太宰府天満宮(福岡県太宰府市) ※写真と本文は無関係です |
にもかかわらず、日本政府が謝罪問題に神経質なのはなぜか。広島でオバマ氏に謝罪を求めるデモが起きたらどうしようではない。
「日本は本当に戦争責任を反省したのか」。安倍晋三首相が昨年夏の戦後70年談話でケリをつけたはずの難題が蒸し返されるのを懸念しているのだ。オバマ氏が広島で発表する声明にわずかでも謝罪をにじませる表現があるのかどうか。首相官邸は米世論以上に気をもんでいるらしい。
先の大戦でいわゆる「バターン死の行進」を経験した退役軍人の団体は先月、オバマ氏に書簡を送った。「日本で死亡した米兵捕虜への心からの追悼をするまで、広島行きは控えられたい」。日本に謝罪させろ、とは書いていないが、「行進」の記憶がなお鮮明なのはうかがえる。
似たような動きは中国や韓国にもある。オバマ氏の広島訪問は新たなパンドラの箱を開けかねない。
日本が真珠湾を奇襲したのは1941年のことだ。船着き場の近くの売店では「75周年」と記したTシャツがよく売れていた。12月に向け、米国では「日本の侵略」に再びスポットライトが当たり始めている。早く手を打った方がよい。
野田佳彦前首相はハワイに行ったが、国立墓地での献花にとどまった。安倍首相には早期の真珠湾行きをお薦めしたい。「いま発表すると『謝罪』と結びつけられる」との声が政権内にあるらしい。素直に謝罪すればよいではないか。
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「パンドラの箱」とは「ゼウスがパンドラに持たせた、あらゆる災いの詰まった箱(本来は壺)」(デジタル大辞泉)だ。オバマ氏の広島訪問によって開くかもしれない「パンドラの箱」から飛び出す「あらゆる災い」とは、海外から日本への戦争に関する謝罪要求なのだろう。しかし、大石編集委員は記事の最後を「素直に謝罪すればよいではないか」と締めている。
「謝罪」が絶対に避けるべき行為であれば、謝罪を求める動きの広まりを「災い」と捉えるのも分かる。しかし、「素直に謝罪すればよいではないか」と思えるのであれば、「災い」というよりむしろ好機だ。「オバマ氏の広島訪問を先の大戦に関して改めて謝罪するきっかけにできないか」などと書く方がまだ自然だ。
「ここで言っているのは、首相官邸にとっての『パンドラの箱』なんだ」と大石編集委員は反論するかもしれない。しかし、記事からは「『新たなパンドラの箱を開けかねない』との危機感を大石編集委員自身が持っている」と受け取れる。
「米国には謝罪してもいいが、中国や韓国にはしたくない」と大石編集委員が考えているのであれば、整合性の問題はあまり生じない。ただ、その場合は「なぜ米国だけには謝るべきなのか」との疑問が湧いてくる。この疑問にきちんと答えるのは至難だ。
この記事には他にも問題を感じた。それらについては(2)で触れる。
※(2)へ続く。
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