2020年10月10日土曜日

もう少し踏み込めば…日経 矢野寿彦編集委員「Deep Insight~『命か経済か』には解がない」

 10日の日本経済新聞朝刊オピニオン面に矢野寿彦編集委員が書いた「Deep Insight~『命か経済か』には解がない」という記事は基本的に評価できる。問題意識は伝わってくるし、それなりの説得力もある。ただ、少しだけ踏み込み不足だと思えた。

彼岸花(福岡県久留米市)
    ※写真と本文は無関係です


記事の後半を見ていこう。


【日経の記事】

経済へのダメージが長引くと、コロナによる直接の死だけでなく、生活苦による死も無視できない。今年8月の自殺者数は前年同月に比べて16%増えた。女性に限ると、40%増に跳ね上がる。

磯野氏(※医療人類学者である磯野真穂氏)が指摘するように「命と命の問題」として捉えれば、取るべき策は変わってくるのではないか。

国内でコロナによる感染症は、ほかの肺炎と同じように「治せる病気」になってきた。国立国際医療研究センターの調査によると、6月6日から9月4日までの2276の入院症例中、死亡したケースは33例で、70歳未満に限ると1例しかない

ならば、感染者ゼロはもう目指さない。足元で全国の感染者数は1日500人前後で推移しており、これを一定数以下にコントロールできているとし、よしとする。あくまでゼロを目指すなら、人々はまだ対策が十分でないと不安に駆られ、それによってまた、失われかねない命もでてくるだろう。

景気刺激策にもかかわらず、経済の先行きが見通せないのは、コロナに対する底知れぬ不安を抱く人が今なお、たくさんいるからだ。日本総合研究所チーフエコノミストの松村秀樹氏は「過度な恐怖が国民心理の萎縮を招き、経済に大きなダメージになっている」とみる。

人々の不安を取り除くのも医療の大切な役割だ。社会に安心を広げるために、思い切ってPCR検査を大幅に拡充してみてもいい。

確かに感染症学や疫学の立場では、「だれでもPCR検査を受けられる」といった考え方に否定的な見方は多い。しかし、人間には心があり、社会という集団に属している。その行動は科学的な合理性だけで割り切れるものでもない。コロナの医療が、現代医学頼みの硬直的な姿勢を改めなければ、厄介なウイルスに翻弄され続けることになる。


◎基準はどうやって決める?

コロナによる直接の死」と「生活苦による死」を合わせて考え「」を最小化すべきだとの主張には納得できる。問題はどうやって基準を決めるかだ。

足元で全国の感染者数は1日500人前後で推移しており、これを一定数以下にコントロールできているとし、よしとする」とは書いているが、「一定数以下にコントロールできている」とする基準には触れていない。「全国の感染者数」で1日1000人なのか1万人なのか。その基準はどうやって決めるのか。

個人的には「感染者数」がどれだけ増えても経済活動を制限する必要はないと考える。高齢者の「コロナによる直接の死」は基本的に受け入れた方が良いと見るからだ。この立場だと「6月6日から9月4日までの2276の入院症例中、死亡したケース」は「70歳未満に限ると1例しかない」のであれば経済制限に合理性がないとの結論は当然だ。

だが皆がこの立場ではない。「2276の入院症例中、死亡したケースは33例」というデータを根拠に「『治せる病気』になってきた」と矢野編集委員は言うが「33例」を重く見る人にとっては「治せるとは限らない病気」となる。

一定の条件を付けてもいいので、全体の「」を最小化するための計算式のようなものを提示してほしかった。それがあれば「科学的な合理性」に基づいて「命と命の問題」を考えるための良い材料になったはずだ。

ついでに言うと「『治せる病気』になってきた」との表現は引っかかる。不治の病が医療の力で「『治せる病気』になってきた」との印象を与えやすいからだ。元々、新型コロナウイルス感染症は多くの人にとって「自然に治る病気」だったはずだ。「多くの人にとっては『治る病気』だと分かってきた」といった説明が適切だと思える。


※今回取り上げた記事「Deep Insight~『命か経済か』には解がない」https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20201010&ng=DGKKZO64839370Z01C20A0TCR000


※記事の評価はC(平均的)。矢野寿彦編集委員への評価もCを据え置く。矢野編集委員に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「スウェーデンは日常を変えない集団免疫戦略」? 日経 矢野寿彦編集委員に問うhttps://kagehidehiko.blogspot.com/2020/07/blog-post_18.html

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