2020年6月4日木曜日

「匿名を盾にした言葉の暴力は許されない」と日経の社説は訴えるが…

4日の日本経済新聞朝刊総合1面に載った「ネット中傷の撲滅へまず民間が動こう」という社説は問題をきちんと整理できていないと感じた。最初の方を見てみよう。
大分県日田市を流れる三隈川(筑後川)
        ※写真と本文は無関係です

【日経の社説】

SNS(交流サイト)で誹謗(ひぼう)中傷を受けていたプロレスラーの木村花さん(22)が亡くなった。ネットはいじめの道具ではない。同じ悲劇を繰り返さず、政府の過度の介入を避けるためにも、まず民間の企業や利用者が真剣に解決策を考えてほしい。

テレビ番組での木村さんの言動を巡り、人格をおとしめるような匿名投稿が相次いでいた。姿が見えない無数の相手からの攻撃だ。木村さんの自宅には、遺書とみられるメモが残っていた。

どんなにつらかっただろう。匿名を盾にした言葉の暴力は許されるものではない。番組を盛り上げるためにSNSを使うケースは多いが、出演者の保護は十分だったのか。制作側はこうした点を徹底的に検証すべきだ。

日本ではプロバイダー責任制限法に基づき、事業者にネット中傷の削除や投稿者情報の開示を請求できる。だが裁判に訴えても費用や時間がかかり、泣き寝入りを迫られる個人被害者は多かった。


◎「ネット中傷」はダメだとしても…

中傷」とは「根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること」(デジタル大辞泉)だ。「ネット中傷」も名誉棄損に当たる。これを「撲滅」しようとするのは分かる。

だが「人格をおとしめるような匿名投稿」が「中傷」とは限らない。例えば「安易に暴力を振るうA氏は人間として最低だ」と匿名で「投稿」すれば「人格をおとしめるような匿名投稿」には当たる。しかし「安易に暴力を振るう」のが事実ならば「中傷」とは言い難い。

社説では「匿名を盾にした言葉の暴力は許されるものではない」とも書いている。「言葉の暴力」という表現は安易に使われがちだ。例に挙げたA氏への批判も「言葉の暴力」と言えなくもない。日経は「辞任では済まない黒川検事長の振る舞い」という社説を少し前に載せていた。これも「黒川検事長」に対する「匿名を盾にした言葉の暴力」とも取れる。

個人的には「匿名投稿」での批判は嫌いだ。自分も記事の書き手を厳しく批判することがあるが、実名でしかやるつもりはない。ただ、それを他の人にも強いるのは好ましくないと感じる。

「『匿名を盾にした言葉の暴力は許されるものではない』から、新聞の社説も必ず筆者を明らかにすべきだ。複数の人間が関わっている場合は全員の氏名を明らかにせよ」。こう言われたら日経は従うのか。

社説の続きを見ていこう。

【日経の社説】

悪意ある匿名の投稿を防ぐため、政府は開示の手続きを簡素化する法改正を進める考えだ。発信者を特定しやすくなれば、安易な匿名投稿の抑止力となろう。

ネット中傷の相談件数は年々増えており、誰がいつ被害者になってもおかしくはない。SNS各社に厳しいヘイトスピーチ対策を課す欧州などに比べ、日本の対応はむしろ遅すぎたぐらいだ。


◎「悪意ある匿名の投稿」はあった方が…

ここでも「悪意ある匿名の投稿」であれば「ネット中傷」に当たると取れる書き方をしている。個人的には「悪意ある匿名の投稿」をするつもりはない。しかし「悪意ある匿名の投稿を防ぐ」必要はないと感じる。「悪意ある匿名の投稿」で精神的に傷付く人もいるだろう。だが、自由に意見を言えるプラス面が上回ると見ている。

悪意ある匿名の投稿」が禁止になれば、プロ野球を見ながら「チャンスで凡退を繰り返す4番打者は要らない。さっさと引退してくれ」「何回リリーフ失敗してんだよ。こいつに抑えは無理」といった「匿名の投稿」をすることも許されない。そういう社会は本当に望ましいのか。

名誉棄損や脅迫の類には厳しく対応すべきだ。しかし、それ以外は基本的に自由でいい。「匿名を盾にした言葉の暴力」だとしてもだ。新聞にも「匿名を盾にした言葉の暴力」という側面がある。それを認める社会が良いのか。禁じる社会が良いのか。

考え方は色々だろうが、新聞社である日経は「匿名を盾にした言葉の暴力は許されるものではない」と言い切って良いのか。その言葉が日経自身にも跳ね返ってくることを、しっかり自覚してほしい。


※今回取り上げた社説「ネット中傷の撲滅へまず民間が動こう
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200604&ng=DGKKZO59930380T00C20A6EA1000


※社説の評価はC(平均的)

0 件のコメント:

コメントを投稿