2021年12月20日月曜日

日本の教員は「圧倒的に男性」? 児玉治美氏が日経女性面で展開した無理ある主張

アジア開発銀行駐日代表の児玉治美氏にとって、日本は「女性が見えない」社会らしい。その根拠として「先生」に関する女性比率の低さを挙げる。この主張には無理がある。20日の日本経済新聞朝刊女性面に載った「ダイバーシティ進化論~男性が『先生』占める日本 女性の姿が見える社会に」という記事の中身を見ながら、そう感じた理由を説明したい。

田主丸駅

【日経の記事】 

日本での2年8カ月の駐在を終え、12月末にマニラのアジア開発銀行(ADB)本部に帰任することになった。日本にいる間、一番強く感じたのは「女性が見えない」ことだった。

政治や経済に関するニュース番組で、意思決定の場面に映るのはテーブルを囲む男性の姿。アナウンサーや街角の女性を除くと、1時間のニュース枠で最後まで女性の姿がないこともある。この光景に胸が痛むのは私だけではないだろう。

◎そんな番組ある?

長年ニュース番組を見てきたが「アナウンサーや街角の女性を除くと、1時間のニュース枠で最後まで女性の姿がない」番組を見た記憶がない。児玉氏は番組を特定していないので検証のしようがないが本当にそんな番組があるのか。

意思決定の場面に映るのはテーブルを囲む男性の姿」と言うが「ニュース番組」で「意思決定の場面」が映像として流れるケースもあまり思い浮かばない。国会の採決ぐらいか。しかし、これは「テーブルを囲む」ものではないし、女性議員も参加している。

児玉氏は自分の主張に説得力を持たせようと強引に事例を作っているのではないか。違うと言うならば、いつ放映されたどの番組か特定できるようにすべきだ。

それに、なぜ「意思決定の場面」に女性がいないと全体として「女性が見えない」社会だと捉えてしまうのだろう。「アナウンサーや街角の女性」を「女性」として見ていないということか。

その辺りのヒントは記事の続きにある。


【日経の記事】

日本で「先生」と呼ばれる政治家や教員、医師、弁護士などの職種を占めるのは、どれも圧倒的に男性だ。大学進学率の男女差は徐々に縮まっても、女性教員の割合は小学校、中学校、高校と、教育段階が上がるにつれて低くなる。大学・大学院で教授等を務める女性の割合も2割以下だ。2018年末時点の全国の医師届け出数を見ると女性の割合はわずか22%、日本弁護士連合会所属の女性弁護士割合も2割を下回る。

女子が学校に行っても教わる相手は男性、病院でも診察してくれるのは男性、裁判で助けてくれるのも男性、という構図が当たり前になっている。ジェンダー平等の観点から見ると、このことが女性の心理に与える影響は計り知れない。


◎「先生」は「圧倒的に男性」?

日本で『先生』と呼ばれる政治家や教員、医師、弁護士などの職種を占めるのは、どれも圧倒的に男性だ」と児玉氏は言うが、これは違う。

教員」に関して言えば、幼稚園や幼保連携型認定こども園では9割超が女性だ。小学校でも6割、中学校でも4割を超える。なのに「女子が学校に行っても教わる相手は男性」という「構図が当たり前」とみるべきなのか。こうした数値は児玉氏にとって都合が悪いのだろう。なので「女性教員の割合は小学校、中学校、高校と、教育段階が上がるにつれて低くなる。大学・大学院で教授等を務める女性の割合も2割以下だ」と逃げている。都合の悪い情報をあえて無視して「男性が『先生』占める日本」と訴えるのは感心しない。

さらに言えば「医師、弁護士」で女性比率が2割程度あるのならば、それほど低くはない。「裁判で助けて」くれる女性弁護士を探すのは、それほど難しくないだろう。

続きを見ていく。


【日経の記事】

以前この欄で「日本の女性は他国と比べても自信がなく、責任ある地位につきたい人は少ない」との調査結果を紹介した。背景に責任ある地位にもともと女性が少ないことがある。優秀な女性が見えるところにいれば、他の女性も頑張ろうと思える。女性管理職の割合を引き上げるなどの対策以外にも、女性のプレゼンスを高める方法はある。


◎「見えるところ」とは?

日本の現状を「優秀な女性が見えるところ」にいないと児玉氏は捉えているようだ。「政治家」や「医師、弁護士」「(大学)教授」になるのが「優秀な女性」であり、幼稚園や小学校の教員、看護師などは入らないと言うことか。

これには同意できない。大学教授は「責任ある地位」だが、小学校の教員は「責任のない地位」なのか。「医師」は「責任ある地位」なのに、看護師は「責任のない地位」なのか。児玉氏も少し考えれば分かるはずだ。

もっと本音ベースで語った方がいい。「エリート的なイメージのある職業の女性比率をもっと増やしたい」と児玉氏は願っているのだろう。それをそのまま出すと主張として美しくはない。なので「女性の姿が見える社会に」などと無理のある表現にしたのではないか。

もっともっと女性の姿が見える社会になってほしいと願いつつ、しばし日本を離れることにする」と児玉氏は記事を締めているが、普通に日本で暮らしていれば当たり前に「女性の姿」は見える。児玉氏の場合、エリート的な職業に就いている女性以外は眼中にないから「女性が見えない」社会だと感じるだけだ。

それが正しい見方なのだろうか。「しばし日本を離れ」て、よく考えてほしい。


※今回取り上げた記事「ダイバーシティ進化論~男性が『先生』占める日本 女性の姿が見える社会に

https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20211220&ng=DGKKZO78521740X11C21A2TY5000


※記事の評価はD(問題あり)

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