ数年は出生率が下がりつつあるが、それでも1.8台を維持する。子育て支援などの家族関係社会支出は国内総生産(GDP)比で2.9%と日本の約2倍だ。
きっかけは1870年の普仏戦争だ。直前まで欧州で人口最大だった仏がドイツに逆転され、敗戦も喫した。仏が少子化対策を「国家百年の計」とした背景には、この苦い記憶がある。仏は家族のあり方も大きく変え、1999年に事実婚制度PACSを導入した。2019年に仏で生まれた子の6割が婚外子だ。
◎それでも頼りはフランス?
ほとんどの先進国の出生率は人口置換水準を下回っている。フランスも例外ではなく、さらに「ここ数年は出生率が下がりつつある」。それでもフランスに頼って「ヒント」を見つけようとする。そんなにフランスが好きなのか。
「ヒント」が見つかるならいい。しかし、そうはなっていない。フランスの「子育て支援などの家族関係社会支出は国内総生産(GDP)比で2.9%と日本の約2倍」らしい。ここから何を学べるだろう。単純に考えれば「家族関係社会支出」を日本が大幅に増やしても大した効果は見込めないということか。
「1999年に事実婚制度PACSを導入した。2019年に仏で生まれた子の6割が婚外子だ」とも書いている。これの何が「ヒント」なのか。「事実婚制度PACS」が少子化対策として機能したと見ているのならば、その根拠を示すべきだ。「2019年に仏で生まれた子の6割が婚外子」だとしても「事実婚制度PACS」が出生率を高めた根拠にはならない。
付け加えると「事実婚制度PACS」がどんな制度なのか説明していないのも引っかかる。それで「家族のあり方も大きく変え」と言われても、どう変わったのかよく分からない。
日本で「事実婚制度」を取り入れて「婚外子」が増えても、結婚した夫婦から生まれる子供がその分減るだけかもしれない。「いやフランスではそうなっていない」と取材班が考えるのならば、その根拠を読者に示すべきだ。
さらに言えば「きっかけは1870年の普仏戦争」なのに「事実婚制度PACS」の導入は「1999年」。100年以上が経っている。この間の「少子化対策」に触れずに「少子化対策を『国家百年の計』とした」と言われてもとは思う。
ここから記事を最後まで見ていこう。
【日経の記事】
儒教思想が根強い韓国でも4月、家族の定義を見直す方針を打ち出した。婚姻や血縁などによる家族の定義を民法から削除し、事実婚カップルらも家族と認める。制度を変えても社会に根付くには時間がかかるため、発想の転換を急ぐ。
「産めよ殖やせよ」と声高に叫ぶ時代ではない。それでも安心して子育てができる社会をつくるには一定の出生率の維持が欠かせない。社会全体の生産性を上げなければ経済や社会保障は縮小し、少子化が一段と加速する悪循環に陥りかねない。百年の計をいまこそスタートさせる時だ。
◎具体策は?
まず「安心して子育てができる社会をつくるには一定の出生率の維持が欠かせない」という説明がよく分からない。「一定の出生率」が不明なので取材班がこだわる「1.5」だとしよう。しかし、移民に頼らない前提では「1.5」を維持しても人口は減っていく。
では「1.5」を下回る国では「安心して子育てができる社会」を作れないのか。むしろ逆ではないか。世界を見回してみれば分かるだろう。高い出生率を維持する途上国と、人口置換水準を軒並み下回る先進国。取材班にはどちらが「安心して子育てができる社会」に見えるのか。
人口が減れば「経済や社会保障は縮小」するかもしれない。しかし1人当たりの水準が低下するとは限らない。「社会全体の生産性を上げ」る必要もない。「生産性」が横ばいなら1人当たりのGDPも横ばいだ。人口が減る中で国として今の経済規模を維持する必要があるのか。そこを考えてほしい。
今回の記事では「百年の計をいまこそスタートさせる時だ」と訴える割に、日本が何をすべきか具体策を示していない。日本版「PACS」を導入したいのかとも感じるが、そうは書いていない。
本気で少子化を克服したいのならば「『産めよ殖やせよ』と声高に叫ぶ」べきだ。その上で「子供ゼロなら貧乏人、1人か2人で並みの暮らし、3人以上持てば裕福に、5人以上で立派な富裕層」といった方向に税制などを作り替えるべきだろう。
もちろん社会的な抵抗は大きくなる。それが嫌ならば少子化を受け入れるしかない。個人的には受け入れでいい。
少子化放置を前提に国の在り方を考える。そうした「百年の計をいまこそスタートさせる」べきだ。
※今回取り上げた記事「人口と世界~成長神話の先に(3)少子化克服は『百年の計』~出生率1.5の落とし穴」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE2575A0V20C21A5000000/
※記事の評価はD(問題あり)
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