2020年3月16日月曜日

「『王より飛車』で進むコロナ検査」に無理がある東洋経済「少数異見」

週刊東洋経済3月21日号に載った「少数異見~『王より飛車』で進むコロナ検査の是非」という記事は論理展開に無理があった。問題のくだりを見ていこう。
耳納連山と菜の花(福岡県久留米市)
      ※写真と本文は無関係です

【東洋経済の記事】

へぼ将棋、王より飛車をかわいがり

将棋とは無縁な方でも、大意はお察しいただけよう。飛車は攻撃の要となる強い駒だが、将棋は王将を取り合うゲーム。手段と目的を勘違いしてはならない。

ところが、この格言を地で行くように見えるのが厚生労働省だ。彼らは王将(患者)ではなく、飛車(医療機関)を大切にしているのではないのか──新型コロナウイルスの問題では、そんなふうに思えて仕方がない。

チャーター機で武漢から帰国された方々への不手際や、ダイヤモンド・プリンセス号における対応の是非はここではさておく。気になったのは、新型コロナ感染を判定するPCR検査の実施について、当初から厚労省が積極的ではなかったことだ。

中略)しかし、最近少し考えが変わってきた。というのも、韓国の悲惨な状況を知ったからである。

本稿執筆時点で、彼の国の感染者数は6000人を突破。発症者が大邱(テグ)市などの狭い地域に集中したこともあり、周辺の医療体制の崩壊が起きている。新型コロナの感染者というだけで軽症者まで入院しているために、ほかの病気やケガでの重症者を病院が受け入れられない事態に陥っている。

なるほど、今回のような有事では患者数が膨れ上がるため、医療機関のリソースが足りなくなるリスクのほうが高い。そのように考えると、厚労省の「王より飛車」姿勢は極めて合理的といえる

もっとも、厚労省にとっては医療機関や製薬会社こそが王将であり、今回も彼ら自身は戦略的に「飛車をかわいがっている」とはつゆほども思っていない可能性はあるのだが。



◎前提が崩れているのでは?

新型コロナ感染を判定するPCR検査の実施について、当初から厚労省が積極的ではなかったこと」を「へぼ将棋、王より飛車をかわいがり」に当てはまると考えるのは分かる。問題はその後だ。

筆者のシメオン氏は「最近少し考えが変わってきた」と述べた後で「今回のような有事では患者数が膨れ上がるため、医療機関のリソースが足りなくなるリスクのほうが高い」として、「厚労省」の「姿勢」を「合理的」だと結論付けている。

だとしたら「王より飛車」の例えは当てはまらないくなる。「医療体制の崩壊」を防ぎ「王将(患者)」を守るために「飛車(医療機関)」への過大な負担を避けるようにしているとも言えるからだ。

しかし、それでも「厚労省にとっては医療機関や製薬会社こそが王将」だとシメオン氏は言い切る。もちろんその可能性は残るが、今回の「コロナ検査」は根拠にならない。むしろ「厚労省にとっては国民(患者)こそが王将」を裏付ける材料になっている。

今回も彼ら自身は戦略的に『飛車をかわいがっている』とはつゆほども思っていない可能性はあるのだが」と最後に書いているので、シメオン氏自身も「厚労省は国民第一という意識で働いている可能性がある」と感じているのだろう。

そして「コロナ検査」の件では実際に「王将(患者)」も「飛車(医療機関)」も同時に守る「合理的」な対策を実行したとシメオン氏も評している。なのになぜ「『王より飛車』で進むコロナ検査」となってしまうのか。



※今回取り上げた記事「少数異見~『王より飛車』で進むコロナ検査の是非
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/23177


※記事の評価はD(問題あり)

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