2021年6月7日月曜日

東洋経済でのクオータ制導入論にも無理がある三浦まり上智大教授

上智大学法学部教授の三浦まり氏は女性への「クオータ制」を熱心に推しているが説得力はない。週刊東洋経済6月12日号の特集「会社とジェンダー」の中の「女性登用 アフリカ・南米でも導入~世界で成果出すクオータ制」という記事もそうだ。

三隈川(筑後川)

見出しで「世界で成果出すクオータ制」と打ち出し、記事でも「その効果を導入している諸外国の例から見ていこう」と書いているが、具体的な「効果」をほとんど教えてくれない。以下の記述が唯一のそれらしきものだ。

【東洋経済の記事】

フランスも2000年に「パリテ法」が成立。選挙の際、男女半々で候補者を立てる仕組みを法制化し、現在は下院の4割が女性議員である。結果、生理用品が大幅に減税されるなど、女性や子どもに関する政策の優先度が上がった


◎それだけ?

結局「クオータ制」の「効果」として具体的に出てくるのは「フランス」で「生理用品が大幅に減税され」たことだけだ。「生理用品」の「減税」が好ましいかどうかは見方が分かれるだろう。「女性議員」を増やすと女性に有利な税制になるのならば、露骨な利益誘導とも言える。

世界で成果出すクオータ制」と打ち出すのならば、「クオータ制」が社会全体にプラスの影響を及ぼしていると言えるデータが欲しい。

記事では、この後「ノルウェーは07年、上場企業の取締役におけるクオータ制を初めて法制化し、女性が4割と定めた」とも書いている。

この件については「原因と結果の経済学」(著者は中室牧子氏と津川友介氏)という本の内容を以前も紹介した。改めて引用したい。

【「原因と結果の経済学」から】

ノルウェーでは、女性取締役比率が2008年までに40%に満たない企業を解散させるという衝撃的な法律が議会を通過した。南カリフォルニア大学のケネス・アハーンらは、この状況を利用して、女性取締役比率と企業価値のあいだに因果関係があるかを検証しようとした。

(中略)アハーンらが示した結果は驚くべきものだ。女性取締役比率の上昇は企業価値を低下させることが示唆されたのだ。具体的には、女性取締役を10%増加させた場合、企業価値は12.4%低下することが明らかになった。


◎「逆効果」という研究もあるが…

ノルウェー」での「上場企業の取締役におけるクオータ制」の「効果」に三浦氏は言及していない。逆「効果」とする研究結果もあるので、掘り下げたくなかったのだろうか。

世界で成果出すクオータ制」とまで言うのならば「効果」ありと言えるだけの根拠はしっかり書き込んでほしい。

さらに問題を感じたのが以下の記述だ。

【東洋経済の記事】

クオータ制には否定的な意見もある。多いのが「男性への逆差別ではないか」という指摘だが、それは誤解に基づくものだ。女性が一定の職位以上に就けないことを“ガラスの天井”というが、男性の場合は“ガラスの下駄”を履いている。家事や育児、介護などケア労働の負担を抱える女性にはいくつものハードルを乗り越える必要があり、こうしたハードルなく直進してきた男性とギャップがあるのは当然。それをクオータ制で可視化することに意義がある。


◎当然に「逆差別」では?

逆差別」とは「社会的弱者などの優遇措置をとることにより、それ以外の人々への処遇が相対的に悪化すること」(デジタル大辞泉)だ。「男性への逆差別」という「指摘」が「誤解に基づくもの」と言い切るならば「クオータ制」を導入しても男性への「処遇が相対的に悪化」しないと示す必要がある。しかし、そんな説明はしていない。「クオータ制」によって男性の「処遇が相対的に悪化」するのは基本的に不可避だ。

クオータ制」を「逆差別」ではないと訴えようとすると無理が生じる。「逆差別」で何がダメなのかと開き直った方が理屈は通りやすい。

差別」の質と量が明確に測定できる場合、「差別」に「差別」で対抗するのもありだ。例えば女性専用車両という男性差別がある場合、同じ数の男性専用車両を設けて女性を「差別」すればバランスは取れる。

では、三浦氏の持ち出す「ガラスの天井」と「ガラスの下駄」を女性差別と考え、それを打ち消すために男性への「逆差別」となる「クオータ制」を導入するのはどうだろう。

百歩譲って「ガラスの天井」と「ガラスの下駄」があるとしても、どの程度の「逆差別」によってバランスが取れるのか明確な答えは出ない。そもそも「ガラスの天井」も「ガラスの下駄」も存在の証明さえ難しい。三浦氏も「ガラスの天井」と「ガラスの下駄」があると言える根拠は示していない。

強いて言えば「家事や育児、介護などケア労働の負担を抱える女性にはいくつものハードルを乗り越える必要があり、こうしたハードルなく直進してきた男性とギャップがあるのは当然」という部分か。この説明が正しいとしても、ゆえに「ガラスの天井」と「ガラスの下駄」が存在するとは言えない。

しかも、この説明にも問題がある。「家事や育児、介護などケア労働の負担を抱える」のは「女性」だけではない。「男性」にも「家事や育児、介護などケア労働の負担」はある。「こうしたハードルなく直進してきた男性」もいるかもしれないが、これまた「女性」も同じだ。実家住まいで独身を貫き「家事や育児、介護などケア労働の負担」なしに「直進してきた」という「女性」がいても不思議ではない。

三浦氏は「男性=ケア労働の負担なし」「女性=ケア労働の負担あり」と単純に二分して考えている。しかし現実はもっと複雑だ。

付け加えると「ハードルなく直進してきた男性とギャップがある」ことが「クオータ制で可視化」できるという説明は理解に苦しんだ。「クオータ制」を導入するとどうして「ギャップ」が「可視化」できるのか。どういう形で見えるのだろう。

結局、「クオータ制」に社会を劇的に改善する効果などないと思える。「大きな効果あり」とするエビデンスがいくつも報告されていれば、三浦氏も喜んで紹介したはずだ。しかし、そうはなっていない。であれば、男女平等の原則堅持でいい。


※記事の評価はE(大いに問題あり)。三浦まり上智大教授に関しては以下の投稿も参照してほしい。

三浦まり上智大学教授が日経ビジネスで訴えたクオータ制導入論に異議ありhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2021/05/blog-post_15.html

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