2020年2月11日火曜日

書き手としても適性欠く週刊東洋経済の山田俊浩編集長

記事中のミスの握りつぶしを続ける週刊東洋経済の山田俊浩編集長には、書き手としての能力にも疑問符を付けたい。2月15日号の「編集部から」では以下のように書いている。
日蓮聖人銅像護持教会(福岡市)
      ※写真と本文は無関係です

【東洋経済の記事】

健康診断で訪れた近所の病院で不思議な光景に出くわしました。80歳前後と思われるかくしゃくとしたおじいさんが受付で「もう知り合いが誰もいなくなった」「ひとりだと待っている間がつまらない。疲れてしまう」と愚痴ると、女性スタッフが「寂しいこと言わないでよ。健康なうちは頑張って来ようね」と大声で励ましていました。この2人の会話に多くの患者の目が集まりました。健康なのに病院? 後でスタッフに尋ねたところ、長年通っている常連さんで、年齢相応に健康だそうです。「病院へ通うことができるのは健康な証拠」というのは、なんとも皮肉です。無駄なクスリ、医療は身近にあふれています



◎だったら自分は?

健康なのに病院?」と思った山田編集長には「健康ならば病院に来る必要はない」との前提があるのだろう。しかし自分は「近所の病院」を「健康診断で訪れた」のではないか。「健康診断」は「健康」な人でも受けるものだ。「健康なのに病院」がそれほど「不思議な光景」でないのは我が身を振り返れば分かるはずだ。

無駄なクスリ、医療は身近にあふれて」いるとは思う。しかし「80歳前後と思われるかくしゃくとしたおじいさん」の例からは何とも言えない。例えば「体に何の異常がなくても暇つぶしのために毎週、病院を訪れる」などと書いてあれば別だが…。

推測だが「女性スタッフ」が発した「健康なうちは」という言葉は「体が動くうちは」といった趣旨ではないのか。「年齢相応に健康」も「日常生活には支障がない状態」といったところだろう。仮に「80歳前後と思われるかくしゃくとしたおじいさん」が高血圧の治療薬を処方されていたとしても、他に問題がなければ「年齢相応に健康」と言ってもいいのではないか。

80歳前後と思われるかくしゃくとしたおじいさん」を「無駄なクスリ、医療」の象徴として取り上げるには材料不足だ。それなのに「『病院へ通うことができるのは健康な証拠』というのは、なんとも皮肉です」と書いてしまう山田編集長の判断力に不安を感じる。


※今回取り上げた記事「編集部から


※記事の評価はD(問題あり)。ミス握りつぶしの罪を重く見て、山田俊浩編集長への評価はF(根本的な欠陥あり)とする。

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