のこのしまアイランドパークのコスモス ※写真と本文は無関係です |
記事の中身を見ながらツッコミを入れてみたい。まずは冒頭の事例について考える。
【日経の記事】
サボテンが林立する米アリゾナ州の砂漠を抜けると、丘の上に近未来を感じさせる建物が現れた。かつて火星での自給自足を想定し、外部と遮断して科学者8人が暮らした実験施設「バイオスフィア2」だ。「ピラミッド型の構造物には、熱帯雨林の森や砂漠が広がっているんだ」。アリゾナ大学が引き継いだ施設で、ジョン・アダムス副所長が指を指す。東京ドームのグラウンドと同程度の広さに、人工の海や草地まである。まさに「ミニ地球」だ。現実の地球は分断が進み、ミニ地球で生きる試行錯誤は現代の問題解決にも通じる。
1991年から2年間にわたる実験は、施設に男女4人ずつの科学者がこもった。自ら作物を栽培し、ヤギや鶏を育てた。実験は、酸素濃度の急低下や食料不足に見舞われ、生態系が崩れた末に行き詰まった。「壮大な無駄だった」というのがこれまでの大方の見方だ。
それから30年近くがたち、人類は地球という「密室」でかつての「失敗」をふたたび犯す危機にさらされている。覇権争いを繰り広げ、地球温暖化対策でも足並みが乱れる。バイオスフィア2とは「第2の生命圏」を意味する。火星移住を目指す過去の実験では問題が幾つもあったが、すべてにおいて人と人がどれだけ争いを減らし、協調できるかが試された。問われたのは、火星に移り住むことよりも、むしろ、この地球の環境、すなわち「バイオスフィア1」で集団生活するための心構えだ。
米国と中国の経済摩擦、緊迫する中東情勢、日本と韓国のすれ違い……。1989年に東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が崩れた後もあつれきが生じている。自らの利益や快適な暮らしを求めるのは自由だが、無自覚に他人に犠牲を強いていないだろうか。グローバル化で国家や企業、個人の利害が複雑にからみあい、みんなで協力し苦難を乗り越える方法論の研究はこれまでになく重要になっている。人間関係の本質に迫る実験は、かつてのミニ地球に代わり、進化を遂げたコンピューター上に舞台を移してより深化する。
◎肝心な話が…
「バイオスフィア2」について「実験は、酸素濃度の急低下や食料不足に見舞われ、生態系が崩れた末に行き詰まった。『壮大な無駄だった』というのがこれまでの大方の見方」と筆者ら(猪俣里美記者と加藤宏志記者)は書いている。これは問題ない。
しかし、読み進めると「人と人がどれだけ争いを減らし、協調できるかが試された。問われたのは、火星に移り住むことよりも、むしろ、この地球の環境、すなわち『バイオスフィア1』で集団生活するための心構えだ」と出てくる。
「だったら最初の説明は何なの?」と聞きたくなる。「問題が幾つもあった」のだとしても、最大の「問題」が人間同士の「争い」だったのならば、そこを最初からしっかり説明すべきだ。
「施設に男女4人ずつの科学者がこもった」結果、どんな「争い」が生じて「協調」が難しくなったのか記事には説明がない。今回の記事の趣旨からして、そこが最も重要なはずだ。何のために「米アリゾナ州」まで足を運んだのか。それこそ「壮大な無駄」ではないか。
次は「ディスラプション(創造的破壊)」に関する記述を見ていく。
【日経の記事】
人類は社会や政治を発達させて、争いを抑えるべきなのだろう。英科学誌「ネイチャー」によると、スペインの研究者が哺乳類1000種類以上について同種の争いが死を招く割合を調べたところ、哺乳類が平均0.3%だったのに対し、社会性や領土意識のある霊長類は2%と際立って高かった。進化で受け継いだ暴力性は、人知でしか制御できない。
「駆け引きは愛の世界でも起こりうる」。静岡大学の竹内勇剛教授は漫画などで見かける愛情表現の「ツンデレ」から、信頼関係を育むコツを読み解こうとしている。ふだんは素っ気なく、たまに優しくなるのがツンデレ。「ツンデレする側は、本当は『関係を築きたい』と思っている」。「ツン」と「デレ」の強さを数値で示すプログラム(方程式)をつくり、2人の信頼度を計算した。ツンのタイミングと頻度を変えながら、どこかでデレを強くすると一気に信頼度が上がった。ツンを続け、デレへの期待が極度に高まると関係が破綻する兆候が表れた。恋人同士の関係から国家のつばぜり合いまで、関係が崩壊する兆しや緊張緩和の機会を見極め、ためらわずに手を打つことの大切さを物語る。人と人の絆を深める法則探しは、人類最大のディスラプション(創造的破壊)への挑戦だ。成就した先に、争いのない世界が広がる。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)と資生堂は、密室の共同生活実験で、ストレスで顔がゆがむ現象を発見した。顔のパーツの角度などが表すゆがみ度は入室前の最大約3倍だった。資生堂の研究では、ストレスを受けた人の手からガス状物質が出て、他人に疲れや混乱が伝わった。「ある物質でストレスに伴う物質の匂いは隠れます」(資生堂の勝山雅子博士)。争いに科学で挑む動きは少しずつ広がっている。
◎「創造的破壊」と言える?
瞬間移動装置が実用化されて自動車メーカーや航空機メーカーが経営破綻し、新興の瞬間移動装置メーカーが新しい市場のリーダーになるといった話ならば「ディスラプション(創造的破壊)」と呼べるだろう。既存市場の「破壊」であり「創造的」でもあるからだ。
今回の場合はどうだろう。「人と人の絆を深める法則探しは、人類最大のディスラプション(創造的破壊)への挑戦だ。成就した先に、争いのない世界が広がる」と筆者らは訴える。
「争いのない世界」を取りあえず「(軍事的な)争いのない世界」と仮定しよう。実現すれば悪くない話だ。しかし、そこに「破壊」は見えない。軍事的な「争い」がなくなり平和が訪れた時に「破壊」だと感じる人がいるのか。「戦争状態を破壊したんだ」といった主張もできなくはないが、かなり苦しい。
それに「人と人の絆を深める法則探し」が「成就」したとしても「争いのない世界が広がる」とは思えない。「『ツン』と『デレ』の強さを数値で示すプログラム(方程式)」を使って、どうすれば「争い」を避けられるかの「法則」が見つかったとしよう。そして、ものすごく賢いAIが常に適切な助言を与えてくれると仮定する。
その場合、各国の指導者はその助言に従うだろうか。「イランの司令官を殺害するとイランとの関係が決定的に悪化します」とAIが助言したら、米国のトランプ大統領は自制したのか。「米国への軍事的報復はイランの国益を損ないます」とAIが助言したら、イランの指導者はそれに従うのか。
「争い」を避ける方が双方にとって国益が大きくなるとしても、だから「争い」を避けるとは限らない。感情的な問題があるからだ。「成就した先に、争いのない世界が広がる」と本気で筆者らは思っているのだろうか。
筆者らは記事を「争いに科学で挑む動きは少しずつ広がっている」と締めている。「成就した先に、争いのない世界が広がる」という話に比べると、かなり小さくなった感じはある。大したことのない話を大きく見せている自覚は筆者らにもあるのだろう。
「ディスラプション(創造的破壊)」に絡めないと記事が成り立たないので、そこに関わる部分はどうしても大げさになる。結果として内容が苦しくなり説得力もなくなる。
この連載に関する結論は同じだ。「ディスラプション(創造的破壊)」をテーマにする限り、優れた記事にするのは極めて難しい。早期に打ち切るべきだ。
※今回取り上げた記事「Disrupution 断絶の先に 第10部~地球に生き続ける(1)争いなき世界 方程式が導く」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200108&ng=DGKKZO53872460X21C19A2TL1000
※記事の評価はD(問題あり)。猪俣里美記者と加藤宏志記者への評価はDで確定とする。両記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。
「余命がわかる」には程遠い日経「Disruption断絶の先に」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/09/disruption.html
0 件のコメント:
コメントを投稿