久留米大学御井学舎(福岡県久留米市) ※写真と本文は無関係です |
記事の中身を見ていこう。
【日経の記事】
サッカー女子日本代表の「なでしこジャパン」が窮地に立っている。大阪で開催中のリオデジャネイロ五輪アジア最終予選で1分け1敗と出遅れて、出場権獲得が危うい状況だ。
(中略)とはいえ、試合はまだ3試合もある。どうも日本は「自力」での出場が険しくなると途端に悲壮感にとらわれ、視野も狭くなるが、チャンスが残っている間はどんな状況であれ「絶望的」と呼ぶには早過ぎるだろう。
2年前の男子のワールドカップ(W杯)ではギリシャが見事だった。2戦を終えて日本と同じ1分け1敗の最下位から最終戦でコートジボワールに勝って決勝トーナメントに2位で進出した。
少しでも得失点差を改善しようとゴールと勝利の二兎(と)を追った日本がコロンビアに大敗したのに対し、ギリシャはひたすら勝利だけを求めて辛抱強く戦い、黄金を手に入れた。
今回の最終予選もあくまでも6チームによる総当たりである。リーグ戦の一つの勝ち、負け、引き分けはその都度リーグ内に微妙な相互作用を引き起こし、時に苦境に立つチームに思わぬ活路を開くことがある。
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韓国戦後の報道などを見る限りでは「出場は厳しくなったが諦める必要はない。まだチャンスはある」というのが一般的な見方だと思えた。ならば「絶望には早過ぎる」と書くのは早過ぎる(中国に負けた第3戦の後であれば問題はなさそうだが…)。「いや。韓国戦後でも絶望しつつある人がかなりいた」と武智編集委員が思ったのならば、その根拠に触れてほしかった。絶望に傾いているのは選手なのかファンなのかメディアなのか、それとも武智編集委員自身なのか。
例えばJリーグで開幕3連敗したチームに関して「絶望する必要はない」と論じられても、多くの人は「そもそも誰も絶望していないのでは?」と感じるだろう。「なでしこ」の場合はもう少し深刻だが、韓国に引き分けた段階ならば「絶望には早過ぎる」のは、武智編集委員に教えてもらわなくても、ほとんどの人が理解していたのではないか。
さらに引っかかったのがギリシャの例だ。「絶望してもおかしくない状況を見事に切り抜けた例」としてギリシャを取り上げているように見えるが、これは苦しい。
W杯ブラジル大会1次リーグC組では実力的にコロンビアが頭1つ抜けていると言われていた。最終戦はギリシャ対コートジボワールと日本対コロンビア。日本の敗北を前提とすれば、最終戦でのギリシャは勝つだけでよかった。つまり、実質的には“自力”で決勝トーナメントに進出できる状況だったのだ。
だとすれば、ギリシャは「ひたすら勝利だけを求めて」戦うのが当然だ。グループ内で最強のコロンビアに勝っても1点差だと1次リーグ敗退が濃厚な日本とは「絶望」への距離が違いすぎた。韓国戦後の「なでしこ」とも差がある。
ちなみに「チャンスが残っている間はどんな状況であれ『絶望的』と呼ぶには早過ぎるだろう」との武智編集委員の意見には賛成できない。例えばリーグ戦が残り10試合という状況で「首位のチームが10連敗して最下位のチームが10連勝した場合に限って、他チームの動向によっては最下位チームにも優勝の可能性がある」という場合、「最下位チームの優勝は絶望的」と呼んでも「早過ぎる」とは思わない。武智編集委員は同意してくれないだろうが…。
※記事の評価はC(平均的)。武智幸徳編集委員への評価はDを据え置く。武智編集委員については「日経 武智幸徳編集委員はスポーツが分かってない?」「日経 武智幸徳編集委員は日米のプレーオフを理解してない?」「『骨太の育成策』を求める日経 武智幸徳編集委員の策は?」も参照してほしい。
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