週刊東洋経済の西村豪太編集長は自らを「当事者能力」のある編集「トップ」だと本気で思っているのだろうか。7月10日号の「編集部から」で西村氏は以下のように記している。
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【東洋経済の記事】
いろいろ言葉は飾るけどね、デジタルなんてわからないから、もう辞めるしかないのさ──。最近、相談役に退いた経営者がそう独白していました。社員はほっとしていることでしょう。当事者能力なきトップが地位に執着したら万事休すです。
コーポレートガバナンスは企業統治と訳されますが、しっくりきません。トップが企業をどう統治するかではなく、経営者をいかに監督し牽制するかが、この概念の本質だからでしょう。トップ人事はその最たるものです。後継指名の権力を社長が持っているという仕組みは、日本企業の経営者をどんどん小粒にしてきました。やはりトップを独裁者にしない仕組みは不可欠です。
◎ダメな編集長をどう「監督し牽制する」?
週刊東洋経済には訂正記事がほとんど載らない。それだけミスが少ない雑誌ならば素晴らしい。しかし、そうではない。間違いは当たり前にある。読者からの指摘もある。しかし指摘を無視してミスを放置してきた。編集長が誌面作りの最高責任者だとすれば、西村編集長の責任は免れない。
日経ビジネスでは東昌樹 前編集長、週刊ダイヤモンドでは山口圭介編集長が就任してミス放置の悪癖が治った。他誌では編集長が代わるタイミングで方針変更が起きたことを考えると、東洋経済でも編集長次第で好ましい変化が期待できる。
しかし東洋経済は、ミス放置を繰り返してきた西村編集長を再登板させるという人事に踏み切ってしまった。西村編集長がどうしてもミス放置にこだわるのならば「当事者能力なきトップ」と言うほかない。まともな「トップ」を待望する「編集部」の部員も多いだろう。
間違い指摘があればきちんと調べて回答し、誤りがあれば訂正するーー。そんな当たり前のことさえできない西村編集長が「当事者能力なきトップが地位に執着したら万事休すです」などと書いているのは悪い冗談にしか見えない。
「トップを独裁者にしない仕組みは不可欠」との見方は否定しない。ただ「西村氏のような人物を雑誌の編集長にしない仕組み」もまた「不可欠」ではないのか。
※今回取り上げた記事「編集部から」
※記事の評価はD(問題あり)。西村豪太編集長への評価はF(根本的な欠陥あり)を据え置く。西村編集長に関しては以下の投稿も参照してほしい。
道を踏み外した東洋経済 西村豪太編集長代理へ贈る言葉
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2015/12/blog-post_4.html
「過ちて改めざる」東洋経済の西村豪太新編集長への手紙
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html
訂正記事を訂正できるか 東洋経済 西村豪太編集長に問う
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2016/10/blog-post_25.html
「巨大地震で円暴落」?東洋経済 西村豪太編集長のウブさ
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/01/blog-post_19.html
金融庁批判の資格なし 東洋経済の西村豪太編集長
http://kagehidehiko.blogspot.com/2017/03/blog-post_19.html
「貿易赤字の解消」で正解?東洋経済 西村豪太編集長に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/06/blog-post_72.html
編集長時代はミス黙殺 コラムニストとしても苦しい東洋経済 西村豪太氏https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/12/blog-post_24.html
ミス放置を続ける東洋経済 西村豪太編集長が片付けるべき「大きな宿題」https://kagehidehiko.blogspot.com/2021/03/blog-post_6.html
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