2019年4月7日日曜日

なぜ「おばさん」の定義は考えない? 松本健太郎氏に問う

週刊ダイヤモンド4月13日号の特集「数式なしで学べる! 統計学『超』入門」の中に出てくる「特別講義~データリテラシーの鍛え方(1時間目)『Facebookはおじさんとおばさんしか使っていない?』」という記事は大筋では納得できる。ただ、「なぜ『おばさん』を除外して論じるの?」と言いたくなるくだりがあった。
久留米成田山の桜(福岡県久留米市)
       ※写真と本文は無関係です

筆者である「気鋭のデータサイエンティスト」の松本健太郎氏は以下のように記している。

【ダイヤモンドの記事】

お題に戻りましょう。果たして「フェイスブックはおじさんとおばさんしか使っていない」のか。

データを複眼的に見てみると、「フェイスブックはおじさんとおばさんの利用者が急激に増えているから“ばかり”に感じる」という表現が正解ではないでしょうか。

ここまではずっと数字の話をしてきました。でも「フェイスブックおじさんおばさん問題」の話は、数字の話のように見えて、実は国語の話なんです。

フェイスブックはおじさんだらけだって言うけど、そもそも「おじさん」て何歳からでしたっけ? っていう話です。

以前、「おじさん」と「お兄さん」の境目は何歳なのかという分析をしたことがあって、それによれば、20代前半から見ると一回り上の30代はおじさんなんです。20代後半や30代から見ると、清潔感があれば30代後半でもお兄さんだけど、服装が汚かったり不潔感があったりするとおじさん扱いになる。つまり、20代から見れば、30代の大半はおじさんなんです。そうだとすれば、これまで紹介してきたデータに対する見方を改める必要があります。

図②の17年のフェイスブック利用者の年代別内訳をもう一度見ると、30~60代が占める割合は70%になる。「おじさんだらけ」という指摘も、あながち外れてはいないことになります。

「フェイスブックはおじさんとおばさんしか使っていないのか」ということを検証するためにデータをいろいろな角度から見てきたわけですが、本来最初にやるべきだったのは「おじさん」の定義だった。データをいじる前に、言葉の定義を明確にすることが重要だということを覚えておいてください。



◎「おばさん」への忖度?

フェイスブックおじさんおばさん問題」を論じているはずなのに、急に「フェイスブックはおじさんだらけだって言うけど、そもそも『おじさん』て何歳からでしたっけ?」と「おばさん」を除外している。

そして「『おじさん』と『お兄さん』の境目は何歳なのかという分析」に話が移っていく。なぜ「おじさん」限定で話が進むのか。

おじさん」の「分析」はしたが「おばさん」の「分析」はしていないからという反論がまず考えられる。その場合、なぜ「おばさん」を外して「おじさん」だけ分析したのかが引っかかる。両方を分析する方が自然だ。「おばさん」あるいは女性への忖度でもあるのかと疑いたくはなる。

おじさん」の分析結果しか持っていないとしても「本来最初にやるべきだったのは『おじさん』の定義だった」と導くのは明らかにおかしい。

検証する」のは「フェイスブックはおじさんとおばさんしか使っていないのか」という問題だ。ならば当然に「本来最初にやるべきだったのは『おじさん』『おばさん』の定義だった」とすべきだ。

世の中の空気として「20代から見れば、30代の大半はおじさんなんです」とは公の場で言いやすくても「20代から見れば、30代の大半はおばさんなんです」とは口に出しにくい。それは分かる。だからと言って、そこから逃げていては、きちんとした分析はできない。

調査に基づいて「『おじさん』『おばさん』の定義」を考えたとしても、何らかの差別に当たるわけでもない。なのに「本来最初にやるべきだったのは『おじさん』の定義だった」と「おばさん」を除外する気配りを見せられると「筆者は腰が引けてるのかなぁ」と思わずにはいられない。

個人的には、そういう人の言葉を重く受け止める気にはなれない。


※今回取り上げた記事「特別講義~データリテラシーの鍛え方(1時間目)『Facebookはおじさんとおばさんしか使っていない?』
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/26281


※記事の評価はC(平均的)。 松本健太郎氏への評価も暫定でCとする。

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