藤波ダム(福岡県うきは市) ※写真と本文は無関係です |
【本の引用】
まず、少子化対策を「すべきでない」という意見の理由を見てみよう。
一方には、結婚、出産は個人的なものだから、国家は介入すべきでないという「反国家主義」的イデオロギーに基づく考え方からくるものがある。
もう1つは、個人のために国がお金をかけるべきでない、出産を奨励するためにお金を使うくらいなら、移民を積極的に導入すべきだという意見である。
政治的には対極に位置するように見える立場の人が、同じ結論に達しているのは興味深いが。
ただ、現実に「結婚したい、子どもを産み育てたい」という若者は圧倒的に多い。彼らの希望をかなえることが、同時に、持続可能な社会を作るものであるなら、それを政府や社会が後押しすることが必要だと私は考える。
◎そもそも人が多過ぎる…
自分は「少子化対策を『すべきでない』」と思っている。しかし上記の2つの理由は当てはまらない。「すべきでない」と考える理由は「人が多過ぎるから」だ。個人の感覚的な問題ではあるが、日本の人口は1000万人もいれば十分だ。今の水準から半減してもまだ多い。
後付けではあるが、それらしく基準を設けるならば「少なくとも食料自給率が100%になるまで人口減少(少子化)を放置すべきだ」といったところか。
環境問題も新型コロナウイルス問題も、人口が大幅に減れば対応が容易になる。日本列島に1億人が住んでいる状態よりも1000万人の方が「持続可能」性は高いだろう。
ただ「持続可能」性に強くこだわってはいない。最終的には日本列島に住む人がゼロになってもいい。戦争や飢餓が原因というのは困るが、人々の自由な選択の結果として少子化が進み、30世紀の世界では「日本人」が消滅しているとしても、そこを避けたいとは思えない。
山田氏は少子化対策が必要との立場だが、その主張にも疑問を感じた。まず「現実に『結婚したい、子どもを産み育てたい』という若者は圧倒的に多い」かどうかだ。この本の中で山田氏は以下のように記している。
【本の引用】
近年の様々な調査を総合すると、恋人のいない若年未婚者の15%から25%程度しか「婚活」を行っていない。つまり、少なめに見積もっても、恋人のいない未婚者の4分の3は、自分から積極的に結婚相手探しをしていないのである。
恋人がほしいと思っている人の割合が約5割であるので、恋人がほしいと思っていたとしても、半数以上は、待っているだけで何もしていないことになる。
◎やる気がないなら…
「結婚したい、子どもを産み育てたい」と「本気」で思っている「若者」が「圧倒的に多い」ならば「恋人がほしいと思っている人の割合が約5割」とはならないだろう。「結婚はしたいですか。したくないですか」といった質問に「いずれはしたい」と答えたからと言って「結婚したい」という気持ちが「本気」だとは限らない。
気合を入れて頑張っているのに結果が出ない「若者」を応援するのは分かる。しかし「待っているだけで何もしていない」ような「若者」も助けるべきなのか。
仮に、やる気のない「若者」の「結婚相手探し」を支援するとしても「少子化対策」と捉えるべきかとの問題が残る。
結婚する人が増えて、子供が増えて、出生率が上がれば「少子化対策」は成功となるのだろう。だが、ここでの問題は「結婚したい、子どもを産み育てたい」と願う「若者」の希望が実現しているかどうかだ。
そういう「若者」の希望を政府の後押しで全て叶えたとしよう。しかし「結婚したい」と考える人の割合が大きく低下したため、出生率は上向かなかったとする。この場合「少子化対策」としては失敗となってしまう。それは指標が間違っているからだ。
「結婚したい」と考える「若者」を支援したいのならば、その結果は「結婚したいのに結婚できない人の比率」といった数値で評価すべきではないか。
※今回取り上げた本「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」
※本の評価はB(優れている)。山田昌弘氏への評価も暫定でBとする。
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