2018年8月10日金曜日

「障害者」巡る問題多い日経「ポスト平成の未来学」

深く考えていないのか、説明が下手なのか、その両方なのか--。9日の日本経済新聞朝刊 未来学面に載った「ポスト平成の未来学 第10部 共生社会へ~違いを強みに 障害者の視点を生かす」という記事には色々と問題を感じた。
河童と桜(福岡県久留米市)※写真と本文は無関係です

記事には理解できない説明も出てきたので、筆者らに以下の内容で問い合わせを送った。

【日経への問い合わせ】

日本経済新聞社 山本公彦様 小柳優太様

9日の朝刊未来学面に載った「ポスト平成の未来学 第10部 共生社会へ~違いを強みに 障害者の視点を生かす」という記事についてお尋ねします。以下のくだりが何度読んでも理解できませんでした。

障害者の視点が仕事に変化をもたらすこともある。昨年、保険契約の仕組みの問題点を小山さんが指摘した。契約書には『本人の署名または家族による代筆』が必要だが、手などに障害がある人は代筆に限られ、本人が契約できない。同社は8月から、代筆できる対象者を広げるなど内規を改めた

まず「手などに障害がある人は代筆に限られ、本人が契約できない」との説明が謎です。「家族による代筆」が認められているのであれば、「代筆」を選んで「本人が契約」できるのではありませんか。

家族による代筆」では代筆した人の契約となり、「本人が契約できない」と仮定しましょう。この場合、「代筆できる対象者を広げる」措置を取ったところで「本人が契約できない」状況は変わりません。

本人の署名または家族による代筆」が「本人の署名または家族・友人による代筆」に改まったのを受けて「友人」に代筆してもらっても、「友人」の契約になってしまいます。

記事の説明は誤りではありませんか。控えめに言っても説明不足だと思えます。問題なしとの判断であれば、どう理解すれば良いのか教えてください。

推測ですが「手などに障害がある人は代筆に限られ、家族がいない場合は契約ができない」と言いたかったのではありませんか。それならば「代筆できる対象者を広げるなど内規を改めた」とうまく結び付きます。

日経では、読者の間違い指摘を無視する悪しき伝統が長く続いています。まずは、山本様と小柳様が日経を正しい方向へ導く「」になってみませんか。「様々な場所でいぶき始めている『芽』を枯らすことなく、大切に育てていくことこそが、新たな時代の幕を開くこととなる」と記事で訴えたのですから。

ついでに言うと、この文は「こと」を3回繰り返しているのに拙さを感じます。例えば「様々な場所でいぶき始めている『芽』を枯らさず大切に育てていくことこそが、新たな時代の幕を開く条件となる」とすれば1回で済みます。

せっかくの機会なので。記事を読んだ感想も添えておきます。

まず「健常者との『差』を個性として捉えきれないことから生じる偏見は、なお社会に根強く残る」との説明が引っかかりました。「健常者との『差』」は「数学が苦手」とか「歌が下手」と同列の「個性として捉え」て良いのでしょうか。だとしたら、社会全体で保護する必要ないでしょう。

関連記事では「企業に義務付けられている障害者雇用の割合(法定雇用率)が4月、2.0%から2.2%へと引き上げられた」とも書いています。「個性として捉え」てよいのならば、こうした政策は不要です。単なる「個性」とは一線を画しているからこそ、保護策や優遇策が正当化されるはずです。

アクサ生命保険」に関する事例にも疑問が残りました。記事では「人事部門で多様性推進の業務を担当している」という「先天性全盲の小山恵美子さん(49)」を取り上げた上で「同社では09年から障害者雇用を本格化。障害の有無に関わらず、仕事を分担することで、様々な顧客の立場に立った考え方が深まるなどのプラス効果が出ている」と書いています。

これは本当ですか。記事には「スライド映像を見られないので、必要なことはメモしています」という「小山恵美子さん」のコメントが出てきます。「障害の有無」と関係なく「仕事を分担する」場合、「スライド映像」の作成を「小山恵美子さん」が担う可能性が出てきます。しかし、常識的にはあり得ないでしょう。仮に可能だとしても、かなり酷な業務分担になるはずです。

最後に取り上げるのは以下のくだりです。

国内の2017年の障害者実雇用率は2%未満で、共生とは程遠い。より多くの人が多様性を認め、障害者と共に歩もうと意識を変えない限り、共生の実現は難しい

説得力に欠ける漠然とした説明になっていませんか。「国内の2017年の障害者実雇用率は2%未満で、共生とは程遠い」と書いていますが、「2%未満共生とは程遠い」と言える根拠は示していません。何%になると「共生」となるのかも不明です。

山本様と小柳様が現状をどう認識しているのかも気になりました。「共生とは程遠い」のですから、今は「障害者隔離社会」とでも呼ぶべき状態でしょうか。個人的にはむしろ「障害者隔離社会とは程遠い」と思えますが…。

それに、「共生」しているかどうかは「障害者実雇用率」で測れるのですか。「障害者実雇用率」が高くても、障害者を健常者と分けて離島で過酷な労働をさせているだけならば、「共生」と呼ぶには値しないでしょう。

「深く考えずに、何となくそれらしいことを書いてみたのでは?」と思える記述が今回の記事では目に付きました。「障害の有無にかかわらず仕事を分担するっていいことなのかな? 例えば、全盲の人に写真撮影の役割を担わせるのは無理じゃないかな。アクサ生命はこの問題にどう対処しているんだろう?」などと立ち止まって考えれば、もっと説得力のある記事になった気がします。

◇   ◇   ◇

追記)結局、回答はなかった。

※今回取り上げた記事「ポスト平成の未来学 第10部 共生社会へ~違いを強みに 障害者の視点を生かす
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20180809&ng=DGKKZO33950440Y8A800C1TCP000


※記事の評価はD(問題あり)。山本公彦記者と小柳優太記者への評価も暫定でDとする。

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