7日の日本経済新聞朝刊1面に載った「成長の未来図(6)高齢化の不安、乗り越える~センテナリアンの挑戦」という記事も苦しい内容だった。最大の問題は「センテナリアンの挑戦」を描いていないことだ。その前に記事の冒頭部分にもツッコミを入れておきたい。
田主丸駅 |
【日経の記事】
いま50歳のあなたが22世紀まで生きるかもしれない――。2021年6月、「今世紀中に人類の最長寿命が130歳まで延びる確率は13%」とした論文が発表された。
延び続ける寿命の解明は「経済政策や人生設計に大きな影響を及ぼす」。米ワシントン大のマイケル・ピアース氏らは各国の110歳以上のデータから史上最高齢とされる122歳をどれだけ上回るかを推定した。
◎寿命の頭打ちを示唆しているのでは?
「今世紀中に人類の最長寿命が130歳まで延びる確率は13%」というデータをどう見るべきだろうか。取材班は「延び続ける寿命」を示すものと捉えたようだ。
間違いとは言えないが、個人的にはむしろ逆に見える。今の「最長寿命」が「122歳」。これが「今世紀」末に「130歳」になるとしよう。10年で1歳という緩やかなペースだ。しかも実現の可能性はわずか「13%」。「今世紀中に人類の最長寿命が130歳まで延び」ずに終わる「確率」が87%と言い換えればどうか。「最長寿命」はかなり頭打ちだと思えるのではないか。
問題の「センテナリアンの挑戦」に話を戻そう。ここから最後まで記事を一気に見てみる。
【日経の記事】
高齢化率で世界トップを走る日本で、1世紀を生き抜いた人々を示す「センテナリアン」が急増している。
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、日本の100歳以上は50年に53万2千人。1990年代初めに起きた百寿の双子姉妹「きんさん、ぎんさん」ブームから60年で140倍に膨らむ。
だが不安が先行し、歓迎ムードはない。権藤恭之大阪大教授らの18年の調査によると、30~75歳で「100歳まで生きたい」と答えた人は6.8%にとどまる。
孤独も余生に影を落とす。死離別で独身になる75歳以上の女性は30年までの10年間で130万人増え、800万人を超える。映画とは異なる高齢者版「ホーム・アローン」が待ち受ける。
センテナリアンが身近になる社会に夢は描けるか。
広島大の角谷快彦教授は金融リテラシーの重要性を訴える。高齢期を控えた人への調査をもとに、複利やインフレの理解度が高い人ほど資産を増やし、老後の不安が軽くなる傾向を示した。「お金のリスクに対処できるようになれば安心感が高まる」
60歳以上の貯蓄を含む金融資産を推計したところ、19年時点で約1200兆円だった。15年間で約350兆円伸び、全体の3分の2を占める。国際通貨基金(IMF)は日本の高齢者の貯蓄率が近年上昇しているとし「想定外の長生きに備え退職後も貯蓄を続けている」と分析する。
眠っている資産は「シルバーエコノミー」の原動力になりえる。
ニッセイ基礎研究所の試算によると、60歳以上の消費総額は10年ごろから年1兆円規模で増え、30年に家計消費の49%(111兆円)に及ぶ。
前田展弘・主任研究員は人生後半のライフスタイルを提案するようなサービスの市場が未開拓だと指摘。「高齢者の課題を解決するビジネスが育てば、消費が飛躍的に伸びる余地はある」と話す。
担い手としての期待は消費だけではない。米ハーバード大のデビッド・ブルーム氏らは20年、労働、ボランティア、孫の世話など欧米の高齢者の経済的貢献度が国内総生産(GDP)の7.3%に相当すると算出した。日本の20年のGDPで見れば、建設業(5.9%)や小売業(5.7%)を上回る。
日本では65歳以上の労働参加率が25.3%(19年)と米国(20.2%)、ドイツ(7.8%)より高い。内閣府調査では65歳を超えても働きたい人が7割に達し、働く意欲はまだ眠っている。経験を生かせる職業教育、社会課題の介護や子育て、地域に根ざした企業や観光の支援など活躍を待つ現場は少なくない。
日本の高齢化率は29.1%と先進国で突出して高く、これが社会保障費の増大を招き、財政や家計を逼迫させる要因となってきた。しかし、寿命が着実に延びていくとすれば、65歳以上を高齢者と画一的に考え、限界を設定する必然性は薄れる。
リモートワークや自動化の技術などを最大限駆使することで、元気で意欲も旺盛な高齢者の社会参加をどう促していくか。それ次第で未来の光景は大きく変わる。
◎途中から話が…
途中までは「センテナリアン」の話が続く。しかし「センテナリアンが身近になる社会に夢は描けるか」と問いかけたのを最後に「センテナリアン」は登場しなくなる。「センテナリアンの挑戦」を描いていないだけでなく「センテナリアン」自体を論じなくなっている。
そして「60歳以上の貯蓄を含む金融資産」「60歳以上の消費総額」「65歳以上の労働参加率」などと年齢を60代まで下げて話を進めてしまう。「65歳以上を高齢者と画一的に考え、限界を設定する必然性は薄れる」としても「センテナリアン」に関しては全く話が違ってくるはずだ。
「センテナリアン」を「元気で意欲も旺盛な高齢者」と見なして「労働参加」を促すべきなのか。それを実践している「センテナリアン」は今でも当たり前にいるのか。その辺りに言及しないまま記事を終えている。
例外的な事例を取り上げて「センテナリアン」でも元気に働けると訴えるのもどうかと思うが「センテナリアンの挑戦」と見出しで打ち出すならば、「センテナリアン」がしっかり「社会参加」している姿は描くべきだ。
適当な事例がなかったのならば、記事の構成自体を考え直してほしかった。それが難しいのは分かるが…。
※今回取り上げた記事「成長の未来図(6)高齢化の不安、乗り越える~センテナリアンの挑戦」
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20220107&ng=DGKKZO79016830X00C22A1MM8000
※記事の評価はD(問題あり)
0 件のコメント:
コメントを投稿