大雨で増水した筑後川(福岡県久留米市) ※写真と本文は無関係です |
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【FACTAの記事】
日本経済新聞社が来春、編集体制の仕組みを大幅に変える。経済部や政治部などの全ての部を解体し、「政策」「金融・市場」「ビジネス報道」「生活情報」の4つのユニットと「データビジュアル報道」「総合編集」「国際報道」「調査・社会報道」「地域報道」の5つのセンターに再編する。縦割りの弊害を打破し時代に即した柔軟な編集を可能にするのが狙いだというが、トップの命令により政治部と社会部を事実上解体するもので、報道機関に求められる権力の監視機能を失うことになりかねない。
◎「部」はなくなっても…
「部」はなくなっても「政治部と社会部」がやってきた仕事がなくなるとは限らない。「政策」ユニットと「調査・社会報道」センターは名称から判断すると「権力の監視機能」を担えそうだ。筆者が「違う」と考えるのならば、その理由を示してほしい。
「政治部と社会部を事実上解体」と書いているのも引っかかる。「権力の監視機能」を担うのは、この2つの部だけなのか。全ての「部」をなくすのだから「経済部」もなくなる。「経済部」は「権力の監視機能」とは無縁なのか。
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【FACTAの記事】
「これから取り組むのは日経という会社を作り替えていく、CX、コーポレート・トランスフォーメーションです」。7月7日午前11時半に始まった岡田直敏社長の経営説明会は、コロナ禍において在宅勤務のツールとして使われているマイクロソフトのチームスで全社員にライブ中継された。約40分に及ぶ説明の中で岡田社長は「事実を伝えるだけではなく、読者のニーズを捉え、考える編集へと舳先を変える」ことが編集改革の本質だと強調した。600人収容の日経ホールの壇上でひとり話し終えると居並ぶ経営幹部から万雷の拍手が沸き起こった。
「もうこの枠組みは変えられないそうだ」︱︱。社内から聞こえてくる囁きには諦めの境地がにじむ。社員の意を汲むことなく決まった上意下達の号令は、中小零細企業のワンマン社長そのもの。この春、名ばかり管理職が増えた結果、東京本社の組合組織率は50%を割り込み、組合の力が削がれた。そんなタイミングでの編集局の大改革。フィナンシャル・タイムズ(FT)を買収した喜多恒雄会長に続き、岡田社長のレガシー作りに全社員が巻き込まれている。トップダウンによりスピード感のある組織変革はできるかもしれない。しかし、次々に創刊した専門媒体を廃刊できず拡大路線を改められないところを見ると、走り出したら止まれない社風に見受けられる。失敗だと認めた時にはすでに編集局内が崩壊していたという笑えない結末が待っているのではないか。
◎「上意下達」だからダメ?
「編集局の大改革」に筆者が反対なのは分かる。その理由として最初に上がるのが「社員の意を汲むことなく決まった上意下達の号令」では辛い。「大改革」の方向性がメディアとして正しいのかどうかを論じてほしい。
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【FACTAの記事】
社員に示された資料によると再編の概要はこうだ。日経の編集局には経済部を筆頭に、政治部、企業報道部、証券部、商品部、社会部活など20を超える部がある。これらの部を全て廃止して先に挙げた4つのユニットと5つのセンターに約1500人の記者を割り振る。「政策ユニット」には経済部、政治部、社会部、科学技術部で霞が関に詰めている官庁担当、「金融・市場ユニット」には経済部の銀行担当、証券部の相場担当、商品部、「ビジネス報道ユニット」には企業報道部、証券部の企業担当、「生活情報ユニット」には生活情報部、文化部などの記者を集めるのだという。
官庁に張り付いて官僚のリークを記事化するような従来の取材方法をやめ、例えば「コロナ禍での働き方」「気候変動による感染症リスク」などテーマごとに各記者が多面的に取材をして記事化するイメージで、あわせて「経済面」「政治面」といった面建も一新する。取材テーマは「アジェンダ会議」なるものを開いて読者が読みたい記事を想定して設定するのだという。これらのユニットと横断的に連携する5つのセンターには国際部や全国の支局を抱える地方部、イラストなどを手掛けるデザイン編集部などを配置する。センターはユニットに対して司令塔的な役割を担うのだそうだ。
再編と並行し、職務の重みで報酬を決定する「ジョブ型」の給与制度を取り入れる。子会社であるFTの雇用体系を真似たようだが、FTとは異なり専門性のある記者は現状ほとんどいない。「専門エディター」なる肩書の記者を増やしていくというが一朝一夕に人材は育つものではない。従来の年功的な役割等級制度を廃止して人件費をカットする思惑が透けて見える。
◎好ましい「改革」では?
さらっと書いているが「官庁に張り付いて官僚のリークを記事化するような従来の取材方法をやめ」るのならば、「大改革」の方向性は間違っていない。「リーク」を欲しがる体質が「監視機能」を果たす上での大きな障害になってきた。それを取り除いて「テーマごとに各記者が多面的に取材をして記事化する」体制に本当にできるのならば「権力の監視機能」は高まるはずだ。
しかし筆者は「大改革」にあくまで否定的だ。
【FACTAの記事】
同日午後4時半からは編集局向けのオンライン説明会も開かれた。井口哲也編集局長は、社長の発言を繰り返すように再編の必要性を強調し、詳細は今後詰めていくとした。ユニットとセンターの役割の違いが明確でない点や取材テーマをどう設定するかの具体策については曖昧な回答に終始した。
説明後のメールによる質疑では、災害報道にどう対応するのかとの質問に対し井口編集局長から耳を疑う発言もあったという。熊本県人吉市で豪雨災害が発生し社会部の記者が現場入りしているにも関わらず、井口編集局長は地名すらまともに言えず、他紙のような陣容ではないのだから一報は共同通信の配信記事でいい、という趣旨の答えをしたというのだ。この現場軽視とも取れる発言は、社会部のみならず多くの部で話題に上り「あの発言は看過できない」と憤る記者が噴出したという。記者は学者でもアナリストでもない。現場が全てのはずである。
◎やはり筆者は社会部系の人?
日経は経済紙だ。個人的には「社会部」や社会面をなくしてもいいと思う。残すとしても、基本は「共同通信の配信記事でいい」。経済紙にとって「災害報道」はそんなに重要なのか。「災害報道」をなくしても「権力の監視機能」を失うわけではない。
「記者は学者でもアナリストでもない。現場が全てのはずである」との主張にも同意できない。特に経済記者はデータを集めたり分析したりといった作業が重要だ。株価について書く時に「現場」がある訳ではない。仮に証券取引所を「現場」だとしても、そこに足を運んで記事を書くことに意味はない。
「現場が全て」といったことは「社会部」にプライドを持っている人が言いそうではある。最後の段落では「汚職や疑惑があれば追及し、問題を報じる社会部の機能があったからこそギリギリの公共性を担保できた。社会部的な機能を失うことで公共性など無視した単なる情報屋になろうとしているようだ」とも書いている。
「社会部的な機能を失う」と「単なる情報屋」になってしまうとの発想に「社会部」への過剰な思い入れを感じる。経済記者でも権力者や経営者の「監視機能」は担える。
今回の記事の内容が正しいのならば、日経の「大改革」は悪くない気がする。
記事には単純ミスと思える記述があった。以下の内容で問い合わせを送っている。回答はないだろう。
【FACTAへの問い合わせ】
FACTA発行人 宮嶋巌様 編集人 宮﨑知己様
9月号の「日経・岡田社長が『社会部』抹殺」という記事についてお尋ねします。「日経の編集局には経済部を筆頭に、政治部、企業報道部、証券部、商品部、社会部活など20を超える部がある」とのくだりの「社会部活」は「社会部」の誤りではありませんか。「社会部活」では意味不明ですし、見出しも含め「部」の名称としては記事中の他の記述でも「社会部」としています。
問題なしとの判断であれば、その根拠も併せて教えてください。御誌では読者からの間違い指摘を無視する対応が常態化しています。読者から購読料を得ているメディアとして責任ある行動を心掛けてください。
◇ ◇ ◇
追記)結局、回答はなかった。
※今回取り上げた記事「日経・岡田社長が『社会部』抹殺」
https://facta.co.jp/article/202009016.html
※記事の評価はD(問題あり)
※今回取り上げた記事「日経・岡田社長が『社会部』抹殺」
https://facta.co.jp/article/202009016.html
※記事の評価はD(問題あり)
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