2016年7月5日火曜日

東洋経済の特集「子なしの真実」に見える不都合な真実

週刊東洋経済7月9日号の第1特集は「『子なし』の真実」。経済誌ではなくAERAにでも任せておけばと思えるテーマだが、そこは問わないでおこう。ただ、「『子どもはまだ』。その一言に傷つく夫婦は少なくない。子がいないことは罪なのか」という問題提起には無理がある。それは記事で用いたデータからも明らかだ。
西南学院中学・高校(福岡市早良区)※写真と本文は無関係です

この特集では「『子なし』夫婦に対する世間の風当たりは厳しい」と断定した上で、「『子どもはまだ?』『なぜ持たないの?』『自分のことしか考えていない。わがままだ』『親不孝だ』…。職場の上司や同僚、親、親戚は、紋切り型の無神経な言葉を平気でぶつけてくる」と、子なし夫婦の置かれた厳しい現状を説明する。

紋切り型の無神経な言葉を平気でぶつけてくる」人がいないとは言わない。しかし、昔に比べるとこの手の質問がタブー視されるようになっているのも確かだ。「そんなに『子なし』を面と向かって責める人が多いかな」と思いながら読み進めると、その疑問に答えてくれるデータが出てきた。

52ページのグラフを見ると「子どもがいないことで肩身が狭いと感じたことはあるか」との質問に対し、「ある」と答えた人は24%に過ぎない(東洋経済のアンケートで子どもゼロと回答した590人が対象)。この結果に対し、誌面では「子なしに引け目を感じる」と見出しを付け、「子どもがいないことで、親戚の集まりや社内で孤独を感じる人が多い」と説明を加えている。

これはかなり無理のある解釈だろう。「肩身が狭いと感じたことがある人」は24%しかいない。76%が「引け目を感じたことがない」のだから「子どもがいないことで、親戚の集まりや社内で孤独を感じる人」は「子なし」の中でも必然的にかなりの少数派となる。「日本は『子なし』でもあまり肩身の狭い思いをせずに済む社会」と評価する方が自然だ。

記事では「社会はまだ子なしの選択を完全に受け入れてはいないようだ」と書いている。それはその通りだろう。だが、「全ての人が完全に子なしを受け入れる社会」は実現可能なのか。我が子に「早く孫の顔を見せて」と言ってくる親をゼロにはできないだろう。

例えば「酒を飲まない人」や「タバコを吸う人」の中にも、肩身の狭い思いをしている人はいる。こうした人に「罪」はない。だが、肩身の狭い思いをする場面を日本全体でゼロにはできない。8割近い人が「肩身の狭い思いはしていない」と回答する状況を実現できていれば十分ではないか。「子なし」も同じだ。

8割近くが「肩身の狭い思いはしていない」のに、「『子なし』夫婦に対する世間の風当たりは厳しい」との前提で特集を組むのは、作り手のご都合主義だと言われても仕方ないだろう。


※特集の評価はC(平均的)。担当者に関しては、中島順一郎記者、鈴木良英記者、許斐健太記者を暫定B(優れている)から暫定Cに引き下げる。暫定でCとしていた中原美絵子記者はCで確定させる。ライターの斉藤真紀子氏と加藤順子氏は暫定でCとする。

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