2017年4月12日水曜日

誤り目立つ 週刊ダイヤモンド特集「速習! 日本経済」

週刊ダイヤモンド4月15日号の特集「思わず誰かに話したくなる 速習! 日本経済」は誤った説明が目立つ。これを読んで「思わず誰かに話したくなる」人がいたら注意した方がいい。誰かに話せば、恥をかくだけかもしれない。
うきは市役所の桜(福岡県うきは市)※写真と本文は無関係です

ここでは特集の中の「Prologue~統計データで見た 日本は『借金まみれの鈍くさい超富裕層』だ」という記事を見ていく。

【ダイヤモンドの記事】

また豊かさの論拠として「個人金融資産残高」もよく出てくる数字だ。16年3月末時点で1706兆円に達し、米国に次ぐ世界2位の規模。ただし、資産の裏には必ず負債があるということを忘れてはいけない。「個人金融負債残高」でも日本は世界で2番目に多いとされる。

◎「資産の裏には必ず負債あり」?

資産の裏には必ず負債があるということを忘れてはいけない」と記事は教えてくれるが、本当にそうだろうか。借金のない持ち家の世帯は当たり前にあるはずだ。こういう世帯の保有する不動産や金融資産の裏には「必ず負債がある」のか。

負債の裏には必ず資産がある」とは言える。誰かが借金をしている場合、誰かがカネを貸している。そして、貸している側は債権という資産を有している。しかし逆は成り立たない。資産は負債に頼らず自己資金でも入手できる。

以下の説明もおかしい。

【ダイヤモンドの記事】

例えば、経済的な豊かさを表す「1人当たり名目GDP(米ドル)」の世界ランキング。失われた20年と呼ばれる長期低迷期に、日本の国際的地位は凋落してしまった。為替の影響があったとはいえ3位をキープしていた1990年代半ばから、足元では20位台にまで大きく順位を落としている。

しかも日本はこれから人口減少が本格化してくるため、さらなる低下も予想される



◎人口減少が「1人当たりGDP」の低下を招く?

1人当たり名目GDP」について世界ランキングの低下傾向が続いていると説明した後に「日本はこれから人口減少が本格化してくるため、さらなる低下も予想される」と書いている。これは奇妙だ。GDPの総額なら分かる。しかし、ここで言っているのは「1人当たりGDP」だ。人口が少なければ低くなるものではない。記事に付けた表でもあるように、この指標でトップに立つのは小国のルクセンブルクだ。
千仏鍾乳洞(北九州市)※写真と本文は無関係です

以下の記述にも問題がある。

【ダイヤモンドの記事】

経済成長は労働人口と労働生産性の掛け算であり、「人口減少が避けられないなら、働き者の日本人の高い生産性で補えばいい」との意見も出てきそうだ。

しかし実のところ、日本の「1人当たり労働生産性」は意外と低く、OECD加盟35カ国中22位、G7(主要7カ国)では最下位に甘んじている。数字だけを見れば、働き者どころか鈍くさい労働者といった方がピッタリくる。

実際、G7で最も労働生産性の高い米国と比較すると、日本の製造業の生産性は米国の7割、サービス業は5割にとどまるという。日本人は勤勉で働き者というイメージは、日本人自身がつくり上げた虚像なのかもしれない



◎「1人当たり労働生産性」で勤勉さが分かる?

日本の「1人当たり労働生産性」が低いか議論が分かれるところだが、取りあえずは受け入れて低いとしよう。その場合、「日本人は勤勉で働き者」とは言えないと断定できるだろうか。

例を挙げよう。A家とB家は同じ面積の畑を持っていて、同じ種類の野菜を同じ量だけ生産している。結果として両家の年間収入はともに1000万円だとする。A家では家族4人が機械に頼らず懸命に働き、B家では機械を使って2人で楽に作物を育てている。1人当たりの労働時間はA家がB家の2倍。一方、1人当たりの収入はB家がA家の2倍だ。

この場合、「勤勉で働き者」なのはA家の方だろう。しかし1人当たり労働生産性ではB家に完敗する。つまり「1人当たり労働生産性」で勤勉さを測るのは無理がある。より単純に言えば、100万部売れる小説を書く作家の方が10万部しか売れない小説を書く作家よりも「勤勉」とは限らないということだ。「勤勉で働き者」の作家の作品が全く売れず、それほど勤勉ではない作家に生産性で負ける事態は十分にあり得る。

最後に教育の問題を取り上げよう。

【ダイヤモンドの記事】

国の経済発展には人材育成も欠かせない。しかし、日本は未来に向けた投資には無関心のようだ。OECDによれば、日本は「GDPに占める教育機関への公的支出割合」が3.2%で、これは比較可能な33カ国中、なんと最下位のハンガリーに次ぐ32位教育に投資をしない国に未来はない



◎日本は「教育に投資をしない国」?

随分と単純かつ乱暴な説明だ。まず、GDP比で見れば日本で「教育機関への公的支出割合」が低くなるのは自然だと思える。人口に占める若年層の比率が低いからだ。そこを考慮せずに「なんと最下位のハンガリーに次ぐ32位」と驚いても、あまり意味はない。
福岡県立城南高校(福岡市南区)※写真と本文は無関係です

さらに言えば「公的支出割合」で見るのは適切なのか。例えば1人大学生にかかる教育費用が4年間で1000万円だとしよう。現状は公的支出で500万円、私的支出500万円で賄っているとする。これを全額公的支出で賄い、支出増加は増税でカバーすると「未来に向けた投資」に関心が出てきたことになるのか。

私的支出を公的支出で肩代わりしても、大学生1人に投入する金額が増えるわけではない。つまり教育水準には影響しない。教育に関する投資を「未来に向けた投資」と捉えて国別に多寡を論じるならば、国民1人を社会に出すまでにどの程度の投資をしているのか、私的支出も含めて見るべきだ。



※今回取り上げた記事「Prologue~統計データで見た 日本は『借金まみれの鈍くさい超富裕層』だ
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/19851

※記事の評価はE(大いに問題あり)。今回の特集に関しては以下の投稿も参照してほしい。

黒田投手に「限定合理性」? 週刊ダイヤモンドの不適切な説明
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/04/blog-post_25.html

「収穫逓増」の説明が奇妙な週刊ダイヤモンド「速習!日本経済」
http://kagehidehiko.blogspot.jp/2017/04/blog-post_80.html

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