2016年5月18日水曜日

ネタに困って自己複製に走る日経 梶原誠編集委員

書きたいことが見つからないのだろう。日本経済新聞の梶原誠編集委員は記事の「自己複製」によって何とか紙幅を埋めている。17日の日本経済新聞朝刊 投資情報面に載せた「一目均衡~一角獣が生まれた年」という記事はその好例だ。昨年末に自らが書いた記事と内容が非常に似ている。両方の記事を比べてみてほしい。


【一角獣が生まれた年(2016年5月17日)】
菜の花が咲くJR久大本線(福岡県久留米市)
             ※写真と本文は無関係です

インドの起業家の街、バンガロールで、糖尿病の治療や予防に的を絞った事業コンペが開かれたのは今春のことだ。広くアイデアを募り、「これは」というものには医師ら専門家が助言し、投資家がお金を出し、会社設立の道を開く。

主催者で、起業支援会社アクシロールの創業者であるガナパシー・ベヌゴパル氏(40)は、糖尿病にこだわった理由を説明する。「放置すれば、インド経済に深刻な負荷がかかる」

インドには成人の糖尿病患者が推定7000万人近くもいるが、半数以上は診断も受けていない。健康保険が普及しておらず、患者が治療をためらっているからだ。放置すれば壊疽(えそ)や脳梗塞など合併症の危険性は増していく。

コンペでは、微量な血液に触れるだけで血糖値に応じて変色する粒子の開発を提案した大学院生が事業化の機会をつかんだ。安く販売できれば患者は通院しなくても血糖値を管理し、生活習慣を改善できる。

この事例は、ピンチはチャンスであることを告げている。患者が気軽に通院できないからこそ、学生は自宅で病気と向き合える方法を考えたのだ。

経済危機というピンチもイノベーションを生んできた。自動車の大衆化を進めたT型フォードは、世界的な金融危機の翌1908年の発売だ。百年に一度とされた2008年のリーマン危機も例外ではなかった。

株式未公開ながら新手の発想で企業価値を10億ドル以上に拡大した「ユニコーン(一角獣)」。米配車アプリのウーバーテクノロジーズを筆頭に、イノベーションの象徴でもある。世界133社を対象に設立の年を集計したところ、平均設立年は07年だった。信用度の低いサブプライムローンの大量焦げ付きが露呈し、危機が始まった年に当たる。

その後リーマン危機、欧州債務危機と混乱は拡大したが、会社の設立は続いた。ユニコーンの54%が「暗黒の5年間」といえる07~11年に生まれている。

危機がイノベーションを生む理由は、消費者の考え方が変わり、企業に変化を迫るからだ。民泊の概念を定着させた米エアビーアンドビーは08年に創業した。「人々がお金を稼ぐあらゆる手段を検討し始めた」。共同創業者は昨年、本紙にこう振り返った。

企業にも条件がある。「ピンチだからこそイノベーティブでないと生き残れない」という強い姿勢だ。米デュポンが1930年代にナイロンを開発できたのは、大恐慌のさなかも研究開発を続けたからだ。

日本も、ピンチをチャンスとする歴史を刻んできた。関東大震災が起きたのは1923年。前年に3004件だった特許の登録は、震災2年後の25年に5086件に急増した。単なる復旧を越えて復興を目指した空気が伝わる。

熊本でも同じことが起こるだろうし、起こらなくてはなるまい。熊本をイノベーション史の例外にしてはならない。


【イノベーションの大競争(2015年12月29日)】

米国在住の著名エコノミスト、モハメド・エラリアン氏が興味深い主張をしている。「ニューノーマルはもう終わる」と。

同氏はニューノーマルという言葉の生みの親だ。2008年のリーマン危機以来、世界経済は様変わりすると説いてきた。

底割れ寸前の世界経済を、中央銀行がカネ余りを演出して支えてきた。そんな危うい均衡こそがニューノーマルの核心だ。ところが成長力はなかなか回復せず、富の偏在で社会不安は高まり、米国はついに利上げに転じた。「2年以内に、世界は成長か混乱かのT字路に突き当たる」という。

どうすれば成長に向かえるのか。同氏の処方箋は「イノベーション」、つまり成長の新たなエンジンを企業が作ることだという。好例として挙げるのが、空き部屋を貸したい人を、借りたい人にインターネットでつなぐ米エアビーアンドビーだ。その成長は伝統的なホテルを脅かしている。

見逃せないのは08年、つまりリーマン危機と同時期に創業した点だ。生活への不安で、人々は別の収入源を探した。それが空き部屋を貸し出す発想を生み、同社は成長の波に乗った。

製造業に革命を起こした「T型フォード」の誕生は米金融危機の翌1908年だった。米デュポンがナイロンを開発したのも大恐慌の30年代だった。逆境がイノベーションを生んだ歴史は、繰り返しつつある。

今回は、過去と異なる奔流も生じるだろう。新興国発のイノベーションだ。まさに、逆境をバネにかえる機運が膨らんでいる。

「制約が多いからこそ、イノベーティブでないと勝てない」。インドのバンガロールで起業の支援会社を率いるクリス・ゴパラクリシュナン氏は、起業家にこんな信念を説く。IT(情報技術)サービス大手のインフォシスを創業し、最高経営責任者(CEO)も務めた重鎮でもある。

制約とは例えば貧困だ。インドの1人当たり所得は日本の5%に満たない。同氏が評価する企業がナラヤナ・ヘルス病院グループだ。業務の効率化で、心臓移植を米国の5%以下の価格で提供して成長する同社は、1月にも株を上場する。

リーマン危機で経済という公器を傷つけた米金融機関は人々の反感を買い、その結果としての規制強化に今も苦しんでいる。企業は社会に役立って初めて成長できるのは明白だ。社会に問題を抱える新興国には、問題を解決するというイノベーションの動機がある。

中国も躍起だ。特許出願は昨年90万件を超える世界の首位で、60万件に届かない米国を引き離す。大量に作るだけの「世界の工場」だと賃金上昇で競争力を失うことに気づいている。

今起きているのは、これまでにない地球規模のイノベーションの大競争だ。若い企業、伝統企業、そして企業を支えるべき政府も避けて通れない。成長か混乱か――T字路をどちらに曲がるのかを、市場は冷徹に映し出すだろう。

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どちらの記事もテーマは「イノベーション」だ。「危機がイノベーションを生む」という点も共通している。エアビーアンドビーがリーマンショックの起きた年に創業されたことも両方の記事で触れている。フォードとデュポンの話もそっくりそのままの流用だ。「ピンチだからこそイノベーティブでないと生き残れない」「制約が多いからこそ、イノベーティブでないと勝てない」などは表現も似通っている。

さらには、インドの医療関連事業の話が両方の記事に出てくる。中身は多少違うが、場所はどちらも「バンガロール」で、両方の記事に「起業支援会社」が登場する。ここまで似ているのだから、梶原編集委員には「昨年12月の記事内容を大胆に流用する形で今回の記事を仕上げたい」との意思が明確にあったはずだ。

「そんなことをしなくても、別のテーマで書けばいいじゃないか」と多くの人は思うだろう。それでも過去の記事の流用に走ってしまうのは、それだけ訴えたいことが枯渇していると見るべきだ。梶原編集委員の記事を読んでいると、文字を追うこちら側が苦しくなる時がある。書きたいことがないのに書き続けなければならない者の苦悩が伝わってくるからだ。

梶原編集委員も今になって「訴えたいことがありません」とは言えないはずだ。だが、書き手としての寿命が尽きているのは間違いない。誰か止めてあげられないものか…。


※梶原編集委員については「日経 梶原誠編集委員に感じる限界」「読む方も辛い 日経 梶原誠編集委員の『一目均衡』」「日経 梶原誠編集委員の『一目均衡』に見えるご都合主義」も参照してほしい。

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