立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明氏が週刊東洋経済10月17日号の特集「定年消滅」の中の「定年制は今こそ廃止を~シニアこそ起業すべきだ」というインタビュー記事で持論を展開している。これはツッコミどころが多かった。
彼岸花と耳納連山(福岡県久留米市) ※写真と本文は無関係です |
一部を見ていこう。
【東洋経済の記事】
──著書で人生は還暦から底力を発揮できると訴えています。
人生100年時代が訪れると、20歳で社会人になったとして、残りの人生は80年ある。60歳はマラソンでいうと折り返し点だ。半分走ってきて、走り方も景色も知っているのだから、残り半分は楽しく走ったらいい。
僕は60歳前後の人に起業を勧めている。人生を半分走って酸いも甘いも知り、仕事経験も十分。それなのに日本では、起業は若い人のものだという考えが根強い。これは根本から間違っている。知識も経験もノウハウもない若い人ほどリスクが大きいのは当然だ。
歴史上も高齢になって活躍した人は大勢いる。最たる人物が4世紀の中国の僧、法顕だ。彼は399年に仏教を学ぶためインドへ旅立った際、60歳を超えていた。足かけ15年の長旅で、中国へ戻ってきたときには70代半ば。出発時は何人かのお供がいたが、生きて帰国したのは法顕だけだった。本当にやりたいことがあったため、生き残ったのだろう。やりたいことは、思ったときが潮時だ。法顕はそのことを体現している。
歴史上にはこうした事例が多くあるのに、今は定年制があることで、多くの人が60歳以降を余生や第二の人生と考える。その発想では、人生が残り半分もあるのにもったいないと思う。
◎80代の「景色」を「60歳」は知ってる?
「人生100年時代」になると「60歳はマラソンでいうと折り返し点」らしい。「半分」ならば「50歳」が「折り返し点」のはずだ。
「半分走ってきて、走り方も景色も知っているのだから、残り半分は楽しく走ったらいい」という助言も苦しい。「残り半分」でどんどん若返って最後は赤ん坊に戻って死ぬのならば「景色も知っている」と言われて納得できる。しかし実際の人生では知らない「景色」が続く。80代がどんな「景色」なのか記憶している「60歳」はたぶんいない。
「やりたいことは、思ったときが潮時だ。法顕はそのことを体現している。歴史上にはこうした事例が多くあるのに、今は定年制があることで、多くの人が60歳以降を余生や第二の人生と考える。その発想では、人生が残り半分もあるのにもったいないと思う」という発言も理解に苦しむ。
例えばAさんは「60歳」までに資金を貯めて世界中を旅しようと考えているとする。「60歳」になって「これからは第二の人生だ。ずっとやりたかった世界旅行を仕事を気にせず思いっ切り楽しむぞ」とAさんが意気込んでいる場合、出口氏の考えだと「人生が残り半分もあるのにもったいない」となってしまう。
「やりたいことは、思ったときが潮時」ならば、本来はもっと早く仕事を辞めるべきかもしれない。しかしAさんが「やりたいこと」に着手しようとしているのは間違いない。なのに「起業」したりして働き続けるのが正解なのか。世界旅行に没頭するのは「もったいない」のか。
人にはそれぞれの生き方があり、価値観も多様なのだと出口氏には知ってほしい。
このインタビュー記事には他にも色々と疑問を感じたが、長くなるのでこの辺りにしておく。
※今回取り上げた記事「定年制は今こそ廃止を~シニアこそ起業すべきだ」https://premium.toyokeizai.net/articles/-/24900
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