2019年4月9日火曜日

データ比較に問題あり 週刊ダイヤモンド「バブル時代は本当によかった?」

週刊ダイヤモンド4月13日号の特集「数式なしで学べる!統計学『超』入門」を担当した前田剛記者と竹田孝洋編集委員はデータの扱いが上手いと自覚しているのだろう。でなければ、この手の特集に手を出そうとはしないはずだ。しかし特集の中の「バブル時代は本当によかった?」という記事を読むと、2人のデータ解釈力に疑問符を付けたくなる。
流川桜並木(福岡県うきは市)
      ※写真と本文は無関係です

記事の前半は以下のようなっている。

【ダイヤモンドの記事】

事あるたびに「バブル時代はよかった」とつぶやく「バブルおじさん」たち。公的統計でその真偽を確かめてみた

平成の世が終わろうとする今日、いまだに「バブル時代は本当によかった」と1990年前後の時代を懐かしむ「バブルおじさん」たちがいる。

かく言う記者もバブル世代ど真ん中で、バブル時代は華やかで楽しかったと思っているバブルおじさんの一人だ。何とかしてバブル時代がよかったことを今どきの若者にも知らしめたい。そこで幾つかの公的統計を調べてみた。

下図は現在の生活に対する満足度を世代別に聞いた結果だ。

バブル期に20代で、派手にお金を使った経験のある現在の50代から見れば、「現在の20代は使えるお金がなくてかわいそう」と思えるかもしれない。

ところが、調査結果は全く正反対となった。50~59歳の満足度が72.4%なのに対し、18~29歳の満足度は83.2%と11ポイント近く高い。この結果から見る限り、今どきの若者はちっともかわいそうではないのだ。



◎根拠になる?

バブル時代はよかった」かどうか「公的統計でその真偽を確かめ」るのが記事の柱だ。「現在の生活に対する満足度を世代別に聞いた結果」として「50~59歳の満足度が72.4%なのに対し、18~29歳の満足度は83.2%」となったからと言って、これが「バブル時代はよかった」かどうかを考える材料になるのか。

バブル時代」の若者の「生活に対する満足度」を「今どきの若者」と比べるのならば分かる。しかし、「バブル時代」を経験した今の「50~59歳の満足度」を「今どきの若者」と比較しても意味はない。

50~59歳の満足度」が低いのならば、「バブル時代はよかった」との見方を裏付けている可能性もある。「バブル時代はよかった(が、今はよくない)」場合、「50~59歳の満足度」は低くなりやすいはずだ。

付け加えると、自分自身も「バブル時代」の若者だったが、当時は「今の状況では希望が持てない。とにかく不動産価格は下がってくれ」と祈るような気持ちだったのを覚えている。「バブル時代はよかった」と思ったことはない。

「多少給料が上がっても、今の状況では職場から電車で1時間以内に家を持つのは難しい。そして、既に不動産を持っている人の多くはそれだけで立派な資産家だ。不動産が値下がりしない限り、この格差は決定的だ」と当時は感じていた。なのでバブル崩壊は本当に嬉しかった。

今回の記事の筆者は「バブル世代ど真ん中で、バブル時代は華やかで楽しかったと思っているバブルおじさんの一人」らしい。不動産の含み益が既にあったのならば分かるが、違うのならば「よくそんなに楽観的でいられたな」とは思う。

バブル時代は本当によかった」と「懐かしむ『バブルおじさん』たち」が多いのかもしれないが、個人的には絶望に近いものを感じた「時代」だった。


※今回取り上げた記事「バブル時代は本当によかった?
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/26275


※記事の評価はD(問題あり)。筆者は特定できないが、特集を担当した前田剛記者と竹田孝洋編集委員の共同執筆と見なす。前田記者への評価はDで確定させる。武田編集委員への評価はDを据え置く。


※前田記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。

海外M&A「9割失敗」が怪しい週刊ダイヤモンドの特集
https://kagehidehiko.blogspot.com/2017/04/blog-post_16.html

2019年4月8日月曜日

「プライマリーケア」巡る東洋経済 野村明弘氏の信用できない「甘言」

記事の冒頭に「『この政策で問題は一挙に解決する』との政治的甘言は大半がウソで信用できない。だが医療にはこうしたウルトラC的かつまっとうな政策が珍しく存在する。プライマリーケアの制度化だ」と書いてあると「そんな夢のような政策があるのか」と期待してしまう。結論から言えば、期待は裏切られた。
筑後川沿いの桜(福岡県久留米市)
       ※写真と本文は無関係です

週刊東洋経済4月13日号の「ニュースの核心~医療を救うプライマリーケア」という記事で筆者の野村明弘氏(本誌コラムニスト)は以下のように説明している。

【東洋経済の記事】

プライマリーケアがウルトラC的な要素を持つのは、それが医療費抑制にも直結するからだ

病状や治療法の情報が少ない患者は医療設備や外観を見て病院を選びがち。結果、軽症の患者が大病院に押し寄せ、病院経営者は顧客獲得を狙って医療設備や人材を拡張する。その対応に本来2次・3次医療に特化すべき専門医が忙殺され、効率や質が低下。過剰な医療設備は医療費を膨らませる。

政府は現在、1〜3次の医療機関の機能分化を強化し、それによる医師の業務効率化で急性期など過剰病床を削減して医療費の抑制を目指す。だが、再編は遅れぎみ。欠けているのはプライマリーケアの制度化だ。プライマリーケアでは家庭医が軽症患者に対応し、重症患者は大病院に橋渡しする。このため、大病院は2次・3次医療に特化でき、顧客獲得競争も減少。機能分化と病床削減は加速する。

プライマリーケアでは国民の家庭医登録が必須であり、日本医師会は制度化に反対だ。医療機関を自由に選択できる現行のフリーアクセスに反するからだ。だが、患者が病状や治療法の情報を十分に持てない医療では経済理論的に消費者主権は成立せず、フリーアクセスを正当化する根拠は弱い。

医療制度に詳しいニッセイ基礎研究所の三原岳・准主任研究員は「政府は病床削減による医療費抑制を前面に出すが、プライマリーケアを制度化すれば質の向上も進む。国民の理解をもっと得られるのではないか」とみている。


◎どの「問題」を一挙に解決?

まず「プライマリーケアの制度化」が何の問題を「一挙に解決」してくれるのか謎だ。「医療」に関する全ての問題なのか。それはさすがに無理だろう。「プライマリーケアがウルトラC的な要素を持つのは、それが医療費抑制にも直結するからだ」と書いてあるので、とりあえず「医療費」に関する問題が「一挙に解決」すると考えよう。

だが、記事を最後まで読んでも、そう思えるだけの根拠は見つからない。「医療費抑制にも直結する」と野村氏は断言するが、「プライマリーケアの先進導入国」である「英国やオランダ、デンマーク、カナダ、豪州など」で問題が「一挙に解決」したと受け取れる記述はない。それどころか「医療費抑制」に関する具体的なデータさえない。

仮に「医療費抑制」に明らかな効果があっても、それで問題が「一挙に解決」する訳ではない。例えば「プライマリーケアの制度化」には「医療費」を1%減らす明確な効果があるとしよう。しかし、それを上回るペースで「医療費」が増えているのに、財源の手当てが追い付いていない場合、問題は「解決」しない。

思い出してみよう。「『この政策で問題は一挙に解決する』との政治的甘言は大半がウソで信用できない。だが医療にはこうしたウルトラC的かつまっとうな政策が珍しく存在する。プライマリーケアの制度化だ」と野村氏は書いていた。記事を読んだ限りでは「プライマリーケア」に関する野村氏の「甘言」も「信用できない」と判断するしかない。

ついでに言うと「患者が病状や治療法の情報を十分に持てない医療では経済理論的に消費者主権は成立せず、フリーアクセスを正当化する根拠は弱い」との解説にも納得できなかった。「商品やサービスに関して消費者が十分な情報を得られない状況では、フリーアクセスの制限が正当化できる」と野村氏は考えているのだろう。その場合、ほとんどのケースで「フリーアクセスを正当化する根拠は弱い」との結論を導き出せる。

例えば住宅だ。耐震偽装の問題などで分かるように、購入者は住宅に関して「情報を十分に持てない」まま取引をしている。外食でもそうだ。どんな食材を使っているのかについて「情報を十分に持てない」まま、消費者は出された料理を口にしている。住宅や外食に関して「フリーアクセス」を制限した場合、野村氏は「経済理論的に消費者主権は成立しないんだから、制限もやむなし」と考えるのだろうか。


※今回取り上げた記事「ニュースの核心~医療を救うプライマリーケア
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/20314


※記事の評価はD(問題あり)。野村明弘氏への評価もDを据え置く。野村氏に関しては以下の投稿も参照してほしい。

アジア通貨危機は「98年」? 東洋経済 野村明弘記者に問う
https://kagehidehiko.blogspot.com/2018/09/98.html

2019年4月7日日曜日

なぜ「おばさん」の定義は考えない? 松本健太郎氏に問う

週刊ダイヤモンド4月13日号の特集「数式なしで学べる! 統計学『超』入門」の中に出てくる「特別講義~データリテラシーの鍛え方(1時間目)『Facebookはおじさんとおばさんしか使っていない?』」という記事は大筋では納得できる。ただ、「なぜ『おばさん』を除外して論じるの?」と言いたくなるくだりがあった。
久留米成田山の桜(福岡県久留米市)
       ※写真と本文は無関係です

筆者である「気鋭のデータサイエンティスト」の松本健太郎氏は以下のように記している。

【ダイヤモンドの記事】

お題に戻りましょう。果たして「フェイスブックはおじさんとおばさんしか使っていない」のか。

データを複眼的に見てみると、「フェイスブックはおじさんとおばさんの利用者が急激に増えているから“ばかり”に感じる」という表現が正解ではないでしょうか。

ここまではずっと数字の話をしてきました。でも「フェイスブックおじさんおばさん問題」の話は、数字の話のように見えて、実は国語の話なんです。

フェイスブックはおじさんだらけだって言うけど、そもそも「おじさん」て何歳からでしたっけ? っていう話です。

以前、「おじさん」と「お兄さん」の境目は何歳なのかという分析をしたことがあって、それによれば、20代前半から見ると一回り上の30代はおじさんなんです。20代後半や30代から見ると、清潔感があれば30代後半でもお兄さんだけど、服装が汚かったり不潔感があったりするとおじさん扱いになる。つまり、20代から見れば、30代の大半はおじさんなんです。そうだとすれば、これまで紹介してきたデータに対する見方を改める必要があります。

図②の17年のフェイスブック利用者の年代別内訳をもう一度見ると、30~60代が占める割合は70%になる。「おじさんだらけ」という指摘も、あながち外れてはいないことになります。

「フェイスブックはおじさんとおばさんしか使っていないのか」ということを検証するためにデータをいろいろな角度から見てきたわけですが、本来最初にやるべきだったのは「おじさん」の定義だった。データをいじる前に、言葉の定義を明確にすることが重要だということを覚えておいてください。



◎「おばさん」への忖度?

フェイスブックおじさんおばさん問題」を論じているはずなのに、急に「フェイスブックはおじさんだらけだって言うけど、そもそも『おじさん』て何歳からでしたっけ?」と「おばさん」を除外している。

そして「『おじさん』と『お兄さん』の境目は何歳なのかという分析」に話が移っていく。なぜ「おじさん」限定で話が進むのか。

おじさん」の「分析」はしたが「おばさん」の「分析」はしていないからという反論がまず考えられる。その場合、なぜ「おばさん」を外して「おじさん」だけ分析したのかが引っかかる。両方を分析する方が自然だ。「おばさん」あるいは女性への忖度でもあるのかと疑いたくはなる。

おじさん」の分析結果しか持っていないとしても「本来最初にやるべきだったのは『おじさん』の定義だった」と導くのは明らかにおかしい。

検証する」のは「フェイスブックはおじさんとおばさんしか使っていないのか」という問題だ。ならば当然に「本来最初にやるべきだったのは『おじさん』『おばさん』の定義だった」とすべきだ。

世の中の空気として「20代から見れば、30代の大半はおじさんなんです」とは公の場で言いやすくても「20代から見れば、30代の大半はおばさんなんです」とは口に出しにくい。それは分かる。だからと言って、そこから逃げていては、きちんとした分析はできない。

調査に基づいて「『おじさん』『おばさん』の定義」を考えたとしても、何らかの差別に当たるわけでもない。なのに「本来最初にやるべきだったのは『おじさん』の定義だった」と「おばさん」を除外する気配りを見せられると「筆者は腰が引けてるのかなぁ」と思わずにはいられない。

個人的には、そういう人の言葉を重く受け止める気にはなれない。


※今回取り上げた記事「特別講義~データリテラシーの鍛え方(1時間目)『Facebookはおじさんとおばさんしか使っていない?』
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/26281


※記事の評価はC(平均的)。 松本健太郎氏への評価も暫定でCとする。

2019年4月6日土曜日

東芝「株価1万円には増配不可欠」と日経 浜岳彦次長は言うが…

東芝が株価1万円を実現するには「安定的な増配も欠かせない」と日本経済新聞の浜岳彦企業報道部次長は言う。しかし、どうも理屈が合わない。5日の朝刊投資情報面に載った「東芝、株価1万円説の虚実 新中計スタート~利益4000億円達成なら 株主還元や役員刷新 焦点」という記事で、浜次長は以下のように解説している。
浦山公園の桜(福岡県久留米市)
    ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】 

経営再建中の東芝が新たなスタートをきった。2020年3月期から始まる5カ年の中期経営計画では、連結営業利益の目標を4000億円とした。こうした収益増や足元の財務を前提とすると、潜在的な株価は現在の3倍に相当する1万円になるとの見方もある。ただ、実現には市場が求める株主還元や前期の20倍に相当する利益の達成、経営陣強化といった3つのハードルを乗り越える必要がある。

「(経営陣が正しい指導力を発揮すれば)株価は1万1000円以上」。東芝株を5%持つ米ファンド、キング・ストリート・キャピタル・マネージメントは強調する。他のファンドからも「1万円は夢物語ではない」との声がある。計算上の株式価値は現在の時価総額の2兆円を大きく上回る6兆円になるためだ。

東芝は5年後に営業利益4000億円を見込むが、減価償却費は1000億円規模とみられる。このため実際の稼ぐ力を示すEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)は5000億円になる。これにEV/EBITDA倍率(同業大手の独シーメンスで10倍程度)を乗ずると企業価値はざっと5兆円になる。

さらに現預金から有利子負債を差し引いたネットキャッシュは1兆円規模のプラスになる見通し。4割出資する東芝メモリホールディングスの新規株式公開(IPO)に伴う持ち分売却収入が入る可能性が高いからだ。これを加えた株式価値は約6兆円。発行済み株式総数(5億4400万株)で割ると、株価は1万円を超える水準になる。

ただこうした潜在力が実際の株価に反映されるのは簡単ではない。市場が求める複数の要求に対し、適切な解を示していく必要があるためだ。

まず一段の還元拡大だ。東芝は現在、総額7000億円の自社株買いを実施中だが、ファンド勢からは1兆円以上への増額を求める声が目立つ。同社は前期に復配したばかりだが今後の安定的な増配も欠かせない



◎増配は逆効果では?

EBITDA(利払い・税引き・償却前利益)は5000億円」で「ネットキャッシュは1兆円」。これが「株価は1万円を超える水準になる」ための条件だ。異論がなくもないが、ここでは論じない。気になるのは「1万円」を実現するために「安定的な増配も欠かせない」と書いている点だ。

EBITDA5000億円」と「ネットキャッシュ1兆円」を実現した時の適正株価が「1万円」を超えるのならば、その数字を達成すればいいだけだ。なぜ「安定的な増配も欠かせない」のか。「ファンド勢」が求めているからなのか。

安定的な増配」をせずに「ファンド勢」に見放されたとしても、「EBITDA5000億円」と「ネットキャッシュ1兆円」を実現した東芝の適正株価が1万円を超えるのならば、「ファンド勢」が手放した株には1万円以上で買い手が付くだろう。

増配」は現金の流出を招くので「ネットキャッシュ」にはマイナスに働く。「ファンド勢」の求めに応じて気前よく増配していたら「ネットキャッシュ1兆円」を大きく割り込むかもしれない。そうなれば「1万円」の前提が崩れてしまう。

この辺りをどう見るのか十分に検討しないまま浜次長は記事を書いてしまったのではないか。デスクとして記者を指導する立場になったのだから、隙のない記事に仕上げてほしかった。


※今回取り上げた記事「東芝、株価1万円説の虚実 新中計スタート~利益4000億円達成なら 株主還元や役員刷新 焦点
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190405&ng=DGKKZO43357000U9A400C1DTA000


※記事の評価はD(問題あり)。浜岳彦記者への評価もDで確定とする。浜記者に関しては以下の投稿も参照してほしい。

「ソニーがフル生産しない理由」が謎の日経「会社研究」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2017/01/blog-post_70.html

「新・物言う株主」が新しくない日経 浜岳彦記者の「スクランブル」
https://kagehidehiko.blogspot.com/2019/03/blog-post_15.html

2019年4月5日金曜日

基礎力の欠如が見える日経「ハイデイ日高が税引き益1%増」

業績関連記事を書くための基礎が身に付いていないと思える記事が、5日の日本経済新聞朝刊 投資情報面に載っていた。「ハイデイ日高が税引き益1%増 今期単独31億円」というベタ記事だ。全文を見た上で問題点を指摘したい。
筑後川沿いの桜と菜の花(福岡県久留米市)
           ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

ラーメン店「日高屋」を展開するハイデイ日高は4日、2020年2月期の単独の税引き利益が前期比1%増の31億円になる見通しだと発表した。季節メニューの充実などで既存店の売上高は前期並みを見込む。一方、人件費が膨らむほか、米など食材費が増加。売上高原価率は27.3%と前期比0.3ポイント上がる

売上高は435億円と前期比4%増える見通し。日高屋や焼き鳥店「焼鳥日高」の出店を増やす。人件費増に対応し、券売機を新店に加え既存店にも順次、試験的に導入する予定だという。



◎増益理由が…

ハイデイ日高」の「2020年2月期の単独の税引き利益が前期比1%増の31億円になる見通しだ」というのが記事の柱だ。「ほぼ横ばい」「増益」のどちらで見るか微妙だが、ここでは「増益」の前提で話を進める。

その場合「なぜ増益見通しになるのか」は必須だ。しかし、記事からはその理由が読み取れない。

既存店の売上高は前期並み」で「人件費が膨らむほか、米など食材費が増加。売上高原価率は27.3%と前期比0.3ポイント上がる」らしい。ここまで読むと減益になりそうな雰囲気だ。

売上高は435億円と前期比4%増える見通し」なので、「新店の寄与で増益確保」という話かもしれない。ただ、あくまで推測だ。肝心の材料を読者に提示していないのに「人件費増に対応し、券売機を新店に加え既存店にも順次、試験的に導入する予定だという」などと重要性の低い話を書いて記事を締めてしまう。

記事の書き方としては「持っている材料をとりあえず並べてみました」といったレベルだ。

業績関連記事を書く基礎的な技術を身に付けていれば、どうなるか。以下のようなプロセスを経て構成が決まるはずだ。

(1)「増益と見るか横ばいと見るか」を決める。ここでは「増益」とする。

(2)あくまで「微増益」なので、これを「健闘」と捉えるか「苦戦」と捉えるかを決める。ここでは「苦戦」とする。

(3)「増益ではあるが1%増と苦戦しそうだ」と読者に伝えるための構成を考える。

ざっとこんな感じだ。構成としては「既存店売上高は横ばい。新店の寄与で増益は確保するものの、人件費や食材費の増加で原価率が上昇して利益の伸びを抑える」といった流れか(繰り返すが「新店の寄与で増益確保」はあくまで推測)。

この記事を書いた記者は、こうした点をあまり考えずに行数を埋めたのだろう。そしてデスクもきちんと指導できなかった。日経編集局内の誰かが「まだ基礎が身に付いていないよ」と記者に教えてあげてほしい。


※今回取り上げた記事「ハイデイ日高が税引き益1%増 今期単独31億円
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190405&ng=DGKKZO43338800U9A400C1DTA000


※記事の評価はD(問題あり)。

「起業家的な発想」がある? 日経1面「働き方進化論(3)」

日本経済新聞朝刊1面の連載「働き方進化論~原石を逃すな」が相変わらず苦しい。5日の「(3)『熱血』を呼び覚ませ」という記事では「東京海上日動火災保険」の事例が特に引っかかった。

筑後川沿いの桜(福岡県久留米市)
      ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

3月25日、東京都千代田区の東京海上日動火災保険の本社ビルでグループの若手有志の会Tib(ティブ)が開かれた。人の心理は合理的ではないという行動経済学の実験などを踏まえ、どうすれば客に保険の価格に割高感を抱かせないかなどを示した。同社の企業商品業務部長、河村卓(49)は「起業家のような自由な発想が新鮮。会議ではでてこない」と話す。

荒地竜資(26)は同世代の若手社員らに「工夫すれば、やりたいことはできるんだと言いたい」という。人事部などにも話をしながら18年に同期とともに活動し始めた。参加者は20代を中心にした21人。部長陣とも会社をよりよくするための議論を重ねた。「変えたい思いは部長も我々も同じ」と感じた。


◎どこに「起業家的な発想」?

起業家的な発想」という小見出しの後に上記の事例が出てくる。しかし「行動経済学の実験などを踏まえ、どうすれば客に保険の価格に割高感を抱かせないかなどを示した」ことのどこが「起業家のような自由な発想」なのか。「学者のような発想」ならば、まだ分かるが…。

実際には「若手有志の会Tib(ティブ)」から「起業家のような自由な発想」が生まれているのかもしれない。しかし、それを読者に納得させる材料を持ってこないと「起業家のような自由な発想が新鮮」というコメントが生きてこない。

同社の企業商品業務部長」は「会議ではでてこない」発想だと「若手有志の会Tib(ティブ)」を評している。なのに「3月25日」には「東京海上日動火災保険の本社ビルでグループの若手有志の会Tib(ティブ)が開かれた」らしい。これは「会議」ではないのか。

会議」ではない可能性も残るが、だとしたらそれが分かる書き方をすべきだ。

記事からは「若手有志の会Tib(ティブ)」が会社を全体としてどう「変えたい」のか分からないのも引っかかる。「保険の価格」の見せ方を「変えたい」だけではないはずだ。どういう「」なのかは記事中に欲しい。総じて話が抽象的だ。

ついでに冒頭の「東急不動産」の事例にも注文を付けておきたい。

【日経の記事】

会社の「当たり前」を捨てて若手の目線で眺めれば、全く違った風景が浮かんでくる

今夏に東京・南青山から渋谷に本社を移す東急不動産。移転プロジェクトチームは20~30代を中心にした約40人の社員からなる。「新しいことに挑む風土に変える。グループや社外の企業と連携を強めていかなくては」。高橋大輔(34)はこれを機に働きやすい環境をつくろうと意欲を燃やす。

「もっといろいろなことができるはず」。東急不は鉄道会社が発祥でお堅い印象が強い。東急ハンズなど競争力があるグループ会社との連携が不十分にみえた。「もったいない」

グループ会社の人の交流の場となるフリースペースをつくる。渋谷らしく、社員全員の服装をスタートアップ企業風のビジネスカジュアルにする――。社長の大隈郁仁(60)ら経営陣も「今後30~40年働く人が考え決めるべきだ」と背中を押す。



◎「全く違った風景」?

会社の『当たり前』を捨てて若手の目線で眺めれば、全く違った風景が浮かんでくる」と大きく出たものの、その根拠となる「東急不動産」の事例はかなり弱い。

グループ会社の人の交流の場となるフリースペースをつくる。渋谷らしく、社員全員の服装をスタートアップ企業風のビジネスカジュアルにする」--。その程度で「全く違った風景が浮かんでくる」と言われてもとは思う。

事例の弱さを責めるつもりはないが、大したことのない事例を大きく見せるのは避けてほしい。


※今回取り上げた記事「連載働き方進化論~原石を逃すな(3)『熱血』を呼び覚ませ
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190405&ng=DGKKZO43361690U9A400C1MM8000


※記事の評価はC(平均的)。

2019年4月4日木曜日

記事内容に「納得感」欠く日経「働き方進化論(2)」

4日の日本経済新聞朝刊1面に載った「働き方進化論~原石を逃すな(2)『スパルタ』にも納得感」という記事は、その内容に「納得感」がなかった。特に「串カツ田中」の事例が苦しい。記事では以下のように書いている。
久留米成田山の桜(福岡県久留米市)
        ※写真と本文は無関係です

【日経の記事】

串カツ田中ホールディングスの「小伝馬町研修センター店」(東京・中央)。3月中旬の昼すぎ、従業員が仕込み作業に追われていた。この日勤務していた10人の大半は新入社員。指導役は付くが原則として新人で店を切り盛りする。

「先輩のチェックで不合格になることが減ってきた」。2月に入社した柴田洸樹(30)はやっと仕事に慣れてきたように感じている。約30種類ある串揚げは最適な揚げ加減がそれぞれ違う。調理のほか、接客や売り上げ管理など業務は幅広く、戸惑った。だがスタートが同じ同期なら、競争心を持ちつつ助け合いながら成長できるという。

センター店での勤務は1~2カ月。2017年度までは新入社員は3日間の座学研修だけで、店舗への配属後も十分なスキルが身につかず、離職者が少なくなかった。「『仕事はやりながら覚えろ』では通用しづらくなっている」(串カツ田中取締役の織田辰矢=32)。自分たちだけで切り盛りし、失敗すれば厳しく指導される。「スパルタ」式で訓練される新人だけの店だからこそ、自ら考えて動く力が養われる。

人材サービス、エン・ジャパンの研修コンサルタント、横田昌稔(44)は「今の若者は行動の理由や目的を明示しなければ動かない」と指摘する。理不尽なことでも昇進と引き換えに我慢してきた年長者と違い、自分の成長に役立つという納得感をほしがる。


◎「スパルタ」式ならば…

『スパルタ』式」とは言うものの、その内容については「失敗すれば厳しく指導される」と書いてあるだけだ。これだと「確かにスパルタ式だな」とは思えない。見出しでも「『スパルタ』にも納得感」と打ち出したのだから、ここは「納得感」のある材料を提示してほしかった。

串カツ田中取締役」の「『仕事はやりながら覚えろ』では通用しづらくなっている」というコメントも引っかかる。流れとしては、「小伝馬町研修センター店」で働く「新入社員」は「仕事はやりながら覚えろ」スタイルではないと取れる。しかし「自分たちだけで切り盛り」しているのならば「仕事はやりながら覚え」ているのではないか。

エン・ジャパンの研修コンサルタント」の「今の若者は行動の理由や目的を明示しなければ動かない」というコメントも記事の中で浮いている。「串カツ田中」の事例が「今の若者」に「行動の理由や目的を明示」しているのならば、このコメントは効いてくる。しかし「小伝馬町研修センター店」で「行動の理由や目的を明示」している場面は出てこない。

さらに言えば「行動の理由や目的を明示」すれば「納得感」が得られるのならば、それは「3日間の座学研修」でもできるはずだ。「小伝馬町研修センター店」での「『スパルタ』式」の教育が有効だと見なす根拠にはならない。

今の若者は行動の理由や目的を明示しなければ動かない」との決め付けはコメントなのでまだ許すとしても「理不尽なことでも昇進と引き換えに我慢してきた年長者」との断定は感心しない。自分は「年長者」に入ると思うが、職場において「理不尽なことでも昇進と引き換えに我慢」した経験は一度もない。少数派かもしれないが、記事では「年長者」を一括りにし過ぎだ。しかも、どの年代より上を指しているかも不明だ。

記事の続きにも問題を感じた。

【日経の記事】

18年版の労働経済白書によると、日本の職場内訓練(OJT)の実施率は男性が50.7%、女性は45.5%だった。昔と違い、働きながらスキルを身につける機会は減った。経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均(男性55.1%、女性57.0%)を下回る。

OJTの実施率は生産性と正の相関関係があるとされる。若手の合意も得ながら現場で鍛える手法を企業は探らなくては、競争力も落ちる



◎因果関係はある?

OJTの実施率は生産性と正の相関関係がある」としても、因果関係があるとは限らない。なのに「若手の合意も得ながら現場で鍛える手法を企業は探らなくては、競争力も落ちる」と断定してよいのか。

昔と違い、働きながらスキルを身につける機会は減った」と言い切っているのも引っかかる。何の根拠も示していないし、「」がいつを指すのかも分からない。ほとんどの仕事は「働きながらスキルを身につける」ものだと思えるが、その「機会は減った」らしい。本当なのか。

やはり、この記事では「納得感」が得られない。


※今回取り上げた記事「働き方進化論~原石を逃すな(2)『スパルタ』にも納得感
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20190404&ng=DGKKZO43304400T00C19A4MM8000


※記事の評価はD(問題あり)。