2018年11月24日土曜日

社説で「日産の企業統治不全」を指摘する前に日経がすべきこと

カルロス・ゴーン容疑者」に絡む日本経済新聞の記事を読んでいると「自分たちのこれまでの報道姿勢を棚に上げていないか」と感じることが多い。24日の朝刊総合1面に載った「トップの暴走招いた日産の企業統治不全」という社説もそうだ。「残念なのは検察当局が動くまで、統治の不全にメスが入らなかったことだ」と書いているが、そう言う日経は日産に対して「統治の不全にメス」を入れよと紙面で訴え続けてきたのか。まずは、そこをしっかり総括してほしい。
長崎港(長崎市)※写真と本文は無関係です

社説の前半は以下のようになっている。

【日経の社説】

日産自動車がカルロス・ゴーン容疑者を会長職から解任した。有価証券報告書の虚偽記載容疑でゴーン元会長本人が逮捕された現状を踏まえれば、解任は当然だが、企業統治の不全という日産の抱える問題がこれで消えるわけではない。透明性の高い経営の仕組みを早急に整える必要がある。

世界中が驚いたゴーン容疑者の逮捕劇から5日がたち、改めて浮かび上がってきたのが日産の統治体制の異常さである。

ひとつは過度な権限の集中だ。ゴーン容疑者は日産の会長という執行の立場と、取締役会議長という執行部門を監督する立場、さらには日産の筆頭株主であるルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)の3ポストを1人で占めた。

同じ人間が執行と監督の双方を兼ねる体制が機能するわけはなく、ガバナンスの不備がトップの暴走を許す土壌となった

ゴーン容疑者と同時に逮捕され、代表権を解かれたグレッグ・ケリー容疑者の存在にも注目したい。3人しかいなかった日産の代表取締役の1人でありながら、普段は米国に住み、会社にはあまり顔を出さず、一般の社員との接触も少なかったという。ゴーン側近というだけで、そんな人物が高い地位を占めたのは異様だ。


◎「改めて浮かび上がってきた」?


改めて浮かび上がってきたのが日産の統治体制の異常さである」と書いているが、「ゴーン容疑者」が「日産の会長という執行の立場と、取締役会議長という執行部門を監督する立場、さらには日産の筆頭株主であるルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)の3ポストを1人で占め」ているのは、日経の担当記者も知っていたはずだ。

グレッグ・ケリー容疑者」についても「3人しかいなかった日産の代表取締役の1人でありながら、普段は米国に住み、会社にはあまり顔を出さず、一般の社員との接触も少なかった」といった程度の情報ならば、少し取材すれば分かる。なのに、日経が日産に対して「企業統治の不全」に陥っていると警鐘を鳴らし続けてきた形跡は見当たらない。

付け加えると「日産の会長という執行の立場」と「取締役会議長という執行部門を監督する立場」を兼任するのが決定的な問題だとは思わない。「取締役会」は「監督」だけが役割ではなく「執行」に関する決定もするはずだ。

同じ人間が執行と監督の双方を兼ねる体制が機能」しないとの立場であれば、執行に関わる取締役は「取締役会」から排除する必要がある。それで「取締役会」と言えるのか。「監督」に関しては、「取締役会」以外でしっかりやる手もある。

そもそも日本経済新聞社では「取締役会議長」を社外取締役に任せているのだろうか。取締役のメンバーを見る限り、日経には社外取締役がいないと思える。日経でも社長や会長が「取締役会議長」を務めているのならば、「同じ人間が執行と監督の双方を兼ねる体制が機能するわけはなく、ガバナンスの不備がトップの暴走を許す」との言葉は自分たちにも当てはまるはずだ。


※今回取り上げた社説「トップの暴走招いた日産の企業統治不全
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20181124&ng=DGKKZO38137640U8A121C1EA1000


※社説の評価はC(平均的)。

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